12月24日。
青と蒼太は、クリスマスデートで、
横浜に向かう。
横浜の空気は澄み切っていて、
どこか甘い匂いすら混じっていた。
青にとって、
大学生活最後のクリスマスデート
青は卒論を書き終え、
あとは修正して提出するだけ。
蒼太は秋以降、
講義を一日も休まず通い続け、
落とした単位も取り返せそうだ。
ふたりとも、
ようやく胸を張ってデートができる
――そんな日だった。
桜木町駅を出ると、
イルミネーションが光の粒となって風に揺れている。
青と蒼太は「横浜エアキャビン」に乗り込み、
みなとみらいの夜景の中へと滑り出した。
「わぁー……この乗り物、初めてです。
めっちゃ楽しい……!」
「やっぱり乗り物好きだな、蒼太は」
蒼太は窓に顔を寄せ、
まるで少年みたいに輝いた瞳で外の景色を追っていた。
横浜みなとみらいはクリスマス一色。
どこを見ても手をつなぎ、
肩を寄せ合うカップルばかり。
その光景に、蒼太の肩が少しだけすぼむ。
「……なんか、ちょっと恥ずかしいですね……」
「蒼太、こっち。夜景、きれいだな」
「……はい。でも、なんか落ち着かなくて……
周り、全部カップルですし」
青はふっと笑って、蒼太の頭を軽く撫でた。
「何、気にしてんだよ。
みんな自分たちの世界に夢中で、
俺らなんか見てねぇって」
蒼太は周りを見回す。
確かに、どのカップルも幸せそうで、
お互いしか見えていない。
「……ほんとだ。なんか、安心しました」
「せっかくのクリスマスなんだし、
俺たちは俺たちで楽しもうぜ。
もったいないだろ?」
「……はいっ」
少し元気を取り戻した蒼太に、
青は優しく手を差し伸べた。
「ほら、蒼太。行こう‥」
二人が向かったのは、大観覧車。
行列にいるのは、カップルだけだったが、
青はまったく気にしていない。
(……先輩、かっこいいな……)
順番が来ると、ゴンドラの扉が開いた。
ふたりは乗り込み、
静かに空へと上っていく。
「わぁ……きれい……」
さっきまでの緊張が、
夜景の広さに溶けていく。
青はそっと蒼太の手を取り、
優しく手を繋なぐ。
「……きれいだな」
その言葉は、夜景だけのものじゃない。
青の横顔を照らす光が蒼太の胸を熱くして、
観覧車の小さな空間を温めていく。
「……」
ふたりの視線が重なった瞬間、
“好き”も“幸せ”も全部伝わっていた。
観覧車を降りると、
冬の空気がふたりの頬をくすぐった。
青は蒼太の手をそっと引き寄せ、
まるで“迷わずついてこい”とでも言うように歩き出す。
赤レンガ倉庫はクリスマス仕様にライトアップされ、
外の冷えた空気とは対照的に、
どこか懐かしい温もりをまとっていた。
ツリーやイルミネーションの光が、
蒼太の頬をやわらかく照らす。
「……きれいですね……」
その小さな声を聞いた青は、
返事の代わりに
蒼太の手を自分のコートのポケットに入れた。
「……っ」
思わず肩をすくませる蒼太。
けれどその驚きはすぐに、
胸の奥がじんわり広がるような甘い鼓動に変わる。
「寒いだろ?」
コートの中で、二人の手が重なり合う。
指先が自然に絡まり、
温度が一つに溶けていく。
まわりには人が多く、
ざわざわとした喧騒に満ちているのに――
青と蒼太の世界は、
不思議なほど静かだった。
言葉はいらない。
聞こえるのは手のぬくもりと、
ふたりの歩幅が揃う音だけ。
赤レンガを抜け、海沿いへと歩みを進める。
冷たい潮風が吹くたび、
青はそっと蒼太の手を包むように握り直す。
やがて山下公園に差し掛かる。
街灯の落ち着いた光が、
足元に淡い影を描いた。
ふたりはゆっくりとその下を歩く。
肩が触れれば触れるほど、
胸の奥が甘く痺れてくる。
(横浜って、洗練されてて……
落ち着いてて、きれいな街だな。
いつか……
いつか先輩と、こんなところに住みたい……)
青の横顔を見ると、
優しく前を見つめて歩くその姿がとても頼もしくて、
蒼太の胸の中で、
未来への憧れがそっと灯った。
夜風の中でも、ふたりの手は離れない。
ポケットの中の小さな温度が、
この夜を“特別”に変えていく。
中華街に足を踏み入れた瞬間、
蒼太の瞳がぱっと輝いた。
「……すごい……!
こんなに広いんですね……
迷いそうです……!」
「だろ? 蒼太、これ食べるか?好きだろ」
そう言って青が差し出したのは、
蒸気の立つ肉まん。
蒼太は嬉しそうに受け取って、
ぱくっと大きくかぶりつく。
「……んっ……あっつ……おいしい……!」
ほっぺをふくらませる蒼太を見て、
青は思わず笑った。
「……お前、口についてるぞ」
そう言って青は
自分の指で蒼太の口元についた欠片をそっと拭い取り、
そのまま何気なく指先を舐めた。
「……っ……!」
蒼太の耳まで真っ赤になるのを見て、
青は少し得意げに微笑んだ。
中華街でいくつかの食べ物を味わい、
ふたりの心もお腹も満たされていく。
店のネオンから少し離れ、
海沿いへと歩き出すと、
人混みは次第に途切れ、
静かな空気が戻ってきた。
潮風は冷たいのに、
手を繋ぐ温度はそれを忘れさせるほどに暖かい。
「……少し休むか?」
海に面したベンチに腰を下ろす。
遠くでは港の灯りが瞬いていて、
横浜の夜がふたりだけのものみたいに感じられた。
しばらく海を眺めた後、
蒼太がぽつりと口を開く。
「……こんな素敵な夜、初めてです。
なんか……怖いです。
いまが幸せのピークな気がして……」
青は驚いたように蒼太を見る。
けれどその瞳に浮かぶ弱さが、
青には愛しくて仕方がない。
「そんなことないよ。
まだこれからだろ。
俺たち、これから社会人になったらさ、
蒼太と行ける場所なんて……
もっともっと増えるんだ」
「……先輩……」
「いろんな景色、一緒に見ような。
今日の夜なんて、
“はじまり”みたいなもんだよ」
蒼太は胸がじんわり熱くなる。
抑えきれず、
青に身を寄せるようにつぶやいた。
「先輩……うれしい……
すごく……うれしいです……」
青は蒼太の頭をそっと撫でた。
静かな波音の中、
ふたりの影がひとつに重なる。
* * *
その後。
海沿いを少し歩き、
青はふと視線を桟橋へ向けた。
水面に揺れる灯りの先、
小型の観光船——「シーバス」が停まっている。
「……蒼太、帰りはあれに乗って
横浜駅まで行くぞ」
「へぇ……! こんな乗り物、初めてです」
蒼太の声には、
隠しきれない喜びが混じっていた。
二人は桟橋から乗り込み、
静かなエンジン音とともに
シーバスはゆっくりと港を離れた。
海面すれすれに進む船は、
まるで夜景の中を滑っていくようだ。
「……すごい……楽しい……
夜景も……きれい……」
潮風に髪を揺らしながら、
蒼太は窓に顔を寄せる。
その姿は無邪気な子どものようで、
優しい光に縁取られていた。
(……蒼太は、
やっぱり乗り物が好きだな‥‥。)
船は夜の港をなぞるように進み、
やがて横浜駅近くの桟橋へ到着した。
「……あっ!」
「どうした、忘れ物か?」
「違います……楽しくて……
SNS用の写真、1枚も撮ってないです……」
青は呆れたように笑いながら、
どこか嬉しそうだった。
「なんだ……そんなことか?」
桟橋を降り、構内へ向かう。
横浜駅から大宮方面への電車に乗り込むと、
ラッシュとは逆方向のため
車内は静かで落ち着いていた。
ドアが閉まると同時に、
ふたりの小さな旅が終わりを迎える合図のようだった。
窓の外では、
さっきまで歩いていた
港の光がゆっくりと遠ざかっていく。
「……たのしかった……」
ほんの小さな独り言。
けれどその声には、
今日の幸せが全部詰まっていた。
青は聞こえないふりをしたまま、
そっと横目で蒼太の横顔を見つめる。
蒼太が見る外の夜景よりも、
青にとっては隣にいる蒼太のほうが、
ずっと眩しく感じられた——。
* * *
アパートに戻ると、
外の冷たい空気とは対照的に、
室内には一日の余韻がまだふわりと漂っていた。
「……楽しかったです。
横浜、初めてだったので……全部新鮮で……」
「そっか。喜んでもらえてよかった」
蒼太は靴を脱ぎながら、
ふと胸の中にひっかかる違和感を思い出した。
(……先輩、
なんかすごいスムーズだったよな。
道にも迷わないし、
デートコース完璧だったし……
ま、まさか……誰かと来たことある……
とか……?)
その瞬間、
視線の先に青のノートPCが
開きっぱなしになっているのに気づく。
「……ん? これ……」
画面に大きく表示されていたのは――
《初心者でも絶対成功する!
完全版・横浜デート特集♡》
「……あっ……これって……」
「……あっ……これは……いや、その……」
蒼太はもう一度画面を見てから、
ゆっくりと青に向き直る。
「……先輩……
こっそり勉強してくれてたんですか……
……かわいいです」
「……しまった……閉じるの忘れてた……」
ばつが悪そうに後頭部をかく青。
蒼太は口元を緩め、
胸が甘く満たされていくのを感じた。
部屋の空気は、さらに柔らかく、優しくなる。
「蒼太……疲れてないか?」
「全然……むしろ……
まだ余韻で寝られないです……」
青はそっと微笑み、手を広げる。
「……おいで、蒼太」
呼ばれた瞬間、
何も言わずに青の胸に身を預ける蒼太。
その体温に包まれた途端、
電車の揺れよりも、海風よりも、
今日の全部が一気に蘇ってくる。
照明が落ち、部屋はゆっくりと暗くなる。
寄り添う影がひとつになり、
ことば以上の想いが静かに交わされていく。
恋人になって四年目の冬。
ふたりにとって、
これまででいちばん甘い夜が静かに深まっていった。