パライストラの中庭にて赤毛の少年が1人黄昏ていた。
「どこへ行っても星矢、星矢…。ちぇっ! 俺は
かつてアテナと共に海王ポセイドン、冥王ハーデスという名だたる神々から地上を守り抜いた伝説の戦士。その功績を讃えられ、
「俺は…俺だ」
光牙とて人の子だ。一々会った事もない誰かと比べられれば面白くない。難題をクリアしてもそれぐらいできて当然と言われては不貞腐れもする。友人である
「来るんじゃ、なかったかな…」
城戸沙織――自分を育ててくれた恩人で母代わりになってくれた女性。しかし、その彼女こそ現世に降臨したアテナ本人だと光牙はつい最近になって知った。彼女は光牙を庇ってマルスという謎の男に攫われてしまい安否不明となる。
戦いの後、任務の為に訪れた蒼摩からアテナはパライストラにいるはずと教えられたのだから訳が分からない。会いに行こうとしても新米聖闘士の自分ではそれも許されない。苛立ちだけが募る毎日だ。せめてどこにいるのか分かれば忍び込む事ができるのにと考えていたところへ、突如異音が聞こえる。
(これ、ボールの音か?)
タンタンと小気味よく渇いた音が風に乗って光牙の耳へ届く。視線を移すとそこには1人の少女がボールを地に打ち付けていた。
少女が身を屈め、バスケットゴール目掛けてボールを投げる。空中に綺麗な放物線を描いたそれはリングに当たることなくネットを潜り抜けた。
完璧な3Pシュートだ。
「凄ぇ…おっと!?」
思わず声を出してしまい、光牙は慌てて口を抑える。少女の方は完全にこちらに気づいたようで視線を外さない。光牙は観念して前に出た。
「練習の邪魔しちゃって悪いな。俺は光牙だ。
改めて少女を観察する。光牙より身長がやや高い。女聖闘士特有の仮面には
「私は
優雅に一礼するリタの姿に光牙の心は落ち着かない。今まで出会った女聖闘士は気が強い者が多く、ここまで礼儀正しく応対してくれるのは沙織以来だ。頭を掻きながら調子を取り戻そうと話題を変える。
「えっと、パライストラって聖闘士とは無関係のものも置いてあるんだな」
「聖闘士養成学校とはいえ、そこまで頭が固くありませんわ。小宇宙を操れても私達はまだ子どもである事に変わりありません。学業にスポーツ、情操教育には様々な要素が必要ですもの」
オホホと笑うリタの姿に育ちの良さを光牙は感じる。荒事を生業とする聖闘士らしからぬ少女。彼女がここにいる理由を知りたいと思った。
「あんたはなんでここに…その、聖闘士になったんだ?」
するとリタは笑うのを止めて硬直する。空気が変わった。慌てて取り消そうとするが、彼女はそれを手で制する。
「コホンッ、失礼いたしました。私の事情は少々特殊なのです。強いて言えば、
みんな――世界中の人々という事だろうか。言葉の意味を確かめようとするものの、今度はリタから質問を受ける。
「そういうあなたはどうして聖闘士に? そもそもどういった経緯で
「そ、それは…」
そうして光牙は言葉が詰まる。ここで正直に話せばややこしい事になるのは目に見えていたからだ。沙織とこの学園にいるアテナが同一人物なのかがハッキリするまでは真実は語るべきじゃない。
「俺を育ててくれた人が聖闘士関係者だったんだ。で、その人が襲われた時に戦っていたら聖衣が助けてくれた。それだけさ…」
嘘は言ってない。実際マルス襲撃時は光牙の家族全員が危ないところだった。助かったのは聖衣のおかげだ。沙織が大切に持っていた
「…辛そうなお顔をしていますわ。何かありました?」
顔に出ていた事に気づき光牙は視線を逸らす。
「戦ったけど、結局その人を守れなかった! 攫われたんだ! 俺はその人を見つける為に、助ける為に、聖闘士になったんだ!!」
あの時の無力感は忘れない。
力を得た高揚感に溺れた自分、今まで不真面目に修行していた自分、目の前で沙織を攫われてしまった自分。師のシャイナと執事の辰巳がいなければ、怒りで気が狂っていたかもしれない。
「それは結構。攫った犯人を殺す為とか言い出したらどうしようかと思いましたわ」
「そんな事しねーよ! シャイナさ…師匠からも聖闘士は私闘厳禁って口を酸っぱく言われているからな」
クスクスと愉快そうに笑うリタに光牙は憮然とする。先程から感じていた既視感の正体に気づいた。上品な喋り方と穏やかな空気、沙織とよく似ていたのだ。彼女の前だと鬱屈していた負の感情が霧散してしまう。
(もし俺に姉さんとかいたらこんな感じなのかな)
なんとなくそんな事を考えながら、光牙はこの不思議な少女との交流を楽しんだのだった。
◇
休み時間も終わって光牙と分かれた後、リタは廊下の中を1人で歩いていた。
「あの子が今代の
これから彼の身に起きる様々な苦難。黙って静観すれば物語は幸福に終わるだろう。犠牲者は出るが、終わりよければ全て良しともいうのでそれも一興。
(ああいけない。先を知ってるせいか、つい第三者の視点で物事を見てしまいます。この癖も直さないと…)
この身は神ではない。1人の人間なのだ。そんな自分が上から偉そうに彼らの死闘を見るのは侮辱でしかない。
直す方法は唯一つ。
「そろそろ動きますか…」
それは自分がこの世界の一員になる事。役者として共に舞台に上がる事だ。
そして役を演じ切るには実力がいる。
小宇宙と聖衣は手に入れた。あと欲しいものはやはり属性攻撃。隕石によって宇宙から齎された新たな力。今まで地球上での戦いだったものが、地球外にまでスケールアップした事に知った当時は心を踊らされたものだ。無くて困るものでもないが、有るに越した事は無い。
「というわけで市先輩。今度の選抜戦は私と手を組みませんか?」
「ハァッ? いきなり何を言ってるんざんす?」
訪れた教室で寛ぐ1人の学生にリタは声を掛ける。長身の体躯に白髪のモヒカンという一際目立つ容姿に独特の口調をする男。
彼は目をパチクリとさせて、珍客をまじまじと見つめ返したのだった。