初恋に囚われている   作:ユープケッチャ

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 ねえ、○○ちゃん。
 なんですか、先輩。
 私ね、○○ちゃんのことがーー。


その大きさを知らないままに背負った罪

 

 目覚まし時計のアラームの音が鳴り響いた。

 嫌な夢を見たような気がする。もう覚えていないけれど、苦しいくらいに焦燥感が汗となって背中に張り付いている。

 

 遮光性の高いカーテンを選んでいるから朝って感じがしないけれど、6時きっかり。ごろりと身体を横向きにして、ベッドに横たわりながらスマホを見た。

 

(通知、なし)

 

 スマホの通知のないことに安心するようになったのはいつからだろう?

 時刻は6時3分。

 

「もう、起きなきゃ」

 

 左手をついて身体を起こす。カーテンの隙間から僅かに漏れた朝の光が、土を溶かしたように濁っていて、

 

「ああ、やっぱり」

 

 カーテンを開けば、外は今にも降り出しそうな鈍色の曇天模様だった。

 

 ひとりきりの部屋。

 大学に入ってから一人暮らしを始めた。誰かに頼り切りの自分なんか大嫌いだったから。

 

「行ってきます」

 

 誰もいない、がらんどうの小箱の中から飛び出し、私は折りたたみ傘を持ってアパートを出た。

 

 アパートから電車で5本のところに大学はあった。

 実家からも通える距離だったし、親からは「実家から通った方が楽だと思うよ。何も進んで苦労することはないじゃないの」と、何度も説得されたけれど、私は「仕送りもしなくていいから!」と断固としてひとりで暮らすことを選んだ。

 結局学費までは援助してもらうことになって、それ以外の生活費や交際費は自分のアルバイトで稼ぐということになった。

 自分の決意の弱さ、軟弱さに呆れつつ、それでも自分を見直すには良い機会だということには変わりない。

 

 私は電車に揺られながら、かつて、『電車通学ってかっこいいね』と()()に語ったことを思い出した。

 それは単なる一つの移動手段にすぎないのに、「私の知らない世界」に異常なほどに憧憬を抱いていた。手を伸ばせばすぐに届く場所にあるはずのものを後生大事に、手垢さえつけようともせずに鑑賞する。

 人生経験のなさや未熟さの一つの発露でしかなかった。

 なのに、勝手に特別さを見いだして。

 

 ──車窓からの景色は絶えず移り変わっていく。

 

「次は、□□駅、□□駅。□□市立病院、北山女子学園にお向かいの方はこちらでお降りください」

 

 車内にアナウンスが響き渡る。

 「女子学園」という言葉を聞くと決まって思い出すのは私の母校である友澄女子だった。

 

 中高一貫の女子校で、私は6年の月日をそこで過ごした。

 良い思い出もあれば、悪い思い出もある。最初の3年が前者で、そのあとの3年が後者だ。

 私が浅慮だったから。高校の3年間はなんだかいっぱいいっぱいで、息の詰まる心地がした。

 

(やり直せるとすれば、いつにするだろう?)

 

 高校ではずっとそんな不毛なことを考えていた。けれど私たちの生きる世界は、環状線のように同じところをぐるぐる繰り返すことなんてできっこない。

 

 電車は少しずつ速度を落としていって、□□駅で停車した。学生たちが賑やかに降車していく。ときおりその中に腰の曲がったおばあちゃんが混じっていることもあった。

 ほとんどの人数が車内からいなくなってしまって、残っているのはこんなに朝早くから大学に行こうという奇特な人ばかりだ。

 

 やがて□□駅を出発して、電車はゆっくりと速度を上げていく。

 高架線路の上から、北山女子学園は見ることができる。グラウンドを朝早くから走るソフトボール部の子たち。吹奏楽部だろうか?ぼんやりとトランペットのような形の金管楽器を手に持っている子も朝日に金属が反射して、見えるような気がする。

 

 列車は、学校を中心に大きく弧を描くように走っていたけれど、次第に直線運動へと切り替わって遠ざかっていく。ちょうどスイングバイのような軌道で少しずつ加速していく。

 次の駅にたどり着いた。少なくとも私の乗っている車両では他に降車する人はいないようだった。

 

 電車を降りるやプシューっと扉は閉まって、間もなく電車は動き始める。遠ざかって小さくなっていく列車を眺めつつ、私はあくびを手で隠した。

 

 もうすぐ大学だ。

 

 

 

「おはよー、千枝!正門前でちょうど会うなんて奇遇だね。あー、もう7時30分かぁ。1コマ目まではあと1時間くらい?とりあえず発声練習からね」

「うん!今日もよろしくね」

 

 香澄は、友澄女子の高等部からの編入生だった。1年生の頃はあまり関わり合いはなかった。交友を結ぶようになったのは2年生になってから。

 いよいよ高校の合唱部が人数不足で取り潰しになるというところで、中等部では合唱部だったけれど高等部では帰宅部になっていた私を勧誘にやってきたのが始まり。

 渋る私を引っ張り回して、私は1年ぶりに合唱に関わることになった。

 

 大学に入ってからは塾講のアルバイトで忙しく、合唱サークルなんてやるつもりなかったのだけれど、相変わらず同じ大学に入学した香澄の押しが強く、

 

「大学の合唱サークルは私が入らなくても潰れないんでしょう?」

「違うよ!友達と一緒がいいからだよ。ねえ千枝。入ろうよ〜」

 

 自分でも驚くほどに今回も抵抗したのだけど、結局香澄の仮でもいいからお願いっていう懇願もあってサークルに入る運びになってしまった。

 

 入ってみて、大会に出てどうのこうのすることもなく、大学生活における互助を行うグループとしての役割が強いことがわかった。

 テストの過去問の共有だったり、どの先生が厳しいか、どの講義がおすすめかだったり、学校生活をいかに楽に生き延びるのかという知恵の分配。

 

 合唱サークルとしての活動内容も、定期演奏会や病院へのボランティア活動などがメインで、アルバイトで手一杯の、サークル活動している余裕のない私でも居心地の良いサークルだった。

 どうやら本気で合唱をやりたい人たちはインカレの別サークルに集うようで、そちらは全国で銀賞を取ったりもしているようだった。

 

「合唱で何か成功体験をしたいわけじゃないんだよね。楽しいから合唱をしてるだけ。そういう意味では高でも人数ギリギリだったからお楽しみグループでできて良かったなあ。だから、大学でもそれくらい緩く合唱したいっていうのは道理じゃない?それに千枝とも一緒に合唱できればもっと楽しい!」

 

 大学の合唱サークルに私を誘ったときの香澄の誘い文句はこれだった。同時に、私にとっては殺し文句でもあったわけだけれど、うん。やっぱり入ってよかったなとじわじわと感じている最中だ。

 

 

 学生会館の鍵を事務所で受け取り、台帳へ名前を記入。学生会館2階のホール3に2人で入る。カバンを机に置いて、まもなくストレッチを始める。リップロールや、ホール3に備え付けのオルガンを使いながら発声練習をした後、今度扱う曲の楽譜を練習する。

 二人だけで合わせをするというのも限界はあるけれど、やらないよりはマシだ。

 

 そうこうしているうちにあっという間に1時間は過ぎて、

 

「じゃあね、千枝!土曜の全体合わせは来れそうかな?」

「うん、行けるよ。今日も付き合ってくれてありがとうね」

「そりゃあ千枝さんのためならなんとやらですよ」

 

 ニコッと笑って、香澄は理学棟へ向かっていった。

 私は文学棟へ。

 

 私は文学部の1年生だ。

 

 

 

 文学棟へ向かっている最中に雨がぽつぽつと降り出してきた。

 あと少しの距離だったから、傘を刺さないで急いで自動ドアをくぐり抜けた。

 ぺたぺたと服を手で触ってみるとあまり湿ってる感じはしない。

 

「良かったぁ。ギリギリ間に合った」

 

 ほっと一息ついた後、階段横の自販機でちょっとした贅沢。レモンティーのボタンを押して、ガコンと小気味良い音を立てたのを拾い上げた。

 こういったちょっとした出費を贅沢だと思えるようになったことにもどこか成長を感じる。元々が世間知らず過ぎたと詰られるのであれば言い返す言葉もないけれど。

 

 1限は、3階の総合講義室で行われる。

 ジェンダー学。選択科目の一つで、合唱サークルでは単位を楽に取れる科目、いわゆる楽単(らくたん)科目と教えてもらったから、私は受講した。

 毎回外部から講師を呼んで、講演の感想を書いて提出するというのみ。男女の役割・非対称性についてをこれまでの講師たちは講演してくれていた。

 

 講義室に入ると、ガヤガヤと騒がしかった。すでにほとんどの学生たちは着席しているようで、空いている席は前の方にしかなかった。

 講義室の狭い通路を進みながら一番前に座る。あまり目立ちたいわけではない私は、今回の講師が学生に質問を振るタイプの講義をしないことを祈った。

 カバンからパソコンを取り出す。パソコンの起動を待っている間に、どうやら今日用いられるであろう講義スライドの表紙が投影されていた。

 

『LGBTQの現在地と課題』

 

 私は茫漠とした意識でその文字列を眺めた。

 

 

 

 色素の薄い髪の毛が、絹のように優しく揺れていた。

 一つ年上の私よりも断然しっかり者で、世間知らずの私を導いてくれた。

 時折恥ずかしそうに私を見つめ返すところが可愛かった。

 

(沙弥香ちゃん……)

 

 3年前に、私が穢した女の子の姿が脳裏にありありと描き出された。

 

 

 

 投影され、デカデカと表示されたその文字列が、私の罪を責め立てているような気がした。

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