装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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創設

D.U.郊外に位置する、PMC(民間軍事会社)が所有する広大なタクティカルトレーニング施設。

傾きかけた夕陽が、弾痕だらけのCQB(近接戦闘)用キルハウスの影を長く伸ばしていた。

 

「――本日のカリキュラムはここまで。各自、弾薬の残数確認とウェポンクリア!」

 

インストラクターの野太い声が、コンクリートの壁に反響する。

アリウススクワッドとRABBIT小隊の八人は、流れるような動作で各自の得物の薬室を確認し、安全装置をかけた。

乾いた金属音がほぼ同時に重なる。

 

先生の折衝により、彼女たちはこの高度な専門訓練への参加を特別に許可されていた。

とはいえ、荒くれ者が集うPMCの宿舎に少女たちを寝泊まりさせるわけにはいかないため、シャーレからの日帰りという形を取っている。

 

「ふぅ……流石にプロの訓練は無駄がないね」

 

モエがヘリポートのフェンスに背中を預け、気怠げに首を鳴らす。

 

「ええ。ツーマンセルでのクリアリングの移行速度など、学ぶべき点は多かったです」

 

ミヤコもタクティカルベストの留め具を緩めながら、タオルで額の汗を拭った。

 

その隣で、サオリが自身の愛銃のボルトを静かに戻す。

実戦の泥沼を這いずり回ってきたアリウスの面々にとっても、体系化・言語化された最新の戦術教義を学ぶことは、己の生存能力を磨き直す良い機会となっていた。

 

「サッちゃん、お疲れ様」

 

アツコが息一つ切らさぬとした足取りで歩み寄り、スポーツドリンクのボトルを差し出す。

 

「ああ、姫も……アツコも、無事で何よりだ」

 

言い直しながらボトルを受け取ろうとしたサオリのタクティカルポーチの中で、不意に短いバイブレーション音が鳴った。

サオリは動作を止め、支給された黒いスマートフォンを取り出す。画面の通知を確認した彼女の眉根が、微かに寄った。

 

「先生からの一斉送信だ。……『シャーレ居住区の間取り変更および、レッドウィンター工務部による食堂の拡張工事が開始したため、本日以降の夕食は各自で済ませるように』とのことだ」

 

「えっ」

 

サオリの報告に、ヒヨリが分かりやすく肩を落とし、絶望的な声を漏らした。

 

「そ、そんなぁ。今日の夕食、給食部で教わったレシピでサオリさんがお肉を焼いてくれるお約束でしたのに……どうしてこんな理不尽がっ!」

 

「致し方あるまい。これも任務の――いや、工事の都合だ」

 

落胆するヒヨリを前に、サオリも少し申し訳なさそうに視線を逸らした。

ミサキは「無意味な工事……」とだけ呟き、面倒くさそうに溜め息をつく。

 

「なんだ、夕食難民かよ。ファストフードでも寄って帰る?」

 

モエの提案に、ミユがビクッと肩を跳ねさせて周囲をキョロキョロと見渡した。

 

「あ、あの、人数が多いですしお店の迷惑になるんじゃ……。お弁当を買って、公園とかで食べるのはどうでしょうか」

 

「ミユ、それは流石にわびしすぎる。……そうだ」

 

サキがヘルメットを小脇に抱え直すと、何か良いことを思いついたように口角を上げた。

 

「久しぶりに、『ラーメンスタンド』に行かないか?」

 

「ラーメン、スタンド?」

 

聞き慣れない単語に、サオリが真面目な顔で問い返す。

 

「無人のラーメン屋だよ。SRTの宿舎にいた頃、夜中に宿舎を抜け出しては、みんなでよく夜食を食いに行ったんだ」

 

「サキ。あれは明確な校則違反です」

 

ミヤコが冷徹な声で釘を刺すが、その瞳の奥には郷愁と、ラーメンという単語に対する隠しきれない食欲が揺れていた。

 

「いいじゃないか、今はもう退学……じゃなくて、シャーレ所属なんだし。だいたいあそこ紹介してくれたの、先輩達だぜ?」

 

サキがニンマリと笑う。

 

「無人、ということは店員がいないのか? 配膳や調理は誰が……」

 

「雑誌で見たことがありますぅ!」

 

サオリの疑問を遮るように、ヒヨリが弾かれたように顔を上げた。その瞳には、先ほどの絶望を完全に上書きするほどの強い光が宿っている。

 

「壁にバーッといっぱいラーメンが並んでて、自分で好きなのを作って食べられる、夢のような機械があるお店ですよね!?」

 

「ああ、ヒヨリ先輩の言う通りだ。サオリ先輩達も興味あるか?」

 

サキの問いかけに、アリウスの面々は互いに視線を交わし合う。

アツコが楽しげに小さく頷き、ミサキも「……どうせ何かお腹に入れないと死ぬし」と、満更でもない様子で肩をすくめた。

サオリは深く頷き、方針を決定する。

 

「よし、行こう。その『無人ラーメン』のシステム、学ばせてもらおう」

 

 

 

D.U.中心部から少し外れた、学生街の一角。

ネオン管で描かれたポップな看板が、夕闇が迫る通りを照らしている。

ガラス張りの店内に入ると、空調の乾燥した空気とともに、微かなスパイスと小麦の香りが八人の鼻腔をくすぐった。

 

「おお……」

 

サオリが感嘆の声を漏らして足を止める。

視界に飛び込んできたのは、壁一面を埋め尽くすように陳列された色鮮やかな袋麺の数々。

キヴォトス全域の一般的な製品から、古き良きスタイルの醤油ラーメン、文字を見るだけで汗が噴き出しそうな激辛ラーメンまで、文字通り百花繚乱の様相だ。

 

「すごい。同じラーメンなのにこんなに種類が……」

 

アツコが壁を見上げながら呟く。

ヒヨリはすでに陳列棚の前に張り付き、祈るような姿勢で激辛ラーメンのパッケージを凝視していた。

 

「さあ、好きなのを選んでくれ。……と言っても、初めてじゃ勝手が分からないか」

 

サキが手慣れた様子で、備え付けの調理機械専用の紙容器を人数分取り出した。

 

「まずは好きな袋麺とこの容器を取って、あっちのセルフレジで精算だ。スマホの電子決済でいけるぞ。その後で、袋から出した麺と粉末スープを容器に入れる。トッピングコーナーのネギや野菜、切り餅は無料だから、好きなだけ盛っていい。ただし常識の範囲内で、だ」

 

「ほう……合理的だな」

 

サオリは真剣な面持ちでサキの説明を聞き、手にした激辛ラーメンのバーコードをレジの端末に読み込ませる。支給されたばかりのスマートフォンを取り出し、慎重な手つきで決済パネルにタッチした。

 

短い電子音が鳴り、支払いが完了する。

手順を一つクリアしたサオリは、見よう見まねで袋を開けて乾麺をまず取り出した。それを専用の紙容器に移し替え、その上からかやく、粉末スープをふりかける。

 

「サオリ先輩、容器に中身入れ終わったら、次はこうすんの」

 

横からモエが手本を見せるように声をかけ、手に持った自身の紙容器をカウンターに並んだ専用マシンの上に置いた。

容器のバーコードを読み込ませると、ノズルから自動的にお湯が注がれ、底面のIHヒーターが強烈な熱を放ち始める。

 

「なっ……火加減はどうするのだ!? 麺が伸びてしまうぞ!」

 

給食部で「料理とは繊細な温度管理の戦術である」と教え込まれていたサオリが、機械の乱暴な加熱に慌てて手を伸ばそうとする。

 

「大丈夫です、サオリ先輩。この機械が全部自動でやってくれますから」

 

ミヤコが横から静かに制止し、自分用の醤油ラーメンを入れた紙容器を隣の機械にセットした。

ボコボコと音を立てて沸騰する湯を見つめながら、サオリはどこか納得のいかないような、だが未知のテクノロジーに感心したような複雑な表情を浮かべていた。

 

「すごいね。どんな人でも簡単に出来そう」

 

アツコが、トッピングのコーンを投入しながら笑う。

 

「……手間が省けるのは、いいことだね」

 

ミサキはそう返しながらも、こっそりとチーズを多めに自分の容器へと放り込んでいた。

機械が刻む電子音が、調理の完了を告げる。店内には、八つのジャンクで暴力的な香りが、湯気とともに満ち始めていた。

 

 

ボコボコと音を立てて沸き立つ紙容器を前に、八人の少女たちは思い思いのトッピングを追加していく。

 

「トッピング入れすぎるとスープが薄くなったりぬるくなるから、ほどほどにしたほうがいいよ」

 

モエが手元のネギを適量に抑えながら忠告した。

 

「あっ」

 

モエの言葉に、限界までモヤシとネギを山盛りにしようとしていたヒヨリの動きが硬直する。すでに紙容器の中は、スープの表面が見えないほどの惨状になっていた。

顔を引き攣らせるヒヨリの隣から、ミサキがスッと箸を伸ばし、山盛りのトッピングをつつく。

 

「……無意味な山盛り。半分、こっちの器に入れて」

 

「す、すみませんミサキさん……!」

 

ダウナーな口調に隠されたミサキの不器用な優しさに、ヒヨリが涙目でトッピングを移し替える。

 

一方、辛さを謳うラーメンのパッケージを選んだサオリは、煮え滾る赤いスープから立ち上る強烈なカプサイシンの刺激臭に、思わず顔をしかめていた。

 

「ん……たしかに、これは匂いが凄いな。生物兵器の類ではないだろうか」

 

「あの、辛い味のラーメンなら、少し多めにお湯を入れたほうがいいですよ。そこにポットがあります」

 

サオリの警戒を解くように、ミユが消え入るような小声でアドバイスをする。サオリが「なるほど」とポットへ手を伸ばそうとした瞬間、サキが横からスッと割り込んだ。

 

「ミユ。今回はそのままでいい。今日はこれ買ったからな」

 

サキが誇らしげに掲げた右手には、店内の電子レンジでホカホカに温められた“白ご飯のパック”が握られていた。

 

「あ、だったら味は薄めないほうがいいね……」

 

ミユが納得したように小さく頷く。サオリは未だに『ラーメンと白飯』の組み合わせの意図が理解できず、不思議そうに首を傾げていた。

 

 

「冷蔵庫に、ジュースとは別に卵がある」

 

少し離れた場所で、アツコが冷蔵ケースを興味深く覗き込んでいた。

 

「それはラーメンに入れるためのものですね。入れたほうが美味しいですよ、アツコさん」

 

ミヤコが生真面目な口調で解説する。

 

「『アツコ』でいいよって、いつも言ってる」

 

アツコが口元を綻ばせ、ミヤコの目を見つめる。

ミヤコは一瞬だけ視線を泳がせ、ほんの少しだけ頬を朱に染めた。

 

「……そうですね、アツコ。お詫びというわけではありませんが、どうぞ」

 

スマホを冷蔵庫横の決済端末にタッチする。短い電子音を確認してから、パックから卵を二つ取り出し、一つをアツコのほうへ差し出した。

 

「卵、ありがとう」

 

アツコが嬉しそうに卵を受け取り、手際よく自分の容器へと割り入れた。

 

 

調理を終えた八人は、無料の漬物やキムチ、キャベツの千切り等を大皿に盛り付けると、店の中央にある大きなテーブルを囲んで座った。

「いただきます」の合図とともに、ずずっ、と麺をすする音が店内に響き渡る。

 

「……うん、美味いな。このジャンクな味がたまらない」

 

サキが久方ぶりの味に歓喜し、サオリも真剣な面持ちで麺を咀嚼してから深く頷いた。

 

 

食事を進めながら、話題は自然と先ほどのPMCでの訓練へと移っていく。

 

「ツーマンセルでの突入時、サキのカバーのタイミングは完璧だった。だが、クリアリングの際のスイッチングが一息遅い。実戦なら、そこを撃たれる」

 

「なるほど。視線誘導のクセが出ているのか……気をつけます、サオリ先輩」

 

戦術や戦闘教義の話題になれば、実戦の泥沼を生き抜いてきたアリウスの面々の知識と経験は圧倒的だった。

特に生真面目なミヤコやサキは、まさしく頼れる先輩に師事する後輩のように、真剣な眼差しでアドバイスに耳を傾けている。

 

逆に、話題が「日常の機微」や「シャーレでの人間関係」へと移ると、その関係性は綺麗に逆転した。

 

「……隊長って、時々すごく怖い目をしている時があるんだけど、あれは怒ってるのかな」

 

ミサキが、思い出したようにポツリとこぼす。

 

「ああ、隊長のあれはデフォルトだよ。器用じゃないだけだから、気にしなくていいし。むしろ、こっちから用事を押し付けるくらいでちょうどいいんだよ」

 

モエが気怠げに笑いながら、兵士の扱いのコツを伝授する。

 

「ミカは、突然泣き出しそうになったり、怒ったり……どう接していいか分からない時がある」

 

サオリの真面目すぎる悩みに、ミヤコが静かに答える。

 

「ミカ先輩は、情緒の振り子が極端なだけです。正論で返すのではなく、まずは感情を肯定してあげることが重要かと。

それと、そういうことが起きた時はだいたいコユキが原因のことが多いですので、彼女が何か企んでいる気配を見せたら、迷わず先生か隊長に報告してください。被害が拡大する前に対処するのが一番ですから」

 

日常という戦場において、RABBIT小隊の面々は、不器用なアリウスの少女たちにとって立派な先輩として機能していた。互いの欠落を埋め合うような、穏やかな会話のキャッチボールが続く。

 

やがて、それぞれの紙容器から麺が消え、濃厚なスープだけが残った。

 

「さあ、ここからが本番だぞ」

 

サキの号令で、八人は温めたご飯パックを少量ずつ取り分け、残ったスープの中へと迷いなく投入していく。

 

「これこれ、この背徳感がたまんないんだよなぁ」

 

スープを吸って赤く染まったご飯を頬張りながら、サキが至福の表情を浮かべる。

 

「わかるー」

 

モエが激しく同意し、サオリもまた、プラスチックスプーンですくったご飯を口に運んで目を見開いた。

 

「……辛いスープに白飯と、卵のまろやかさ。この組み合わせ、いいな。フウカにメニューの一つとして提案してもいいかもしれない」

 

『クッパ』という存在をまだ知らないサオリは、妙案を思い浮べたような顔で満足げにスプーンを進める。

 

(背徳感、という平和な概念……)

 

サキの言葉を内心で反芻し、感心しながら、サオリは次々とご飯を口へ運ぶ。

 

「美味しいですけど、明日の朝、体重計を見るのがちょっと怖いです……」

 

ミヤコが少しだけ後悔を滲ませる中、ミサキは隣でちびちびと食べているミユの器に、自分の分のご飯を少し押し付けた。

 

「ミユはもうちょっと食べたほうがいい。……隊長からも言われてるよね」

 

「うん。でも、先週は五十グラム増えました」

 

ミユが消え入るような声で報告する。

 

「体質のことや、食事が小口なのはしょうがないけど……無理はしないでね」

 

アツコが、すっかり保護者のような優しい眼差しでミユを見守った。

 

「お腹膨れるの、いいですねぇ。色々いっぱいで幸せですぅ……」

 

限界までトッピングを詰め込んだ自身の容器を抱え込み、ヒヨリが心底幸せそうにふやけた笑顔を見せる。

 

「ヒヨリ先輩は、もっと野菜食べてどうぞ」

 

サキが苦笑交じりにツッコミを入れ、店内には再び少女たちの和やかな笑い声が響いた。

外の夜の帳が完全に下りる中、無人ラーメンスタンドのガラス窓は、彼女たちの熱気と湯気で白く曇っていた。

 

 

各々が選んだラーメン、そして背徳感に満ちたラーメンライスまでを完食し、空になった紙容器が片付けられた大テーブル。

八人の少女たちは、店内の自動販売機で追加購入した炭酸ジュースやスナック菓子をつまみながら、食後の穏やかな時間を過ごしていた。

 

「そういえば、メールには居住区の間取りが変わるって書いてあったけど……そんな話、全く聞いてないぞ」

 

サキが缶ジュースのプルタブを小気味よい音で開けながら、ふと思い出したように疑問を口にする。

 

「正確に言うと、私たちが住んでいる階層が変わるわけではない。そこから下の階層にある、空き区画の間取りが変わるのだ。個室の壁を取り払い、大部屋に改装すると記載されていた」

 

サオリが、真面目な顔でメールの文面を補足した。

 

「そうそう。それと一緒に、シャーレのセキュリティシステムも一回見直しするんだってさ」

 

モエがポテトチップスを放り込みながら、言葉を継ぐ。

 

「正門とは別口で、生体認証式の二十四時間無人出入口とか作るらしいよ、夜間でも出入りが自由になるようにね。正面入り口は深夜になると閉鎖するんだって。今のまんまだとヴァルキューレの子が疲れちゃうからね」

 

「……住民が増えるなんて、初めて聞いたんだけど。そんな大規模工事、急に決まるもの?」

 

ミサキが訝しげに眉をひそめる。

 

「私も、今知りました……」

 

ミユがジュースの缶を両手で握りしめながら、不安そうに小声で同調した。

シャーレの居住区に新たな人間が大量に入ってくる。それは、ようやく手に入れた彼女たちのテリトリーに変化が起きることを意味していた。

 

ざわつき始めた空気を制するように、ミヤコが姿勢を正し、隣に座るサオリへと静かに視線を向けた。

 

「……サオリ先輩。そろそろ、この件をみんなに話しませんか?」

 

「そうだな。今まで黙っていたが、そろそろ話すべき時か」

 

サオリは深く頷き、テーブルに置いたペットボトルから手を離した。

その只ならぬ雰囲気に、ヒヨリがビクッと肩を跳ねさせる。

 

「えっ……リーダーとミヤコさんは、工事の本当の理由を知ってたんですか?」

 

「ああ。だが、連邦生徒会との折衝が長引いていて、確証が得られるまで口止めされていたんだ」

 

サオリとミヤコの二人は、順番に今のシャーレで起きている水面下の動きを説明し始めた。

それは、最高責任者である先生、実働部隊の長であるタグ、シャーレの支援に動いているミカ、そして各小隊のリーダー格であるサオリとミヤコという、一部の人間しか共有していなかった重要事項だった。

 

「アリウス分校の生徒、およそ四十人が……近日中に、シャーレの居住区に移る予定になっている」

 

サオリの口から紡がれた言葉に、ミサキとヒヨリ、アツコの表情が引き締まる。

 

「四十人。それって……先日の廃園とかにいた奴らか?」

 

サキの鋭い問いに、サオリは首を横に振った。

 

「いや、廃園の件とは別口だ。今回対象になっているのは、エデン事変の後、トリニティ総合学園の主導で保護されていたアリウス生徒達の一部と、まだアリウス自治区に残っている生徒……心情的に、どうしてもトリニティの世話になりたくないと、保護を頑なに拒絶している者たちだ」

 

「無理もないですね……」

 

ヒヨリが自分の膝をぎゅっと握りしめて俯く。病院で、タグとセリナの前でショック状態を起こした記憶がよみがえる。

加害者と被害者、その両方の側面を持つアリウスの生徒たちにとって、トリニティの庇護下に入ることは、針のむしろに座るようなものだ。

 

ミヤコが、冷静な声で情報を補足する。

 

「問題はそれだけではありません。彼女たちはまだ、かつての指導者であったベアトリーチェによる思想誘導から完全に脱却できていないと判断されています。連邦生徒会からは『要監視対象』のラベルを貼られている状態です」

 

「要監視対象の四十人をシャーレで預かるって言うの、先生と隊長は?」

 

モエが呆れたようにため息をつく。

 

「でも、なんでそんな重大な話が、今までウチらに伏せられてたんだよ」

 

サキの純粋な疑問。

その問いに対し、サオリはピタリと口を閉ざした。

彼女の視線が、テーブルの木目へと逃げるように落ちる。硬く握られた両拳が、微かに震えていた。

 

「……連邦生徒会が、この受け入れに猛反対していたからだ」

 

沈黙に耐えきれなくなったように、サオリが絞り出すような声で告げた。

 

「エデン事変の最終報告書を読んだ連邦生徒会の主席行政官――七神リンが、強い難色を示した。当然だ……『先生がアリウスの生徒に銃撃された』という事実を知って、パニックに近い反応を見せたらしい」

 

サオリの声が、次第に掠れていく。

 

(……先生を撃ったのは、私だ)

 

その残酷な事実が、鋭い棘となってサオリの心を深く抉る。

自分の犯した罪が、居場所を失った同胞たちの救済を阻む最大の障壁となっていたという現実――その心理的負荷の重さに、サオリの呼吸が浅くなる。

 

「『先生を銃撃した学園の生徒たちを、あろうことか先生の膝元であるシャーレで預かるなど、命が惜しくないのか』と。だから……許可が下りるまで話が曖昧になっていたんです」

 

サオリの苦痛を庇うように、ミヤコが言葉を引き継いだ。

 

無人ラーメンスタンドの安っぽいBGMだけが、静まり返ったテーブルに流れる。

ミサキは視線を逸らし、アツコはサオリの震える拳の上に、そっと自分の手を重ねた。

 

「……それでも、先生は受け入れるって決めたんだね」

 

アツコのゆったりとした声が、重い空気に溶ける。

 

「ああ。先生が何度も、何度も連邦生徒会に懇願してくれたからだ。その結果、関連する計画の予算申請が通った。まずは居住区の拡張と無人出入口の新設をするそうだ」

 

サオリはアツコの温もりに少しだけ肩の力を抜き、ゆっくりと顔を上げた。

 

「これが、今シャーレで起きている事の全容だ。……お前たちには、迷惑をかけるかもしれない」

 

サオリが、SRTの面々に対しても深く頭を下げる。

しかし、サキは空になったジュースの缶をテーブルにドンッと置き、いつもの調子で笑った。

 

「何言ってんだよ。ウチらはSRT特殊学園、RABBIT小隊だぞ? 要監視対象の四十人がなんだってんだ。いざって時は、私達が完璧に制圧してやるから安心しろ」

 

「ええ。シャーレの治安維持は、私たちの任務ですから」

 

ミヤコも生真面目な顔で頷く。

 

ミユは「ひぃっ、四十人も……」と怯えながらも小さく頷き、モエは「監視用のカメラでも仕掛けとくか」と悪びれずに笑った。

 

虚勢ではない――信頼する先輩達を安心させるための誠意の発露だ。

 

かつての敵対関係を越え、シャーレという特異な環境で結ばれた奇妙な連帯感。

ガラス窓が白く曇るジャンクな空間の中で、少女たちは、これから始まる新たな騒乱の予感を、頼もしい仲間たちと共に静かに受け入れていた。

 

 

――重苦しい事実と背景の共有が終わり、テーブルに沈黙が落ちた。

 

「……そ、そういえば!」

 

その空気を換気するように、限界まで膨れたお腹をさすっていたヒヨリが、ぽんっと手を叩いた。

 

「隊長、先日D.U.で買ったばかりの新しいお洋服で、どこかにお出かけしてましたね!」

 

その瞬間――ラーメンスタンドのテーブルを囲む少女たちの空気が、文字通り一変した。

重苦しい戦術や政治の空気は一瞬で霧散し、代わりに「女子高生特有の捕食者の匂い」が場を支配する。

 

「……そういや、ヒヨリ先輩も狙ってるんだよねぇ」

 

恋バナという極めて危険な話題の気配を察知し、真っ先に噛み付いたのはモエだった。

ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべ、ヒヨリの顔を覗き込む。

そのあまりに素早い切り込みに、「出遅れた!」と言わんばかりにミヤコ、サキ、ミユの三人がハッとモエを見た。

 

「ふぇ?」

 

「隊長のことだよ。いっつも隊長、隊長ってひな鳥みたいに後ろにしっかりついて行ってるよね」

 

「あ、あ、あれはっ、そのっ!」

 

からかわれた意味を理解し、見る間に顔を真っ赤に染め上げるヒヨリ。両手で顔を覆い、バタバタと身悶えし始める。

 

「ふふっ。かく言う私もさぁ、隊長のこと狙ってるんだよねぇ」

 

「……モエの場合は、隊長本人というより、スコープドッグの火力とポリマーリンゲル液の匂いが目当てなのでは?」

 

ヒヨリをいじるモエに対し、ミヤコがジト目で、身も蓋もない冷静なツッコミを入れた。

 

「失礼な。それも合わせて『隊長』でしょ。例えるなら、カミソリみたいな鋭さに混じる硝煙と炎の匂い……いいよね、痺れる」

 

好意のベクトルはともかく、タグとモエがシャーレの執務室や格納庫で、私的・業務上ともによく軽口や長話をしていることは、ここにいる少女たちの間では公然の事実だった。

モエの爆弾発言にサキが呆れたようにため息をつく中、ゆったりとジュースを飲んでいたアツコが、ふと隣に視線を向けた。

 

「……ミユは、黙ってていいの?」

 

「ふぇっ!?」

 

突然の指摘に、ただ息を潜めていたミユが、ゆでだこのように顔を真っ赤にして跳ね上がった。

 

「ア、アツコちゃん!?」

 

「モロバレだろ」

「ええ。先生もそうですが、隊長は絶対にミユのことを見失ったり、忘れたりしませんからね」

「シャーレの三時のお茶会、参加回数がコユキの次に多いの、ウチら知ってるかんね」

 

サキ、ミヤコ、モエの三人が、容赦なくミユの包囲網を狭めていく。

文字通り存在感と気配を消すことに長けるミユ。無自覚に気配を絶つことがあるため、チームメイトのミヤコ達でさえ見失うことがあるほどだ。

しかし、いかなる時でも歴戦の兵士であるタグの眼は、彼女を見失わない。むしろ、その神秘ゆえにタグから常に位置を把握され、結果として頻繁に世話を焼かれているのは周知の事実だった。

 

「ひぅぅ……隊長は、私のことちゃんと見てくれるだけでっ、そのっ」

 

ミユが両手で顔を隠してテーブルに突っ伏す。

 

「……まあ、隊長が人気になるのはわかるかな」

 

ミサキが、俯いて赤くなったミユの頭をポンポンと撫でながら、ダウナーに呟く。

 

「失礼な言い方だが、私はもっとこう……ぶっきらぼうで、血も涙もない方だと思っていた」

 

サオリもまた、兵士というイメージそのものを体現するような男の姿を思い返し、真面目な顔で頷いた。

 

「実際は、すごく繊細な方ですね。言葉には出さないですし、態度にも絶対に見せませんけど」

 

ミヤコが、手元のペットボトルを見つめながら静かに口角を上げる。

――かつて廃校制圧で凄惨な光景を目の当たりにし、悪夢障害を起こしかけたミヤコ。

彼女が今こうして健やかにラーメンをすすることができているのは、異変を察知したタグの手配で、カウンセリングや睡眠薬の処置などの早期治療を受けたおかげだった。

その不器用で確かな庇護に、ミヤコは深く感謝していた。だが、それはそれとして――

 

「……そういうミヤコちゃんは、先生のことが気になってるんだよね?」

 

ブフッ、と。

油断していたミヤコへ、突っ伏していたミユからの決死のカウンターが突き刺さった。

飲んでいたお茶が気管に入り、むせ返るミヤコ。冷徹な小隊長が、顔を真っ赤にして涙目で咳き込む。

 

「ミヤコちゃんも?」

 

アツコが、ふんわりとした笑顔のまま、一切の容赦なく追撃のキラーパスを放つ。

 

「と、突然身内に背中を刺されたと思ったら、今度はライバルまで!?」

 

「だって先生、とても素敵な人でしょ?」

 

アツコの口からこぼれた「素敵」という言葉。

その響きに、モエ、ヒヨリ、ミサキの三人は、それぞれの内心で深く、深すぎるほどに納得していた。

 

(エデン事変の作戦レポート見たけど……儀式の祭壇から先生に手引かれて生還するとか、あんなの絶対脳焼かれるでしょ)

 

モエが、情報通ゆえの解像度の高さで、エデン事変の最終局面――ベアトリーチェに囚われたアツコを、先生が身を挺して救出した事実を思い返す。

 

(あの時の先生は本当に、本当にかっこよかったですよねぇ)

 

ヒヨリは、自分たちに手を差し伸べてくれた先生の姿を思い出し、ぽわわんと頬を緩める。

 

(一目惚れって……そういうの、本当にあるんだね)

 

ミサキもまた、ダウナーな瞳の奥に、かつて自分たちを光の当たる場所へと引っ張り上げてくれた先生の姿を映し、こっそりと微かに口元を綻ばせていた。

 

「わ、私はその……先生には小隊長としての心構えや道標を教えてもらっただけです。特別な感情とか、そういうのではっ!」

 

必死に弁解するミヤコだが、その真っ赤な耳がすべてを物語っている。

 

「先生、特に抽象的なことに関しては、すごく優しく教えてくれるからね。ミヤコちゃんの気持ち、わかるよ」

 

アツコが包容力のある微笑みで、ミヤコの言葉をふんわりと肯定する。

 

「あ、アツコさん……!」

「だから、アツコでいいって」

 

外はすっかり暗くなり、夜の冷え込みがガラス窓を濡らしている。

しかし、無人ラーメンスタンドの中は、少女たちの熱気と他愛のない恋バナの笑い声で、いつまでも温かく満たされていた。

 

 

 

キィィィィィン、という独特の金属高音が、無機質な地下通路に反響している。

 

ミレニアムサイエンススクール、ミレニアムタワーの地下深く。

一般生徒の立ち入りが禁止された広大な管理用通路を、一本の太い光の筋のように突き進む鉄の塊があった。

――スコープドッグである。足裏のグライディングホイールを高回転させ、ローラーダッシュで疾走するその背部。長距離用ミッションパックに増設された生徒用シートには、先生がちょこんと腰掛けていた。

 

「かれこれ二十分は走らされてるね」

 

先生の呟きに、タグは前方を睨み据え、操縦桿を捌きながら尋ねた。

 

「先生、シートの座り心地はどうだ?」

 

「最初に作ったころに比べると断然よくなったね。揺れがほとんどないよ」

 

先生はシートのホールド具合を確かめるように体を少し揺らし、感心したように笑う。

 

「それは言うな。最初のアレはただの鉄パイプにクッションを巻きつけただけのとんでもないシロモノで、サスペンションなんて贅沢なものはなかった」

 

タグのぶっきらぼうな返事に、先生の懐の端末――シッテムの箱から、アロナがホログラムの体をごそごそと動かすようにして声を割り込ませてきた。

 

『ATの足に取っ手を付けてしがみつく、という方法を先生にやらせるわけにはいきません! 先生が落っこちたらどうするつもりだったんですか、タグさん!』

 

「アロナ。俺も死ぬよりはマシという手段はどうかと思っているからこそ、対策をエンジニア部に頼んだんだ」

 

『ホント、エンジニア部のみなさんには頭が上がりません』

 

そんな二人のやり取りに、先生は苦笑する。

 

「アロナ、この通路で本当に合ってる?」

 

アロナはすぐにきりっとした表情に戻り、人差し指を立てた。

 

『はい、指定された進路からは一切外れていません。……あ、ありました! 前方にチヒロさんから指定された座標を確認しました! ミレニアムの全ネットワーク、つまりセミナーのメインシステムからも完全に隔離された、非公開の特殊管理セクターです。タグさん、もうすぐ速度を落としてください』

 

「了解した」

 

タグがペダルの踏みを浅くする。ローラーの回転が徐々に低下する。

火花を散らして滑り込むように停止した場所は、重厚な隔壁と無機質な金属板の床が続く通路だ。

シートから降りた先生とスコープドッグが、その場に立ち尽くす。

 

「しかし驚いたな。ATが通れる規模の通路が、数十キロ近く地下に張り巡らされているとは」

 

『通路が広い理由がわかりました。ここは主にHubが使用する作業用通路です。通信ケーブルの補修・改修や地下輸送通路の拡張に使われているそうです』

 

その単語に、タグは微かに聞き覚えがあった。

 

「Hub……思い出したぞ。D.U.や一部自治区の通信インフラに関与しているシステムだな」

 

『その通りです。ミレニアム創設当初に設計・建造された工作機械が原型です。ハード、ソフト両面でアップデートを繰り返し、現在ではHub――そう呼ばれるAIによって自動制御される、巨大なユニット群になっているみたいです』

 

「スケールが大きい話だね。……ここが指定された場所のようだ」

 

先生が手元のシッテムの箱に表示されるマップと、ただの壁が続く通路を交互に見比べる。

それに合わせてスコープドッグのターレットレンズが回転する。ゴーグルモニターの視界が通常から広角へと切り替わった。

 

メインビル内とはいえ、この非公開区画には監視カメラの類は見当たらない。一見するとただの広大な管理用通路だが、この奥のエリアは確実に生きている気配があった。

 

「アロナ、指定された波形のPINGを飛ばして」

 

『……飛ばしました』

 

すると通路に突然、スピーカー越しの声が反響した。

 

『――特異現象捜査部へようこそ。お待ちしておりました、シャーレの先生。そしてスコープドッグとそのパイロット、タグさん』

 

「ッ!」

 

響いた見知らぬ声に、スコープドッグの右腕が反射的に跳ね上がった。

ガシャ、という硬質な金属音とともに、ショートバレルマシンガンの銃口が声の発生源へと正確に突きつけられる。

 

『驚かせるつもりはありませんでした。すぐに入り口を開けます』

 

直後、ガコンという重い電子ロックの解除音が響いた。ただの壁に見えていた金属板の一部が滑らかにスライドし、薄暗い通路の奥へと繋がる本物の鉄扉が姿を現す。

タグは引き金にかけた指の力をわずかに緩めたが、銃口は下げないまま警戒レベルを維持した。

 

「こういう秘密の通路はいつになってもワクワクするね」

 

極度に警戒する兵士の緊張感とは対照的に、先生の声には少年のような期待が満ちていた。

重々しい駆動音を立てて、その鉄扉がゆっくりと内側へ開いていく。

 

 

 

薄暗い室内の奥から、黒を基調とした機能的なジャケットを着ているがファスナーは閉じられておらず、中のシャツすらほぼ脱ぎかけの少女――エイミが歩み寄ってくる。

 

「久しぶり、先生。今日は来てくれてありがとう」

 

「エイミ! 久しぶり。最近姿を見かけないなと思ったんだけど、ここにいたんだね」

 

「うん。特異現象捜査部が正式に稼働したんだ。――後ろの人。見ての通り、この先の部屋にはATでは入れないから、降りてもらってもいい? ATはセキュリティに見張らせておくから」

 

タグはATから降りろという要求にあっさりと従った。

先生と目前の生徒が知り合いであり、二人の間にはある程度の親しさがあることを感じ取ったのだ。よって、現時点での危険性は極めて低いとタグは見積もった。

 

スコープドッグが膝を突く独特な降着姿勢を取る。

マッスルシリンダーが収縮し、機械音を立てて全高を下げていく緑の騎兵。ハッチが上方に開くと、中から赤い耐圧服姿のタグが現れた。

 

「暑そう」

 

エイミのストレートな物言いに、ヘルメットを外したタグが淡々と返す。

 

「見た目よりは涼しい。これは宇宙空間にも出られる物だ」

 

タグの返事に興味を惹かれたのか、エイミはじっと耐圧服を見つめた。

 

「……ちょっと気になるかも。っとごめん、名乗ってなかったね。私はエイミだよ、和泉元エイミ。よろしく」

 

「タグだ」

 

「タグって呼んでいい?」

 

「好きにしろ」

 

短く答え、タグはエイミの服装と体躯を観察する。

極めて無防備な露出だが、その歩様には一切の隙がない。彼女がただの案内役ではないことは、兵士としての直感が告げていた。

 

「じゃあ、行こう。部長が待ってる」

 

 

エイミの案内に従い、照明の落とされた静かな廊下を奥へと進む。

強固なセキュリティゲートをいくつも通過し、たどり着いたのは、外観からは想像もつかないほど広大で、冷房が強く効いたデータルームだった。

壁一面を覆う無数のモニター群が青白い光を放つ部屋の中央――機械仕掛けの風変わりな車椅子に座る一人の少女が、静かに微笑んでいた。

 

「ありがとう、エイミ。改めて初めまして、先生。それからタグさん」

 

透き通るような白い肌、微かに紫が差している長く美しい白髪、そして見慣れない尖った耳を持つ彼女は、優雅な仕草で胸に手を当てる。

 

「私の名前は明星ヒマリ。このミレニアム・サイエンススクールにおける、天才ハッカーです」

 

「……僕は自分で『天才』って言う人、初めて見たよ」

 

先生が思わず呟く。

その呟きに、ヒマリは全く悪びれる様子もなく、ふふっと得意げに笑った。

 

「事実ですから。それに私、そこそこ有名人なので、一度くらいは噂など聞いたことがあるのではないでしょうか?」

 

ヒマリは芝居がかった手振りで、言葉を続ける。

 

「正体不明なヴェリタスの超美人部長ですとか、病弱美少女のお手本のような存在ですとか……ミレニアムに咲く一輪の高嶺の花ですとか。ひとつくらい、聞いたことありません?」

 

先生がタグの方を振り向くと、タグもまた無表情のまま先生を見ていた。

 

「覚え、あります? 僕はないですね」

「俺もないな。ここまで自意識過剰な生徒であれば、必ず耳にしたはずだ」

 

先生とタグが正直すぎる感想を口にすると、ヒマリの優雅な微笑みがピタリと固まった。

 

「なっ、そんな……まさか」

 

車椅子の上で、ヒマリががっくりと肩を落とす。

 

「落ち込んじゃった。先生とタグ、責任取って慰めて」

 

エイミが淡々と要求する。

 

「先生、こういうのはアンタの役目だ」

「え、僕がやらないと駄目?」

 

タグの目は、「当然だ」とばかりに先生を射抜いていた。

 

 

「……ふぅ。もう少しイメージ戦略が必要みたいですね」

 

残念そうな物言いで呟くヒマリの声に、タグが微かに顎を引き、先生が眼鏡のフレームを調整して本題へと切り替える。

 

「ヒマリ、さっそくだけど聞きたいことがあるんだ。チヒロが言っていたヴェリタス設立の真実、聞かせてほしい。君が本来の部長だということはチヒロから聞いたよ」

 

「ええ、私がヴェリタスの創設者であり、部長です。しかし現在、ヴェリタスのことは一旦、チーちゃんにすべて任せています」

 

ヒマリは車椅子のコンソールを軽く叩き、背後のモニターの表示を切り替えた。

そこに映し出されたのは、『特異現象捜査部』という見慣れないエンブレム。

 

「先日、私はこの特異現象捜査部の部長に任命されました。これは、ミレニアムの生徒会長であるリオが作った特務組織なのです」

 

「リオが……」

 

先生が顎に手を当てて考え込む。

セミナーのトップであり、ミレニアムの絶対的な支配者であるビッグシスター。それが外部における彼女の一般認識だ。

しかし如何なる運の巡りか、未だ先生は彼女と直接接触する機会に恵まれていなかった。

 

「エイミ、部の概要を説明してもらえますか? 全部を私一人で解説をすると、私の繊細な喉が枯れてしまいます」

 

「わかった。……科学的に解明しがたいとされる現象を追跡・研究することを目的とした、セミナー傘下の部活」

 

言葉のバトンを受け取ったエイミが、淡々と解説を始める。

 

「リオ先輩の命令で作られたんだけど、今まではずっと構成メンバーは私だけだった。明確な活動内容も特に無かったし」

 

「まさかリオが作ったそんな怪しい部活に、突然私が部長として任命されるなんて……しかも部員はひとり」

 

「ヒマリ部長も入れてふたりだよ」

 

「ええ、そうですね。健康的な路線のエイミと、儚き病弱系美少女の私。素敵なコンビになりそうです」

 

ヒマリが自画自賛を交えて頷く。

その横で、エイミが突然自分のジャケットの襟を掴み、パタパタと風を送り始めた。

 

「ところでここ、ちょっと暑くない?」

 

「いえ。私にとっては今もむしろ寒気がするほどですので、そのエアコンのリモコンは置いてください、エイミ」

 

エイミは今度は服に手をかけようとする。

 

先生が思わず困惑したように視線を泳がせる中、タグは無言で耐圧服の喉元を弄り出した。ヒマリと同じく冷房の冷気に備えるように、首元の締め付けを強くする。

 

「あの、代わりに服を脱ぐのもやめてください。はい? ファスナー? 何を言って……いえ、理解しました。絶対にやめてください、他のお客様の目もありますので」

 

エイミの突拍子もない行動を、ヒマリが慌てて制止する。

首元の締め付けを終えたタグが、静かに口を開いた。

 

「それで、アンタとリオ会長との関係だが」

 

タグの声に、ヒマリは表情を引き締め、車椅子の向きをまっすぐに先生とタグへと向け直した。

 

「実を言いますと、私は生徒会長であるリオと、長い間対立してきました。全てを統制しようとするビッグシスターな彼女と、全ての統制に反対するコピーレフト信者の私は、そもそも水と油と言いますか」

 

ヒマリは指先で顎に触れ、少し皮肉げに目を細める。

 

「同じ水で例えるとすると、リオが混濁した淀みだとするならば、私は澄みきった純正のミネラルウォーター……いえ、万年雪の結晶、といったあたりでしょうか」

 

そこでヒマリは気づいた。先生はともかく、明らかにタグから「話を進めろ」という無言の圧力が放たれていることに。

 

(……少し、喋りすぎましたね)

 

密かに反省したヒマリは、結論へと進む。

 

「とにかく、リオの頼みとあらば『何でも』『絶対に』断るつもりでいたのですが……少々込み入った事情で、断れないようなお願いをされてしまいまして。それで、この部長を引き受けることになったのです」

 

ヒマリの視線が、先生からタグへ、そして再び先生へと移る。

 

「そしてそのお願いの内容を果たすためには、シャーレの手助けが必要不可欠でして」

 

「シャーレが手伝えることって?」

 

先生の問いに、ヒマリは背後の巨大なメインモニターへと振り返った。

コンソールを叩く音が数度響く――モニターに太陽、あるいは羅針盤のような幾何学的な紋章が映し出された。

 

「――デカグラマトン」

 

その単語を聞いた瞬間、先生の表情が険しくなる。

タグもまた、わずかに眉根を寄せた。

 

 

「お二人とも聞き覚えがあるかと思います。何せこの未曽有のAIと初めて接触したのは、シャーレですよね?」

 

ヒマリの涼やかな声が、冷えきった部屋に響き渡る。

 

「『神を研究し、その存在を証明できれば、その構造を分析し、再現できるだろう。すなわちこれは、新たな神を創り出す方法である』――その仮説を元に作られた、対・絶対者自律型分析システム。つまるところ……」

 

ヒマリは一度言葉を区切り、重々しく告げた。

 

「神性を探し出す人工知能です」

 

――神を創り出す。神性を探す。

その言葉の響きに、タグの胸の奥がざわめく。しかし、彼の鉄面皮は微かな動揺すら表に出すことはない。

 

「私たちの方でも、色々と調べてはみたのですが……まずもってその仮説すら、先生からの報告書以外のどこにも見つけられませんでした。報告書に書かれていたゲマトリアという集団も、未だにその実在さえ確認できていません」

 

ヒマリが嘆息するように言う。

 

「つまりシャーレの報告だけをもとに研究を進めるには、あまりにも不確定要素や不明瞭な要素が多すぎたのです。……これは先生を疑っているというわけではありませんよ」

 

「先生を疑ってたら、そもそもここに呼んでないもの」

 

エイミが淡々と補足する。

 

「ええ。むしろ私たちは、シャーレの手助けが欲しいのです」

 

ヒマリはコンソールを操作し、今度は大量のエラーログのような文字列をモニターに表示させた。

 

「先日、ミレニアムの通信ユニットAIであるHubが、正体不明のAIにハッキングされるという事件がありました。ミレニアムの技術の結晶とも言える超高性能演算機関が……たったの0.00000031秒しか耐えられなかったのです」

 

「0.00000031秒……」

 

先生が絶句する。それは、実質的に何の抵抗もできなかったに等しい数字だ。

 

「私は、そしてリオは、そのハッキングを行ったAIがデカグラマトンなのではと考えています。もちろんただの推測ではなく、きちんとした理由もありまして・・・・・・」

 

ヒマリはモニターの画像を次へと切り替える。

 

「Hubがハッキングされ、そのAIが消えた後、ミレニアムのネットワークにこのようなテキストが現れました」

 

そこに、旧時代的なテキストメッセージが浮かび上がる。

 

 

『竟に、摂理へと至るパスを見つけたり』

 

『嗚呼……我がパスは名誉を通じた完成』

 

『我が異名は「輝きに証明されし栄光」』

 

『我が名はホド』

 

『聖なる十文字の神を証明し、奇跡を預言する8番目の預言者なり』

 

 

「聖なる十文字……これはつまり、デカグラマトンのことでしょう」

 

ヒマリの分析が続く。

 

「ここから推測できることが二つあります。まず一つ、デカグラマトンはAIと接触してそれらを自身の部下……預言者とすること。私はこの事象を、AIを感化させているものと捉えています」

 

ヒマリの言葉に、タグは静かに考察を巡らせた。

 

(洗脳ではなく、感化。自律性を保ったまま、自身の目的のために動く駒に変えるということか)

 

「そして二つ目。その結果、デカグラマトンの預言者たちは“デカグラマトンそのもの”になるのではなく、独立した個体として活動する――これは、自身を“聖なる十文字の神を証明する預言者”と宣言していることからも読み取れます」

 

ヒマリは両手を軽く組み合わせ、首を傾げた。

 

「デカグラマトンは預言者を統制してはいません。対象を“自分自身そのものか、自身の一部”にして統制してしまうほうが、何を為すにしても容易なはずです。しかし実際にはそうではなく、預言者たちを感化させ、それぞれが自律的に動くようにしています。……なぜこのような非効率的で、非合理的な手段を取るのか」

 

彼女の問いかけは、静寂のデータルームに吸い込まれていく。

 

「すみません、話が長くなってしまいまして。この件の問題は、ミレニアム……いえ、キヴォトスでも最高クラスのセキュリティと防衛システムを備えたHubが何者かによって奪取されたという事実です。つまり現代社会は、デカグラマトンの指先一つで麻痺しかねないということです」

 

「そうだね。仮に交通管理システムや、役所、サンクトゥムタワーのシステムがその被害に遭った場合……想像したくないね」

 

先生が腕を組み、深刻な表情でメインモニターを見つめながら呟く。

 

その言葉を、先生のポケットにあるシッテムの箱の中で聞いていたアロナは、ホログラムの画面の向こうで静かに唇を閉じていた。

先生を不安にさせないよう表立って声を挟むことはしなかったが、キヴォトスの超常的な防壁システムと直結している彼女の領域からすれば、明確な答えがそこにはあった。

 

(それは、絶対に無理なんですけどね)

 

サンクトゥムタワーの基幹、そしてこのシッテムの箱を構成するプロトコルは、キヴォトスの既存の科学技術の延長線上にあるミレニアムのシステムとは、根本的に次元が異なる。

だが、それ以外の“生徒たちが日常的に使用しているインフラ”が相手であれば、先生の懸念は完璧に正しい。アロナは黙って先生の言葉の重みを受け止めていた。

 

「ええ、先生の仰る通りです。それがこの問題の最も忌むべき本質です」

 

ヒマリが車椅子の肘置きを軽く叩き、真剣な眼差しを二人に向けた。

 

「キヴォトス全域のインフラは、高度にネットワーク化されています。もしデカグラマトンがミレニアムのHubを完全に掌握したように、他自治区のシステムへ電子的侵攻を開始したとしたら? トリニティやゲヘナの交通制御、各種ライフラインの管理AIなど、ミレニアムの最新鋭システムに比べて旧式も同然。文字通り赤子の手をひねるように乗っ取られるでしょう」

 

「都市機能の完全な停止、もありえるか」

 

先生の呟きに、ヒマリは重く頷く。

 

「停止だけならまだいいほうです。もし、自動防衛ターレットや各学園の管理用オートマトンが、一斉に『預言者』として感化され、牙を剥いたとしたら? キヴォトスは一夜にして、正体不明の『神』を名乗るAIの軍勢によって、内側から占領されることになります」

 

「……いや、それだけでは済まないな」

 

冷え切ったデータルームに、タグの低く、押し殺したような声が響いた。

先生とヒマリ、そしてそれまで退屈そうにしていたエイミの視線が一斉に、赤い耐圧服の男へと集まる。

タグの死んだ魚のような瞳は、モニターに映る文字列を見つめたまま、微塵も動かない。彼の脳裏で展開されているのは、社会の混乱などという生易しいものではなかった。

 

「通信ユニットが落とされるということは、この世界においては『目と耳』を完全に潰されることを意味する」

 

タグは事務的に、だが冷徹に事実を切り出した。

 

「キヴォトス全域の通信が数ミリ秒で乗っ取られ、遮断された場合、何が起こる? トリニティの正義実現委員会も、ゲヘナの風紀委員会も、ヴァルキューレの警備隊も、現場への即応体制を完全に失う。本部からの命令も届かず、前線からの報告も途絶える。全ての部隊が、暗闇の中に一人きりで放り出されるわけだ」

 

「それは……」

 

先生が息を呑む。

 

「さらに最悪なのは、情報の偽装だ」

 

タグは情報戦によって、精強と呼ばれる部隊が抵抗も出来ずに自滅していった戦場の記憶を思い出す。

 

「感化された通信網が、偽の命令を流したらどうなる? 『ゲヘナが攻めてきた』『トリニティが裏切った』――そんな偽の電文を一本流すだけで、各学園の武装生徒たちは通信の復旧を待つ猶予もなく、疑心暗鬼のまま互いに引き金を引き合うことになる。戦場において、情報の錯綜と通信の途絶は、いかなる重火力よりも確実に軍隊を全滅させる決定打だ。補給も途絶え、指揮系統は崩壊し、最後には同士討ちで瓦解する」

 

データルームに、一瞬の静寂が訪れた。

ヒマリは、タグのその「都市の麻痺」を一足飛びに「組織の全滅、及び戦争による相互破滅」として冷酷にシミュレーションする思考回路に、微かな戦慄を覚えていた。

この男の見ている景色は、治安維持やハッキングの範疇ではない。徹底的な『戦争』の盤面だ。

 

「……戦術的な観点からの指摘は、極めて論理的かつ最悪の想定ですね」

 

ヒマリは小さく息を吐き、パブリック向けの柔らかい笑みを浮かべ直した。

 

「ええ、その通りです。デカグラマトンがもたらすのは、単なる電脳空間の悪戯ではありません。物理的な破滅を引き起こす引き金になり得る。だからこそ、私たちは一刻も早く、彼らの正体と、その“感化”のアルゴリズムを解明しなければならないのです」

 

 

デカグラマトンがもたらす「破滅のシミュレーション」の余韻が、冷え切ったデータルームに重く立ち込めていた。

ヒマリが車椅子を一歩前へと進め、協力を仰ごうとしたその瞬間。

タグが、耐圧服の喉元を弄る手を止め、視線を彼女へと向ける。

 

「脅威の規模は理解した。だがヒマリ。こちらの協力を望むなら、今度はこちらの質問に答えてもらおうか」

 

「おや、私への逆質問ですか? 天才の頭脳に答えられない問いなど滅多にありませんが……何でしょう?」

 

ヒマリは努めてパブリックな、余裕のある微笑みを浮かべる。しかし、タグの次に口を開いた先生の言葉に、その微笑みは僅かに凍りついた。

 

「チヒロから聞いていた、ヴェリタス設立の謎。そして君たちが、どれほど優秀な実績を上げても頑なに『正式な部活申請』をしない本当の理由。……これらは、今回の件と決して無関係じゃない。そうだろう?」

 

先生の静かだが芯のある問いかけに、データルームの空気が一変する。

ヒマリは静かに目を閉じ、数秒の間、沈黙した。

やり取りを横で聞いていたエイミが、ヒマリのそのただならぬ気配の変転を察し、息を呑む。

普段の傲岸不遜な態度からは想像もつかない部長の重い沈黙に、エイミの瞳が明らかな動揺に揺れていた。

 

「お二人には、お話しすべきですね」

 

ヒマリは小さく息を吐くと、背後のモニターの明かりを少し落とした。そして横に立つ少女へと視線を向ける。

 

「エイミ、一度部屋から出てもらえますか? 貴方が関わるべきではない話を、大人のお二人とします」

 

「……わかった」

 

エイミはヒマリの意図を正確に察したのだろう。それ以上は一切何も尋ねず、先生とタグに小さく一礼して、音もなくデータルームを退出していった。

 

重厚なセキュリティ扉が閉まり、完全な密室となる。

 

「彼女を遠ざけたのは、ミレニアムの底に積もってきた汚れを、部員に一切吸わせたくないという私のワガママです」

 

ヒマリは車椅子の背もたれに深く体を預けて、目の前の大人と兵士、二人を真っ直ぐに見据えた。

 

「本当はタグさんにも席を外していただきたいところなのですが……あの騒々しくも愛らしい問題児、黒崎コユキの事実上の保護者として、貴方にはここで話を聞く権利と義務があります。ですから、貴方にもすべてをお話ししましょう」

 

コユキの名前が出たことに対しても、タグは何も答えない。ただ、死んだ魚のような瞳で聞く姿勢を崩さなかった。

 

 

「お二人にまず、問わなければなりません。このミレニアムサイエンススクールが、キヴォトスにおいてトリニティやゲヘナに並ぶ3大学校の一角へと、短期間で躍進できた真の理由をご存知ですか?」

 

ヒマリの問いかけに、先に答えたのは先生だった。

 

「……トリニティの関与、だね?」

 

ヒマリの眉が、ピクリと跳ねた。

エデン条約を巡る数々の政略、そしてその後に発生したトリニティの戦後処理を最前線で携わってきた大人の目が、鋭く光る。

 

「エデン事変の後始末を進めていく中で、どうしても不自然な点からある推測が浮かび上がったんだ。それはトリニティとミレニアムの間には、公にされていない政治的な密約があるという推測。元々トリニティという学園は、偏執的なまでに『3』という数字を重要視している組織だ。政治体制はティーパーティーによる三頭政治、主要な派閥も3つ、そして学園の名前そのものにまでそれを反映させている」

 

先生は眼鏡のブリッジを指先で軽く押し上げ、タグと二人でブレインストーミングした推測を語る。

 

「彼女たちのドクトリンは、内政に留まらず外部の地政学に対しても反映されるのではないか、と。そうなると、あのエデン条約という和平案も、究極的には『3』という数字に帰結させるための大掛かりな布石だったんじゃないか――そう考えた時、新興勢力であるミレニアムサイエンススクールの存在が急速に浮いてきたんだ」

 

ヒマリの涼やかな瞳が、見開かれる。

 

「ゲヘナとトリニティ。その均衡を保ち、世界を安定的かつ永遠の三つ巴へと導くための、最後のピースがミレニアムなんじゃないかって。……そうなると、ミレニアムという学園の設立そのものすら、もしかして最初からトリニティの指導者層によって、計算の元で誘発されたのではないか、と」

 

(アロナの裏取りとデータ解析がなければ、ただの妄想で終わっていた話なんだけどね)

 

先生は内心でそう付け加えながら、傍らの兵士へと視線を移した。

先生の推測を引き継ぐように、タグが己の経験からその論理を補強していく。

 

「互いを憎み合う二大組織。その二者間での和平条約など、普通はただの夢物語だ。調停者、あるいは決定的なキャスティングボードを握る第三の極がいなければ、パワーバランスは機能しない。トリニティがゲヘナを本気で抑え込むために、新興勢力であるミレニアムを急速に肥大化させ、ゲヘナに対する防波堤、あるいは第三の監視者として引き上げる必要があった。……違うか?」

 

静寂が部屋を支配した。

ヒマリは驚愕に目を見開いた後、観念したように、くすくすと自嘲気味に笑った。

 

「見事です。まさか国家間の地政学によるアプローチから、この学園の闇を推測されるとは思いませんでした。天才の出る幕がありませんね。……仰る通り、全て事実です」

 

ヒマリは両手を膝の上で握りしめ、その美しい尖った耳を僅かに伏せるようにした。

 

「ミレニアムが急速に巨大化できた最初の原動力、それはトリニティからの有形無形のバックアップです。究極的な破滅――つまりゲヘナとの全面衝突を回避するために、トリニティの指導者層は宿敵ゲヘナを交えた三つ巴の構図を作りたかったのです」

 

 

――ヒマリは語る。

 

ミレニアムの成り立ち、それは千年問題に立ち向かう研究者の集まりから始まったのだと。

数人程度の研究者が共同生活を始めたのがスタートであり、やがて千年難題に取り組む過程で実験や検証が重なり、現在のセミナーを頂点とした学園へと肥大化した。

行われる研究と発明は、すべて七つの難題解決への手段である限り認められる。

表面上だけで語れば、理想の学び舎としての姿がそこにある。

 

そこまで語り、どこか懐かしげに細めていたヒマリの瞳から、ふっと熱が失われた。

 

「しかし、理想だけでは千年難題という高すぎる壁は超えられませんでした。当時の組織は、残念ながら研究しかできない『真面目な馬鹿の集まり』だったのですから。

難題を相手にすればするほど資金は底を突き、かといって自分たちで資金稼ぎに走れば、大人たちの利権争いに巻き込まれる。

おまけに、研究者が金稼ぎに走ることそのものを否定する純粋すぎる身内まで内側から声を上げ、組織は完全に手詰まりとなっていました」

 

ヒマリは自嘲気味に細めた目を、データルームの薄暗がりに向ける。

 

「そこに目を付けたのが、他ならぬトリニティ総合学園でした。彼女たちは非常に魅力的で、同時に断ることのできない取引を持ち掛けたのです。

――『学園を設立せよ』と。

その見返りとして、研究に必要な莫大な資金、大人たちとの面倒な折衝の代行、そしてキヴォトス中から同じような『研究バカ』の生徒たちを集めてやろう、と約束したのです。……もし私が当時、ミレニアム側の立場に立たされていたとしても、研究を続けるためにその提案を引き受けざるを得なかったでしょうね」

 

一度言葉を区切り、ヒマリは車椅子のコンソールに指を滑らせた。

 

「初期はティーパーティーから直接、巨額の資金や人材が投入されました。ですが彼女たちにとっては、それでもミレニアムの拡大は遅すぎる歩みに見えたのでしょう。

同時にミレニアムという実った果実の熟れ具合に満足し、セミナーに紹介したのが……莫大な資産を持つ富豪や、キヴォトスの裏社会を牛耳る大人たちでした」

 

ヒマリの声から、感情どころか華やかさまでもが完全に消え、重苦しい響きが混じる。

 

「セミナーの裏の顔、それはキヴォトスの大人たちからの依頼を消化すること――つまり、彼らに代わって社会の表側ではインフラシステムの構築や維持、裏社会においては資金洗浄や公に出来ない公正証書などの作成、つまりは“社会のドブ浚い”を行うことです。

――この内容は極一部です。代々のセミナー所属生徒の得意分野によって、内容は都度変わるそうです。

そして見返りとして最新の機材や莫大な研究資金を、セミナーは得てきました。そしてトリニティはドブ浚いを紹介した仲介料を懐に収め、ゲヘナに相当しつつも平和的かつ友好的な勢力であるミレニアムを作り上げたわけです。

……この事実はセミナー所属の幹部のみ、おとぎ話のように密かに引き継がれています。

私が知る限りではリオ、ユウカ、ノアはこの事実を共有しているはずです」

 

「……それが、アンタたちがセミナーを抜けた理由か」

 

タグの指摘に、ヒマリは深く頷いた。

 

「私とチヒロは、かつてそのセミナーの次世代を担う幹部候補生でした。ですが、そのあまりにも濁りきった学園の成立ちと、大人たちへの隷属の事実を知り……私たちはそこから離脱したのです。

自由な研究と、真実の追求。自分たちで資金を作り、その正当な資金だけで研究を行う。大人たちのドブ浚いから脱却するために、私とチヒロの二人で計画し、立ち上げた非公式の抵抗組織――それが“ヴェリタス”です。

セミナーに牙を剥く“反セミナー”と呼ばれる所以は、ここにあります」

 

ヒマリはそこで言葉を区切り、自らの胸に手を当てた。

 

「私たちとリオの間では、思想が根本から食い違っています。ですが、学園としてのミレニアム、そしてそこで学ぶ生徒たちを愛しているという事実は、私とリオで何も変わりません。

だからこそ、私はリオの今回の誘いに応じ、この特異現象捜査部の部長の席に座ったのです」

 

「今回のデカグラマトン捜査も、そのドブ浚いの一環なんだね」

 

先生の言葉に、ヒマリは悲しげに目を細める。

 

「間違いないかと。Hubの運用が不可能になったことはミレニアムには大きなダメージです。そして利用者である大人たちにとっても衝撃でしょう。

インフラの維持能力を一部とはいえ、一夜にして突然奪われたのですから。……タグさんが仰った通り、デカグラマトンという存在は、現代のネットワーク技術を礎にするミレニアム、ひいてはキヴォトス全体を滅ぼしかねない、本物の破滅の危機です。

思想の違い程度で、互いに手を握らずにいがみ合っている猶予は無くなりました」

 

ヒマリは一呼吸置き、タグの死んだ魚のような瞳をじっと見つめた。

 

「……そして、タグさん。貴方にとって最も不愉快であろう、最後の事実をお伝えしておきます」

 

ヒマリはモニターの端に、かつてのセミナー幹部候補生のリストを表示させた。そこには、抹消されたヒマリとチヒロの名の後ろに、無理やりねじ込まれたような名前があった。

 

「私とチヒロ、二人がセミナーの候補枠を蹴って離脱した結果……空いたその穴を埋めるための補欠として、セミナーへ無理やり引きずり込まれた生徒がいます。それがコユキです」

 

タグの眉が、ピクリと動いた。

かつてヒマリ達が捨てた、歪んだ構造の座席に何も知らないまま座らされ、社会のドブ浚いの役目をやらされることになるのがコユキであるという事実。

それは、タグの脳裏にある重苦しい記憶の断片を呼び覚ます。

 

神によって望まぬ『支配者』の席へと座らされようとしていた、一人の友の姿。

大人たちの身勝手な都合で、少女に望まぬ役割を押し付ける構造。

神の悪意と大人の悪意――そこに何の違いがあるというのか。

かつてサンサで燃え上がった怒りの炎が、再びタグの中で灯ろうとしていた。

 

 

 

 

科学の箱庭が隠し持っていた真実を知るも猶予は与えられない

打ち砕かれた機械の信者たちが遺した演算に導かれ、廃墟へと足を踏み入れる

そこで車椅子の天才が直面するのは、鋼鉄が自我と感情を宿す特異点

機械仕掛けの魂が産声を上げた時 予測不能な混沌が目を覚ます

次回「ブレイクスルー」

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