8.
そこから、全員で作戦を練っていった。監視カメラが捉えたリゼルグの構成員、その男の姿が記録された複数のエリアを、それぞれ張り込み、男が現れたら尾行する。そして、男がリゼルグの拠点に入り込むところを確認でき次第、ヒガナがそこに潜入して中の様子を探る、という手筈になった。
「潜入なら任せておいてよ」ヒガナはソファの横に置いていた紙袋を取り出した。中に入っていたのは映像の男が着ているのとよく似た、迷彩柄のジャケットだった。
「これはリゼルグの……」キバナがジャケットを見て言った。
「これも昨日エンジンシティで買っておいたんだよね。きちんとマークも手縫いしてあるよ」
確かに、ジャケットの両胸には折れた剣と割れた盾のマークが刺繍されている。
「こういうこともあろうかと、ってね」ヒガナは得意そうに言う。「これで、リゼルグの拠点にも構成員のふりをして潜り込める。私は彼らに顔を知られているから、もちろん変装もしておく」
「なるほどな。こいつを調達するためにエンジンシティに行きたいと言い出したわけか」
「まあ、他にもいろいろ必要なものはあったしね」
「しかし大丈夫なのか? リゼルグの構成員が何人いるかわからねえ。大規模な組織なら確かに一人くらい紛れ込んでも気付かれねえだろうが、もし少数で全員顔見知りだったら、いくらジャケットを着てもすぐにバレるぞ」
「そこも確認済みさ。昨日そちらのお嬢さんに聞いておいたからね」
ヒガナはそう言って、パソコンのリモート画面に右手を向けた。
「あ、うん」マリィが答える。「あたしが兄貴やみんなから聞いてわかったこと、昨日ヒガナさんに聞かれたけん、教えたっちゃん」
「聞いた限りだと、人数は数十人単位で、特に最近はますます増えているらしい。大丈夫、まずバレないよ」
「わかった」キバナが頷く。「じゃあ次は、マリィが掴んだ情報とやらを、聞かせてもらう番だな」
全員が画面の向こうにいるマリィに視線を向けた。しかし、マリィは何か考えているようで、なかなか話し出さない。
「マリィ?」同じくリモートで参加しているソニアが訊く。
「あの、提案っちゃけど……」マリィがおずおずと口を開いた。「ダンデは、今のこと、警察に言いに行ったほうがよかやなか?」
「警察にか?」ダンデは意外そうに言った。
「構成員の男が現れそうな場所を張り込むって話っちゃけど、場所は複数箇所あるけん、ヒガナさん一人じゃ全部見張れんし、ダンデやキバナは目立つけん向いとらんし、やったら警察に協力してもらったほうがよかて思う」
「確かに、オレらの図体は目立つし、何より有名人だしな」キバナはソファの背に身体を預けながら言った。
「警察に事情ば説明するなら、こん街で顔が知れとうダンデが適任たい。ここから電話で連絡もできるばってん、盗聴の恐れがあるし、直接行ったほうが確実やなかな」
「いや、盗聴に関しては……」ダイゴが口を挟んだ。だが、マリィはダイゴの言葉を遮るように語気を上げた。
「善は急げ、すぐ伝えに行ったほうがよか」
ダンデは少し逡巡したようだが、すぐに立ち上がった。
「わかった。そういうのはオレの役目だ。確かに警察の協力はあったほうがいい」
そう言うと、部屋を出ていこうとしたが、「出口はどっちだったかな」と立ち止まり、ダイゴに案内されて、ドアまで辿り着いた。ソファからキバナの「警察署まではタクシーで行けよ」という声を背に、ダンデは部屋を後にした。
「ったく、あいつの方向音痴はホントに……」キバナはやれやれという様子で零した。
「一体どういうつもりだい?」ダイゴはマリィに訊いた。「さっきの盗聴という話だけど、ダンデの端末がエゴノキにハッキングされている可能性はまず考えられない。そのまま警察に電話すれば済んだはずだ」
全員の視線がマリィに注がれた。
「ダンデにはバレとうかもね」マリィはダイゴから目を逸らしながら、静かに言った。「でもこれから話すことは、ダンデには聞かれとうなかったけん」
「ダンデをこの席から外す口実だったってわけか」とダイゴ。
「それってリゼルグに関係すること?」リモート画面越しにソニアが言った。マリィは頷く。
「昨日あたしが話したことは、前に兄貴から聞いた話やったばってん、それは随分昔んことで、兄貴や仲間たちはそれからもリゼルグの情報ば集めとったみたい。で、昨日あの後改めて兄貴に聞きに行ったっちゃけど、そこでいろいろ新しい情報が掴めたとよ」
「それがダンデ君には聞かれたくない話?」ソニアが不安そうに尋ねる。
「リゼルグのリーダー、バッカクという男は、かつてポケモンリーグでダンデと戦って負けたことがある」
一瞬、沈黙が流れた。マリィは画面越しに一人ずつ順番に顔を見渡し、反応を確かめると、ゆっくり続きを話し始めた。
バッカクは現在二十代半ばの男で、二年ほど前までポケモンリーグで活躍していたポケモントレーナーだった。弱冠十一歳にしてジムバッジ八個を取得し、ポケモンリーグに出場、その年のトーナメントで四位にまで昇り詰めた注目のルーキーだった。
「ガラルの超新星」と持て囃されたバッカクは、それからも目覚ましい実力を発揮し、数々の大会で上位入賞を成し遂げた。一時期、ジムリーダーになるのではないかとの噂も流れたが、純粋にバトルを続けたいとの理由から辞退したらしい。自身でスポンサーを募り、ポケモンバトル一本で食っていくと宣言した雑誌記事が、当時話題になった。順風満帆な人生だった。
しかし、バッカクがバトルの世界に立つようになって数年後、ダンデがガラルチャンピオンの座に就いた。その頃、バッカクは他の地方へ遠征し、武者修行の旅をしていたようだが、さらに数年経って、ガラルに戻ってきたとき、無敵のチャンピオンの存在を知り、己の実力を誇示すべく、挑戦を突き付けた。世間も注目し、マスコミは「ダンデ対バッカク、運命のタイトルマッチ」と銘打って騒ぎ立てた。
そして、その試合でバッカクはダンデに負けた。それも完膚なきまでに。手持ちポケモン六対六のフルバトルだったが、ダンデは六体全員を残したまま、バッカクを打ち負かした。他の地方でも順調に実績を積んでいたバッカクにとって、信じられない出来事だった。これほど圧倒的な敗北は、この数年経験していなかった。
ここまで強豪としてのし上がってきた自負を持っていたバッカクにとって、この敗北は単なる一試合の黒星という以上の重圧を与えたらしい。それ以降、バッカクはスランプに陥り、目に見えて敗北が増えた。酒に溺れ、鍛錬を怠り、さらに負けが重なるという悪循環。
あるとき、泥酔状態でとある大会に臨んだバッカクは、案の定バトルに負け、おまけに酔った勢いで対戦相手に暴力を加えるという愚行を犯した。当然その大会は失格処分となり、インターネットで炎上、芋蔓式に最近の素行の悪さも俎上に上がって、ついにはスポンサーを外される事態にまで発展した。バッカクは、ポケモンバトルという自身の生き甲斐と生計の手段を同時に失った。
そうして、バッカクは表舞台から姿を消した。それが二年前のことだ。
バッカクの失踪は、当初はネットや週刊誌などでも多少騒がれたが、数か月もすると、誰も話題にしなくなった。バッカクはバトルの世界のみならず、友人や知人などとも縁を切り、完全に消息を絶ったようだった。
それからまた少し時間を置いて、リゼルグという組織が結成されたとの噂が裏社会の一部に流れ始めた。そして、その組織の中核にバッカクが関わっているとマリィの兄が掴んだのが、つい最近のことだった。
「バッカクか……、久しぶりに聞いたぜ、その名前」キバナが言った。「そういやいたな、そんな奴」
「有名なのかい?」ダイゴが訊く。
「まあオレ様やダンデの野郎には遠く及ばないが、当時はちったあ名の知れたほうだった。とはいえ、弱肉強食の世界だ。次々に強いルーキーが現れるこのガラルのバトル界で、一度脱落した奴は、すぐに忘れ去られるのもまた摂理って奴よ。実際、そういう奴はごまんといる」
「私はその頃もうバトルから身を退いていたから、その人のことはあまり知らないけど」とソニア。「なんかアイドルとか芸能人に近いものを感じるね。一握りの成功者以外は、あっという間に人々の記憶から消えてしまう……」
「しかしなるほどね、マリィがダンデに言いたくなかったわけは理解できたよ」ヒガナが腕を組んで言った。「バッカクはダンデに負けたせいで、バトルの世界から追放された。そしてその恨みからリゼルグという組織を作った」
「ちょっと、そんな言い方って……」ソニアが食ってかかった。
「もちろん追放されたのはバッカクの自業自得だし、逆恨みもいいところだ。馬鹿な奴だって思う。でも、あの純朴なガラルチャンピオンさんは、きっとそんなふうに切り捨てることはできない。自分のせいだと自責の念に駆られてしまう。だから彼の前で言い出せなかったんだろう?」
マリィは何も言わず、下を見つめていた。その沈黙を肯定だと、その場の全員が受け取った。マリィは訥々と続きを話し始めた。
バッカクは、人生に絶望した。一度は死を選ぼうとしたが、一人では死ねず、ネットで同志を何人か募った。しかし、そこで出会った者たちと、互いの境遇を打ち明け合う中で、何となく救われた気持ちになり、生きる希望を見出した。絆は絶望を希望に変える。ただ、歪んだ希望は、彼を真っ当な道へは進ませなかった。怨嗟が彼を復讐へと駆り立てた。その矛先は特定の個人ではなく、極めて漠然とした社会そのものに向けられた。
バッカクは同じような境遇を持つ者を集め、社会に打撃を与えるための組織を結成した。それがリゼルグだ。リゼルグは、バッカクが一時救われたように、社会に絶望した者たちの互助会的な側面を持ちつつ、その裏では社会に復讐するための計画を走らせていた。
他の犯罪組織のように、半端な悪事で警察に見つかっては元も子もない。だから小さい悪事は決して働かず、最も壮大な計画を成し遂げるまで、水面下に潜伏し続けることを構成員全員に徹底させた。
自分たちを絶望に追いやった社会を、いつかより深い絶望に陥れてやる。その夢想が、彼らの生きる希望になった。
当初は具体的な計画もないまま、ただ互いを慰め合うだけの空虚な組織であった。しかし、エゴノキという男と接触したことで、事態は急に現実味を帯び始めた。かつてガラルでテロ行為を試み、そして今、逃亡者として社会から追われる身となったエゴノキ。彼がガラルでリゼルグと出会ったのは、ある意味必然だったのかもしれない。
エゴノキからレックウザの力を利用して、ガラルで破壊行為を行うという計画を聞かされたバッカクは、それこそが自分たちが成すべき使命だと称賛し、エゴノキを組織に招き入れた。バッカクは必ずやガラルでテロを起こしてみせると構成員たちの前で宣言した。
この過程で、その計画を聞きつけ、新たに志を同じくする者も増えていったが、一方で、目が覚めた構成員も何人かいた。これまではただ、言葉の上で「社会に復讐する」と空言を並べることで溜飲を下げてきた彼らは、急に現実的な計画を聞かされて、怖気づいた。本当にそんな大それたことをするつもりで、この組織に入ったわけではない。
バッカクに反目した構成員たちは、組織を脱走した。バッカク本人はエゴノキの計画に執心で、末端の構成員の動向には興味を持たなかった。組織の幹部たちは計画が外部に漏れることを恐れ、逃げた構成員の足取りを追ったが、全員は捕まえ切れず、その手を逃れた一人が、辺りの街を取り仕切っているマリィの兄に、すべて暴露したのだった。
「なるほどな」キバナが溜息を漏らす。「話を聞くと、犯罪組織っつーか、むしろカルト集団に近いものがあるな。なかなか厄介だ」
「社会に居場所を失くした彼らが、社会へ復讐したいというその動機には、多少同情の余地もあるが……」ダイゴはテーブルを見つめながら言った。ソニアがそれを受けて発言する。
「ただ組織を叩けばいいってわけではないと思う。組織を解体できても、彼ら一人一人をきちんとメンタルケアして更生させないと、いずれまた同じようなことが起きてしまうから」
「ごもっともだが、それはオレたちの仕事じゃねえ。それこそ警察や司法に任せるべきことだ。今オレたちがすべきはただ、奴らの計画を止めることだろうよ」キバナが言う。「レックウザの強大な力を利用しようという奴らの計画……、警察だけに任せたんじゃ、不安でしょうがねえ。そっちこそ、オレらジムリーダーやチャンピオンの力が必要だぜ」
「そこは同意だな」ダイゴも頷いた。「僕の仕事はあくまでエゴノキの消息を追うことだったが、彼がここまでリゼルグと絡んでいるとわかった以上、放ってはおけない。何としても彼らの計画を阻止しなければ」
そこから話題は、先ほどのヒガナが組織に潜入するという話に戻り、一同は段取りを決めていった。準備ができ次第、ヒガナと警察が所定の場所で張り込み、構成員の男が通りかかるのを待って、尾行することになった。
ダイゴは念のため、ネットで二年前のバッカクの顔写真を検索し、監視映像の解析にかけてみたが、ヒットはしなかった。バッカクとエゴノキが組織のアジトに籠って、一緒にテロの準備にかかり切りになっている姿が想像できた。
今用意してある監視映像は過去一週間ぶんのものだが、もしかしたらそれ以前に映っていた形跡があるかもしれないと考え、ダイゴは再びデボン社員に連絡を取り、部屋を出ていった。マリィとソニア、マグノリアも引き続き調査を続けると言い、リモートをオフにした。
部屋にはキバナとヒガナが残された。
「ねえ、さっきの話だけど……」ヒガナは対面のソファに座るキバナに話しかけた。「自分と重ねたりした?」
「何の話だ」キバナはぶっきらぼうに答えた。
「バッカクって人の過去についてさ。彼はジムリーダーになる道を捨ててまで、バトルにすべてを捧げ続け、そして落ちぶれていった。まるで誰かさんの別の世界線の可能性みたいじゃないか」
「オレがああなっていたかもしれないって言いてえのか?」
「私は昨日、君が自由を求めているのかもって言ったけど、自由もいいことばかりじゃない。ある地方には、蝋の翼で空を飛んだ男が、太陽に近づいたせいで、蝋が溶けて落ちてしまったという神話がある。空は自由の象徴ではあるが、自由には代償が付き物なんだ。冒険に危険が伴うようにね」
キバナは膝の上で手を組み、その手をじっと見つめた。自由と、代償……。
ヒガナが続ける。
「最も自由な人間が最も強いというのは、確かに道理だ。ダンデという男がそれを体現している。そして皮肉なことに、彼に勝てない人間は、自由で居続けることができない。事実、君は今もジムリーダーという役職に縛られているし、バッカクはまさしく居場所を失った。自由という夢想から、現実へと目を覚まさせてくれているんだね、彼は。もしかしたら彼こそが太陽で、君たちの蝋の翼を溶かしているってことなのかな」
キバナはその言葉を頭の中で冷静に噛み締めた。この女の挑発的な物言いにはもう慣れた。いちいち突っかかってやるほど、こちらもお人好しではない。だが、こいつの言葉はある種の真理を突いている。そこが耳が痛い。
ダンデは残酷な男だとしみじみ思う。奴はただ無邪気に己の強さを追い求めているだけだ。一番になりたいという野心や、他人を蹴落としたいという敵愾心などなく、ただ純粋にバトルが好きで、故に純粋に強いのだ。だからその純粋さに人は惹き付けられ、そして自分もそうなりたい、あるいは超えたいと希い、容易くも打ちのめされ、現実を知っていく。
現実を受け入れられない奴は、翼を失い、さらに堕ちていく。バッカクは現に堕ちてしまった。オレは何とか踏み留まってはいるが、確かにヒガナの言う通り、オレもああなっていた未来はあったのかもしれない。自由を求めた代償、か……。
「私も旅をしていく中で、いろいろと知ったよ。世界の広さや、自分の小ささ。一族の中にいた頃より、私は確実に自由になれたけど、でも同時に自分の限界も思い知った。自由は無限とイコールではない。人間にはそれぞれ、自分の身の丈に合った自由があるのかもしれない、ってね。まあそれはそれで、悪くないと今は思ってる。結局どう生きるかは自分次第だしね」
確かにそれは正論かもしれない。ヒガナが選んだ生き方を、否定する気はキバナには起きなかった。むしろ自分でそこに辿り着いた彼女の達観に、彼は畏敬の念さえ覚えた。悪くない生き方だ。そう思える。しかし自分自身は、どうしてもそんな決断はできなかった。
キバナはソファから立ち上がり、部屋の出口へと向かっていく。
「悪いが、オレ様はオレ様の道を行かせてもらう。ダンデが太陽だと? 上等だ。ならオレ様は、溶けないくらい翼を強く鍛えて、太陽を超えていくまでのことよ」