キバナVSダンデ ―龍と空の王者―   作:スイカバー

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「お疲れ様、ダンデ君」

 

 バトルを終え、シャワーを浴びたダンデが更衣室から出ると、廊下に一人の女性が立っていた。手にはいつもダンデが試合後に飲む、プロテイン入りのドリンクのボトルを持っている。

 

「ああ、ありがとう、ソニア」

 

 ダンデは女性からボトルを受け取り、喉を潤した。ベージュのコートに水色のパンツルックの女性は、橙の長髪をサイドでまとめ、大きなサングラスを額に上げている。

 

「相変わらず、さすがの強さだったね」

「まあな」ダンデが頷く。「観客が喜んでくれれば何よりだ」

「タイプ相性が悪いルリナ相手でも勝っちゃうんだもん。私、最初呼ばれたときは何でって思っちゃったけど、あれが見れただけでも、引き受けて良かった」

「すまない、マネージャーが急用で、今ちょうど他に頼める奴もいなくてな」

「いいよ、これくらい」

 

 二人は廊下の奥にある控え室へと歩いていく。

 ソニアはダンデの幼馴染で、ダンデが今日戦ったジムリーダー・ルリナの親友でもある。いつもは試合前後の雑務はダンデのマネージャーが管理してくれるのだが、今日はたまたま都合が悪く、ソニアに代わりを務めてもらうことになったのだった。

 

「ダンデ君、自分じゃ身の回りのこと、何にもできないもんね」ソニアが冗談交じりに言う。

「そうだな」だがダンデはそれを額面通りに受け取った。「オレは思いの外、何もない人間なんじゃないかって、最近感じるようになった」

「あ、ごめん、そういう意味で言ったんじゃ……」

「気にするな。事実だ。むしろ、おかげで自分を見つめ直す機会が持てた」

 

 ダンデの目にほんの少し憂いの影が漂っていたことに、ソニアは気付かなかった。

 

「なあ、ソニア……」

「何?」

「いや、何でもない。次の予定は?」

 

 ソニアは自分のスマホロトムを見て、スケジュールを確認する。

 

「えーと、この後は感想戦。ルリナとさっきのバトルについての対談ね」

「そうだった。ルリナ、苦手なんだよなあ、あいつ。こっちの戦術に根掘り葉掘り質問してきて。何であの技をあのタイミングで撃ったんですかとか、どういう意図があったんですかとか。こっちはそんなのいちいち考えてないってのに……」ダンデはしかめっ面をして言った。

「ダンデ君、天才肌だから」ソニアが苦笑する。「言語化は難しいよね」

「そうかな?」

「そうだよ。いつも、気持ちがわーってなったから、この技をがーっと出して、そしたらリザードンがうおーってなって、どーんって動いて……とか、そんな感じじゃん」ソニアはジェスチャを交えながら大袈裟に表現した。

「ああ、そっちか……」

 

 ダンデが訊きたかったのは、「言語化」のほうではなく、「天才肌」のほうだった。自分は言うほど天才なのか? とはいえ、わざわざ問い質すほどでもないと思い、ダンデは黙って歩を進めた。感想戦、確かに苦手だ。とはいえ、これも仕事の一部。手を抜くわけにはいかない。

 そう、自分の仕事はこれ以外、考えられないのだから……。

 

 ダンデという男の社会的地位を職業で表すなら、「ポケモントレーナー」になるのだろう。ポケモントレーナーはこの世界にごまんといる、ごく普通の珍しくも何ともない人々だ。かなりの割合の子供が、ある程度成長すると、ポケモンと共に冒険に出る。ポケモンと一緒に旅をしたり、バトルをしたり、お互いの絆を高め合ったり……、はっきりとした定義は決まっていないが、とにかく「ポケモンと一緒に何かを成す者」がポケモントレーナーだ。

 

 だが、ダンデの齢で、つまり二十代も後半に差し掛かった年齢で、ポケモントレーナーである者、正確には「ポケモントレーナー以外の何物でもない者」は、実は非常に少ない。

ほとんどの人間は「ポケモントレーナー」でありつつも、「ポケモントレーナー以外の何か」にもなっていくからだ。

 

 子供のうちはポケモントレーナーには税金が賄われ、ある程度自由に活動ができるが、大人になるにつれてその額は減っていき、それだけで食べていくことは難しくなる。

 

 大抵の者は、トレーナーの活動の中で別の何かに興味を見出し、そちらの方面で手に職を付けていく。あるいは学校に入り直し、より専門的な職域を志す者も多い。ポケモンに多少なり関わる仕事もあれば、まったく関係ない仕事もある。その過程で、ポケモントレーナーは引退するか、あるいは続けつつも他に副業を持つ場合がほとんどだ。

 

ジムリーダーとて例外ではない。公務員として収入が安定しているジムリーダーですら、副業を持つ者は少なくないのだ。例えばルリナはモデルとしての活動にも力を入れており、キバナはSNSの配信者、インフルエンサーでもある。もっとも、彼らの場合は、金銭的な理由というよりは、モチヴェーション的な意味合いが強いだろう。他にもやりたいことがあるから、そちらにもリソースを割く。ポケモントレーナー一筋というのは、そういう意味でも続けることは難しいのかもしれない。

 

 そんな中で、「ポケモントレーナーでしかない」ダンデという男は、ある種異様な存在であった。特に、個人でポケモンバトルによってのみ生計を立てている人間は、世界的に見ても非常に珍しい。

 

 ポケモントレーナーの中でも、バトルの腕に覚えがある者は、大抵の場合、ジムリーダーや四天王など、公的な立場に就いて戦うか、あるいはトレーナーズスクールの講師になったり、自分で道場を開くなどして、後進を教え導く立場に落ち着く。

 

 ダンデはそのいずれでもない。チャンピオンは称号であり、職業ではない。彼の職業はただのポケモントレーナーだ。組織に属さず、あくまでフリーの個人として、スポンサーの支援を受けながら、今日のようにスタジアムでバトルを行い、観客を熱狂させるのが彼の仕事だ。

 

それが成り立つのは、ポケモンバトルが興行として盛んなガラル地方特有の風土もあるだろうが、それ以上にダンデという個人の圧倒的な強さとカリスマ性が、大勢の人々を魅了し、金銭を動かすだけのポテンシャルを備えていたというのが一番の理由だろう。

 

「ポケモントレーナーでしかない」。それがダンデをダンデたらしめる彼のアイデンティティであり、矜持だった。

 

才能に溢れた彼のことだ。他の道でも大成する可能性はあっただろう。だが彼はその可能性のすべてを、人生のすべてを、ポケモンバトルに捧げてきた。彼は気付いたらそんな道を選んでいた。そして、ただ勝ちたい、強くなりたいと、努力し続けた。その道中で壁らしい壁にぶつからない程度には、彼は天才だった。

 

 事実、年齢的に税金の補助を受けられなくなり、興行としてのポケモンバトルの世界に足を踏み入れて以来、ダンデは不敗神話を築き上げてきた。一足飛びにガラル地方ポケモンリーグのチャンピオンに登り詰め、以降も強者たちの挑戦を受け続けてきたが、一度も土を付けられたことはなかった。文字通り最強だった。

 

最強であり続けることを、苦しいと思ったことはない。プレッシャーを感じたこともない。彼はいつも自然体だった。

当たり前のように努力し、当たり前のように強くなり、当たり前のように勝利を収めてきた。

慢心も、煩悶も、憂患もなく、ただ実直に、ストイックに、あくまで自然に、彼は彼の人生を生きてきた。そしてそんな人生がこれからも続くのだろうと漠然と思っていた。

 

だが、神話は突然、終止符を打たれた。

 

 ダンデはつい先日、初めて公式戦で敗北を味わった。それも、自分よりも遥か年下の子供に。自分がトレーナーとして旅を始めたときと同じような年頃の子供だった。ダンデを超える神童の登場。世間は瞬く間に騒ぎ立てた。

 

 しかし、ダンデには「悔しい」などという凡人のような感情は湧いてこなかった。

彼は思った。そうか、自分にも敗北というものがあるのか。

 

 敗北は死に似ている。世界中で絶え間なく生物が死んでいく中で、普段、人は自分自身の死を意識することはほとんどない。親しい人間の死、あるいは自身の老化や病気などで死が身近になって、初めて「そうか、自分もいつか死ぬのか」と考える。

 

 敗北はその感覚に似ていた。そうか、自分もいつかは負けるのだな、と。

 その感覚に対して、「悔しい」という気持ちはまったく湧いてこなかった。

 

 だが、他の感情もダンデには持ち得なかった。悲しみも怒りも喜びも、何もない。ただ茫然としていた。初めての経験ゆえ、彼はそれを心の中でどう処理していいか、わからなかったのだ。

 その試合以降、マスコミのインタヴューの中で幾度となく聞かれた。

 

「ダンデさん、今どのようなお気持ちですか?」

 

 ダンデには自分の気持ちがわからなかった。

あまりにも答えに詰まってしまったので、マネージャーに相談したところ、「何も変わりません。もっと強くなるために努力し続けるだけです」と答えるのがダンデらしい、と言われた。確かに、それは自分らしい気がする。以降はそう答えることにした。

 

 だが、何となく上手く丸め込まれてしまったという違和感もあった。自分で自分を納得させているだけではないかという疑念。しかし、それ以上深く考えることは、ダンデにはできなかった。今まで自然体で生きてきたがゆえに、自分の生き方や感情に疑問を持ったことがなかったからだ。

 

 敗北を経験した自分は、これからどうすればいい?

 図らずも、マネージャーの言ったことはもっともだった。

 

「何も変わりません。もっと強くなるために努力し続けるだけです」

 

確かにそうだ。別に一度負けたからといって、それで終わりではない。無敵の人間など普通はいない。これまでが異常だっただけだ。「無敵」でなくとも、これからも努力を続け、「強者」であり続けることはできる。ファンはついてきてくれるだろう。今までと何も変わらない。それでいい。それでいいはずだった。

 

 だが、何かが違う気がする。それを説明できないのが、彼にはもどかしかった。

 

 ダンデを打ち負かした、件の子供のトレーナーは、ダンデからチャンピオンの座を勝ち取りはしたものの、まだしばらくは冒険を続けたいと申し出て、その栄冠を辞退したという。そのトレーナーの冒険が終わるまで、チャンピオンの座は暫定的にダンデに保持されることになった。

 

 そのことにも、ダンデは違和感があった。暫定チャンピオン。そんな肩書に意味はあるのか?

 自分の人生はポケモンバトル以外、何もなかった。ソニアが言う通り、オレはバトル以外、何の取り柄もない男だ。だから、これからも愚直にバトルで生きていくしかない。

 

 でも本当にそれでいいのか? ダンデは悩んでいた。

 

 ソニアに相談しようかと何度も迷った。だが、そんな悩みを吐露するのは、チャンピオンらしくない。もうチャンピオンではないのに、そんな「らしさ」に拘っている。それはなぜか?

 

ダンデは答えを求めていた。

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