装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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クリスマスカード

シャーレ居住区の共有ラウンジ。

 

暖房が効いた室内の長テーブルの上には、赤や緑の鮮やかな画用紙、金銀のグリッターペン、星型のシール、果ては精巧なレースのリボンまでもが無秩序に散乱し、ちょっとした文房具の要塞を形成していた。

 

「……だからね、クリスマスカードっていうのは『祈り』なの。親友や愛する人、そして信頼する人に神聖な祝福と感謝を込めて贈るもの。だからこそ、手間と時間を惜しまないのが絶対の秘訣なの」

 

聖園ミカが、ハサミと糊チューブを手に熱弁を振るう。

彼女の手元には、すでに金箔が押されたような豪奢な厚紙をベースに、細かなカッティングが施された重厚な手作りカードが完成しつつあった。

トリニティ総合学園において、降誕祭とは単なるお祭り騒ぎではなく、祈りと伝統を重んじる厳粛かつ華やかな一大行事なのだ。

ミカの指先には、糊の乾いた跡がいくつも白くこびりついているが、彼女はそれを気にする素振りも見せない。

 

「……手間を惜しまない、というのはたしかにある一面では事実です。ですが、タイムイズマネーな現代において、感謝を伝えるならもっと合理的なフォーマットに基づくべきです!」

 

黒崎コユキが色ペンを片手に、ミカの主張に対して持論を語る。

 

「ミレニアムにおいて、クリスマスは一大商戦イベント! 誠意は金額! プレゼントしたものにかかった金額こそが、揺るぎない誠意の可視化ですよ!」

 

彼女の目の前には、ファンシーな雪だるまのイラストが描かれたカードが置かれている。

一見可愛らしいが、その雪だるまの腹部の位置には、ミレニアム製最新電化製品のギフトカタログにアクセスするQRコードのシールが、これ見よがしにデカデカと貼り付けられていた。

 

「なにそれ、全然ロマンチックじゃない! 祈りは、お金で買えないんだよ!」

「祈りで懐は温かくなりませんからね! こういう時はギブアンドテイクの関係が真理なんですよ、ミカ先輩」

 

不満げに頬を膨らませるミカに対し、コユキは全く悪びれずに胸を張る。

 

二人の騒がしい主張の衝突。その傍らで、返事こそ返さないが一言一句聞き逃さずに作業を続けている男――タグ。

廃校・廃園の巡回任務や各学園との折衝のために、キヴォトスの各自治区における風俗・文化について事前に学んでいた。

その過程で、ミレニアムやトリニティには年末に「クリスマスカード」という形で他者へ挨拶を送る文化があることを知った。

タグは、ATを整備するとき以上に神経を使い、無駄のない手つきでこれから書くための無地のカードを二つ折りにし、折り目を整えていた

 

(……これも一つの文化、か)

 

タグは、この作業を楽しみつつ、宛先のリストに視線を落とす。

彼は自分が構築した様々なコネクションを維持するために、「外交的な季節の挨拶」を行う機会をうかがっていたのだ。

戦場の最前線では様々な形で挨拶が行われる。世話になった整備兵に配給のタバコを握らせる、上官の機嫌を取るために酒を融通する、背中を任せる僚友にコーヒーとほんの少し贅沢な糧食を譲ってやる――それと全く同じ論理だ。

ただの遊びではない。タグにとってこのメッセージカードは、実利を伴う『手形』であり、今後キヴォトスで生きるための戦略的行動の一環なのだ

 

 

「アリスも、パーティーメンバーや待機中の仲間たちとの親愛度パラメータをアップさせるのは、正しい攻略法だと思います!」

 

不意に、アリスが目を輝かせてテーブルに乗り出してきた。

共有ラウンジで繰り広げられる見慣れないクラフト作業に、彼女の勇者としての好奇心が刺激されたらしい。

 

「それならアリスさんには、私がミレニアム流のクリスマスカードの作り方を伝授しましょう!」

 

「ちょっとコユキちゃん! アリスちゃんにそんな変なこと教えないでよ! アリスちゃん、こっちでトリニティ流のクリスマスカードの作り方を学ぶのがいいよ」

 

嬉々として現世的な短期的利益を吹き込もうとするコユキ、対してミカが慌てて牽制し、アリスに利他的な公助精神を説こうとしていた。

少女たちの笑い声と文房具類が奏でる様々な工作音が、暖かなラウンジの空気に溶けていった。

 

 

そしてタグは黙々と数枚のカードの文面を書き終えた。

 

「メリークリスマス」という単語と、短い挨拶文、そして今後も永続的な関係を願うという簡潔な感謝の意だけが綴られている。

 

タグは最後に、インクパッドとあるものを手元に寄せる。

それは先日、エンジニア部から借りたルーターを使い、アクリルブロックを削り出して作ったハンコだ。

緑のインクパッドにそれを押し当て、カードの右下の余白に、無言で、しかし確かな力を込めて押し付ける。

そして、アクリルブロックを持ち上げる。カードには、緻密に彫り込まれた『横側から見たスコープドッグの頭部』の紋章が、緑色の印影となって鮮やかに残されていた。

 

 

 

――数時間後。

 

冬の足音が近づくシャーレの廊下は、空調が効いているにもかかわらず、どこか冷んやりとした空気が漂っていた。

 

錠前サオリは、病院から持ち込みが許可されたお菓子類が詰まったショルダートートバッグを左肩に、壁際に立て掛けていたアサルトライフルを右肩に担ぎ直した。

彼女の周囲には、同じように片手に武器を、反対側の肩には大型バッグを提げた――中はぬいぐるみやコミック類、小ぶりなおもちゃ類が詰まっている――を提げた戒野ミサキ、槌永ヒヨリ、そして秤アツコの姿がある。

彼女たち四人は、これからトリニティ自治区の都市部に設けられた総合病院へ向かう予定だった。

 

エデン事変以降、アリウス分校の生徒たちの多くは現在トリニティ総合学園の監視下で保護を受けている。その中で、明らかに入院が必要な生徒は少なくない。

そんな生徒のために自費で買いそろえた見舞い品を携えて様子を見にいくことは、四人の重要なルーチンワークの一つになっていた。

 

「準備はいいな、これからトリニティの支配下に立ち入る。今はシャーレの一員であるとはいえ、気を引き締めて――」

 

サオリが小隊長としての鋭い視線を向けた、その時だった。

 

「ちょうどいいところにいた、サオリ。いつもの病院通いでトリニティへ行くのなら、ついでにこれを届けてくれ」

 

廊下の奥、固い足音とともに現れたのは、いつもの背広の上に白衣を纏った小柄な兵士――タグだった。

サオリは反射的に姿勢を正し、ミサキたちもそれに倣う。彼女らにとって、この『シャーレ実働部隊の隊長』は、単なる上司という枠をとうに超えている。

先生と共に、絶望の泥沼から自分たちを引きずり上げてくれた恩人なのだ。とはいえ、先生に比べれば、親しみやすさよりは畏怖が先立つのは仕方のないことだった。

 

「これを、ですか?」

 

彼女の視線の先、タグの手には見たことが無いものが握られていた。

それは複数のカラフルな封筒を束ねたものである。表面には赤や緑の画用紙が使われ、可愛らしい星や雪の結晶のシールが貼られている。

それを差し出すタグの鉄面皮からは、いつも通りに一切の感情が読み取れない。その平坦でしゃがれた声には、作戦説明書や指導書を手渡す時と何ら変わらない、極めて事務的で冷たい響きがあった。

 

「宛先はそれぞれカードの表に書いてある。頼んだぞ」

 

「了解した」

 

サオリが反射的にそのカラフルな束を受け取ると、タグは「任務ご苦労」とでも言うように短く頷き、すぐに踵を返した。

軍用ブーツの硬い足音だけを残し、彼は迷いなく廊下の角を曲がって姿を消す。

 

残された四人は、廊下の真ん中でその派手な封筒の束を取り囲むように集まり、まるで爆発寸前の不発弾でも見下ろすかのように、極めて深刻な顔で見つめ合っていた。

サオリの顔に、冷たい緊張感が走る。

 

(……あの隊長が、意味のない真似をするはずがない)

 

サオリは、手の中にあるファンシーな封筒の重みと、タグの兵士らしい立ち振る舞いを脳内で結び付け、猛烈な勢いで思考を回転させ始めた。

徹底した合理主義者であり、無駄を嫌う兵士。必要であれば自身の命を天秤に乗せることを躊躇わない彼が、わざわざ『ついでに』などと語って、自分たちにこの謎の物体を託したのだ。

彼らしくないように見える行動が、サオリにあらぬ方向への思考を強制していた。

 

(これは……トリニティに向けた何らかの工作、あるいは重要な暗号通信では? つまりアリウススクワッドに託された、シャーレの極秘ミッションに違いない!)

 

あらぬ方向へ向かった思考は、予定調和のごとく戦術的な極論へと振り切れた。

 

――しかし彼女達からすれば無理もない話だ。

長年、内乱とそれに続くベアトリーチェの圧政によって苦しみながら生きてきた彼女たちにとって、『クリスマス』や『季節の挨拶状』といった平和な文化の概念は、知りようが無かった。

となると、このような形で渡されたものは、『暗号』か『作戦指示書』、そして『爆発物』のいずれかに変換することしか出来なかったのだ。

それに加え、タグに対する畏敬と絶対的な信頼が、『巧妙な言葉に隠された命令=シャーレによる重大任務』という致命的な深読みを発生させていた。

 

「宛先があるカードってことは何かの挨拶文か手紙? ……そんなわけないでしょ。こんな派手な色の封筒が隊長の趣味とは思えない、ましてや無意味なわけが。……絶対になにか裏がある」

 

裏があるという間違いを引き起こし、ただの手紙であるという正解を迷いなく切って捨てるという二重に致命的なミスを犯すミサキ。

 

「隊長、午前中はずっとなにか工作していたそうですけど、その正体がこれなんでしょうか?」

 

ヒヨリは、最初こそ的外れな妄想を起こすものの、すぐに冷静に戻る。

 

「もしや、爆弾とか致死性の毒が同封された手紙ですか!? ……けどそんなの、隊長が私達に運ばせるわけがないんですよね。じゃあやっぱりなんでしょうか、これ」

 

大真面目に手紙の正体を探るヒヨリとミサキ。そして宛先のリストに、ティーパーティーやシスターフッド、救護騎士団の名を確認して顔を強張らせるサオリ。

そんな仲間たちの様子を、普段通りにフルフェイスの防護マスクをつけたアツコだけが、静かに見つめていた。

 

 

アリウス分校の生徒会長を代々引き継いできた血統――ロイヤルブラッドである彼女は、この四人の中で唯一、これが何であるかを知っていた。

ベアトリーチェが来る前の、自治区がまだ辛うじて小康状態を保ち、わずかながらの平穏が存在していた時代。

幼い頃の彼女には、これが『クリスマスカード』と呼ばれる、親しい者へ感謝を伝えるための祝祭の贈り物であるという温かい記憶が残っているのだ。

 

(ただの可愛いお手紙なんだけどな)

 

アツコはマスクの奥で、クスリと笑い声を漏らした。

封筒に描かれているバケツを逆さまにして被った雪だるまや、黄色い星のシールを見れば、明らかにクリスマスシーズンを表現している――これが暗殺用の爆発物や毒物などではないことは明白だった。

しかし、大真面目な顔をして「タグから下された暗号に隠された任務の推論」を立てようと額を突き合わせているサオリたちの姿が、アツコにはどうにも愛おしく、そして面白かった。

 

(……とりあえず様子見でもいいかな)

 

だからアツコは、あえて「それはただの挨拶状だよ」という種明かしを口にせず、知らないフリをしてスッと視線を伏せた。

 

 

「どうしたんですか、皆さん? なんでそんな、起爆数十秒前の時限爆弾の解体をミスった時みたいな顔で集まってるんです?」

 

その時だった。

背後から、ひどく場違いな、底抜けに明るい声が響いた。

宛がわれた自室へ戻ろうとしていたミレニアム……いや、キヴォトス有数のトラブルメーカー、コユキだ。

彼女はサオリの手元にあるカラフルな封筒の束を見ると、不思議そうに首を傾げた。

 

「あれ? それ、さっきオジサンが作ってたクリスマスカードじゃないですか」

 

「くりすます・かーど……? それが、このカードに記された暗号のコードネームか? 知っているなら詳細を聞かせてくれ、コユキ」

 

サオリが弾かれたように振り返り、鋭い猟犬の眼光でコユキを睨みつけた。極めて真面目な、殺気すら帯びたトーンの問い返しだ。

 

「は? 暗号? いえいえ、何言ってるんですか。ただの季節の挨拶状で……」

 

コユキが呆れ顔で否定しようとした、まさにその瞬間だった。

彼女の脳裏に、数日前のミレニアム・セミナーの執務室での、先輩である早瀬ユウカとの会話が、電撃のような閃きを伴ってフラッシュバックした。

 

 

『はぁ……、トリニティのナギサさんに、うちで定番の警備ドローンと監視システム一式をプロモーションしてきたんだけど……採用は微妙かもしれないわね』

 

大量の書類仕事の合間に、外出から帰ってきたユウカは、疲労の色を隠せない様子でミネラルウォーターのペットボトルを手に取り、深々と溜息をついていた。

 

『えっ、どうしてですか? あそこの学園、ミレニアムの比じゃないくらいお金持ちで予算も余ってるのに?』

 

ミカの金回りの良さや、トリニティの規格外の金満ぶりを知っているコユキは、素直に驚いて聞き返した。

 

『いわゆる既得権益の問題よ。トリニティの警備は昔から、正義実現委員会やシスターフッド、各派閥の私兵によるマンパワーで構築されているでしょう?

その体制を機械の導入によって急に変えたくないって、既存の警備勢力や保守派の生徒たちから反対されちゃったみたいなの。……伝統がどうとか、歴史がどうとかって理由でね』

 

ユウカは悔しそうに唇を噛んだ。

 

『採用されれば、ミレニアムの財政に定期収入をもたらす優良な契約になるから、色々とプレゼンを作って頑張って交渉したんだけどね……。残念だけど伝統の壁は厚かったわ』

 

疲れた顔でミネラルウォーターを口に含むユウカの姿。

 

 

コユキにとって、ユウカはよく説教してくるおっかない先輩ではあるが、同時にミレニアムに入学する前から面倒を見てもらっている大好きな姉のような人である。

――その先輩の努力が、古臭い「伝統」や「既得権益」などという、ミレニアムの生徒からすれば一ミリも合理的でない理由で無駄になる。

ミレニアムの生徒として、そして可愛い後輩として、それは見過ごせない事態だった。

 

コユキの瞳の奥に、ギラリと、極めて打算的で危険な光が宿った。

 

(……でも、もしその『伝統的で絶対の自信を持っている人力の警備』が、外部からの侵入者によって、あっさりと、それも完全に突破されたらどうなります?)

 

コユキの頭脳――幼子特有の『後先を考えない向こう見ずさ』と、ミレニアムの生徒特有の『極めてロジカルな思考』のハイブリッド――が、猛スピードで最悪のシナリオを組み上げ始める。

 

今回、タグが作成したクリスマスカードの送り先には、トリニティの最高権力者であるティーパーティーの桐藤ナギサ、シスターフッドの歌住サクラコ、救護騎士団の蒼森ミネが含まれている。

トリニティの中枢であり、最も強固な警備が敷かれているはずの彼女たちの私室。そこに、誰にも知られぬ間にクリスマスカードが置かれていたとしたら?

 

(置かれたカードの正体は何であれ、既存のアナログでチープな警備に対しての責任問題は絶対に免れません。そうなれば、トリニティの首脳陣は、あの保守派の連中を黙らせてでも、

ミレニアムの最新式無人警備システムの導入を真剣に検討せざるを得なくなる……!)

 

そして何より都合がいいことに、目の前にいるのは『ただの運び屋』ではない。

かつてエデン事変においてトリニティの体制を多方向からズタボロに引き裂いた実績を持つ精鋭、アリウススクワッドだ。

 

(万が一、警備に見つかったとしても、「隊長からのお使いで、クリスマスカードをこっそり届けようとしただけの、可愛い勘違いでした」と言い訳すれば、実害はないわけですから穏便に事態を収拾できます!

リスクは最小、リターンは最大……!)

 

コユキの表情が、ニタァ……と下品に歪んでいく。

 

(完璧……! あまりにも完璧な盤面コントロール! この作戦が成功すればユウカ先輩の大型商談は成立し、それを裏で手を引いた私の評価もうなぎ登り! 私ってば、どうしてこんなに天才なんでしょうか!)

 

コユキは内心で万歳三唱しながら、笑いが止まらなくなるのを必死に堪えていた。

その結果、彼女の態度は傍目から見ても異常なほどに増長し、胸を反らせて過剰に得意げなオーラを放ち始めていた。

 

コユキはわざとらしく咳払いを一つすると、大げさな身振り手振りを交えながら、ニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべてサオリたちを見た。

 

「にははは! 実はですね、皆さん! 『クリスマスカード』というのは、宛先のターゲットに一切気付かれぬように、『起きた時、見える場所に置く』という、隠密ミッションの隠語なんですよ!」

 

「……なんだと?」

 

サオリの表情が、不審を抱えたそれから、明確な『戦士』のそれへと引き締まる。ミサキとヒヨリも、コユキの言葉に息を呑んだ。

 

「いいですか、皆さん! トリニティの警備は古臭いマンパワーに頼った時代遅れの産物です! 私が特別に、監視カメラなどの機械的センサーはすべてハッキングで無効化してあげますから、皆さんはただ、持ち前の技術でターゲットの懐に忍び込み、これを置いてくるだけでいいんですよ!」

 

 

ビシッ、と無駄にキレのあるポーズで指を突き出し、四人を煽り立てるコユキ。

その顔には「自分は完全に安全圏からチェスの駒を動かしているプレイヤーだ」という、底抜けの慢心と優越感が貼り付いていた。

――彼女には想像すらできていなかった。

自分が今、とんでもない質量の火薬庫に、自ら火のついたマッチを放り込もうとしていることを。

この『完璧な悪巧み』が露見した際、ミカを含むトリニティの怪物たち、目の前にいる本物の猟犬、そして先生とタグ、RABBIT小隊の面々から、どのようなお仕置きを受けることになるのかを。

 

 

「……なるほど。ミサキとヒヨリが信頼するお前の電子的支援があるのなら、作戦の成功率は飛躍的に跳ね上がるな」

 

サオリが、コユキの打算と企みなど露知らず、純粋な戦術的観点から深く頷いた。

 

「隊長は、そこまで見越して我々にこれを託したのか。トリニティ首脳陣へ『いつでも我々はそこに到達できる』という防衛の脆弱性を突きつけるための、高度な政治的デモンストレーション……。いいだろう。この任務、我々アリウススクワッドが必ず完遂してみせる」

 

完全にあらぬ方向へのスイッチが入ったサオリの冷徹な声に、ミサキが(……厄介なことになった)と小さく溜息をつく。

ヒヨリも「夜間作戦ですか……こういう時こそカフェイン、飲んでもいいですよね」と諦め半分の泣き言を漏らす。

 

そんな彼女たちのやり取りを背後で聞きながら、アツコだけが、無邪気な笑みを隠すようにフードの奥で小さく肩を揺らしていた。

 

(ここは、コユキの浅はかな計画に乗せられてあげるのが、一番面白いかな)

 

アツコがすべてを理解した上で、この悪戯をサオリ達との楽しい思い出作りとして利用していることに、自称・盤面の支配者であるコユキは、最後まで気付くことはなかった。

 

 

 

その日の夜遅く、シャーレの地下深くに位置する作戦室。

本来ならば厳重なセキュリティで閉ざされているはずのその空間は今、一人の天才ハッカーによって完全に私物化されていた。

 

「にはははっ! チョロいです! トリニティの糞ザコ警備網は、私のほうで完全に掌握しました!」

 

メインモニターの青白い光に照らされながら、コユキが高らかに笑い声を上げる。

彼女の指先が、流れるような手つきでキーボードを叩き続ける。

勝手に電子錠を解除し、勝手に入室履歴を改ざんし、勝手に作戦室の使用記録を抹消する。その手際は、犯罪的だが同時に芸術的ですらあった。

 

彼女の視線の先、巨大なスクリーンに映し出されたトリニティ総合学園の校内マップ。

そこに点在する監視カメラや接触感知型センサー、赤外線トラップのアイコンが、彼女のタイピングに合わせて次々と『コユキのコントロール下にあること』を意味する緑色へと切り替わっていく。

悪戯は完璧でなければならないという彼女の美学と、明星ヒマリでさえも自分には敵わぬと豪語する最高峰のハッキング能力をもって、他学園のセキュリティシステムを容赦なく蹂躙していた。

 

「あとは、時代遅れなマンパワーによるモブの目だけです! アリウスの皆さんのスニーキングにかかれば、あくびをしていてもバレませんよ!」

 

誰もいない作戦室で、コユキは背もたれに深く寄りかかり、過剰に得意げな身振り手振りで絶対の安全宣言を打ち立てる。

彼女の脳内ではすでに、トリニティ首脳陣の部屋に堂々とカードが置かれたことで既存の警備網が崩壊し、ユウカが推し進める『ミレニアム製最新式無人警備システム』の商談が成立している未来しか見えていない。

 

(これでユウカ先輩の苦労は報われ、トリニティは最新警備システムで今後は万事安全! いやー、私ってば本当に、キヴォトスを陰から操る天才フィクサーですね!)

 

その慢心の極みにある彼女は、自分が今、マッチを投げ終えたことを微塵も理解していなかった。

 

 

同時刻、トリニティ自治区の郊外。

一般の生徒が寄り付かない廃墟区画の奥深く。かつてエデン事変の際にアリウス分校が埋伏させていた、いくつもあるセーフハウスの一つに、四つの影が音もなく滑り込んだ。

 

ひんやりとした空気に、微かな埃とコンクリートの匂いが混じる暗い室内。

サオリをはじめとするアリウススクワッドの四人は、手慣れた動作でシャーレ支給の戦闘服を脱ぎ捨て、作戦用の装備へと換装していく。

持ち出してきたのは、光の反射を抑えたマットブラックのスニーキングスーツ。体に密着する特殊繊維が衣擦れの音を殺し、足元は衝撃吸収に長けた静音ブーツへと履き替えた。

 

「武器の点検を」

 

サオリの短い指示に、全員が無言で従う。

いつもの取り回しに慣れたアサルトライフルや重火器では、暗闇での隠密行動において不自然に目立ちすぎる。それらはセーフハウスに置いていくことにし、代わりに

四人ともサイレンサーを装着した拳銃を腰のホルスターに収めた。

暗視ゴーグルを額に載せ、タクティカルベルトには催眠ガスやピッキングツール、そして――タグから預かった、可愛らしいシールの貼られたカラフルな封筒を納めた防水ケースが、厳重に固定されていた。

 

サオリは、部屋の中央にコユキから送られてきたホログラムマップを展開し、その前に進み出た。

 

「作戦ルートの最終確認を行う。隊長から渡されたカードの宛先は多い。個人宛がティーパーティーの桐藤ナギサ、シスターフッドの歌住サクラコ、救護騎士団の蒼森ミネ。さらに剣先ツルギ、羽川ハスミ、若葉ヒナタ、古関ウイ、鷲見セリナだ」

 

淡々とリストを読み上げるサオリの声に、一切の感情はない。

 

「そして組織宛てが、正義実現委員会、シスターフッド、図書委員会、補習授業部、救護騎士団、トリニティ自警団となっている」

 

「ごほっ……補習授業部は元ティーパーティーの百合園セイアがいるからわかるとして、トリニティ自警団と隊長は何か縁があった?」

 

ミサキが、埃を吸ってしまったのか、咳き込みながら尋ねる。

 

「ああ……エデン事変で、先生が緊急搬送された時に大変世話になった関係だと聞いている。隊長からすれば、確かな恩人にあたる」

 

サオリの声が、微かに沈む。

暗いセーフハウスの中で、彼女の青白い顔に、消し去ることのできない自責の念が苦々しく張り付いていた。

先生の腹部を撃ち抜き、死の淵へと追いやったのは他ならぬ自分だ。その尻拭いをしてくれた者たちへ、タグが義理を通そうとしている。

 

それを聞いた瞬間、ミサキは(……しまった、指摘する必要なかったな)と、僅かに視線を泳がせた。

 

「……まあ、恩人は大事にしないとね」

 

ミサキが、自らが踏み抜いてしまった地雷を誤魔化すように、ひどく不器用にフォローの言葉を投げる。

そのぎこちない気遣いに、サオリも小さく息を吐いて(……気遣わせてしまったな)と目を伏せた。

かつて、虚無に蝕まれていた頃なら、そのまま刺々しい沈黙に陥り、互いの傷を抉り合っていたかもしれない。だが今の二人の間には、不格好ではあるが、互いを思いやる確かな関係性の変化が生まれていた。

 

「ねえ。組織の長宛てと、組織宛てのカードは、一緒の場所でいいんじゃない?」

 

重くなりかけた空気を変えるように、アツコが穏やかな、鈴の鳴るような声で提案した。今回のミッションにおいては防護効果よりもコミュニケーションを重視し、防護マスクは外しているのだ。

 

「確かに、別々に配る必要はないな。任務の難易度と侵入のリスクも下がる」とサオリが即座に同意し、全員が頷く。

 

アツコは大真面目に『暗号配達』のルートを構築している仲間たちの姿に、内心では微笑んでいた。

 

 

ルートの精査を進め、やがてサオリが標的への侵入難易度を分析し終えた。

 

「高い順からサクラコ、ナギサ、そしてその他というところか」

 

サオリの黒いグローブに包まれた指先が、マップ上のシスターフッドの宿所へと伸びる。

 

「歌住サクラコ率いるシスターフッドは、歴史的にも防諜、侵入対策に長けている。コユキのハッキングでも無効化できたものはあまりない――つまりシスターたちによるアナログな夜間巡回網が厚いということだ、細心の注意を要する。

次は桐藤ナギサ。ティーパーティーのトップゆえに防衛線は幾重にも張られているが、正規の警備隊が主であるため、シスターフッドに比べて動きの予測は立てやすい。こちらは多くの警備システムを秘密裡に制圧してある事実も考えれば、この順だ」

 

「あの……ウ、ウイさんも、難易度を1ランクあげたほうがいいです……」

 

マップの端を見つめていたヒヨリが、おずおずと手を挙げた。

現在進行形で、様々な雑誌や文庫本を求めてトリニティの図書館に通い詰めている彼女だからこその、極めて実感を伴った視点だった。

 

「ウイさん、いつも古書館で寝泊まりしてるんですよ。その中は積み重なった古書が、ちょっとした衝撃で雪崩を起こす、物理トラップのようなものもたくさんあって。

結果、ウイさんがどこにいるのか、どこが『起きた時、見える場所』になるのか、全く予想がつかないんです……。さらに言うと、昼間に眠たそうにしている時があって、深夜に徹夜作業している可能性が高いです」

 

ヒヨリの正確かつ、切実な報告にスクワッドの面々は無言で顔を見合わせた。

 

今回の主目的は『ターゲットに気づかれず、起きた時、見える場所にカードを置くこと』である。

起きる場所や時間が不規則で、かつ活動中かもしれない相手の懐に潜り込むのは、決まったベッドで寝ているターゲットに比べれば遥かに作戦リスクが高い。

 

「……なるほど。徹夜をしているウイが我々を発見するリスクや、配置場所を誤るリスクが高いな」

 

サオリが腕を組み、深刻な顔で思考の海に沈む。

やがて、彼女は小隊長として、最も合理的かつ確実な戦術的結論を口にした。

 

「そのイレギュラーが発生した場合、発見される前に背後から睡眠薬を吸わせて無力化する。その後、ちゃんとしたベッド、あるいは安全な場所に寝かせた後、確実に視界に入るよう顔の真横に『クリスマスカード』を配置する。……これでいく」

 

「「「異議なし」」」

 

ミサキ、ヒヨリ、そしてアツコは外見上は真面目な顔を取り繕った上で、一斉に頷いた。

 

(今のは危なかったな)

 

あまりにあんまりな手に、思わずアツコは吹き出しそうになったが、わざと咳き込むことで誤魔化しきれた。

 

聖なる夜の祝詞、メリークリスマスの一言を届けるためだけに、ターゲットを薬物で昏睡させるという、倫理観が完全に欠落した手段。

彼女たちは、その軍事思考の根本的なズレに一人を除いて疑問を抱くことなく、暗闇のセーフハウスを後にした。

 

 

病院訪問後、シャーレにとんぼ返りしたアリウススクワッド。完全武装で再度シャーレを出発し、冷たい夜風を切って走る電車でトリニティへと向かっていたまさにその深夜。

当の侵入先であるトリニティ総合学園の中枢、ティーパーティーの専用会議室には、煌々と明かりが灯っていた。

分厚い防音扉と、堅牢な大理石の壁に守られた密室。アンティークのシャンデリアが放つ暖かな光の下、豪奢な円卓を囲むように五つの影が落ちている。

深夜の学園は静まり返っている。警備は少数の精鋭と、各組織の信頼できる私兵のみで構成されていた。

 

「――では、来年のティーパーティー候補の選出会議を始めます」

 

円卓の上座に座る桐藤ナギサが、静かで、しかしよく通る声で宣言した。

深夜の非公式会議。この場に集められたのは、現ティーパーティーであるナギサとサクラコ、ミネの三人。そして、元ティーパーティーとしてミカとセイアの二人を含む合計五人のみだ。

肩書きこそ様々だが、事実上現在のトリニティ総合学園を構成する最大派閥のトップたちが一堂に会していたのだ。

 

 

「まず、私の派閥であるフィリウスについてですが……」

 

ナギサは、自らの手元にある書類に視線を落とし、淡々と告げた。

 

「エデン事変以降、中小派閥を吸収しすぎた結果、フィリウスは肥大化しすぎました。現在は私が全ての決裁と調整を行ってなんとか制御できていますが、これが将来の代にまで続けられるとは到底思えません」

 

その涼しげな言葉の裏にある『現実』を、会議室にいる他の四人は嫌というほど知っていた。

事変以降、機能不全に陥ったパテル派の離反組、セイアが療養することによって結果的に分裂したサンクトゥス派など、無数の派閥がホストであるナギサを有するフィリウス派の元へと流れ込んだ。

その結果、フィリウスは意思決定に膨大な時間を要する「鈍重な巨人」と化している。

ナギサは涼しい顔で、その鈍重な巨人をコントロールしているが、他者から見れば明らかに不可能ごとを可能にしている偉業であった。

 

(その巨人を事もなげに操縦していること自体が異常である、という指摘は……無理か)

 

四人が全く同じ意見を内心で共有し、しかし確かな畏敬の念を込めて視線を交わした。

 

「私の後任となる次期候補者はもう決まっております。ですが、この歪に膨れ上がった派閥をそのまま次代へ引き継がせるのは、あまりにもよろしくありません。断言してもいいですが、このままの状態で私が卒業した場合、間違いなく内乱が起きるでしょう」

 

カチャリ、と。ナギサが、微かな所作の乱れもなく、優雅な仕草でティーカップをソーサーに置いた。

静まり返った会議室に、硬質で乾いた陶器の音が響く。それを合図とするように、彼女は極めて冷徹な、ホストとしての鋭い視線でテーブルを見回した。

 

「ですのでいっそ、私が責任者である内に、フィリウスには『内部分裂』していただこうかと考えています」

 

「ちょっとナギちゃん、それはさすがに良くないと思うよ!?」

 

爆弾発言に対し、ミカが思わず立ち上がった。美しい造形が刻まれた木椅子が突然立ち上がったことにより、乱暴に軋む音が室内に響く。

自身の派閥を意図的に解体する――それは学園で築き上げたキャリアを自らの手で破壊する、自滅行為に等しい。親友の過激な提案に、ミカは待ったをかけた。

しかし、ナギサの表情は微塵も揺るがない。

 

「エデン条約破綻の件で、私個人の名誉はすでに地に落ちています。今さらですよ、ミカさん」

 

疑心暗鬼に囚われ、大切な友人を理由にして無関係な人を切り捨てようとした過去。その罪は、未だにナギサの中から消えることはない。

自らをトリニティの『膿』として扱い、全ての責任とヘイトを一人で背負い込んだまま、派閥を解体し次代への地均しを行うという凄絶な覚悟。

その潔すぎる、痛々しいほどの断言に、ミカは反論の言葉を失い、悲しげに眉を寄せた。

 

「……フィリウスの混乱に関しては、私たち他派閥は傍観するだけでいいということで?」

 

ミネが、鋭い視線で確認を入れる。

ナギサのあまりの覚悟に、握ったティーカップをソーサーに触れる直前まで震えさせていた彼女もまた、救護という目的のために政治を利用する強かさを持っている。巨大派閥の崩壊は、決して対岸の火事ではない。

 

「トリニティの歴史を鑑みればよくあることさ。巨大すぎる派閥は、一度主導権を手放し、細分化させた方がむしろ好き勝手できるというものだ。下手に介入すれば、火の粉を被るだけだろうね」

 

セイアが制服の袖で、口元を隠しながらあっけらかんと補足した。

 

「それで、ナギサ様がお決めになられた『次期候補者』はどなたでしょうか?」

 

サクラコの静かで、しかし核心を突く問いかけに、ナギサは一切の迷いのない声で、はっきりとその名を口にした。

 

「阿慈谷ヒフミさんにお願いしようかと」

 

その名が出た瞬間、会議室の空気が微かに揺れた。

トリニティの平凡な生徒の代表格。しかし同時に、トリニティを揺るがす大事件の中心に立ち、先生からの信頼も厚い少女。

 

「……補習授業部に移られてからのセイアさんより頂戴したレポートは読みました。彼女がブラックマーケットを騒がせた覆面強盗団のリーダー、『ファウスト』であるという事実。正直、眩暈を覚えるほどのショックを受けましたが……」

 

ナギサは頭痛を堪えるようにこめかみを指で押さえ、深い、底知れぬ疲労を滲ませる。

しかし、彼女はすぐにホストとしての冷徹な顔へと戻り、言葉を紡いだ。

 

「実利面からいえば、むしろ朗報です。一度だけとはいえ裏社会を手玉に取り、悪名高い犯罪者たちを指揮する手腕と度胸。そして何より、表の『ヒフミさん』自身が持つ人望とリーダーとしての資質。ティーパーティーの候補者としては、有望そのものです。……彼女の平凡さという皮を被った異常性こそが、分裂した派閥を再編する核となるでしょう」

 

ナギサの極めて論理的で冷徹な評価に、セイアが満足げに頷いた。

実は、補習授業部でヒフミと行動を共にしていたセイアが、彼女の正体や奇行癖(ペロロマニア)、そして人を問わぬコミュニケーション能力と優れた決断力を、詳細なレポートとしてナギサへ『横流し』していたのだ。

それもすべて、セイア自身の強かな計算に基づくものだった。

 

「私も、彼女がティーパーティーに加わってくれることには賛成だよ。なにせ、私の『ホストの仕事』が格段にやりやすくなるのは間違いないからね」

 

セイアは頭の上のキツネ耳をピコピコと嬉しそうに揺らした。

 

(来年、私が三年生になってティーパーティーに復帰し、改めてホストの座に就く。その時、誼を通じたヒフミが隣にいれば、これほど心強いことはないからね)

 

長期療養による出席日数不足で留年という屈辱的な痛手を負ったセイアだが、すでに彼女の視線は来年からの学園の安寧を見据えている。

権力欲が薄いヒフミではあるが、「ティーパーティーの特権を利用すれば、限定のペロログッズが集めやすくなる。……グッズを取り扱う企業も、ティーパーティーが相手なら色々と便宜を図ってくれるだろうね」

とでも説得すれば、あっさりと陥落させられるという絶対の確信が、セイアの腹黒い笑みと揺れる耳に表れていた。

 

 

「……ここまでは順調に進んだとして。次が問題です」

 

ナギサが手元の資料をさらに一枚めくり、微かに疲労の滲む息を吐いた。ここからが、この会議の真の難所だった。

 

「パテル派の次期候補者についてですが」

 

「ごめん、パテルは候補者挙げられないや」

 

ミカが、本当に申し訳なさそうに肩をすくめる。

それを聞いたサクラコも、沈痛な面持ちで静かに首を横に振った。

 

「シスターフッドからも、条件を満たせる生徒を挙げるのは難しい状況です」

 

パテル派は、トリニティにおいて武力を尊ぶ一派だ。次期代表には、ミカほどではないにせよ、武闘派の生徒たちを力でねじ伏せ、あるいは心服させるだけの相応の『能力』が求められる。

政治的な実務能力者ならサクラコ側でいくらでも用意できたが、武力面も兼ね備えた、誰もが納得する人材となると、選出は困難を極めていた。

 

「ヒフミさんのように、在野からお呼びするのはどうですか?」

 

ミネの真っ直ぐな提案に、ミカが困ったように笑う。

 

「それも考えたんだけどね。ウチの学園って二年生の層が、思ったより薄いのよ。有力な子たちは、みんなすでに別の組織の要職に就いちゃってるし」

 

「名が通っている二年生といいますと、まずイチカさん。しかし彼女は来年、正義実現委員会の委員長が内定しています。スズミさんは……少し難しいですね。立場もそうですが、彼女は自警団としての現場の活動を重んじていますから、本人の気質的に間違いなく断るかと思います」

 

サクラコが、手元の資料のデータを見ながら理路整然と候補を潰していく。

 

「セリナもダメですね。彼女は次期救護騎士団の団長候補ですし、あの子は政治には興味がありません。そもそも気質的に政治活動には向いていません」

 

ミネが力強く首を振る。そもそも現団長のミネがティーパーティーに加入している状況がイレギュラーなのだ。

では、残る実力者と言えば――セイアが心底呆れたように苦笑した。

 

「ハナコは論外だね。私やヒフミの副官として手伝う程度なら、彼女も積極的に動いてくれるだろうけど。……ティーパーティーの代表という『縛り』を願うのは絶対に無理だ。

それこそ、反発して今よりもっとすごい奇行――全裸でティーパーティーの演説を行うといった暴挙を見ることになるよ? 申し訳ないが彼女を誘う場合、私はティーパーティーを降りさせてもらう」

 

全会一致でハナコ案が秒殺された。

室内に、重苦しい沈黙が降りる。武力、知力のいずれかを備え、トリニティの生徒が納得する背景を持つ者。そんな都合の良い人材など――。

その時、ナギサがふと、一人の名前を口にした。

 

「……アズサさんはどうでしょう」

 

「アズサちゃん?」

 

ミカが、予期せぬ名前に目を瞬かせる。

 

「前例が無く、難しいのは承知しています。パテル派が求める能力面という一点では、彼女は合格ラインです。問題は『アリウスからの転校生』をパテルのトップに据える場合に起きる絶対的大多数からの反発です」

 

ナギサはそこで言葉を区切り、円卓の向かいに座るミカを真っ直ぐに見据えた。

 

「そこでミカさんがアリウス分校から連れてきた理由を歪曲し、『最初から自分の後釜として連れてきた』という名目にすれば、どうでしょうか?」

 

それは、強引極まりない政治的な後付け。

もともとアズサは、トリニティとアリウスによる友好の橋渡しが可能であることを証明するために、ミカが秘密裏に招き入れた存在だ。

その事実を「次代のトップを育成するためのスカウトだった」とすり替えるという提案に対して、ミカの瞳が微かに、しかし確かな光を帯びて見開かれた。

 

「……とんでもない後付けだけど、なくもないかなって感じ」

 

表面上は冗談めかして、いつものように軽く笑いながら。

しかしミカは、テーブルの下で自らの両手の指先を、爪が食い込むほどにきゅっと強く握りしめていた。

 

(結果的にアズサちゃんには辛い役割をたくさん押し付けちゃったしね、私)

 

自分の身勝手な陰謀に巻き込み、結果として過酷な運命を強いてしまった生徒。

今となっては、一人の可愛い後輩として陰で見守っていた――そんな彼女を表舞台に引きずり込むのは果たして正しいのだろうか?

その疑問を解消せずに事を進むわけにはいかなかった。

 

「まず最初にアズサちゃんに意思確認をする――これが絶対条件。その上でアズサちゃんが引き受けるっていうのなら、私は微力を惜しまないよ」

 

「意思確認に関しては私の方で話そう。ヒフミの件と一緒に伝えたほうが話がこじれないだろうしね」

 

セイアが深く頷く。最大の懸案事項に関して一つの解決法を、こうして生み出したのだった。

 

 

 

その時だ。セイアが、ふいに言葉を切り、頭上のキツネ耳をピンと立てた。

彼女は手元の資料から顔を上げ、窓の外――トリニティの夜の闇へ向かって、探るような、ひどく冷たい視線を向ける。

 

「……どうかしましたか、セイアさん?」

 

突然の沈黙に、ナギサが怪訝そうに問いかけた。

セイアは袖を口元に当て、微かに眉をひそめたまま、円卓に座る四人にだけ聞こえるよう低く呟いた。

 

「私のカンが、ひどくざわつくね。……奇妙だ、異なる方向から複数感じるものがあるが……合流しようとしている?」

 

その一言が発せられた瞬間、円卓を囲む四人の表情から、政治的な駆け引きの余裕が完全に消え去った。

 

予知夢という神秘を失ったセイアだが、それに代わるように開花した彼女の『直感』は、もはや超常的な危機回避能力として機能していた。

エデン事変以降の混乱期において、偶発的な書類の些細な不備から連鎖しかけた学園規模の騒動、トリニティ敷地内で起きたテロ、果ては不運の積み重ねで発生した突発事故に至るまで。

セイアが『カンに障る』と口にした不吉な予感は、これまで一度の例外もなく最悪の事態を的中させ、事前に対処を促すことでティーパーティーを幾度となく壊滅の危機から救ってきたのだ。

 

だからこそ、この場にいるトリニティの最高権力者たちは、彼女の直感を「たかが気のせい」と笑い飛ばすような愚かな真似は絶対にしない。

 

(セイアさんがここまで明確に警告を発するということは、看過できない『何か』が今、この学園に潜んでいるということ……!)

 

ナギサは即座に思考を非常時へと切り替えた。

 

「……サクラコさん、ミネ団長。念のため、各組織の夜間巡回部隊に警戒レベルの引き上げを指示してください。我々の防衛網の隙を突く、何者かが侵入した可能性があります」

 

その声に、サクラコとミネが無言で力強く頷き、即座に各自の通信端末へと手を伸ばす。ミカもまた、いつでも迎撃に出られるように備える。

 

深夜の静寂に包まれていた白亜の会議室は、セイアのたった一言によって、一瞬にして見えない敵を迎え撃つための基地へと変貌したのだった。

 

 

 

 

シスターフッドの長、歌住サクラコの私室。

立場を考えると広さはともかく、明らかに質素な部屋――そこでサオリは静かな手つきで、執務机の上にファンシーなクリスマスカードを配置した。

 

(……これで最後だ。総員、撤収ルートへ移行する)

 

作戦はスムーズに進んでいた。目標の部屋にターゲットがいるケースは多かったが、全員が熟睡していた。

消音に長けたスクワッドにかかれば、テーブルや机の上にカードを配置する程度は問題なぞ起きなかった。

これがもし暗殺であれば、殺気を感じて起きた者は間違いなくいただろう。だが、侵入の理由がクリスマスカードを置くという、殺気などとは無縁であることが都合よく働いた

――なおウイのケースは、『予定通り睡眠薬を嗅がされてベッドに寝かされる』という結果となっている。

 

インカム越しに押し殺した声で指示を出し、サオリは音もなく踵を返した。

その時、室内の警戒に当たっていたミサキの肩が、不自然にビクッと跳ねた。

 

「ンッ!……ゴホッゴホッ!!」

 

部屋全体の空気を震わすような大きな咳き込み。

 

ティーパーティーでの業務、シスターフッドの業務、ミカへのマンツーマンによる秘技の指導――普段であれば、私室の掃除を欠かさないサクラコだが個人の時間が大きく減ってしまって以降、私室の掃除を怠っていた。そのツケが、肺があまり頑丈ではないミサキを致命的な一撃として襲ったのだ。

外の様子を伺おうとミサキがカーテンに触れた際、布地から舞い落ちた埃を吸い込んでしまったのだ。

 

普段であれば少し耳障りな生理現象である。

しかし、ここはシスターフッドの本拠地であり、シスターたちが夜間巡回を行っている「死地」のど真ん中だった。

ましてや、主が留守となっている部屋から不審な音がしたという事実。

 

「……今、不審な音が!」

 

「何者ですか! サクラコ様のお部屋に誰かいるのですか!?」

 

分厚い木製ドアの向こう側の廊下から、複数の切羽詰まった声と、重いブーツの足音が急接近してくる。

 

(……主が留守だと安心したのが間違いだったか)

 

サオリの全身から、一瞬にして血の気が引いた。

堅牢な扉の向こう側から、幾人ものシスターの足音がドア越しにサオリの耳に届く。

ミサキはアツコに背中をさすってもらい、ようやく咳き込みが収まったが状況は手遅れだ。

 

(突破するか? いや、ここで交戦すれば、隊長の工作が台無しになる。だが、このままでは完全に包囲されて蜂の巣!)

 

猟犬としての生存本能と、隊長からの任務を無傷で完遂したいという忠誠心が激しく衝突し、サオリの脳内がショートしかける。

ミサキもは自らの失態と絶望的な状況に顔を青ざめさせ、ヒヨリとアツコは銃のグリップを握りしめてサオリの命令を待ち続ける。

 

――もはやこれまで、強行突破という名の作戦失敗に踏み切るしかないのか。

 

サオリが覚悟を決め、拳銃の安全装置に指を掛けようとした、その時だった。

 

「……え?」

 

アツコが、不思議そうな声を漏らした。

冷え切った私室の片隅。重厚な本棚と壁の間に、ぼんやりとした淡い青色の光の粒子が集まり、一つの『人影』を形成していたのだ。

 

それは、現在のシスターフッドのものとは異なる、酷く古風で厳格なデザインの修道服に身を包んだ女性だった。

透き通るような白い肌と、慈愛に満ちた穏やかな瞳。彼女の足元は地についているが、質感が一切感じられず、一切の物音も立てていない。

 

(……ミメシス!けどなんでここに!?)

 

ヒヨリが息を呑む。

この雰囲気には覚えがあった。エデン事変の際に、古聖堂地下にてアツコを媒介として呼び出した複製――ミメシスが纏うそれによく似ていた。

意図しないミメシスが突然現れたことに対して、アツコは恐怖よりも先に、不思議な感覚に包まれていた。

冷え切ったはずの部屋の中で、その女性の周囲だけが、まるで陽だまりのようにふわりと温かかった。そして仄かに、百合の香りが鼻腔をくすぐる。

 

女性のミメシスは、絶望の淵にあるサオリたちに向け、静かに微笑んだ。

そして、すっと細く白い指先を上げ、本棚の横にある「ただの石壁」の一点を指し示した。

 

「……あそこ」

 

アツコは吸い寄せられるように歩み寄り、女性が指し示した壁にそっと手を触れた。

瞬間、アツコの掌からじんわりとした温もりが壁の奥へと伝わり、重厚な石の壁が音もなくスライドした。

 

(……隠し通路!?)

 

サオリが驚愕に目を見開く。

それは、現在のシスターフッドの長であるサクラコさえも把握していない、かつてユスティナ聖徒会が有事に備えて造り上げた、脱出通路の入り口だった。

 

「マスターキー、まだか!」「今持ってきました!」

 

廊下からシスターたちの怒号と、ドアノブをショットガンで破壊するという宣言が飛び交う。

 

「急いで」

 

アツコのささやきに我に返り、サオリたちは転がるようにして、その暗い隠し通路へと身を滑り込ませた。

四人が通路に入り切った直後、石壁は再び音もなく元の位置へとスライドし、完全に閉ざされる。

 

その数秒後。ついにドアノブをショットガンで破壊し、一斉にシスターフッドの夜間巡回部隊が雪崩れ込んできた。

が、そこには執務机の上にファンシーなクリスマスカードがポツンと残されているだけで、侵入者の痕跡は一切ない。全てが風のように消え去っていた。

 

 

「……助かった、のか?」

 

経年劣化でカビ臭い、隠し通路の暗闇の中。

緊張から解放されたサオリが思わず壁に背を預ける。釣られて安心したミサキが荒い息を吐き出したかと思えば――再び咳き込んだ。その背中をヒヨリがさする。

サオリは信じられないものを見たという顔で、完全に閉ざされた石壁を見つめていた。

 

「あれは、一体……何者だったんだ?」

 

「わからない。でも、すごく温かかったよ」

 

アツコだけが、冷たい石の壁越しに、先ほどの慈愛に満ちた微笑みを思い出しながら小さく笑った。

――幸か不幸か、ミメシスの女性が誰かに似ていることは、終ぞ四人は思い出せなかった。

 

 

 

隠し通路を通じて、アリウススクワッドの四人が無事にトリニティ総合学園の敷地外へと脱出していく頃。

破壊されたドアノブが放置されたままの、もぬけの殻となったサクラコの私室の片隅で、ミメシスの女性はスクワッド達が脱出していった壁を見つめ続ける。

 

――理由あって三位一体(トリニティ)に祝福された土地から離れ、遠き地で人知れず血を繋いできた愛おしいアリウスの子供たち。

時を経て、その子供たちが『祝詞』を届けるために、再びトリニティへとやってきた。

その事実が、女性の心にどうしようもない切なさと、涙が浮かぶほどの愛おしさを思い出させてくれた。

 

(……あの子たちに、安息を)

 

ミメシスの女性――バルバラは、その透明な両手を胸の前で静かに組み合わせた。

そして彼女の祈りは、祝祭の差出人である、一人の兵士にも向けられる。

 

かつてバシリカで、悪意によって己が弄ばれた際を思い出す。あの狂気の中で、自らの命を削りながらも一人の少女の盾となり、その少女が試練に打ち克つことを手助けした兵士。

結果として、彼が少女を支えたことで、悪意は大人によって討たれた。そしてようやくアリウスの子供たちは、忘却の中から帰ることが出来たのだ。

 

命が部品の一つでしかない世界で生まれた彼に。

長く泥水を啜り続けてきたアリウスの子供たちに。

 

(……貴方の献身に、最大の感謝を)

 

いつか必ず、彼と彼女らに健やかな光の当たる未来が訪れることを。

聖女の静かな祈りは、誰に聞こえることもなく、淡い光の粒子となって闇の中へ再び溶けていった。

 

 

 

ティーパーティーの専用会議室に充満していた張り詰めた空気が、ふっと緩んだ。

円卓の席で目を閉じ、全神経を研ぎ澄ませていた百合園セイアが、ピンと立てていた頭上のキツネ耳を満足げに揺らしてパタンと寝かせたからだ。

 

「ん……ざわついていた感覚が、綺麗に無くなったね。どうやら私のカンに障る『何か』は、いなくなったようだよ」

 

口元に袖を当てて微笑むセイアの言葉に、ナギサやミネが微かに安堵の息を吐く。

その直後だった。

 

「――失礼いたします、サクラコ様!」

 

静寂に包まれていた会議室の重厚なドアが乱暴にノックされ、間髪入れずにシスターフッド所属の生徒が飛び込んできた。その顔には、困惑と極度の緊張が入り混じっている。

 

「どうしました、よほどの事態のようですが」

 

「は、はい! 先ほどサクラコ様の私室周辺で不審な物音を察知したため、不審者侵入の疑いありとして強行突入し、部屋を改めさせていただいたのですが……侵入者の姿はなく、侵入の痕跡も一切ありませんでした。代わりにこのようなものが」

 

モブ生徒が両手でおずおずと差し出したのは、二枚のカラフルな封筒だった。可愛らしい雪の結晶のシールで封がされている。

 

「これは……どこにありましたか?」

 

「サクラコ様の執務机の上に、堂々と置かれておりました」

 

突拍子もない報告に、ナギサもミネも目を丸くした。

トリニティでも最高峰の防衛網を誇るシスターフッドの長の私室。しかも机の真上。そこに侵入し、これを置いて誰にも気づかれずに消え去る――それも痕跡が一切無しというのはまさしく神業と呼ばざるを得ない。

 

(まさか、我々に対する『いつでも寝首を狩れる』という警告のメッセージ……!?)

 

サクラコの顔が苦々しく歪む。

室内が一気に死地のような緊張に包まれる中、彼女は冷や汗を滲ませながら慎重にシールの封を切り、中のカードを取り出した。

そして、そこに書かれた文字を目で追い――ポカンと、端正な顔を呆けたように固まらせた。

 

『――歌住サクラコへ。普段の感謝を込めてこのカードを記す。メリークリスマス、来年もよろしくお願いします。タグより』

 

もう一通も急いで封を切り中身を確認する。同じようにメッセージカードが出てきた。ただしサクラコのとは異なり、QRコードが印刷された用紙が同封されている。

 

『――シスターフッドの皆様へ。普段の感謝を込めてこのカードを記す。メリークリスマス、来年もよろしくお願いします。ギフトカタログの品物は、皆さまでご相談してお決めください。タグより」

 

「QRコード、読み込んでみますね」

 

横からシスターが自分のスマートフォンでQRコードを読み込む。

 

「……これミレニアム製の家電製品のギフトカタログですね。……うわ、すごい。業務用冷蔵庫とか乾燥機付き洗濯機とかの大型家電を5個まで選べるそうです」

 

警告でも、暗号でもない。

送り主の無愛想な性格をそのまま反映したような、一切の無駄を削ぎ落とした、あまりにも素朴な感謝の言葉。そして言葉に反比例するかのように豪勢なプレゼントが添付されていたのだ。

そして文面の最後には、緻密に彫られた『横から見たスコープドッグの頭部』のスタンプが、緑色のインクでコミカルな自己主張を放っていた。

 

「……ぷっ、あははははっ!」

 

横からカードの文面を覗き込んでいたミカが、耐えきれずに真っ先に吹き出した。

あっけにとられていたサクラコも、事態が理解出来たとたん口元を嬉しそうに綻ばせている。

 

「あははっ……これ、今日タグさんがシャーレで作ったばっかりのクリスマスカード。 まさかその日のうちに配っちゃうなんて」

 

「どうやら送り主の身元と目的を、これ以上確認する必要は無さそうですね」

 

ナギサが、こめかみを軽く押さえながら、温和な表情で溜息を吐いた。

彼女は念のため、手元の端末で各組織の警備担当へ確認指示を飛ばした。数分のうちに返ってきた報告は、すべて同じだった。

ナギサの私室の枕元に二通、ミネの執務室の机の上に二通、『起きた時、一番最初に見える場所』に、あの無骨な緑の騎兵を模したスタンプが押されたクリスマスカードが、配置されていたのだ。

 

(この分だとツルギさんやウイさんにも届いているんでしょうね)

 

「……間違いなく、普通のクリスマスカードですね。それも、タグさんからの」

 

セイアが可笑しそうに肩を揺らす。

 

(深夜の暗殺の脅威に備えていたというのに、蓋を開けてみれば、ただの律儀すぎるサンタクロースだったか……)

 

極度の緊張状態にあった会議室の空気は、一瞬にして一月早い聖夜のものへと変わった。

 

「どうやら、シャーレの頼れる隊長さんからの、文字通りの『サプライズ』だったようです。……ふふ、ミカさん。後で彼に伝えておいてください。『サプライズが行き過ぎておりますので、次からは普通に手渡しでお願いします』、と」

 

「えへへ、了解☆」

 

ナギサはさらに呆れたような、しかしどこか弾んだ声で付け加える。

 

「それに……いくらなんでも気が早すぎます。今はまだ十一月ですからね。文化を学ぶのは結構ですが、彼に正しいクリスマスカードの送り方を教えてあげてください」

 

「うん、そうだね。しっかり教えておくね!」

 

ミカが瞳を細めて笑い、ミネやセイアも耐えきれずに苦笑を漏らす。

白亜の会議室に、少女たちの柔らかな笑い声が響き渡る。

完璧な隠密技術でトリニティの防衛網を震撼させた猟犬たちの狂騒の夜は、一人の不器用な兵士が遺した温かい手紙によって、静かに、そして穏やかに融かされていった。

 

 

 

翌朝、朝日が眩しく差し込むシャーレの執務室。

 

紅茶の香しい空気が漂う室内で、昨夜トリニティの敷地内で何が起きていたのか――その一部始終をミカから聞かされたタグは、淹れたての紅茶が入ったマグカップを手に持ったまま、無言で小さく息を吐いた。

 

「あの四人がただのカードを『暗号』と勘違いして、トリニティ首脳陣の部屋に隠密潜入してカードを置いて回った、と……」

 

タグはマグカップを傾けたままピタリと動きを止め、(どうしてそうなる)と内心で深い疑問符を浮かべていた。

 

「そう! しかもご丁寧に、ウイちゃんのことはわざわざベッドに運んで眠らせたり、サクラコちゃんの部屋では侵入の痕跡を一切残さないなんていう神業まで見せちゃって……もう、みんな後から報告を突き合わせて、腹を抱えて笑うのを我慢するのに必死だったんだから!」

 

ミカが、昨夜のティーパーティー会議室での顛末を思い出し、涙目になりながら楽しそうに笑い転げている。

 

「俺の考えが足りなかったようだ。普通に頼んだつもりだが、こんな解釈をされるとはな」

 

「……タグさんもタグさんだよ。クリスマスカードっていうのはね、こうやってこっそり忍び込んで枕元に置くんじゃなくて、ちゃんと手渡しにした方がいいんだよ」

 

ミカは笑いを収めると、ほんの少しだけ口を尖らせて説教モードに入った。

 

「それに、いくらなんでも送る時期が早すぎ。今はまだ十一月だよ? 本来なら十二月に入ってからタイミングを計って郵送したり、クリスマス当日のプレゼントと一緒に手渡しで送るのが一般的なんだよ」

 

ミカからのもっともな指摘を受け、タグは視線を逸らし、静かに目を伏せた。

 

(準備が完了した時点で即座に配送ルートに乗せるのが最適解だと判断していたが。平和な祝祭の場合は、そうではないらしい。半端な知識はどんな場合であろうとも致命的だったか)

 

タグは、平和を知らぬ人間による的外れな考えが今回の失敗の原因と位置付けた。

自身の文化に対する半端な理解とスケジューリングのミスが、結果的にアリウススクワッドに不要な夜間隠密ミッションという無駄な軍事的負担を強いてしまったことを痛感し、短く頷いた。

 

「悪かった。次は日取りも含めて正しく、確認することにしよう……いや、そうではないな。まずその文化に詳しい者に一から十まで教えを請うことにする」

 

「あはは、素直でよろしい。ところで――」

 

ミカがふんわりと微笑み、淡い琥珀色の瞳をまっすぐタグの瞳へと向ける。

 

「受け取ったみんな、タグさんに『カードをありがとうございます』って言ってたよ。当然、お返しのカードを送るって――十二月に、ね」

 

「そうか」

 

タグは窓の外を見やり、居住区の個室でまだ泥のように眠っているであろう、不器用な四人の猟犬たちに思いを馳せた。

 

(夜更かしした彼女たちが起きてきたら、まずはこの手紙の勘違いを解こう。あとはトリニティに向けて謝罪の連絡をせねばな)

 

そう考える彼の横顔には、戦場で見せる冷徹な兵士の顔とは違う、いつもより穏やかな空気が漂っていた。

 

 

 

「なんでぇええええええええええっ!!」

 

シャーレビルから遠く離れた、霜が降りた冬のグラウンド。

刃物のように冷たい北風が吹きすさぶ中、コユキの情けない、肺の底から絞り出すような絶叫が響き渡っていた。

 

彼女は今、背中にシャーレのロゴが入った水色と白色の支給品ジャージを泥まみれにしながら、冷気によって固くなったグラウンドを這いずるように走らされている。

その腰には太いロープが巻き付けられ、背後には重しとして砂袋が詰め込まれた巨大な古タイヤが、ズズズッと重苦しい音を立てて引きずられていた。

すでに息は完全に上がり、焦点の定まらない目からは大粒の涙が、赤くなった鼻からは鼻水が絶え間なくこぼれ落ちている。

 

「なんでぇ、ではありません。前を向いて、腕をしっかり振って走ってください」

 

コユキのすぐ傍らを、同じくシャーレ支給の青ジャージを着込んだ月雪ミヤコが、ストップウォッチを片手に並走していた。

シャーレ実働部隊の第二小隊であるRABBIT小隊の小隊長は、自らも息を弾ませながら、冷徹な、しかしどこか切実な響きを帯びた声でハッパをかける。

 

「ミカ先輩とユウカさんから直々のお達しです。先日の度を越した騒ぎの反省として、コユキには今日から一週間、私たちと一緒に『基礎体力を養うためのトレーニング』をこなしてもらいます」

「コユキ! 脚止まってんぞ! 前傾姿勢を維持しないと体痛めるぞ!」

 

コユキを挟んだミヤコの反対側には、空井サキが同じくタイヤを引きながら、大きな声で怒鳴りつけた。彼女のジャージの襟元も、コユキやミヤコに負けず劣らず汗でぐっしょりと濡れている。

 

「お前、もしサボってリタイアしてみろよ! アタシらは無罪でも、お前は世にも恐ろしいペナルティを一人で食らうんだからな! 頑張って走れ! 終わったら飯奢ってやるから!」

 

すべての悪だくみが露見した自称天才フィクサー・コユキの末路は、特訓という名の過酷な精神修養であった。

トリニティの最高権力者たちの部屋に、ミレニアムの生徒が斡旋してアリウスの生徒を招き入れたという、一歩間違えれば三大学園同士の衝突を引き起こしかねない大事件をやらかしたのだ。

本来であれば、実働部隊の長であるタグが直接制裁を行うべき事案である。しかし彼は『すまん、こいつの泣き顔を見てるとどうしても手が緩む』と、早々に制裁の放棄を宣言してしまった。

結果として、彼女に対する処罰権は、激怒した二人の保護者へと委ねられることになったのだ。

 

「あー、マジだるい……コユキ、あと半周したら小休止させてあげるから、だから止まらないで……。いくらあんたの自業自得とはいえ、あの一撃をケツに食らうのはさすがに不憫すぎるからさ」

 

コユキの少し前方を走る風倉モエが、息を切らしながらも必死に宥めすかす。いつもの気怠げな余裕は一欠けらも見当たらない。

無理もない。彼女たちはトレーニングの開始前、あまりにも恐ろしい『見せしめ』を直接目撃していたからだ。

 

――シャーレの体育室。

叩かれた分厚い体操マットのカバーが、一撃で完全に吹き飛び、中のクッション材が爆発するように露出した。

その衝撃の激しさを見たRABBIT小隊の四人の顔色は、青色を通り越して純白へと色を失っていた。

マットをそのような無残な姿に変えた人物――ミカは、丸めた体操マットをコユキの代わりにして、尻叩きの姿勢を取っている。そして顔色一つ変えずににっこりと笑ってこう宣言した。

 

『あなた達が、コユキちゃんはこれ以上トレーニングを消化できないって判断したら私を呼んでね。コユキちゃんのお尻を百回、今の力で叩くから』

 

そして、その横に控える少女も続く。その瞳からは、過労と心労で生気が完全に抜けきっていた。

 

『その後、私がセミナーの責任者として、コユキに一週間に渡ってホワイトハッカーとしての正しい心構えを説くカリキュラムを施す予定です……それも休憩時間等のないマンツーマンで。遠慮なく不可と判断してください、それだけのことを仕出かしたと私は考えています』

 

トリニティで起こした事件の全貌を知らされ、胃に特大の穴が空いた早瀬ユウカの、有無を言わさぬ死刑宣告だった。

 

タグのフォローによって、ミカによる直接制裁(尻叩き百発)とユウカによる直接指導(一週間にわたる説教)はギリギリで執行猶予となった。

代わりに下されたのが、この『RABBIT小隊による一週間の監視兼合同トレーニング』である。

 

「ひぐっ、コユキちゃん……ここで倒れられたら、根性棒ならぬミカ先輩によるお尻叩きが執行されちゃうからお願い……走って!」

 

最後尾からは、霞沢ミユが消え入るような声で必死の泣き落としをかけてくる。

 

「うええええええええんっ!! 私はか弱い頭脳労働のスペシャリストなんですよぉ! なんでこんな泥くさい肉体労働みたいな真似をぉぉっ!」

「……そういうトレーニングだからです」

 

ミヤコが、前髪に張り付いた汗を手の甲で拭いながら、冷ややかな、しかし心配の滲む視線をコユキに向けた。

 

「あなただけを苦しめるわけではありません。私たちもこの一週間、あなたと完全に同じメニューをこなし、あなたを完走させるのが任務です。ですから、不公平だという泣き言は一切受け付けません」

 

(私達はともかく、コユキにはかなり厳しいトレーニングなんですけど……やらかした罪状を考えると温情の極みですよね、これ)

 

SRTのエリートである彼女たちにとっても、タイヤを引きずって走り続けるのは決して楽なメニューではない。連帯責任がないとはいえ、自分たちだけがサボるわけにはいかない。

何より、コユキが立ち止まればミカの尻叩きという名の処刑行為が執行され、ユウカによるあまりにも痛ましい二者面談が始まってしまう。

いくらコユキが悪いとはいえ、その結末はあまりにも哀れだった。

だからこそRABBIT小隊は、厄介者の同級生を救うため、時に厳しく叱咤し、時に甘い言葉で宥めすかしながら、必死に冬のグラウンドを周回し続けるしかなかった。

 

「よ、よし! コユキ、そのままのペースだ! あと百メートルで一旦給水にするぞ! 頑張れ!」

 

「ひぐっ、う、うわぁぁぁん! オジサァァアン! 助けてくださいぃぃぃっ!」

 

冬の寒空の下、泥まみれの青色ジャージを着た少女たちの必死の叫び声が、グラウンドに空しく木霊する。

悪意がないとはいえ、他人の心を弄んだ天才ハッカーはこうして過酷な反省をするのであった。

 

 

少し時間は巻き戻り、騒動翌日のシャーレビル内の静かな自習室。

アリウススクワッドの面々は、机に向かって横一列に並び、ペンを握りしめていた。

彼女たちに課せられたのは、物理的なトレーニングではなく「反省文の提出」という、ある意味で彼女たちにとって最も過酷な頭脳労働だった。

 

コユキの嘘に騙された形とはいえ、一歩間違えればトリニティとミレニアムによる戦争の引き金を引きかねない『政治的テロ行為』に加担してしまったのだ。

タグは「俺の配慮不足だ」と庇ったが、先生は教育者として、彼女たちに『平和な世界での落とし前の付け方』を教える必要があった。

 

「……いいかい? 始末書や反省文というものは、ただ謝るだけじゃダメなんだ。何が問題だったのか、次からどう改善するのかを論理的に書く必要がある」

 

ホワイトボードの前に立つ先生が、反省文の書式や書き方を丁寧に指導していく。

サオリは顔をしかめながら原稿用紙と睨み合い、ミサキは「論理的って難しい」とぼやきながらも手を動かし、ヒヨリは「うぅ……反省文を書くだけで済んでよかったです」と涙目で原稿用紙を埋めていく。

だが、そんな四人の中でアツコだけが、いつものミステリアスな余裕を完全に消し去り、やけに疲弊しきった顔でシャーペンを走らせていた。

その目の下には、うっすらと隈のようなものまで浮いている。

 

「アツコ、大丈夫? 反省文を書くのがそんなに辛い……?」

 

先生が不思議に思い、心配そうに声をかけた。

アツコは重い溜息をつき、原稿用紙からげっそりとした顔を上げる。

 

「ううん……反省文を書くのが辛いわけじゃないんだけどね」

 

彼女は少しだけ身震いをして、ゆったりとした口調でポツリとこぼした。

 

「昨日、夢枕に……懐かしいんだけど、とても恐ろしいシスターが出てきたの。それで、今回の件で夢の中で説教をされちゃって」

 

「シスター?」

 

「うん。『思い出作りはいいけれど、黙って事態を傍観した結果を理解しているのか』って。夢の中なのにはっきりした感覚で何時間も、こってりと。……すごく、とても反省したよ」

 

すべてを理解していながら悪戯を傍観し、一人だけ安全圏から事態を楽しんでいたアツコ。そんな彼女にも、相応の『因果応報』がしっかりと下されていたのだ。

 

(もしかして……かつてアリウスを導いた古の聖女バルバラが、アツコのことを叱ってくれたのかな)

 

アリウスと深い因縁を持つ聖女の、厳格な愛の鞭である――と先生は察した。

先生は小さく苦笑しながら、ひどく反省しているアツコの頭を優しく撫でてやった。

 

 

 

トリニティ総合学園、ティーパーティーの執務室。

淹れたてのダージリンティーの芳醇な香りが漂う室内で、インクが紙を擦る硬質な音だけが静かに響いていた。

 

桐藤ナギサは、デスクの上に広げられた分厚い書類――『ミレニアムサイエンススクール製・最新式無人警備システム導入契約書』の最終ページに、優雅な手つきで万年筆を走らせていた。

 

流麗なサインを書き終え、キャップを閉める。

ナギサはふうと小さく息を吐き、自らが承認した巨額の契約書を見下ろした。

 

(……騒がしい子供にあっさりとハッキングされ、挙句の果てに、学園の最高権力者たるティーパーティーやシスターフッドの私室の机の上にまで、侵入を許した。導入への反対意見はもう出てきませんでしたね)

 

コユキの浅はかな悪戯と、アリウスの配達員たちによって引き起こされた事件は、結果としてトリニティの頑迷な保守派を完全に黙らせる、最高の大義名分として機能したのだ。

 

(これほどの実害を突きつけられれば、いかなる強硬派も反対の口を挟むことはできない。大手を振って、ミレニアムの最新警備システムを導入できます。ユウカさんには大変気の毒なことでしたが、これで少しは慰めになるといいのですが)

 

ナギサはティーカップを手に取り、一口だけ喉を潤す。

温かな紅茶の熱と共に、トリニティを導く者としての確かな覚悟が、彼女の胸の奥で静かに燃え上がっていた。

 

(トリニティにおいて、歴史と伝統は確かに必要なものです。それは生徒たちの心の拠り所であり、この学園を成立させる礎ですから。……ですが、それは決して、思考を停止して過去に盲従するための言い訳ではありません。現代の脅威に合わせて、常に形を変え、アップデートしていく必要があると考えています)

 

彼女の脳裏に、自らが疑心暗鬼に囚われ、親友たちを切り捨てようとした凄惨な過去がよぎる。

あの時、古い因習や疑いに縛られた結果、どれほどの血が流れたか。それを誰よりも痛感しているのは、他ならぬナギサ自身だった。

 

(私は、この美しき学園の歴史を壊す『時代の破壊者』になるつもりはありません。ですが――過去の栄光に縋り、変化を恐れるだけの『怠惰な支配者』になるつもりも、毛頭ありません)

 

エデン条約での失敗の責任、自らが被るべきヘイト、そして学園の未来。

そのすべてを一人で背負ってでも、この学園を前に進める。その気高くも孤独な覚悟が、ナギサの静かな微笑みには宿っていた。

 

「ふふっ……」

 

ナギサは書類を綺麗にまとめ、デスクの端に整えて置いた。

そのすぐ横には、額縁に入れられた一枚のカードが大切に飾られていた。そこには、素朴な感謝の言葉と共に、緑色のインクで押された『緑の騎兵』のスタンプが、ささやかに自己主張を放っていた。

 

ナギサは窓の外へと視線を向けた。

ガラスの向こう側では、初雪が冬の陽射しに照らされて静かに舞い散っている。

 

かつて血と硝煙に塗れ、互いを激しく憎しみ合った少女たちが一緒に迎える、初めての穏やかな聖夜まで一月を切った。

青い空の下、一人の兵士がもたらしたささやかな祈りは、確かにそれぞれの少女たちの元へと届いていたのだった。

 

 

 

幾星霜を経て、甘露を生み出した欲望の廃都

連邦の思惑に導かれ、大人達は闇の市場へと足を踏み入れる

君臨した女王の命数は間もなく消える

忠義を尽くす者、敬意を払う者、甘き蜜にすがる者

交わるはずのない意志と欲望が溶け合う時、騎兵の嘶きが轟く

 

次回「遺志」

 

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