楽しかった合宿とキャンプが終わり、
俺はお盆を実家で過ごすことにした。
部屋の床には、
開けたままのスポーツバッグ。
俺はユニフォームを丁寧に畳みながら、
帰省の準備をしていた。
ベッドの上では、
岡谷がのんびりスマホを見ている。
「先輩、明日……帰省ですか?」
「ああ。」
「群馬……でしたよね」
「でもかなり北のほう。
山しかない田舎だ。沼田ってとこ」
「へぇ……」
少し間が空く。
「岡谷は? 帰らないのか」
岡谷は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……えっと。
夏休み前の期末試験、
あんまり良くなくて……
追試に受かるまで、
帰ってくるなって言われました」
「……そうか」
「両親も共働きで忙しいですし……
まあ、慣れてます」
無理に笑うその声に、
俺はそれ以上踏み込めなかった。
荷物を詰め終え、ファスナーを閉める。
「……なあ、岡谷」
「はい?」
「この前の話、覚えてるか?」
「……はい。
“話したいことがある”って……」
「帰省から戻ったら、ちゃんと話そう」
岡谷の喉が、こくりと鳴る。
「花火大会があるだろ。
二人で、行こう」
岡谷は一瞬目を見開き、
それから、耳まで赤くしてうつむいた。
「……はい」
その返事は、
とても小さくて、でも確かだった。
* * *
お盆休み
家に帰ると、親父が嬉しそうに新聞を差し出してきた。
一面には、
「無名バッテリー、県大会を揺らす」
という見出しと、
岡谷と俺の大きな写真。
優勝校の記事よりも大きく扱われ、
俺の地元で「有名人」扱いされていた。
母親は涙ぐみ、
地元の友達からもメッセージが届きまくった。
— 夢みたいだった。
でも、この夏の一番の約束は、
まだ果たしていなかった。
⸻
帰省2日目
懐かしい匂い、静かな夜。
嫌いじゃない。
でも、どこか落ち着かなかった。
風呂に入っても、
布団に入っても、
頭に浮かぶのは、岡谷の顔ばかりだった。
(……何してるかな)
スマホを手に取っては、
何も打たずに画面を消す。
——会いたい。
そんな気持ちを、
初めてはっきり自覚した
⸻
帰省4日目
昼間、外に出る。
山に囲まれた空の下、
入道雲が大きく膨らんでいる。
あまりにも夏らしくて、
胸の奥がざわついた。
(……時間って、
こんなに進むの遅かったっけ)
早く、帰りたい。
早く、あの部屋に戻りたい。
そして——
約束した“話”を、ちゃんと伝えたい。
俺は、青く広がる空を見上げながら、
心の中で何度も言葉を繰り返していた。
約束の花火大会。
夜の川沿いに屋台が並び、
淡い提灯の光が揺れていた。
浴衣姿のカップル、家族連れ、学生たち。
その中で俺と岡谷は、
人の波を避けながら歩いていた。
岡谷は浴衣ではなく、
いつものラフな服装なのに、
どこか大人びて見えた。
ときどき腕が触れ、
そのたびに岡谷がビクッとする。
夜空に花火が上がり始めた瞬間、
俺の心も決まった。
⸻
境内の奥。
本堂の脇にある、小さな石段の先。
杉の木に囲まれたその場所は、
外の喧騒が嘘のように静かだった。
花火の光だけが、
ときどき二人の影を浮かび上がらせる。
岡谷は、不安そうに俺を見る。
「先輩…どうしたんですか?」
俺は深呼吸して、正面から向き合った。
「岡谷。
お前とバッテリー組めて、
本気で嬉しかった。
お前がいたから俺は変われた。
一年の頃の孤独も、全部吹き飛んだ。
…あの時、
試合前で言った
“伝えたいこと”ってこれなんだ。」
岡谷の表情が揺れる。
胸の奥を押さえ、じっと聞いている。
俺は続けた。
「俺は、お前が好きだ!
選手としてじゃなくて…人として。
お前といたいと思う。」
その瞬間、
岡谷の目が大きく見開かれ、
すぐに潤み始めた。
⸻
岡谷は唇を震わせながら、俺の胸に手を置いた。
「…先輩。
僕…
ずっと先輩のことばっかり考えてました。
野球より、夢より…
先輩の言葉一つで、一喜一憂して。
…好きです。
先輩が大好きです。」
言い終えた瞬間、
岡谷は堪えきれず泣き笑いをした。
俺はその顔を見て、
自然と手が伸びた。
⸻
花火の光が、ゆっくり夜空に広がっていた。
俺たちは静かに、お互いの額を寄せ、
そして…ゆっくりと唇を重ねた。
潮騒と遠くの花火の音だけが響く。
離れた後、岡谷が顔を赤くして呟いた。
「…これからも、ずっと隣で捕ってください。
ぼくの球も…ぼくの全部も。」
胸が熱くなり、
俺は岡谷の肩を抱いた。
「ああ。これからも‥‥ずっと一緒だ。」
遠くの夜空で、
また一輪、花火が咲く。
俺たちは、誰にも見られない境内で、
静かに額を寄せた。
そして——
ゆっくりと、唇を重ねる。
木と土の匂い。
聞こえるのは、
風と、花火の音だけ。
唇が離れたあと、
岡谷は顔を真っ赤にして、小さくうつむく。
夜空では、
最後の花火が、静かに消えていった。
その夜、
俺たちは正式に“恋人”になった。
* * *
野球部引退式
夏が終わり、三年生の引退式。
並んだ下級生たちの前に立つと、
あの日、
入部初日の冷たい視線が嘘みたいだった。
監督がゆっくり俺に言葉を紡ぐ。
「最初は名前も覚えられなかった。
だが今のお前は、このチームの誇りだ。
本当にありがとう。」
佐々木コーチも一人ずつ握手をしていく。
「佐伯の配球に何度救われたことか」
「佐伯が岡谷を育てた」
それぞれが胸の奥からの言葉をくれた。
そして部員たちも。
「先輩、
俺、先輩みたいな捕手になりたいっす!」
「またグラウンド来てくださいね!」
その声を聞いて、
胸の奥がじんわり温かくなった。
⸻
式が終わると、
一番後ろで岡谷がずっと泣いていた。
タオルを握りしめ、
真っ赤な目で近づいてきた。
「先輩…いやです…引退しないでください…」
俺は頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「来年も頑張れよ、エース。」
岡谷は涙をこらえながらうなずき、
その瞬間、周りに聞こえないように
俺は岡谷の耳元で囁いた。
「”蒼太”これからは…
“恋人”としてよろしくな。」
岡谷は顔を真っ赤にして、
声も出せず俺の胸を軽く叩いた。
「…ずるい…そんな…」
その仕草があまりに可愛くて、
俺は思わず笑ってしまった。