装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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第一章
邂逅


――熱い。だが、あの『赤い星』の焼けつくような熱さではない。

 

砂嵐を抜けたとたん、ATが急に動きを止めた。

どうやら思ったより早くガタがきたらしい。

カメラが死んだのか、ゴーグルバイザーには何も映らなくなっている。コクピット内部にはアラート音すら響かない。

 

完全な沈黙。ただ、装甲の隙間から吹き込む風の音だけが聞こえる。

何度ペダルを踏みこんでもグライディングホイールは回らず、脚部は前に歩もうともしない。

重たい瞼を開け、手動でハッチのロックを解除する。軋む音を立てる重い装甲板を押し上げた。

 

眩しい。

サンサの赤く汚れた空ではない。目が痛くなるほどに透き通った、青い空だ。

 

コックピットから砂漠へと降り立ち、機体を見上げる。

全身くまなく被弾の跡があり、胸部左部分には何かがぶつかったような大きな凹みが刻まれていた。

 

「なんだ、ここは」

 

乾いた唇で呟き、面を上げる。

視界に広がるのは一面の砂漠。そこから遠く離れた場所に、朽ちかけた高速道路の高架と、砂に半分埋もれたビル群が見える。

文明の墓場か、それとも蜃気楼か。

 

耐圧服のヘルメットを脱ぐ。

本来なら汚染大気を吸い込む自殺行為だが、この青い空の色がそうさせたのか、身体が無意識に動いていた。

 

その時だ。

ザッ、という砂を踏む音が背後から聞こえた。

風の音ではない。明確な意志を持った足音だ。振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。

 

砂漠には似つかわしくないカラフルな衣装とスカート、首元には青いマフラー。

特徴的なのは、頭部にある狼のような耳と、頭上に浮かぶ不可思議な光の輪。

そして何より、彼女の手には無骨なアサルトライフルが握られていた。

 

彼女は、目前に立つ謎の人物と後ろにある緑色の鉄塊を交互に見つめている。

そのオッドアイの瞳は、感情の読めない、静かで冷たい湖のようだった。

 

「ん……」

 

少女は短く声を漏らすと、銃口をこちらに向けたまま小さく首を傾げた。

 

「見たことない形のロボット……それに、人? あなた、何者? ヘルメット団の新型?」

 

淡々とした問いかけ。

敵意というよりは、確認作業に近い。だが、返答次第ではそのライフルのトリガーが引かれる予感が、肌を粟立たせた。

 

謎の人物――男は、脱いだヘルメットから手を放す。ヘルメットが鈍い音をたてて砂に落ちた。

抵抗する気力も、逃げる足も残っていない。引き金が引かれればそれまでだ、という諦観がそこにはあった。

ゆっくりと両手を上げる。降伏の意思表示というよりは、状況に対して体が覚えているからそうしたという、緩慢で機械的な動作だった。

 

少女のオッドアイが、その挙動をスキャンするように細められる。

射線は外さない。トリガーに掛かった指も緩まない。だが、即座に発砲もしなかった。

男はその隙に、改めて肺いっぱいに空気を吸い込む。

 

(何故かわからない。だがここの空気は澄んでいる)

 

ほんの少し前までいたはずのサンサの大気は、戦災と酸性雨などの影響で、ガスマスク無しで息を吸えば肺が焼け付くほどの環境だった。

だが、この乾いた風はどうだ。少し埃っぽいが、驚くほど澄んでいる。フィルター越しではない、生の酸素が血液に巡っていく感覚。

この少女が軽装なのも頷ける。ここはサンサではないのか、それとも密かに環境再生でも行われたのか。

 

「武器は、本当に持ってない?」

 

少女の声が、思考を現実へ引き戻す。彼女はアサルトライフルの銃口を僅かに下げると、男の背後の鉄塊へと視線をやった。

 

「あのロボット。あそこに見える筒、ミサイルランチャーに見えるけど」

 

鋭い。内心で舌打ちしそうになるのを堪え、努めて情けない顔を作る。

 

「その通りだ。だが、見ての通りこいつはボロボロだ。操作系統がイカれている」

 

肩をすくめて見せると、少女は数秒の沈黙の後、小さく息を吐いた。纏っていた鋭利な殺気が、少しだけ丸くなる。

 

「わかった……とりあえず、撃たないでおく」

 

彼女は銃を下ろすと、背負っていたスポーツバッグの位置を直し、一歩近づいてきた。その距離、およそ三メートル。男の身体検査をするつもりか、あるいは値踏みか。

 

「私、砂狼シロコ。アビドス高等学校の二年」

 

名乗った。

どうやら捕虜として扱うか、あるいは迷子として扱うか決めたらしい。

シロコと名乗った少女は、煤けたパイロットスーツと、首から下げたドックタグをじっと見つめている。

アビドス高等学校とは何なのだろうか。文脈からして何かの組織名だと男は考えた。

 

「その服、見たことないデザイン……カイザーの傭兵にしては装備が古いし、ヘルメット団にしては痩せてる」

 

彼女は小首を傾げると、無表情のまま突拍子もないことを言った。

 

「あなた、名前は?」

 

その視線は、男の薄汚れた格好と、背後の傷だらけの鉄塊を行き来している。どう答えるか。

 

「前の名前は捨てた」

 

「?」

 

「軍から逃げ出してきた、上官を殴ってな。……気に入らないことがあった。今頃はお尋ね者だ」

 

シロコはその物騒な言葉を聞いても、眉一つ動かさなかった。

普通の少女なら悲鳴を上げて逃げ出すか、軽蔑の眼差しを向けるところだ。

だが、彼女はただ短く鼻を鳴らしただけだった。彼女自身の肝が据わっているのだろう。

 

「前の名前は捨てた、か……ハードボイルドってやつ?」

 

彼女はアサルトライフルを肩に担ぎ直し、オッドアイでじっと観察する。

その視線は男の顔とパイロットスーツ、そして胸元で揺れる金属片へと滑り落ちた。

 

「けど名前がないと呼ぶのが面倒。その首のやつ」

 

彼女が指差したのは、下げているドックタグだ。ヘルメットを脱ぐときに外に露出したらしい。

軍籍番号と血液型、そして今は脱走した部隊のコードが刻まれた、唯一の身分証明書。

かつて自分を縛っていた鎖の欠片。

 

「歩くたびに、チャラチャラうるさい……犬の首輪みたい」

 

シロコは無表情のまま、少しだけ悪戯っぽく瞳を細めた。

 

「……タグという名前はどう? どうも名前教えてくれないからそう呼ぶ」

 

シンプルすぎる命名。

だが、過去を捨て、認識票だけが残った男には、妙に皮肉が効いていてしっくりくる。

 

「タグ。文句は受け付けないけど、名前が付いたお祝い」

 

彼女はそう言うと、スポーツバッグの中からペットボトルを取り出し、放り投げてきた。

不意打ちだったが、反射的にそれを受け止める――中身は少し白みがかった水のようだ。

 

「ん……スポドリ、それあげる。喉が渇いてるから教えられないとかだったら困る。なんだったらここで干からびて死なれたら死体の処理が面倒」

 

それは彼女なりの、不器用な施しだった。

キャップを開け、生ぬるい液体を一気に流し込むと、乾ききった細胞が歓喜の声を上げるのがわかった。本来かすかな甘みしか味付けされていないはずのそれは、渇きにより数十倍の甘さになって舌を潤す。

 

「生き返った顔してる」

 

シロコは小さく呟くと、くるりと背を向けた。

 

「ついてきて、タグ。このままここにいたら、本当にヘルメット団か、もっと質の悪い連中に見つかる。学校まで案内する、先生に紹介したい」

 

彼女は保護するつもりらしい。

あるいは、謎のロボット乗りをアジトに連れ帰り、仲間に見せるつもりか。

 

「ただし、変な真似したら撃つ……上官暴行、規律を乱したか訳ありか。どっちでもいいけど、銃口は下げない」

 

背中越しに釘を刺される。その声に嘘はない。

だが、最初に向けられた殺気は、今はもう霧散していた。

飲み干した空のボトルを握りつぶし、重たい足取りで彼女の後を追おうとして、一度背後を振り返る。

シロコの制止を待たず、鉄屑同然になったスコープドッグへと歩み寄った。

――ターボカスタム特有の背部ミッションパック。その下部に固定されていた耐熱・耐砂シートのラッチを外す。

金属と金属が擦れる、聞き慣れた、しかし今はどこか悲しげな音が砂漠に響いた。

 

シロコは銃を下ろし、黙ってその様子を見つめている。

彼女にとって、機械は『道具』であり、時には弾除けや乗り物に過ぎないのだろう。

だが、男がシートを広げ、砂が精密回路に入り込まないよう丁寧に機体を覆うその手つきには、単なる整備以上の、祈りにも似た感情が宿っていたことだけは伝わった。

 

鉄の棺桶。幾度となく死地を共にした、物言わぬ相棒。

友を逃がし、神の掌から零れ落ちた果てに辿り着いたこの地で、初めて『戦い』以外の理由でこの機体に触れていた。

 

(俺は神から逃げ切れたのか? それとも神の報復なのか)

 

処刑されることすらなく、得体の知れない楽園へと放逐された。

それを幸運と呼ぶべきか、それとも戦士として戦い続けろという宿命か。

――答えは出ない。ただ、背後で待つ少女の存在だけが、ここが現実であることを告げていた。

 

「終わった?」

 

シロコの静かな声が、砂を噛む風に混じる。

彼女はシートに包まれた無骨な鉄の塊を見つめ、少しだけ不思議そうに首を傾げた。

 

「スクラップ。このあたりだと、ジャンク屋とかに持ち込めば高く売れる。でもタグ、あなたはそうしたくないみたい。大事なものなんだね、その子」

 

彼女は男の『機体への敬意』を、彼女なりの直感で理解したようだった。

彼女もまた、自分の愛銃を粗末に扱うことはないのだろう。その共鳴が、男への不信感を僅かに削り取っていくのを感じる。

 

「行こう。日が落ちると、砂漠は寒くなるから」

 

 

それから数時間ほどの行軍。

身体は疲弊していたが澄んだ空気、そして時折シロコが差し出す飲料水のおかげでなんとか意識を保っていた。

ようやく見えてきたのは、砂に埋もれつつも威容を保つ巨大な建造物。

かつては多数の学生が通学したであろうその場所は、今は静まり返り、風に舞う砂の音だけが支配している。

 

「着いた……ここが、私たちの学校。アビドス高等学校」

 

シロコが校門をくぐろうとしたその時。

 

「シロコ先輩! 偵察にしては時間がかかりすぎ、って、えっ?」

 

校舎の陰から、黒色の髪をなびかせた少女が駆け寄ってきた。

今度の少女は尖った耳が突き出している。彼女の頭上にもまた謎の光輪が浮かんでいる。

彼女はシロコの後ろに立つ、ボロボロの赤い何かを着た見知らぬ男を見て、目を丸くした。

 

「だ、誰ですか!? シロコ先輩!」

 

「ん……この人はタグ。砂漠で拾った。上官殴って軍から逃げてきたんだって。悪い人じゃないと思う」

 

「それ危ない人じゃないですか!」

 

アヤネと呼ばれた眼鏡の少女は、パニック気味に通信機を取り出そうとする。

 

――限界だった。

男はアヤネの銃口や通信機に構う余裕もなく、その場に力なく膝をつき、砂の上に腰を下ろす。

耐圧服の下で全身の筋肉が悲鳴を上げている。汗の混じった不快な熱が、冷え始めた砂漠の風にさらされた。

 

「これでも、訓練を受けた軍人という認識だったが、改める……女子に行軍で負けたとは、明日から笑い話の最先端になれるな」

 

乾いた笑いと共に漏れたその言葉は、演技ではない本音だった。

サンサの地獄を生き抜いた兵士が、平和そうな女子に体力負けしたという事実。

それは皮肉を通り越して、どこか清々しささえ感じさせた。

 

「え、ええ!? 軍人……?」

 

アヤネは毒気を抜かれたように、構えていた通信機を持つ手を下げた。

目の前で座り込み、自虐的な冗談を吐く男。そこには、彼女が想像していた凶悪な侵入者の覇気は微塵もなかった。あるのは、ただ泥のように疲れた一人の男の姿だけだ。

 

「ん……タグは嘘ついてない。さっきまで、へんな鉄の塊に乗って砂漠を彷徨ってたし」

 

シロコは当然のように隣に立ち、アヤネに向かって淡々と説明する。

彼女にとって、男が上官に暴行した元軍人であることは、すでに消化済みの事実になったようだ。

 

「シ、シロコ先輩……わかりました。先輩が悪い人でないというのでしたらいいです。もしかして先生に紹介されるつもりですか?」

 

アヤネは深いため息をつき、眼鏡を指で押し上げた。

彼女の鋭かった警戒心が、呆れと、少しばかりの同情へと変質していく。

 

「そのつもり。数日、ホシノ先輩とノノミ、セリカが学校いないから、念のため先生が来るって言ってた」

 

(先生……)

 

その言葉を内心で反芻する。二人が口にする謎の人物に、見当もつかなかった。

吸っても肺が焼けない空気、銃を持ち歩く少女たち、そして謎の先生。

アストラギウス銀河のどこを探してもあり得ないことが立て続けに起きる現状に、体だけでなく心も疲れ切っていた。

 

「とりあえず、中に入ろう……タグ、立てる? 肩、貸す?」

 

シロコが顔を覗き込み、無造作に手を差し伸べてくる。

彼女の細い指先からは、今まで縁遠かった何かの香りがした――もし人に聞けばそれは生活感と答えていただろう。

夕日が校舎を長く、赤く染め上げる。

ギルガメス軍の認識番号を捨て、ただの「タグ」となった男の最初の夜が始まろうとしていた。

 

 

「本当に大丈夫なんですか……この人」

 

アヤネが冷たい水の入ったカップをテーブルに置きながら、窓際で夜空を眺めている男を監視する。

その目は、砂漠で行き倒れていた者への同情よりも、得体の知れない軍人への強い警戒心が勝っている。彼女の指は、いつでも通信機を叩いて誰かを呼び出せる位置から動かない。

 

「ん……とりあえず、死ぬことはなさそう」

 

シロコは少し離れた場所で、脱ぎ捨てられた耐圧服のヘルメットやドックタグを観察している。

助けた張本人であるが、彼女の瞳に甘さはない。

銃火器を扱う者の距離感を保ったまま、この自称脱走兵という不確定要素がアビドスに何をもたらすかを値踏みしている。

 

「本当だったら拘束したいんですけど」

 

「この人、逃げないと思う……目が、死んでる魚と同じ」

 

そんな二人の遣り取りなど一切気にせずに、俺は窓から夜空を眺めていた。

窓の外はすでに完全な闇に包まれている。ここの夜は、サンサのそれよりもずっと静かで、冷たい。

闇に浮かんでいるのは巨大な月。サンサの汚染された大気越しに、ぼんやりと赤茶けて見えていたそれとは違う。

ここの夜空に鎮座する月は、まるで磨き上げられた銀細工のように冷たく、それでいて吸い込まれるほどに澄んだ光を放っていた。

 

「ここの月は、いつもあんなに綺麗なのか?」

 

その呟きは、あまりに場違いで無垢な内容だった。

砂漠を彷徨った不審者の口から出たのが夜景への感嘆であったことに、二人の少女は虚を突かれる。

 

「え?」

 

アヤネは手に持っていた端末を操作する指を止めた。

毒でも盛られたのかと疑うような皮肉を期待していた彼女にとって、その言葉は拍子抜けを通り越して、奇妙な薄気味悪ささえ感じさせた。

だが、その瞳に宿る感動が偽物ではないことを、彼女の論理的な思考は認めざるを得ない。

 

「月? 普通だけど……毎日、あんな感じ」

 

シロコは窓際に寄り、視線を追って夜空を見上げた。

――彼女にとっての日常。

アビドスの厳しい生活の中で、空気のように当たり前に存在していた景色。

それを拝めるものじゃないとまで評する男のバックボーンに、彼女は改めて底知れぬ何かを見る。

 

「タグ……あなたのいた場所には、月はなかったの?」

 

シロコの問いかけは静かだが、その指先は無意識にライフルを握り直している。

美しいものを見て感動する心を持っているからといって、それが無害である証明にはならないことを、彼女は知っている。

むしろ、そのような感傷を抱く男が、なぜ上官を殴り軍を脱走したなどという血生臭い真似をしたのか。その矛盾が、彼女の好奇心を刺激していた。

 

「とにかく、今は休んでください……砂漠を長く歩かれたんですよね? 相当体力を消耗したと思います」

 

アヤネが咳払いをして、不自然な沈黙を切り裂く。

 

「月がどうとか、そんな余裕があるなら体力の回復に努めてください。明日、先生が来たら、その月が珍しい場所の話も含めて、じっくり聞かせてもらいます」

 

彼女はそう言い残すと、部室の隅にある簡易ベッドを指差した。

信頼はまだ底辺、警戒の壁は厚い。

だが、この澄んだ月の光だけは、疲弊した精神に束の間の安らぎを与えていた。

 

 

 

 

 

熱砂に焼かれた鉄の棺桶を捨て、男は青い空を仰いだ。

そこは、硝煙の臭いも、酸性雨の苦みも知らぬ楽園。

だが、少女の瞳に宿る光は、銃火器の冷たさを隠しきれぬ。

ドックタグに刻まれた過去を脱ぎ捨て、男は「タグ」と名乗る。

差し出された甘い水。月はあまりに白く、そして残酷なまでに美しい。

次回、「先生」

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