初恋に囚われている 作:ユープケッチャ
以前よりも周囲の目が気になるようになってきた。
下級生ではどのような空気が流れているのかわからない。ただ中学3年、私たちの代においては、明確に同性どうしでお付き合いをすることに対して、否定的なニュアンスが漂いつつあった。
それは、わかりやすいマイノリティに対する差別というよりは、同性愛という属性が齎らす不幸へと盲目的に突き進んでいこうという友澄を共に過ごす同士たちに対して、正しい人の在り方を啓蒙しようという、ある種文化人類学的傲慢さに似たお題目を正当化のための刃として振り回している感じだった。
学校に通っているだけで息が詰まりそう。こんなこと今まであったことはなかった。とにかく苦しかった。
けれど彼女たちのお題目自体が間違っているなんて言えるだろうか。
間違っていない。
なぜなら現に、くだんの先輩は亡くなってしまっているから。
先輩はどんな気持ちだっただろうか?
泥のように私の心の奥底にこびりついた思考の先で、「彼女たちは一体どんなふうに生きてどんなふうに片翼を失ったのか。」最近の私はずっと、そんなことを考えている。
鶴を折るのは久しぶりだった。
沙弥香ちゃんも誘った。怪訝な表情をして、そこに含まれる意味に思い巡らせているようだった。
沙弥香ちゃんは問いただすのを飲み込んだ様子で、いいですよと返事をくれた。
屋上に続く階段で私たちは待ち合わせをした。
私と沙弥香ちゃんが以前までの待ち合わせにしていた中庭は、現在、胸ポケットに花を飾って、卒業証書の丸筒を右手に携えた3人組が、来席した保護者に写真を撮ってもらっているところだった。
先に階段に到着していた沙弥香ちゃんは退屈そうに、そんな様子を眺めていた。
「沙弥香ちゃん、お待たせ」
「先輩」
はにかむ沙弥香ちゃんの頬が柔らかく弛んだ。
「そういえば、先輩はご両親とは写真とか撮らないんですか?」
「んー。どうだろうね。私のお父さんとお母さん、あまり私に興味ないからな〜。……なんちゃって。冗談だよ、冗談!だからそんな顔しないで。ごめんごめん、ちょっと不謹慎なジョークだったね。忙しくて来れないっていうのは聞いたけど、それくらいだよ。そんな顔して沙弥香ちゃんが心配そうにすることじゃないんだから。ね?」
「なら、いいんですけど」
最近になって、沙弥香ちゃんのことが少しだけわかるようになってきた。
それまでは部活の先輩・後輩という関係の延長線上に、パートナーとしての交際関係を置いたという関係性だった。
先輩と後輩という関係性は少しずつ消化され始めていて、恋愛という関係性がベースとして機能し始めているのを私も沙弥香ちゃんも、きっと感じ始めていたと思う。
いつも平然なんでもこなしてしまうような沙弥香ちゃんのイメージは、上級生の私にも憧れを抱かせるものだったけれど、それはあくまでも沙弥香ちゃんの一面に過ぎなくて、案外負けず嫌いの子供っぽいところもあれば、少しずつ私へのパーソナルスペースを縮めてくれているような感覚もあった。
そして、沙弥香ちゃんのことを決して冷血だと感じていたわけではないけれど、人の幸不幸に対して、沙弥香ちゃん自身気づいていないと思うけれど、繊細なところがあった。
あんな重苦しい気持ちをするのは私だけで十分。
でも、もしかすると2年生の代には自殺の話が伝わっていないのかな?
ううん。だとして沙弥香ちゃんは知らないままでいい。
「改めて、卒業おめでとうございます」
「ありがとうね、沙弥香ちゃん」
「先輩の胸についてる花も、できれば私がつけてあげたかったんですけど、その思い通りにはなりませんでしたね」
「そうだね。しかも私たちの代の部長に取られちゃったもんねえ」
「そのときに、部長……元部長から、千枝じゃなくてごめんなって揶揄われちゃって」
「そっか。……そっかあ」
「はい。少し恥ずかしかったですね」
それはそうだよね。うん、バレないはずがないよね。
「気をつけないと、これからは」
「はい?」
「ううん。なんでもないよ。揶揄われちゃって災難だったね。それで沙弥香現部長はなんて返してやったの?」
「え、いや。その。……後で会うから大丈夫ですって、言いました」
沙弥香ちゃんは俯いて顔をよく見せようとはしなかったけど、白磁のようなその肌には、赤らんだ色はよく映えた。
我慢ができなくなって、両手を伸ばして沙弥香ちゃんの右の手のひらを包み込んだ。
しばらくそのままでいた。
それから右の手はそのまま沙弥香ちゃんと繋いだままで、左の手だけ沙弥香ちゃんのおとがいに添えて、キスをした。沙弥香ちゃんは受け入れるように目を細めて、唇から力を抜いた。
触れ合うくらいのキスだった。
初めてキスをしたときから、好きってなんだろう、幸せってなんだろうって思うようになった。
キスをする度に、2人の関係性に対して冷静立っていく自分がいた。
好きな人同士が結ばれたら無根拠に幸せになれるって信じてよかったのかな。好きって言ってよかったのかな。この道は間違っていないのかな。
だから、私は。
「鶴を折ってどうするんですか?先輩の卒業式の日だから、お祝いってことですか?」
しばらくするとそれとなく沙弥香ちゃんは尋ねてきた。
「卒業式の日っていうのは偶々だよ。沙弥香ちゃん、今日は風が強いねえ」
「え。っと。そうですね。風が強くて、ちょっと寒いです」
「
「?まあ、いいですけど」
それは悼んでいたのか、未来の身代わりと託したかったのか、自分でもわからなかった。
「じゃーん。折り紙2枚だよ。鶴の折り方って覚えてる?」
「覚えてますよ。最後に折ったのもう7年くらい前ですけど、多分、大丈夫です」
「わ、すごい。私なんて昨日折り方の練習をしちゃったよ」
「練習までしたんですか」
「沙弥香ちゃんが覚えてなくても教えられるようにしたかったの」
えへへと笑う。
釈然としない表情だった沙弥香ちゃんもつられてか相好を崩した。
私が一枚、沙弥香ちゃんが一枚、鶴を折った。一つ一つの折れ目が、幾何学的に組み上げられていって、羽を広げた1羽が象られていく。
しばらくして2羽の鶴ができあがった。階段のへりの水平なところに鶴を置いた。沙弥香ちゃんも寄り添うように鶴を置いた。
「折り鶴が縁起がいいっていうのはよく言うから。いなくなった人たちにも届くといいなと思って、折ってみたのでした……!」
沙弥香ちゃんは少しだけ息を呑んだ。
それは正解でもあり不正解でもあった。今日があの日であることは偶然だった。
けれど、それら全てを包括した上で、私は鶴を1羽手にとって屋上への扉を開いた。
瞬間、風がびゅーっと強く吹いた。
私も沙弥香ちゃんも、右腕を顔の前あてて風除けにして顔を顰めた。
私は風除けになるような位置関係に回って、ポケットに入れていた理科室からくすねてきたマッチ箱のマッチを取り出して、勢いよく擦って、火を私が持っていた鶴に移した。
火はまもなく鶴を飲み込んだ。マッチの火は強い風に溶けていくみたいに消え去っていった。
「え、あの先輩」
「沙弥香ちゃんの持ってるその鶴。ずーっと捨てないで持っていてね」
「先輩?」
「約束だよ?」
そう言って一方的に指切りをした。
「嘘ついたら針千本のーます。指切った!」
炭化した鶴はボロボロになって風に溶けていった。
どこまでも飛んでいくといいと思った。この学園を抜けて、もっともっと素敵な場所まで。