雷神は最強を指名する 作:あいあい
雄英高校からUSJへ向かうバスの中、生徒たちは修学旅行のような浮き足立った空気に包まれていた。だが、最後列の窓際に座る鹿紫雲一だけは、不気味なほどに静かだった。
「……ケロ。鹿紫雲ちゃんは、こういう演習は興味なさそうね」
隣に座る蛙吹梅雨が問いかける。鹿紫雲は視線を窓の外へ向けたまま、短く鼻を鳴らした。
「……救助だの訓練だの、ままごとだな。俺が興味あるのは、俺を壊せるほどの祭だけだ」
その言葉の意味を理解できる者はいなかった。だが、隣で耳をそばだてていた上鳴電気は、鹿紫雲の言葉を信じ、そっと自分の指先を震わせた。鹿紫雲に叩き込まれた内側の制御。それが、本能的な警告を告げていた。
USJに到着した生徒たちを待っていたのは、スペースヒーロー・13号による救助の心得についての講話だった。しかし、その平和な時間は、中央広場の空間がドロリと歪んだ瞬間に終わりを告げる。
「……伏せろッ!」
相澤消太の叫びよりも早く、鹿紫雲が動いた。
中央広場に出現した黒い霧。そこから這い出してくる、異様な風体のヴィラン連合。
「13号、生徒を守れ! 鹿紫雲、お前は……」
「……指図するな」
鹿紫雲の瞳は、ヴィランたちの背後に立つ、脳が剥き出しになった異形の怪物を射抜いていた。その禍々しい気配に、鹿紫雲の呪力が歓喜に震える。
「……ようやく、マシな獲物が現れたようだな」
直後、黒霧による空間転移が発動する。生徒たちは各地のエリアへ散らされ、鹿紫雲は上鳴、八百万、耳郎と共に山岳エリアへと放り出された。
岩場が切り立つ山岳エリア。そこには数十名のヴィランが待ち構えていた。
「へへっ、ガキが三人……と、一人は手ぶらのナメたツラか。死ねやぁ!!」
刃物や個性を剥き出しにしたヴィランたちが襲いかかる。八百万が盾を、耳郎が音波での迎撃を試みようとした瞬間。
「上鳴。自分の得意を活かして戦え」
鹿紫雲の低い声が、混乱する上鳴の脳を支配した。
「……やる、やるよ! !」
上鳴が地を蹴った。
これまでの無秩序な放電ではない。鹿紫雲に叩き込まれた躰道の動き。上鳴の身体は青白い火花を散らしながら、相手の意表を突いた加速でヴィランの群れを潜り抜けた。
「なっ、速……っ!?」
上鳴が通り抜けた跡に、鹿紫雲が歩み寄る。彼はヴィランたちの攻撃を回避し、すれ違いざまにその急所を指先で弾いていった。
打撃ではない。ただ、相手の体内の電位を狂わせ、神経を一時的にショートさせる。
鹿紫雲が通り過ぎるたびに、ヴィランたちは糸が切れた人形のように崩れ落ちていく。
「……逃がさねぇぞ、ガキ!!」
岩の陰から、全身を岩石に変えた大型のヴィランが飛び出してきた。
鹿紫雲は振り返ることすらしない。
「散らすなと言ったはずだぞ」
「分かってるって!!」
上鳴が岩石ヴィランの胸板に、手のひらを突き立てた。
バヂィィィッ!!
これまでのようなうぇ~い状態にはならない。上鳴はすべての電気を右手から一点に放出させ、ヴィランの硬い岩の皮膚を突き抜け、内部の心臓を直接揺さぶった。
大型ヴィランが白目を剥いて倒れ伏す。
上鳴は、初めて自分の力で、誰かを確実に制圧した感覚に、震える手を見つめた。
「できた。俺、できたよ!!」
「……ふん。ようやくだな。だが、まだそのステージではあの広場にいる本物には一生届かねェぞ」
山岳エリアの雑魚を一掃した鹿紫雲は、八百万たちが他の生徒の救護に回るのを横目に、崖の淵に立った。
眼下の中央広場では、相澤消太が一人、ヴィランの軍勢を相手に死闘を繰り広げている。
そして、その背後で、あの異形の怪物脳無が、相澤を仕留める機会を狙って静かに咆哮を上げていた。
「おい、上鳴。ここはもう片付いたな」
「え? あ、ああ! でも、相澤先生が……!」
「あれは俺の獲物だッ!!」
鹿紫雲はそう言い残すと、崖から真っ逆さまに飛び降りた。
重力を利用した落下ではない。彼は空中の電位を操作し、自らを避雷針として広場へと落ちる稲妻そのものと化した。
ドォォォォォン!!
中央広場に、青白い雷鳴と共に鹿紫雲が降り立つ。
爆煙の中から現れた鹿紫雲を、死柄木弔が不気味な瞳で睨みつけた。
「……何だお前は。確か、特別枠? だっけか ……黒霧、こいつはワープさせたはずだろ」
「こんな短いエリアでワープだとは、笑わせる」
鹿紫雲は、血を流して倒れる相澤を見下ろし、それから脳無を見上げた。
「ようやく、見つけたぞ。退屈を殺してくれそうな、良い敵を」
雷神・鹿紫雲一。
四百年の時を超えた最強の渇望が、現代の悪意と、ついに対面した。
中央広場。相澤を地に沈めた黒い怪物・脳無が、次に狙いを定めたのは緑谷たちではなかった。その前に、一人の少年が立ちはだかっていたからだ。
鹿紫雲一。
青白い火花がジャージの袖から零れ、アスファルトをパチパチと焦がす。
「……黒霧。義爛が言ってたのは、あいつのことか?」
死柄木弔が不気味に首を掻きむしりながら問いかける。
「……おそらく。裏社会で『戸籍も過去も、個性の登録すら存在しない幽霊』として調査を打ち切られた少年。義爛は言っていましたよ。『あれをガキだと思うな。あれは、黎明の時代からそのまま歩いてきたような、完成された獣だ』と」
「……へぇ。完成されてるって? だったら、こっちの完成品とどっちが上か、試してみようか」
死柄木の指先が、鹿紫雲を指し示す。
「脳無、やれ。その幽霊を、今度こそ本物の死体にしろ」
キィィィィィィィィ!!
脳無が咆哮と共に跳躍した。爆風に似た勢いで振り下ろされる巨大な拳。
鹿紫雲は跳ばない。
彼はわずかに半身をずらし、拳が自身の髪を掠めるほどの極小の動作で回避した。
「──図体ばかりで、大振りな拳」
回避と同時に、鹿紫雲の掌が脳無の肘を打つ。
バチッ!!
乾いた音が響く。脳無の太い腕が、打撃を受けた瞬間に不自然な方向へと跳ねた。
鹿紫雲が流し込んだのは、破壊の衝撃ではない。脳無の筋肉を動かしている生体電気への直接的な干渉だ。
「なっ……!? 脳無の動きが……!」
驚愕する死柄木の目の前で、鹿紫雲の解体が始まる。
脳無が左手で掴みかかろうとすれば、その手首を掌でいなし、指先で特定の神経節を突く。
脳無が右の蹴りを繰り出せば、その膝裏に足を掛け、重心の軸を狂わせる。
鹿紫雲の動きは、現代の格闘技でもヒーローの技でもない。
四百年前、最強という絶頂を求めて戦場を彷徨い、数え切れぬほどの強者を物理的に分解してきた殺戮の術理だ。
「打撃無効……再生能力……。なるほど、理には適っている。だが──全てが本能による攻撃、全くもって弱い」
鹿紫雲は、脳無の胸板に両手をつき、垂直に駆け上がった。
「──器をいくら頑丈にしても、お前は生身であることに変わりない。それに、ある程度の再生能力があるのも好都合だ」
脳無は痛みを感じない。
それゆえに、自分がどれほど削られているかに気づかない。
鹿紫雲が打撃を加えるたびに、脳無の身体には微細な電荷が蓄積されていく。
一発一発は、脳無の再生能力で消える程度の傷だ。だが、蓄積された性質は消えない。
鹿紫雲は脳無の振り回す腕を軽やかにかわし、まるで演舞を踊るかのように肉薄し続けた。
「……あ、圧倒的だ。……あの敵を、翻弄してる……」
緑谷出久は、震えながらその光景を見ていた。
鹿紫雲一は、オールマイトに憧れる自分たちとは、決定的に何かが違う。
彼の中に流れているのは、救済の意志ではなく、ただ最強の自分を、誰がどう満たしてくれるかという、残酷なまでの渇望。
「おい。その人形、もう飽きたぞ」
鹿紫雲が、指先を高く掲げた。
その瞬間、USJ中央広場の空気が一変した。
水辺のエリアから流れ込んだ湿気、瓦礫に含まれる鉄筋、そして脳無という巨大な肉体。
すべてが、鹿紫雲自身を起点にした巨大な発電所の一部となる。
「溜まったな」
鹿紫雲が指先を振り下ろした瞬間。
──―ドドォォォォォォォォォン!!!!!
脳無の頭頂部から、青白い雷光が突き刺さった。
ショック吸収を貫通し、再生の速度を遥かに上回る高圧の電位が、脳無の内部細胞を焼き切っていく。
脳無の巨体が、初めて苦悶するように震え、膝をついた。
「……馬鹿な。脳無が……膝を……!?」
死柄木弔の顔から余裕が消える。
その時、広場の扉が、内側から爆発するように吹き飛んだ。
「──もう大丈夫だ!! 私が来た!!」
爆煙と共に現れたのは、平和の象徴、オールマイト。
怒りで顔を歪めた黄金の男が、一瞬で広場へと駆けつける。
だが、そのオールマイトの視界に入ったのは、救助を待つ生徒たちでも、倒れた相澤でもなかった。
立ち昇るオゾン臭と煙の中。
ボロボロになったジャージを脱ぎ捨て、半裸の背中で雷を背負うように立つ、一人の少年。
鹿紫雲一は、跪く脳無を見下ろしたまま、ゆっくりとオールマイトへと振り返った。
その瞳に宿るのは、これまで見せたことのない、純粋な歓喜の光。
「……来たか、オールマイト。……ようやく、俺の望みを叶えるヤツが現れたようだな」
「……鹿紫雲少年……。君は、一体……」
オールマイトは、少年から放たれる四百年の重みを帯びた殺気に、一瞬だけ足を止めた。
ヴィラン襲撃という混沌の真っ只中。
戦闘で昂った精神を満たせるだけの好敵手が現れた。