フットペダルを底まで踏み込み、スコープドッグを時速80kmオーバーの最大戦速で駆る。
騎兵の足裏で高速回転するグライディングホイールが、ひび割れた石畳を激しく削り取っていく。
巻き上げられた粉塵と火花が、機体の後方へと尾を引いて流れていった。
「あははっ! すごい風!」
長時間用ミッションパックの仮設シートにしがみつく聖園ミカが、突風に煽られて髪を乱しながらも、どこか楽しげな声を上げた。
時速80キロの風圧を剥き出しの身体で受けてなお、彼女の身体能力はそれを苦ともしない。
その瞳は、夜の闇の中で爛々と輝き、迷いを振り切った確かな熱を帯びていた。
周囲の景色は、凄惨なほどに鮮やかだ。
ミカ自身が廃屋に投げ込み、タグが正確に撃ち抜いた代替PR液の爆発が、あちこちで猛烈な青い火柱を上げている。肌を焦がすような熱波と、ツンと鼻を突く化学的な燃焼臭が、冷たい夜風に混じって彼らを包み込む。
遠くからは、混乱に陥ったアリウス守備隊の怒号と、けたたましい警報のサイレンが重なって響いてきた。陽動作戦は完全に成功している。
敵の目は、外縁部で暴れ回る「火あぶりの魔女」たちに釘付けになっていた。
(……あれか)
スコープドッグのターレットレンズが回転する。
ゴーグルモニターが映す景色が、広角状態から標準へと切り替わり、タグは正面の暗闇の奥を睨みつけた。
先行する爆炎が朱色に染め上げた夜空を背景に、それは巨大な墓標のようにそびえ立っていた。
幾重にも重なる尖塔と、重厚な石造りの外壁。
ベアトリーチェが潜み、エデン条約にまつわる因縁が収束する場所――バシリカ。
廃墟群を抜け、開けた大通りへと飛び出す。もう視界を遮るものはない。
目標を完全に捉えた二人から、自然と雑談が消えた。
ミカは手にしたサブマシンガンのグリップを強く握り直す。
――これから向かう場所で、先生と合流する。そして、自分が清算すべき過去が待っている。
風を切る轟音の中、ミカの星空のようなヘイローが、決意を帯びて静かに明滅を繰り返した。
やがて、バシリカへと続く長く巨大な石造りの大階段が見えてきた。
その入り口に差し掛かった瞬間、タグはフットペダルから力を抜き、コントロールスティックを巧みに操作する。
甲高い摩擦音と共に、スコープドッグがゆっくり減速し、大階段の下でピタリと停止した。
周囲には、不気味なほどの静寂が落ちている。
バシリカの防衛部隊は外縁部の火災に対処するためか、あるいは儀式の間へと集中しているのか、正面玄関には生徒の気配すら全くない。
『降りろ、あらかじめ決めた通りに間を空けて移動する。こちらは死角が多い、カバーは頼む』
外部スピーカーから、タグの平坦でしゃがれた声が響いた。
「わかったわ」
ミカは短く答え、仮設シートからスコープドッグの分厚い肩口へと足を移す。そして一切の重さを感じさせない軽やかな身のこなしで、冷たい石畳の上へと着地した。
二人は並び立ち、頭上にそびえる巨大な聖堂を見上げる。
静まり返る闇の奥から、冷たい死の気配が漏れ出しているのを、二人とも皮膚越しに感じ取っていた。
ミカが、バシリカの巨大な正面扉へ向けて一歩を踏み出そうとした、まさにその瞬間だった。
バシリカ周辺の暗闇の中から、タグにとって嫌というほど馴染み深い「異音」が漏れ出してきた。
――ローラーダッシュのホイールが硬い石畳をゴリゴリと削り取る、甲高く重苦しい摩擦音だ。
今、タグのスコープドッグは動いていない。となればこの音の持ち主は一体。
「……なに、これ」
ミカがサブマシンガンを構え、即座に警戒の姿勢をとる。彼女の聴覚は、その音が単一のものではないことを正確に聞き取っていた。
暗闇の中に、ポツリ、ポツリと不気味な光が灯り始める。
それは赤や緑に発光する、三連ターレットレンズ。一つ、二つではない。十、二十……数える間にもその光は増殖し、周囲を埋め尽くすほどの数へと膨れ上がった。
『……』
タグは無言のまま自身の機体のターレットレンズを回転させ、標準レンズから精密照準用の望遠レンズへと切り替えた。
暗闇の中に浮かび上がった輪郭を精査する。
――丸みを帯びた頭部、特徴的なハンドル付きの胸部装甲、そして右腕に装備されたヘヴィマシンガン。
細部のディテールはやや異なるが、外観はギルガメス軍が制式採用したATM-09-ST『スコープドッグ』と同一と見て間違いないだろう。
だが、タグが乗るナップケルテ星産の通称『ノーマル・ドッグ』とは規格が異なり、性能的には劣化品だ。
外装色はギルガメス軍制式の標準迷彩スキームであり、見慣れた多めの緑と白二色。
観察を終えたタグの兵士としての直感が訴える。眼前のスコープドッグからは「人間」の気配が微塵もしない、と。
造りは同じだ。しかし、何かが根本的に違う。
恐怖、焦燥、あるいは血に飢えた狂気……戦場に立つ人間が必ず発するはずの「感情の揺らぎ」が一切ない。
ただ、プログラムされたように均一で、無機質な殺意だけがそこに羅列されている。
ターレットレンズの光の周囲では、装甲の輪郭がまるで古い映像のノイズのように、ジリジリと不明瞭にブレていた。
『……古聖堂で遭遇した、青白いシスターに似ているな』
外部スピーカーから漏れたタグの呟きに、ミカがハッと振り返る。
「ユスティナ聖徒会のこと?じゃあ、あれもスクワッドが聖堂で具現化させていた複製と同じもの!?」
タグは知らない。目の前に現れた鋼鉄の群れが、彼自身の存在から引きずり出された恐怖の残滓であることを。
何者かがアストラギウス銀河の記録――地獄のような戦場を這いずり回る『最低野郎』という伝承を「特異なテクスト」として読み取り、魂のない複製として具現化させたのだと。
――もしその理屈を聞かされても、タグにとっては全くどうでもいいことだった。
敵が人間であろうと、何処かの誰かの悪趣味な実験であろうと、銃が通じるのならば恐れるものではない。
タグはコントロールスティックを握る手に力を込め、機体をゆっくりと前傾姿勢へと沈め込ませた。
『先に行け。ATにはATで相手をする』
抑揚を廃した声が夜気に響く。
「ちょっと待って、あの数相手にするの!?二人でやれば……」
ミカが声を荒げた。彼女の視力は、闇の中に潜むATの数がざっと見積もって30機であることを正確に捉えていた。
いかに装甲を持っていようと、あれだけの数の重火器から一斉射撃を受ければ、一瞬でスクラップにされる。直感的にそう理解したのだ。
しかし、緑の騎兵のコックピットに座る小柄な兵士は、そんなミカの危惧を鼻で笑うように、たった一言だけ短く返した。
『問題ない』
そこに虚勢や気負いは一切ない。1対30という絶望的な状況を前にしてなお、ただの「日常的な作業」を宣言するかのような絶対的な自信。
ミカは一瞬だけ息を呑み――この兵士の言葉を信じることにした。
「……先に待ってるからね」
ミカはそれだけ言い残し、バシリカ正面玄関の扉へ向けて、文字通り風のような速度で駆け出していった。
彼女の背中が見えなくなったのを確認すると、タグはヘヴィマシンガンのモードセレクトを3点バーストモードにする。この数だ、あまり弾の無駄使いをしたくないからだ。
直後、無数のターレットレンズが一斉に、タグの乗るスコープドッグへと照準を合わせた。
けたたましい摩擦音が夜気を引き裂く。
バシリカの正面広場を埋め尽くす30機のミメシス・スコープドッグが、一斉にローラーダッシュを吹かして突撃してきたのだ。
それはアストラギウス銀河の戦場で幾度となく繰り返されてきた、標準的なATの集団戦術。扇状に散開し、数の暴力で標的を包囲して十字砲火を浴びせるという教科書通りの陣形。
一斉に放たれた30mm機関砲の曳光弾が、網の目のようにタグの機体へと殺到する。
だが、タグは一切の動揺を見せなかった。
彼はフットペダルを極小のストロークで踏み込み、コントロールスティックをほんの数ミリだけ傾ける。
緑の騎兵は、弾幕が到達するコンマ数秒前に、まるで氷の上を滑るかのように機体を横へとスライドさせる。
装甲を数発の弾丸が掠めて激しい火花を散らすが、被弾時に適切な傾斜角を維持しているので装甲を貫くことが出来ない。
(ただのセオリー通りだな)
包囲のセオリーに従い半円状に展開しようとする敵機群。その陣形が最も手薄になる「継ぎ目」の機体へ向けて、タグ自ら最高戦速で突っ込む。
敵機が迎撃の銃口を向けるよりも早く距離をゼロに詰める――すれ違いざま、コントロールスティックのトリガーを引き絞った。
左腕のアームパンチ機構が火を噴き、空の薬莢が夜の闇に弾け飛ぶ。
PR液の爆発力によって打ち出された鋼鉄の拳に、機体の突進速度と重量という運動エネルギーが加わる。
拳は、敵機の胸部装甲を紙屑のように貫通し、コックピットにいるはずのパイロットごと敵機に致命傷を与える。
腕を引き抜きざま、タグは機体の胴体を急激に捻り、自らを撃とうと背後に迫っていた別の敵機へ向けてヘヴィマシンガンの三点バーストを正確に叩き込む。
ターレットレンズ機構のど真ん中を撃ち抜かれ、火花を散らして沈黙する機体。
タグは、その鉄屑と化した機体の背後にローラーダッシュで滑り込み、後続から放たれる弾幕の盾として利用する。
集中する火線の盾にされた敵機がハチの巣になる中、タグはその死角から身を乗り出し、さらに二機の胴体を正確に撃ち抜いて行動不能に陥らせる。
最初の一当ての時点でタグには、心の余裕が生まれていた。
このミメシスは「最低野郎」の伝承から生まれた、言わば平均的な兵士の写し身に過ぎない。
対するタグは、アストラギウス銀河の地獄の底で、血の海を泳ぎ切った「レッドショルダー」。
元の世界で見てもほぼ頂点に位置する彼にとって、平均的なAT乗りの動きなど、止まっている的と何ら変わりはなかった。
そこにあるのは、1対30という絶望的な数など一切意味を成さない、圧倒的なまでの実力差。
密集すればするほど、同士討ちを恐れるミメシスたちの射線は制限され、逆にタグにとっては「周囲すべてが弾除けの壁」として機能する。
悲鳴も、怒号もない。
ただ、硬質な金属がぶつかり合い、破壊される音と、揮発性のPR液が燃える匂いだけが、バシリカの広場に充満していく。
タグは、呼吸をするのと同じくらい自然な作業として、自身に向けられたターレットレンズの視線を一つ一つ、正確に刈り取っていった。
しかし、激しいAT同士の銃撃戦の余波は、バシリカ周辺の大階段のみならず、防衛に当たっていたアリウスの生徒たちにも容赦なく降り注いでいた。
圧倒的な技量で死角を突き続けるタグの機動力に対し、ミメシスたちは追従できず、数に任せた無差別な弾幕を張るしかない。
その結果、統制を失った30mm機関砲の流れ弾が、戦場の外縁を無軌道に引き裂き、石造りの彫刻や柱を粉々に粉砕していく。
「ひっ……!」
「伏せて! 瓦礫の陰に……きゃあっ!?」
先ほどの火災の混乱から立ち直りかけていたアリウスの守備隊が、突然現れた鋼鉄の怪物たちの同士討ちともとれる惨状に巻き込まれ、悲鳴を上げて逃げ惑う。
その中の一人、足を滑らせて広場の石畳に倒れ込んだ生徒の背中へ、敵機が放ったいくつかの流れ弾が直撃する。
心の余裕があった故に、タグのターレットレンズが、その光景を正確に捉えていた。
直撃した生徒はピクリとも動かない。あのまま放置すれば死もありえるな、と気付く。
アストラギウス銀河の戦場であれば、歩兵の巻き添えなど日常茶飯事であり、気に留めることすらない。ATを相手に、歩兵で相対するなど気狂いの所業。視線を一瞬やることさえ無駄と思われる程度の価値だ。
――しかし今の彼は、目的を達するための露払いであり、あの甘い大人が悲しむ可能性がある結果を放置する理由などなかった。
判断は早かった。
目前の敵機の頭部を左腕アームパンチで粉砕した直後、ペダルを限界まで蹴り込む。
ローラーダッシュの摩擦音を軋ませながら、スコープドッグを倒れたアリウス生徒に覆いかぶせる。
足を止めたスコープドッグの背部に連続する重い衝撃が、操縦席を激しく揺さぶる。機体を覆い隠すように背面にマウントされていた長時間用ミッションパックに、敵の放った30mm弾が立て続けに着弾する。分厚い装甲ケースがひしゃげるが、対弾性能を確保したミッションパックは30mmの斉射になんとか耐えている。
ダメージコントロールモニターの一部が赤く点滅し、ゴーグルモニターに警告表示が明滅する
「あ……」
なんとか意識を保っていた、倒れているアリウスの生徒が、自分を庇うように立つ緑の騎兵を見上げ、呆然と息を呑んだ。
つい先ほどまで自分たちを蹂躙しようとしていた「侵入者」が、文字通り身を挺して盾になったという事実が理解できないのだ。
だが、緑の騎兵はそんなことは頓着せず、外部スピーカーの音量を上げ、周囲で硬直している他の生徒たちに向けて、ただの事務的な作業を促すように冷徹な指示を飛ばす。
『早く連れて行け』
ハッと我に返った生徒たちが、「急いで!」「肩を貸すから!」と慌てて駆け寄り、倒れていた生徒の両脇を抱えてバシリカの巨大な石柱の陰へと逃げ込んでいく。
タグは彼女たちの避難が完了したことを確認した瞬間、忌々しい警告音を手動で切る。
左足ターンピック起動、右足グライディングホイールのみを回転。地面に突き刺さったターンピックを中心にして信地旋回。機体を反転させる。
自分を背後から撃った敵機へ向けてヘヴィマシンガンを放ち、排除する。
――やがて、最後の一機が、鈍い金属音と共に崩れ落ちた。
バシリカ前の広場には、30機に及ぶミメシスの残骸が、文字通り鉄屑となって転がっている。
しかし時間が経つにつれて残骸は原型を失い、光の粒となって消失していった。
『……』
タグがコックピットの中で小さく息を吐く。
そして『パージ推奨』と点滅するタブレットの画面をタッチする。
即座に爆発ボルトが作動し、大きくひしゃげたミッションパックがスコープドッグの背中から切り離され、重苦しい音を立てて石畳の上に落下した。
身軽になったスコープドッグ。その外見は30機を相手にしてほぼダメージが無い。精々がいくつかの弾痕程度だ。
しかし今の戦闘で、致命的な問題が発生した。
タグは視線を動かし、弾倉の残弾インジケーターを確認した。
ヘヴィマシンガンの残弾は、もう片手で数えるほどしかない。アームパンチの予備薬莢も使い切っていた。
弾数は有限、そして補給のための弾薬が積載されたミッションパックは、今背後で鉄屑になっている。見るまでもなく、ヘヴィマシンガンの予備弾倉は原型をとどめていなかった。
望みをかけて、ミメシスの残骸を見る。そちらのヘヴィマシンガンも残骸と同じように光の粒となってまた消失している。
(……腕があれば格闘戦は出来る。最悪、盾にはなれるか)
先生の目的地はバシリカの儀式場だ。
そこに至るまでの道は、すでにミカが先行しているはず。
タグは残弾の少なさに焦ることもなく、ヘヴィマシンガンを構え直した。
広場に転がる鉄屑の山を一瞥もせず、スコープドッグはゆっくりと二足歩行を開始する。
ガシャン、ガシャンと重々しい足音を響かせながら、暗く大きく口を開けたバシリカの正面扉の奥――深淵のような闇の中へと、緑の騎兵は無言で足を踏み入れていった。
――外の広場で、AT対ATというアストラギウス銀河の『日常』が繰り広げられていた頃。
外の喧騒が嘘のように遮断されたバシリカ内部。
冷たく広大な吹き抜けの広間に、先行して正面から侵入したミカが足を踏み入れていた。彼女が警戒しながら静寂の空間を進んでいた。
その時、祭壇の裏手にある分厚い石扉が、重々しい音を立てて内側から開かれた。
「――っ、どうやらここがバシリカのようだ」
暗い地下階段から姿を現したのは、息を切らした先生と、周囲を警戒しながら進み出るサオリ、そしてミサキとヒヨリの姿だった。カタコンベの地下水路と旧校舎の隠し通路を抜け、彼らもようやくバシリカの中心へと到達したのだ。
「あ、先生!」
ミカの明るい声が広間に反響する。
先生がハッと顔を上げた。無事なミカの姿を認めてホッと安堵の笑みをこぼす。
だが、ミカが先生の元へ駆け寄ろうとした瞬間――広間の空気が軋む。
ミカの視線が、先生のすぐ傍らで彼を護衛するように立つ、錠前サオリの姿を真っ直ぐに捉えたからだ。
「っ……!」
サオリは息を呑み、無意識に身を強張らせた。
背後にいたミサキがチッと舌打ちをして反射的に武器を構えかけ、ヒヨリは「ひぃっ!?」と短い悲鳴をあげつつも狙撃銃をミサキと同様に構える。
無理もない。
アリウススクワッドの面々は、下水道の広間で見た、ミカの狂気じみた暴力を直視して間もない。
その時、圧倒的な暴力の矛先が自分達に向かおうとしていたことを骨の髄まで理解している。
ナギサを騙し、セイアを傷つけ、自分を絶望の淵へ突き落とした諸悪の根源。
そして慕っている先生の腹を撃ち抜いた張本人とその仲間。
サオリ自身もまた、ミカの視線に宿る「憎悪の正当性」を誰よりも理解していた。
――言い訳などできない、する理由もない。
だからこそ、サオリは武器を下ろし、逃げることなく真っ直ぐにミカの目を見返した。今ここで彼女が暴れ出せば誰も止められない。
どんな罵倒も、致命的な暴力も、甘んじて受ける覚悟がその青白い顔には張り付いていた。
――ただ、許されるのならアツコを救ってからにしてほしいという願望はあった。
重苦しい沈黙が、バシリカの広間を支配する。
先生が二人の間に入ろうと、若干だが痛む腹を押さえて一歩踏み出そうとしていた。
――サオリの顔を見た瞬間、ミカの視界は再びドス黒い怒りで染まりかけた。
サブマシンガンのグリップを握る指が、ギリッと白くなるほど食い込む。
(こいつさえ、ここで殺せば――)
沸騰しそうになった殺意。だが、衝動的に引き金へ指をかけようとしたミカは‥‥‥止めた。
――『俺には、たった一人だけ、友と呼べる奴がいた』
――『お前たちはそうなるな』
自分のために過去の傷を開き、不器用な慰めをくれた兵士の背中。
そして、そんな自分のために泣いて、すべてを捧げると言ってくれたナギサの震える声。
ここで私情を爆発させてこの女をミンチにすれば、自分は本当に引き返せない『人殺しの魔女』になってしまう。
あの不器用な兵士が守ろうとしてくれた未来を、自分の手で完全に叩き割ることになるのだ。
スゥ……と、ミカは小さく深呼吸をした。
サブマシンガンを握る手からふっと力を抜き、それを肩に担ぎ直す。そして、首をコテッと傾けてみせた。
「……先生の隣、邪魔なんだけど。そこ、私の場所だから」
「……え?」
サオリが、予想外すぎる言葉に虚を突かれ、間抜けな声を漏らす。
血みどろの報復を覚悟していたミサキとヒヨリも、ぽかんと口を開けて硬直した。
ミカはそれ以上何も言わなかった。
サオリからふいっと視線を外し、退屈そうに周囲の石柱を眺め始める。
(タグさんとの約束……今はまだ、使わないであげる)
胸の奥には、もちろん怒りの燻りはある。
だが、あの変な兵士――タグから「サオリを殴る権利」を正式に譲渡されたことで、彼女の狂気はすでに綺麗に脱色されていた。
今は私情を爆発させる時ではない。
本当の元凶――ベアトリーチェの儀式を止め、彼女を潰すことが全員の最優先――ミカの理性は、その優先順位をはっきりと理解していたのだ。
積み上がった感情の重さと、殺し合いに発展しかねない因縁をよそに、たった一言の皮肉だけで鉾を収めたミカ。
その不器用で、けれど決定的な「歩み寄り」に、先生は目を細めて優しく微笑んだ。
「今は感謝しか出来ない、必ずケジメは取ろう――行くぞ」
張り詰めていた空気を切り裂くように、サオリがやや疲れは残るが覇気のある声で仲間に促した。
サオリ達は、アツコが囚われている儀式の間――ベアトリーチェのもとへ急ごうと歩み出そうとする。
だが、この広大なバシリカ内部は無防備ではない。このまま進めば正面はベアトリーチェ、背後からは追撃部隊に挟み撃ちにされる危険性が極めて高かった。
先生がその懸念を口にするより早く、ミカが広間の中央に陣取り、ふわりと立ち止まった。
「ミカ……?」
振り返った先生に対し、ミカはいつもの無邪気な、けれど確かな決意を秘めた笑顔を向け、そして胸を張る。
「先生たちは、あのアツコって子を助けに行くんでしょ? だったら、ここは私が引き受けるよ」
「……お前が、しんがりを務めるというのか」
サオリが信じられないという顔でミカを見返す。下水道で自分たちを叩き潰そうとしていた「魔女」が、今度は自分たちの背中を守る盾になると自ら申し出たのだ。
「勘違いしないでよね。私は先生のために残るだけだから」
ミカはぷいっとそっぽを向くと、先生の目を真っ直ぐに見つめ直した。
その瞳には、地下水道で見せていた暗く澱んだ依存の光はない。
あるのは、自分が犯した過ちと向き合い、少しでも前に進もうとする、不器用だが純粋な意志だ。
「先生、行って」
ミカはふんわりと微笑み、言葉を紡ぐ。
「私はもう、タグさんに救ってもらった。私が悪い子でも、見捨てないで怒ってくれる人がいるってわかったから。……だから、次は私が救う方になるよ。だって救ってもらって、はい終わりじゃダサいもの」
その言葉に、先生は深く頷いた。タグという不器用な兵士が、彼女の抱えていた絶望の泥沼をどうやって晴らしたのか、その全容はわからない。
だが、目の前に立つ彼女が、もう自分を見失うことはないと確信できた。
「頼んだよ、ミカ。……絶対に無理はしないで」
「えへへ、任せて!ここから誰一人通さないんだから」
サオリは無言のまま、ミカに向かって深く、一度だけ頭を下げた。ミサキとヒヨリもそれに倣うように背を向け、先生を囲むようにしてベアトリーチェが待つであろう儀式の間へ進む。
彼らの切羽詰まった足音が、やがて奥の深淵へと吸い込まれ、完全に聞こえなくなる。
一人残されたバシリカの広間で、ミカは大きく伸びをし、首をポキポキと鳴らした。
そして、自分が守るべき人たちを背にして、誰もいなくなった広間の正面へ向けてサブマシンガンを構え直す。
「さてと……。先生たちの邪魔をする悪い子は、私が全部壊してあげる」
星空のように輝く彼女のヘイローが、迎撃の意志を帯びて鋭く明滅を始めた。
先生たちの足音が完全に途絶え、バシリカの広間は再び底知れぬ静寂に包まれた。
――ほんの少し時間が経った頃。
冷たい石畳の底から、青い光の粒子が、霧のように立ち上り始めた。
空間の温度が急激に下がり、カビと古い本の匂いが漂っていた広間に何かの気配が満ちる。
「あーあ、やっぱりお留守番には、ちゃんと退屈しのぎが用意されてるんだね」
ミカは呆れたように肩をすくめた。
立ち上った青い粒子が収束し、次々と人の形を成していく。
現れたのは、青白い肌に古風な修道服を纏い、顔をベールとガスマスクで隠した幽鬼の群れ。
――ユスティナ聖徒会のミメシスだ。
手に様々な銃火器、防弾シールド、斧などの近接兵装を構え、一切の足音を立てずにミカを半円状に包囲する。
ざっと見積もっても五十は下らない。常人であれば、その無言の圧力と圧倒的な数に腰を抜かしている。
だが、トリニティ最強と謳われる少女は、そんな亡霊の群れを前にして、ひらひらと空いている方の手を振ってみせた。
「きゃは☆お留守番にはちょうどいい数かもね。か弱い乙女をいじめる悪い子たちは、みーんな壊してあげる!」
ミカのヘイローが、彼女の気合に応じて眩い光を放つ。直後、彼女の足元の石畳が爆発したように砕け散った。
シスターたちがライフルを構えるよりも早く、文字通り弾丸のような速度で敵陣中央へと突撃したのだ。
――形容しがたい鈍い衝撃音。
ミカがサブマシンガンのストックで横薙ぎに殴りつけただけで、先頭のシスターの構えていた分厚い防弾シールドが紙屑のようにひしゃげ、背後の数体ごと吹き飛ばされて石柱に激突する。
「あはっ、次! どの子?」
ステップを踏むように踊りながら、ミカはサブマシンガンを乱射する。強烈な神秘をまとった弾丸が幽鬼たちの身体を次々と撃ち抜き、青い光の粒子へと還元していく。
弾が切れれば、今度はその常軌を逸した膂力による徒手空拳が唸りを上げた。華奢な足が振り抜かれるたびに、バシリカの堅牢な石造りの柱がへし折れ、その瓦礫ごとミメシスたちを粉砕していく。
「んー、ちょっと弱すぎるんじゃない?」
準備運動にもならないかな?とミカはぼやく。
一切の痛痒も、疲労も感じさせない蹂躙劇。ミカにとって、この程度の「数」だけの群れは、足止めにすらならなかった。
「これで……おしまいっと!」
ミカが放った最後の一蹴りが、残っていた数体のシスターを纏めて吹き飛ばす。敵は完全に粒子となって霧散し、広間には再び静寂が戻った。
「ふう……。これなら先生と合流するのも考えたほうがいいかな」
ミカは乱れた髪を掻き上げ、サブマシンガンの弾倉を新しいものへと交換する。息一つ乱れていない。
だが、カチャリとボルトを引いたその瞬間――。
ミカの背筋を、氷の刃で撫でられたような強烈な悪寒が駆け上がった。
「……え?」
空気が、明確に変わった。
先ほどまでのユスティナ聖徒会のミメシスたちが放っていた気配とは、次元が違う。
バシリカの広間全体が、目に見えない巨大な万力で締め上げられているかのように、呼吸すら困難になるほどの重厚な神秘の圧力を発していた。
祭壇のさらに奥、絶対的な暗闇が口を開けている場所から――何かが、来る。
ミカは顔から笑みを消し、サブマシンガンを両手で強く握りしめたまま、その圧倒的なプレッシャーの震源地を睨みつけた。
祭壇の奥、光すらも呑み込むような絶対的な暗闇の中から、ゆっくりと、だが確かな足音を響かせて進み出てくる一つの影があった。
ミカは目を細める。
現れたのは、先ほどまで蹂躙していたシスターたちとは、明確に格の違う存在だった。
――ようやく全貌が見えた。
漆黒の光沢を放つフルボディのラバースーツが、喉元から爪先までを隙間なく覆い、肉体の起伏を露骨に浮き彫りにしている。胸部の膨らみは、交差する細いハーネスのベルトによって強く締め上げられている。
(見たことのない戦闘服――ちょっと破廉恥かな)
ただし、それは油断どころか警戒心を跳ね上げるだけである。
というのも吸い付くように生地が密着した、柔らかな曲線の肢体は、その下に秘められた強靭な筋力を同時に予感させた。
顔面は無機質なガスマスクによって完全に密閉され、その素顔と視線を伺うのは不可能だった。
マスクのレンズ部分は冷たく発光し、左右の排気ユニットからは重苦しい呼吸の音が漏れている。 頭部を覆う黒いベールからは、淡い水色の長髪が冷たい炎のように広がり、ベールと共に静かに揺れている。
(痴女呼ばわりされちゃうんじゃない?)
とミカは変な心配をした。
ただそれ以上に異常なのは、両腕に肉体に見合わぬ巨大な重火器が携えられていることだろう。
右腕には重厚な大型砲、左腕には多砲身のガトリング。
それら鉄の質量を支える指先は、細身のヒールブーツが刻む「コツ、コツ」という冷ややかな足音と共に、不気味なほどの静寂を保っている。
(前言撤回、しんがりをして正解)
ミカは先ほどの考えを実行に移さなかった自分を褒める。
頭上には、ひび割れた青白いヘイローが、音もなく回転を続けている 。
これこそがベアトリーチェの切り札――かつての聖徒会を束ねた存在である聖女バルバラ、彼女のミメシスだ。
バルバラの姿がバシリカの微かな月光に照らされた瞬間、ミカのヘイローが、警鐘を鳴らすように激しく明滅する。皮膚が総毛立ち、本能的な恐怖が背筋を駆け上がる。
「……っ、親玉のお出ましってわけ?」
ミカは強がって口角を上げると、先手必勝とばかりにバルバラへ向けてサブマシンガンのトリガーを引き絞った。神秘を帯びた弾丸が、真っ直ぐに頭部と胸部へ殺到する。
だが、バルバラはその弾幕を無言で受け止める。
効いていないわけではない。被弾の度に、聖女の身体の輪郭がぼやけている。
しかし有象無象のシスターに比べれば本当に若干である。まるでミカの力量を図るように被弾をしてみたのだと。
(お前の実力はわかった)
そう伝えるかのように、バルバラは微動だにせずゆっくりと左腕の巨大なガトリングガンを持ち上げ、銃口をミカへと向ける。
ギュィィィィン……!
銃身が回転を始める不気味なモーター音。直後、鼓膜を破るような轟音と共に、圧倒的な質量の弾幕がミカを襲う。
「きゃっ……!」
ミカは持ち前の反射神経で横へ跳躍し、石柱の陰へと滑り込む。しかし、回避しきれなかった一発の弾丸が、彼女の白い二の腕を僅かに掠めた。
「あっ……ぁぁぁッ!?」
その瞬間、ミカの喉から、自分でも信じられないような悲鳴が上がった。
通常の重機関銃の直撃すら「何か当たった?」程度で済ませる、トリニティどころかキヴォトスでも最強の物理的耐久力を持つミカ。
――たった一発の弾丸が掠っただけ。
それだけで焼け焦げるような、骨の髄までドロドロに溶かされるような激痛が、ミカの神経を焼く。
「な、なに……これ……っ!?」
ミカは石柱の裏にうずくまり、震える手で血の滲む腕を押さえる。傷は浅い。
だが、痛みの質が根本的に違う。
体が痛いというものとは違う、まるで心そのものを直接殴られたような形容しがたい痛み。
それは物理的な破壊力によるものではない。
このミメシスが持つ原初の特性――ミカにとっては極めて悪辣で概念的な「三重の補正」によるものだった。
一つ、異端者(魔女)征伐の特攻。
――ナギサを騙し、セイアを傷つけ、結果として学園中を混乱に陥れたミカは「魔女」と呼ばれるにふさわしい大罪を背負っている。その罪を断罪するための神秘の特攻。
二つ、トリニティ総合学園に対するパブリックエネミー排除執行という特攻。
――学園に対するクーデターを引き起こした裏切り者という事実が、断罪組織であるユスティナ聖徒会に、執行権による強烈な補正が保証された。
三つ、裏切り者は生まれるべきではないという呪い。
――「自分は悪い子だ」と思い詰め、重ねてきた罪悪感からくるミカ自身の強烈な自己否定。それをユスティナ聖徒会が信奉する教義からすれば許されない罪であり、それは正すべき悪。
ミカが抱える数々の精神的な脆さが、そのまま物理的な「弱点」として変換され、彼女の肉体に刻み込まれているのだ。
「ああっ……! 痛い、痛い……っ!」
ミカのあらゆる来歴と罪が、聖女の放つ弾丸の一発一発に乗って、魂そのものを削り取っていく。
ミカが隠れていた分厚い石柱が、バルバラの右腕の大砲の一射を受けて紙屑のように粉砕された。
右手の大火力、左手の圧倒的な弾幕の前に、反撃の隙などない。
ミカは防戦一方となり、顔を苦痛に歪めながら、瓦礫の散乱する冷たい石畳の上を這いずるように回避を強いられていった。
「痛い、痛いよ……」
ミカは心を庇いながら、瓦礫の山を転がるようにしてバルバラの凶悪な掃射から逃げ惑う。
だが、逃げ場はない。広間の石柱は次々と粉砕され、彼女を隠す盾はすでにどこにも残されていなかった。
(……足が、動かない。お願い、動いて)
普段の彼女であれば、息一つ乱さないはずの運動量。
だが、聖女の放つ「魔女狩り」の概念的圧力と、罪悪感を抉る神秘の痛みが、ミカの体力を根こそぎ奪い去る。
膝がガクガクと震え、視界が泥のように滲む。
経験したことのない不利な状況に、注意力が削がれる。
ついに、瓦礫の破片に足を取られ、ミカは冷たい石畳の上へと無防備に倒れ込んでしまった。
「あ……」
顔を上げたミカの瞳孔が収縮する。立ち上がることすらできない彼女の頭部を、バルバラの右腕に据えられた大砲が無慈悲に、そして正確に捉えていた。
耳が痛くなるような高音が大砲から発せられる。その銃身にエネルギーが充填されているのだ。
そして火を噴こうとしたその瞬間。
――広間の壁が弾けた。鈍い破壊音とともに、はじけ飛ぶ壁の石材。
現れたのは傷だらけの緑の騎兵。
ミカとバルバラの間に、ローラーダッシュ音を響かせながら緑の騎兵の巨体が割り込む。
先ほど外の広場で戦闘を演じた、タグの乗るスコープドッグである。
大砲を使うのを諦め、左腕ガトリングガンでけん制をしかけるバルバラ。
放った圧倒的な弾幕が、スコープドッグの側面装甲に容赦なく叩き込まれる。
しかし、神秘を帯びた聖女の攻撃は、スコープドッグ相手にはあまり補正がないようだ、装甲を貫通出来ていない。
アストラギウス銀河では対人火器によって貫通もありえる紙装甲と揶揄されるスコープドッグ。
しかし度重なるエンジニア部によるアップデート――装甲材質の見直し、装甲厚の向上、被弾時に的確な傾斜角度を保持する姿勢制御プログラムによって多少の被弾は致命傷どころか、むしろ装甲をアテにして耐えることも選択肢に入るほど、その性能は昇華されていた。
(最後の弾だ)
聖女へ向けてヘヴィマシンガンの銃口を突き出す。
――外見は女であるが、あれはオカルトだ。心もそれに納得しているのかトリガーを引く指に躊躇は無い。
残されていた僅かな30mm弾が、バルバラへ向けて殺到する。
さしもの聖女も、ミカのような理不尽な防御力はさすがに持ち合わせていないようだ。
30mmの直撃弾にバルバラの身体が大きくのけぞり、青い肉体の輪郭が大きくぼやける。
しかし、無情にも数発を撃ち尽くしたヘヴィマシンガンはこれで残弾0となった。
(効きはする……しかし主兵装残弾0)
タグは即座に戦況を計算する。あの時、アリウスの生徒を庇ったせいで予備弾倉を全て失ったのがあまりに痛すぎる。
一方のミカも、スコープドッグの陰で荒い息を吐きながら、ギリッと奥歯を噛み締めていた。
今のやり取りで彼女は理解したのだ――自分の純粋な膂力ならバルバラを粉砕することが、可能であると。
概念による火力が異常なだけであり、防御にはあまり影響がないようだ。それならば破壊出来るとミカは踏んだ。
だが聖女の攻撃は、ミカにはあまりにも効きすぎる。
また近づいて近接攻撃を叩き込むための「リーチ」が決定的に足りない。飛び込もうとすれば、その前に蜂の巣にされ、自分の足が止まってしまう。
火力が足りない兵士と、間合いが足りない少女。
二人は、この絶対的な死地の中で、互いの窮地と「足りないもの」を悟り、ほぼ同時に視線を交わした。
被弾によりスコープの縁部分が欠けたターレットレンズから放たれる視線と、血と汗にまみれつつも諦めなど一片もない瞳が放つ視線。
その二つの視線が熱く交わる。
「……タグさん」
ミカの息が切れた、だが確かな闘志を宿した声。
『ああ』
外部スピーカーから響くいつもの平坦な、それでいながら覚悟が籠った兵士の声。
兵士であるタグと、迷いと諦観を振り切ったミカ。
二人はたった一瞬の視線の交錯だけで、この状況を打破する「唯一の戦術」を完全に共有した。
――言葉は不要。
聖女の行動原理は極めて単純。「敵を排除せよ」というベアトリーチェの命令を遂行するだけの、知性のない自動人形に過ぎない。
タグは弾の切れたヘヴィマシンガンをバルバラへと投げつける。そして正面へとローラーダッシュで猛然と突撃した。
いきなり主兵装をこちらに投げつけるという奇策に、バルバラは即座に右腕の大砲でヘヴィマシンガンを払いのけようとして――判断を誤る。
ヘヴィマシンガンの総重量は1トン!
その重さを払おうとして振った右腕の大砲との衝突の衝撃は、おもわず大砲を手放してしまうほど大きいものだ。
しかしバルバラは、その後の判断を間違えない。
大砲を拾うなどという悠長な判断はとらず、最も巨大で目障りな脅威であるスコープドッグへ向けて左腕のガトリングを掃射する。
緑の分厚い装甲が弾幕を弾く。若干装甲にめり込んだ弾が、ひしゃげた装甲片と火花を伴って広間へ飛び散る。
(あと耐えられてニ、三度か)
ミレニアム製のダメージコントロールモニターは、今の被弾があと数秒続けば装甲貫通率が致命的になると警告する。
圧倒的な弾幕を緑の騎兵が身を挺して引き受けているその隙に、ミカが死角から回り込んで一気に距離を詰めた。
「ハァッ……ハァッ……!」
魔女狩りの痛みに顔を歪めながらも、ミカは瓦礫を蹴ってバルバラの側面へ迫る。
しかし、バルバラの単純な戦闘アルゴリズムは、もう一つの脅威であるミカの接近を看過しなかった。
片腕のガトリングを騎兵へと向けつつ、右腕でミカの正面からの一撃をいなす。
自身の正拳を、右腕一本で流し受けされたミカの表情が驚愕に染まる。
そのままバルバラは右足のミドルキックでミカの腹部を一蹴。くの字に折れ曲がったミカが後ろへ吹き飛ぶ。
しかしミカはすぐさま起き上がる。どうやら肉体を使った攻撃ではあまり補正がよくないようだ、ミカの勢いはまったく削がれていない。
とはいえ緑の騎兵とミカ、二人が飛び込めば蜂の巣にされる絶妙な距離感を、バルバラは後退しながら正確に維持し続ける。
『チィッ……!』
タグがフットペダルを踏み込み、強引にバルバラの射線をスコープドッグへ向けさせる。ミカが回避のために下がり、タグが前へ出る。
タグが被弾を覚悟で弾幕を引き受け、ミカが再び側面から仕掛ける。
兵士と少女は交互に仕掛け、知性のない聖女の迎撃システムを少しずつ過負荷に追い込んでいく。
だが、その綱渡りの連携にも、明確な「限界」が近づいていた。
ダメージコントロールモニターとゴーグルモニターが同時に、スコープドッグが致命的ダメージを負ったと報告する。バルバラの強烈な掃射が、ついにスコープドッグの腹部、最も装甲の薄い駆動部の隙間を直撃した。
キュルルルルッ……という致命的な異音がタグの足元直下、コンプレッサー機構から鳴り響き、マッスルシリンダーの出力が低下し始める。
PR液循環機構にダメージ、そのためPR液の循環が停止――それはつまり全身の筋肉に血液と酸素が回らないのと同じ。
コックピット内のダメージモニターがすべて真っ赤に染まる。機体の残存稼働時間、わずか2分との表示。
一方のミカもまた、聖女の放つ「裏切り者」への概念的圧力に当てられ、全身から血を流し、ついに膝が笑い始めていた。
これ以上長期戦になれば、先に崩れるのは自分たちだ。
限界は、もうすぐそこまで来ている。
ギリギリの攻防の中、二人の目には聖女の射撃パターンの「隙」がはっきりと見え始めていた。
知性のないミメシスゆえに、二つの目標を交互に狙うその旋回速度と、弾幕を張り直すコンマ数秒のラグが、規則正しいアルゴリズムとして完全に露呈していたのだ。
(……今だ)
タグはコントロールスティックを握り直し、外部スピーカーの音量を最大に跳ね上げた。
『跳べ、手を伸ばす!』
血を吐くような、気迫に満ちた咆哮。
同時に、スコープドッグがフットペダルを踏み抜き、左腕のマッスルシリンダーをオーバードライブさせる。
急速に酸化、劣化するPR液――次の動作はもう出来ない。
しかしこの一瞬が通ればそんなことはもう気にしないと言わんばかりに人工筋肉が収縮する。
すべて左腕へと回し、その巨大な金属の掌をミカへ向けて力強く突き出した。
「いくよ!」
ミカは一切の躊躇なく、残された力を振り絞って冷たい石畳を蹴り上げた。宙に舞い、差し出された緑の装甲の掌を、自らの両手でガシッと強く握りしめる。
スコープドッグの左手は、この限界の状況でありながらミカの手を、握り潰さない程度の繊細な握力で握った。
極限の状況下で繊細な操作に成功したタグは、今度はコントロールスティックを限界まで引き倒して、機体の胴体を独楽のように急回転させた。
両足のターンピックが起動し、スコープドッグの下半身を地面と強固に接続する。
腰、肩、腕の機構が生物のように連携をとり、手を掴んだミカを大上段で投げるかのように振り回す。
スコープドッグの全身、限界を超えたマッスルシリンダーが悲鳴を上げる。
凄まじい遠心力が生み出され、スコープドッグの腕にぶら下がったミカの身体が、一気に加速しながら宙へと振り回された。
アルゴリズムで動くがゆえ、聖女は判断を一瞬保留してしまった。
手をつないだスコープドッグとミカ、どちらが優先すべきか判断エラーを起こしたのだ。
それでも反撃は淀みなく行おうとして、バルバラのガトリングが一機と一人を追尾しようと銃口を上げる。
しかしその一瞬の差が勝敗の差を分けた。遠心力によって振り回されたミカの速度の方が、ミメシスの機械的な旋回速度を完全に上回っていたのだ。
「やっちゃえ、タグさん!!」
『応!!』
スコープドッグの左腕を掴んだまま大上段で振り回されるミカ。その最先端、踵部分が狙うのは聖女の頭部。
その細い両脚に込められた破壊力は、純粋な暴力そのものだ。
遠心力と重力に従い、隕石のように落下しながら放たれた渾身の踵落としが、バルバラの脳天へと直撃した。
鼓膜を破るような硬質な破壊音がバシリカの広間に響き渡る。衝撃でバルバラの体が大きく石畳へと沈み込んだ。
「タグさんっ!!」
踵落としを決めたミカは、スコープドッグから手を放し、荒い息を吐きながら叫んだ。頭部という人の弱点に最大の一撃を与えられたバルバラの体がぐらつく――しかし、倒れない。
とどめを刺さなければ、即座にあの凶悪な弾幕が再開される。その確信が、二人の身体を同時に動かした。
『……ッ!』
タグはフットペダルを底まで踏み抜き、限界を超えたスコープドッグを前進させた。
バルバラが朦朧としながらも左腕のガトリングを構えようとした瞬間、また生きているスコープドッグの右腕でその巨大な銃身を横から殴りつける。
火花が散り、銃口が上を向いて曳光弾が夜空へと逸れる。その死角を縫って、ミカがバルバラの懐へと潜り込んだ。
「はぁぁぁっ!」
ミカの拳がバルバラのみぞおちにめり込み、鈍い衝撃音が広間に響く。
バルバラが大きく体勢を崩すが、即座に今度はミカの頭を握りつぶそうと、右手で彼女の頭部を掴む。短い時間とはいえ、頭にかかる握力に頭蓋骨がミシミシと音を上げ、その痛みにミカの表情が強く歪む。
そこへ、スコープドッグの右足がヤクザキックを放つ。ミカの拳に続いて、今度は鉄の塊のつま先がバルバラの腹部に突き刺さる。
兵士と少女。冷たい鉄の塊と、血の通った神秘の肉体。
二つの全く異なる暴力が、流れるような交互攻撃となってバルバラの体を休む間もなく蹂躙していく。
骨と骨がぶつかる音、石が砕ける音、そして人工筋肉とPR液が焼き焦げる人工臭が広間を満たす。
地面に倒れたバルバラを踏みつけるスコープドッグの足。ターンピック先端をバルバラの頭部に当たるように調整すると
ガン!ガン!ガン!
撃ち出される強烈な反動が、限界を迎えたスコープドッグのフレームを軋ませ、装甲の隙間から火花を散らす。それでも搭載火薬を使い切るまで、何度も撃たれたターンピックの先端がバルバラの頭部に直撃する。
しかし緑の騎兵はここで限界となった。
最後のターンピックの作動と同時にマッスルシリンダーがとうとう全て沈黙、動作停止したのだ。
自重に支えられなくなったスコープドッグが横に倒れる。
ようやくスコープドッグの8トンの全重量と、ターンピックの連打から解放されたバルバラは、起き上がろうとして――
「これで……本当の本当に最後!」
倒れそうになるスコープドッグを踏み台にして、ミカが上空にジャンプする。
そしてバルバラの無防備なボディに位置エネルギーを込めた両足のストンピングが突き刺さる。
生々しい肉体の蹂躙音が響く。
ミカの踏みつけによって、バルバラを巻き込んでさらに地面が穿たれた。
舞い上がった土煙が晴れていく中、バシリカの広間にようやく、暴力の嵐が過ぎ去った後の重い静寂が降りた。
――ひどく間延びした、空気が漏れるような音が響いた。
脱出するためにスコープドッグの頭部、ターレットレンズのレールカバーが手動で開かれた。
機体が横倒しになっているのでコックピットハッチが開かないのだ。
赤い耐圧服姿のタグの身体が、レールカバーが開いた隙間から這い出てきた。
軍用ブーツの硬い足音を石畳に響かせ、立ち上がる彼は周囲を見渡す。
体力的には消耗は少ない。
なのでまず残された体力と気力のすべてを使い果たしたであろうミカの保護に向かう。
彼女は広間の石畳に、仰向けになって倒れ伏している。
彼女の足元には深さ1mほどの大穴が開いており、大穴の底には沈黙した聖女がいた。
「はぁっ……あ……」
糸が切れた操り人形のように、ミカの身体がすこし震える。
石畳の上で身じろぎするが、文字通り全てを使い果たした彼女はもう一歩も動けなかった。
全身隙間なく痛みを訴える。そこにバルバラから受けた「魔女狩り」の概念的ダメージが、彼女の意識を泥のような暗闇へと引きずり込もうとしていた。
夜明けの星空のごとく輝くヘイローは今にも消え入りそうなほど弱々しく、微かな瞬きを繰り返すだけになっていた。
――指先一つ、動かせない。だが、ミカは不思議と晴れやかな表情を浮かべていた。
(先生の道は……作れた、かな……)
血と汗、埃にまみれた頬を冷たい石畳に押し付けたまま、ミカは小さく、安堵の息を吐き出した。
そこにタグが駆け寄る。そして片膝をつき、両腕でミカの上半身を起こす。
タグの表情は、自治区で休憩した時の厳しい目つきと顔つきでなく、柔らかい表情をしているように見えた。
(――この人、こんな顔しているんだ。なんだ、キツイ顔してなきゃ先生と同じくらいカッコイイかも)
霞む視界でも、それくらいはわかった。
「外傷や出血の類はあるか? 申告しろ、内臓へのダメージも確認したいところだ」
手には軍用水筒と救急キットを携えている。
許されるならば、ミカの衣服を切り裂き、腹部などに命に関わる内臓出血がないか直接チェックするつもりのタグだ。
「……大丈夫かな。紅茶、ちょっとぬるいけどお砂糖一杯の紅茶が飲みたい」
冗談とも本気ともとれる軽口に、タグは一度大きく息を吐く。
「その軽口はナギサにしてやれ」
再び引き締まった表情を見せるタグ。
しかし――現実は無情だった。
地面の穴から、ひどく歪で、金属が不快に擦れ合うような音が響き始めたのだ。ミカが、重い瞼を微かに開ける。
「嘘……でしょ……?」
内部の光の粒子をボロボロと零しながら、聖女が不気味な音を立てて、立ち上がろうとしていた。
知性のない亡霊には、痛みも、恐怖も、疲労も存在しない。
ただ「敵を排除せよ」という絶対的な命令だけが、その破壊された身体を強制的に動かしているのだ。
立ち上がったバルバラの右腕が、穴の縁を掴む。
ターンピックによって完全に破壊されたガスマスクの隙間から、聖女の虚無じみた視線がタグとミカに刺さる。
(ここまでか……)
タグは、ミカの上半身を包むように彼女を抱きかかえる。
逃げるという選択肢はなかった。それくらいなら、ほんの一秒でも自分の肉体を盾とし、ミカを生き永らえさせて生存の可能性を伸ばすことに賭ける。
「逃げて。私は無理だけど……タグさんは動けるでしょ」
タグの行動に「やめて」と、残った力を振り絞って声をあげるミカ。
――生存本能がないわけではない。
暗闇に潜む神の影に怯え、死を恐れる弱さは確かに彼の中にある。だが、極限の死闘が彼の精神力を枯渇させていた。
思考の底に沈めていた『キリコという光を失った虚無』が、絶対的な死を前にして泥のように溢れ出す。自分の肉と骨が砕ける時間で、腕の中の少女の命が数秒でも長引くならそれでいい。
それは生存本能の摩耗がもたらした、狂気にも似た病的な諦観だった。
外の広場で、ミメシス・スコープドッグの弾幕から見ず知らずのアリウス生徒を庇った時もそうだった。彼にとって己の命とは、誰かの生存確率を数秒引き伸ばすための、ただの『使い捨ての盾』でしかないのだ。
かつて、瀕死のヒヨリを救い上げた時も同じだ。
空っぽな彼にとっては、自分の命や立場よりも、目前で死に瀕している少女の命のほうがずっと価値がある。だからこそ、ナギサに対して自分の首を絞めるような無理難題を、平然と申し出ることができたのだ。
――あの甘い大人に恩を返し切れなかったこと。そしてミカのために泣いたナギサに、友を連れて帰れそうにないという後悔だけが心を占めた。
とうとう穴から這い出た聖女が、ひしゃげた左腕のガトリングを二人へと向ける。
だが、タグは腰の銃を抜くことすらしなかった。迫りくる死の銃口を、ひどく冷めた、虚無の瞳でただ見つめている。
ミカはタグの腕の中でほんの少し身じろぎしたあとに、止めた。
――諦めたわけではない。
自分を包み込む分厚い耐圧服越しに、人の体温と力強い鼓動が伝わってくる。
(この人はこの瞬間も、ナギちゃんと私のために命を捨ててくれるんだ)
そう思うと、死の恐怖はなかった。
だが、目の前の兵士が「自分の命をゴミのように捨てようとしている」ことだけは、どうしても許せなかった。
「……ふざけ、ないでよ」
ミカは、タグの背中越しに、血まみれの震える腕を懸命に持ち上げる。
もう指先一つ動かないはずの肉体が、先生との約束――そして、自分を庇うこの空っぽな兵士を守るという執念だけで、サブマシンガンの銃口を聖女へと向けようとしていた。
「私は絶対に、あきらめないんだから!」
聖女に対し、弾切れ寸前の銃など何の意味もない。それでも、空っぽな兵士とは対照的に、少女だけは最後の1秒まで抗うことを選んだ。
銃身が、再び重苦しい回転を始めようとモーター音を鳴らす。
――その刹那。
バシリカの分厚い石畳を震わせ、地下のさらに奥底――深淵の儀式の間から、空間そのものを引き裂くような、おぞましい絶叫が響き渡った。
『アァァァァァァァァァァッ!!?』
それは、苦痛によるものではない。計画のすべてを根底から打ち砕かれ、己の存在意義すらも否定された者の、完全なる敗北と屈辱に満ちた絶叫。
この狂気の儀式を主導していたベアトリーチェの悲鳴だ。
儀式場へと向かった先生と、サオリたちアリウススクワッドが諸悪の根源を討ち果たし、アツコを救出した何よりの証左だった。
その声が広間に反響した瞬間。
ピタリ、と。
バルバラの体が、まるで時間を止められたかのように硬直した。
「……え?」
死を覚悟して目を閉じていたミカが、薄く目を開け、信じられないものを見るように瞬きをした。タグも一緒にその光景を見る。
命令者の敗北と、儀式の崩壊。
それは同時に、このバシリカを覆っていた「神秘の供給源」が完全に断たれたことを意味していた。知性のない自動人形を縛り付けていた絶対的な命令の糸が、プツリと切れたのだ。
聖女は、動けないミカとタグを見つめている――そこに敵意はない。
ただ、己の役目が終わったことを悟ったような、静かで空虚な佇まいだった。
しかし壊れたガスマスクから漏れ出る視線には感情が浮かび上がっていた。
(感謝を)
何故かわからない。ミカとタグは、聖女がこちらに礼を言ったような気がしたのだ。
やがて――バルバラは、足元から儚い光の粒子となって崩れ始めた。
その粒子は、もはや魔女狩りの呪いや憎悪を帯びることなく、ただの神秘の残滓として、夜の冷たい空気の中へサラサラと溶けていく。
崩壊は足元から腰へ、胸部へ、そして頭部へと静かに、粛々と進行していく。
しかしその瞳に込められた感情は、最後まで二人を照らしていた。
最後に残された顔を隠すベールが風に舞い、光となって完全に消え去るまで、ほんの数秒のことだった。
先ほどまで圧倒的な暴力で二人を蹂躙していた聖女の複製は、まるで最初から存在していなかったかのように、跡形もなく霧散した。
「……終わった……の?」
ミカが、ひどく掠れた声で呟く。冷たい石畳の上に横たわったまま、彼女の目から、安堵と疲労が入り交じった大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
「終わった、と見ていい」
タグは大きく、深く息を吐き出した。彼も緊張の糸が切れていたが、ミカを支える腕はしっかりとしたままだった。
広間には、破壊された石柱の残骸と、鉄屑と化したスコープドッグだけが転がっている。だが、そこに満ちているのは死の気配ではなく、すべてを乗り越えた後の、圧倒的な静寂だった。
「タグさん……」
ミカが、涙声で小さく呼びかける。
「……ありがとう。私、先生の……みんなの邪魔をする悪い子たちを、ちゃんと止めたよ」
「お前一人でやったわけじゃない。……だが、よくやった」
タグの平坦な声には、いつもの冷徹さの奥に確かな労いの響きが混じっていた。
兵士と少女。決して交わるはずのなかった二つの運命が、最も絶望的な戦場で背中を預け合い、そして生き残った。
狂気の儀式は灰塵に帰した
硝煙の晴れた空の下、大人と少女たち、そして野良犬はかりそめの平穏に身を浸す
だが深淵の底では、妖しき者たちの狂宴がなおも踊り続ける
満身創痍の大人は、癒やしの天使がもたらす白き羽に包まれ
泥に塗れた兵士は、ただ一つの不器用な約束を果たすために歩み出す
地に堕ちた天使が失った光を、共に泥濘の中から拾い集めるために
次回「第1章エピローグ」