「……っ、ぁ」
死の沈黙。なのに爆音が響き渡る。
脳裏にこびりついたヘヴィマシンガンの連射音。
幻覚が呼び起こす焼ける肉の臭い、そして、雪崩のように押し寄せる死者たちの叫び。
視界が真っ赤に染まる。
かつて故郷を焼いた炎の色か、それともAT越しに浴びた返り血の色か。
掠れた声が出る。
軍人として、監視者として、何万もの命を効率的に奪ってきた自分の何かが剥がれ落ちる感覚。
バララントの兵士、命令で焼き払った村の市民、夢の終わりに現れるあの人。
「あ、あぁ……っ!」
誰に届くこともない声が喉を引き裂く。
目を見開く。明け方だった。
ここの澄んだ空気は嗅覚を鋭敏にする。
慣れない草木の匂いが鼻腔を突き抜け、それが悪夢ではなく現実の匂いであることを脳に教え込んだ。
カチリ、とドアノブが回る音が部屋に響く。
「ん……タグ、生きてる?」
シロコの声だ。彼女の背後から差し込む光が、重苦しい空気を『日常』へと塗り替えていく。
「酷い顔。洗ったほうがいい」
シロコの手から投げ込まれた清潔なタオルを、反射的に受け取る。
彼女の背後には、まだ眠たげな目を擦りながら、不安そうにこちらを窺うアヤネの姿もあった。
「タグさん、本当に酷い顔をしています。水道が使えますからそれで顔を洗ってください。もうすぐ、先生がここに来るそうです」
アヤネの言葉に、重い頭を上げる。悪夢の余韻で視界が揺れる中、『先生』という言葉に、微かな安堵を覚えている自分がいた。
校舎入り口付近の手洗い場を案内された男は、無我夢中だった。
蛇口を捻れば、無色透明の液体が溢れ出してくる。
首都メルキアでさえ濾過器を通した上で鈍い味がする水。ましてやサンサで飲もうものなら内臓を焼く劇物。それがここでは、潤沢に、惜しげもなく流れ出している。
「水を使い放題というのはすごいな……出てくる水が綺麗な上に飲めるとは、どんな天国だここは」
顔を洗い、滴る水滴を舌で受け止めるその姿には、演技ではない切実な歓喜が宿っていた。
昨日は投げやりな態度を見せ、朝には死人のような顔を見せた男が、たかが水道水で『天国』だと喜ぶ。
その凄絶なまでの格差に、後ろで見守っていたシロコとアヤネは、奇妙な震えを覚えていた。
「タグ……病院、行ったほうがいい」
シロコの言葉は、もはや皮肉や警戒ではなく、純粋な困惑に近い。
狂っているのは彼か、それともこの天国のような世界か。彼女には判断がつかなかった。
「ええ……カウンセリングも含めて、一度ちゃんとした先生に診てもらうべきです。あ、いえ、もうすぐ来る先生はお医者様ではないんですけど」
アヤネが困ったように眉を下げた、その時だった。
校門の方から、一台の車両が近づいてくる音が響く。砂塵を巻き上げながらアビドス高校の敷地内へと入ってきたのは、見慣れないが洗練されたデザインの車両だった。
「来たみたい」
シロコの耳がぴくりと動く。彼女はアサルトライフルを背負い直し、入り口の方へ視線を向けた。
車から降りてきたのは、防弾ベストもヘルメットも装備していない、一人の『大人』だった。
「先生!」
アヤネが駆け寄る。降りてきた男――先生は、眼鏡を直しながらこちらに歩み寄ってくる。
先生の視線が、濡れた顔のまま立ち尽くすタグと交差した。
「ん……先生、紹介する。この人はタグ、私が見つけた砂漠の迷子」
シロコが、相変わらずの簡潔さで紹介する。
先生は俺の前に立ち、じっとその目を見つめた。シロコに言わせれば「死んだ魚の目」と呼ぶ両眼を。
「初めまして。生徒たちからは先生と呼ばれています。貴方がアビドスの新しいお客さんでしょうか」
「ああ。お客扱いしてもらえるなら助かる……タグという」
水洗い場で何をしていたのか軽く説明をすると、先生は穏やかに微笑んだ。
「綺麗な水が飲めるだけで天国、か。きっと僕には想像できない場所から来たんだろうね」
彼は懐から一枚のカード――名刺を取り出した。
「僕はキヴォトスで生徒たちの顧問をしている、ただの先生です。ですがタグさん、よければ今後のことに関して相談と案内をさせてもらえませんか? 貴方がそれを対価の必要な罠だと思わないのであれば、の話ですが」
無償の提示はかえって疑わしく聞こえるものだ。
だが、先生の瞳には、アストラギウス銀河では久しく見なかった真っ直ぐな光があるように思えた。
先生らが教室と呼ぶ、椅子が立ち並ぶ部屋に移動した。
机を並び替え、向かい合って座る。
シロコとアヤネは、自分たちの分とタグ、そして先生の朝食を用意すると言って席を外していた。
まず先に口を開いたのはタグだ。
彼は口が軽くなっていたのかもしれない。本来であればこんな易々と口は開く男ではない。
だが、この先生という男には、すこし語っていいという気にさせられる。
「正直に聞く。自分は惑星サンサで作戦行動をしていた。だがここはどこだ? 明らかにサンサではないように感じる」
環境、風景、住民――全てがタグの知る記憶とは異なるからだ。
「サンサ……?」
先生は、その聞き慣れない地名を頭の中で反芻するように繰り返した。
そして手に持つ、片面だけ光るプラスチック板に少し集中して視線を落とした後、こちらに目を戻した。
「正直に話してくれてありがとうございます、タグさん。貴方の感じる通り、ここはサンサではありません。そのサンサという地名、少なくともキヴォトスの地図には存在しない名前です」
先生は穏やかな笑みを浮かべる。その瞳を見返すと、どこか吸い込まれそうな底知れなさがある。
「順番が前後してすみません。ここはキヴォトス。数千の学園が連なる巨大な学園都市です。ここは、その学園の一つであるアビドス高等学校の敷地内です」
一度言葉を切ると、俺が身にまとう赤い耐圧服に視線を落とした。
「惑星、とおっしゃってましたね……貴方にとっては信じがたいことですが、どこか遠い場所、あるいは僕たちが知る物理法則とは別の場所から、貴方はあの砂漠へと辿り着いたのかもしれません」
タグは無言のままだ。しかし、顔に驚きを隠せなくなっていたのだろう。その表情を読み取った先生は先を続ける。
「タグさん、貴方が驚くのも無理はない。例えば貴方の世界の常識と、ここの常識は少し違います」
それからは互いの情報のすり合わせが行われる。地理、物、知識。先生はタグの質問に真剣に向き合いつつ答えてくれた。
そうしていると、扉が開く音がする。
「先生、話はあとにしましょう。タグさんは昨日からまだちゃんと食事を摂ってないと思います……顔色は少し良くなったみたいですけど」
戻ってきたアヤネの提案に、先生は深く頷いた。
「そうだね。タグさん、まずは食事をとりませんか? 今している話は、お腹を満たしてからでも遅くないと思います。……シロコ、学食へ行こうか。タグさんもきっとお腹が空いていると思うんだ」
「ん……わかった」
シロコがタグの耐圧服の袖を軽く引く。そこへアヤネが、少しためらいがちに口を開いた。
「あ、あの。それと、先生……タグさんが砂漠に残してきた、あのロボットの件ですけど」
先生は少し困ったように眉を下げ、アヤネを見た。
「回収はたぶん可能だと思う。ヘルメット団もそうだし、カイザーにも渡したくないという考えには僕も賛成だ。出来れば優先したい……ただ、今のシャーレとアビドスのリソースは限られている」
そこで先生は俺に振り向く。
「タグさん。貴方の相棒、実はちょっと噂になっているんですよ。砂漠にお宝が現れたって」
タグはそこで初めて明確に表情を変えた。眉を顰める、という形で。
「あまり気分のよくない話だと思います。こちらも意図はありますが、その上でもし回収を考えているのでしたら、手を貸す用意がこちらにはあります」
タグは我を忘れて、サンドイッチと呼ばれる食事に食らいついていた。
聞き覚えの無い何かの野菜と肉を、パンと調味料で挟んだだけの簡単なモノ、とアヤネは、彼に説明していた。
しかしそんな説明は、今の彼にとってもうどうでもよかった。
戦場と基地で配給された、カロリーと栄養のことしか考えてない合成食とは根本的に異なる。
シャキシャキとした葉物野菜の食感、完熟した何かの果物の酸味、そして温められたパンが放つ香ばしい匂い。
それは戦いと破壊の中に生き続けたタグにとって、爆発的な情報の濁流だった。
無言でタグは貪る。
(美味い水を自由に飲める上に、こんな味がするものを食えるなんて)
咀嚼するたびに、乾ききった細胞が粟立つ。
気がつけば、頬をパンパンに膨らませたまま、視界が歪んでいた。タグは涙が零れていることにようやく気付いた。
その姿を、サンドイッチを握ったままの先生、シロコ、アヤネの三人は、ただ圧倒されて見守るしかなかった。
「ん……落ち着いて、タグ。サンドイッチは逃げない」
シロコが少し引き気味に、だがどこか「拾い食いする野良犬」を見るような慈愛の混じった眼差しを向ける。
「たかが軽食一つで、そんなに泣かなくても……」
アヤネは呆れた様子を見せつつも、自分の作った食事を無心で頬張る姿にすこし笑みを浮かべていた。その手は無意識に、彼の食べこぼしを拭くためにナプキンを握っている。
彼女たちの常識では、食べ物があることは最低限の権利であって、涙を流すほどの奇跡ではない。その常識の断絶が、彼の出自がいかに過酷であったかを無言で物語っていた。
「タグさん……貴方のいた場所は、よほど食糧事情が悪かったんですね」
先生は湯気を立てているコーヒーを啜りながら、その鋭い観察眼で俺の挙動を追っていた。
ただの飢餓ではない。これは味覚という贅沢を剥奪されてきた者の反応だ、と経験で判断したのだろう。
「そんなに急いで食べなくても大丈夫です。その食事を用意したシロコとアヤネは、貴方に生きてほしくてそれを出したんですから」
先生はそこで一度言葉を切り、再びコーヒーを味わう。
結局、タグの異常な食欲にもう一人前のサンドイッチが追加されることになった。
「よく噛んでください」とアヤネに少し叱られたことを反省し、食事を終えたタグ。
先生は真面目な顔になって身を乗り出した。
「さて、お腹が落ち着いて早々申し訳ないですが本題に入りましょう。砂漠に置いてきた貴方の『相棒』の回収について、です。アビドスには大型の運送車両や輸送機はありません。普通に運ぼうとすれば、砂に沈むか、運搬中にヘルメット団の格好の標的になります」
先生は手元のタブレットを操作し、アビドス周辺の地図を表示した。
そこにはシロコの発見情報と移動距離から逆算された、機体の予想位置のエリアが表示されている。タグは、放置した場所が砂漠の奥だと思っていたが、意外と周辺都市に近い場所であると認識を改めた。
「そこで、タグさん。あの機体を自走させる、あるいは最小限の動力で牽引できる状態にまで、現地で応急処置をすることは可能でしょうか? 必要な工具や不足している燃料等については、こちらのツテでなんとか調達してみる予定です」
タグは先生の提案に短時間熟考した後に、事実のみを告げた。
「回収してくれるのは助かる。だがまず先に言う、自走は不可能だ。操作系統に損傷がある。多少の修理の覚えはあるが、機材無し、資材無し、砂漠の中という劣悪環境では直せる自信はない。それと動力で牽引するのは正直勧められない。全備重量は十トン手前にまで達している」
「全備重量、十トン……」
アヤネが思わず手元の端末を落としそうになった。キヴォトスの戦車やフル装備の大型オートマタも見上げるほどの重量はあるが、シロコの言う無骨な鉄塊がそれほどの密度を持っているとは想像していなかったようだ。
「手持ち武装と背中に牽引されている武装やオプション類を降ろせば、七トンまでは減らせるだろう。その上で答えるが、七トンを砂漠で吊り上げるならヘリが一番安全だ」
コップの水を飲み干し、プラスチックポットから再度水を注ぐタグ。
「アビドスでヘリはちょっと無理、かな」
シロコは、タグが再び美味そうに水を飲み干す喉元を、まるで新種の動物を観察するように見つめている。
彼女の頭の中では、彼に炭酸飲料を与えたらどうなるかという誘惑と、七トンの鉄塊をどう動かすかという戦略がせめぎ合っているようだった。
タグ、シロコ、アヤネの視線が先生に集中する。
「確かにアビドスには大型ヘリはありません。しかし、僕ならシャーレの権限でヘリをチャーターすることは可能です」
そこでタグが話に割り込んだ。
「ヘリが使えるなら早い。しかし提案しておいてなんだが、今の状況のままだとあまり勧められない」
「え?」
アヤネが虚を突かれたように声を上げる。タグは残りの水を飲み干し、冷徹に告げた。
「七トンの重量物を吊り下げたヘリは、回避機動がとれない。懸架作業のためのホバリング中など特に無防備だ。先生の言うヘルメット団が、例えば対空火器類を持っていたら的になってしまう。仮に普通の銃しかないとしても、動かないならローターを狙える」
場の空気が凍り付く。
先生の表情が引き締まった。タグがただの迷子ではなく、戦いの論理を知る専門家であることを確認したからだ。
「タグさんの言う通りです……僕の考えが甘かったですね」
更に追いかけるように、アヤネが深刻な顔でタブレットの地図を指し示す。
「無法者の代表であるヘルメット団だけじゃありません。カイザー関連の傭兵たちも周辺を徘徊しています。彼らが『見たこともない戦闘機械』を見つければ、間違いなく確保に動き出すはずです」
先生はタグに向き直り、真剣な眼差しを送る。
「ということでタグさん、貴方の相棒を回収するためには、まず周囲の安全を確保する必要が出て来ました。この件は貴方一人の問題ではなくなっています……貴方には、軍人としての知識を貸してほしい。貴方自身が戦えるなら、僕は貴方を臨時の傭兵としてシャーレで雇用することも出来ます。どうでしょうか?」
タグに異論はなかった。だが、そうするならば事前にどうしても確認しなければならないことがある。
彼は敢えてシロコとアヤネを見て尋ねる。
目線は彼女らの頭上、謎の光輪へ向けられていた。
「先生は俺と同じ人間だとは思う。だが、シロコとアヤネは戦闘用の改造兵士かロボットの類なのか?」
「改造、ロボット……心外です!」
立ち上がりかけたアヤネを、先生は穏やかに、かつ迅速に手で制した。
タグの目は笑っていない。単なる無知による侮辱ではなく、純粋な性能評価をしようとする無機質な視線を飛ばしていた。
軽装で銃を扱い、砂漠を行軍するあの異常なスタミナ――彼女たちを生身の人間と定義するには無理があるとタグは判断していた。
「ん……タグも先生と同じで、見えるんだ」
シロコは自分の頭上、自分では直接見ることのできない光輪が浮かぶ空間を、手で無造作に払う仕草をした。もちろん、光の輪が消えることはない。
「質問をした動機。それは彼女たちの頭上のことと、あの細腕で軽々と銃を扱える異常性ですね、タグさん」
無言でうなずくタグに、先生は言葉を続ける。
「結論からお伝えします。彼女たちは改造されたわけでもなく、ロボットでもない。貴方と同じ血の通った普通の少女たちです。ただ、このキヴォトスという世界に住む生徒たちは例外なく、光の輪を頭上周辺にまとっています」
アヤネとシロコの光の輪、色も形も異なるそれを見る先生。
「僕たちはそれを『ヘイロー』と呼んでいます」
「ヘイロー……」
「そうです。このヘイローによって、彼女たちはそちらの世界の常識では考えられないほどの頑強さを誇ります。それがある限り、生徒たちは銃弾を受けてもかすり傷程度で済みます。信じられないかもしれないですが、戦車の主砲を受けて『痛い』で済ませてしまう生徒もいるくらいです」
先生は苦笑いしながら言ったが、その目は笑っていなかった。
それは冗談ではなく、厳然たる事実。この世界の異常なルールを示唆していた。
タグの背筋に本能的な戦慄が走った。
もしそれが事実なら、この少女たちは一人一人がATを超える耐久力を持った生体兵器なのではないか、と。
「だから、タグ。私たちが兵器に見えるのは、あながち間違いじゃないのかも……」
シロコが静かに告げる。
「キヴォトスじゃ、銃火器は護身用のアクセサリーみたいなもの。でも、タグ、あなたは違う。ヘイローがない」
シロコの後を継いで、アヤネが心配をこめて言う。
「そうなんです、タグさん。あなたは、この世界では脆くて壊れやすい存在なんです。銃弾一発で死んでしまう可能性がある……だから」
少女たちの視線が、再び未知の生物を見るような、そしてどこか壊れ物を扱うような同情の色を帯びていく。
「さて。話が少し逸れましたね」
先生が再び、地図を表示したタブレットを指で叩く。
「タグさん。貴方にとっては未知のことばかりが続くと思います」
先生はそこで言葉を切り、笑みを浮かべた。
「貴方の相棒を救い出すための行動を始めましょう」
タグさん。一般的な軍人としての視点を持つ大人である貴方には、驚きが続くと思います。
けどそれを理解しないと、貴方はこのキヴォトスでは利用されてしまうことになります。
ですから同じ大人として、そして理解者として、貴方の助けになりたいと考えています。
次回、『砂漠』