雷神は最強を指名する   作:あいあい

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入試試験、特別製の檻

 雄英高校、実技演習場B。

 

 高くそびえる防壁の向こう側には、精巧に作られた偽物の街が広がっていた。そこはヒーローを志す少年少女たちの夢が結実する場所であり、同時に社会が求める正義の雛形を示す舞台でもある。

 

 だが、スタートラインに立つ鹿紫雲一にとって、その場所は無機質な鉄屑の掃き溜めに過ぎなかった。

 

 周囲の受験生たちは、互いを牽制し、あるいは己の震える手を握りしめていた。爆豪勝己が放つ火薬の匂い、緑谷出久が漏らす悲痛なほどの緊張感。彼らが抱く不安は、四百年前の死線で磨り潰され、最強という一点のみを求めて生きてきた鹿紫雲には、ひどく滑稽な、子供のままごとに見えた。

 

「……流れる血も、軋む肉もない。退屈なお人形遊びだな」

 

 鹿紫雲は、自らの掌を一度見つめ、握りしめた。

 

 体内の呪力が、周囲の湿気と反応してパチパチと微かな音を立てる。

 

「スタート!!」

 

 プレゼント・マイクの叫び声が響いた瞬間、鹿紫雲の姿は掻き消えた。

 

 他の受験生たちが状況を飲み込み、一歩目を踏み出すより早く、彼は既に市街地の中心部、ビルが立ち並ぶ十字路へ駆け出していた。

 

 路地の角から、三ポイントの大きな仮想ヴィランが地響きを立てて現れる。多脚の戦車を思わせる無骨な鉄塊。

 

 鹿紫雲は避けない。彼はただ、向かってくる鉄塊に向かって、死歩を踏むように歩を進める。

 

 アームが振り下ろされる。

 

 鹿紫雲はそれを、髪を撫でる風を避けるかのような最小限の動作でかわし、無防備なロボットの外装に指先を軽く触れさせた。

 

 ──バヂィッ。

 

 極小の、だが圧倒的な密度の青白い火花が一点に突き刺さる。

 

 爆発は起きず、激しい放電もない。

 

 ただ、三ポイントの巨体は、電子脳のすべてを一瞬で高電圧のサージによって焼き切られ、機能停止した抜け殻となって、アスファルトの上に崩れ落ちた。

 

「電気はどう流すかも重要なんだよ」

 

 鹿紫雲は走る。

 

 彼が通るたびに、ロボットたちは吸い殻を消されるように、次々と沈黙していった。

 

 一ポイント、二ポイント、三ポイント。

 

 物理的な破壊の音を立てない、あまりに静かで効率的な排除。

 

 他の受験生たちが派手な爆発や轟音でポイントを競い合う中で、鹿紫雲の歩いた道にだけは、傷一つないまま死んだ鉄屑の山が、不気味な墓標のように整然と並んでいた。

 

 

 

 校舎内の監視ルーム。

 

 モニターを見守っていたプロヒーローたちの間に、氷を流し込まれたような沈黙が広がっていた。

 

「……何、これは。何を見せられているの。同じような電気系の個性の子が呆然としているじゃない」

 

 ミッドナイトが、戦慄を隠しきれずに画面を指差した。

 

 鹿紫雲一の映るモニター。そこには、戦闘というよりは不要な部品の廃棄作業に近い速度で、次々とロボットを沈黙させる少年の姿があった。

 

「派手な放電は一切ない。彼はロボットの制御装置を正確に把握し、指先からの微弱な電流だけで、マザーボードを直接、物理的に溶解させている」

 

 根津校長が、お茶の入ったカップを置いた。その手は、かつてないほどの興奮、あるいは警戒で微かに震えていた。

 

「個性の出力じゃない。……これは、壊し方を理解した者だけが成せる、精密な処刑だ」

 

「……危険すぎる」

 

 相澤消太が、隈の浮いた赤い目でモニターを睨む。

 

「彼はロボットを倒していない。殺しているんだ。対象が機械だからいいが、あれが人間なら……一触即発で神経系が焼き切れる。しかも、彼には迷いがない。殺すことへの忌避感が、生物として欠落している」

 

 相澤は、手元の資料に目を落とした。

 

 鹿紫雲一。ヴィランポイント:128。レスキューポイント:0。

 

 あまりに極端。あまりにヒーローから遠い、まるでヴィランのような記録。

 

 部屋の隅で、険しい表情を浮かべていたオールマイトが、重く口を開いた。

 

「……あの海岸プラントで彼と対峙した時、私は彼の電撃に『悲しみ』を感じた。これほど鋭い力を、ただ傷つけるためだけに磨き上げてきた孤独にね。……彼はこの試験すら、私への『挑戦状』として利用している」

 

 モニターの中、鹿紫雲は0ポイントの巨大ロボットが立ち上がる爆音を聞いても、眉一つ動かさなかった。

 

 

 

 一方試験会場は阿鼻叫喚であった。

 

 逃げ惑う受験生、瓦礫に挟まる少女、そして彼女を救うために自らの身体を壊しながら一撃を放つ少年。

 

 そんなヒーローのあるべき光景を、鹿紫雲はただ、冷めた目で見つめていた。

 

(……あの緑色。オールマイトと同じ匂いがする。だが、あまりに脆い)

 

 鹿紫雲は、少年が腕を折りながら放った一撃の質を測っていた。そして、助け出された少女と、ボロ雑巾のように落ちていく彼を一瞥し、鼻で笑った。

 

 彼は救助活動を一切手伝わず、試験終了のブザーと同時に、冷然と演習場を後にした。

 

 

 

 実技試験後の判定会議は、かつてないほどの紛糾を見せた。

 

「ヴィランポイント歴代最高。だが、レスキューポイントはゼロ。それどころか、困っている受験生を一顧だにせず立ち去った。……ヒーロー科として、彼を受け入れるのは教育上のリスクを通り越して、道徳的欠陥だ!」

 

 一人の教師が声を荒らげる。

 

 だが、根津校長は静かに首を振った。その目は、教育者というよりは、天災を予測する科学者のようだった。

 

「彼を不合格にして、野に放つ。……それが最も不合理だよ、諸君。彼ほどの力の持ち主を、外の社会が放っておくはずがない。危険なブローカー、あるいはもっと狡猾なヴィランが彼を拾えば、この国の平和は一晩で焼き切られる」

 

「管理すべきだと言うのですか? それでは雄英は檻ではないですか‼︎」

 

「檻ではなく、教壇だよ、相澤くん」

 

 根津は、ある提案書を配った。そこには、通常のクラス分けには存在しない、特殊な合格枠が記されていた。

 

【雄英高校ヒーロー科・特例観察枠:1-X】

 

「彼は、1年A組の担任である相澤くん、君がメインで管理する。……だが、彼の力はあまりに異質だ。一つのクラスに固定すれば、そこの調和を完全に破壊しかねない。……そこで、彼を『ジョイント連結枠』とする」

 

 相澤が眉を寄せる。

 

「ジョイントだと?」

 

「平時の座学はA組で行う。だが、ヒーロー実習や対人演習においては、A組とB組、両方の授業にランダムに参加させる。……彼は、両クラスにとってのスタンダードであり、同時に『最大の仮想敵』となる。最強を目指す彼を、生徒たちがどう乗り越え、あるいは彼自身がどう他者と交わるか……。B組担任のブラドキングとも合意は取れている」

 

 それは、鹿紫雲一という爆弾を、A組とB組という二つの強固なコンクリートの中に埋め込み、互いに刺激し合わせながら、爆発を未然に防ぐための苦肉の策だった。

 

「……俺が、あいつの首輪を握り続けろということですね」

 

「君の『抹消』だけが、彼の雷を止められる唯一の手立てだ。……頼んだよ、相澤くん」

 

 

 

 

 

 桜舞う入学初日。1年A組の教室。

 

 爆豪、緑谷、轟……。並み居る少年たちの視線が、教室の最後列に座る少年に集まっていた。

 

 鹿紫雲は、誰とも言葉を交わさない。だが、彼の机の上には、特例措置を示す血のように赤い学生証が置かれていた。

 

「おい、その赤いカードは何だ? お前、何特別なツラして座ってんだよ」

 

 爆豪が威嚇するように身を乗り出す。

 

 鹿紫雲は、窓の外を眺めたまま、視線すら合わせずに答えた。

 

「オマエ、楽しそうな奴だな。……校長とかいう鼠が、俺は異物だからこれを持っていろと言って寄越しただけだ」

 

「あぁ!? 殺すぞテメェ!」

 

 そこへ、相澤が扉を開けて入ってくる。

 

 彼は寝袋から這い出し、教壇に立つと、クラス全員に告げた。

 

「……今日から、この鹿紫雲一はA組の授業に参加する。だが、彼は特例枠『1-X』だ。実習内容によっては、B組へも出向く。……お前たちの仲良しごっこを壊すための、最高の壁だと思っておけ。彼を越えられない奴に、ヒーローの資格はない」

 

 教室がざわめく。A組とB組を行き来する、規格外の存在。

 

 鹿紫雲は、相澤の赤い目を見返した。

 

 鹿紫雲にとって、クラス分けなどどうでもよかった。

 

 A組のガキ、B組のガキ。そのすべてを最強への糧として蹂躙し、最後にあの男を引きずり下ろす。そのプロセスが増えただけのことだ。

 

「……さて。じゃあ、早速グラウンドに出ろ。個性把握テストをやる。……鹿紫雲、お前が最初だ。入試一位の実力、ここでもう一度見せてみろ」

 

 相澤の言葉に、鹿紫雲はゆっくりと立ち上がった。

 

 彼の内側で、四百年前の戦場から持ち越した飢えが、歓喜の産声を上げる。

 

 鹿紫雲一は、不敵な笑みを浮かべ、教室を後にした。

 

 平和という名の仮初めの眠りは、今、完全に終わりを告げた。

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