前章:神事から競技へ
ウマ娘による競走、すなわち「レース」そのものは、一定数以上のウマ娘が存在するコミュニティにおいて、古今東西を問わず、ほぼ全ての文明で行われてきたといっても過言ではない。
古代エジプトの壁画には、耳を持つ数人の乙女が砂漠を競い走る図形が発見されており、日本においても奈良の壁画古墳に、同様の躍動する姿が描かれている。
しかし、それらの多くは、あくまで神事や宗教儀式の一環であった。
天の恵みに感謝し、翌年の豊作を占う。あるいは冬至や夏至という節目の日に、太陽の力を呼び戻すための祈祷として彼女たちは駆けた。ゆえに開催は年に一度か二度、限られた祭事の日に限定されており、それは「記録」や「順位」を競うスポーツではなく、神に捧げる「奉納」であった。
それでは、現在のように開催地を季節ごとに移動し、年間を通して体系的に行われる「レースシリーズ」はいつ、どこで始まったのか。
現在、世界各国で展開されているウマ娘競走の中でも、最も古い歴史を持つのが日本の「トゥインクル・シリーズ」であると言われている。その転換点は、泰平の世が始まったばかりの江戸時代、ある一人の将軍の言葉に隠されていた。
第一章:武家社会におけるウマ娘達
1. 若き将軍の無関心
明暦の大火を経て、江戸の街が灰燼から復興を遂げようとしていた頃。四代将軍・徳川家綱の治世は、静かなる文治の時代の幕開けでもあった。家綱は「左様せい」と重臣に政を任せる温厚な君主であったが、その内面には、荒々しい戦国の残り香を嫌い、調和と美を求める繊細な感性が宿っていた。
当時の武家社会において、ウマ娘という存在は、あくまで「優れた機能を持つ兵」の延長線上にあった。家綱とて例外ではない。幼少期より江戸城内で見かけるウマ娘の護衛兵たちは、確かに美しい容姿をしていたが、彼にとっては「十人の剛の者を一度にねじ伏せる怪力」や、「野を駆ければ飛鳥の如く、一日にして数十里を走破する脚力」を持つ、便利な道具に過ぎなかったのである。
父・家光が命じ秋川駒忠が作り上げた旗本子女ウマ娘の管理体制により、彼女たちの超人的な身体能力は江戸の武家社会においては軍事・警護という実利の枠組みに厳格に収められていた。彼女たちが何を思い、何のために駆けるのか。そんな哲学的な問いを、平和を享受し始めた若き将軍が抱くことはなかった。
「秋川の娘たちは、府中において神にその脚を捧げているという。一度、見ておくのもよかろう」
家綱がふと漏らしたその好奇心は、府中を治める秋川家にとって、天から降り注いだ雷鳴にも等しい衝撃であった。
2. 秋川駒秋の賭け
「将軍家のお成りが決まった。不手際があれば秋川の名は潰えるぞ」
三代藩主・秋川駒秋は、藩の重臣や藩校「駿衛館」の全生徒を前に、そう宣言した。
例年、大國魂神社の摂社である宮乃咩(みやのめ)神社の例祭への奉納は、あくまで地元の神事であった。しかし、将軍が直々に見物されるとなれば、それは幕府の儀礼となる。
駒秋が最も危惧したのは、家綱が抱いている「ウマ娘=実用の道具」という先入観であった。ただ速く走るだけでは、将軍は「便利な獣」を見るような目で彼女たちを眺めるに違いない。秋川家が徳川から託された真の役割は、ウマ娘の力を文明の枠組みの中に繋ぎ止めることにある。
駒秋は、藩の財はもとより家のそれまでの貯えの全てを投じて未曾有の大工事を開始した。駿衛館の裏手に広がる広大な草原。そこを、かつての合戦場を整備するが如き執念で平坦に均させた。多摩川から運び込んだ細かな砂と土を篩にかけ、石一つない、極上の「競走場」を造り上げたのである。
さらに、その道の終着点には、高さ十丈(約30m)に及ぶ豪奢な観覧楼を築いた。
「地を這う視線では、彼女たちの真価は分からぬ。雲の上から、その軌跡を見下ろしていただかねばならぬのだ」
準備は整った。初夏の陽光が、府中の緑を深く染めようとしていた。
第二章:動と静
1. 初日・「青袖祭」の衝撃
旧暦五月末、府中の地は熱気に包まれていた。家綱を乗せた駕籠が観覧楼に到着し、厳かな空気の中で初日の「青袖祭」が幕を開けた。
最初の奉納は「競走」である。駿衛館から選抜された八人のウマ娘たちが、整えられた直線十町の起点に並んだ。彼女たちは、かつての合戦装束を簡略化したような、機能美溢れる「青袖」の装束に身を包んでいる。家綱は、やぐらの上で退屈そうに扇子を弄んでいた。「ただ、向こうからこちらへ駆けてくるだけか」
だが、合図の太鼓が鳴り響いた瞬間、将軍の指先が止まった。
地を打つ音が、一つの巨大な鼓動となって観覧楼を震わせた。八人のウマ娘たちが蹴り出した土塊が、初夏の光を反射して宙に舞う。彼女たちの疾走は、家綱が知っていた「効率的な走り」とは根本から異なっていた。首の角度、腕の振り、そして大地を掴む足先の一点に至るまで、極限の速度を維持するために研ぎ澄まされたその姿。それは、一切の無駄を削ぎ落とした、残酷なまでに美しい「様式」であった。
家綱の目には、彼女たちが地面を走っているのではなく、多摩川の風そのものを手なずけているように見えた。
「……これが、ウマ娘の走りか」
一瞬の静寂の後、目の前を雷鳴のような風が吹き抜けた。駆け抜けた後の彼女たちの横顔には、獣のような荒々しさはなく、ただ己の全霊を捧げた者だけが持つ、透き通った誇りがあった。家綱は、自らの価値観が音を立てて崩れるのを感じていた。
2. 二日目・「杉舞祭」の静寂
翌日、「杉舞祭」が執り行われた。昨日の猛烈な疾走を見せた同じ少女たちが、今日は一点の乱れもない「静」の姿で現れた。
彼女たちは、杉の枝を手に持ち、古来より伝わる舞を奉納する。昨日の爆発的なエネルギーは、どこへ消えたのか。彼女たちの指先は繊細に空を舞い、足運びはまるで水面を歩くかのように静かであった。
家綱は、彼女たちの瞳を見た。そこにあるのは、自らの強大な力を誇示する傲慢さではなく、その力を神へ、そしてこの安寧の世へと捧げようとする、深い献身の情であった。
「……速き者は、これほどまでに静かになれるのか」
家綱は悟った。彼女たちは、ただ速く走るための道具ではない。その強靭な肉体の中に、誰よりも繊細で、誰よりも高い精神を宿している。その「高潔な精神」があってこそ、あの「極限の疾走」は美しく結実するのだと。
武力によって天下を平定する時代は終わった。これからは、このような美しさと精神性をもって国を治める「文」の時代である。家綱にとって、ウマ娘たちはその「平和の象徴」として、新たに定義された瞬間であった。
第三章:寂しき一言と、終わりのない旅路
全ての神事が終わった後、家綱は秋川駒秋を近くへ呼び寄せた。駒秋は、将軍の表情を盗み見ることができず、ただ額を畳に擦り付けていた。
「駒秋、大儀であった」
家綱の声は、いつになく熱を帯びていた。
「余は今まで、彼女たちの真の姿を知らずにいた。あの疾走、あの舞。これこそが、この世にあるべき真の美しさであろうな」
駒秋が安堵の息を漏らそうとした、その時であった。家綱は遠く多摩川の向こう、沈みゆく夕日を眺めながら、ぽつりと寂しげに呟いた。
「これほどの壮観、年に一度、この祭りの時まで見られぬというのは……あまりに寂しいことよ」
その一言に、駒秋は背筋が凍るような思いと、同時に武震いするような予感を覚えた。将軍の言葉は、単なる感想ではない。それは「いつでも、どこでも、この輝きを見せよ」という、果てしない要求であった。
「……御意に。上様のお心が、常にその輝きと共にありますよう、秋川が粉骨砕身、務めさせていただきます」
この瞬間、ウマ娘の歴史は大きく舵を切った。特定の神社の境内という「点」であったウマ娘競走は、将軍の望みを叶えるために、江戸近郊の中山へ、京都淀へ、そして西国小倉へ蝦夷地箱館へと、全国を結ぶ「線」へと広がっていくことになる。
府中御前競走。それは、一人の将軍がウマ娘に「魂」を見出した日であり、現代のトゥインクル・シリーズへと続く、終わりのない巡業の旅路が始まった日であったのである。
歴史の裏話:『観覧楼』のその後
将軍家綱のために築かれたあの高さ十丈に及ぶ豪奢な観覧楼は、その後「上覧楼」として府中藩によって永く維持された。明治の世になり、洋風の建築技術が導入されるまで、その木造のシルエットは府中の草原に君臨し続け、現在の東京競馬場メインスタンドが持つ「多摩川を見下ろす」という独特の景観の礎となったと言われている。
将軍家綱は脳どころが魂を焼かれてしまったようです