――ミレニアムサイエンススクール、エンジニア部の作業ガレージ
ガレージの一角、特殊合金壁で囲まれた防爆防炎区画に、チェーンブロックで吊り上げられた
緑の鉄塊――バシリカの広場から輸送ヘリを使って回収された『スコープドッグ』が、痛々しい姿を晒して鎮座していた。
決して広くないその区画には、焼け焦げた代替PR液の化学臭と、装甲に染み付いた硝煙の匂いが充満している。
もっとも、分厚い防護スーツに身を包んだ二人には、その悪臭は届いていないようだが。
「……見れば見るほど、褒めたくなるほど酷使したものだ」
スーツを着た一人、白石ウタハが手袋越しに掴むタブレットのホログラムモニターに投影されたダメージコントロールログと、目の前の実機を交互に見比べながら、呆れたような、しかしどこか歓喜を含んだ感嘆の息を漏らした 。
「腕部と脚部のマッスルシリンダーは再使用不可能。……ログを見る限り、戦闘の終盤でコンプレッサー機構が破損し、PR液の循環が完全に停止している」
「はい! そこで、この機体がどれほど無茶な動きをしたか、ATの駆動系である『MC(マッスルシリンダー)』と『PR液(ポリマーリンゲル液)』の関係について、わかりやすく記録しておきましょう!」
同じくスーツを着た豊見コトリが前に飛び出し、嬉々として早口での解説を兼ねた記録を始める。
「人間の体に例えると、マッスルシリンダーは『筋肉』、そしてPR液はそこに酸素とエネルギーを運ぶ『血液』です!PR液を使った化学反応で人工筋肉が収縮し、機体が動く仕組みなんですが……」
スコープドッグの下半身部分を指さす。
「PR液を循環させるコンプレッサーが壊れたということは、人間で言えば『心臓が止まり、呼吸ができない状態』と同じです!なのにタグさんは、急速に酸化・劣化していくPR液を無理やり使って、マッスルシリンダーをオーバードライブさせました!」
「その結果がこれさ」と、ウタハが半壊した左腕の装甲を叩く。割れた装甲の隙間から、酸化した代替PR液の形容しがたい悪臭が漏れ出る。
「通常の駆動なら、人工筋肉である高分子ポリマー繊維……その構造転位は二次構造と三次構造の間で行われるから、バネのように元の状態へ戻る。だが、分子鎖が一次構造にまで完全に解け切るほどの過負荷を連続でかけた結果、ポリマー繊維が溶けてしまってるね、これは」
「内燃機関でいうスーパーチャージャーの常時使用と同じですね!エネルギーを担う高分子の可逆性が過度に阻害されて、PR液が一気に酸性化してしまっています」
コトリの言葉にうなずきながら、ウタハはドロドロになった液体の名残を指差す。
「機体内の腎臓にあたる濾過装置が停止したのも最悪だ。シリンダー内の人工筋肉が耐酸限界を突破した結果がこれか。単なるPR液の全交換じゃ誤魔化せない……ポリマー繊維全部を丸々交換する以外もう取る手段がない」
「循環が止まった状態で、機体の設計耐荷重を超える振り回し攻撃を強要したのもよくなかったですね、これは」
アストラギウス銀河の兵士にとって、ATは基本的に使い捨ての道具だ。ATの整備性は高いが、ここまで破損していたら機体ごと交換が推奨される。
しかし、タグはエンジニア部にこんな通信を入れてきたのだ。
『直してほしい。あれはナップケルテ星産の上物だ。金や権力、コネを費やしても手に入る保証がない最高級品……贈り物とはいえ、手放すには惜しい』
ストックされた補修パーツを流用し、胴体ブロックだけ新造すれば新しいスコープドッグを用意することは出来る。
通信の内容は、彼なりの遠回しな愛機への執着。それを聞いたウタハは、自慢げに鼻を鳴らした。
「マイスターに向かって愚問だね。限界まで主を守り抜いたこの機体の『魂』には敬意を表さなきゃならない。元のパーツを丁寧に修復して、完璧に『元通り』に直してみせるさ 」
防炎防爆区画から出てきた二人は、スーツのヘルメットを脱ぐ。そしてガレージの別区画へと視線を向けた。
「だが……私たちがやりたい『ロマン』は、あっちだ」
ウタハの視線の先――新しいハンガーには、まだコックピットのブロックと、一部の基礎フレームだけで構成された「未完成の骨組み」が鎮座していた。
それは、エンジニア部がスコープドッグのリバースエンジニアリング、タグの戦闘データ、整備レポートを元に、設計を進めている完全新規造形のATのコアパーツ――”純キヴォトス製”アーマードトルーパーの一号となる予定の機体である。
「デッドコピーではなく、運用思想と基礎設計のみを流用するという条件で一から完成させるとなると、装甲材はもとより、電装、基礎OSまで全て新造です。またすごく予算が必要になります」
コトリの現実的な指摘に対し、ウタハはニヤリと笑った。
「そこはあまり心配してないな……私は部費の口座に0があんなに並んでいるのは初めて見たよ」
口座を確認した時、おもわずコトリとヒビキを連れてきて残高を確認しあったことを思い出す。
マッスルシリンダーのロイヤリティは、特許管理を行っているセミナーが6割、マッスルシリンダーの解析と製品化を行ったエンジニア部が3割、持ち込みをしたタグに1割振り込まれている。
一般的には振込比率は部費2割、タグ2割である。が、エンジニア部は3人だから一人一割ずつ貰っておけ、というタグの希望により今の比率となっている。
その3割が、ミレニアムサイエンススクールのセミナー年度予算の10%に相当する金額であるという事実は未だ三人とも呑み込めていなかった。
「しかしこんなに需要があるとは思わなかったね」
確かに油圧シリンダーより繊細な動きを可能とし、サーボモーターよりもパワフルであるという特徴を持つ動力機構は利用価値が高い。だが急にここまで需要が発生するものだろうか?
ウタハの疑問に答えるかのように、コトリが噂話を持ち出す。
「どうも初年度生産予定のマッスルシリンダーが全部買い占められている状態だそうですよ」
コトリが急に声を潜め、しかし隠しきれないワクワクした表情で語る。
「おかげで校有特許のロイヤリティ、今、とんでもない額に膨れ上がっているんです。セミナーはアガリの6割ですから、数字を見たユウカ先輩が「財政が健全化に進んでいるのは喜ばしいわ」と言ってましたね」
「買い占め? 一体どこがそんな大量に……」
「さすがにそこは顧客情報なので、セキュリティがしっかりしてて……」
「マッスルシリンダーの技術的優位性を理解した上で、明確な製品化の道筋を形成、そして黒字化も同時に達成する。そんなスケールのデカい無茶苦茶ができる人間なんて、一人しか思い浮かばないが……」
すこしだけ疑うウタハ。万能の天才と呼ぶべき調月リオ会長の影がチラつくが、目の前の技術的課題に比べれば、セミナーの政治的闇などどうでもよかった。
「まあいい。これで資金難を気にせずに新型の完成に目処が立ったというわけだ。……とはいえ、今回の戦闘ログを元にフレームの強度計算からやり直しの必要がある。完成にはまだまだ時間がかかるだろう」
そこへ、猫塚ヒビキが、静かに歩み寄ってきた。
彼女は、先ほどまで機体に残っていた代替PR液の回収・再生作業をしていたので完全防備の対化学防護スーツをまとっている。しかしガスマスク越しのその瞳は静かな情熱で燃えている。
「……予算を心配しなくていいなら、最高のものを作れる 」
ヒビキはボソボソとした抑揚のない声で呟きながら、二つの機体を交互に見つめる。
「……古い機体は、限界まで主を守った。だから、私たちがちゃんと直してあげる。……そして、新しい方は、絶対に壊れないくらい強くしてあげる。……効率的で、完璧な隠し機構も積んで 」
「最高じゃないか。タグには内緒で、とびきりロマンのある仕掛けを積んでやろう! 」
ウタハの高笑いがガレージに響き渡る。
傷ついた愛機への敬意と、未だ見ぬ新型機への情熱。二つの計画が、莫大な資金という燃料を得て、いよいよ本格的に動き出そうとしていた。
「さあ、作業開始だ! 私たちのマイスター魂を見せつけよう! 」
暖かな陽の光が、白いカーテン越しに病室を柔らかく照らしている。
“ピッ……ピッ……”という規則的な電子音と共に、重かった瞼がゆっくりと開く。
視界に広がったのは、見慣れたシャーレの天井ではなく、見知らぬ白い天井……ではない。
――ああ、わかった。エデン条約締結が失敗した日に利用した病室だ、ここは。なんだったら使っているベッドも同じものだ。
(またアニメの真似する日が来るなんてなぁ)
などと考えていると
「……おはようございます、先生」
ふわりと、柔らかな声が右側から降ってくる。
首を巡らせると、ベッドの傍らに置かれた丸椅子にちょこんと座り、ニコニコと微笑んでいる鷲見セリナの姿があった。彼女の手元には小さなナイフと真っ赤なリンゴ。見事な手つきで、ウサギの形をしたリンゴが次々と小皿に量産されている。
「セリナ……? いつから、ここに……」
「つい先ほどです。先生の呼吸の乱れが少しだけ気になったので、様子を見に来たんです。
ふふっ、水分補給ついでにリンゴを食べますか?」
相変わらずの神出鬼没ぶりだと、先生は考えている。が、実は種を明かせば、彼女は今週の当番をここの病院にしただけの話だ。
先生が小さく息を吐き、今度は左側へ視線を向ける。
そこには、備え付けのパイプ椅子に深く腰掛け、平時のシャーレ職員用の白衣と背広を着たタグがいた。
彼は先生が目を覚ますと、操作していたタブレットをベット横の棚の上に置いて、こちらを見る。
またアロナの助けを受けながら、溜まっていたであろう書類作業をしてくれているようだ。
「……タグさん。色々と、ありがとう」
掠れた声で礼を言う先生に対し、タグは平坦なしゃがれ声で返した。
「礼なら後で聞く。まず話すことがある」
その瞳の奥には、ほんの僅かだが、この大人が生き延びたことへの確かな安堵が揺らいでいるように見えた。だが、口から出る言葉は極めて事務的で無慈悲なものだった。
「アリウス自治区で、後から来た救護騎士団に“救護”されたあんたはここに運び込まれた……時間的にはそれから一日ほど経過している」
一日近く寝込んでいたという事実に驚く先生。しかしそれだけでは終わらない。
「診察したドクターからの通達だ。腹部の銃創の再裂開、および全身の疲労と若干の打撲。最低でも一週間の絶対安静を要する。その後、一ヶ月は定期的な通院が義務付けられた」
「一週間……それで済んでよかった、のかな」
「ああ、処置が良かった。平均よりは間違いなく短い日数だ、安心しろ。そしてさっそくこれを見てほしい」
タグがタブレットの画面を先生に見せつける。そこには、膨大な量の報告書や始末書のデータが整然と羅列されていた。
「アンタが寝ている間に、連邦生徒会を含む各所への事後報告、アリウス自治区への損害査定と補填、その他諸々のペーパーワークは俺が引き継いで進めている。少なくとも、アンタがベッドの上でやるべき仕事は電子ハンコを押すか、手書き必須の書類にサインすることだけだ」
「……」
有無を言わさぬ完璧な事務処理能力に、先生は言葉を失う。
横の棚に置かれたシッテムの箱からは、アロナが「私がやりました」と胸を張って主張している。
「ですので」
次はセリナが、ウサギのリンゴを乗せた皿を持ちながら、満面の、しかし有無を言わさぬ圧を伴った笑顔で先生を見下ろしていた。
「先生。もし入院中に一歩でも病院から脱出しようとしたら……救護騎士団の総力を挙げて、先生をこのベッドに“固定”しますからね?」
「……はい」
有無を言わさぬ天使の宣告に、先生は大人しくシーツを被り直した。
窓の外からは、穏やかな風が吹き込んでいる。
狂気に満ちた夜は終わり、呆れるほど騒がしくも温かい日常が、こうして戻ってきていた。
セリナが回診のために病室を離れ、つかの間の静寂が訪れたその時だった。
ノックの音もなく、病室のドアが静かに開いた。
隙間から滑り込むように入ってきたのは、帽子を深く被った錠前サオリと、特徴的なマスクを外して素顔を見せている秤アツコの二人だった。
「先生。そして、タグ。急な訪問を許してほしい」
サオリは病室の中央に立つと、深く、九十度に腰を折って頭を下げた。アツコもそれに倣うように、静かに一礼する。
「サオリ、アツコ。もう大丈夫?」
ベッドの上から先生が優しく微笑みかける。
バシリカで「事後処理はこっちでやっておくよ。ほとぼりが冷めるまで一度別れよう」と言って別れたのが最後だった。
さすがに椅子は上等なソファーに差し換えてもらい、そこに座ってタブレットを操作していたタグは、視線だけを二人に向けて短く応じた。
「……要件は?」
その目に敵意はない。先生が何も言わなければ、訪問客としてそのまま扱うつもりである。
サオリは頭を上げ、真剣だがどこか憑き物が落ちたようなスッキリとした瞳で二人を見据えた。
「姫を……アツコを、預かってほしい」
その言葉に、アツコがサオリの袖をきゅっと掴んだ。だがサオリは、迷いのない声で続ける。
「すでにシャーレの保護監督下に入り、非常勤戦闘員として世話になっているミサキとヒヨリのことは聞いている。……アツコも、二人と同じようにシャーレで働きながら、このキヴォトスで『学ぶ』ことを許してはもらえないだろうか」
「もちろん、歓迎するよ。どんな子でも居場所はちゃんとシャーレに用意してある」
先生は一切の躊躇なく、温かく頷いた。
アツコの件が片付くと、サオリは自らの帽子を深く被り直した。
「私は……したいことがある。ベアトリーチェの監視と束縛からは解放された……しかし、この世界を知り、自分が為すべき落とし前をつけるために、世界が見たいんだ」
それはリーダーとしての最後の責任の取り方であり、彼女自身の自分探しの旅の始まりであった。
アツコは寂しそうに微笑みながらも、サオリの決意を尊重して口を挟むことはなかった。
生徒の自主性を重んじる先生も、サオリの決断を尊重し、送り出そうと口を開きかけた。
「待て」
だが、その場を支配するようなタグの平坦でしゃがれた声が、サオリの歩みを、そして先生の言葉を引き留めた。
タグはタブレットから手を離し、腕を組んで冷徹な視線をサオリへ向ける。
「ミサキとヒヨリがシャーレの預かりで保護観察下にある以上、リーダーのお前が形の上で自由なのは筋が通らない。同じく保護観察下に置くべきだ」
現実的かつ当たり前な指摘に、サオリは押し黙る。
しかし、タグの真意はただの管理や束縛ではなかった。彼は、かつての自分と同じ匂いを発している目の前の少女を、どうしてもそのまま行かせるわけにはいかなかったのだ。
「それにサオリ」
タグの低く重い声が病室に響く。
「お前達の育ちは聞いている。命令のままに標的を破壊し、奪うことしか知らない。そんな空っぽの状態で、結局は自分の命を削りながら、また何かを壊すことで生計を立てるのはやめておけ」
戦場という地獄で、ただ引き金を引くことしかできなかった自分自身の過去を重ね合わせるように、タグは告げた。
「贖罪、自分探し、どちらも必要なのは事実だ。だが、その前にまずはリーダーとして『作る』ことを学ぶことを薦める。無から有を生み出す術は大事だ。それを下に伝えていくこともな」
「……“作る”こと……」
サオリが呆然とその言葉を反芻する。
その時、タグの言葉を聞いていた先生の顔がパァッと明るくなった。
「“作ること”……そうだ、それならピッタリの場所があるよ! それに、色々なものを自分の手で作れるようになれば、これから世界を見て回る時にも絶対に役立つはずだ!」
先生は勢いよく身を乗り出し、二人に向かって提案した。
「サオリ、アツコ。二人にはゲヘナ学園の給食部で働いてもらうのはどうだろう?」
「ゲヘナの、給食部……?」
突然の予想外の提案に、サオリだけでなくアツコも不思議そうに首を傾げる。
「うん。あそこは色々な事情があって、慢性的な人手不足なんだ。だから大歓迎されるはずだよ」
先生は優しく微笑みながら、その真意を語る。
「それに、日々の食事を作り、誰かに食べてもらい、自分たちも味わう。その“食”という生きていく上で一番大切な活動に携わることは、タグさんの言う“作ることを学ぶ”のにこれ以上ない環境だと思うんだ」
タグも、先生の提案に微かに顎を引いて同意を示した。
「悪くない提案だ。俺もキヴォトスで食に触れることで気力を取り戻してきた。それに、アリウス分校の生徒が抱えているであろう慢性的な栄養不足と貧しい食事問題……お前たちが給食部で食の知識と技術を学べば、ゆくゆくはその解決への第一歩にもなるはずだ」
「私が、食事を、作る……」
破壊と戦闘の技術しか教え込まれてこなかったサオリにとって、それはあまりにも縁遠く、想像もつかない世界だった。
だが、アツコはサオリの袖を引き、花が咲くように柔らかく微笑んだ。
「……サっちゃんが作ったご飯、私、食べてみたいな」
「アツコ……」
サオリが戸惑う中、タグは立ち上がり、彼女の前に立った。
「バシリカで、ミカと交わした約束を忘れたとは言わせない」
アツコを助け出した後に合流したミカから“報復”を受けたことは、サオリの記憶に鮮明に焼き付いている。
全てを終わらせたバシリカ前の広場。
どんな暴力を受けようとも抵抗せずに甘んじて受けるつもりだったサオリ。
対してミカが放ったのは――拍子抜けするほど軽い、ただのビンタ一発であった。
『私が全ての罪を贖う、なんて顔したサオリを殴っても気分悪くなりそうなのよね』
ミカはそう言うと、軽く右手を振ってサオリの頬をはたいたのだ。
『……色々、本当に色々あったから、これで終わりにしてあげる。けど私の前でまた同じ顔したら、今度はナギちゃんとタグさんの分使って本気で殴るから覚悟して。……元気でね、サオリ』
タグは、その時のミカの言葉を思い起こさせるようにサオリを見据えた。
「自己犠牲で死に場所を探すような顔をして一人で放浪すれば、ビンタ一つでお前を許したミカの顔に泥を塗ることになる。……生きて、他人のために飯を作れ。それがお前の贖罪だ」
サオリは、タグの言葉と、アツコの期待に満ちた視線、そして先生の温かい眼差しを真っ直ぐに受け止めた。やがて、彼女は深く被っていた帽子を少しだけ上げ、力強く頷いた。
「……ああ。肝に銘じておく。その『給食部』とやらで、一から学ばせてもらおう。……ミサキとヒヨリのことは、よろしく頼む」
二人の顔には、もうかつてのような悲壮な暗さはなかった。これから始まる未知の「日常」への、微かな緊張と希望だけが滲んでいた。
――こうして、アリウススクワッドの二人はゲヘナ学園給食部へと出向することとなり、彼女たちの新たな「作ること」を学ぶ日々が幕を開けたのだった。
扉が閉まり、サオリとアツコの足音が完全に廊下の奥へと消えていく。シャーレへ向かうためだ。
病室には再び、タグと先生の二人だけが残された。
「……給食部、か。よく咄嗟にあんな案が出たな。大した機転だ」
タグはソファーに深く腰を下ろし直し、腕を組んだまま短く感心したように息を吐いた。
「いやいや、タグさんが“作ることを学ばせろ”って言ってくれたおかげだよ。僕一人だったら、自主性を重んじるあまり、あのまま目的もなく放浪させてしまっていたかもしれない」
先生はベッドの上で苦笑しながら、タグの的確な助言に感謝を示した。
「だが、一つ疑問がある」
タグは首を微かに傾け、鋭い視線を先生に向ける。
「“物を作る”という目的なら、ミレニアムサイエンススクールに放り込むという手もあったはずだ。あそこの連中なら、面倒見もいいだろう。なぜ、わざわざ他校の……それもあまり友好的では
ないであろうゲヘナ学園を選んだ?」
タグの合理的な問いに対し、先生は少しだけ悪戯っぽく、しかし教育者としての深みを感じさせる笑みを浮かべた。
「もちろん、ミレニアムでも良かったんだけどね。……今回は、ゲヘナにも“手伝い”をしてもらおうと思ってね」
「手伝い、だと」
「うん。実は近々、ゲヘナの万魔殿議長であるマコトが、今回のエデン条約での密約の一件について、僕のところに個人として謝罪に来る予定なんだよ」
先生は、まるで世間話でもするかのようにさらりと爆弾発言を落とした。
「マコトは今、シャーレとの不仲を避けるために必死だからね。だから、その謝罪の席で……“少しだけ、アリウスの生徒の面倒を見てくれませんか”って、お願いしようかなって」
「……」
タグは絶句した。
エデン条約を破綻に追い込みかけた万魔殿のトップの謝罪という弱みにつけ込み、あろうことか、その騒動の実行犯であるアリウスの生徒の更生を、ゲヘナ側に丸抱えさせる。
恩を着せつつ、厄介事の面倒まで見させるという、あまりにも鮮やかでえげつない取引だ。
「……恐れ入った。あんたの発想には、舌を巻く」
タグでさえ、その底知れぬ盤面操作の能力には呆れを通り越して感嘆するしかなかった。
その言葉に、先生は照れくさそうに頭を掻いた。
「そんな大層なものじゃないよ。ただ……今回は、こういうことを考える“暇”ができたからね」
「暇?」
「そう。タグさんが、膨大なペーパーワークや各所への事後処理、僕の身の回りのことまでかなりの量を引き受けてくれたじゃないか」
先生は、タグの手元にあるタブレットを優しく見つめる。
「前までなら徹夜で書類仕事に追われて、体力も時間もギリギリで……こんな風に、生徒のこれからのために最善の盤面をじっくり考える余裕なんてなかったと思う」
先生は姿勢を正し、同じシャーレの制服を着た不器用な兵士に向かって、改めて深く頭を下げた。
「タグさんに手伝ってもらって、時間と体力に余裕を作ってくれたおかげだよ。……本当に、ありがとう」
「……」
タグは無言で視線を逸らし、短く鼻を鳴らした。
「礼ならアロナに言え。俺はアロナに指示された通りにやっているだけだ」
『駄目ですよタグさん、そこはちゃんと自分の功績にしないと!照れ隠しだからって功績ごまかしは軍隊だけじゃなく、シャーレでも罪ですよ!』
タグの曖昧な態度にアロナが思わず声を上げる。
「……それもそうだ、ちゃんと受け取ろう」
しゃがれた声の響きには、どこか悪くない心地よさが滲んでいた。
戦場で命を奪うことで功績を得るのではなく、誰かの未来を作ったことで功績を得る――それは、空っぽだった兵士にとって、初めて実感する確かな「誇り」だったのかもしれない。
――先生が病院に入院して6日目、退院日を明日に控えて
堂々とした足音と共に病室の扉がノックされた。
「ごきげんよう、先生。そして、タグさん」
気品ある挨拶と共に現れたのは、トリニティ総合学園ティーパーティーのホストである桐藤ナギサと、その幼馴染である聖園ミカだった。
ナギサはベッドの傍らに歩み寄ると、先生、そしてソファーから立ち上がったタグに向けて、深く、心の底からの敬意を込めて頭を下げた。
「先生。そしてタグさん……。この度は、ミカを絶望の淵から救い出していただき、本当に……何と御礼を申し上げればよいか」
「よせ、ナギサ」
タグは平坦な声で遮った。
「俺はアンタに借りを作った。それを返しただけだ。それ以上でも以下でもない」
「ふふっ……タグさんは、本当に不器用な方ですね」
ナギサは目を潤ませながらも、優雅な微笑みを取り戻した。
「……それで、明後日に迫ったミカの聴聞会についてですが」
ナギサの表情が、政治を司るティーパーティーのトップのものへと切り替わる。
「私の権限で、まず聴聞会開催日を先生の退院翌日にしました。また“退学”という最悪の事態だけは回避できるよう根回しを進めています。……しかし、強硬派からの風当たりは凄まじく、実質的な幽閉や、自由を極度に制限される監視下に置かれる可能性が高いのが現状です」
「ナギちゃん、いいよ。私はそれくらいされて当然の、悪い子だもん」
ミカが自嘲気味に笑うが、先生はそれを静かに首を振って否定した。
「大丈夫だよ、ナギサ。ミカの退学回避と、その後の身の振り方については、僕とタグさんの間で案を用意してある」
「案ですか?」
「ああ。詳しい内容は――」
ナギサは狐につままれたような顔となっていた。
「……いつものことながら先生とタグさんには驚かされますわ」
「これしかいい方法が思いつかなかった、というのもあるんだけどね」
頭をボリボリとかきながら言う素振りにしては自信のある顔をする先生。
「え、えっと本当にいいの?私がそんな立場になって」
ミカが望外の対応に驚きを隠せない。
「約束したはずだ、お前の信頼を取り戻すために手伝うと。俺たちにとっても念願かなったりだ」
タグの言葉を引き継ぐように先生が言葉を続ける。
「……本当はあまりよくない手段だとは思う。ただ次があってはならないとタグさんや生徒達みんなに言われたからね」
その後、四人は案に関する詳しいやり取りと、トリニティ総合学園の管理下に入ったアリウス自治区の今後の取り扱いについて、時間をかけて相談を行った。
「……では、今まとめた案を一度持ち帰ります。これにて失礼いたします。ミカさんは、もう少し残りますか?」
「うん。先生にちょっとお話ししたいことがあるから」
「わかりました。先生、タグさん、どうかご自愛ください」
ナギサが一礼して病室を出て行く。
それを見送ったタグも、ついでとばかりに立ち上がった。
「俺も帰ろう。シャーレビルのほうでないと出来ない事務処理がある」
タグは短く言い残し、病室を後にする。
病室には、先生とミカの二人だけが残された。
「……先生」
ミカは、先ほどまでタグが座っていたソファーに腰を下ろし、両手で自身の膝をぎゅっと握りしめた。その瞳から、いつもの明るい「きゃは☆」というおどけた光が消え、静かで、透き通るような真剣な色が浮かんでいる。
「私を見捨てないでくれて、本当にありがとう。……私、先生のために全部壊そうとして……でも、そんなの先生が望んでないって、やっと分かったよ」
「ミカが自分で気づいてくれて、立ち止まってくれてよかったよ」
先生は、ベッドの上からミカの頭を優しく撫でた。
「ねえ、先生」
ミカはふと、視線をドアの方――タグが出ていった方角へと向けた。
「タグさんのことで、相談があるの」
「……聞くよ」
ミカは、下水道で彼と対峙した時のこと、そしてバシリカでの死闘で感じたことを、ゆっくりと言葉にし始めた。
「あの人ね……私が自暴自棄になって暴れた時も、一緒に強いミメシスと戦った時も……」
ミカは少しだけ声を震わせた。
「自分が『盾』になることを、これっぽっちも怖がってなかったの。たしかに戦い方としては効率的なのかもしれないけど……でも、度が過ぎてると思う」
ミカの言葉に、先生も静かに頷いた。
「そうだね……タグさんは自分をすり減らすことに、何の疑問も持っていないように見える。物事が上手くいくなら、簡単に自分自身を盤面に賭けてしまう。……もしかしたら」
先生は少し言葉を探すようにして、続けた。
「自分自身を大切にすることに、価値を感じていないのかも」
「先生もそう思うんだ……私も同じ」
ミカは俯き気味に、ぽつりとこぼした。
「自分の命に価値なんてないって思い込んでいるあの人の痛みが、なんだかすごく生々しく伝わってきて」
――あの兵士が死闘の最後に、自分を抱きかかえたときに見せた虚無。
一切の光を宿さない、底なしの暗闇のような瞳。思い出すだけで、背筋が冷たくなる。
自分が抱えていたものとは違いがあるだろうが、あの人の根底から感じさせるものは、自分のものよりずっと深く、重苦しいもののような気がした。
「あのままだと、きっとよくないことだと思う」
ミカは顔を上げ、柔らかく、けれど力強く微笑んだ。
「だから先生。どうすればあの人がそんなことを抱えなくてもよくなるのか、一緒に考えたいの。それで……どうにかしてあげたい」
それは、絶望の泥沼から這い上がったトリニティの魔女が、自分以外の誰かを守るための天使へと変わった瞬間だった。
先生は、その眩しいほどの決意を見つめ、ただ深く、力強く頷き返した。
「うん、僕も手伝うよ」
硬い軍用ブーツがリノリウムの床を叩く足音だけが、等間隔に響く。
病室で先生とミカ、ナギサに別れを告げ、シャーレのオフィスへ戻ろうとしていたタグは、ふと足を止めた。
「こんにちは、タグさん」
タグがゆっくりと振り返る。
そこにはセリナが、両手を前で組み、にこやかに微笑んで立っていた。
「少しお時間をいただけますか?」
「いつからそこにいた」
相変わらずの神出鬼没ぶりのセリナに尋ねる。
「ふふっ、タグさんの後ろ姿を見かけたので追いかけてきたんです。救護騎士団の一人として、どうしてもお話ししておきたいことがありまして」
底知れぬステルス能力を見せつける小柄な少女に対し、タグは内心で舌を巻いた。この平和な世界の医療従事者は、どういう訓練を受けているのか、と。
「手短に頼む。シャーレの仕事が詰まっている」
タグが平坦な声で急かすと、セリナは笑みをスッと消し、真剣な眼差しでタグの首元――ワイシャツで隠れた襟の奥を見つめる。
「エデン条約の調印式の日。古聖堂が崩落した後……VIPルームで悪夢にうなされていたタグさんに、私が鎮静剤を打たせていただいた時のことです」
タグの眉が、微かにピクリと動いた。
「お薬を投与するためにお召し物を緩めた際……見えました。首元周辺に刻まれた、ひどい爆傷の痕が」
セリナの声には、有無を言わさぬ医療従事者としての絶対的な圧がこもっていた。
「その独特のお声、おそらく声帯と気管へのダメージによるものでしょう。あと何度か歩調を観測した上で断言します、骨格に異常があります。そしてご相談されてから改善の見込みがない悪夢障害も問題です」
セリナは一歩、タグに詰め寄る。
「救護騎士団として、これ以上は見過ごせません。一度、病院で総合的な“検査入院”を強く推奨します。肉体だけでなく、精神的なケアも含めて、です」
(とうとうそこまで指摘されるとはな)
この平和な世界で生きる少女の、医療従事者としての底知れぬ執念と技量に、タグは内心で舌を巻いた。
「……スケジュールが詰まっている。今すぐ医者には向かえない。……予約だけでいいか?」
譲歩を引き出しつつも、なんとか即時の拘束を回避しようとするタグ。
その提案に対し、セリナはパァッと顔を輝かせ、再び満面の、慈愛に満ちた笑顔を浮かべた。
「はい! もちろんです。では、スケジュールが空き次第ということで、こちらで枠を『予約』しておきますね」
セリナは嬉しそうにタブレットにメモを打ち込みながら、ふと顔を上げ、小首をコテッと傾けた。
「……でも、タグさん。もし予約をすっぽかして逃げようとしたら、無駄ですよ?」
その瞳の奥に、得体の知れない真っ暗な光が宿る。
「タグさんがもし理由を付けて入院を避けようとしたら、私たちの団長が直接、タグさんを救護しに向かいますから」
「……団長」
「はい。タグさんは先日、ミカさんと共闘されたそうですね。うちのミネ団長の戦闘スペックは、だいたいミカさんと同じだと思っていただければ分かりやすいかと。そして救護への意識は私より高いです」
セリナのその言葉を聞いた瞬間、タグの脳裏に、先日の地下水道やバシリカでの戦闘の様子が浮かびあがる。
――素手で分厚い防弾シールドをへし折り、石柱を粉砕し、30mm機関砲の直撃すら平然とする少女の姿が。
「……あのレベルの物理破壊力を伴う女が、シャーレの壁を破って俺を拉致しに来るというのか?」
タグのしゃがれ声が、普段の平坦さを失って微かに上ずった。
「拉致ではありません、“救護”です」
セリナは完璧な笑顔で訂正した。
「……必ず行く。予約は死守する」
「お待ちしていますね!」という天使の朗らかな声を背に受けながら、タグは肩をすくめて病院の廊下を、足早に去っていった。
――トリニティ総合学園、大講堂
重厚なステンドグラスから差し込む光が、円形に配置された議員席の中央――“被告席”にポツンと立つ聖園ミカを冷ややかに照らし出している。
エデン条約を巡る一連の騒動の首謀者の一人として、彼女の罪を問う聴聞会は、長時間の紛糾を経て、いよいよ結審の時を迎えようとしていた。
議員席の視線が集中する中、来賓席には静かに座る先生とタグの姿があった。
ティーパーティーのホストである桐藤ナギサの必死の根回しと、ミカが最終的に自らの手でアリウス分校を制圧したという事実により、「退学」という最悪の処分だけは回避される見通しとなっていた。
しかし、トリニティ内の各派閥――特に強硬派の議員たちからの風当たりは強く、「ミカを厳重な監視下に置き、実質的な幽閉状態にすべき」という声が根強く残っていた。
その膠着状態を打破したのは、他でもないシャーレからの「ある提案」だった。
議長席に座るナギサが、静まり返った講堂内に凛とした声を響かせる。
「……以上の審議と意見調整の結果、聖園ミカ個人の退学処分は見送るものとします。しかし、学園を深刻な危機に陥れた責任は極めて重い。よって、懲罰および奉仕活動の一環として――本日から彼女を『シャーレ』へ出向させ、先生の専属護衛の任に就かせることとします」
その宣言に対し、強硬派の議員たちも苦々しい顔をしながら沈黙を守っていた。
この結論は、単なる温情ではない。トリニティの複雑な政治力学が導き出した、極めて実利的な妥協点である。
ミカを「シャーレでの過酷な奉仕活動(護衛任務)」に就かせるという名目は、強硬派が求める「懲罰」としての建前を十分に満たしている。
それに加え、シャーレという超法規的機関との関係強化に繋がるというメリットは、学園全体にとって無視できないものだった。
そして何よりも決定打となったのは、来賓席に座る二人の存在だった。
皆が知る通り、先生は先日の調印式で腹を撃たれ重傷を負っている。脆い「大人」である先生には、強力な盾が必要だ。その事実を突きつけ、シャーレの顧問として「護衛が必要である」とトリニティ側に要望を出したのが、横に座るタグである。
絶望的な状況下から身を挺してナギサを救い出し、顕在化したアリウス分校という敵を鎮圧した件などトリニティにとって多大な恩義がある「英雄」からの強い要望に真っ向から反対することは、自滅を意味する致命的な悪手となる。
「……皆様、異議はございませんね?」
議長であるナギサに念押しされるも、誰も発言はない。完全な沈黙に包まれたままだ。
かくして、派閥間の政治力学、懲罰という建前、そして恩義という大人の圧力が完璧に噛み合った結果、聖園ミカの身柄は実質的に先生とタグの保護下――シャーレへと置かれることが決定づけられたのだった。
――数十分後。大講堂の外、陽の光が差し込む中庭の回廊
「……先生。本当に、無茶苦茶だよ」
狐につままれたような顔をしたミカが、ポツリとこぼした。
「私、シャーレで……先生の護衛、するの?」
「もちろん。ミカには、これからうんと働いてもらうからね。……それに、タグさんが『ミカの力が必要だ』って言ってくれたからね」
先生が笑いかけると、ミカは少しだけ顔を赤らめ、回廊の柱の影で待機していたタグの方へと歩み寄った。
タグは、壁に寄りかかりながら無言で二人を待っていた。
ミカが目の前に立つと、待っていたぞと言わんばかりの態度で語る。
「……信頼を取り戻す手伝いとしての最初の一歩だ。当然のことだが、先生に甘えるな。それでは手伝いにならない」
「素直じゃないかも。……でも、ありがとう。タグさん」
ミカは、自分を絶望から引き上げ、そして今日の結果を引き出すために手助けをしてくれた不器用な兵士を真っ直ぐに見つめた。
そして、彼女は右手をすっと前に差し出した。
「……何だ」
タグがいぶかしげに眉をひそめる。
「あのね、タグさん」
ミカのヘイローが、澄んだ光を放って静かに明滅する。
「私、決めたんだ。……タグさんが、またあんなことしようとしたら、私が絶対に止める。私が、タグさんの盾になる。……だって、私はもう、魔女じゃないから。先生と、タグさんを守る護衛だもの」
それは、かつて自暴自棄に陥っていた少女の、確かな精神的成長と、戦友としての歩み寄りの言葉だった。
タグは、差し出されたミカの小さな、けれど誰よりも強いその手を見下ろした。
(……俺はこの血に塗れた手で、彼女の手を握っていいのか)
目の前の少女の未来は、ここから始まっていく。その眩しい未来に自分が関わっていいのかと、僅かな躊躇いがよぎる。
だが、真っ直ぐに自分を見つめる少女の瞳を前にして、手を引く理由など何一つ見当たらなかった。ここまで関わってしまった以上、もう逃げるつもりもない。
「……好きにしろ」
タグは短く息を吐き、自分の右手を、ミカの手にゆっくりと重ねた。
そこには確かな“コンタクト(繋がり)”があった。
ミカは、今日一番の、最高に明るい笑顔を咲かせた。
「うん! よろしくね、タグさん!」
――数時間後。シャーレの執務室。
トリニティでの大一番を終え、ようやく一息ついた先生とタグは、デスクを挟んで今後のことについての打ち合わせを行っていた。話題の中心はもちろん、実質的にシャーレの預かりとなった聖園ミカの処遇についてだ。
「ミカのスケジュールなんだけどね」
先生は手元のタブレットに仮組みしたカレンダーを表示させ、タグに見せた。
「護衛という奉仕活動を週に三日、トリニティでの学業や生活を週に三日、そして完全な休日を一日……というバランスがいいんじゃないかなって思ってるんだ」
タグは画面に表示されたシフト表を一瞥し、腕を組んだ。
「さらに言うとね」と、先生は少しだけ表情を和らげる。
「ミカの奉仕活動の成果がトリニティの強硬派にもしっかり証明されて、彼女への風当たりが弱まったら……護衛の日数を二日に減らして、休日を二日に増やしてあげたいんだ。いくら体力があるとはいえ、普通の女の子なんだからね」
「……まあ、妥当な線だろう。俺もそのシフト案には異論はない」
タグは先生の生徒想いな提案を一旦は飲み、短く頷いた。
だが、すぐに無視できない現実を突きつけた。
「だが、問題はミカが護衛に入れない日だ」
タグはデスクの上に広げられたキヴォトスのマップを指でトントンと叩いた。
「当然だが今の人員では、アンタの警護は不足している。ミカと同等……とまでは言わんが、相応の実力と信頼が担保できる護衛のローテーションを、最低でもあと『二組』は用意すべきだ」
「えっ、二組も?タグさんがいてくれるなら、そこまでしなくても……いくらなんでも心配が過ぎるんじゃ……」
と、先生が楽観的な言葉を口にしかけた、その時だった。
タグは一切の表情を変えず、ただ無言で先生の腹部へと冷徹な視線を落とした。
「あっ……」
先生の言葉がピタリと止まる。そして思わず、白衣の下に巻かれている分厚い包帯――昨日まで入院していた原因である銃創を無意識に手で押さえた。
“最悪の実例”という事実を再確認する。
白衣の下にある生々しい痛みが、自分がキヴォトスにおいてはあまりに脆い大人であることを、これ以上ないほど雄弁に物語っていた。
「……前言撤回するよ。心配しすぎじゃないね。むしろ必須だ……」
先生はぐうの音も出ず、降参するように深くため息をついた。
「わかってくれればいい。俺は神じゃないからな、四六時中アンタの盾にはなれない」
先生は腕を組み、天井を仰ぎ見て再び唸った。
「でも、シャーレの仕事に週の三分の一も付き合ってくれて、しかもミカやタグさんみたいに強くて、さらに僕たちが心から信頼して背中を預けられるような……そんな都合のいい護衛なんて、
そう簡単に見つかるかなぁ……?」
「都合がよすぎるのは事実だ。だからといって探さない理由にはならない」
シャーレの執務室に、二人の大人の重苦しい溜息が重なる。
人員不足という、極めて現実的で切実な悩みを抱えながら、シャーレの夜は更けていくのだった。
――数日後、キヴォトスのとある無人廃墟区画
乾いた銃声と、重苦しい金属が爆ぜる音が、人気のない市街地に響き渡っていた。
「ひぃぃっ……や、やっぱりこんな大群、私たちだけで対処できるわけないんです……。無惨にミンチにされる運命なんですねぇぇっ」
半壊したビルの二階。
窓枠に身を隠しながら、槌永ヒヨリが顔を真っ青にして声を押し殺して呟く。
しかし、その極端なネガティブな悲鳴とは裏腹に、窓枠に身を乗り出して彼女が狙いを定めると、いつもの無感情顔となる。そしてその狙撃銃の銃口は一切のブレを見せない。
重い発砲音が轟くたびに、階下の広場に押し寄せる機械化兵団で危険度が高いオートマタの順に、寸分違わぬ正確さで撃ち抜かれ、次々と沈黙していく。
「ヒヨリはあれさえなければ頼りになるんだけどね。……右翼の三機、シールドが邪魔」
通信越しにヒヨリのぼやきを聞いた、戒野ミサキの感情の起伏が乏しい声が飛ぶ。
彼女は階下の前線で、建物の陰を縫うように移動しながら、ロケットランチャーを無造作に構えていた。
「任せてくださーい!楽勝ですよ、こんなの!」
ミサキの横――いくつかの瓦礫の陰から、黒崎コユキの笑い声が響き渡った。
彼女はミレニアムの制服のまま、貸し出されたハイスペック・タブレットを猛烈な勢いで叩いている。
「この機械たちのOS、なんだか変な暗号式ですね? 『十の戒律』がどうとか、なんちゃら預言者とか……よく分かりませんけど、私の敵じゃありません!とりあえずコード全部テキトーに書き換えまーす!」
コユキがエンターキーを軽快にタップした瞬間、ミサキの右翼から迫っていた三機のオートマタのシールドが、ノイズと共に強制的にシャットダウンされた。また踊りともいえない奇妙な動きを繰り返しだした。
そこにミサキの放ったロケット弾が容赦無く着弾し、敵機はまとめて鉄屑へと還元される。
「……塵は塵にかえるもの。コユキ、あんまり調子に乗って前に出ないで。流れ弾が当たる」
ミサキは気だるげに言いながらも、チラリと後方のコユキに視線を送り、彼女の射線をしっかり塞ぐように立ち回っていた。
やがて、最後の一機がヒヨリの狙撃によって沈黙し、廃墟に再び静寂が戻った。
「ふうーっ、お疲れ様でした! いやー、私の完璧なハッキング支援のおかげですね!」
戦闘が終了するなり、コユキはタブレットに表示された『任務報酬額』の数字を見て、ホクホク顔で笑った。
ミサキがため息をつきながら、ロケットランチャーを肩に担ぎ直す。
「……終わったなら、お昼にするよ。ヒヨリも降りてきて」
狙撃ポイントから降りてきたヒヨリも合流し、三人は比較的綺麗な瓦礫の上に腰を下ろした。
ミサキが随伴させている四足型運搬オートマタから取り出したのは、三つの大きなお弁当箱だ。
蓋を開けると、色鮮やかで栄養バランスが完璧に計算されたおかずがぎっしりと詰まっている。
「わぁっ! すごい豪華なお弁当ですね! シャーレの支給品ですか?」
目を輝かせるコユキに対し、ミサキが気だるげに答える。
「……ゲヘナ学園の給食部が作った『食育弁当』。長期間の粗食で麻痺した私たちの栄養状態と味覚を改善するための、特別メニューだって」
「こ、こんな美味しくて飽きの来ないお弁当……食べたら後で絶対に酷い目に遭うトラップなんですぅ!」
ヒヨリは被害妄想で半泣きになりながらも、箸を止めることなくモリモリと口に運んでいる。
「そういえば、サオリ姉さんとアツコちゃん……その給食部で働くことになったんですよね」
卵焼きを頬張りながら、ヒヨリがおずおずと口を開く。
「……うん。隊長が『作ることを学べ』って言って、先生がゲヘナに話を通したみたい」
ミサキが少し遠い目をして、かつてのリーダーたちの新たな門出を口にした。
「へー! じゃあ、今度からこの美味しいお弁当はサオリさんたちが作るかもしれないんですね! 楽しみです!」
二人と同じ弁当を食べるコユキが能天気に笑いながら言うと、ミサキとヒヨリの表情が少しだけ和らいだ。
ミレニアムの生粋のトラブルメーカーである彼女が、なぜアリウスの二人とチームを組んでこんな郊外で弁当を食べているのか。事の発端は、シャーレのオフィスでいつも通りにふんぞり返っていたコユキに対する、タグの何気ない提案だった。
「コユキ、暇ならシャーレの仕事を手伝うのはどうだ。ユウカから聞いたが、お前の暗号解読の腕はミレニアムでもトップクラスらしいな」
「にははは! もちろんですよ!どんなセキュリティだって私の前じゃ紙切れ同然ですから!」
得意げに胸を張るコユキに対し、タグは手元のタブレットを彼女へ放り投げた。
「なら、これを解いてみろ。最近郊外に出没している所属不明の機械兵団が使っている暗号だ。連邦生徒会も手を焼いている代物らしい。……お前に解けるか?」
「えー? 連邦生徒会が? どれどれ……って、なんですかこれ!? 全然見たことないアルゴリズム!? え、これどうやって……あっ、なるほど! そういうことですか! 燃えてきました!!」
未知の暗号を前に、コユキの目はギャンブラーのようにギラギラと輝いていた。
電子解錠やハッキングは彼女にとって呼吸そのものだが、それ故に「簡単に解けるもの」にはすぐ飽きてしまう。しかし、この機械兵団の暗号は、彼女の知的好奇心とハッカーとしての本能を強烈に刺激する、極上のパズルだったのだ。
「……厄介なことに接触する度に暗号が改変されているとのことだ。現場での解析に同行すれば、特別報酬を出す。もちろん護衛はつける」
顔つきも目つきも恐ろしいタグだが、コユキは彼が「口を開けば厳しいが、行動は甘々」であることを本能で嗅ぎ取っていた。
それに、この難解な暗号を解くのは純粋に「最高に面白い」のだ。
とりあえずものは試しと仕事を受けてみた結果がこれだ。
結論から言えば、この鉄火場は天職だった。
未知の暗号を解き明かす知的なスリルを存分に味わえる上に、セミナーのユウカやノアから怒られることもなく、堂々と自分の能力を見せつけられる。
さらに「仕事の成果」として遊ぶためのお小遣いまで貰える――コユキにとって、そこはまさに天国のような環境だったのだ。
「あ、あの……コ、コユキちゃん……」
食事が一段落した頃、ヒヨリがおずおずとコユキにあるものを差し出した。
その手には、お弁当とは別に持っていた色鮮やかなパッケージの輸入菓子が握られている。
「これ……雑誌の懸賞で当たったお菓子なんですけど……さっきのハッキング、すごく助かったので……よかったら、食後のデザートに食べますか……?」
ヒヨリは「本当は私が全部食べたいんですけど、後で酷い目に遭うかもしれないので恩を売っておきます」と心の中で被害妄想を膨らませつつも、どこか姉が妹を労うような、不器用な優しさを見せていた。
「わぁっ! いいんですか!? ありがとうございます、ヒヨリ先輩!」
コユキが遠慮なくお菓子を受け取り、その場でバリバリと封を開ける。
その屈託のない笑顔に、ヒヨリは「ひっ」と一瞬怯えつつも、嬉しそうに「えへへ……」と乾いた笑いを漏らした。
「……騒ぐな。ほら、コユキ。午後用に予備のバッテリーと弾倉」
ミサキがため息をつきながら、運搬オートマタから予備の機材を取り出し、コユキの腕に無造作に押し付けた。
「えっ、でも私、そんなに撃ちませんよ?」
「……いいから持って。コユキみたいにすぐ調子に乗る子は、備えるのが大事」
口調こそ冷たく投げやりだが、ミサキの行動には過酷な環境で生きてきた彼女なりの「年下への面倒見の良さ」が確かに滲み出ていた。
「にははは!ありがとうございます!ミサキ先輩もヒヨリ先輩も、優しいですね!」
お菓子を頬張りながら笑うコユキを見て、ミサキは「別に。意味なんて無い」とそっぽを向き、ヒヨリは「や、優しくなんか……罠ですよ!」と挙動不審に目を泳がせた。
――こうして、ミレニアムの厄介者である黒崎コユキは、シャーレという居場所と、少し変わった先輩たちを見つけた。
極上のパズルでハッカーとしての本能を満たし、ほどよく甘やかされる環境を手に入れた結果、
ミレニアムにおいて彼女の暇つぶしの横領や不法なハッキングといった悪行は激減し、セミナーの反省室に入る回数も劇的に減ることになる。
タグの何気ない提案は、図らずもキヴォトスに小さな平和と、奇妙だが温かいチームを一つ誕生させていた。彼女たちが討伐した機械化兵団に残された謎――『デカグラマトン』の影がキヴォトスを覆うのは、まだもっと先の話である。
――同日、トリニティ総合学園、シスターフッドが管理する大聖堂
ステンドグラスから差し込む色とりどりの光が、静寂に包まれたメインホールの長椅子を照らしていた。
アリウス自治区で対峙したミメシスに関して話を聞きたい、というシスターフッドからの要請に応じて招かれたタグとミカは、メインホールで待機していた。
「サクラコ様をお連れいたしますね、ここでお待ちください」
案内役を務めたシスター・ヒナタが、ぺこりと頭を下げて重厚な扉の奥へと消えていく。
広いホールには、タグとミカの二人だけが残された。
「なんだか、ここの空気ってピンと張り詰めてて緊張するかも……」
「……」
ミカがそわそわと周囲を見渡し、タグは若干の居心地悪さを無言でやり過ごしているその時だった。
――ふわり、と。
カビと古い紙、そして微かな百合の香りが混ざったような涼やかな風が、ホールの奥から吹き抜けた。
(……なんだ?)
明らかに平時とは異なる空気に触れて一瞬神経がささくれ立つ――が、動きを止めた。
不思議なことに、気分が落ち着くのだ――初めて銃を握ってから幾年、それまで覚えがないほどの穏やかな気分となっていた。
見えない巨大な圧力や恐怖を感じたわけではない。ただ、ここが安全で、抗う必要のない場所だと、魂そのものが深く納得してしまったような感覚。
「え……あれ、体が……」
隣に座るミカもまた、目を瞬かせながら硬直していた。彼女もここの空気に呑まれ、立ち上がる気すら起きないようだった。
コツ、コツ、という静かな足音が、祭壇の奥から近づいてくる。
現れたのは、修道服に身を包んだ、見知らぬ一人のシスターだった。
顔をベールで隠すこともなく、透き通るような白い肌と、静謐な瞳を持った女性。
彼女は音もなく二人の目の前で立ち止まると、まず、ミカを見下ろして静かに口を開いた。
「聖園ミカ……貴女は己の過ちと向き合い、見事に試練を乗り越えました。貴女の魂が、再びあの痛みに苛まれることはもうありません」
慈愛に満ちた声。しかし、次の瞬間、その声に微かな呆れが混じった。
「ですが……いささか日々の鍛錬が不足しているようですね。隣の殿方の献身がなければどうなっていたことか。深く感謝し、今後は心身の研鑽に励みなさい」
「……っ!?」
ミカが声にならない驚きの息を呑む。
続いて、シスターは視線をタグへと移した。
兵士の暗い瞳を真っ直ぐに覗き込む。
「貴方の献身に最大の感謝を。そして貴方の心に平穏が訪れる日が来ることを皆一同で願います」
それは兵士への、純粋な願いと感謝の言葉だった。
直後、シスターの姿が、ステンドグラスの光に溶けるようにフッと陽炎のように揺らぎ――そのまま完全に消失した。
二人を縛り付けていた見えない圧力が嘘のように霧散する。
「ハァッ……」
「な、なに……今の……」
タグが荒い息を吐きだし、ミカも肩で息をしながら周囲を見渡す。
そこへ、「お待たせいたしました」という声と共に、ヒナタが戻ってきた。
「ヒナタ……今ここから、誰か出ていかなかったか?」
口調こそ鋭いものの、珍しく動揺を滲ませるタグ。
「え? いいえ、誰も。……このメインホールは掃除も終わっていますし、今日は使用の予定がありません。ですのでお二人と私以外は誰も出入りしていないと思います」
ヒナタが不思議そうに小首を傾げる。
その奇妙な事実に、タグとミカの背筋に冷たい汗が流れ落ちた。
「じゃあ、さっきの人は……」
ミカが青ざめた顔で呟いた、まさにその瞬間だった。
「お待たせいたしました、お二人とも」
ヒナタの後ろから、シスターフッドのトップであるサクラコが、静かな足音と共にホールへと姿を現した。
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
「……!?」
サクラコの顔を見た瞬間、ミカが鼓膜を破るような悲鳴を上げ、タグは驚愕のあまりガタッ!と音を立てて長椅子から立ち上がった。
無理もない。先ほど現れて消えた『謎のシスター』と、目の前のサクラコの顔が、瓜二つだったのだから。
「えっ……? あ、あの……私、何か失礼なことをしてしまいましたか……?」
登場した瞬間に悲鳴を上げられ、サクラコが本気で傷ついたような、悲しげな顔でたじろぐ。
「ち、違うのサクラコちゃん! 今、サクラコちゃんとそっくりな人がここで……!」
ミカが必死に弁明する中、タグは鋭い観察眼で、ある決定的な『違い』に気がついた。
「……いや、待て。顔は似ているが、ヘイローの形が全く違う。さっきのシスターは、アンタじゃない」
先生と同じく、生徒の頭上にあるヘイローの形状を明確に視認できる彼だからこその気づきだ。
タグの指摘に、ミカもハッとする。
「あ……本当だ。私、さっきの人のヘイローの形、なぜかくっきり覚えてる……」
通常、他人のヘイローは“在る”ことはわかるが、形状の区別は出来ない。
サクラコは二人の言葉を聞き、何か思い当たる節があったのか、ハッとして表情を引き締めた。
「……お二人とも。念のため、その方のヘイローの形状を、別々にメモに描いてみていただけますか?」
数分後。
タグとミカがそれぞれペンで描いた特徴的な意匠のヘイローのイラストが書かれた二つのメモを見比べたサクラコは、静かに息を呑んだ。
「すこし失礼します。私室に置いてある本を持ってきます」
慌ててホールを出たサクラコが、あまり間をおかずにホールに戻ってきた。その手には一冊の古びた本を両手に抱えている。サクラコがその本をめくり、目当てのページを探す。
――あった。そこには色褪せた挿絵が描かれていた。
「この本はシスターフッドの歴史を簡略的に記したものです――前身のユスティナ聖徒会に関しても記されています」
その挿絵が書かれたページにはある聖女に関しての記述が書かれている。
――挿絵に書かれているヘイローは、タグとミカが描いたものと全く同じ形状のヘイローだった。
「……やはり。これは、聖女バルバラ様のヘイローと一致しています」
サクラコの宣告が、静寂のホールに落ちる。
「バルバラ様は強い神秘をお持ちであると伝えられています。その証拠として、ヘイローの形状が誰でも認識できるほどであったとか。……まさかこんな形でそれを証明する日が来るとは思いませんでした」
バシリカにて二人に『感謝』の視線を向けていた、あの聖女の正体がここに明かされた。
「バルバラ様、って……じゃあ、さっきの“鍛錬が足りない”って……」
ミカが引き攣った顔で呟く。
相手の正体にも驚いたが、それ以上に驚いたのはバシリカで散々殴り合った相手からの、まさかのダメ出しという名のアフターケアだったのだ。
タグもまた、古文書の挿絵を見つめながら、ひどく疲れたように眉間を揉みほぐした。
(オカルトの次は本物の聖女か)
ステンドグラスの光が揺れる中、タグとミカは顔を見合わせる。
そして二人は同時に、深いため息をつくのだった。
――キヴォトスのどこか、光の届かない深淵の底。
「……やはり、完全なる複製とはいきませんでしたか。選別から零れ落ちた存在を繋ぎ合わせたキメラとしては悪くない造形でしたが……オリジナルの持つ、あの洗練された“死線の美”には遠く及ばない」
「ですが、我々にとって非常に有意義なテクストとなりました、マエストロ。あの異邦人と共に流れ着いた“最低野郎”、そして“異能者”という記号……それはキヴォトスとは全く異なる物語でありながら、確かな神性と死の概念を内包している。……ですよね、デカルコマニー?」
「そういうこった!」
「クックック……ええ。実に興味深いデータが取れました。あの物理法則の極致……その概念を我々の技術に完全に組み込むことができれば、次はさらに素晴らしいものが生み出せるはずです」
「ああ、想像しただけで創作意欲が湧き上がってきますよ! 今度は、誰もが満足しうる至高の傑作を仕上げてみせましょう」
「期待していますよ、マエストロ。先生と、あの異邦人……彼らが我々の”次なる実験”にどう応えてくれるのか今から楽しみです」
to be continued