店を出ると、街はすっかり夜の帳に包まれていた。
オレンジ色の街灯が、アスファルトを頼りなく照らしている。
「トッピング全乗せに唐揚げ、チャーハンまで追加って……食い過ぎだ、このバカ」
賢が呆れたように溜息をついた。財布をしまいながら、その顔には隠しきれない苦笑いが浮かんでいる。
「いいじゃねぇか! 奢りだって言うから、気合い入れちまってな」
大輔は膨らんだ腹を叩きながら、満足そうに笑った。夜の空気は昼間の熱気をわずかに残しながらも、どこか静まり返っている。
駅に向かうまでの道のり、二人はしばらく無言で歩いていた。
先ほどまでの馬鹿騒ぎが嘘のように、夜の静寂が二人を包み込む。
「……賢」
大輔が、前を見つめたまま小さく呟いた。
「ん?」
「ありがとな」
その短い一言に込められた重みを、賢は瞬時に理解した。長年抱き続けた想いに区切りをつけようとする親友の覚悟。賢は一歩隣に並び、優しく、けれど力強く頷いた。
「当たり前だろ。……大輔。君なら大丈夫だ。ラーメンの修行頑張れよ」
「おう。お前もな、賢。警察学校頑張れよ」
駅の改札前で、二人は拳を軽く合わせ、それぞれの帰路へと別れた。
一人になった大輔は、住宅街へと続く道をのんびりと歩き始めた。
静まり返った夜道。口の中に残る濃厚なスープの余韻と、ニンニクの香りを思い出す。
(……やっぱ、あそこのスープの出汁は鶏ガラだけじゃねぇな。隠し味、今度店主に聞いてみるか……)
大輔はそんなことを考えながら、ふと夜空を見上げた。高く昇った月が、青白く、冷ややかに自分を照らしている。
その時だった。
――ドォォォォォンッ!!
静寂を切り裂くような、凄まじい衝撃音が鼓膜を叩いた。
「うわっ!? な、なんだ!?」
反射的に身を屈めた大輔の視界が、瞬時に白く濁る。どこからか吹き付けた猛烈な爆風と共に、大量の砂埃が押し寄せ、大輔を飲み込んだ。
激しく咳き込みながら、大輔は腕で顔を覆い、必死に目を開けようとする。
砂塵が少しずつ晴れ、大輔の目に飛び込んできたのは、月夜の下で繰り広げられる「異形の死闘」だった。
片方は、見覚えのある姿……だが、色が違う。漆黒の毛並みに鋭い眼光を宿した黒いテイルモン。
そして対峙するのは、悍ましい悪魔の羽を生やし、ドラゴンのような硬質の鱗を持つ未知のデジモン。
「ガァァアアア!」
「ハァッ!」
激突の衝撃が周囲の家々を震わせ、アスファルトが火花を散らす。戦いが激しさを増していく中、右側の路地から一人の女性が飛び出してきた。
「ノワール(ブラックテイルモン)! 左から来るわ、迎撃して!」
月明かりに照らされたその姿は、透き通るような美貌に加え、タイトなタクティカルウェア越しでも分かるほど、豊満な胸元と引き締まった腰つきが強調された女性だ。
しかし、ふとした拍子に視線を動かした彼女は、立ち尽くす大輔の姿を捉え、その表情を驚愕に染めた。
「なっ……なんでここに一般人がいるのよ!?」
女性の後ろから、一人の男性が静かに姿を現した。女性は焦燥を露わにして彼に振り返る。
「ちょっとアーサー! フィールドを展開しているはずでしょ!? なんで一般人が紛れ込んでいるのよ!」
「……展開はされているはずだ!ステラ。物理的にも認知的にも、外部からは隔離されている」
アーサーと呼ばれた男は冷静に答え、眼鏡の奥の瞳を険しくさせた。
(アーサー……それに、ステラ?)
大輔は、期せずして耳に飛び込んできた二人の名を手がかりに、状況を理解しようと必死に思考を巡らせる。だが、アーサーの視線は大輔をじっと射抜いたまま、ある「可能性」を確信したように言葉を継いだ。
「にもかかわらず、ここに彼がいるということは……。ステラ、この少年は君と同じ、『選ばれし子供』の可能性がある」
爆風が吹き荒れる中、大輔は呆然としたまま、その光景を見つめていた。
あまりにも残酷で、けれどどこか懐かしい「非日常」の光景を。
大輔は、目の前で繰り広げられる「非日常」という名の懐かしい光景に、思考よりも先に体が反応した。かつて幾度も死線を越えてきた経験が、彼を瞬時に戦いへと適応させる。
大輔は一切の無駄なく、戦いの邪魔にならないよう低く身を沈めながら、ステラとアーサーの背後へと移動した。
「……なんで、こんなところでデジモン同士が戦ってるんだ! 」
大輔の切迫した問いに、ステラは苛立ちを隠さず振り返る。
「今はそれどころじゃないわ! 動かないで!」
彼女は吐き捨てるように言うと、戦況を立て直すべく、再び激戦の渦中へと……黒いテイルモンのすぐ側へと駆け出していった。一人残された大輔は、残った男――アーサーへと鋭い視線を向け、改めて問いをぶつける。
「おい、アンタなら知ってるんだろ。一体何が起きてんだよ!」
しかし、アーサーは大輔の方を向きもせず、淡々と、言い放った。
「すまないが、守秘義務がある。君が何者であれ、現状、民間人に話せることは何もない」
突き放すような言葉。大輔は歯噛みしながらも、今はその戦いを見守ることしかできなかった。
月光の下、戦闘は熾烈を極めていた。
「ネコパンチ!」
黒いテイルモンが影のように飛び跳ね、悪魔羽のデジモンの喉元を狙う。しかし、敵の反応はあまりにも速かった。
「ガァァアアア!」
悪魔羽の翼が猛然としなり、黒いテイルモンの体を横一文字に薙ぎ払った。
ドサッ、と重い音を立てて黒いテイルモンがアスファルトに叩きつけられる。
「くっ……!」
敵の攻撃は止まらない。悪魔羽のデジモンはその巨躯に似合わぬ俊敏さで距離を詰め、大きく顎を開いた。その奥には、禍々しい暗紫色のエネルギーが収束していく。
黒いテイルモンは咄嗟に立ち上がるが、先ほどの衝撃で足取りが重い。敵の咆哮と共に放たれた破壊の光が、そのすぐ足元を爆破する。
「アァッ……!」
爆風に煽られ、黒いテイルモンが再び地面を転がる。漆黒の毛並みは砂埃で汚れ、その目は明らかな劣勢を物語っていた。敵は、現実世界の物理法則を無視したような暴力的な質量と速度で、着実に黒いテイルモンを追い詰めていく。
大輔の拳が、白くなるほどに握りしめられた。