2.
翌日、ヒガナが見張っている番の夕方十七時半頃に、部屋のドアが開き、金髪の男は下へと降りてきた。そして、二日前の夜に通ったのと同じ道を逆順に歩き始める。ヒガナはまたフォクスライにフェロモンを付けさせ、足取りを追った。途中、男はスーパーに立ち寄り、食料品が詰まった大きな袋を両手に携えて出てきた。
そしてまた二十分ほど歩くと、辺りに建物がほとんどなくなった。シュートシティの郊外に出たようだ。街と街を繋ぐ幹線道路のようで、たまに車が通るだけで、人通りはまったくない。広い道路の両脇は、木がまばらに生えているだけで、草原とも雑木林ともつかない。ガラル最大の都市であるシュートシティも、少し離れるだけで、こうも辺鄙な場所が開けるのかと、ヒガナは驚いた。
次第に日が暮れて、暗くなってきた。周囲の木の数が増え、森に差し掛かろうかという手前辺りで、急に男の姿が消えた。幹線道路は多少の蛇行はありつつも、数キロに亘って一本道が続いており、途中で見失うことはありえない。男は道路の右側を歩いていた。つまり、男は途中で右側のどこかへと入っていったのだ。ヒガナは充分な間隔を取って、フォクスライに跡を辿らせた。
道路の右側は、数十メートル手前から、高いフェンスが巡らされており、その途中に、中に入れる正門があった。男はこの中に入っていったようだ。正門の右側には中の建物の名前が刻まれていた。何かの研究所らしい。ヒガナはスマホロトムを開き、その名前を素早く検索した。
どうやら、数年前に閉鎖された研究施設とのことだった。エゴノキがかつて働いていたという研究所と関連があるのかはわからない。ざっと調べた感じ、マクロコスモスと繋がりはなさそうだった。とりあえず、地図上の座標と、今ここにいるというメッセージをダイゴたちに送った。
正門は見張りなどもおらず、素通りできた。中に入ると、手前には充分な駐車スペースが広がっており、その奥に建物があった。二階建ての横に伸びた長方形の建物で、いかにも研究所という感じがした。
暗がりの中で、男が建物の中に入っていくのが辛うじて見えた。周りには誰もいない。ヒガナは持っていたスポーツバッグから迷彩柄のジャケットを取り出し、急いで袖を通した。加えてアパートを出るときから着けていた伊達眼鏡に、長い茶髪のウィッグ。変装としてはこれで充分なはずだ。ヒガナはスポーツバッグを門の裏に隠し、フォクスライと共に建物のほうへと走っていった。
正面の自動ドアが開いて、中に入る。数年前に閉鎖されたとあってか、空気は埃っぽく、照明も薄暗い。壁はところどころひび割れている。
エントランスを少し前に進むと、横一列に何かの機械が並んでいた。駅の改札のように等間隔で並んだ機械に、それぞれ小さいドア(フラップ)が付いていて、中に入れないようになっている。セキュリティゲートだ。
ゲートの奥に目をやると、例の男がズボンのポケットに何かを入れるのが見えた。ヒガナは自慢の視力で、それが磁気カードだとわかった。ゲートを見ると、カードをタッチするためのパネルがある。男はそのカードでセキュリティを認証し、ゲートを通ったのだろう。犯罪組織の癖に、なかなかしっかりしている。まあ、元々研究所にあった設備なのだろうが。
しかし困った。もちろんヒガナはそんなカードなど持っていない。ゲートの奥は、左右と奥の三つに通路が分かれており、その合流点となる中央部はちょっとした半円形のホールになっている。男はそこで別の男とすれ違い、スーパーの袋を床に置いて談笑を始めていた。
尾行していた男は二十歳弱の背が低い金髪だが、もう片方は三十歳くらいで、かなりの長身で筋肉質だった。
ヒガナはその様子をしばらく見ていたが、金髪の若い男が、ヒガナに気付いて、ゲートに近づいてきた。
「どうした、カードが無いのか?」
金髪がヒガナに話しかける。その男の後ろに、もう一人の筋肉質の男もやってくる。二人共、ヒガナの姿を見ても、特に怪しむ様子はない。尾行には気付かれていないようだった。だが、この状況は不味い。
「えーと、どこにしまったかな」ヒガナは自分のポケットの中を探すふりをした。「すみません、新入りなもので……」
「そういえば見ない顔だ」筋肉質の男が言った。金髪がそれに続ける。「まあバッカクさんに言えば通してもらえるだろう。新入り、名前は?」
「えっと、ラディと言います」
一応偽名は考えてきた。もし団員名簿のようなものがあって、それを参照されたらアウトだが。まあ時間さえ稼げればそれでいい。とにかく今はゲートを通ることを考えなければ。
「あっ」
ポケットを探る手が滑り、ヒガナはポケットに入れていたモンスターボールを二、三個、床に落としてしまった。そのうちのひとつが、ゲートをのフラップの下をくぐって男たちのほうまで転がっていった。
「す、すみません……」ヒガナはか細い声で謝りながら、自分の周りのボールを拾う。
「ったく、しょうがねえな」金髪も屈んでボールを拾うと、ゲートの傍まで行き、フラップ越しにボールを差し出した。
すると、ヒガナの前にフォクスライがするりと現れ、その口でボールを受け取ろうとした。フォクスライはガラルでは特に珍しくもない普通のポケモンだ。金髪も不思議がることなく、フォクスライにボールを手渡す。
「あ、ありがとうございます」ヒガナはわざとらしいほど深くお辞儀をした。「あれ、あ、ありました、カード」
ヒガナは手に持ったカードをゲートのパネルにかざした。瞬時にゲートのフラップがスライドし、開いた。
男たちは既に興味を失くしたようで、「ふん」と息を漏らした。
「早く会議室へ行け。みんなもう集まってる。そろそろ始まるからな」
筋肉質の男がそう言うと、二人は通路の奥へと去っていった。
「ふう……」
ヒガナは小さく息を吐くと、フォクスライの頭を撫でた。
「なかなかやるじゃないか」
危なかった。捕まえたばかりのポケモンだから、どこまで息が合うか不安だったが、尾行のときといい、このフォクスライはかなり自分に懐いているようだ。
フォクスライの技、「どろぼう」。相手の持ち物を盗むこの技で、フォクスライはゲートに近づいた金髪の男のポケットに入っていたカードをこっそり奪ったのだった。ボールがゲートの向こうまで転がってくれるかは賭けだったが、上手く行って良かった。
「さてと……」
ゲートを通ったヒガナは、三方向の通路を見渡した。通路には誰もいない。さっきの男が言うには、他の構成員たちは会議室にいるらしい。「そろそろ始まる」という言葉も気になる。バッカクもここにいるような口ぶりだった。会議室で待っていれば、バッカクもそこにやってくるだろうか。
そういえば、金髪の男はスーパーの袋にたくさんの食料品を入れていた。明らかに一人分の量ではない。加えて、バッカクは一週間の間、監視カメラにまったく映った形跡がなかった。もしバッカクがずっとここに籠って外に出ないのだとしたら、彼に食料を買ってくる係りが必要になる。それがあの金髪ならば……。金髪にはフォクスライのフェロモンが付いている。まだ追跡は可能だ。できるだけ間近でバッカクに接触したい。
ヒガナはフォクスライに指示し、二人が去っていった奥の通路へと歩き始めた。