7.
ダンデのリザードンは光に包まれ、その姿を変化させた。
「メガシンカだと……?」
バッカクが驚愕する。ダンデのリザードンがダイマックスする姿は今まで何度も見ていたが、メガシンカするなどとは聞いたことがなかった。
メガシンカしたリザードンは、体色がオレンジから黒に、腹部はベージュから水色に変化した。口からは青白い炎が漏れ出している。リザードンは立ち上がり、瞳をぎらつかせながら、巨大なストリンダーを見上げ、睨んでいる。
先ほどのストリンダーの技、「キョダイカンデン」は、メガシンカ時に迸った光によって、多少威力が軽減されたとはいえ、ある程度は喰らったはずだ。蓄積していたダメージと合わせると、本来ならもう立ち上がることなどできないはず。しかしリザードンはふらつくことすらなく、堂々たる威厳で、ストリンダーと対峙している。
「どういうわけだ……?」
困惑するバッカクを尻目に、ダンデはリザードンに命じる。
「上昇しろ、リザードン!」
リザードンは藍色の翼をはためかせ、一気に飛び上がった。今度はストリンダーを上から見下ろす形になる。
「ストリンダー、『キョダイカンデン』!」
またもストリンダーの腰のアンテナから、大量の電撃が放出され、リザードンに襲い掛かる。
「『ドラゴンダイブ』!」
リザードンは襲いくる槍のような電撃に真正面から突っ込み、そのまま突っ切って、直滑降で自身の全体重をストリンダーへとぶつけた。ストリンダーは悲鳴を上げ、瞬く間に元の大きさへと縮んでいく。戦闘不能のようだ。
「嘘だろ、たった一撃で……」
「さっき暗闇の中で攻撃されている間に、『つるぎのまい』を使っていたからな。攻撃力は充分に上がっていた」
「だが、ダイマックスしたストリンダーの技を受けて、動けるほどの体力はリザードンには……」
「リザードンはメガシンカするとひこうタイプがドラゴンタイプに変わる。でんき技にはむしろ強くなるんだ」ダンデはリザードンの元へ駆け寄る。「リザードンにでんきポケモンをぶつけてくる挑戦者は多い。これでまたひとつ、戦略のヴァリエーションが増えた」
ダンデがブレスレットのキーストーンに手を翳すと、リザードンは元の姿に戻った。いくらでんき技に耐性が付いたとはいえ、それまでのダメージの蓄積も相当なものだ。もう体力はほとんど残っていない。ダンデは「ご苦労様」と労って、リザードンをボールに戻した。
「いいバトルだった。バッカク」
ダンデはバッカクに向かって右手を差し出し、握手を求めた。急に名前を呼ばれて、バッカクは唖然とした。
「気付いていたのか?」
「申し訳ないが、最初は君の顔を見ても、誰だかわからなかった。かなり痩せたようだしな。だけど、あのバトルをしていたら、自然と思い出したよ。オレは人の顔を覚えるのは苦手だが、ポケモンバトルは絶対に忘れない。あれはまさにバッカク、君のバトルだった」
ダンデの無邪気な笑顔に、バッカクは一瞬ほだされそうになったが、すぐに我に返った。そう、自分は奴のこういうところが嫌いなのだ。
ポケモンバトルはスポーツマンシップに則った正々堂々の真剣勝負。バトルが終われば誰でも友達。
そんな綺麗事を何の衒いもなく言ってのけるこの男を、人はさすが王者の器だと称賛する。
そんな正論に、自分のような敗者が包み込まれ、スポイルされ、勝者を輝かせる糧にされていることに、奴は気付きもしない。
「どうして君がこんなところにいるのか知らないが、何か理由があるんだろう。もし良ければ、協力してくれないか。リゼルグの野望を阻止するために」
バッカクは頭がおかしくなりそうだった。先ほどまではすっきりしていた頭も、急に酔いが回ってきたらしく、まともに物が考えられなくなった。
ダンデは俺の正体を知らない。俺こそがリゼルグのリーダーなのだ。「協力してくれ」だと? 笑わせる。こいつの頭はどこまで花畑なんだ。こいつの振る舞いは、常に勝者の余裕から生まれるものだ。どこか上から目線で、しかもそれに無自覚なのがなおさら性質が悪い。
「うるさい、何様のつもりなんだ、お前は」
嫌いだ。腹が立つ。直視できない。
「お前には一生わからないだろう。敗者の気持ちなんて……」
バッカクは絞り出すように吐露した。自分でも何を言っているのかわからない。ただ、自分の心の奥底にわだかまった何かの塊を、目の前の男にぶつけたくてしょうがなかった。
しかし、ダンデはそれを聞いて目を輝かせた。声を弾ませて彼は言った。
「そうだ、オレはその答えを探している。教えてほしい。君は負けたらどんな気持ちになるんだ?」
それはダンデ自身の嘘偽りのない素朴な疑問だった。しかし、その言葉は今のバッカクにはただの挑発にしか映らなかった。
バッカクの思考が止まった。身体が勝手に動く。いつの間にか拳を振り上げて、ダンデに向かって殴り掛かっていた。
しかし、バッカクの拳はダンデには届かなかった。ダンデの目の前に別の誰かが降り立ち、手の平を前に突き出して、拳を受け止めた。
「キバナ!」
ダンデが目を丸くした。キバナが空から降ってきた。見上げると、すぐ真上をフライゴンが飛んでいた。
「待たせたな」
キバナは受け止めたバッカクの拳を強く握ると、ぶっきらぼうに振り払った。その勢いでバッカクはよろめき、膝をついた。
「何なんだ、こいつは」
キバナは汚れでも落とすかのように、手の平を腰の辺りで何度かはたいた。
「覚えてないか、バッカクだよ。前にポケモンリーグで戦っていた」ダンデが言う。
それを聞いてキバナは衝撃を受けつつも、逡巡した。そうか、こいつがリゼルグのリーダーか。前にマリィから話を聞いたとき、バッカクのことはダンデには伏せておくよう言われた。今の口ぶりからしても、ダンデはまだバッカクの正体に気付いていないようだ。だとしたら、このまま黙っておいたほうがいいのか?
「どうやらちょうど戦いが終わったところのようだが……」キバナはそれとなくダンデに訊いた。
「ああ、チャンピオン様の完全勝利だったよ」バッカクは地面に胡坐をかきながら、自嘲して答えた。
「何を言ってるんだ。こっちもギリギリだった」ダンデは不思議そうに言った。「本当にいいバトルだったと思う」
その言葉にバッカクが歯を食い縛ったのを、キバナは見逃さなかった。どうしてこんな状況になっているのか、いまひとつ飲み込めていないが、とにかくレックウザが現れている今、組織のリーダーが戦意を失くしかけているのは、良しとすべきなのだろう。
しかし、そんな単純な構図に収めてはいけないバッカクの感情の機微が、キバナにはどうしても無視できなかった。
「悔しいよな。こいつはこういう奴だから」
キバナはバッカクに話しかけた。レックウザが今にも暴れ出そうとしているこの危機的状況で、なぜ敵を慮るような発言をしているのかわからない。だが、どうしても今、話さなければならない直感が働いた。
「オレたち凡人の気持ちがわからねーんだよ、怖いくらいにな」
今、自分はどんな気持ちでバッカクに話しかけているのだろう。同情? 憐憫? 鼓舞? わからない。口が勝手に動いていた。
バッカクは唖然として聞いていたが、次第に口元が強張り、そして眉間に皴を寄せて言った。
「お前こそ理解しがたいな、キバナ」
キバナの眉がわずかに動いた。
「お前のことも話は聞いている。今までずっとダンデに負け続けているようじゃないか。実力の差は圧倒的だ。どうして諦めないんだ? どうしてそんなに何度も立ち上がれるんだ?」
キバナはマリィから聞いたバッカクの過去を思い出していた。公式戦でダンデに完敗してからスランプに陥り、競技シーンから堕落していった男。そんな人間からすれば、懲りずに何度も挑み続けている自分は、確かに奇妙に映るのかもしれない。
だが、キバナは一切の躊躇なく、涼しい顔で答えた。
「簡単だ。オレ様はこいつのことが大嫌いだからだよ」
キバナはバッカクを見つめたまま、親指を後ろに向けて、ダンデのほうを指した。キバナからはダンデの表情は見えないが、きっと予想外の言葉にきょとんとしているのだろう。
「ムカつくんだよ。オレ様に勝ったときの、こいつのドヤ顔がな。あれを見ると、何としてもその鼻っ柱を折りたくて、負けたままでなんかいられねえって気持ちになる。負けるたびに、もっともっとな」
そう言うと、キバナは振り向いてダンデの反応を確かめた。見比べると、バッカクもダンデもまったく同じ神妙な顔をしていた。ポッポが豆鉄砲を喰らったように目を丸くしている。三人共黙ったまま、気まずい時間が流れる。
「何だよ、何とか言えよ」キバナはダンデに吐き捨てた。
「そんなふうに思っていたんだな……」ダンデは真顔で言った。
「ああ? 友達だとでも思っていたのか? んなわけねーだろ。オレ様にとって、倒すべき相手は全部敵だ。特にお前はな。こんなに気に食わない人間に会ったのは初めてだ。お前を倒すその日まで、オレ様の気が収まることはないだろうぜ」
ダンデは目を見開いて、大きく息を吐いた。
「参考になるなあ」
キバナは肩を落として、そのまま転びそうになった。
「はあ?」つい間の抜けた声を出してしまう。
「いや、こないだダイゴとも話したんだが、ずっと訊きたいと思ってたんだよ。キバナ、お前はオレに負けてどんな気持ちなんだろうってな。この事件のことがあったから、なかなか訊く機会もなかったんだが。そうか、なるほどなあ」
ダンデは勝手に納得して、うんうんと頷いている。挑発したつもりのキバナとしては、完全に梯子を外された形だ。
「ありがとう、キバナ」ダンデは白い歯を見せながら、笑顔で言う。「おかげで吹っ切れたよ。オレ自身の本当の気持ちに気付けた」
そしてキバナに向かって親指を立てた。キバナは鳥肌が立って、思わず両手で自分の両腕を抱き締めた。そして地面に腰を下ろして、同じく座っているバッカクに目線を合わせて言った。
「な、やっぱムカつくだろこいつ。何なんだって感じだぜ、まったく」
そのキバナの表情を見たバッカクは、鼻から息を漏らし、背中から地面へと倒れ込んだ。
「ふざけるなよ、お前ら。もう勝手にしろ」
右腕で両目を覆い、絞り出すように言った。
「何だか全部どうでも良くなってきた。破壊も、復讐も、死も……」
キバナは座りながら右足を伸ばし、バッカクの腰の辺りを爪先で小突いた。
「無責任なこと言うな」キバナは呆れ顔で言う。「償え、とりあえず。そうすりゃそっからは自由だよ。全部な」
「うるさい。勝手にまとめるな」