6.
「メタグロス、上方向に『アームハンマー』だ!」
空色の鋼でできた巨体のポケモンが、その四本の手足で倒木を掴んでいる。五メートル以上はあろうかという巨大な樹木だが、そのポケモンは青年の指示を受け、軽々と持ち上げた。
「今だ」
そう言うと、鋼のポケモンの側にいた青年は駆け出し、空中の倒木の真下で屈み込んだ。そこには一匹の小さなポケモンが倒れている。彼はそのポケモンを急いで両腕に抱えた。そして素早いフットワークで、再び木の側から離れる。
「メタグロス、もういいぞ」
鋼のポケモンは青年の指示を受け、巨木をゆっくりと地面へ下ろした。
「ありがとう、お兄ちゃん、メタグロス」
それを見ていた女の子が、青年と青年が抱えたポケモンのほうへ駆け寄る。
「ちょっと怪我してるみたいだけど、ポケモンセンターで診てもらえばすぐ治ると思うよ」
青年は抱えたポケモンの身体を検めて、女の子に手渡した。
「痛かったねジグザグマ。もう大丈夫だからね」
女の子は青年からポケモンを受け取り、ジグザグマの頭を撫でながら言った。
つい先ほど、青年が公園を通りかかったところ、泣いている女の子に出くわした。訊くと、突然大きな木が倒れてきて、自分のポケモンがその下敷きになってしまったと言う。そこで、青年はメタグロスの力で、倒木を持ち上げ、彼女のポケモンを助け出したのであった。
「ジグザグマ?」
青年は気になって、改めて女の子の持つポケモンをまじまじと見た。ジグザグマは彼の故郷ではありふれたポケモンだが、今見ているジグザグマは、明らかに彼の知るジグザグマとは違っていた。
「まさかこれが、噂に聞くガラルのリージョンフォームなのかい?」青年は目を輝かせて、女の子に尋ねた。
「うん。あ、そっか。他の地方ではジグザグマの色、違うんだよね。テレビで見たことある」
「そう、僕の故郷では、ジグザグマは茶色と白のストライプなんだ」
女の子の持つジグザグマは白と黒のストライプである。ポケモンによっては、特定の地域で通常と異なる色や形をした個体、いわゆるリージョンフォームが確認されているが、ジグザグマもその一種だった。
「へええ、実物を見るのは初めてだな。自分の知っているポケモンの知らない姿に出会えるなんて、感動だよ。ありがとう」青年は女の子に礼を言う。
「えへへ……」女の子は照れ臭そうにしたが、すぐに居住まいを正し、お辞儀をした。「ううん、わたしのほうこそ、ありがとうございます。ジグザグマを助けてくれて」
「お安い御用だよ」
青年は軽く受け流し、女の子と別れた。女の子は駆け出しつつも、最後まで嬉しそうに、何度も振り返って青年に手を振っていた。
女の子を見送ると、青年は倒木の方へと視線をやった。
「それより気になるな。こんな大きな木が急に倒れてくるなんて……」
平日の昼下がりの公園で、人はあまり多くない。敷地はそこそこの広さで、中央は芝生だが、周囲は石畳の遊歩道が円周状に伸びており、さらにその外側には数メートル間隔で木が植えられている。先ほどの事故は、そのうちの一本が倒れてきた形だ。
木は見たところ、腐敗も見られず、老木というわけでもなさそうだ。自然に折れるとは思えない。ここに落ちている倒木の長さは四メートルほどだが、遊歩道の外側にある、折れた木の片割れの幹のほうを見ると、そちらも六メートル以上は残っている。普通、折れるならもっと根元のほうではないか。そんな中途半端なところで折れるものだろうか?
「何かおかしいぞ……」
不思議に思った青年は、残った幹のほうへと近寄り、メタグロスに乗って六メートルほど宙に浮いて、木の切断面をよく見てみた。木の幹は直径三十センチほど。面の手前の半分には、真新しい折れ跡が残っている。ささくれが何本も毛羽立っており、確かに今しがた自然に折れたばかりという感じがする。
しかし奇妙なのは奥側のもう半分だった。そちらはささくれはほとんど見られず、斜めに切り落とされたような形になっている。斜めというよりは少し丸みを帯びた、例えるならアイスクリームをスクープで掬った後の丸い窪みを、半分に割ったような見た目だ。
「ということは……」
何かに気付いた青年は、もう一度、倒木のほうへと戻って、そちらの切断面も確認する。果たして、そちらも同様に、アイスクリームを掬ったような同様の跡が残っていた。こんなものが自然にできるはずがない。
「まさか、この事故は人為的なものなのか?」
青年は身震いした。だとしても、誰が何のためにこんなことを?
あの女の子とジグザグマを狙ったものとは考えにくい。女の子は服装からしてもごく普通の一般人で、特に富裕層といった雰囲気ではなかった。仮に何らかの目的で狙ったとしても、昼下がりで人もまばらの公園だ。木を切り倒すなんて回りくどい方法を取らなくても、人目を避けつつ、もっと簡単に危害を加える方法はあっただろう。
つまり、あの子とジグザグマが巻き込まれたのは恐らく偶然と見ていいはずだ。
だが、ならばいっそうわからない。まさかホウエン地方からはるばるガラルまでやってきて、こんな謎に遭遇するとは……。
溜息をつくと共に、青年の心はしかし、どこか微かに喜びを覚えてもいた。
解けない謎がある。だからこそ人生は楽しいんじゃないか。
不謹慎ではあるが、青年の心の奥底の血が騒いでいるのは否定できない。それにもしかしたら、この事故も今追っている男の足取りに、何か関係があるかもしれないではないか。
「坊ちゃん!」
彼方から聞こえてくる声に、青年は振り返った。見ると、公園の入り口から一人の若い女性がこちらへ走ってくる。黒髪のショートカットにやや日に焼けた褐色の肌、そして白のブラウスに紺のネクタイ、上下共に黒のパンツスーツ。ホウエン地方から一緒にやってきた、彼の同行者だった。
「やあ、ごめんごめん」
「まったく、急にいなくなるんだから……」
彼の前で立ち止まり、息を切らす女性に、彼は謝った。もっとも、その軽い口調は心からの謝罪だとは女性には到底思えなかった。
「だって、あんな音を聞いたら、ただ事じゃないと思うだろう?」
青年は、ここから百メートルほど離れた場所で、あの樹木が倒れる音を聞き、メタグロスに乗ってここまで急行したのだった。メタグロスは磁力で宙に浮くことができるので、高速で移動ができる。
「あのですね、私たち、一応潜入捜査でここに来てるんだから、あんまり目立っちゃいけないってわかってる?」
「すまない、想像力が足りてなかったね」青年はさらりと言った。
「うっわあ、嫌味な台詞。ホント、坊ちゃんのわがままには困ったもんだーね」
「だからその坊ちゃんっていうの、いい加減やめてくれないかな、ヒガナ」
「だってお坊ちゃんなんだから仕方ないでしょ、ダイゴさん」