装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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陥落

トリニティ総合学園、数あるテラスの一つ

 

 

最高級のダージリンの香りが漂う、トリニティ総合学園の中枢に位置する美しいテラス。

しかし、そこに用意された見事な茶器を囲む三名の少女たちの間に、茶会を楽しむような穏やかな空気は微塵も存在しなかった。

 

ティーパーティーのホストである桐藤ナギサ、救護騎士団の団長である蒼森ミネ、そしてシスターフッド代表の歌住サクラコ。

 

トリニティを牽引するはずの上位者たちは、完璧に張り付いた優雅な微笑みと、淀みない慇懃無礼な敬語の裏で、互いへの不信感を隠そうともせずに見えない刃を交え続けている。

 

(……美しい花園の裏側は、疑心暗鬼の泥濘だったか)

 

冷え切った三者のやり取りを静かに観察しながら、先生は味のしない紅茶を喉へと流し込んだ。

 

誰もがこの学園を良くしようと、自分なりの正義と矜持で動いていることは知っている。

だが、先のエデン条約前に引き起こされた聖園ミカの破綻したクーデター、その前代未聞の裏切り劇が、彼女たちの間に決定的な、修復困難な亀裂を生んでしまっていた。

 

「エデン条約の破綻」「アリウス分校という敵」「ミカの反逆」という事実を前に、どの分派も他者を完全に信用することができなくなっている。

 

表面的には協調を装いながらも、些細な言葉の端を捕らえ、互いの腹を探り合う陰惨な関係性。

この巨大な学園の政治機構は今、砂利が詰まり切ったギアのごとく、ひどい動作不良を起こしているのだ。

皮肉なことに、この場において最も現実的で冷めた意見を発するナギサが、逆に異端の立場として孤立しつつあるようにすら見えた。

 

(当分、自分のスケジュールをトリニティに厚く振り分ける必要があるな……)

 

先生は、目の前で繰り広げられる優雅な毒舌の応酬と、自身の過密なスケジュールの調整という難行を前に、誰にも悟られないように深く、重い溜息を紅茶のカップへと落とした。

 

 

茶会を辞した足で向かったのは、セイアの病室である。

 

眠りから覚めたとはいえ、依然彼女の容態はよくない。部屋からほぼ出歩かないという事実は、学園全体に知れ渡っている情報だ。

 

病室内、純白のベッドで上体を起こしている百合園セイアの瞳は、ひどく焦点がぼやけていた。

冷え切った手でこちらの袖を強く握りしめ、浅い呼吸を繰り返しながら、セイアは虚無を見つめて呟き続ける。

会話が成立することもあれば、唐突に脈絡のない言葉を口走り、破綻することもある。

根気よく彼女との会話を続けているが、突拍子の無さに先生自身もメンタルダメージを受けている。

 

(彼女は、嘘は吐いていない。だが……)

 

ひどく怯えた瞳と、不規則に明滅するヘイローを見る。

未来視という彼女の特異な神秘が、彼女自身の精神を限界まで削り取っている。

彼女自身が語るところによると見えるものは、断片的で不確定の未来のビジョン、あり得た可能性の世界線の光景。時には自身が、その事象に立ち会っていると錯覚するほどのリアルな光景。

彼女は、理性と正気を犠牲にしてそれらを観察しているのだ。

 

第三者から見れば、完全に正気を失い、心が壊れかけているようにしか見えないだろう。

彼女の言葉から情報を拾い上げることはできるが、そのすべてを現在の現実として鵜呑みにするのは危険だ。

 

 

そして最後に足を運んだのは、地下に設けられた特別房。

 

空調と調度品が完備された高級な部屋だが、分厚い鋼鉄の鉄格子がここが「牢獄」であることを示している。

重い錠を解いて室内に入ると――

 

「きゃは☆先生待ってたよ!また会いに来てくれてありがとう!」

 

ベッドから弾かれたように立ち上がった聖園ミカの笑顔は、明るく、そしてひどく歪だった。

 

世間話やナギサの様子などを伝える――その最中、先生は意を決して、退出のために鉄格子の扉へと歩み寄りながら、先ほど見てきた事実を静かに告げた。

 

「……さっき、セイアに会ってきた。彼女は今、ひどい悪夢と幻覚に苦しんでいる」

 

その重い事実を口にして、先生が退出のため鉄格子の扉に手を掛けた瞬間――

 

背後から追ってきたミカが、その鋼鉄の格子を強く掴んだ。

ギリッと物理的な万力に掛けられたように鋼鉄がひしゃげ、軋む異音が鳴る。

彼女の細腕からは想像もつかない常軌を逸した力が、隠しきれない激しい動揺と、底知れぬ罪悪感を物理的に証明していた。

思わぬ形で彼女の力の発露を直視した先生は、背中に汗が湧きだすのを自覚した。

 

「……そっか。やっぱり、私のせいだよね……」

 

明るく取り繕おうとしていた声のトーンが、不自然なほど急激に落ちる。鉄格子をへし曲げんばかりに握る手は、白く血の気が引いていた。

 

「……前に会いに行った時も、上手く話せなかったし。どうせ私なんて、友達を裏切って傷つけた、悪い魔女だもんね……」

 

冷たい地下室に響く、荒く、湿った呼吸音。彼女の心は罪悪感の泥沼に沈んでいる。

俯き、前髪で表情を隠すミカ。

対して先生は振り返り、彼女の頭に手を置き、ゆっくりと撫でる。

 

「逃げずに、もう一度顔を見せておいで。何度でも向き合うべきだ」

 

「……先生」

 

ミカがバッと顔を上げる。その瞳には、今にも泣き出しそうな縋るような色と、重く暗い依存の感情がドロドロと渦巻いている。

ミカの震える両手が、頭を撫でていた腕を捕らえ、自身の頬に強く擦り付けた。

 

「先生……私のこと、見捨てないでね。私がどんな悪い子でも、ずっと一緒にいてくれるよね……?」

 

なんとか彼女をこの泥沼から引き上げようと試みるが、一人では到底力が足りない。

――アプローチを変え、もっと彼女の本質に寄り添える形でなければ、この歪な依存はいつか決定的な破綻を迎えてしまうだろう。

 

 

 

D.U.外縁部、放棄された廃工場区画

 

 

ツンとする硝煙の匂いと、粉塵が舞う乾いた空気が辺りを覆っている。

戦闘エリアからやや離れた工場の屋上で、狙撃姿勢を取る槌永ヒヨリ。傍らには観測手兼護衛用の飛行ドローンが浮遊している。

 

「――」

 

かつてタグとの戦いで見せたように、一切の感情を廃した表情で狙いを定める。

ヒヨリの指がトリガーを引く――肩口に反動。直後数百メートル先、狙いを付けた所属不明のオートマタの頭部が破裂する。

バズーカ等の重火器を所持するオートマタが姿を現す度、それらは最優先のターゲットとして、武器を構える前に次々と頭部を撃ち抜かれていく。

その的確な脅威排除の様を見て、タグは一切の無駄を省いた精確な狙撃手ぶりに、かつて戦場で嗅いだ冷たい空気を幻視していた。

 

ギリギリまで追い込まれた経験のあるタグは、今生きていることが奇跡的であると思っている。

何か一つでも守りが欠けていれば、自分の頭もあのオートマタと同じようになっていただろう。

 

『あ、あの……隊長に危険そうな敵は、だいたい排除終わったと思います。たぶん……ですけど』

 

(この微妙な自信の無さは――まあ持ち味か)

 

タグは無理に矯正する必要は無いと判断する。

 

「そのまま警戒を続けろ」

 

ターレットレンズが回転し、オートマタの集団を捉える。

スコープドッグの移動を停止、新しく製造したヘヴィマシンガンで斉射を開始する。

安定姿勢から放たれる正確な火線がオートマタを次々と破壊していく。

 

「ミサキ、戦車を確認。トップアタック用意、リンク完了」

 

『……了解』

 

戒野ミサキが、ダウナーな声で応じる 。

彼女は廃棄された作業用車両やコンテナを遮蔽にして騎兵に随伴していたのだ。

肩に担いだロケットランチャーのモードセレクトをトップアタックに切り替え、砲口を上空の何もない方向へ向ける。

 

『ターゲット、ロック完了。三両いるぞ』

 

「三両ね……撃つよ」

 

トリガーを引き、空中へ対戦車ミサイルを放つ。ミサキは着弾を待たず、続けさまに背負ったバックパックから新しいミサイルを取り出し、再装填。

スコープドッグが次の目標へとロックオンを移す――その淀みない動作を三度繰り返す。

 

観測情報を元に、発射されたミサイルは一度高度を上げた後、方向転換する。そしてミサイル自身のシーカーを使い、重力と自身の推力を合わせた速度で、ロックした戦車の上面装甲に垂直に突き刺さった。

成形炸薬弾によって戦車内部を完全に破壊。数瞬後、大破炎上させる。

 

ミサキの耳にも着弾の轟音が三度届いた。そして遠方からでも見える、巻き上がる炎と爆風が、戦車を無効化したことを証明していた。

 

有効打を全て失ったオートマタ集団を、スコープドッグがそのまま蹂躙し続ける。

ミサキは現場に駆け寄ると、ヘヴィマシンガンでやり損ねた半壊状態のオートマタに、ハンドガンでトドメを刺していった。

 

「……隊長、こっちは始末つけたよ」

 

作戦行動中は『隊長』と呼ぶようタグから指示されていたミサキは、ダウナーな声色を変えないまま通信を入れた。

 

『こちらもクリア、次のエリアに回る。補給を済ませておけ』

 

地響きを鳴らせながら二足歩行でミサキに近寄るスコープドッグ。

 

『あ、でしたら10分ください。残弾30%切ったのでトラックから補給したいです』

 

廃工場の屋上で行動をするため、補給に時間のかかるヒヨリからの連絡。

 

『了解した』

 

ミサキのほうは近寄ってきた犬型の四脚型ドローンの背から弾頭を自身のバックパックに収め、次に冷却材をつかみ取ると交換作業に入る。

 

 

「……隊長はいつもこういうことしてるの?」

 

少し時間があるからか世間話を切り出すミサキ。

 

『そうだ。キヴォトス各地で所属不明のオートマタ、機動兵器、戦闘車両で構成される部隊が確認されている。周辺住民や生徒が近づくと無差別攻撃を行うので、その都度こうして駆除している』

 

「シャーレのやること?」

 

『連邦生徒会直々の依頼、だそうだ。ATの使いどころというやつだ』

 

「……まあ確かにこの戦果出せるならそう考えるね」

 

『とはいえ戦車の類はどうしても厄介だ。市街地や工業地帯ならば遮蔽物を使えば問題ないが、開けた場所では流石に不利だ。重装甲故、弾も浪費する』

 

「そのための随伴歩兵、ってことね」

 

『そちらの狙撃と火力支援には助かる。重装備にも限度があるからな』

 

ほどよくヒヨリから通信が入る。

 

『ほ、補給終わりました。ドローンって便利ですねぇ……いつもみたいに重たい銃弾を背負って、梯子を何度も上り下りしなくていいなんて……うぅ、それだけで心が折れずに済みそうですぅ……』

 

『本来はちゃんとした護衛を付けてやりたいが、まだ人手不足だ。ないよりはずっとマシだがあまりアテにするなよ』

 

『わかりました』

 

ヒヨリとミサキの補給が終えたことを確認したタグは、残るエリアの掃討を開始するためにフットペダルを踏み込む。

グライディングホイールの回転数が上がり、再び地を駆け出すスコープドッグは次の目標へと進む。

 

 

『戦闘終了だ』

 

タグがそう言い終えた時、この区域で騎兵とミサキ、ヒヨリ以外に動くものはもうなかった。

この区画全体にいくつもの黒煙が立ち上っている。その全てが一日で駆逐した場所の証であった。

廃工場跡に現れた暴走オートマタ集団はこうして鎮圧された。

 

 

D.U.中心へ向かうハイウェイを一台の運搬トラックが走る。

シャーレのエンブレムがドアに印字されているそのトラックには三人が乗っていた。

運転席にミサキ、助手席にヒヨリ、後部座席にタグの配置だ。

廃工場区画での掃討を終えた帰りである。

 

「……シャーレに戻らない?」

 

ミサキが訝しげに聞く。

 

「途中で食事をとる。駐車場所は予約してある、ナビに飛ばしておくぞ」

 

後部座席でタブレットを操作するタグがそう言うと、ドライブナビゲーションが新たな場所を指示する。

 

「……隊長、ここ駐車場じゃないんだけど」

 

場所が中央区の大通りを示しており、誰がみても駐車場でないことは明らかだ。

 

「ヴァルキューレの指定だ。向こうの好意で、トラックとATの駐車場を用意してくれてもらっている。駐車中は護衛もしてくれる」

 

至れりつくせりの対応にヒヨリが質問をする。

 

「あ、あの……隊長って、もしかしてあっちで人気者なんですか?」

 

「週に一度、向こうの活動にシャーレとして手を貸している。その対価の一つだ」

 

「……っていうことは私たちも今後はそれに参加するの?」

 

「いや、必要ない。お前たちを動員するのは今回のような俺一人では手が足りない時だけだ。食事をとり終えた後は、適当に自習をしろ。あとは自由だ」

 

「え、あの……特に連れ回して、見せ物にしたりしないんですか? ほら、偉い人がよくやるみたいに、自分の部下として誇示したりとか……」

 

「何故そんな無駄なことをする必要がある?お前たちを連れ出すメリットは?その時間があったなら、武器のメンテと体調管理を命令する」

 

「あ、はい……」「……」

 

なんというか、実利一辺倒のタグの対応にミサキとヒヨリはひたすら困惑する。

休養、勉強、自由時間、そして給与――全てが揃っている理想的な環境というものが急に手に入ったのだが、どう消化すればいいのか持て余しているのだ。

 

「予定があるのなら食事後自由解散でもいい」

 

言い終えるとタグは再びタブレットの画面に目線を落とす。今回の作戦で要した経費申請、報告書、ヒヤリハットを作成することに集中しているのだ。

 

 

ヴァルキューレの生徒に車を預けると、三人は最寄りのファミレスによった。

自動ドアが開き、明るすぎるほどのLED照明と、ハンバーグの焼ける脂の匂い、そして軽快BGMが三人を包み込む。

 

「ひっ……!?あ、明るすぎます」

 

ヒヨリが両手で目を押さえる――狙撃手として鍛えた目には少し毒だったようだ。ミサキもまた、周囲で談笑する一般生徒たちの姿をひどく警戒し、背中のロケットランチャーのストラップを無意識に強く握りしめていた。

タグは二人を促し、奥のボックス席へと誘導する。

柔らかいクッションの効いたソファに、腰を浅くして座るミサキとヒヨリ。どちらも武器はすぐ手に取れる状況だ。

 

タグはテーブルの端にある黒いタブレット端末を引き寄せた。

 

「ただのレストランだ、警戒する必要は無い。……まさか来たことがないのか?」

 

その問いに、ヒヨリがビクッと肩を跳ねさせ、ひどくおどおどとした視線をタグに向ける。

 

「レ、レストラン……!? そ、そりゃあ、ゴミ捨て場から拾った雑誌の切り抜きで見たことはあります! でも、私なんかがそんな贅沢な場所に入れるわけが……っ!普段は消費期限切れの戦闘食糧とか、安売りのパンの耳とか……そういうのしか……」

 

自身の言葉で最悪の想像に行き着いたのか、ヒヨリの顔がみるみると絶望的な色に染まっていく。

 

「やっぱり、ここで油断させておいてから、一生分の借金を背負わせる気なんですねぇぇっ!」

 

と、涙目で自身の膝を強く握りしめた。

タグは信じられないものでも見たかのように、視線を横にずらす。隣に座るミサキは、目を伏せ、吐き捨てるように言った。

 

「……別に。食事なんて、ただ飢え死にしないためのカロリー摂取でしょ。こんな無駄に明るくて、敵に位置を知らせるような無防備な場所で食べる意味がわからない……どうせ、味なんてしないんだから」

 

強がるような言葉とは裏腹に、ハンバーグの焼ける匂いに刺激されたのか、ミサキの喉が微かに動き、唾を飲み込む音が聞こえた。

この環境下でもよく聞こえるしゃがれた声を放つタグ。

 

「今日は俺が選んでおこう。食べられないものやアレルギーはあるか?」

 

その問いに二人は無い、と答える。

タグは手早く、人数分の注文を確定させた。

 

 

――数分後

 

店員がハンバーグステーキセット、ライスとサラダ、スープ付きで三人分カートに乗せて運んできた。熱した鉄板に乗せられたハンバーグから、ジュージューと油が跳ねる音がテーブルに響く。

甘辛いソースの焦げる強烈な匂いが、ヒヨリの鼻腔を真っ直ぐに突き抜けた。

 

“きゅるるるるるるぅぅぅっ……”

 

ヒヨリの腹部から、一切の理性を吹き飛ばす盛大な音が鳴る。

店員が手早く料理をテーブルの上に広げていく。

 

「あ、あ、あの……お会計は……本当に……?」

 

「シャーレの経費だ。俺が払う」

 

その言葉を聞いた瞬間、ヒヨリのストッパーが完全に外れた。

フォークとナイフを不器用な手つきで握りしめ、さっそく、ハンバーグの塊を切り分け、その一つを口に放り込む。

熱い肉汁と、濃厚なソースの味が舌の上に広がる。

 

「あふっ、はふっ……! 美味しいです……熱いですけど、美味しいですぅ……!」

 

ヒヨリの目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ち、真新しい服の太ももにシミを作っていく。まだ残っている恐れと警戒を、圧倒的な「食欲」と物理的な温かさが塗り潰していた。

 

向かいの席では、ミサキがスプーンを手に取り、静かにハンバーグを口に運んでいた。

表情の起伏こそ乏しいが、咀嚼のペースは明らかに早く、順々にライス、サラダ、スープ、ハンバーグと口に含んでいく。

 

「……」

 

タグはプラスチックのコップに入った冷たい水を喉に流し込み、ただ無言で、食事に夢中になる二人の少女の姿を視界に収めていた。

そして自身もハンバーグステーキに手を付け始めた。

 

 

熱い肉汁とソースにまみれたハンバーグが、あっという間にミサキとヒヨリの皿から消えていく。

その猛烈な咀嚼音を聞きながら、タグはふと湧いた疑問を口にした。

 

「……そういえば、お前たちが病院とシャーレで保護されていた時に出された食事はどうだった。味はしたのか?」

 

ヒヨリの手がピタリと止まる。

口の周りにデミグラスソースをべったりとつけたまま、彼女は少し考えるように視線を宙に泳がせた。

 

「びょ、病院のご飯ですか? ええと……お粥とか、柔らかく煮たお野菜とかでした。その……ものすごく温かくて、涙が出るほど美味しかったんです。でも……」

 

ヒヨリは手元の空になりかけた鉄板と、自分のフォークを見比べる。

 

「今こうして、この『ハンバーグ』っていうお肉を食べてみたら……病院のご飯は、お塩の味が全然しなかったなって。なんだか、お湯を飲んでるみたいな薄さだった気がしてきました……。

あ、もちろん! 食べさせてもらったこと自体は、地べたを舐めるよりずっと感謝してるんですよ!?」

 

後から何か請求されるのではないかと焦ったのか、ヒヨリは慌てて両手を振って言い訳を重ねる。

向かいの席では、ミサキが使い捨ての紙ナフキンで口を拭きながら答える。

 

「……病院にいた時は警戒して何も口にできなかった。シャーレで、ヒヨリと合流してからは口にしたよ。シャーレの食事、私はまあまあ味がしたかな」

 

ミサキは空になった鉄板をじっと見つめる。

 

「……でも、これは違った。油と塩の塊みたいで、暴力的に味が濃くて……口の中が痛いくらいに主張してくる」

 

「これは外食だからな。スパイスと塩分が強めの傾向になりやすい。人はそういう分かりやすい味を好む」

 

タグは淡々と解説し、彼女たちの味覚が、長年の貧しい食生活による麻痺状態から、この暴力的な塩分と脂質によって強制的に引きずり起こされたのだと理解した。

 

「……そう。だから、気持ち悪い」

 

――これはいけない、とタグは直感した。

 

「予定を変える。休んだら、一旦シャーレに帰るぞ」

 

その後、タグから“ミサキとヒヨリの食生活の改善が急務である”と報告を受けた先生の行動は早かった。

事態の深刻さを悟り、すぐさま各学園の専門家たちへ招集をかけたのだ。

 

 

 

――それから数時間後

 

シャーレの居住区画に併設された、広く清潔な調理室。急遽先生の呼び出しに応じ、三人の生徒が集結していた。

 

医療方面のプロフェッショナルとして、トリニティ総合学園・救護騎士団の鷲見セリナ。

学生への給食というアプローチから、ゲヘナ学園・給食部の愛清フウカ。

科学的な栄養面のアプローチは、ミレニアムサイエンススクール・エンジニア部の豊見コトリ。

 

先生は彼女たちを前に、少し申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「急に集まってもらってごめんね。実は、保護した二人の生徒のことで……今後どうすればいいのか、意見が欲しいんだ」

 

タグから報告されたファミレスでの惨状──味覚の麻痺と、脂質と塩分の塊に対する飢えた獣のような反応を共有すると、三者の表情が一様に険しくなった。

 

「……なるほど。状況は理解しました」

 

セリナが顎に手を当て、医療従事者としての冷静な声で口を開く。

 

「ヒヨリさんの初期治療を担当した際にも軽度の栄養失調は見られましたが、そこまで味覚と消化器官がダメージを受けているとなると、急激なジャンクフードの摂取は胃腸炎や内臓への致命的な負担を招きます。医療方面からは、まずは消化酵素の分泌を正常に戻すための段階的な食事療法……いわゆる『回復食』の徹底を強く推奨します」

 

「すまん、あそこまで食事環境がお粗末だとは理解していなかった。慣れさせるつもりで外食に誘ったこと自体が間違いだった」

 

タグは素直に非を認めた。

 

「迂闊といえばその通りですが、正直想定外なのはしょうがないと思います。まさか外食自体未経験というケースはなかなかないですからね」

 

セリナでさえも未経験の事態である。

 

「回復食……つまり、胃に優しくて、でも味覚を少しずつ目覚めさせるようなご飯ですね」

 

フウカが腕を組み、プロの料理人としての真剣な眼差しを向ける。

 

「ただ薄味なだけでは、さっきの話のように『味がしないお湯』だと認識されてしまいます。出汁の旨味や、素材本来の甘味をしっかり引き出したメニューじゃないとダメですね。

……任せてください先生、私がその子たちの心と胃袋を満たす、最高に温かくて美味しいご飯の作り方を教えますから!」

 

「説明しましょう!」

 

ここで、タブレット端末を片手にコトリが一歩前に出た。彼女の丸い眼鏡が、調理室の蛍光灯を反射してキラリと光る。

 

「長期間の飢餓状態にあった肉体に急激な塩分や糖分を与えると、リフィーディング症候群(栄養再開症候群)と呼ばれる危険な代謝異常を引き起こす可能性があります!つまり、ただ美味しいものを食べさせればいいというわけではなく、血中の電解質バランス……特にリンやカリウムの数値を厳密にモニタリングしながら、カロリー摂取量を科学的にコントロールする必要があるんです!

良い質問ですね、先生!」

 

コトリの解説スイッチが完全に入り、息継ぎも忘れたような早口のマシンガントークが止まらなくなる。

経験者であるタグが「そこまでだ、コトリ」とストップをかける。

 

「待ってください! まだ私の話は終わってません! まだ『起承転結』の『起』ぐらいですよ! ミサキさんとヒヨリさんの現在の基礎代謝量と、必要摂取カロリーの推移グラフを作成してきましたので、まずはこの資料の1ページ目から……」

 

「コトリさん、解説は助かるけど、今は実践が先よ」

 

フウカも苦笑しながらコトリの長広舌を物理的に手で制止し、先生に向き直る。

 

「先生、まずはその子たちをここに呼んできてください。プロの私たちが、一から食事の仕方を教え込みます」

 

タグは、静かに息を吐き出す。

 

「……頼もしいプロたちだ」

 

三方向からのアプローチによる、アリウスの子供たちへの「食事の再教育」作戦が、今まさに調理室で始まろうとしていた。

 

「ではまず、温かいお出汁の味から確かめてみましょうか!」

 

「待ってください! その前に現在の彼女たちの血糖値を……!」

 

「先生、ここは私たちにお任せを!」

 

調理室から漏れ聞こえるフウカたちの頼もしい声と、ヒヨリの戸惑うような声を背に、タグと先生は静かに分厚い防音扉を閉めた。

 

 

廊下の空調の低い駆動音だけが響く静寂の中、自動販売機で買った缶コーヒーのプルタブを、タグが無造作に開ける。

カシュッ、という空気が抜ける短い音。

一口だけ黒い液体を喉に流し込み、タグは壁に背を預けたまま、平坦な、だが重い響きを持った声で切り出した。

 

「――仮に、仮にだ。このままサオリとアツコを保護した場合、間違いなくシャーレはアリウス分校との抗争を強いられる。俺たちが勝ち、マダムとやらからアリウスを解放したとしよう。まずどこが管理するんだ?」

 

タグの鋭い問いかけに、先生は廊下の壁を見つめたまま、過去のキヴォトスの事例と一般観念から導き出される事実を重い口調で答えた。

 

「――トリニティ総合学園になるね。分校だから、名目上責任はそこになる」

 

「……出来るのか?」

 

タグの短い、しかし急所を抉るような問いに、先生は言葉を詰まらせた。

どれほどの生徒数がいるかはまったく不明だが、ヒヨリとミサキのような栄養失調予備軍の生徒が多数いることは間違いないだろう。

 

(……不可能だ)

 

先生の脳裏に、先ほどトリニティで見てきた光景がフラッシュバックする。

疑心暗鬼に囚われ、腹の探り合いを続けるティーパーティー、シスターフッド、救護騎士団の上層部たち。

パラノイアに陥り、現実と幻覚の境界を彷徨う百合園セイア。

そして、地下の冷たい鉄格子の中で、底知れぬ罪悪感の泥沼に沈んでいるミカ。

 

ただでさえ新たな内部抗争の危機に瀕している現在のトリニティには、他校の生徒たちを統治・管理する余裕など、一ミリも存在しない。

もし無理に引き合わせれば、それは「解放」ではなく、血で血を洗う終わりのない凄惨な内戦の始まりを意味する。

それどころかアリウス分校という新しい駒を入手するために、各派閥が主導権を巡って相争う可能性まであり得る。

 

「……タグさん、そういうところの指摘は鋭いよね」

 

先生はこめかみに浮かんだ冷や汗を拭い、ひどく疲れた声で吐き出した。

正義を執行して敵の親玉を倒せば、すべてが平和に解決する。そんな絵空事が成立すればいいと誰もが思うだろう。

タグは缶コーヒーの表面についた水滴を親指で拭い、苛立たしげに短く息を吐いた。

 

「相手を殴った、勝ちました、じゃあ終わり……ですまないのが戦争だからな。しまったな」

 

かつてアストラギウス銀河で、戦後の統治の失敗を利用して起こした、いくつかの地獄の記憶が蘇る――権力の空白、報復の連鎖、そしてゲリラ化する敗残兵たち。

 

「図らずも今の図式からすると、マダムとやらの全面抗争は回避したいのだが」

 

タグの口から出たのは、平和主義からくるものではなく、極めて実利的な”戦後処理の不可能さ”を理由とした消極的避戦の結論だった。

謎に包まれたマダム、もし彼女というヘイトの対象でありつつもアリウスをコントロールする存在がいなくなることで、逆にトリニティ自治区全体を巻き込む最悪の火薬庫が爆発する。

その残酷な政治的パラドックスを前に、二人の大人は重苦しい沈黙を共有するしかなかった。

 

 

戦後の凄惨な統治不全という最悪のシミュレーションを前にしても、先生の瞳から光は失われていなかった。

 

「破綻する未来が待っているからといって、今苦しんでいる生徒達を見殺しにする選択肢は取りたくありません」

 

静かな、だが一切のブレがない声が響く。

それは政治的な合理性などを完全に度外視した、一人の大人としての、あまりにも強烈で無防備なエゴだった。

 

「――あんたもなかなかの狂人ぶりだよ、先生。とはいえ、こればかりはな」

 

タグは手にしていた缶コーヒーを軽く揺らし、短く息を吐いた。

頭では理解している。この大人の願いを叶え、アリウス分校に介入すれば、その先に待っているのは泥沼の内戦と破滅的な政治的空白だ。

 

根本的に、タグは自身を救い上げてくれたこの先生の願いを叶えてやりたいと強く思っている。

それがイコール「先生自身の破滅」に繋がるとなれば、兵士の理性として躊躇わざるを得ない。

 

その膠着した空気を切り裂くように、先生の白衣のポケットから短い電子音が鳴った。

先生がスマートフォンを取り出し、画面をタップする。発光するディスプレイには、見知らぬ羅列のメールアドレスと、たった一文の指定座標だけが表示されていた。

 

「謎の宛先からのメール。……タイミングが良すぎるね」

 

先生が微かに眉をひそめ、タグに画面を見せる。

その時、背後の防音扉が僅かに開き、音もなく滑り出てきた人物がいた。

 

「……少し、外の空気を吸おうと思っただけ」

 

フウカたちの熱血な食事指導から一時的に逃れてきたのか、ミサキが気まずそうに目を逸らしながら廊下に出てくる。

だが、彼女の視線が先生のスマートフォンの画面を掠めた瞬間、その暗い瞳に鋭い光が宿った。

 

「……先生、その画面」

 

ミサキが足早に近づき、画面の文字列を真っ直ぐに見つめる。

 

「そのメアドは、リーダーが持っているいくつかの捨てアドの一つ。見覚えがある」

 

ミサキが抑揚のない声で、しかし確信を持って断言する。

サオリからの、直接の接触要求。それが藁にもすがるSOSなのか、あるいは別の何かの意図を含んでいるのかは分からない。

タグは空になったコーヒー缶を近くのゴミ箱へ正確に放り投げ、カランという乾いた音を立てた。

そして、先生と視線を交わし、互いに小さく肩をすくめる。

 

「……相手を殴った後のことは、殴り勝ってから考えるしかないようだな」

 

タグが、諦めと覚悟の入り混じったしゃがれた声で告げる。

 

「行こう。生徒が待っている」

 

先生がスマートフォンをポケットにしまい、歩き出す。

状況は、大人の逡巡など待ってはくれない。

暗闇への招待状を手に、二人の大人は迷うことなく出撃の決断を下す。

 

先生はフウカたちに『緊急の依頼が入った。今日の案件は持ち帰って、今週中に一度報告を聞かせてほしい』とメッセージを残し、走り出した。

 

 

 

シャーレの格納庫から、迅速に武装を整えた部隊が夜の街へと射出される。

そして深夜のハイウェイを、無骨な輸送用大型トラックが猛スピードで駆け抜けていく。

夜になってからキヴォトスでは雨が降り始めていた。

 

運転席でハンドルを握るのはミサキ、助手席にはポータブルマップ端末を抱え込んだヒヨリ。そして後部座席には、先生と赤い耐圧服を着たタグが腰を下ろしている。

トラックの荷台には、長時間用ミッションパックを背負い、換装を終えたスコープドッグが降着姿勢で固定されている。

その脇には、今後の任務のために新造されたヒヨリ用の護衛兼観測飛行ドローンと、ミサキ用の四脚型弾薬補給ドローンが静かに起動の時を待っていた。

 

「どう考える?」

 

流れる街灯の光が車内を断続的に照らす中、タグが後部座席から口を開く。

 

「救助を求めてが半分、罠の可能性が半分」

 

運転席のミサキが、前方の暗闇から視線を外さずにサオリの思考パターンを逆読みして答えた。

その声色には、リーダーに対する複雑な感情が入り混じっている。

 

「罠はマダムが張っているとして、救助の場合は何が考えられる?」

 

タグの合理的な問いに、ミサキは僅かに眉をひそめた。

 

「おそらくアツコが重体か、動けなくなっている。いくら少数でも、負傷者を抱えたままじゃジリ貧になるからね」

 

その時、先生の持つシッテムの箱から青白い光が溢れ、アロナの声が車内に響く。といっても先生とタグしか聞けないわけだが。

 

『指定座標周辺で、データ通信量にわずかな上昇がみられます。周辺地域の防犯カメラ……ジャック完了しました! 望遠モードにした画面を出します』

 

タブレットの画面に、ノイズ混じりの荒い映像が映し出される。

 

「――アリウス分校の生徒だね」

 

先生が画面を凝視する。そこに映っていたのは、フルフェイスのヘルメットと重武装に身を固めた、見慣れた戦闘集団の姿だった。

 

「何故バレた?」

 

電子戦の概念に疎いタグが、怪訝そうに尋ねる。

 

「いや、待ち伏せとかではないと思う。動きと配置がそういうのじゃない」

 

先生がモニター上の敵の動線を見極め、推測を口にする。

 

「たぶん、向こうの追手に確保されそうになったサオリが、最後の余力でこちらに連絡したんじゃないかな」

 

『先生、待ってください!ジャックしたカメラの一つにサオリさんが写りました!進行ルート予測中……マップに出します!』

 

アロナの報告と共に、マップ上に赤い光点が点滅し、一つのベクトルを描き出す。その方角は、指定座標から逸れ、明確にシャーレの方向へと向かっていた。

 

「まずはサオリを保護しましょう。状況を整理したい」

 

先生の静かな、だが迷いのない決断の声に、車内の誰一人として反論の声を上げる者はいない。

 

 

 

――D.U.外縁部の貧民街

 

 

冷たい雨が降りしきる泥濘の路地裏を、重い足音が駆け抜けていく。

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

錠前サオリは、泥と血にまみれた戦闘服を引きずるようにして走っていた。

守りたかった人、仲間、居場所。そのすべてを失い、かつての味方であるアリウスの生徒たちから執拗な追跡を受けている。

数日間ろくな食事をとっておらず、空腹と極度の疲労、そして慢性的な睡眠不足により、彼女の脳はとうの昔に限界を迎え、視界はひどく朦朧としていた。

鉛のように重い両足が、泥に足を取られてもつれる。もう動かなくてもいい、ここで倒れ伏してしまえばすべてが楽になるという理由は、彼女の内にいくらでもあった。

 

(だが……まだだ……!)

 

サオリは自身の太ももにナイフの柄を打ち付け、強制的に意識を覚醒させる。

自分を捨て駒にした大人たちへの憎悪でもなく、己の命への執着でもない。

ただ一つ、あの『大人』の端末へ送ったメールという、微かすぎる望みだけを懸けて、孤独な刃は虚無の底をあがき続けていた。

 

しかし、とうとう限界を迎えたサオリの鉛のような両足がもつれ、冷たい泥水の中へと膝をついた。

視界が暗転しかけたその瞬間、彼女の真横を、巨大な緑の鉄塊が轟音を響かせて過ぎ去る。

――轟音の正体は重苦しいローラーダッシュの駆動音だ。

入れ替わるようにサオリの前に出たスコープドッグの腕から、ヘヴィマシンガンが火を噴く。

サオリの背後から迫っていたアリウスの追手たちの足元で、銃弾が地面を叩く音が巻き起こる。

 

「ひぃっ!?」「き、騎兵だ……撤退、撤退!」

 

という恐慌状態の悲鳴と共に、足音が遠ざかっていく。

硝煙の匂いが立ち込める中、騎兵がやってきた方向から一人の大人がゆっくりと歩み寄ってきた。

 

「……先生」

 

サオリは泥だらけの顔を上げ、かつて自分がその腹を撃ち抜いた相手を、縋るような、そしてひどく怯えたような目で見上げた。

 

そして、ひび割れた声で懺悔と悔恨を口にし始めた。プライドも、アリウスの精鋭としての矜持もすべて泥水の中に投げ捨て、ただ一人の少女――アツコを救ってほしいと泣き崩れた。

その痛切な声を聞きながら、先生はサオリに一言の恨み言もぶつけなかった。

マダム――ベアトリーチェの目論見はとうに理解している。

 

今更、サオリの過去の罪を問いただす必要などないし、元より責める気などない。

仮に少しでも彼女を責めてしまえば、すでに限界を超えた精神を完全に破壊するだけだと分かっていたからだ。

 

「……もう、自分を追い込まなくていいんだよ」

 

先生は静かに泥にまみれたサオリの前に身を屈め、その震える肩に手を置いて慰めた。

背後では、スコープドッグが感情を持たない機械のアイドリング音を低く響かせながら、かつてのテロリストのリーダーが子供のように泣きじゃくる光景を静かに見下ろしている。

 

その時、雨の降る路地裏の奥から、二つの小さな足音が近づいてきた。

 

「サオリ、大丈夫?」

「先生、あとは私たちが……」

 

息を呑んで顔を上げたサオリは、目を丸くした。

自分を力強く支え起こしたミサキとヒヨリ。

泥にまみれた自分とは対照的に、清潔で真新しいタクティカルジャケットに身を包み、かつての虚無に沈んだ目とは違う確かな光を宿していたからだ。

 

「ミサキ、ヒヨリ……? なぜ、お前たちがここに……」

 

呆然とするサオリの横で、ヒヨリが震える声で、しかしはっきりと先生に向かって頭を下げた。

 

「うぅ……私なんかがこんなこと言う資格、ないかもしれないですけど……。今さら厚かましいお願いなんですが、どうか、サオリ姉さんを助けてくれませんか」

 

ミサキもまた、瞳に微かな熱を帯びさせて口を開く。

 

「……お願い、先生。アツコが死ぬ理由なんてどこにもない。ここは嫌な世界だけど、あの子はそんなのとは無縁でいてほしいから」

 

かつて世界を呪い、すべてを無意味だと断じていた少女たちからの、初めての真っ直ぐな「願い」

 

先生は少しだけ困ったように眉を下げ、優しく微笑んだ。

 

「お願いなんて言わなくていいよ。困った生徒を助けるのは、先生の務めだから」

 

その言葉に、サオリの瞳から再び大粒の涙が、泥を洗い流してこぼれ落ちた。

 

サオリとの会話の最中、預かった爆弾――先生はその起爆装置の配線を無造作に引きちぎり、無力化させる。

先生は引きちぎった起爆装置の残骸を、傍らの瓦礫の隙間に投げ捨てた。

そして残った爆弾の本体を、見上げるような巨体の足元へと放り投げる。

 

「踏んでもらっていいですか?」

 

コックピットの外部スピーカーから、タグの声が短く応じる。

 

『念入りにやろう』

 

重々しい金属音が大地に響く。総重量8トンを超える圧倒的な質量の足が、容赦なく振り下ろされる。バキィッ、という異様な破砕音と共に、生徒の命を奪うために作られたおぞましい兵器は、一瞬にしてただの無惨な鉄屑と電子部品の残骸へと成り果てた。

その残骸をさらに何度かスコープドッグの巨脚で踏みにじり、完全に粉砕したことを確認すると、先生はサオリに振り向く。

 

「行こう、時間に余裕がない」

 

 

 

奪われた姫君、向かう先は閉ざされた忘却の地

刻限は明日の暁、無慈悲な儀式の祭壇が少女を待つ

かつての敵を導き手とし、大人は最後の門へと歩みを進める

立ち塞がる同胞の群れを抜け、辿り着いた希望の果て

だが、そこに舞い降りたのは復讐に歪む狂乱の天使

孤独な権力者からの悲痛な報せ、それは濡れ衣を着せられた友の絶望

大人の進むべき道を切り拓くため、泥に塗れた兵士が神聖なる怒りに牙を剥く

 

次回「堕天」

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