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ヒガナはそれから二日ほど、張り込みの作業を続けた。
張り込みの対象は若い金髪の男。空でヒガナとダイゴを襲った三人組の一人であり、ニョロボンを連れてメテノを捕まえるのをカメラで捉えられていた。
その男が同様に映っていた他の映像によると、男は夜中にとある街路を一人で歩いていた。それは恐らく男が自宅へと帰るところであり、男が映っていた複数の場面の中でも、今後ここを通る公算が最も高いだろうと考えられた。
人通りもまばらの、ただの住宅街の一本道である。シュートシティは電柱がすべて地面に埋められており、街灯も細いため、身を隠せるような場所がほとんどない。男に気付かれる危険性が高く、そうでなくとも、長時間張り込んでいれば、付近の住民に怪しまれる。
そのため、その道路に面するアパートをダイゴ名義で借り、ヒガナはアパートの二階にある一室から、男が通るのを見張り続けることになった。とはいえ、二十四時間常に見張るわけにもいかない。警察と合同で、八時間交替での見張りだった。
長丁場になると踏んだため、ダンデとキバナはそれぞれ自身の通常の業務に戻っていった。ダイゴもいくら大事なミッションとはいえ、大企業の重役が何日も会社を離れるわけにもいかず、ホテルからリモートで本社とやり取りを行わなければならなかった。
ヒガナは部屋の窓から、道路をずっと見張っていた。こういうこともあろうかと、エンジンシティで双眼鏡を購入していた。道行く歩行者の顔を確認するだけという、地味な仕事ではあるが、さりとて気を抜くこともできない。
そういえば昔はこういう任務が多かったな、と双眼鏡を覗きながら、ヒガナはふと過去に思いを馳せた。昔はあまり物を考えるほうではなかったように思う。一族から使命を与えられ、その使命に従って行動するだけで良かったからだ。ババ様の命令は絶対であり、それを疑うだなんて考えられなかった。何も考えなくていいのは楽だった。
ところが、使命はある日思わぬ形で達成され、自分は自由になった。一族のしがらみから解放された。どこに行ってもいいし、何をしてもいい。
矛盾するようだが、自由はある意味不自由でもあった。
何をしてもいいと急に言われても、正直困った。今まで他人から命令されるがままに生きてきたヒガナにとって、何でも選べるという自由は、何も選べない不自由とほとんど同じだった。
だから、最初は旅というよりは、ただの散歩のつもりで、外へ出てみた。何の使命も背負わずに一人で街を歩くのは、ヒガナにとって初めてのことだった。
最初は退屈だった。何もすることがない。ただ街中を適当にうろつくだけで一日が終わった。
次の日、歩いていたら、突然トレーナーにポケモンバトルを挑まれた。気が進まなかったが、とりあえず応戦した。まだバッジを持っていない駆け出しのトレーナーのようで、順当にヒガナが勝った。
勝つと、それが評判になり、次の挑戦者がやってきた。また勝つ。その繰り返しで、その街の中で、ヒガナはしばらくバトルに忙殺された。
一通り飽きてくると、別の街に移動する。そこでもまたバトルを挑まれる。その街は前の街より強いトレーナーが多く、ヒガナも時々負けることがあった。そうなると、多少なり悔しさを覚えるのが人情というものだ。ヒガナはそのとき初めて、使命に関係なく特訓というものをした。ボーマンダとの絆を高め、メガシンカを使いこなし、負けた相手に今度こそ勝利を収めた。
そうして街を転々とした。気が付いたら、次はどこでバトルをしようかという基準で、街を選んでいた。最初は目的などなかったはずなのに。バトルにも大して興味はなかったのに。そこでヒガナはようやく自由という概念を理解した。そうか、これが自由なのだ。使命で動いていた頃とは違う。自分はどこにでも行っていいのだ。
それから、ヒガナはしばらくホウエンを離れ、別の地方へと旅に出た。まったく新しい場所で自分の力を試してみたかった。ホウエンにいた頃、ヒガナはいつもゴニョニョというポケモンを連れていた。ヒガナと苦楽を共にした相棒であり、使命を全うするためにいろいろなものを犠牲にしてきたヒガナの人生にとって、一番の心の支えでもあった。だが、ホウエンを旅立つとき、ヒガナはあえてゴニョニョを一族の元に置いていくことにした。
それは過去との決別であり、未来への約束だった。
新しい自分になって、より成長した姿で、またあの子に会う、その日まで……。
ヒガナは双眼鏡を覗きながら、そんなことを思い出していた。時折、ふと空を見上げてみる。昔は孤独を感じたとき、ゴニョニョと一緒によく空を見ていた。懐かしいな。今はそんな過去も、思い出という箱の中にしまえるくらい、遠いものになってしまった。それ自体に多少の寂しさは覚えるが、しかし今のヒガナの心境はすっきりしていた。
今はゴニョニョとも別れた。一族とも離れて、一人で旅をしている。昔よりもさらに孤独になったはずだ。でも、不思議と寂しくない。それはなぜだろう。やはり、自由になったからなのだろうか。
それに比べると、今こうして張り込みをしている時間は、どちらかというと不自由だ。とはいえ、自分から買って出た仕事なのだから、特に不満はない。たまにはこうして不自由に身を置くのも悪くはない、と自由になった今だからこそ思えるのかもしれない。
ふふふ、とヒガナは思わず笑みが零れた。
時刻は零時近くになり、人通りはほとんど途切れていた。ヒガナはまばらに道行く人間の顔を一人一人双眼鏡で確認するが、辺りはもうすっかり暗くなっており、まともに見えない。そこで、数メートルおきに設置された街灯の下を通りかかった瞬間を狙って、灯りに照らされた顔を見るようにした。
そんな通行人ももういなくなり、今日も進展なしかと諦めかけていた、そのときだった。ヒガナは視界の端に、一人の男を捉えた。その男は、迷彩柄のジャケットを着ていた。まさか……。ヒガナは再び双眼鏡に目を押し当てる。男は街灯の下を通り過ぎた。顔が見える。
あいつだ。手元の写真と見比べたが、顔も一致していた。監視カメラに映っていた男だ。
背は男にしては低めで、ヒガナと同じくらい。年齢は若そうだ。二十歳か、やや下か。長めの金髪も写真通りだ。
ヒガナは立ち上がり、急いでアパートの部屋を出た。階段を降りて外に出る。一本道なので、迷うこともない。金髪の男は数十メートル先を歩いていた。ヒガナは尾行を始めた。この暗さなので、まずわからないだろうが、念のため、伊達眼鏡とウィッグで変装もしている。
とりあえずスマホロトムでダイゴたちのメッセージグループに「見つけた」とだけメッセージを送り、静かに男の後ろを歩いていく。もう少し距離を詰めたいところだが、あまり近づき過ぎると気付かれる恐れがある。そうでなくとも、この一直線の道は尾行するには少々リスクが高い。
やはり、いろいろ準備しておくに越したことはない。ヒガナはポケットからモンスターボールを取り出して、静かにポケモンを放った。きつねポケモンのフォクスライ。一メートル超の茶色の体躯に、長い尻尾と目の周りの黒い縁が特徴的なポケモンだ。
エンジンシティで買い物をする前に、ブラッシータウンの郊外で捕まえていた。隠密活動に長けたポケモンだと前に本で読んだことがあり、今回の作戦で役に立つだろうとヒガナは考えた。
フォクスライは細い四本の手足で、音も立てずに金髪の男の二メートルほど後ろに忍び寄ると、さっと後ろを振り向き、長い尻尾を男に向けて振った。男はまったく気付かない。ヒガナはその場に立ち止まって、フォクスライがヒガナの下に帰ってくるのを待った。男は歩き続け、距離はどんどん開いていく。だが、それで良かった。
金髪の男が一本道を逸れて左に曲がったのを確認すると、ヒガナとフォクスライは再び歩き出した。
フォクスライは自身のフェロモンを対象に付着させることで、マーキングができる。多少の距離があっても、そのフェロモンの匂いで、対象の居場所を辿ることができるのだ。
男が曲がった先は数多くの住宅で複雑に入り組んでいる路地裏で、昼間でも迷いそうなくらい細い道が絡み合っていた。加えて、ヒガナは念のため百メートルほどの間隔を開けていたのだが、フォクスライはわずかなフェロモンの気配を嗅ぎ取って、難なく先へと進んでいく。まさに尾行に最適のポケモンだな、とヒガナは思った。
五分ほど歩き続けると、フォクスライの足がピタリと止まった。フォクスライが宙を仰ぐ。目の前にアパートがあった。二階建ての古い木造アパートだった。どうやらここが金髪の男のねぐららしい。
ヒガナは五分ほど時間を置いてから、フォクスライに前進するよう指示した。フォクスライはアパートの門を通り抜け、静かに二階へと階段を昇っていく。そして、ひとつの部屋の前で立ち止まり、そこからヒガナのほうを見た。これで部屋番号もわかった。
そこが男の住所でほぼ間違いないだろうが、万が一のため、ヒガナはそこで二十分ほど待ち、部屋の明かりが消えるのを確認してから、立ち去った。
その後も事は首尾よく進んだ。以降、深夜は警察に頼んでアパートを張り込んでもらい、ヒガナは仮眠を取った。翌朝からは、警察と数時間交替でアパートの前に立ち、金髪の男が出てくるのを待った。
ここから上手く手掛かりが繋がってくれればいいが……。
見張りの間にも、メッセージアプリのグループチャットにダイゴからのメッセージが来ていた。
ダイゴはリゼルグのメンバーの特徴的なジャケットをAIに読み込ませ、監視カメラ映像に他の構成員も映っていないかチェックしたと報告。しかし、わずかにヒットこそしたものの、直接組織のアジトに繋がる情報はなかったとのこと。なかなか尻尾を掴ませてくれない。
しかし、アパートの前の見張りを始めてから半日ほど経った頃、有力な情報が入ってきた。
仕掛けた盗聴器から、金髪の男の声が聞こえてきたのだ。
ヒガナは昨夜、フォクスライに男の部屋を突き止めさせたとき、男の部屋の前に盗聴器も仕掛けさせていた。乾電池よりも小型サイズの盗聴器は指向性の集音機能付きで、壁の向こうの音も拾える優れものだ。これも予めエンジンシティで調達しておいた。
もちろん、警察には黙ってある。捜査令状もなしに、盗聴という個人の人権を侵害する行為は、警察では違法捜査になるであろう。こういう汚れ仕事は自分の領域だと、ヒガナは心得ていた。
その甲斐あって、決定的な情報を掴むことができた。
金髪の男は部屋の中で誰かと電話していたようで、「決行は明日二十時」という文言が聞こえた。いよいよだ。ついにすべてが動き出すときがやってきた。