キバナVSダンデ ―龍と空の王者―   作:スイカバー

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 ダンデがマクロコスモス本社の外へ出ると、もう日が暮れかかっていた。

 

 昼前にブラッシータウンを出発し、リザードンに乗ってまっすぐ北上、シュートシティに戻ってきた。かなりの長距離ゆえ、普通なら鉄道やそらとぶタクシーで移動するところだが、ダンデはリザードンに乗って自らの身体に空の風を感じるのが好きだった。一番速い移動手段であるのもそうだが、何より空と一体になって、まるで自分にも翼が生えたかのように、自由になれるというのが、一番の醍醐味だった。

 

 ダンデはダイゴに言われた通り、マクロコスモス本社に赴き、ネットワーク管理者にダイゴの手紙を渡して事情を説明した。管理者は驚いた様子だったが、すぐに部署全体にハッキングの恐れがあるとの警告を発し、デボンコーポレーションとの連携のために数人の社員を召集した。

 

 その後、ダイゴの指示を受けた、シュートシティに滞在していたデボン社員の一人が本社にやってきた。マクロコスモスの社員と合流し、監視カメラ解析のためのやり取りを行った。ダンデもその様子を逐一見ていた。専門的なことはダンデにはまるでわからないが、社員たちはすぐに事情を共有し、迅速に事を運んだようだった。

 

 監視映像のコピーを受け取ったデボン社員が出ていったところで、ダンデはマネージャーへの連絡を忘れていたことを思い出した。研究所を出る前に、ソニアからどやされたというのに。

 

結局、今日丸一日の仕事をすっぽかしてしまった。幸い、バトルの予定はなかったので、ファンをがっかりさせることだけはなかったが、写真撮影や取材原稿のチェックなど細かい仕事で、関係者に迷惑をかけてしまった。すぐにマネージャーに電話し、詫びを入れた。

 

 そうして、自分のやるべきことに一段落がついたところで、外に出ると、もう夕方になっていた。何とも長い一日だった。

 

 このままシュートスタジアムへ行って、少しでも仕事を片付けるかと思った矢先に、ダイゴからメールが来た。自分ももうすぐシュートシティに到着するから、一緒に夕食でもどうか、という旨だった。どうやらデボン社員とやり取りする中で、ダイゴが直接シュートシティに赴いたほうがいいということになり、今向かっているところらしい。

 

 ダンデは、仕事の件はなかったことにして、即座に承諾した。ダイゴとはこの事件に関係なく、一度サシで話をしてみたかったのだ。

 

 ダイゴは列車でやってくるとのことで、ダンデは駅まで迎えに行った。方向音痴の自分には正しく辿り着ける自信がなかったので、タクシーで向かうことにした。駅で降りると、程なくダイゴと合流した。

 

 ダイゴはボロボロの服を買い替えたようで、その新たな装いを見たダンデは一瞬ぎょっとした。

 改札を出て現れたダイゴは、まるで上流階級の紳士のようだった。

 

 ベージュチェックの鍔の付いた帽子に、同じくベージュチェックに襟を立てたフロックコート、トップスは白のワイシャツの上に、灰緑色のダブルヴェスト、首元には花をあしらったような金のループタイ、ボトムスは黒のトラウザーズ、両手には黒のハンドグローブを嵌めている。

 

 ダンデは立場上、セレブの集まるパーティや式典に招待されることがままあるが、ダイゴの姿はそこで見るような、ガラルの由緒正しい家柄の貴族を彷彿とさせた。いや、むしろその帽子の特徴的な形状のせいか、貴族というよりは、ミステリー小説の映画で見るようなカリカチュアな印象をもたらしていた。

 

「何だそれは、探偵か?」ダンデは唖然として言った。

「よくわかったね。いやあ、ガラルのファッションはセンスがいい」ダイゴは上機嫌で答えた。「レトロかつシックでありながら、ある種の華やかさも併せ持っている。歴史と伝統、それに裏打ちされた審美眼があればこそのデザインだ。素材も上質で、着心地もいい。実に気に入ったよ」

「それはいいが、何で探偵なんだ?」

「事件を追ってるんだから、ちょうどいいかなと思ってね」ダイゴはそう言って、ループタイの角度を調節した。

「それに探偵には、前から少し憧れていたんだ。ほら、ピカチュウが探偵になる映画があったじゃないか。ピカっとひらめいた、ってね。好きなんだ、あの映画」

 

 ダンデはよく人とはズレていると言われることがあるが、ダイゴのそれは自分以上ではないかと思った。先刻の研究所での真剣なやり取りからは想像できない浮かれようだが、いや、これも彼なりの真剣さなのだろう。それに、研究所での彼の推理は、確かにある意味探偵のようではあった。

 

 しかし、これと一緒に街を歩くことには、さすがのダンデも抵抗があった。レストランまではまたタクシーで移動することにした。車内では、ダイゴは絶えずスマホロトムで誰かと連絡を取り合っていた。途中、ポケモンセンターに用事があると言って、ダイゴはいったん降りたが、すぐに戻ってくると、そのままレストランまで五分ほどで着いた。

 

「すまないね、うちの社員にいろいろと報告しないといけなくて」タクシーを降りながら、ダイゴはダンデに詫びた。

「君は大企業の責任ある立場だろう。それくらい仕方ないさ」

「それを言うなら君だって有名人じゃないか。仕事は大丈夫なのかい?」

「チャンピオンとの会食より優先する仕事はそうはないぜ」ダンデは笑ってダイゴをレストランへとエスコートした。

 

 そこはマクロコスモスのローズ元社長が外賓と会食をする際、ダンデをよくゲストとして招いていたレストランだった。いかにも富裕層向けという豪奢な店の雰囲気とは裏腹に、ガラルの伝統的な郷土料理がベースで、素朴でありつつも、料理人のアレンジが効いた深い味わいが、ダンデの好みだった。外から来た人間にガラルの味を知ってもらうには、ここが一番だとダンデは太鼓判を押した。

 

 広い店内に客はまばらで、ダンデはあまり人に見られにくい、パーテーションで区切られた窓際のテーブルをウェイターに希望した。席に着くと、ダンデはダイゴにアレルギーの有無を訊き、スープカレーをメインにした一番オススメのコースを二人分注文した。二人共紙エプロンを付けて、ダンデは帽子を脱ぎ、ハンドグローブを外す。

 

「マクロコスモスとデボンのやり取りは首尾よく進んだようだね。君のおかげだ。感謝するよ」ダイゴが食前酒に口を付けて言った。

「礼には及ばないさ」ダンデは取り分けられた前菜のサラダにフォークを伸ばす。「オレはただ君の指示通りに動いただけだ」

「監視カメラの映像だけど、社員個人のパソコンで解析しているから、処理にはしばらく時間がかかるそうだ」

「それは仕方ないな。安全第一だ」

 

 事件についての進捗共有が終わると、二人はしばらくガラル料理に舌鼓を打った。ダンデは得意そうに料理をひとつひとつ解説していく。特にメインのスープカレーをダイゴは絶賛した。

 

「凄く美味しい。スパイスもそうだけど、魚介の出汁がしっかり効いているね」

「この店の料理はエシカル・フーディズムって考え方で作られててな」ダンデが説明する。

「材料にポケモンを使うこともあるが、それは決してポケモンを傷つけるものじゃない。ほら、ヴィーガンの中でも、特に敬虔なパターンだと、植物を傷つけないために、熟れて落ちた果実しか食べない人もいるだろう? あれと同じだ。ポケモンの身体に影響のない部分しか使わない。このスープだと、ウデッポウの自然にもげたハサミや、オクタンの吐いたスミなんかを使ってる」

 

「なるほど。素晴らしい考え方だ」ダイゴは感心した。

「それに数十種類のきのみやハーブを加えて、このような複雑な味わいになっているそうだ」

「ホウエンにはない味だ。でも気に入ったよ。君が紹介したいというのもわかる」

「オレの故郷の誇りの味だからな。だからこそ、その故郷を脅かそうとする奴らは、止めなければならない」

 

 エゴノキ、そしてリゼルグは、レックウザの力を使って、ガラル地方に対して何らかの攻撃を加えようとしている。それはダンデには到底看過できない所業だった。故郷は違えど、ダイゴももちろん同じ気持ちだ。

 

 デザートはロゼルの実のハーブティーに、モモンの実のアイスクリームを添えたスコーンだった。満腹に近づきつつも、いくらでも食べられそうな美味だとダイゴは思った。そして甘味を交えながら、ダンデは一番聞きたかったことをダイゴに訊いた。

 

「ところでダイゴ、君は今、チャンピオンの立場に満足しているか?」

 

 唐突に聞かれてダイゴは一瞬戸惑ったが、それでも即答した。

 

「もちろん」

 

迷いのない言葉だった。

 

「すまない、変なことを訊いた。最近、ちょっと悩んでることがあってな……」珍しくダンデが神妙な表情をしている。

「もしかして、君が挑戦者に初めて負けたっていう話かい?」

 

 ガラル地方のチャンピオン・ダンデが子供の挑戦者に敗北したという話は、世界的なニュースになり、ダイゴの耳にも届いていたらしい。そういえば昨日もちょっとその話題が出た気がする。

 

ダンデはダイゴの問いに頷いた。普通なら配慮のない訊き方だと思うかもしれないが、ダンデにはその率直さがむしろありがたかった。ずっと誰かと話したいことだったからだ。その「誰か」が、ようやく現れた。

 

「ああ。オレは先日、公式戦で初めて負けた。それからずっと、自分の気持ちに整理が付いていないんだ。悔しいとも悲しいとも思えないし、良かったとかいい経験ができたとか、昇華もできていない。ただ、負けたという事実にどう向き合っていいのか、わからないままなんだ」

 

 ダンデは自分の心情を正直に吐露した。ダイゴは黙って聞いている。

 

「誰にも相談できなかった。腐ってもオレはチャンピオンだからというプライドがあるのかもしれない。それにこんな悩み、普通の悩みじゃないって、それくらいオレでもわかる。きっと誰も理解してくれないだろう。だから相談できる相手がいなかった。君が現れるまでは……」

 

 ダイゴはじっとダンデの姿を見つめた。確かに、ガラルの無敵のチャンピオンと評されるあのダンデとは思えない、弱々しい表情だ。彼がこんなふうに弱音を吐くところなど、ファンが見たら幻滅さえするかもしれない。しかし、ダイゴはダンデの心情が理解できた。

 

「答えにくい質問だとは思う。だが、訊きたい。ダイゴ、君はどうだ。負けることはあるのか?」ダンデは何かに縋るように尋ねた。「それってどんな気持ちなんだ?」

 

ダイゴは慎重に言葉を選びながら、説明を試みた。

 

「負けるというか、ガラルとホウエンではチャンピオンの仕組みも違うから、一概にどうとは言えないけど……」

 

 ポケモンバトルを興行というエンターテインメントに組み込んでいるガラル地方と違い、ホウエン地方において、バトルは己とポケモンを鍛え高めるための武道のような側面が強い。だから、チャンピオンという立場はどちらかというと教育者、あるいは師範代に近いのかもしれない。トレーナーを導く規範のシンボル的存在とも言える。

 

 ダイゴも時折バトルは行うが、ダンデのようにチャンピオンの座を賭けて、というものではなく、大型大会を勝ち抜くような実力あるトレーナーに手ほどきを行い、その腕前を正しく精査するという目的の下、行われる。そういう意味では、(ホウエン、ガラル両方の)ジムリーダーとやっていることは変わらず、その延長と言ってもいいだろう。

 

ただ、誰でも挑めるジムリーダーとは違い、ダイゴが相手するのは例外なく相当の実力者であるため、手を抜いて戦うということはまずない。本気で臨みこそするが、ただ勝ち負けそのものが目的ではないという点が、ガラルのチャンピオンの立場とはかなり性質が違う。多少負けても、直ちに資格を剥奪されるということはない。それよりは、トレーナーたちの上に立つ者として、正しく皆を導けるかという姿勢が問われる。

 

「だから、僕が君の気持ちを正しく理解できているかというと、正直自信はない」

「わかってる。それを承知の上であえて訊きたい」ダンデは少し前のめりになる。「君は負けたとき、どんな気持ちになるんだ?」

 

 ダイゴは紅茶のカップにお代わりを注ぎ、軽く揺らして湯気をくゆらせながら、しばらく黙って考えた。

 

「そうだな……。場合によるけど、悔しいと思うことは多いかな」ダイゴは静かに言った。

 

 悔しい。ダンデが敗北したとき、持ち得なかった感情だ。しかし、ダンデはダイゴが悔しがっている表情は想像できなかった。

 

「意外だ。君にもそんな感情があるんだな」

「悔しいといっても、対戦相手を恨むことはない。ありがたいことに、僕の元に辿り着くようなトレーナーは皆、実力者であり人格者だ。相手に対して負の感情を抱くことはありえない。悔しさのほとんどは、自分自身の作戦ミスや知識不足といった要素に起因するのだろうと自己分析している」

 

 ダンデはそういうものだろうかと、黙って耳を傾けていた。ダイゴは紅茶で口を湿らせて、話を続ける。

 

「まあそれよりも、負けたときの気持ちの切り替えのほうが大事かな。僕は鉱物全般に興味があってね。珍しい石を集めたり、探したり、研究したりするのが趣味なんだ。悔しくて気持ちが沈んだときは、山や川へ石を探しに行ったり、自宅でコレクションを見たりしてリフレッシュすることにしている」

 

 趣味でリフレッシュか……。ダンデは内省した。自分には趣味と言えるものがない。バトルこそが人生の趣味であり、バトルに関わる以外の何かを生活に組み込もうという発想すら今までなかった。

 

「石はいいよ。宝石みたいに綺麗な石ももちろん好きだけど、他にも興味深い鉱石はたくさんあるし、何だったらその辺の道端に転がっている石だって、その石だけの美しさがある。そういうところは、ポケモンに似ているかもしれない」

 

 確かに、どんなポケモンにも、そのポケモンの良さがある。それはよく理解できる。

 

「そして僕が一番石を美しいと思うのは、石は割れて形を変えても美しいというところだ。僕たちは、例えばその辺に落ちている丸い石は、それが本来の姿だと思いがちだけど、全然そんなことはない。気の遠くなるような長い年月の中で、大きな岩石から切り出され、雨風に削られて、たまたま今、その形に留まっているに過ぎない。そんな石が割れたとしても、それは自然の摂理の一部であって、次の姿へと変わっていく過程でしかないんだ。宝石の鑑定家なんかは、大きな鉱石に価値を付け、ひび割れたものにはマイナスの評価を下したりするけど、それは本質的な価値ではないと僕は思う。そういうものもすべて含めて、石は美しいんだ」

 

 そう言うと、ダイゴはまっすぐダンデの目を見据えた。

 

「石は割れても美しい。そう思うことで、僕は何度負けても立ち上がれるんだ」

 

 ダイゴの目は自信に満ちていた。迷いのない確固たる信念が伝わってくる。

 

「何だったら僕は、負けても負けじゃないとすら思っているけどね。結局、一番強いのは自分だと信じているから」

 

 ダイゴはそう言って微笑んだ。ダンデは一瞬、ダイゴの言葉の意味が飲み込めなかった。どういうことだ。負けても立ち直れることが強さだと言いたいのか? それは確かに正論だが、あの自信に満ちた表情からは、ちょっと謙虚すぎる気もする。

 

だが、少し考えて、先ほどの発言で感じた微妙な違和感と擦り合わせ、ようやく理解できた。

 

 ダイゴはさっき、「悔しさのほとんどは自分の作戦ミスや知識不足」だと言っていた。そう、「実力不足」とは言っていない。負け試合には多少の敗因こそあれど、それは作戦を練り直したり、知識を吸収したりすれば、同じ轍は踏まずに済む類のものであり、自分とポケモンの根本的な力量や絆には疑問を抱いていない。

 

つまり、一度負けた相手でも、「もう一度戦えば負けない」と彼は暗に言いたいのだろう。だから「自分が一番強い」と自信を持って言える。ダンデは背筋にほんの少し震えるような感覚を覚えた。

 

 そして、自分にはその台詞は言えるだろうか、と自問した。ダンデが今まで自信を持てていたのは、単純に今まで負けたことがなかったからだ。だが、敗北を経験した今、昔のような自信を持ち続けられるかというと、怪しい。

 

その点が、ダイゴは違う。ダイゴは敗北を日常に置きながらも、なお自分の強さに絶対の自信を持っている。その精神は、なるほど割れた石のように美しいのかもしれない。

 

「僕にとって敗北とは何かと問われると、こういう答えになる」ダイゴは紙ナプキンで口元を拭い、言った。「君の悩みの助けになるかまでは、わからないけどね」

 

 ダンデはダイゴの言葉を頭の中で何度も反芻していた。蒙が啓かれたような気がした。やはり仕事を蹴ってでも、この男と会った甲斐は充分過ぎるくらいあった。同じチャンピオンだからこそ、共有できる悩みがある。同じ高みに立っているからこそ、わかり合えることがある。

 

 ダンデはいつの間にか涙を流していた。そんな経験は初めてだった。

 

「ありがとう。いや、君に会えて良かった。何か糸口が見つかりそうな気がする」

 

 ダンデは紙ナプキンで涙を拭いながら言う。

 

「ひとつ、気になることを言わせてもらってもいいかな」ダイゴが言った。「余計なお世話かもしれないが……」

 

 ダンデは小さく頷いて、続きを促した。

 

「どうしてキバナに相談しないんだい? この悩みなら、僕より彼の方が適任だと思うんだけど」

 

 ダンデは目を丸くした。キバナ? どうしてキバナの名前が今ここで出てくる?

 

「さっき研究所を出るとき、博士のお孫さんがヒガナと話しているのを小耳に挟んでしまったんだけど、キバナは君に何度も挑戦して、ずっと負け続けているんだってね。何度負けても諦めずに挑み続けるのは、結構なメンタルだと思う。そんな彼なら、君よりも僕よりもずっと、敗北の気持ちを知っているんじゃないかな」

 

 この場にキバナ本人がいれば、きっとダイゴのことをデリカシーのない奴だと罵っただろう。自分が勝った相手に「負けてどんな気持ちだ」と訊くのは、嫌味以外の何物でもない。

 

ダイゴの発言は、常識に照らし合わせれば、もちろんズレている。しかし、彼に相対するダンデもまた、同じくらいズレていた。

 

キバナか……。確かに彼なら、オレが求める答えを知っているのかもしれない。

ダンデはまた一筋の光明を見出したようだった。

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