「君は何で泣いているの?」
「!」
見知らぬ少年に突然声をかけられ、彼はびくりと肩を震わせた。少年はそれに苦笑する。
「ごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど」
「君が、謝る必要は…ないよ」
「そう?」
少年は紫色の瞳を瞬かせた。彼は小さくそれに頷く。
「…僕が、弱くて、魔力もほとんどないからいけないんだ」
「ほとんど、ってことは全くないわけじゃないんだよね」
「…使い物にならないレベルだよ」
少年は考えるように暫く沈黙した後、言う。
「だったら、僕が君を鍛えてあげようか?」
「…え?」
「弱いってことは、これから強くなれるってことだよ。魔力が低いなら、体を鍛えればいい。標準的な魔術師は、魔術を発動させる前に懐に入られるとサンドバッグだしね」
にっこりと笑った少年に、彼は戸惑うしかない。
「…何で、僕に親切にしてくれるの?」
「特にこれといった理由はないけど…そうだなあ、まあ、同じ
「ううん、僕、強くなりたい!」
「じゃあまあ、基礎的な理論から行こうか」
少年はそう言って腕を引いて傍にあった木を殴りつける。ぺしん、と小さな音がした。
「これがただの打撃」
次に、同じだけ引いて、少し溜めてから殴りつける。ごぉん、と大きな音がした。
「これが発勁。拳をただ振るのではなく肩、腕、拳と順に力を伝えていくことでより大きな威力を出すことが出来る。一口に勁と言っても色々な種類があるが、特に予備動作を小さくしかしい力を高めることを重視したものを寸勁と言う」
少年はぺたり、と木に手のひらを押し当て、力を込める。ばきん、と大きな音を立てて木が倒れた。
「これが全身を使った寸勁だ」
「…ししょー、さっぱりわかりません」
「そうだな…まずは、動く時に自分の躯、筋肉の一つ一つを意識するんだ。何処に力が入っていて、何処に力が入っていないのか。それがわかるようになったら、動きを繋げて、力を伝導させていく」
まあまず動いてみろ、と少年は彼に自分の動きを
「キツいってのは、君の体が出来ていない、筋力が低い、ということでもあるし、余計な力が入っている、ということでもある」
「じゃあ、まず筋力をつけた方がいいんじゃないですか?」
「筋力をつける早道はない。ひたすら、鍛えて、
野生の獣は筋トレなどしない、と少年は付け加える。
「武道においては、心技体の三つが重要とされる。僕が教えられるのはそれらを鍛えるための基礎だけだ。そこから先は君が自分で見つけなければならない」
「自分で、見つける…?」
「その拳をどう振るうのか。どう鍛えるのか、そして何のために振るうのか。鍛え上げられた拳は簡単に相手の命を奪うことが出来るようにもなる。だから君は、それをきちんと考えていかないといけない」
己が後悔しないためにな。
「引き出しは多い方が便利だ。少ないとワンパターンになりやすくなる。だが、欲張りすぎるとどれも中途半端になる」
その適度な感覚も自分で見つけるしかない。
「僕が教える八極拳も自分なりにアレンジすればいい。教科書通りの拳法は教科書通りに破られるものだからね」
「…拳法と言いつつ、ししょーは足も使ってるように見えますけど」
「格闘技というのは要するに己の躯をどれだけ自在に操れるかということだよ。全身を効果的に使えなきゃ不十分だね。固定概念に囚われちゃダメだ」
というか、拳法はそういうものだ。
「そも、八極拳は精神修養でもあるんだが…知人にはそれを殺人拳に昇華してしまった者もいるからな。その拳に使い手の精神が現れてくる」
これは他の格闘技でもそうかもしれないが。
「正直、勁が出来ていなくても筋力で補える。或いは、予備動作を大きくすれば威力も上がるだろう。だが、大振りな一撃は隙が大きいし、容易く避けられてしまう。動きも読みやすくなるしな。故に、発勁は使い分けることが重要になってくる」
「使い分ける?」
「スムーズに発勁が出来るようになれば、外見上全く同じ動作ながら、大きく威力の異なる一撃を放つことも可能になる。…防御で相手の拳を受け止めるには、その拳以上の力が必要になる。だが、余計に力を入れすぎるとロスになる。故に、相手の拳の威力を見極め、適切な力を出すことが必要になるわけだが…」
「見極められなければ、隙やロスができる?」
「弱く想定されていればその防御を破ってダメージを与えられる可能性があるし、強く想定されれば少なからず隙ができる。まあ、フェイントの一種だな。此処で防御でなく回避、という選択肢も出てくるわけだが、塵も積もれば、という言葉もあるが、弱い攻撃もいちいち大袈裟に避けるのは体力のロスに繋がる。戦法にもよるが、回避主体のスピード型は大抵スタミナに欠けるので短期決戦狙いになるな」
「逆に防御を固める耐久型は、長期戦狙いになると」
「或いは一撃必殺狙いのパワー型というのもありうる。まあ、他者と戦うことや他者の戦うところを見ることがあれば相手を分析してみるといい。相手の良いところも悪いところも、見極めて己を省みれば成長するための糧になる。その気になれば、どんなものからでも何かしら学ぶことができるものだ」
「今僕が君に教えられることは、これで大体教えられたかな」
少年はそう言って彼をまっすぐに見た。
「後は、君がそれをどう活かし、発展させていくのか、だ。…っと、いや、もう一つだけあったな」
「何ですか?」
「もし、君自身の魔力が低くとも強力な魔術を使えるようになる可能性があるとしたらどうする」
彼は言葉を失う。少年は片眉を小さく動かした後、冷静に続ける。
「勿論、全くの制約がないとは言わない。どうしても隙はできるし、状況によっては思った効果を得られないだろう。正道ではない故に卑怯と取られる可能性がある。まあ、正道ではないが外道ではない。そこは心配ない」
暫し考え、彼は言う。
「…僕は、己の家の資質を…滅びの魔力を受け継ぐことができませんでした。ただ魔術を使えるようになっても、認められることはないでしょう」
そこで一度言葉を切る。少年は静かにそれを聞いている。
「だけど、僕は強くなりたい。どんな相手よりも、強く。魔術を使えるようにもなりたいです」
「それは何のために?君は手に入れた力をどう使う?」
「それは…まだわかりません。でも僕は、これ以上母さんが悲しまないで済むようになりたい」
二人は暫し無言で見つめ合う。
「…まあ、この一週間程で君の心根はそれなりに知れた。信用して及第点としよう」
少年が差し出した手に、中空からしっかりとした革の装丁の本が現れる。
「これは
彼はおっかなびっくり、魔導書を受け取る。それはずしりとした重量を持っていた。
「魔導書はあくまで
少年は彼の手を取って書の銘をなぞらせる。書は淡く魔力光を帯びた。
「操作は音声入力方式だ。起動の時だけ、少し魔力を注いでやればいい。発動できる魔術は書に刻まれているものだけだが、書き加えるなり書き換えるなりすれば変えることができる。詳しくは自分で試せ」
書はぐにゃりと姿を変え、ブレスレットとして彼の腕に収まった。
「
「もらって、いいんですか?」
「いいから渡したに決まってるだろう。君は何を言ってるんだ」
少年はきょとりと目を瞬かせた。
「これは、貴重なものなのでは?」
「別に、その気になれば何時でも作れる。量産するのは難しいが、僕は自分のを仕様違いで何冊か持っている。気にするな」
「…ししょーは、魔術も詳しいんですね」
「寧ろ逆だ。僕の専門は元々魔術だからな。格闘術の方がサブスキルになる」
「…じゃあ、ししょーは僕より随分年上なんですか?」
彼の問いに少年は一瞬きょとんとした後、大きく笑った。
「それはその年ってのをどう考えるかによるかな。僕は肉体的には今年で六歳だよ。魂はもう何度も転生してきてるけどね」
「えっ」
「精神的には…どうだろうな。流石に肉体年齢そのままではないだろうけど、そっちに引きずられてることもあるし…まあ、年齢なんて所詮ただの目安だ。気にしなくていいと思うよ」
「そう、ですか…」
「師弟ごっこはこれくらいで終わりにしておこう。悪魔が年下の、しかも人間を師と呼んでちゃ格好がつかないだろうしね」
「…え、ししょー、人間…だったんですか?」
「悪魔と言ったことはなかったはずだが?」
確かに、そう…ですね。というか…そういえば、互いの名も知りませんでした」
「まあ、聞かなかったからね。知らなくても用が足りたし」
「僕はサイラオーグ=バアルといいます。ししょーの名前は?」
「僕は兵藤一誠だ。名乗ったからには、師匠呼びはやめてもらおうか」
「えっ」
「師弟ごっこはおしまい、と言っただろう?となると、とりあえずお互い対等に戻るわけだ。特別扱いはいらない」
「そんなこと言われても…」
少年はぽんぽん、と彼の頭を撫でる。
「別にこれっきり縁を切ると言ってるわけじゃない、…まあ、僕は暫く冥界に来ない方が良さそうだけど」
「ししょー、会えなくなるんですか?」
「僕、基本的に非正規√で行き来してるからね。でもまあ、また縁が合えば会うこともあるだろうさ。多分、今生の別れってことはないと思うよ。特に根拠はないけどね」
その時、赤い龍がその場に舞い降りる。
「イッセー、面倒なものが来る。捕捉される前に離れるぞ」
「わかったよ、アポロ。…じゃあね、サイラオーグ」
にこり、と笑って少年は赤い龍の背に飛び乗る。
「また会いましょう、ししょー」
「うん、またね。でも、師匠呼びはもうやめるように」
「イッセー」
少年はぽんぽん、と龍の首を撫でる。龍は地面を蹴って飛び上がる。
「僕は…絶対に、強くなるよ、イッセー!」
「うん、期待してるよ」