十一月。
街路樹の葉が色づき、カフェの窓の外では
風がひとつ季節を運んでいた。
大学もあと少しで冬休みを迎える
どこかせわしない空気が広がり始めた頃――
蒼太が働くカフェには、
今日も仕事帰りのビジネスマンや
学生がゆっくりした時間を求めて集まっていた。
客席の一角。
青はノートパソコンを広げ、
静かに卒論を書き進めている。
指先が走るたび、カフェのBGMと混ざって
まるでそこだけ別世界のようだった。
(先輩……今日も来てくれるなんて、嬉しい)
カウンター越しにふわっと微笑む蒼太。
青の存在は、
彼にとって安心と誇りの象徴のようなものだった。
だが、その後ろ。
バイト仲間の女子スタッフたちが、
トレーを持ちながら
小声でヒソヒソと盛り上がりはじめていた。
「ねぇ……あそこの席の男の人。
最近ほんとよく来てない?」
「分かる!私も気になってた。
なんか体格めっちゃ良くない?
スポーツマンって感じするよね。
……てか、普通にタイプなんだけど」
「ね、ね、しかもあの人……
よくカウンターの中チラ見してない?
誰か気になる人いるっぽいよね?」
「えっヤバ……!
ちょ、話しかけてみようかな……
“よく来てますよね?”とか言ってさ……」
女子たちのほのかなざわめき。
軽い興奮。
期待するような空気。
蒼太の耳に、
その囁きがはっきり届いてしまった。
(……先輩、そうなんだよなぁ。
無自覚に……モテるんだよなぁ……)
胸がきゅっと縮まるような感覚が、
蒼太の心をかすめた。
理由は分かっている。
でも、言葉にはしたくない。
蒼太は小さくため息をつきながら、
注文票を取るふりをして
青の方へ一瞬だけ目を向けた。
パソコンを見つめ、真剣な横顔。
外の光を受けて少し茶色く見える髪。
ノートをめくる手の指。
(……先輩は、誰の目にも“かっこよく”映るんだ)
少しうつむき、小さく唇をかむ。
(……ダメだダメだ、仕事に集中しなきゃ)
コーヒーの香りが漂う厨房で、
蒼太の小さな嫉妬が静かに芽を出し始めた。
* * *
夕方19時。
バイトが終わった蒼太は、
私服を直しながら店を出た。
ふっと視線を上げた先――。
ガードレールに軽く片手を置き、
夜の街灯に照らされながら待っていたのは青だった。
いつもと同じ表情なのに、
街の空気と相まって妙に“絵になる”。
「……えっ、先輩?
もう先に帰ったと思ってました」
青は片手をポケットに入れたまま、
無自覚にカッコつけたポーズで微笑む。
「おつかれ、蒼太」
そして――
思わず心の声が漏れた。
「……出待ちがいないか心配だったし」
「えっ? で、出待ち?
何ですかそれ」
「あっ……いや……えっと……なんでもない!
なんでもないから!」
耳がほんのり赤い。
蒼太は首をかしげながらも、
そのまま歩く青の後を小走りでついていく。
「今日は食べて帰るか?
腹減ったろ」
「はいっ!」
青が向かった先は、小さな洋食店。
店内は温かい照明で、
仕事帰りの客がゆったり食事を楽しんでいる。
「このオムライス、卵ふわふわで美味しい……!」
「よかった。
SNSで評判良さそうだったからな。
蒼太、オムライス好きだっただろ」
「前から思ってたんですけど……
先輩って、お店選びのセンスありますよね」
「そうか?」
少し嬉しそうに口元がゆるむ。
だが蒼太は気になっていたことを思い出した。
「……あ、先輩。
さっきの“出待ち”って何ですか?」
青はフォークを止め、
わずかに視線をそらした。
「……じつは、その……
先週、角石が……」
と、角石の“出待ち地獄ジェラシー事件”を
軽く誇張せずに説明する。
聞いていた蒼太は――
つい吹き出した。
「ははっ……何ですかそれ。
僕、出待ちなんか一回もされたことありませんよ!」
「……そうなのか?」
「常連さんは多いですけど、
女性から声なんてかからないですよ。
でも……常連のおじいさんには
“がんばってね”って声かけられますけど」
「……そっか」
青の表情が、
本当に安心したように柔らかくなった。
その顔を見て、蒼太の胸がまた熱くなる。
近くの席の若い女性2人が、
さっきから頻繁にチラチラこちらを見ている。
その“視線の先”は――
青だった。
(……うわ、絶対先輩のこと見てる……
やっぱり……先輩、モテるんだよな……)
蒼太の胸の奥がきゅうっと締まる。
女性たちのひそひそ話が微かに聞こえる。
「ね、あの人……かっこよくない?」
「うん……彼女いなさそうだし
……もし一人なら絶対声かける……」
(…………やめろ……やめてくれ……)
蒼太のフォークをぎゅっと握る音が、
わずかに震えていた。
そして突然、
蒼太は席を立ち上がり気味に言った。
「せ、先輩!
あの……食べ終わったら、帰りましょう!」
「え? まだデザート頼んでないだろ?」
「だ、大丈夫です!!
今日は……あの……お腹いっぱいで……!」
「そうか?急だな……」
(……だって、これ以上見たくない……
先輩が、他の人に見られてるところ……)
俯いた蒼太の横顔は、
ほんのり赤く、そして少し切なかった。
* * *
二人はアパートへ帰ってきた。
部屋の灯りがつくと、
さっきまで楽しそうだった蒼太の表情が、
どこか浮かないまま固まっているのに青は気づいた。
「蒼太? どうした?
さっきからなんか……変だぞ」
「……別に。変じゃないです」
靴を脱ぐ音だけが妙に大きく響いた。
「怒ってる、か……?」
「怒ってません」
でも、声は明らかに怒っていた。
青はテーブル横にしゃがんで、
蒼太と目線を合わせる。
「何か嫌なことがあったなら、言ってくれよ。
蒼太が黙ると……不安になる」
蒼太は唇を強く噛んでいた。
そして――
ついに感情が溢れるように、
言葉がこぼれた。
「……先輩。
もうカフェに、来ないでほしいです」
「……え?」
「……今日……
バイト仲間の女の子たちが……
先輩のこと見てて……話してて
すごく……嫌だったんです」
「蒼太……」
蒼太は拳を握り、
ぎゅっと胸の前に押し当てる。
「先輩……無自覚なんですけど……
ほんとに、モテるんですよ……
さっきのお店だって……女の人たち……
先輩のこと“タイプ”とか言って……
声かけようかって……
僕……ずっと気づいてました」
青
「……」
「卒論なんて……
家でもできるじゃないですか」
言葉が震え始める。
「僕……怖いんです……
先輩が……誰かに取られるの……
そんなの……嫌なんです……」
その声は怒りよりも、
ずっとずっと苦しくて切ない色をしていた。
青はゆっくり立ち上がり、
蒼太の肩に手を置いた。
「……蒼太。
俺があそこに行く理由……わからないか?」
「……理由?」
「蒼太が――そこにいるからだよ」
蒼太が顔を上げる。
瞳が驚きで揺れた。
「別にコーヒーが好きだからじゃない。
居心地がいいからでもない。
……蒼太が働いてる姿を見たいんだ。
それだけだ」
一拍置いて、
青は少し照れたように目をそらした。
「それに……本音をいうと、
蒼太が誰かに‥‥声かけられてないか、
そっちが心配で……」
「えっ……?」
「蒼太は……顔も可愛いし、
性格も真っすぐで優しい。
誰にでも丁寧で、頑張り屋で……
放っておけないタイプなんだよ。
そりゃ、モテるだろ……
俺だって不安になるさ」
蒼太の頬が一気に赤くなる。
「……先輩……」
「それに――」
青はそっと蒼太の頭を撫でる。
「俺は、誰にも取られないよ。
蒼太しか見てないから」
蒼太は目を伏せ、震える声で言った。
「……ごめんなさい、
さっきあんなこと言って、
カフェ毎日来てください……」
「毎日か……
蒼太、お前……毎日シフト入ってるのか?」
「……あっ。
い、いえ……そういえば……週3でした……」
自分で言って自分で気づいて、
蒼太の耳がほんのり赤くなる。
青はふっと笑い、
蒼太の頭を軽くぽんと撫でる。
「ほらな。
……こういうところが、
かわいいんだよ、蒼太」
こうして、静かに二人の思いは交錯する。