装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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第二章
第二章プロローグ


シャーレ居住区画、共有カフェスペース

 

 

窓から差し込む太陽の光が、フローリングと白いテーブルを照らし出している。

タグは、キッチンカウンターに寄りかかりながら、手元のマグカップを無言で見下ろしている。

立ち上る湯気からは、市販のティーバッグから抽出された安価な紅茶の香りが漂っていた。

彼は無表情のまま、その琥珀色の液体を一口すする。

 

(……やはり、あの味には遠く及ばないな)

 

水分補給の内容にこだわる――かつては考えたこともなかったことだ。

しかし、トリニティ総合学園で桐藤ナギサから振る舞われた本物の紅茶の記憶が、彼の味覚に余計な比較対象を与えてしまっている。

タグは微かに眉間を寄せ、ポットに入った砂糖をスプーン一杯取り、紅茶に入れてかき混ぜる。そして温かい液体を胃に流し込んだ。

 

そこへ、足音を立てて二人の少女がカフェスペースに姿を現した――戒野ミサキと槌永ヒヨリだ。

彼女たちは、シャーレから支給されたタクティカルウェアを身にまとっている。

 

「……おはよう、隊長」

 

ミサキの、感情の起伏が乏しいダウナーな声だ。

 

「お、おはようございますぅ……隊長」

 

ヒヨリが後ろからオドオドと頭を下げる。だが、彼女の視線はタグではなく、テーブルの上に置かれていた紙の束に真っ直ぐ向けられていた。

 

「……ああ」

 

タグは短く応じ、再びマグカップに口をつける。

 

ヒヨリはおずおずとテーブルに近づくと、そこに積まれていた出前のチラシや、近隣のスイーツショップのパンフレットを手に取った。

彼女の目は、色鮮やかに印刷された「特盛りフルーツパフェ」の写真に完全に釘付けになっている。

 

「わぁ……美味しそうです……。こんな糖分の塊みたいなもの……食べようと思えばいつでも食べれちゃうんですよね、今は」

 

チラシを持つ両手に力が入り、紙の端がくしゃりと折れ曲がる。写真を見つめるその口元からは、微かに唾液が光っているようにも見えた。

 

「……朝からそんなもの、胃が受け付けないでしょ。ヒヨリ、よだれ出てるよ」

 

ミサキが冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出す。

 

「ひっ!? で、出てません! これはただの生理現象ですぅ!」

 

ミサキは小さく息を吐き、コップに水を注ぐ。

彼女の視線が、震えながらもパフェの写真を凝視し続けるヒヨリの顔に向けられる。次に短く瞬きをし、視線をそらしてタグを見る。

 

「……隊長、今日はコーヒーじゃないんだ。美味しいの、それ?」

 

「上物ではないのであまり勧められないな。飲みたいなら好きに使って構わん」

 

タグは平坦な声で答えつつ、買ってきたティーバッグが詰まった箱を指さす。

 

 

マグカップをシンクに置いたタグは、二人の少女に向き直り、空気を切り替えるように告げた。

 

「朝食を終えたら、出発の準備をしろ。今日は先生の視察に随伴する。AT無しで、要保護対象の先生を守ることになる。備えておけ」

 

「えっ……視察、ですか? 私たちも……? ど、どこに連れて行かれるんでしょうか……!」

 

ヒヨリがパフェのチラシを胸に抱き抱えながら震え上がる。

 

「ゲヘナ学園だ。給食部へ向かう」

 

ミサキの目が微かに見開かれた。

 

「……サオリたちのところね」

 

「そうだ。あの二人が問題なくやっているか、先生が確認したいそうだ」

 

ミサキは静かにコップの水を飲み干し、ヒヨリもチラシをテーブルに置いた。ミサキとヒヨリの視線が交差する。

 

「……わかった。やっておく」

 

ミサキの言葉に、タグは短く顎を引き、自室へと歩き出した。

 

 

 

――数十分後。

 

タイヤがアスファルトの凹凸を拾い、車内に小刻みな振動が伝わる。

フロントガラスの向こうに赤黒い岩肌が流れていく。

 

「ひっ……!?」

 

助手席で窓ガラスに額を近づけていたヒヨリが、肩を跳ねさせた。

ナイロン混紡の長袖タクティカルシャツが擦れる音が鳴る。彼女の豊満な胸部がシートベルトに押し付けられて布地にシワを作り、下半身を包む黒のコンプレッションタイツが肉付きの良い太ももを強く締め付けている。その上に穿かれたミニスカートのプリーツが、彼女の震えに合わせて細かく揺れた。

 

運転席に座るミサキが、ステアリングを握る両手に力を込める。

窓の隙間から、火薬が燃焼する硫黄の匂いと、コンクリートが粉砕される粉塵の匂いが車内に入り込んだからだ。

遠方の空に黒煙が3本の柱となって立ち上り、数十メートル先でオレンジ色の閃光が連続して発生した。1秒遅れて、腹の底に響く重低音と、連射される銃撃の乾いた破裂音が鼓膜を叩く。

 

「……あいつら、馬鹿なの? 学校の中でロケットランチャー撃ってる」

 

ミサキが、フロントガラスの向こうを指差す。

 

「た、隊長ぉ……怖いですぅ……」

 

ヒヨリが後部座席のタグを振り返る。後部座席のタグは、窓の外を見つめている。

彼が着ているシャーレ職員用の白衣は、化学繊維特有の滑らかな質感で膝丈まであり、その下には黒の背広とネクタイを身につけている。

小柄な体躯だが、背筋は真っ直ぐに伸び、視線は動かない。

 

「……ここは毎日が暴動なのか」

 

タグの喉から声が漏れる。

 

「ハハハ……これがゲヘナの日常だよ。今日はまだおとなしい方かな」

 

隣に座る先生が、口角を上げて言う。

先生も、タグと同じ白衣を着ている。タグに比べると頭一つ分背が高いので、サイズも相応に大きい。下にはグレーの背広で、ネクタイは付けていない。

 

 

ミサキがブレーキペダルを踏み込み、車がアスファルトの駐車場で停止する。

ドアを開けて外に出ると、熱を帯びた風が顔に当たる。

数十メートル先では、重機に乗った生徒たちと、黒と白を基調とした制服に赤い腕章をつけた生徒たちが銃火器を向け合っている。

 

よく見れば、くすんだ銀色の髪をツインテールにした少女が指揮をしているようだ。

彼女の黒いミニスカートの裾が風でめくれ、褐色の太ももが露出する。手にはライフルが握られている。

 

「コラ、そこのおバカども! さっさと片付けなさい!」

 

イオリが大きく息を吐き出し、ライフルを肩に担ぎ直した。

 

「……ふう、今日は万魔殿からの無茶振りがない分、まだマシね」

 

 

(イオリ、最近は元気そうだ)

 

考え事をする先生のズボンのポケットで、スマートフォンの通知音が鳴る。

画面が発光し、「ヒナ」という文字と短いメッセージが表示された。

 

「……ヒナも、最近はちゃんと睡眠時間が確保できているみたいだ。モモトークの返信が、深夜じゃなくて朝に来るようになったんだよ」

 

タグは鼻から短く息を出した。

 

「トップが余計な真似をしなければ、現場が楽になるのはどこも同じか。しかし学生の頃からそうなのは同情する」

 

「ひっ……! た、隊長! あっちから、紫色の変なものが来ますぅ!」

 

前方の石畳を、紫色の粘液を垂らす不定形の肉塊が這いずっていく。それを追って、エプロン姿の牛牧ジュリが走り抜けた。

 

「見ないフリをして。僕たちは何も見なかった、いいね?」

 

先生は極めて平静なフリで無視をする。タグら三人も真似して見なかったことにする。

一行は歩みを止めず、コンクリート造りの建物の入り口へ向かう。

 

 

 

ゲヘナ学園、給食部食堂

 

 

長方形の白いメラミン化粧板のテーブルが並ぶ空間の奥に、大きな配膳口と透明なガラス窓で仕切られた調理室がある。

換気扇の回転音が低く唸り、複数のガスコンロから立ち上る青い炎が室内の温度を上げている。

 

先生が、入り口に設置されたアルコール消毒液を両手に擦り込んだ。すると液体が揮発するアルコールの匂いが漂う。そして先生は調理室の扉を開け、中へと足を踏み入れた。

タグ、ミサキ、ヒヨリの三人は食堂に残り、配膳口のガラス越しに調理室の内部を見つめている。

 

ステンレス製の調理台の前に、錠前サオリが立っていた。

彼女は黒い長袖のインナーの上に白い割烹着を身につけ、長い髪を白い三角巾でまとめている。

右手に握られた牛刀の刃先が、まな板の上の緑色のキャベツに突き立てられる。

 

「……シュッ」

 

ガラス越しに、サオリの短い呼気が微かに聞こえる。

刃がキャベツの繊維を断ち切る「ザクッ」という硬い音が連続して鳴る。

彼女の目は鋭く細められ、手首から肘にかけての筋肉が緊張で硬直している。刃の軌道は一定の角度を保ち、キャベツの中心部に向かって鋭角的に突き下ろされている。

 

「サオリさん! キャベツは敵じゃありません! 刺すんじゃなくて、押し出すように切ってください!」

 

隣に立つ愛清フウカが、両手を腰に当てて声を上げる。

サオリはピタリと包丁の動きを止め、フウカの顔を見た。

 

「……フウカ。この『みじん切り』という戦術行動だが、これで合っているか?」

 

男性的で装飾の少ない硬い口調が、ガラスを隔てて届く。

 

「不適切です! それじゃあサラダじゃなくてキャベツの死体になっちゃいます!」

 

サオリは真顔のまま、手元の不規則な形に粉砕されたキャベツの破片を見下ろした。

 

「……理解した。軌道を修正する」

 

 

食堂側のヒヨリが配膳口のカウンターに両手をつき、息を呑んで硬直する。

 

「ひっ……! さ、サオリ姉さんまで、あんな恐ろしい解体作業を……!」

「ヒヨリ、うるさい。あれはただの料理」

 

ミサキが、食堂の席で頬杖をつきながら調理室を眺める。

割烹着姿のサオリを一瞥し、ミサキの目元がわずかに緩む。

 

「……姉さん、ちょっと楽しそうだね」

 

 

調理室奥の調理台では秤アツコが、紫色の粘液を滴らせている肉塊を見つめている。

彼女もサオリと同じ白い割烹着と三角巾を着用している。顔を覆っていたガスマスクはない。露出した素顔は左右対称で整っており、淡い色の唇が微かな弧を描いている。

 

「……元気だね」

 

ゆったりとしたマイペースな声だ。

アツコが、肉塊の表面を指先で突く。肉塊がビクッと跳ねて粘液を飛ばした。

その肉塊を生み出した当事者のジュリは、お玉を持ったまま首を傾げている。

 

消毒を終えて近づいてきた先生に気づき、アツコが調理台の前から離れた。

無音の足取りで先生に近づき、正面で立ち止まる。

アツコは両手を背後に回し、わずかに上目遣いで先生の顔を見た。

 

「……先生。来てくれたんだね」

 

アツコの低い声が響く。彼女は音もなく半歩踏み出し、先生のパーソナルスペースへと入り込む。

ワイシャツの袖口を、アツコの指先が軽くつまんだ。

 

「私を大事にしてくれるその気持ちを、私も大切に思うね」

 

 

味見ということで、サオリとアツコが料理行程の半分以上を担当した料理を食べることになった。

 

長方形の白いメラミン化粧板のテーブルに、ステンレス製の深皿が並べられている。

皿の中には、細かく刻まれたキャベツとベーコン、大きく切られたジャガイモやニンジン、玉ねぎが沈む、澄んだ赤色のトマトベースのスープが入っていた。

世間ではミネストローネと呼ばれるものだ。表面に浮いた脂とオリーブオイルが、食堂の蛍光灯の光を反射している。

 

サオリとアツコが、白い割烹着姿のままテーブルの端に立ち、両手を前で組んでその皿を見つめていた。

 

ヒヨリが、右手に握ったスプーンでスープを掬う。

金属のスプーンが歯に当たるカチャリという音が鳴る。

 

「おいしいですねぇ……サオリ姉さんとアツコちゃんの料理毎日食べれるゲヘナの生徒が羨ましくなります」

 

ヒヨリは湯気で垂れた鼻水をすする音を立てながら、スプーンを口に運ぶ動作を止めない。ごくり、ごくりと連続して喉を鳴らし、数分後にはステンレス皿の底が完全に露出した。

 

向かいの席では、ミサキがスプーンを動かしている。咀嚼のペースは早く、視線は皿に向けられたままだ。

 

「……うん、私もヒヨリの意見に賛成。ちょっと妬ましい」

 

ミサキの手は止まらない。皿の底にスプーンが当たる金属音が鳴り、彼女もまた完食した。

 

先生とタグも、白衣の袖を軽くまくり、スプーンでスープを口に含んだ。

トマトの酸味と、塩分、そして野菜の甘みが舌の上に広がる。野菜の切り方は不揃いだが、火は通っており、咀嚼に支障はない。むしろ不揃い具合が一つの味になっている感さえあった。

 

先生の顔がパァッと明るく綻んだ。

 

「美味しいよ、サオリ、アツコ。野菜の甘味がしっかり出ているし、初めてでこれだけ作れるなんてすごいね」

 

先生の言葉に、テーブルの端に立つアツコが、花が咲くように柔らかく微笑んだ。

 

「……よかった。先生にそう言ってもらえると、嬉しいね」

 

アツコの口元が、嬉しそうに弧を描く。

 

 

(……基地で食べた、栄養しか考えられてない食事とは違うな)

 

味覚神経が、かつて戦場で摂取していたカロリーと栄養を満たすことしか考えていなかった素っ気ない味の食事との決定的な違いを伝達する。だが、タグの鉄面皮は微塵も動かない。ただ、一定のペースで咀嚼と嚥下を繰り返す。

そして先生の次に、タグも味の感想を述べる番になった。

サオリの視線がタグに向けられる。白い割烹着の前で組まれた彼女の両手には力が籠っていた。

 

「……どうだろうか。まずはスープというものから作らせてもらっているんだ」

 

タグは、椅子に深く腰掛け直し、正面のサオリの強張った顔を見た。

 

「旨い」

 

短いがわかりやすい返答が食堂に響く。

 

「話に聞けば、他の仕事をこなしつつちゃんと鍋を見ているということで、澄んだ味を作れていると聞いている。……短期間にしては十分な成果だと」

 

サオリの肩のラインが、数ミリ下がる。

 

「……っ」

 

微かに息を吐き出す音が聞こえ、握り込まれていた指先からフッと力が抜けた。サオリは視線を床に落とし、被っている白い三角巾の端を右手で軽く引いて顔の半分を隠す。

 

「……そうか。なら、次も作れるようにしておく」

 

不器用な照れ隠しをするサオリと、隣で先生に微笑みかけるアツコ。

その様子を調理室の扉の近くで見ていたフウカが、「うまくいきましたね」という顔で静かに見守っていた。

 

 

 

――数時間後、シャーレ執務室。

 

壁に設置された大型モニターが発光し、ニュース番組のキャスターの音声が室内に流れている。

ミサキとヒヨリ、そして黒崎コユキは今自習室でBDを使った勉強をしているので、執務室には先生とタグだけだ。

 

『本日、連邦生徒会はSRT特殊学園の閉校を正式に決定しました。所属生徒は順次、指定された各学校へ転入……』

 

タグは白衣姿のままデスクの傍らに立ち、無表情でモニターの液晶画面を見上げている。

 

「閉校というのは珍しいことなのか?」

 

ニュースになるということは理由があるはずだ、と考えている。

 

「……数千もの学校があるわけですから、どうしても出てきますね。アビドス高等学校のように自然環境の激変で生徒数が大きく減少したり、大きな不祥事のリカバリーに失敗した結果、新入生無しの年度が続くと閉校も選択肢に入ってしまいます。……閉校はまだいいほうです、ちゃんと学校の引き継ぎ作業や在校生の転入作業が完了しているということですから」

 

「閉校でない場合があるということか」

 

「その場合は廃校です。諸問題を解決出来ず、閉校の条件を満たせない場合に使われます。閉校と廃校……マスコミの言葉遊びではなく純然たる違いがありますね」

 

先生にとっては他人事ではない。

廃校によって学籍を失った元生徒、廃校回避のための運営資金欲しさに重犯罪に手を染める生徒、そしてそんな彼女らを利用しようとする大人の悪意は、先生が最優先で対応すべき事案であった。

 

「……タグさん、前々から決めていたことですが、今後は廃校に至った学園と学校の巡回をお願いすると思います」

 

「というと?」

 

「大きくわけて二つ目的があります。まず廃校となった敷地の安全確保です。連邦生徒会は敷地をいったん更地にした上で、再開発を考えています……その手伝いをお願いしたい。

もう一つの目的は、学籍を失った生徒の救済です。廃校となった場所は元生徒達が住み家としている可能性が高いんです。彼女らのために新しい学び舎を仲介するのは僕の大事な業務です」

 

「大事なことはわかった。それは先生でなければ出来ないのか?」

 

「……出来なくはないけど、途方もなく時間がかかる。本来それを受け持つべき連邦生徒会は、責任者である生徒会長が行方不明になってから業務処理能力に大きな遅延が出ている。

その結果、生徒という身分を失った元生徒は生活の糧を得るために犯罪に手を染めるケースが増えていて、これが社会問題になっているんだ。D.U.に代表される自治区の大幅な犯罪率の上昇の原因の一つだね」

 

「理解した。巡回候補の資料は頼めるか?」

 

「アロナ、お願い」

 

『はい、優先順位のラベル付けは完了してあります。タグさん、タブレットに送っておきますね』

 

その時、先生のデスクの上で、スマートフォンのバイブレーションが短い間隔で鳴る。

”ブー、ブー”という振動音が、スマホカバーの天板を伝わって響く。

 

先生はキーボードから手を離し、スマートフォンの画面を指でタップした。

液晶の青白い光が、先生の顔を照らす。先生の視線が、画面に表示された文字列を上から下へなぞる。

数秒後、先生は短く息を吐き出し、スマートフォンをデスクの上に置いた。

 

「何かのトラブルか」

 

資料を送られたタブレットから視線を外すタグ。

 

「……少し、驚いているだけです」

 

先生は、椅子の背もたれに体を預けた。

 

「驚いている?」

 

「はい。差出人は……今噂のSRT特殊学園所属のRABBIT小隊、4名」

 

タグは微かに眉間を寄せる。

 

「……シャーレに何の用だ」

 

「それが、シャーレの実働部隊として自分たちを雇用してほしい、と。いわゆる逆オファーですね。メールを共有します」

 

タグは無言でタブレットの画面を覗き込んだ。

廃校の資料のほうのウインドウを一旦閉じて、共有されたメールを確認する。

そこには、四人の生徒の顔写真と、詳細な履歴書と戦績データが表示されていた。

 

「タブレットだと見づらいな。アロナ、彼女たちのデータをメインモニターに頼めるか」

 

『はい、タグさん! すぐに出しますね!』

 

シッテムの箱からアロナの声が響き、執務室の大型モニターにRABBIT小隊のデータが映し出された。

 

「……月雪ミヤコ、空井サキ、霞沢ミユ、風倉モエ」

 

タグは腕を組み、モニターに羅列された彼女たちの戦闘記録やスキルを精査していく。

 

「ポイントマン、ポイントマン、スナイパー、スポッター兼通信・爆破工作担当……なるほど、四人一個の特殊小隊として完全に自己完結しているな。成績データを見る限り、非対称戦や市街地での戦術練度も高い。……戦力として見れば、申し分ないな」

 

「うん、実力は僕も疑っていないよ。でも、実際に彼女たちをシャーレの実働部隊として受け入れる場合、どうしても無視できない問題が発生するんだ」

 

先生は手元のタブレットを操作し、モニターの表示をシャーレ居住区画の間取り図へと切り替えた。

 

「現在、居住区画にはサオリたちアリウススクワッドの四人が生活している。空き部屋自体は十分にあるから物理的な収容は可能だけど……SRTの彼女たちをそこに同居させることになる」

 

タグは無言のまま、続けてくれと視線を先生にやる。

 

「元とはいえ連邦生徒会長直属のエリート特殊部隊と、つい先日まで指名手配されていた元テロリストの生徒。一つ屋根の下で生活させるには、あまりにもリスクが高いし、何より彼女たち自身の精神的なストレスになりかねない」

 

タグはマグカップの紅茶を一口飲み、再びモニターの四人の少女たちを見上げた。

 

「……先生の懸念は理解する。だが、同じ組織に属する人間が、元々の立場を理由に離れて生活するのは、組織運営の視点からすれば悪手だ」

 

「タグさん……」

 

先生が困惑したように息を漏らすが、タグは表情一つ変えない。

 

「とはいえこの主張をした手前、責任は取る。同じ居住空間に、俺が管理者として対応しよう。つまりクッションだ」

 

先生は瞬きを二回繰り返した。そして先生の視線がタグの無表情な顔を捉える。

数秒後、先生は短く息を吸い込んだ。

 

「……そうだね。タグさんはそういうところの線引きはしっかりしているから、問題ないか」

 

「俺を何だと思っている」

 

タグが短く異議を唱える。

 

「……それに先生。エデン条約の裏で動いていたベアトリーチェの勢力残党、そしてゲマトリアの連中が、今後も沈黙するとは思えん。人員は増えたとはいえアンタの護衛、そしてキヴォトスの治安維持を回しきるには手が足りないのは事実だ。場合によってはアリウスとSRTの混合部隊での運用も必要になる」

 

「……」

 

「閉校当日、シャーレに自分たちを売り込んできた……その真意は不明だ。だが、使える人員が増えるというのなら、躊躇うべきではないと俺は判断する」

 

先生が肩の力を抜き、頷く。

 

「分かった。タグさんの言う通りだ」

 

先生が立ち上がる。椅子のキャスターが床を擦る音が鳴る。

 

「まずは、直接会って話をしてみよう」

 

 

 

――深夜。D.U.地区、24時間営業のカフェ

 

 

天井のスピーカーからBGMが流れている。焙煎されたコーヒー豆の香りと、空調の乾燥した空気が混ざり合う。

客数は極端に少なく、敷地にいるのは片手未満の数だ。そして窓際のボックス席に、先生とタグが座っている。

その時、タグの視線が入り口の自動ドアへ向く。

 

ドアが開き、少女が入ってくる。

白い髪、ウサギの耳を模したヘアバンド。SRT特殊学園の制服の生地の端には、わずかな土汚れとシワが確認できる。そして背中に黒いガンケース。

こちらを見つけた少女が、テーブルに歩み寄る。

 

「……すぐに対応していただきありがとうございます、SRT特殊学園一年生の月雪ミヤコと申します」

 

氷のように冷たく張り詰めた声だ。そして深く一礼する。

 

「まず本来ならば小隊の全員でご挨拶に伺うべきですが、私一人で来た非礼をお詫びします。

現在の私たちは学籍こそありますが、学校が存在しないという非常に不安定な立場です。……万が一の事態に備え、他のメンバーには外で待機してもらっています」

 

先生は微かに目を細め、窓の外の暗闇――見えない残りのメンバーがいるはずの方向へ一瞬だけ視線を流した。

 

(……この状況でそういうことを言うんだね)

 

そう心中で呟くと、先生は穏やかに頷き、対面のシートを手で示す。

 

「構わないよ。座って」

 

ミヤコがガンケースを足元に置き、シートに浅く腰を下ろす。視線がタグを一瞬捉え、先生へ戻る。

 

「単刀直入に申し上げます。私たちを、シャーレの末席に加えていただきたく、ご連絡しました」

 

ミヤコの背筋が真っ直ぐに伸びる。

 

「……学園の閉校。私たちは納得していません」

 

膝の上で、両手が軽く握り込まれる。

 

「連邦生徒会長の失踪により、超法規的存在である学園の手綱を握るものが不在となったこと……よって閉校に至った理由自体には、理解を示します。しかし、それはSRTの存在意義を断つ理由にはなりません」

 

タグがマグカップを口に運び、紅茶を喉に流し込む。視線は窓の外の暗闇に向けたまま、無言を守る。

 

「私たち小隊はシャーレに属することを望みます。理由は……あらゆる学校と学園間の関係や利害の問題に左右されず、いかなるものであれ平等な正義を示し続けることの重要さを主張したいのです。それによりSRT特殊学園の存在意義を認めてもらい、再校することを目標とします。行方不明となった連邦生徒会長の思想的後継者であるシャーレなら理解していただけると思います」

 

自身の主張を終えたミヤコが先生の目を見据える。

 

「私たちの身柄と運用権をお預けします。チャンスをどうか私たちに提供してください」

 

先生がテーブルの上で両手を組む。数秒の沈黙。

 

「……分かった」

 

先生がゆっくりと頷く。

 

「君たちの主張は理解した。シャーレとしても、優秀な戦力は歓迎するよ。……よろしく、ミヤコ」

 

ミヤコの肩のラインが数ミリ下がる。瞳の奥に安堵の色が滲んだ。

 

「……ありがとうございます、先生」

 

「話を受ける前提で、いくつか質問してもいいかな?」

 

「はい」

 

「まず、なぜシャーレに加わりたいのが君たち四人だけなのかな? SRTの在校生はそう多くはないとはいえ、それなりの人数がいると思うけど」

 

ミヤコは膝の上の手をきつく握り直した。ナイロン生地が微かに擦れる音が鳴る。瞳の奥に、押し殺した悔しさが滲んだ。

 

「……それは、私たちの編入先の決定が、学園で一番最後だったからです」

 

「一番最後?」

 

「はい。実績のある先輩方は、閉校の日程が決まると同時に、遠方の学園や各自治区の有力な治安組織へと優先的に引き抜かれ、編入していきました。ですが、私たちRABBIT小隊は今年入学したばかりの一年生です。目立った戦績もありません」

 

ミヤコの背筋がさらに真っ直ぐに伸びる。

 

「連邦生徒会にとって、私たちは『急いで対処する必要のない、問題にならない程度の戦力』と評価されたのでしょう。手続きは後回しにされ……結果として、一番近場であるヴァルキューレ警察学校への編入が、最後に事務的に割り当てられました」

 

先生はなるほど、と顎に手を当てる。

 

「ヴァルキューレ警察学校か。確かにキヴォトスの治安維持組織としては悪くない選択肢に思えるけど……君たちはそれに納得できなかったんだね」

 

「はい。ヴァルキューレのやり方と、私たちのSRTとしての正義は異なります。それに……私たちを侮り、不要なものとして切り捨てた人たちに、SRTの、RABBIT小隊の本当の価値を証明しなければなりません。そのための場所として、シャーレ以上の場所はないと判断しました」

 

先生は腕を組み、静かな眼差しでミヤコを見据えた。

 

「つまり君たちは原隊復帰をせずに、原隊に無断でシャーレに鞍替えしたいということでいいのかな?……いやがらせで言っているわけじゃないよ、ただ筋が通ってないんじゃないかなって」

 

ミヤコは微かに唇を噛み締め、真っ直ぐに先生の瞳を見返した。

 

「……原隊は、すでに存在しません。連邦生徒会は私たちから学園を奪い、一方的にヴァルキューレの指揮下に入るよう命じました。私たちはその編入命令にまだ同意していません。それに、私たちは連邦生徒会長直属の特殊部隊です。会長が不在の今、その思想を受け継ぐシャーレに所属することこそが、SRTの筋を通すことだと考えています」

 

「なるほど。さらに言えば君たちは原隊の装備を私物化してるという認識でいいのかな?」

 

先生の視線が、ミヤコの足元にある黒いガンケースへと向けられる。

ミヤコはガンケースを見下ろし、そしてキッパリと顔を上げた。

 

「私物化というご指摘は甘んじて受けます。ですが、この銃は私たちがSRTとして正義を執行するための魂です。これを連邦生徒会やヴァルキューレに引き渡すことは、私たちがSRTであることを放棄するのと同じです。……どのような汚名を着せられようと、私たちはこの装備を手放すつもりはありません」

 

先生はゆっくりと息を吐き、口角を微かに上げた。

 

「……なるほど。君たちの置かれた状況と、その覚悟はよく分かったよ」

 

そこまで言って、先生は少し目を細めた。彼女の言葉には揺るぎない意志があるが、それが小隊全員の総意なのか、あるいは小隊長としての責任感からくるミヤコ一人の暴走ではないかという懸念がよぎったからだ。

 

「最後に一つだけ質問するね。それは君たち四人全員の意志ということでいいんだね?」

 

ミヤコは迷うことなく、力強く頷いた。

 

「はい。この決断は、私たちRABBIT小隊全員の総意です」

 

「……分かった」

 

先生が頷いた、その時だった。

 

「話がまとまったのなら、確認したいことがある」

 

陶器がぶつかる硬い音を立てて、タグがマグカップをテーブルに置いた。

ミヤコの視線が、初めて真っ直ぐにタグへ向く。

 

「俺はタグだ。先生の元でシャーレ実働部隊を指揮させてもらっている。このまま加入するとなればお前達の上司となる立場だ」

 

一切の感情を感じさせない、しゃがれた声。タグの死んだ魚のような暗い瞳が、ミヤコを射抜く。

目前の小柄な大人が放つ、血と硝煙に塗れた”本物”の気配に、ミヤコは改めて背筋をピンと正す。

 

「……俺も加入自体に異論はない。だが、今後の扱いに関してどうするかの指針のためだ、お前たちの性能確認をしたい」

 

タグの視線が、ミヤコの顔からガンケース、そして彼女の強張った指先へと、値踏みするように動く。

 

「お前が言った通り、一年生で目立った実績はないと書類でも見た。だから、実戦でどこまで使えるのか。……それを確認したい」

 

挑発とも取れる言葉。

ミヤコが組んでいた両手を解く。エリート特殊部隊としてのプライド、そして大人に投げかけられた「実績の無さ」を鋭く刺激されたのか、彼女の顎がわずかに上がり、瞳の奥に確かな闘志の光が宿った。

タグの眼光に気圧されることなく、真っ直ぐに睨み返す。

 

「……望むところです。私たちRABBIT小隊の戦術練度、必ず証明してみせます」

 

 

――それから10分後

 

加入が正式に決まったので、他の三人を迎えるためにミヤコが暗闇の中へ消えていく。

対して先生とタグは、新しく増えた四人を迎えるための準備をするために公用車へ歩き出す。

 

まだ残夏が残る夜風が二人の間を抜ける。

 

タグが白衣のポケットに両手を入れ、車のドアノブに手を掛けたまま動きを止める。

 

「……先生、口を挟んですまない」

 

タグの視線が、車のルーフ越しに先生へ向けられる。

 

「気になることがあってな」

 

先生が車のキーを取り出す手を止める。

 

「資料をまだ軽くしか見ていないが、訓練時間がまだ半年ほど。基礎は叩き込まれているようだが、それだけだ。……使い物になるには、時間がかかるかもしれん」

 

先生が車のキーのアンロックボタンを押す。電子音が二回鳴る。

 

「……それでもだよ。今使えないからといってやっぱりダメというのは、ね」

 

「それはそうだ。むしろ基礎を修めた連中を、これからシャーレの好みに調整出来ると思えば儲けものだ」

 

先生は小さく息を吐き、車のドアに手をかけたまま、ルーフ越しにタグを見返した。

 

「……ただね、僕も一つ、どうしても気になっていることがあるんだ」

 

「何だ」

 

「さっきの彼女……ミヤコからの直談判のことだよ。どうも、彼女一人の暴走っぽいな……って疑っているんだ」

 

タグの目が微かに細められる。

 

「本当に四人全員の固い意志なら、自分のその後の人生を決めるような大事な交渉の席には、みんなで加わると思うんだよね。彼女は『不安定な立場だから、万が一に備えて他のメンバーは外で待機させている』って理由にしてたけど……僕からすれば、それは理由になっていない」

 

先生は夜の闇へ視線を向ける。

 

「僕たちを警戒しての『万が一』だとしても、本気で自分たちの身柄を預ける交渉なら、リスクを承知で全員で顔を合わせるのが筋だ。それをしなかったのは……もしかしたら、他の三人はそこまで腹を括り切れていないんじゃないかなって」

 

タグは鼻から短く息を出した。

 

「……先生のその推測は、おそらく当たっている」

 

しゃがれた声が、冷たい夜気の中に落ちる。

 

「軍の論理から見ても不自然だ。学園という大きな後ろ盾を失い、指揮系統が崩壊した状況で、訓練期間半年ほどの新兵上がりの小隊長が、部下全員の意志を完全に統率できているケースは極めて稀だ」

 

タグは無表情のまま、かつて見てきた無数の部隊の末路を思い起こすように淡々と続ける。

 

「大抵の場合、責任感の強い部隊長が一人で気負い込み、部下はただ流されているか、事の重大さを理解せずに引きずられているだけ……そういうパターンは多い。彼女の目には確かな覚悟があったが、それが小隊全員の覚悟とイコールである保証はどこにもない」

 

先生は車のドアノブに手をかけたまま、小さく息を吐いた。

 

「うん、僕もそう思う。……ただ、たとえ彼女一人の気負いで、他の子たちがただ流されているだけだったとしても、僕はその行動力自体を評価したいんだ。突然の閉校という理不尽に対してただ絶望するんじゃなく、シャーレに再校の機会を求めて自ら動く……中々いないよ、あんな風に真っ直ぐに向かってこれる子は」

 

「ではどうする?」

 

タグの問いに、先生は車のドアを開けながら振り返った。

 

「流された子も含めて、どうにかして導くために頑張るのが僕の仕事だよ」

 

軽い笑みを浮かべつつ、先生は運転席に腰を下ろす。

 

タグは微かに眉をひそめ、「またこのお人好しは」とでも言いたげな呆れの色を浮かべる。

 

だが、いつものことだと理解しているため、それ以上の反論は口にはしなかった。

そして無言で助手席のドアを開けた。

 

 

 

 

蝶の微かな羽ばたきが、定められた未来の軌道を狂わせる

大人の掌から零れ落ちるはずの歴史の残骸

泥に塗れた兵士が、それを拾い集める

流れに乗り損ねた予言者、積み上がる粉飾の山、そして冷え切った野心

 

 

次回「分岐」

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