装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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庇護

■■■はアーマードトルーパーの操縦桿を握り、無感情に引き金を引いた。

ヘヴィマシンガンの銃口が火を噴き、徹甲弾の群れが先頭を行く機体を容易くスクラップに変える。装甲が紙のように引き裂かれ、内部の機材が火花と共に飛散した。

 

――模擬戦闘で実弾が放たれたという事実

 

直後、候補生で構成された部隊全体が統制を失い、あちこちでATが衝突し合う金属音が反響していた。

蹂躙の合図は、基地司令部から流れる無機質な報告音声だった。

 

『ナンバー2、大破』

 

候補生全員のバイタルと機体の状況をモニタリングしている基地司令部から、無機質な報告が放たれる。

それを皮切りに、■■■を含む8人のレッドショルダー隊員が一斉に牙を剥いた。

 

「かかれ」

 

■■■は号令を放ち、右肩が赤く塗られたスコープドッグ・ターボカスタムの出力を全開にする。

右へ2機、左へ3機が砂煙を上げて展開した。

 

稜線に留まった■■■ら3機が、すり鉢状の地形へ向けて一斉に火線を叩きつける。

銃身から排出される薬莢の乾いた金属音が、コクピット内の静寂をかき消していく。

 

今日の“入隊候補生”は24人。

 

模擬戦闘の想定を破壊された候補生たちは、通信機の中で喚き声を上げ、無秩序に機体を前後させている。その無様な挙動を、■■■はゴーグルバイザー越しに冷徹に視界に収めた。

左右と丘上から叩き込まれる火線が、逃げ惑う標的の装甲を剥がし、人間だった残骸を大地に撒き散らす。

 

『ナンバー23、大破。ナンバー10、大破。ナンバー5、機能停止』

 

オペレーターが正確かつ淡々と撃破をカウントしていく。

容赦という言葉は、この星――惑星オドンには存在しなかった。

 

僚機のソリッドシューターから放たれた弾頭が、逃げ惑う候補生のATを爆炎に包む。

■■■は、死に物狂いの候補生がデタラメに放ったヘヴィマシンガンの掃射を、機体を屈ませて最小限の動きで回避した。

その直後、右肩のミサイルランチャーで反撃し、相手の胸部装甲を正確に撃ち抜く。新しい爆炎が上がる。

 

『ナンバー12、大破』

 

また一つ、無慈悲なアナウンスが響く。

 

 

“チッ”

 

基地司令部、管制塔の内部で鋭い舌打ちが響いた。

惑星オドンにあるレッドショルダー基地、その総司令であるリーマンだ。

候補生たちのレベルの低さに、珍しく苛立ちを隠せないでいる。

 

 

――共食い

 

それが、レッドショルダー入隊試験――能力純度振り分けの俗称だ。

入隊候補生を騙し討ちの形で実戦形式の極限状態に叩き込み、生き残った者だけを正式なレッドショルダー隊員として迎え入れる。

だがその実態は、教官役である古参兵たちによる一方的な殺戮ショーとなることが大半だ。

 

■■■は、教官役としてこの“共食い”に参加していた。

いや、神の傀儡として参加させられていた、が正しい。レッドショルダーに入隊して半年。すでに味方殺しに対する心理的な忌避感は、完全に麻痺して久しい。

 

「次だ」

 

潰れた気管から漏れるしゃがれた声で短く呟き、■■■は機体をターンさせる。

情けも、躊躇(ちゅうちょ)もない。つまらない作業だった。

 

 

結果として、■■■はヘヴィマシンガンの弾倉を一度も交換することなく、その日の共食いを終えた。

今回の合格者は無し――相対した24人の候補生は、文字通り一人残らずオドンの大地に散ったのである。

 

(これで、次回は参加しなくていい)

 

揮発したオイルの臭いが充満するコクピットの中で、■■■は小さく息を吐き出す。

次の共食いにも教官としての参加を打診されたが、規定のノルマは果たしたとして冷淡に辞退した。

 

 

――脳髄の奥底に巣食う神から、抗えぬ神託が下ったからだ。「奴が来る」と

 

■■■が参加を見送った、次の共食い試験。

そこに、あの男が参加することになる。

 

キリコ・キュービィー

 

後に俺の運命を決定的に狂わせ、そして偽りなき友である男。

もしあの時、俺が次の試験にも出ていれば――キリコと相対していれば、何かが変わっていたのだろうか。

 

 

共食いという作業を終え、格納庫に帰還した■■■は機体を降りた。

自身の個室へ続く通路を歩いている最中、食堂の横を通り過ぎる。

 

「■■■、今日も稼がせてもらったぞ!」

 

賭けの胴元であるグレゴルーの汚い歓声を、聞き流す。

古参兵の一人が手元のメモ帳に走り書きをしていた。

 

「……また0かよ」

 

低い声で呟き、卓上に置かれた灰皿へタバコの吸い殻を押し付ける。

その横ではコインの山が積み上げられていた。

 

「入隊数0か、退屈な連中だ。せめて一人くらいは意地を見せてほしいもんだが」

 

別の男が薄笑いを浮かべ、モニター越しに候補生の死体を確認しながら、無造作にまたコインを弾く。

 

少し前にスピーカーから流れた絶叫と機械的な撃破報告。それらは彼らにとって、単なる“結果発表”のBGMに過ぎない。

彼らにとって、潰されていく24の命は、オッズの数字でしかなかった。

断末魔が混じる通信回線を、まるで音楽でも聞くように彼らは放置し、勝ち取ったコインの山を積み上げている。

地獄の火線と、賭けに興じる笑い声。そのあまりの乖離に、■■■は奥歯を噛み締めた。

この場所では、命よりもチップの配当の方がよほど価値がある。

 

個室に戻った■■■は着替える気にもなれず、そのままベッドに寝入った。

 

 

――幻覚

 

気づけば、眼前の景色は凄惨な血の海へと変貌していた。その中央でうずくまるキリコ。思わず彼を抱き起こそうと手を伸ばし――その指先が触れる直前、唐突に視界が暗転した。

 

 

 

タグは跳ね起きるようにして、覚醒した。

じっとりと冷たい汗が全身を覆い、心臓が肋骨を内側から叩き割らんばかりに激しく警鐘を鳴らしている。

乱れた呼吸を整えながら、周囲を見渡す。そこは見慣れた――いや、まだ完全に馴染みきってはいないシャーレの居住区画、タグの個室の天井だった。

窓の外はまだ暗く、朝の光は差し込んでいない。

 

「今日は、オドンか」

 

掠れたハスキーな声が、静寂の部屋に落ちる。

どれだけ時間が経ち、どれだけこの平和な世界で過ごそうと、脳髄に染み付いた硝煙の匂いと血塗られた記憶が、容易く消え去るはずがなかった。

タグは暗い瞳で自分の両手を見つめ、ひび割れた過去を意識の底へと押し込めながら、静かにベッドから立ち上がった。

 

 

 

――トリニティ総合学園、ティーパーティーのテラス

 

 

白い円卓に、ティーカップがソーサーに触れる硬質な音が響く。

ホストの席で紅茶の香りをくゆらせるのは桐藤ナギサ。だが、かつてその両脇を固めていた聖園ミカと百合園セイアの姿はない。

二人に代わるのは、シスターフッドの歌住サクラコ、そして救護騎士団の蒼森ミネ――エデン事変を経て急造された、現在のトリニティの新たな中枢部である。

タグは無言のまま、三人を観察する。

彼女たちの間に交わされる視線に、腹を探り合うような刺々しさはない。静かな気配が、この陣容に不足が無いことを示していた。

 

「お忙しい中、足を運んでいただき感謝します、タグさん。今日来ていただいた理由はそちらです」

 

ティーカップをソーサーに静かに置き、ナギサが視線を向ける。

その目の動きと寸分違わず、傍らのサクラコが数枚の資料をテーブルの中央へと滑らせた。

 

「情報部とシスターフッド、それぞれの情報網が収集したデータをすり合わせた結果です」

 

サクラコの淡々とした声が、テラスの空気を引き締める。

 

「ブラックマーケットが存在する区域とトリニティ自治区の境界線。そこに位置する放棄された廃園――現在、不法占拠者たちが陣取っているその場所に、アリウス分校の生徒が雇用されていることが確認されました」

 

タグは差し出された資料に目を落とす。トリニティの表と裏、二つの諜報機関の印が並んで押されたその報告書は、情報の正確さを保証していた。

資料を一瞥したタグに対し、ミネが身を乗り出し、真剣な眼差しで言葉を引き継ぐ。

 

「ティーパーティーとしては、廃園そのものへの対応は後回しにする案件でした。ですがアリウス分校の、それも名簿で未確認だった生徒が所属しているとなれば話は変わります。

現在、シャーレが進めてくださっている、各所の廃校・廃園の巡回と学籍不明生徒の保護任務。そのスケジュールを調整してもらい、件の廃園へと向かってはいただけないでしょうか? 本来であれば私たちが対応すべきですが、その……」

 

「トリニティの制服を見れば、アリウスの生徒は再び姿を消す、か」

 

ミネの言葉尻を、タグのしゃがれた声が補った。結果、三人の表情に苦いものが混ざる。

 

「……そういうことであれば、応じない理由はない」

 

タグは資料を手に取り、短く応じた。

 

 

 

――翌日

 

 

タグはアリウススクワッドの面々と共に、トリニティ自治区とブラックマーケット地区の緩衝地帯に位置する廃園へと向かっていた。

 

ディーゼルエンジンの無骨な振動が、大型輸送トラックの車内に響く。

後部座席の右端に腰を下ろすタグの前方、トラックの運転席には錠前サオリが座っている。

 

かつての腹部を露出した特異な装いではなく、現在の彼女はセラミックプレートが内蔵された軽量型ボディアーマーを身に纏っている。

着こなしていたボロボロのロングコートは外し、白一色のタクティカルジャケットを羽織っている。ただ、防塵用の黒いマスクには愛着があるのか、以前と同じものを使い続けている。

 

助手席に座る秤アツコの装いにも、明らかな変化があった。

本人の嗜好なのか、防御力を向上させる類の重装甲化は一切なされていない。

しかし、胸元のチェストリグには機能的なポーチとメディカルキットの数が増えていた。

戦場での生存と、仲間を救うための意識の変化の現れだろう。

フード付きのコートは、色や形状こそアリウスにいた頃と似通っている――しかし、四人に共通することだが、どの装備にも呪縛のように刻まれていた『vanitas』の文字はもう見当たらない。

 

 

車内のエンジンの唸りに合わせ、床板が細かく振動を刻む。

後部座席に座るタグの左隣には槌永ヒヨリ、その奥に戒野ミサキが収まっている。

二人とも、使い慣れない獲物を膝の上で確かめるように弄んでいた。

ヒヨリは、アツコと同型のサブマシンガンを肩に当て、追加されたストックの感触を確かめている。ドラムマガジンが装着されたその銃身は、彼女の華奢な肩には不釣り合いな重さを孕んでいた。銃尾を引くたびに、カチャリと冷たい金属音が響く。

ミサキはアサルトライフルの銃身下、増設された単発式グレネードランチャーの接続部を指先でなぞる――冷えた鉄の感触。

彼女は撃針の感触を確かめ、重心を確認するように銃身を上下させた。

どちらも慣れ親しんだバランスの獲物ではない。だが、訓練場で重ねた数千回の動作が、彼女たちの指先に記憶されている。

 

かつて彼女たちが手にしたのは、止む無くとはいえバラバラの獲物だった。

しかし、今は違う。シャーレが供給した、この最適化された火器。それはATとの共同戦線を前提とした「歩兵支援」という新しい役割の証明だ。

今の彼女たちは、戦場の隙間で生き残るゲリラではなく、ATと連携し、射線を構成する正規の戦力へと変わっていた。

 

 

目標の廃園は近い。

かつての同胞たちが無法者に雇われているという情報。

踏み込めば、対話か、あるいは武力での制圧を迫られる。

 

タグの視界の端で、二人は新しい装備の重心を再確認すると、不慣れなはずの火器を構え、一切の迷いなく前を向いた。

その表情には、未知の道具に対する不安はなく、任務に対する静かな集中だけが宿っている。

 

「まもなくポイントだ」

 

タグの低く響くしゃがれ声に、サオリたちが前を向いたまま無言で頷く。

車窓の外には、トリニティ自治区特有のやや硬さを感じるような平穏さでもなく、ブラックマーケットの無秩序でありながら溢れんばかりのエネルギーに満ちた喧騒とも違う、薄暗く荒れ果てた廃校舎のシルエットが、浮かび上がりつつあった。

 

 

 

輸送トラックを廃園からやや離れた雑木林の陰に停め、タグとアリウススクワッドの面々は身を潜めながら目標の偵察を開始する。

 

「事前情報通りか」

 

タグのしゃがれた声に応じるように、サオリが軍用双眼鏡を覗き込みながら舌打ちを漏らした。

 

「ああ。敷地面積が狭い分、校舎を縦に伸ばした造りのようだが、要塞化が完了しているな。窓という窓は鉄板で塞がれ、バリケードが構築されている。ご丁寧に、屋上には対空砲まである」

 

サオリの口から、呆れたような評価が返ってきた。

 

双眼鏡越しに見える5階建ての廃校舎は、元々教育施設だった面影を失い、さながらトーチカのように無骨な威圧感を放っていた。

周囲の廃園の地形も相まって、容易には近づけない防御陣地が形成されている。陣地には何人もの武装した生徒が、定期的に巡回を行っていた。

 

「トリニティの一時的な麻痺と混乱に付け込んだ、ってとこかな」

 

同じく双眼鏡を覗くミサキが気怠げに、しかしサオリ仕込みの鋭い観察眼で状況を分析する。

正規の監視網が機能不全に陥った隙を突いて、ブラックマーケットに巣食うならず者たちが物資と重火器を運び込み、この緩衝地帯に根を張ったのだ。

 

外見上は弱体化したとはいえ、キヴォトス最大級の武力を誇るトリニティ総合学園である。

学園お得意の潤沢な間接砲撃等の火力制圧をもってすれば、このような急造の要塞など物の数ではない。圧倒的な火力で地ならしをした後に、悠々と正門から制圧することは容易い。

 

ならず者たちもそれは理解しているはずだ。彼らの狙いは、難攻不落の城を築くことではない。

『力技で落とすことはできるが、それに見合うだけの戦果や利益が得られない』とトリニティ側に思わせる、厄介な針鼠になることだった。

実際、トリニティ内部の勢力図の再編やエデン事変の事後処理に追われる中枢部にとって、実害の薄いこの辺境の無法地帯に、今現在コストを割くのは割に合わないと判断されている。

だからこそ今日まで半ば放置されていたのだろう。

 

「計算違いを犯さなければ、まだ維持できただろうに」

 

タグは双眸を細め、前方にそびえる要塞を睨み据えた。

無法者たちの致命的な計算違い。それは、より強固な防衛線を構築するために、ブラックマーケットに流れてきたアリウス分校の生徒を雇い入れたことだ。

 

ティーパーティーが代表となって、トリニティ側が保護を進めているアリウスの生徒たち。

指導者ベアトリーチェが行方不明となって以降、彼女らはアリウス自治区に潜伏するものもいれば、自治区の外に出る者もいた。

世間知らずの彼女たちが、利用されることで手痛い目に遭う程度なら、経験の一つだとまだ割り切れるだろう。

しかし、場合によっては取り返しのつかない状況に陥る前に彼女らを確保することが、今現在のトリニティ側の目標だった。

 

そのため、この廃園は“放置して構わない辺境の砦”から、“最優先で潰すべき標的”へと変わったのである。

そして汚れ役――いや、アリウスの生徒たちを保護するための適任者として、タグとサオリたちが送り込まれたのだ。

 

「どう攻める、隊長」

 

双眼鏡を下ろし、サオリが座席後ろのタグへと視線を向ける。正面からの撃ち合いが不利であることは明らかだった。

 

「敵の防衛は厚い、奇策でいく」

 

タグは短く応じ、視線を後方の林道へと向けた。

 

「それに、後処理は気にしなくていいと言われている」

 

ここへ至る道中、彼らはATを積載した大型輸送トラックでこの現場へと接近してきた。

その際、トリニティ自治区側の境界線付近に、見慣れたテント群が展開されているのをタグは確認していた――救護騎士団の野戦詰め所だ。

昨日のティーパーティーでのブリーフィング後、ミネが迅速に部隊を動かし、事後処理のための準備態勢を突貫で整えたのだろう。

 

(彼女らが直近で控えているのなら、少しばかり乱暴な手段も許されるか)

 

そう判断したタグは、即席で組み上げた奇策のプランをサオリたちに開帳した。

 

 

「なるほど。力技だが、理には適っているな」

 

サオリが呆れ半分に頷く。ATという兵器はそんな無茶を平然とやってのけるのだな、という感嘆の響きが込められていた。

 

「うぅ、いつもの装備じゃないからちょっと不安ですけど、やるしかないですよね」

 

訓練と模擬演習では何度も使用したとはいえ、実戦で初めてサブマシンガンを握ることになったヒヨリが、セーフティを弄りながら弱音――もとい現状確認のぼやきを漏らす。

タグを含めた他四人は、いつものことだと慣れた様子でそれを受け流し、各々の銃器の最終チェックを始めた。

 

 

――プランの第一段階

 

作戦開始の前に、まずは公的な手順を踏むところから開始された。

タグは耐圧服のポケットからスマートフォンを取り出し、画面をタップする。

発信先は、ブラックマーケットの裏サイトに掲載されている、この無法者組織の「依頼受付用」の電話番号だ。

武装して廃校に立て籠もりながら、外からの仕事の依頼はしっかり受け付けている。いかにもキヴォトスのならず者らしい、滑稽なビジネス感覚だった。

 

数回のコールの後、ガチャリと回線が繋がる。

 

『誰だ? 初回の依頼なら、まずはメールで内容を送れ。それから話を聞く』

 

幼いが、慣れた口調の女の声が返ってくる。どうやらそれなりに仕事をこなしていることが窺える。

 

「連邦捜査局シャーレだ。現在、貴様らが占拠している廃園の武装解除を勧告する。また、学籍不明、もしくは学籍を喪失した元生徒は速やかに保護を受けよ」

 

「アリウス」という具体的な単語は伏せる。感情の抜け落ちたしゃがれ声で、タグは淡々と保護通知を告げた。

電話越しの相手は一瞬沈黙した後、屋上の見張り台から下を覗き込んだのだろう。林の陰に潜む大型輸送トラックと、タグたちの姿を双眼鏡か何かで確認し、女性らしからぬ下品な嘲笑を響かせた。

 

『ハッ! シャーレだか何だか知らねえが、たかが冴えないオッサン一人とガキ四人で何ができるってんだ? 寝言は寝て言えよ!』

 

当然の如く、保護勧告は一蹴された。要塞化した5階建ての校舎を前に、たった五人の歩兵。

向こうからすれば、取るに足らない脅威にしか見えない。

 

(目がいい奴がいるようだな。それに戦力評価も的外れではない)

 

存外、頭の回る相手のようだ。タグの脳内で対象の評価が一段階上がる。

 

「勧告を拒否した場合、即座に武力による『執行』へと移行する。これは最終通告だ」

 

タグが微塵の揺らぎもない声で執行通知を告げると、電話越しの声から嘲笑が消え、真剣な響きを帯びた声が返ってきた。

 

『オッサン、今引けば見なかったことにしてやる。ここはあたしたちの家だ、帰んな』

 

通話はそこで一方的に切断された。

 

端末を耐圧服のポケットに放り込む。惜しい、という思いがタグの胸裏に湧き上がった。

短いやり取りだったが、相手がただの烏合の衆ではないことがわかる。幼い声に震えはなく、肝が据わっていた。

キヴォトスの裏社会で相当揉まれてきたのだろう。その経緯を察すると、勿体ないとさえ思えた。

 

「作戦を決行する」

 

だからこそ、タグは容赦なく合図を発した。サオリたち四人が一斉に起立し、各々の銃器を構えて戦闘態勢へと移行する。

それと同時に、大型輸送トラックのコンテナの重いハッチが、鈍い駆動音を立てて開き始めた。

 

廃校舎に陣取る無法者たちは、タグの想像通り、有能と言っていい集団だった。

口では「たかがシャーレ」と強がりながらも、裏社会で囁かれる『緑の騎兵』の異常性や、シャーレ実働部隊の精強さに関しての情報収集は怠っていない。だからこそ、エデン事変の混乱に乗じてこれほどまでの過剰な要塞化を進めたのだ。

しかし、彼女たちの根底には一つの致命的な勘違いが根付いていた。

 

『いくら連中が手練れでも、たった一機のATと四人の歩兵で、この鉄壁の要塞を今すぐどうこうするのは不可能だ』という、常識的な兵力差に基づく読みである。

 

手痛い出費にはなるが、時間を稼ぎつつブラックマーケットの仲介所を使って傭兵を増員する――そう算段を巡らせていた彼女たちは、直後、屋上の見張りが悲鳴のように叫んだ「敵襲!」という大声に驚愕することになる。

 

 

「しっかりしがみつけ」

 

暗いコンテナの中、コックピットに収まったタグの短い命令が飛ぶ。

アイドリング状態のスコープドッグの背部の背負い物、ミッションパックのハードポイントに、アリウススクワッドの四人が慣れた手つきでタクティカルハーネスのフックをカチンと接続した。

直後、代替ポリマーリンゲル液が沸騰するような熱を発し、マッスルシリンダーの暴力的な駆動音と共に、両脚のグライディングホイールが唸り始める。

 

輸送トラックに積まれたコンテナを飛び出した緑の騎兵。

急加速して接近してくるスコープドッグの姿を、見張り台の無法者たちが即座に発見した。

 

「敵襲!」

 

怒声と共に、見張り台や校舎の窓、屋上から一斉に銃弾の雨が降り注ぐ。

しかし、迎撃を始めた無法者たちは直ぐに疑問符を浮かべることになった。接近してくる緑の巨兵は、彼女たちが突破口として想定し、火線を集中させていた1階の校舎入り口やバリケードに向かっていない。

校舎の分厚いコンクリートの外壁に向かって、一直線に突進しているのだ。

 

明らかに常軌を逸した機動。しかし、銃撃の手を緩める理由にはならない。

徹甲弾がスコープドッグの装甲を叩き、火花を散らす。特にパイロットを狙ってターレットレンズ周辺が集中的に狙われる。

だが、集中する銃弾をヒビキ特製の分厚い防弾レンズガードが完璧に弾き返し、デリケートなレンズ群とタグを無傷で保護していた。

当然、ATの背中に隠れるスクワッドの四人には一発たりとも掠ることはない。

 

銃弾の嵐を真っ向から受けながら、コクピットの内部にマウントしたシャーレの貸与タブレットから響く、清涼なAIボイスがナビゲートを行っていた。

 

『タグさん、校舎のここを狙って下さい』

 

ゴーグルバイザーの視界にオーバーレイ表示される、青い光のマーカー。

事前にタグから相談を受けていたアロナは、連邦生徒会のデータベースにアクセスし、校舎の詳細な構造図を入手していた。

そして、校舎で最も強固な骨組みの通っているポイントを瞬時に演算し、複数提案する。その中の一つ、窓がなく一面の壁だけで構成されている北側のポイントがタグの狙いであった。

アロナの指示に従い、タグは操縦桿のヴァリアブル・トリガーを引く。

 

轟音と共に、右腕側面にマウントされたザイルスパイトが射出された。

空気を切り裂いて飛翔した鋭利なアンカーの先端が、5階の壁面を容易く突き破る。そしてアロナの演算通り、コンクリートの奥に隠された強固な鉄筋鉄骨のフレームにガッチリと食い込んだ。

右腕を高く掲げた姿勢のまま、校舎の壁面ぎりぎりに到達するスコープドッグ。

サオリたちが急制動の慣性で振り落とされないよう、数トンの質量を感じさせない、吸い付くような滑らかな停止だった。

だが、ATでその所業をやってのけたタグの神業は、すぐさま壁面に力任せに押し付けられる右足の凶暴な動作によって上書きされる。

 

「上るぞ!」

 

しゃがれた声と共に、トリガーとフットペダルを同時に、かつ繊細に必要分だけ踏み込む。

ザイルスパイトの強力な巻き上げによる牽引力と、右足のグライディングホイールの爆発的な回転推進力を同時に叩きつける。

 

常識ではあり得ない光景がそこに繰り広げられた。

緑の騎兵が、重力を完全に無視して垂直の壁を駆け上り始めたのである。

浮いていた左足も壁面に押し当てられ、双発のホイールがコンクリートを削りながら甲高い摩擦音を上げる。

 

「な、なんだアレ!? 壁を……壁を走ってやがるぞ!!」

 

無法者たちがパニックに陥り、屋上に設置した対空砲の仰角を無理やり下げようと慌てふためく中、スコープドッグは一気に5階の高さまで到達した。

垂直状態のままアンカーの張力と、壁面に深く突き刺した両脚のターンピックによって、機体は重力に逆らいビタリと停止する。

 

その背中で、ミッションパックに宙づりという荒行に耐えていたアリウスの四人が動いた。

ハーネスのロックを一斉に解除したサオリたちが、機体の無骨な装甲の凹凸や隙間を掴み、スコープドッグを踏み台にして跳躍、対空砲の置かれた屋上へと直接雪崩れ込んだ。

 

下階の厳重な防御陣地をすべて無意味にするのが、タグの奇策であった。

 

サオリとアツコ、ミサキとヒヨリのツーマンセルがスリングで背負っていた武器を構え、流れるような動作で屋上の制圧を開始する。そして銃撃戦が始まった。

 

アリウススクワッドが対空砲の陣地を瞬く間に蹂躙し、パニックに陥った無法者たちを無慈悲に無力化していく音が響いている。

歩兵四人が屋上に突然出現するという策はこうして見事に成った。

 

だが、タグもただ壁に張り付いて、高みの見物をしているつもりはなかった。

 

「当たり所が悪くないことを祈ってくれ」

 

垂直に屹立する機体のコクピットで、タグは壁越しにいるであろう元生徒たちを想い、低く呟いた。

スコープドッグの左腕が持ち上がる。その手に握られているのは、使い慣れているヘビィマシンガンだ。

壁に宙吊りになりながら、巨大な銃口が目の前の5階のコンクリート壁に向けられる。

 

『タグさん、ロケーションマーカーを設置します。このマーカー範囲内の掃射であれば、生徒さんたちへの大怪我には繋がりませんし、サオリさんたちへの効果的な火力支援になります』

 

アロナの指示で、ゴーグルバイザーの視界に小さいながらも明確な青いマーカーが浮かび上がる。そこは各階層の教室や特別教室など、生徒たちが詰めているであろう場所の頭上を、確実に弾が通過する空間を示していた。

 

――直後、轟音

 

ヘビィマシンガンの連射が、分厚い壁面を紙切れのように食い破り、内部へと容赦なく降り注ぐ。

掃射された徹甲弾は、5階に潜んでいた無法者たちの頭上スレスレを飛び交う。

粉砕されたコンクリートの破片と、次は直撃するかもしれないという恐怖が、彼女たちの行動を根底から阻害する。

ヘイローを持つキヴォトスの生徒であっても、30mm口径の銃弾を浴びれば、相当な痛みと衝撃を免れない。当たり所が悪ければ大怪我もあり得る。

何よりも、「年端もゆかぬ少女」を的として狙うことに、タグ自身のトリガーを引く指には無意識の躊躇が混じる。だからこそ、このアロナの配慮が痛いほどに染み入った。

 

まず指定されたマーカー範囲内に、きっちり30発分を撃ち終える。

内部の悲鳴と喧騒を余所に、ターンピックを解除、コンクリートの壁面から鉄杭が抜ける。

次に右腕のザイルスパイトの巻き上げ機構をゆっくりと緩め始めた。

ガクン、と機体が重力に従って下方向へスライドする。

 

4階。

銃口を向け、再びトリガーを引く。壁を粉砕し、マーカーに従って内部の空間を蹂躙。30発。

 

3階。

機体を降下させ、同様に掃射。恐怖に駆られた無法者たちの悲鳴は、防音性の高いコクピットと銃声に遮られ、タグの耳には届かない。再び30発。

 

2階。

ただ淡々と、精密機械のようにノルマを消化。各階層のマーカーポイントに等しく恐怖と妨害効果を分配し、要塞の内部に致命的な混乱を植え付ける。最後の30発。

 

ワイヤーを緩め、垂直の壁面を滑り降りながら放たれるシステマチックな掃討。

かつてレッドショルダー部隊で、選別するために幾度となく繰り返してきた「共食い」の時とは違う。

今、タグは自ら望んでこの行動を行っていた。この場にいるすべての生徒が、明日を怯えずに迎えられるように。

 

そして、スコープドッグの両足が重い駆動音と共に地面へと到達した。

ドスン、と土煙を上げて着地したその瞬間。

タグの指先がコンソールを弾き、空になったヘビィマシンガンのマガジンがパージされ、地面に落下。

流れるような動作で右腰部のアーマーから予備のマガジンを引き抜き装着。

着地と再装填。二つの動作は完全に同期しており、そこに一秒のタイムロスすら存在しなかった。

 

 

狭い校庭に追い詰められた無法者たちは、もはや完全に戦意を喪失し、武器を捨てて地面に平伏していた。

頭上から降り注いだ鉄の暴風雨に続き、目の前には硝煙を燻らせる緑の騎兵が立ちはだかっている。

けたたましいローラーの駆動音を響かせてこちらに迫るAT――そのヘビィマシンガンの巨大な銃口と、ターレットレンズから放たれる無機質な視線。

それらが正確に睨みを利かせているという事実は、彼女らを無力化するには十分すぎた。

 

スコープドッグが、外へ脱出しようとした残存勢力を完全に制圧し終えた頃。廃校舎の正面入り口の歪んだ扉が、内側から蹴り開けられた。

濛々と立ち込める粉塵の中から、アリウススクワッドの四人が姿を現す。

 

「隊長、内部の制圧は完了した」

 

息を整えながら、サオリがスコープドッグを見上げて手短に報告する。

彼女たちの実力をもってすれば、火力支援を受けた上での制圧に失敗はあり得ない。だが、障害物の多い閉鎖空間での乱戦において、反撃が皆無だったわけではない。

ターレットレンズごしにタグの鋭い視線が、彼女たちの状態を凝視する。

 

サオリが身に纏う戦闘服は、近接戦闘の最中にナイフか何かで鋭く裂かれていた。幸い傷は浅く、出血も大したことはないようだが、痛々しいことには変わりない。

その後方では、アツコが不自然な体勢で左肩を庇っていた。マスクに隠れて表情はうかがえない。おそらく制圧の過程で、鈍器による打撲を負ったのだろう。

ミサキとヒヨリは、幸い目立った外傷はないが、極度の緊張の色が表情に滲んでいる。

やはり、まだ手足のように扱えない獲物での活動は神経を擦り減らすのだろう。

 

「よくやってくれた」

 

タグは内心で小さく息を吐いた。

生徒たちのヘイローの強靭さは理解している。しかし、己の指揮下にある者が傷を負っているのを見るのは、腹の底に重い鉛を呑み込んだような嫌悪感があった。

通信コンソールを素早く操作し、後方の境界線で待機している野戦詰め所へと回線を繋ぐ。

 

「こちらタグ、鎮圧完了。鎮圧対象に致命傷はないはずだ。救護騎士団、以後の処置を頼む。それと、こちらに負傷者がいる」

 

感情の起伏を一切感じさせない、ひどく事務的でしゃがれた声が通信機越しに響く。

 

『了解しました。直ちに現場に向かいます』

 

通信の向こうから、連絡を受け取ったミネの力強くも、焦りを含んだ声が返ってきた。

 

 

それから数分が経った頃。

いくつかの小隊に分かれた救護騎士団の歩兵部隊と装甲救急車が、土煙を上げて廃校の敷地内へと雪崩れ込んできた。

 

救護騎士団の団員たちは、テキパキと投降した無法者から武器を没収し、輸送車へと連行していく。

負傷したサオリたちへの応急処置が始まるのを確認すると、タグはスコープドッグを大型輸送トラックのコンテナへと戻した。

マッスルシリンダーが静まり返り、代替ポリマーリンゲル液の独特な匂いがコンテナの闇に満ちる。

ハッチを閉め、騎兵の余熱を背にしながら、タグは救護騎士団が設営した野戦詰め所のテントへと足を向けた。

 

白い布を透過した柔らかな光が満ちるテント内。そこにはミネが、幾人かの事務担当の生徒たちと共に仮設救護所で状況整理を行っていた。

 

「お疲れ様でした、タグ様。そちらへお掛けください」

 

タグが入室したことを確認したミネは、用意した紙コップに手ずから紅茶を注ぐと、無骨な折りたたみ机の上に置いた。

指定されたパイプ椅子に腰掛け、差し出されたカップを手に取る。擦れたしゃがれ声で、短く「頂こう」とだけ応じた。

 

「シャーレのみなさんのおかげで、無法者とアリウスの生徒たちの身柄を救護できました。ティーパーティー代表として心から感謝いたします。正直に申しますと、あまりの手際の良さにすこし慌てました」

 

ミネの口から、速やかな救護への謝意と、思わぬ結果への驚きが告げられる。

タグが熱い紅茶をゆっくり喉に流し込んでいると、テントの入り口の布が不意にめくられた。

 

「ミネ団長、中間報告を――」

 

入ってきたのは、救護騎士団のセリナだ。

しかし、彼女は言葉の途中でピタリと動きを止めた。椅子に腰かけるタグの姿が視界に入ったからだ。

 

一瞬の間。セリナの大きな瞳に、隠しようのない暗い陰りが走る。

タグは何も言わず、ただカップを持ったままセリナを見つめた。

セリナは、何かを言いたげに小さく唇を震わせた。やがて、きゅっと口元を真一文字に結び、視線をミネへと転じる。

 

「現在、全救護対象のトリアージと応急処置が完了しました。みなさん、意識はしっかりしています。現場処置のみで十分と判断してよいかと。シャーレ所属の生徒への治療も無事終えました」

 

無理に感情を抑え込んだような平坦な声だった。

 

「報告ありがとうございます、セリナ。続いて全周警戒の手配を。引き継ぎ部隊の派遣は夜になるそうですから、休憩のローテーションは2交代で」

 

「はい。失礼します」

 

ミネへの報告、そして新しい命令受諾を終えると、セリナは一度もタグの方を振り返ることなく、足早にテントを退出していった。パタパタと遠ざかっていく彼女の靴音が、やけに小さく響く。

 

セリナが去った後のテント内に、曖昧で重苦しい空気が流れる。

タグは手元の紅茶を見つめながら、胸の奥底に、言いようのない孤独がじわりと広がるのを覚えていた。

だが、彼はその孤独を分厚い鉄面皮の裏に隠し、何事もなかったかのようにカップを置いた。

 

「――廃園の管理に関しての手続きは先生にお願いしてある。明日までには連邦生徒会の担当者が来るはずだ」

 

「重ね重ね、迅速な対応に感謝します」

 

タグのしゃがれ声に応じ、ミネは今後の予定表に目を落とした。

しかし、その真剣な眼差しの奥で、ミネは確信していた。

 

(セリナとタグ様。二人の間に、決定的な何かがあった)

 

普段は誰に対しても献身的で朗らかなセリナが、あそこまで露骨に感情を押し殺し、目を背けることなどミネの記憶には存在しない。

そして、タグが見せた、僅かに揺れた暗い瞳。

 

ミネはここでは追及することはせず、目の前の事後処理を淡々と進める。

だが、兵士と団員の間に走っている感情的な亀裂を前にして、静かな決意を揺らめかせるのだった。

 

 

作戦は終わった。

救護騎士団に後を託した実働部隊は、夕闇が迫るハイウェイを抜けてシャーレへと帰還する。

大型輸送トラックのキャビン内の座席は、行きの時とは異なっていた。

後部座席右端のタグの位置こそ変わらないが、運転席にはミサキ、助手席にはヒヨリが座る。後部座席中央、つまりタグの左隣にサオリが、左奥の窓際にアツコという配置だ。

ミサキは慣れた手つきで大型車のステアリングを慎重に操り、ヒヨリはナビゲーションの画面を真剣に見つめている。

 

「隊長。今回の作戦におけるヒヤリハットの確認だ」

 

サオリが手帳を開き、タグに向けて視線を走らせる。

 

「おおむね問題は無いと判断する。一つ指摘するならば、ATでの壁面登頂時だ。屋上の対空砲の仰角変更がこちらの予測より早かった。サオリたちの跳躍タイミングが遅れていれば、対空機銃の弾幕が脅威になる可能性がある。次回のATを併用した訓練では、このあたりの動作の遅れを改善する」

 

「了解した。……帰還後の手順確認をする。まずレポートの作成、保護した生徒の初期データの作成、それから使用した弾薬等の補填申請……これらを明日までにまとめればいいか?」

 

「明日は給食部の奉仕活動があるのだろう? 明後日まででいい」

 

「わかった」

 

タグのしゃがれた声に対して、サオリは実務的なトーンで淡々と返事していく。かつてのテロリストの首魁ではなく、今やシャーレの有能な分隊長としての立場になっていた。

 

カチリ、と硬質な音が響く。

左奥の座席でアツコが、タグがシャーレから持ち込んできたステンレス製の魔法瓶のキャップを開けていた。ふわりと、独特な茶の香りが車内に広がる。

アツコは用意していたいくつかの紙コップに手際よくそれを注ぐと、まず隊長のタグへと差し出した。次にサオリ。

 

「はい、隊長。次はサッちゃん」

 

「すまない」

 

受け取ったコップから立ち上る湯気を見つめる。中身はノンカフェインのルイボスティーだ。

秋も深まり、夕方のキヴォトスは急速に冷え込み始めている。任務の熱が抜けて冷え切った身体に、温かい飲み物の熱と味がじんわりと染み渡っていく。

ヒヨリとミサキも息抜きに、受け取った茶を楽しむ。

 

タグは熱い液体を口に含みながら、先月、シャーレの居住区画で起きたささやかな騒動を思い出していた。

 

 

 

発端は、タグが購入したティーバッグの紅茶だった。

高級品に慣れてしまったタグの舌を満足させるには至らなかった紅茶――「好きに飲んでいい」と、ミサキに伝えると居住階の共有スペースに置いておいたのだ。

 

何かの機会で、スクワッドの四人が物珍しそうにそれを淹れて飲んだ。

アリウス自治区の過酷な環境で育ち、まともな味覚すら培われてこなかった彼女たちにとって、それは未知の洗練された高級品のような味わいに感じられたのだろう。

その後、共有スペースのゴミ箱にうずたかく積まれた空のティーバッグの山が、彼女たちがそれをどれほど楽しんだかを無口に物語っていた。

問題は、その日の夜に発生した。

 

――深夜

 

居住フロア、タグの部屋に切羽詰まったようなノックの音が響いた。

彼は即座に身を起こしドアを開けると、そこには寝間着姿のアリウススクワッドの四人が、固まったように立っていた。

 

『隊長、夜分にすまない。その……身体の異常について、報告がある』

 

サオリの声は、妙にうわずり、早口だった。

タグの視界に映るサオリの姿は異様だった。深夜にもかかわらず、その瞳孔はギラギラと開ききっている。

 

「どうした」

 

「何時間経っても、意識が落ちないのだ。それどころか心臓の鼓動が早鐘のように鳴り続け、些細な物音にもひどく過敏に……。私以外の三人も、同じ症状を訴えている」

 

サオリの背後、廊下の薄暗がりに目を向けると、アツコ、ミサキ、ヒヨリの3人が互いに身を寄せ合うようにして立っていた。

誰もが寝間着の胸元を小さく握りしめ、浅い呼吸を繰り返している。ギラギラと見開かれた瞳が、夜の闇の中で異様に浮き上がっていた。

 

タグは同じフロアで寝泊まりをするRABBIT小隊の個室に視線をやる――そちらには異常らしきものは見当たらない。

 

(奇妙だな)

 

タグは医療機関への救急要請をするべきかと考えながら、まず外観で確認できる症状を探す……発汗、頻脈、過覚醒。

思い当たるものがあったタグは、四人の本日の行動を事細かに聞き取った。そして、昼間に彼女たちが大量の紅茶を消費したという事実に突き当たる。

 

「お前たち。今日、あの紅茶を何杯飲んだ?」

 

「一人、五杯は淹れたと思うが……それが何か?」

 

(……なるほど。カフェインか)

 

タグは短く息を吐き出し、張り詰めていた肩の力を抜いた。

嗜好品とは無縁の過酷な環境で育ち、まともな味覚すら培われてこなかった彼女たちの身体だ。極端なカフェインの過剰摂取が、中枢神経を強制的に覚醒させているに過ぎない。

 

「理由が判明した、カフェインの過剰摂取だ」

 

「カフェ、イン……? だが、この得体のしれない動悸は……」

 

サオリの言葉が微かに震える。夜襲への警戒や明日の死の恐怖ではない、理由のない生理現象の暴走。

それは、己の身体をコントロールすることで生き延びてきた彼女たちにとって、未知の恐怖に他ならなかった。

 

 

その夜、タグは4人を部屋に招き入れた。

彼は個室の床に座り込み、ベッドや椅子に腰掛けた彼女たちの、過覚醒が抜けるまでの夜通しの監視役――もとい、話相手になることを決めた。

 

まず共通の話題としてアストラギウスとキヴォトス、それぞれの戦場での武器の手入れ方法の話から始まった。

 

次にヒヨリが、シャーレ併設のコンビニで見つけた美味い菓子の話題を出した。あとで全員で食べてみようということになった。

 

サオリたちが被害を受けた、コユキによって行われた悪戯の話も出た――それはブーブークッションが置かれた椅子に座らせるという、お茶目なものだった。

しかし、最後に仕掛けた相手が悪かった。その相手、ミカによるお仕置きによって、コユキの尻が赤く腫れあがったのは笑いを誘った。

 

アツコとミサキは、最近おしゃれの相談をしたいと考えているなどと語り合った。

 

話題がタグのかつての友人関係に及んだ時、四人は特段の興味を示した。

 

 

レッドショルダー基地――設備が整った訓練場で、腕立て伏せをするタグの背に、不意に重みがのしかかる。

振り返ることなく、タグは動きを止めた。70キロ超の質量から察するに――キリコだ。

 

『負荷が必要かと思ってな』

 

頭上から降るキリコの軽口に、タグは内心で舌を打つ。

仕返しとばかりに、腕立て伏せを始めたキリコに今度はタグがのしかかる。

 

『軽いな』

 

キリコより小柄で体重の軽いタグがやり返したところで、負荷としては不足だった。

平然と腕立てを続けるキリコに対し、タグは一計を案じる。

 

 

――次の機会

 

『また負荷はいるか?』

 

そう尋ねるタグに対し、キリコは無言でニヤリと笑った。だが、タグもまた笑みを返していた。

直後、キリコの背中に乗ったのは――巨漢のグレゴルーだった。

倍以上の想定外の質量に、キリコの腕がプルプルと震え、額から滝のような汗が吹き出す。

 

『どうした、キリコ……』

 

『まだ負荷が足りないんじゃないか?』

 

周囲でバイマンとムーザが嘲笑の声を上げる。

結局、音を上げたキリコが「次は声をかける」と謝り、タグは笑って許したのだった。

 

 

声の潰れた男のハスキーな語りと、興奮の冷めやらない少女たちのひそひそ話が、深夜のシャーレに溶けていく。

少女たちの瞳から過覚醒のギラつきが消え、泥のような微睡みに落ちたのは、窓の外が白み始めた頃だった。

 

深い寝息を確認すると、タグは一人ずつ彼女たちを抱え上げ、個室へと運び込んだ。

サオリ、アツコ、ミサキの順。そして最後に、ヒヨリをベッドに寝かせる。

何かの拍子でタグの指を掴んだヒヨリの小さな手を、静かに引き剥がす。

ヒヨリの部屋を出たタグは重い足取りで歩を進め、寝不足の頭を軽く振ってから、先生の執務室のドアを叩いた。

 

始業の準備をしていた先生が、入室したタグの顔色を見て目を丸くする。

 

「先生、すまないが今日のスクワッドの予定をすべてキャンセルしてくれ」

 

「え? どうしたのタグさん。みんな体調不良か何か?」

 

「いや……ただの夜更かしだ。カフェイン耐性が無いことを失念した俺のミスだ」

 

「ああ、そういうことか。あの子たちが昨日ずっと紅茶飲んでいたのは僕も見たよ」

 

先生は小さく吹き出すと、手元のシッテムの箱へ視線を落とした。

 

「フフッ……わかったよ、みんなゆっくり寝かせてあげてね。タグさんも休みでいいよ」

 

「すまない、午前休を取らせてもらおう」

 

「駄目です、タグさんもしっかり一日休んでください」

 

有無を言わさぬ口調と共に、今日のスケジュールが小気味よいタップ音と共に白紙化されていく。タグは静かに目を閉じ、短く頭を下げた。

 

 

 

「……隊長、どうかした?」

 

奥のシートから、アツコが不思議そうに首を傾げてタグの顔を覗き込んできた。

タグは思考を現実へと戻し、手元の紙コップに残ったノンカフェインの紅茶を、最後の一滴まで飲み干した。

 

「いや、なんでもない。……この紅茶は、悪くないな」

 

「うん。これなら、夜もぐっすり眠れる」

 

アツコが嬉しそうに目を細め、運転席のミサキがバックミラー越しに小さく口元を緩める。

トラックは夕暮れの長い影を引きながら、彼女たちの確かな「家」である、シャーレのビルへと戻るのであった。

 

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