その流暢なイタリア語は、聞き取りやすくはあったが、アーシアの出身とは別の地方の訛りがあるようだった。
「ふむ…君の神器は"己の味方を癒す能力"を持っているみたいだね。…その上でアーシア自身が悪魔を特に敵とは認識していないので、悪魔であっても回復できる、といったところかな。まあ、基本的な体構造や生態が違うわけでもないし、理論的にはさして不思議なことでもないけど…」
アーシアには一誠の制作している装置のことはさっぱりわからないし、彼の書き留めている内容もおそらく英語だろう、という程度しかわからなかった。
「…ふむ。異端扱いの"原因"はある意味ユストと同じかな。だとすると、いっそ、アザゼルあたりに保護してもらうのもありかな、レイナーレ経由で来たわけだし。本人の意向しだいではあるけど」
独り言のようにそう呟いた後、一誠はアーシアを改めて見る。
「ところで君は自分が破門されたことについて、どう考えているんだい?信仰心は失っていないようだけど」
「…ずっと、信じてきたものですから…簡単には捨てられません」
「別に捨てなくたっていいんじゃない。日本には信教の自由ってのもあるしね。…まあ、うちとかお隣さんには悪魔に転生してる子もいるから、その子達の前で祈るのはやめてあげてほしいけど」
悪魔は祈りでダメージを受けるからね、と一誠は付け加える。
「え、あ、そうなんですか…」
「ちなみにエクソシストもお隣さんに住んでいるね。三勢力じゃ、いないのは堕天使側の人ぐらいだけど、知っての通り親交自体はあるから。まあ、うちは戦闘禁止区域みたいなものだから、悪魔に関してはハラルみたいなものだと思って適当に流しておいてくれ」
「はあ…」
他勢力との交流があったわけではないアーシアには実感はないが、
「それで、アーシアは己の破門についてどう思っているんだ?後悔してる?恨んでいる?怒っている?戸惑っている?…後は何がありうるかな」
沈黙の後、アーシアは静かに返す。
「自分のしたことが間違いだったとは思いません。また同じことがあれば、同じようにするでしょう。…今の困難は、私の信仰心を試すために主が与えたる試練なんです。ですから、恨んでいるだなんて、そんな…」
「試練?」
一誠はわずかに眉をしかめる。
「君は、神が人を救わない癖に、試練は寄越すんだとでも?」
「きちんと信仰していれば、神様は救ってくださいます」
「それは、救われないのは皆、信仰心が足りないからだ、ということか?」
「それは…」
アーシアは僅かに口ごもる。
「幸福と信仰に因果関係はないよ。人が幸福になるために必要なのは、相応の努力と行動、それに時の運さ。或いは、幸せを幸せと認識する感性かもしれないが」
一誠は顔をしかめて言う。
「結局のところ、己が幸せと思っていればどんな状況であれそいつは幸せなのさ」
「・・・」
二人が黙り込んでしまった時、第三者の声がそこに響いた。
『すまないな、シスター。相棒はお前が己に非のないことで己を責めていることが気に入らないようだ』
いつの間にか、一誠の左腕が赤い籠手に覆われている。声はそこからしているようだった。
「ドライグ、人をツンデレのように言わないでくれる?」
『そういうことではなかったのか?』
「…否定はしないが」
一誠はそう言って拗ねたように視線を逸らした。
「私は…」
『これでも、相棒はお人好しの類でな。困っている者を放っておけないんだ』
「ドライグ…」
一誠がジト目で籠手を見る。ドライグはははは、と笑った。
『いつもなら自分から相談に乗っているくらいだろう』
「…いや、あんまり僕が女の子に優しくしてると白音たちが不機嫌になるじゃん」
『それはお前のフラグ管理が甘いからだろう』
「フラグの話はしないでくれ」
「フラグ…?」
「そこはスルーしておいてくれ」
一誠は首をすくめた。
「人を恨まないことそれ自体は悪いことじゃない。まあ、所謂美徳の類だろうさ。だけど、代わりに自分を責めてるんなら話は別だ」
「ですけど…私の不徳ではないなら、私は、何故…」
「さて。運が悪かったのか、或いは誰かの思惑か。時流が悪いのだという可能性もあるか。物事をどう受け取るのかは自由だが、一面的な見方しかしないのは不幸の元だよ。思い込みに陥りやすくなる」
「と、言われましても…」
「非があるというのは、変えられる可能性があるかあったかということだ」
きっぱりと一誠は言い切る。
「君に変えられたかもしれない君の非とは何だ?」
「…私は、何を間違えたのでしょう」
「後悔はしていないし、変えようとは思わないんだろう?なら、"間違って"はいないんじゃない。でもまあ、教会としては、"悪魔を癒すことは間違い"なんじゃないか」
「でも、あの人は酷い怪我で、私が治療しなければ死んでしまったかもしれませんでした。それを見捨てるのが正しいとは、私は思いません」
「そう、君にとっては、"例え悪魔でも"傷ついた者は癒すことが正しいことだ。だが、君も知っているとは思うが、教会と悪魔は対立関係にある。一般的に、敵を手助けし回復することは裏切り行為だし、"正しくない"ことだ。敵が長らえるということは、それだけ味方が傷つくということに近づくからな」
「あ…」
「だから、教会にとっては、君が悪魔を癒したのは紛れもなく"非"だ。だけど君はそれは間違いではなかったという」
一誠はそこで言葉を切り、アーシアをまっすぐに見る。
「己が間違っていないと思うなら胸を張れ。君のしたことが"本当に間違っていなかった"かどうかは、僕の判断できることじゃないが…自分が正しいと思うなら、そう簡単に揺らぐんじゃない。僕もまあ、君のしたことは間違いだったとは思わないよ」
「…でも、私は、教会の皆さんを危険に晒したかもしれない、ということですよね…?」
「さあ。少なくとも君が今無事であることを思えば、"性質の悪いはぐれ"ではなかったんだろうし、直接的に危険にさらしたということはないんじゃない。悪魔にも色々いるから、"良心的な悪魔"だっている。であれば、"助けて良かった"のかもしれない」
一誠は肩をすくめて、引き出しからイヤリングのようなものを取り出してアーシアに渡した。
「翻訳装置だ。付けていれば自動的に会話の補助をしてくれる。…思考の停止は堕落への第一歩だよ。君はもう組織の庇護を離れた身だ。自分の頭で考えて判断しなければならない。これまでは生きることそのものの方に頭を使う必要があったかもしれないが、此処ではある程度余裕ができるだろう。じっくり考えてみて欲しい。己が正しいと思うことと、自分の望むことについて」
それから、アーシアはずっと考えていた。一誠の問いと、それに対する己の返答を。兵藤家の住民と"お隣さん"、それに兵藤家を訪ねた者の話も聞いた。
そして、自分の行動が本当に正しかったのか、わからなくなった。
アーシアは実感として知らないし、未だにそうは思わないのだが、悪魔には"邪悪なものがいる"。ほんの数分、顔を合わせて、最低限の治療を施すことしかできなかった悪魔がはたしてどんな相手なのか、彼女は知らないのだ。アーシアには、それだけのやり取りで相手を測れる程の観察眼はない。
「…私は、本当に正しかったのでしょうか」
答えは出ない。
アーシアには、精神的にしっかりとした支柱、信念のようなものがないのかもしれない。いや、寧ろ、教会を離れたことで失ってしまったのだ。
教会の教えを信じることと、傷ついた者を癒すこと。それは相反するものではなかった。少なくとも、あの時までは疑いようもなく、両立する正しいことだったのだ。けれど、相手が傷ついた悪魔ともなれば、それは両立し得なくなってしまうのだ。教会の教えに従うなら、悪魔を助けてはならないし、悪魔であっても傷ついた者には変わりなかった。
どちらかを選ばなければならなかった。アーシアは治療することを選んだ。ただ、アーシアはそれをきちんと認識していなかった。それだけの話なのだ。
「・・・」
此処に来てからアーシアの話した悪魔は"良心的な"者ばかりだった。だから、間違いだったと言い切る気分にはならない。それに、教会に居た時とは違う関係性を得ることもできた。
本当は、ずっと…聖女として、特別扱いされることが、アーシアは寂しかったのだ。ただの友人として、笑いあえる友達が、欲しかった。それができる"普通の女の子"が羨ましかった。
聖女として人を救うことを嫌だと思ったことはなかったが、"ただのアーシア"として普通の女の子のように一緒に遊べるような相手はいなかったのだ。
けれど、今は違う。アーシアが聖女ではなくなったからか、それとも、元々そういう相手なのかはわからないが、アーシアを一人の女の子として、友達として扱ってくれる人がいる。"特別な人間"ではなく、"対等な相手"として向き合ってくれる人が居る。それは、嬉しいことだった。
"今"が悪くないとも思う。"幸せ"になれるかもしれない。二度と聖女に戻ることはできないとしても、ただの女の子として友達と笑いあえる方が"アーシアは"幸福だ。だからやはり、結果的には間違いではなかったのではないか、と思う。
でもそれは、アーシア個人にとっては、という話だ。