装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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標的(後編)

 

時計の針は、ヒヨリが貧民街の路地裏で気を失った直後へと遡る

 

スコープドッグのコックピットから降り立ったタグは、意味不明なつぶやきの後、気を失った少女に駆け寄る

タグは手袋を外し、直接ヒヨリの体温を測る――異常な高熱、そして浅く、掠れた呼吸音。右肩と左太腿の裂傷からは、化膿した傷の腐臭が漂う

今度はヒヨリの頸動脈へ指を当てる。脈は弱く、不規則――おそらく感染症を併発している

ヘイローという超常の加護が無ければ、すでに遺体になっていてもおかしくない

 

タグは一切の躊躇なく自身のタブレットを取り出し、ある連絡先を呼び出した

数回のコールの後、相手が出る

 

「……タグさん、こんな夜更けにどうしましたか?」

 

通信の先から聞こえてきたのは、トリニティ総合学園の部活の一つである救護騎士団、鷲見セリナの穏やかな声だった

彼女が起きていてくれたことにタグはほっと一息ついた

彼がこのキヴォトスで唯一、個人的にツテを持った医療従事者である

古聖堂の戦いの後、悪夢障害に関して何度か相談している仲だ

 

「救急案件だ、要救護者一名。いくつかの銃創、右肩と左太ももに大きい裂傷、化膿しており感染症を併発していると思われる。意識不明、高熱、脈は弱く不規則。今すぐ治療を要する」

 

早口で状態を羅列するタグの、極めて珍しく切迫した、僅かに震えすら混じる声

タグは怪我や悪夢程度でこれほど余裕をなくすような男ではない――その事実が、セリナに事態の深刻さを瞬時に悟らせた

 

セリナの声色が「少女」から「医療のプロフェッショナル」へと一瞬で切り替わる

 

「現在地は? 救急車を手配しますか?」

 

「俺が運ぶ。そちらのER(救急救命室)の裏口を開けておいてくれ……訳ありの重体者だ、表沙汰にはしたくない」

 

「……わかりました。モモトークで、私が今いる病院のナビゲーションルートを送信しますのでその案内にしたがってください。こちらは受け入れ態勢を整えてお待ちしています」

 

事情を深く問いただすことなく、セリナは通話を切った

その迷いのない決断力は、戦場における優秀なオペレーターのそれに似ていた

 

タグはヒヨリの小さな身体を抱え上げると、近くに待機させていたスコープドッグ運搬用トラックの助手席に寝かせた

 

スコープドッグも手早く乗せて、降着姿勢で固定する。そして、暗闇の貧民街を抜け出し、車をトリニティ自治区の方へ向けて全速力で走らせた

 

 

聖テレサ総合病院裏、救急車両専用受付口

 

ストレッチャーを用意して待ち構えていたセリナは、タグがトレーラーの助手席から抱え出してきた血まみれの少女を見て、一瞬だけ息を呑んだ

 

ボロボロの戦闘服の意匠、そして顔立ち。手配書などで見覚えがあったのだろう――エデン条約調印式を襲撃したテロリスト、アリウススクワッドの一員であると

 

「……タグさん、この子は」

 

「助けられるか?」

 

タグの短い問い――その言葉は今も震えている

 

セリナは迷うことなく頷いた

 

「はい。私たちは救護騎士団ですから」

 

セリナと駆けつけた数名の団員によって、ヒヨリは即座にストレッチャーに乗せられ、病院の奥へと消えていく

 

その背中を見送ったタグは、一息つく間もなく踵を返した

 

やるべきことがある、政治的な事後処理だ。まず先生に連絡を付けることにした

 

 

――深夜の執務室

 

本来であればアポイントメントなしの訪問など、絶対に許されない場所だ。しかしタグの顔を見た警備の生徒たちは、僅かな戸惑いの後に扉を開けた

つい先日、死地から自分たちのトップを救い出した恩人の顔は、彼女たちの記憶に新しい

 

夜更けでありながら相変わらずの書類の山に埋もれていた桐藤ナギサは、タグの突然の訪問に目を丸くした

 

目元には隈が浮かび、エデン条約の崩壊による事後処理で、彼女が文字通り不眠不休であることは一目でわかる様子だった

 

「タグさん、いったいこんな時間にどうされましたか。……何か、緊急の事態ですか?」

 

タグは執務机の前に立ち、単刀直入に事実だけを切り出した。

 

「事後承諾になる。先程、アリウススクワッドの生徒一人を、聖テレサ総合病院のERに担ぎ込んだ」

 

ナギサの動きが、完全にフリーズした。手に持っていた万年筆が、ポトリと書類の上に落ちる

 

「……は? 今、なんと?」

 

ナギサの顔から、さぁっと血の気が引いていく

 

過労でただでさえ悲鳴を上げている胃が、さらにギリリと鋭く締め付けられるのを感じた

 

――トリニティに大打撃を与えた憎きテロリストを、あろうことか自身の自治区内の医療施設に運び込み、治療を施している

 

もしその事実が発覚すれば、ミカの件でただでさえ不安定な学園中を巻き込む大スキャンダル、いや、正義実現委員会すら制御できない暴動に発展しかねない、完全なる政治的タブーだ

 

「正気ですか、タグさん……彼女たちはトリニティの敵です! 本来であれば、発見次第即座に正義実現委員会へ引き渡し、厳重な処罰を下すべき対象。それを、よりにもよってこのトリニティの自治区内で匿うなど……到底、容認できるものではありません!」

 

ナギサがバンッと机を叩いて立ち上がり、声を荒げる

 

トリニティのトップとして、学園の秩序を守る為政者として、それは当然すぎる反応だった

タグもそれを理解しているからこそ、一切の弁明をせずに彼女の怒りを真正面から受け止める

 

「――後生だ、黙ってくれないか。先生には話を通してある」

 

タグはナギサの目を真っ直ぐに見据え、そして――深く、頭を下げた

 

「俺程度で良ければいくらでも貸しにする。……頼む」

 

その光景に、ナギサは息を呑んだ

 

あの古聖堂で、無慈悲に敵を粉砕していた兵士――死神、一騎当千、緑の騎兵など様々な異名で呼ばれるその彼が今、自分の利益のためではなく、自分たちを殺しかけた「敵であるはずの少女」の命を繋ぐために、プライドを捨てて頭を下げているのだ

 

かつて見せた兵士の姿からは想像もつかない、個人的な感情に根ざした不器用な「頼み」

その言葉の奥にある、不器用すぎる人間性と、兵士らしくない何かをナギサは感じ取ったのかもしれない

 

怒りのやり場を失った彼女は、深い疲労と共にため息をつくと、ゆっくりと椅子に腰を下ろした

 

(……この方は、本当に)

 

頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、今度は深く、長く息を吐き出す

 

つい数日前、自身の命を救い、「やれる最善を尽くせ」と道を指し示してくれた恩人からの、最初で最大の我儘

 

とはいえ、彼が背後に「先生」を存在を置いている以上、シャーレという超法規的機関との取引という名目は、強引にだが立てることはできる

 

あまり冴えた状態とはいえない頭で熟考した後、ナギサは答えを発した

 

「……もって一週間」

 

ナギサは疲労の色をさらに濃くした顔で、タグを睨みつけるように見た

 

「最低限の治療が終わるまでの一週間はどうにかしましょう。病院の特別室を、私の権限で『隔離病棟』として封鎖します。それが限界です」

 

「……感謝する」

 

「感謝など結構です。一週間後には、シャーレの責任において、必ず彼女をこの自治区から退去させること。――私に、入院患者を捕縛せよと命令させないでくださいます?」

 

タグが短く頷くのを確認すると、ナギサは再び書類へと視線を落とした。それは、この密談を終わらせるという彼女なりの合図だった

 

こうして、キヴォトスで最もあり得ない「トリニティによるアリウスの保護」という奇跡が、極秘裏に成立した

 

 

 

――そして今

 

空になった土鍋とコップが乗ったトレイを、タグは無言でサイドテーブルへと下げる

 

温かい食事が胃の腑に収まったことで、ヒヨリの全身の強張りは嘘のように解けていた

 

まだ時折しゃくりあげるような息を漏らしているが、先程までの極限のパニック状態からは完全に脱している

 

「……落ち着いたか」

 

「は、はい。あの、美味しいご飯、ごちそうさまでした……」

 

ヒヨリがシーツを胸元で握りしめながら、おずおずとタグの顔を窺う

 

敵の捕虜に食事を与え、清潔なベッドに寝かせる。その意味を測りかねている彼女に対し、タグはいつもの平坦な声で告げた

 

「お前は、一週間意識不明だった」

 

「……えっ?」

 

ヒヨリの目が、限界まで見開かれる

 

一週間――その長い空白の時間に、彼女の思考は再び最悪のシミュレーションを始めようとした

 

仲間たちはどうなったのか。ここはどこなのか。そして、この緑の騎兵を操る男は、自分からどんな情報を引き出そうとしているのか

 

(き、来ます……アリウスの機密や、リーダーたちの潜伏先を吐かせるための、身の毛もよだつ尋問が……!)

 

ヒヨリがビクッと身構え、固く目を閉じた――その時だった

 

「よく休んでおけ。明日、病室の移動をする」

 

そう言い終えると、病室の隅にあったキャスター付きの丸椅子をベッドの脇へと引き寄せ、そこに静かに腰を下ろした

そして、白衣の内側から取り出したシャーレ支給のタブレットを開き、画面に表示されたソフトウェアキーボードを叩き始めたのだ

 

“タタッ、タン……タタタッ……”

 

無機質で、規則的なタップ音だけが、静かな病室に響き渡る

 

ヒヨリには見聞きできないが、アロナがなんともいえない表情をしてタグに報告をする

 

『ナギサさんからメールです、“明日の約束を忘れないように”と一言だけです』

 

アロナが現れると画面にポップしたチャット欄を使って返事をする

 

『アロナ、シャーレのほうの手配は?』

 

『はい、用意は完了してあります。念のため医務室備え付けの設備をチェックしました、問題なしです』

 

二人のやり取りが終わる頃、ヒヨリは恐る恐る薄目を開けた

 

タグの視線はタブレットの画面に完全に固定されており、ベッド上のヒヨリには一瞥もくれていない。一見すれば眉間に微かなシワを寄せ、ひたすらに膨大な数字の羅列や報告書のセルと格闘している

 

「あ、あの……?」

 

「なんだ?」

 

画面から目を離さず、タグが短く応じる

 

「尋問とか、拷問とかは、されないんでしょうか……?」

 

「――粥に自白剤は入ってないからな。嘔吐するのは無しだ」

 

その取り付く島もない素っ気ない返答に、ヒヨリは完全に拍子抜けしてしまった

 

死神に等しい存在であった騎兵のパイロットは、事務作業を淡々と処理しているだけだ

 

尋問もなければ、アリウスの『ア』の字も出ない。ただ黙々と書類仕事を進めるその姿は、ヒヨリが想定していたあらゆる絶望的なシナリオを木端微塵に粉砕した

 

(……なんなんですか、この状況)

 

ヒヨリの知る世界――アリウス分校では、任務に失敗した者や歯向かった者は、暗い地下室で容赦なく拷問や、教育と称した折檻を受けるのが当たり前だった

弱者は強者に蹂躙され、搾取される。それがこの世界であり、生き物の本性であると

 

全ては虚しい。どこまで行こうとも全ては虚しいもの――そのことを骨の髄まで教え込まれてきたのだ

 

だからこそ、手厚い治療を施され、温かい食事を与えられた上で「何もしない」という目の前の大人の行動が、ヒヨリには全く理解できなかった

 

戸惑いはある。だが、胃を満たす卵粥の確かな温かさと、泥にまみれたスラムや母校では決して味わえなかった清潔なシーツの肌触り。そして何より、すぐ傍らで鳴り続ける『規則的なタップ音』が、ヒヨリのささくれ立った神経をゆっくりと撫で下ろしていく

 

……自分を簡単に殺せる絶対的な強者がすぐ傍に居て、だというのに一切の危害を加えようとしないという、アリウスではあり得ない奇妙な事実が、これ以上ないほどの不思議な安心感をヒヨリに与えていた

 

”タタタッ、タン……”

 

単調な電子音が、いつしか心地よい子守唄のように鼓膜を揺らす

 

極度の緊張、飢餓と死の恐怖から解放されたヒヨリの意識は、あっという間に深く、穏やかな微睡みへと溶け落ちていった

 

 

規則的な寝息が聞こえ始めたことを確認すると、タグはタブレットをタッチする指を止め、静かに息を吐き出す

 

ヒヨリが寝入ったことを改めて確認すると、ナースコールを押す

 

するといつぞやの時のように、無音でドアを開いて足音一つ立てずにセリナが入室する

 

セリナは物音ひとつも立てず、スピーディーにヒヨリの診察を済ませていく

タグがタブレットをセリナに向ける。大文字でこう書かれている

 

(明日シャーレに移す。今ナギサから確認が来た)

 

セリナは差し出された画面をタッチして文字入力をする

 

(車手配します)

 

画面を確認したタグが続く

 

(頼む)

 

再び足音一つ立てずに病室から退室するセリナ

 

見習いたいスキルだな、と考えつつ寝入ったヒヨリの横でデスクワークの続きをする

 

 

――翌日

 

病室には、ブラインド越しではあるが朝の陽光が微かに差し込んでいた

 

「おはようございます、ヒヨリさん。気分はどうですか?」

 

ノックと共に、ヒヨリの病室に現れたのは、ナース姿のセリナだった。ヒヨリは昨日目覚めてから、何度か彼女と言葉を交わしていた

 

「あ、はい……すごく体が軽くなりました」

 

「熱は下がってきています。感染症が重度化しなかったのは幸いです」

 

セリナは微笑みながら、真新しいガーゼを手際よく当てていく

 

その神業のような治療技術と、あまりにも清潔で整った環境――ヒヨリは昨晩の安心感とは別の、底知れぬ疑問が湧き上がっている

 

「……ヒヨリさん、タグさんから聞かれていると思いますが、今日病室の移動があります。その時に目にするよりは、今目にするほうがいいと思います。ゆっくり、ゆっくり開けますから落ち着いてください」

 

その疑問は、セリナが病室のブラインドを数十秒かけて開け放った瞬間に、極限のパニックへと変わった

 

窓の外に広がっていたのは、少し前まで標的として何度も写真や映像で見返していた街並みだ

 

眩しすぎるほどの陽光と、それに照らされる白亜の建造物

 

手入れの行き届いた緑豊かな石畳の道を、平和に談笑しながら歩く生徒たちの姿

 

ずっと暗く冷たい母校で、憎しみと絶望だけを教えられてきたヒヨリにとって、その光景はあまりにも眩しく、自身の存在を根底から否定するような圧倒的な『光の暴力』だった

 

そして同時に、ここが彼女たちアリウスにとっての不倶戴天の敵地――トリニティ総合学園の自治区の中心であるという残酷な事実を突きつけていた

 

「ひっ……!?」

 

ヒヨリの喉から、声にならない悲鳴が漏れた。

 

「ど、どうして……っ! どどど、どうして私がトリニティの施設に……っ!?」

 

顔面から血の気が失せ、過呼吸のような荒い息が病室に響く

 

自分と仲間はエデン条約を歪曲し、それを利用してトリニティ自治区を火の海にしようとした。そして成功まであと一歩まで迫ったテロリストだ

 

――手厚い治療を施され、綺麗なパジャマを着せられた理由がわかった。これからテロリストに対して行う、残酷な尋問の苦痛を少しでも長引かせるための『下準備』に他ならない。そう直感したのだ

 

「やっぱりそうだったんですね。この後は正義実現委員会の恐ろしい人たちに引き渡されて、爪を一枚ずつ剥がされたり、見せしめにサンクトゥムタワーから吊るされたりするんですね!? 」

 

半狂乱になって叫ぶヒヨリ

 

(被害妄想が強い。言葉に出している間は放っておけ、もし押し黙ったら鎮静剤を用意してくれ)

 

と、事前に聞かされていたセリナは苦笑いをしつつ、その言葉の主の行動を待つ

 

逃避行動に走り、窓から遠ざかろうとベッドの端で丸まるヒヨリの肩を、背後から乱暴にならないように手で押さえつける人物――いつの間にか病室に現れていたタグだ

 

「……落ち着け」

 

「む、無理ですっ!だってここ、トリニティじゃないですか!殺されます、絶対に殺されますっ!」

 

「ティーパーティーには頭を下げてきた」

 

いつも通りの平坦で抑揚のない声。だからこそパニック状態のヒヨリの聴覚に鋭く突き刺さる

 

「俺と先生が保証する、安全だ。その上でここを利用させてもらっている。今日までだがな」

 

その言葉を聞いた瞬間、ヒヨリの時が止まった

 

『大人が、自分を保証する』

 

ヒヨリのこれまでの人生において、大人が自分を守ると約束してくれたことなどただの一度もなかった

 

彼らは常に奪い、騙し、利用し、最後にはボロ雑巾のように見捨てる存在だった

 

だからこそ、そのたった一言が持つ異様なまでの重みと温かさが、ヒヨリの心に強烈な楔を打ち込んだのだ

 

背後から伝わるタグの揺るぎない力と、目の前で一切の動揺を見せないセリナの微笑みに挟まれ、ヒヨリは徐々に、だが確実に過呼吸を鎮めていく

 

「ほ、本当に? 本当に、何もされないんですか……?」

 

「ああ。お前が朝食を取ったらここは引き払う。その後はシャーレ内の医療施設で療養してもらうぞ」

 

「……シャーレへ?」

 

「そうだ。……あちらに移ったら、お前に会わせたい奴がいる。期待してていいぞ」

 

タグはセリナに「車で待つ」と言い残すと、病室を出て行った

 

残されたヒヨリは、シーツを握りしめたまま、その言葉の真意を必死に探っていた

 

“会わせたい奴”それが誰なのか、彼女には見当もつかなかった

 

もう動かなくなるはずだった人生の歯車が、また回りだしたことを感じているヒヨリは、明日もう一度大きく動くことだけは確信した

 

 

 

――シャーレ居住区画

 

タグの宣言通り、ヒヨリはトリニティ自治区から、シャーレ施設内にある医療用の個室へと移送されていた。無機質だが、最新の設備が整った清潔な病室である

 

ベッドの上のヒヨリは、ここが敵地ではないことに安堵のため息を吐いた直後――個室のドアが控えめに開いた

 

「……あ」

 

ヒヨリはベッドから身を乗り出した

 

そこに立っていたのは、見慣れない清潔なパジャマ姿の少女だった。ひどくばつの悪い、どこか所在なげな表情を浮かべている

 

「ミ、ミサキさん! 生きてた、また会えたぁ!」

 

ヒヨリは両手で顔を覆って泣き出した。入ってきた少女は戒野ミサキだ

 

「……大声出さないで、ヒヨリ。一応ここ病室だから」

 

ミサキは感情を押し殺したような平坦な声で言いながら、ヒヨリのベッドの傍らまで歩み寄る。言葉とは裏腹に、彼女の手はしっかりとヒヨリの震える背中に置かれた。

 

「生きてたって、それは私が言いたい。……はぐれた時、もう二度と会えないって思ってたから。リーダーと姫も同じ思いだから」

 

「今生の別れ、ってやつですね。まあそうはならなかったんですが、へへっ……」

 

ふと、ヒヨリは気づく

 

ミサキが受けた傷は、あの『緑の騎兵』から放たれた機銃による全身への複数の銃創。ヘイローの加護がなければ、肉片すら残らないほど数えきれない数だった

 

だが、ミサキのパジャマの隙間から見える肌には、真新しいガーゼが当てられて治療されている。顔まで、ガーゼとその固定テープまみれなのには少し笑ったが

 

「ミサキさんのほうはどこで見てもらったの?」

 

「知らない。私は四日前にあの騎兵に捕まった後、目隠しされた。尋問かと思ったら、病院に叩き込まれてこの有様」

 

ミサキは自嘲気味に呟き、自身の腕をぼんやりと見つめた

 

「私たちみたいなのにこんな真似をするなんて、意味がわからない」

 

自分たちを使い捨ててきたアリウスの大人とは対極にある、完全なる無条件の救済

 

ミサキにとって、その事実は命を奪われることよりも収まりが悪く、彼女の虚無感を揺さぶるものだった

 

「……そっちも同じみたいね。病院にいる間、誰か隣にいたの?」

 

「いました。えーっと、実はお名前聞いてなくて……」

 

「身長160cm前後。私より小さくて、ヒヨリよりは大きい男。シャーレのロゴが入った白衣を着用していて、目つきと顔つきはキツく、声はしゃがれた男」

 

ミサキは思い出すように、その男の特徴を並べ立てる

 

「……それに、一切の感情を持たない、まるで化け物そのものみたいな冷たい目をした男」

 

「あ、はい!その人です」

 

「ヒヨリ、もしかしてとは思うけど、体売るとかそういう類の話はした?」

 

「ミサキさん、しちゃったんですか?」

 

「……情けないけど、死にたくないって思った程度には怖かったね」

 

あの時の、絶対的な死の気配――すべてを無意味だと断じていたはずの自分が、本能の底から『恐怖』を抱かされた男の姿を思い出し、ミサキは小さく息を吐いた

 

互いの姿を見比べる

 

「……これ、治療費とか、後からどうなるんだろう。ああは言われたけど臓器どころか、人生を前払いさせられるのかな」

 

ヒヨリのネガティブなつぶやきに、ミサキは反論できなかった

 

ミサキ自身も、自分達を拾い上げた騎兵を操る男と、それを背後で操る先生の真意が読めず、深い警戒と戸惑いの中にいたのだ

 

 

 

――同時刻。トリニティ総合学園、ティーパーティー執務室

 

タグは、ナギサの前に立っていた

今度は深夜の強襲ではなく、アポイントメントを取ったうえでの正式な訪問である

 

「身柄の移送は無事に完了した。改めて、感謝する」

 

タグは短く頭を下げた。だというのに目前の少女は明らかに怒りを発していた

ナギサは手に握っていた資料をテーブルに静かに置くと、タグを見つめ返す。その瞳には、タグの目で見ても明らかに怒りの炎が燃え盛っている

 

「……私も言葉足らずと批評されることは多々ありますが、タグさんも同じでしたか」

 

「どういう意味だ」

 

脈絡のない話にタグがつい聞き返す。そこが怒りの分岐点だった

 

「どうもこうもありません! 何故、彼女の容態を初めに話さなかったのですか!?」

 

――テーブルにはヒヨリのカルテのデータと、医者の所感が書かれている報告書が広がっている

所感を要約すると――タグの救助が少しでも遅れていた場合、間違いなく患者は死亡していたであろう、という残酷な事実が記載されている

 

「つまりこうか。患者が死に瀕していると言えば、お前は無条件で受け入れたと?」

 

「ええ、当然ですわ! 救護の精神に反することなどできませんから!」

 

その返事を聞いたタグは、「やはりな」と呟く

 

「だから話さなかった。話せばお前は間違いなく感情論で動き、為政者としての判断を間違えるとな」

 

「……ッ」

 

「俺は目的の為に頭を下げた。お前はそれを俺への『貸し』にして、何かあった時に俺から徴収すればいい」

 

「何故……何故、わざわざ悪者のような振る舞いをしてまで、そんなことを?」

 

「でなければ、お前は誰にも頼らない」

 

「!?」

 

「ヒヨリをERに預けた後、先生と相談した時に教えてもらった。誰かに頼ることを覚えないと、ナギサは潰れる、とな」

 

「まるで似たような方々を、たくさん見てきたとおっしゃるのですね」

 

「俺は知らんが、先生は見たそうだ。真面目故に、すべてを一人で抱え込んで潰れそうになる生徒が多い、とな」

 

「……」

 

無言でカップの紅茶を一口含むナギサ

 

タグの指摘は、ナギサの心の最も柔らかく、痛む部分を的確に突いていた

 

もし自分が、誰かに弱みを見せ、頼ることができていたなら――疑心暗鬼に囚われて親友や、無関係の人を切り捨てるような真似はしなかったのではないか

 

ミカを孤立させ、補習授業部の生徒を退学寸前まで追い込み、エデン条約をあのような凄惨な結末へ導いてしまった後悔が、胸の奥から込み上げてくる

 

そして震えるようなため息の後、こう返した

 

「もっと早く、先生と貴方にお会いしたかった。……でしたら、私とミカは……」

 

ナギサの顔が俯く。そして、堪えきれなくなったように両手で顔を覆った

 

テーブルに水滴が落ちた――顔を隠したナギサの両手からこぼれたものだ

タグの脳裏に、形を成さない記憶がフラッシュバックする

心臓が嫌な音を立てて跳ねる。……これ以上、ここには残りたくない

 

「失礼する。何かあれば話を聞く」

 

タグは逃げるように踵を返し、足早に執務室から立ち去った

ひたすら絶えざる訓練と精神の強化により完成した兵士――その男にとって少女の泣き顔を見るのは、過去を呼び覚まされるようで恐ろしかったのだ

 

 

 

政治的な取引は、こうして静かに決着を見た

そして向かう先は、シャーレの病室で身を寄せ合う二人の少女の元――「スカウト」の時間が始まる

 

 

 

 

流す涙を背にして逃げる兵士

過去と現在、女の涙という形で胸を蝕む

足掻いた先で、新たな涙に囚われるのも宿命か

道標を持たぬ迷い子に、明日へ繋がる今日を与えろ

 

次回「結成」

 

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