耐熱・耐砂シートが剥がされる
そこから現れたのは緑の装甲で固めた騎兵――スコープドッグ
膝を突き両足を後ろに折りたたんだ状態、通称降着姿勢状態のATのコックピットにタグは潜り込む
コンディションチェックを行う
幾つかスイッチを上下させたり、コックピット回りに配置されたモニタやゲージパネルを見ながらコントロールレバーを動かす
ガチャ、ガチャ、カチッ
コックピットに渇いた音が響く
しかし結果は前と変わらない。やはり操作系統に問題があるらしく、腕部と脚部は反応せず。電力もほぼないらしく、ターレットレンズの動作確認も不可能
ただ、機体各部のマッスルシリンダーは異常ランプ、PR液流出警報を出していない。PR液自体も最後に交換してからあまり時間が経っていないので劣化の傾向は見当たらないようだ
(大気組成は俺がいた世界とは特に変わらないようだ。最悪、PR液の劣化速度が速まるくらいは想像していた)
集中するタグの耳にザッ、ザッ、という足音が近づく
シロコが何か赤いものを手に下げて近づいてきた
「ん、汗すごい。これ飲んで」
砂漠という環境でAT相手に一人相撲をしていたタグは気づけば汗が止まらなくなっていた。今しがた顎先から汗の雫が一滴落ちる
シロコの手から下投げでゆっくり放り投げられた赤い何かを、タグは片手上段でつかむ
「飲み方わかる?缶の上のところに指を入れられる輪っかがある……缶の外縁からそこに指入れて上にはねる」
言われた通りにすると、軽い金属音とともに缶の上部に穴が出来る。よく見ると少し白い煙が一瞬見えた
「空いたところに口付けて呷れば飲める」
すでにタグは出された食べ物と飲み物に警戒心は抱いていなかった
だからシロコの悪戯心を浮かべた笑みに気付くことが出来なかった
――接触の瞬間
最初にタグを襲ったのは、味ではなく温度だ
先ほどまでクーラボックスで冷やされていたのだろう、氷点に近い冷気
触れた唇が痺れるほどの冷たさに、ビクリと肩を跳ねさせる。
止まらない。ヘルメット団との戦闘後、一口も水を飲んでいない乾ききったスポンジのような舌が、何かの液体を迎え入れる
――爆発
その瞬間、口内で無数の針が暴れ出す――炭酸である
タグにとって「飲み物」とは、静かで滑らかなものか、茶やコーヒーのように苦いもの、もしくは栄養を満たすための無味としか言えないものだった
これは違う。舌の上で何千もの小さな気泡が破裂し、バチバチと粘膜を刺す。すこし痛い
しかし、その痛みの直後に暴力的なまでの「甘味」が彼の思考回路を殴りつけた
それは果実の甘さではない。洗練され、濃縮され、悪魔的な魅力を持った何かの奔流――もしシロコに聞けばその正体は砂糖と香辛料と答えてくれただろう
(なんだこれは!? 刺激が強い。しかし甘い! そして旨い!!)
彼の味蕾(みらい)は、生まれて初めて摂取する大量の糖分とカフェインに歓喜の悲鳴を上げる。戦場でもあまり経験したことのないほどの、莫大な量の脳内麻薬が溢れ出す
未体験の香りが鼻腔を抜け、目の前がチカチカと明滅するほどの快楽が走った
――滑落
本能が「もっとくれ」と叫ぶ。その衝動に逆らう理由はない、謎の液体の奔流を喉奥へと流し込んだ
ゴクリ、ゴクリ
冷たく、甘く、そして焼けるように刺激的な液体が、食道を滑り落ちていく
気付けば缶の中身は全て飲み終えていた。しかし缶を掲げることはやめない。ほんの一滴も残してたまるかという衝動の発露
全身の血管が脈打ち、指先まで痺れるような感覚
「あ……」
彼の瞳から、生理的な涙が溢れ出した。それはあまりにも強烈すぎる刺激に対する、身体の敗北宣言だ。だがこんな敗北宣言ならいくらでも出してやろうじゃないか、と
――崩壊
だが、彼の身体構造は、炭酸ガスの逆襲を知らない
一気に飲み込んだ反動で、気化したガスが喉奥で爆発的に膨張する。
「ぐっ……!?」
至福の表情を浮かべていたタグは、一瞬で苦悶に歪む
気管支が痙攣し、強制的な排出反射が起きた
しかしこの快楽を体に出せば一生の後悔、と言わんばかりの自制心でそれを抑え込む
缶を握っていない左手で口を押えると
――むせる
喉が焼けるように熱い。しかし、その痛みの中にすら、まだあの悪魔的な甘美さがこびりついている
「……ごめん、タグ。私が悪かった。タグはつよつよ」
シロコがタグの反応を見終えると、何故か罪悪感を強く感じていた
そのタグはというと、涙をぬぐい
「これは最高だ、シロコさん。これはなんという飲み物だ?」
サンドイッチを食べたとき以上の感動を称えて笑う男がそこにいた
「ん、それはコーラ。炭酸飲料」
タグはコックピットから飛び降りると間髪入れずにシロコに告げる
「――もう一つもらえるか?」
「あの目は完全に狩人の目だった。渡さなかったらどうなるかわからないからすぐもう一つ渡した」
あとで叱られることになるシロコはアヤネにそう弁明した
タグは渡された赤く塗られた缶を、まるで爆発物でも扱うかのように両手で包み込んでいた
炭酸の刺激は、喉の奥にかすかな痛みとして張り付いていた。だが、それ以上にタグの思考を支配しているのは、先刻味わったあの強烈な快楽の残滓だ
――警戒
タグはレッドショルダーとしての鋭敏なセンスを全動員している。学習した、これは一気に流し込むものではない
少し震える指先で、再び開封した缶の飲み口を唇に当てる。再び味わう金属特有の硬質で冷ややかな感触
恐る恐る、今度は数滴、コーラを舌先に垂らす
“シュワ……”
微かな音と共に、黒い雫が舌の上で弾ける。優しく、くすぐるような刺激
彼は目を閉じ、その数滴を口の中で転がした
――侵食
「ん……」
ゆっくりと味わうことで、先ほどは衝撃にかき消されていた複雑な風味が解像度を増して襲いかかる
何かの焦げたような香ばしさと、微かな記憶が柑橘を思わせる爽やかな酸味だと告げる。そして何よりも暴力的なまでの「糖」の密度
タグの理性と本能が、この記憶を一瞬たりとも逃してはいけないと告げる
これは水ではない。これは食事ですらない。これは奇跡か何かだ
胃がキュウと鳴り、全身の細胞が「まだか」と歓喜のコーラスをあげる
――感動
二口目を飲む、今度は少し多めに
炭酸の泡が食道を撫で下ろす感覚に、タグはうっとりと身体を震わせた
冷たさが胃に落ち、カロリーが血液に溶け出す感覚。視界が今までよりも一瞬だけ鮮やかに色づいたように錯覚する
これを渡してくれたシロコの顔のあっけない表情までも美しく感じる衝撃が続く
(……ここの連中は、こんなものを日常的に飲んでいるのか? 俺たちが奪い合っていた世界でこんなものは生まれなかったのに)
タグはコーラを口に含みながら、はるか故郷の悲惨な文化に絶望していた
「シロコちゃん、いきなりコーラなんていう劇物渡す人がどこにいるんですか!?」
アヤネの怒声が、砂上で正座するシロコの上に降りかかる
「ん……我慢できなかった、反省する」
本心で反省するシロコ
「反省じゃありません!カフェインへの耐性あるみたいですけど、あきらかにコーラを飲んでからのタグさんの目、おかしいですからね!」
スコープドッグに体をあずけつつ、先生に介抱されるタグの目は今正気と欲望の間をさまよっている
「タグさん、落ち着いてください。コーラなんてどこでも売っている飲み物です」
先生はクーラーボックスにコーラが二本しかなかった事実に絶望しているタグを慰める
しかし告げた真実にタグの目が大きく開かれる
「あれが、どこにでも売っている?」
「はい」
「価格は、高いのか?」
「――タグさんにわかるように例えるならコーラ5、6本で食事一回分とおもっていただければ」
今後についての彼への説得材料になると思い、正確に答えることにした
その後、罰ということでシロコが外周警戒を交代なしで務めることになった
回収ヘリとの通信をアヤネに任せた先生は、正気に戻ったタグに歩み寄る。彼はスコープドッグの周りで相棒を観察しながら、アヤネからもらったメモ帳に何かを書き込んでいる
「動きそうですか?」
一瞥もせずに返事をするタグ
「ダメだな。念のためもう一度起動操作はした。が、やはり信号か何かが届いていないのかうんともすんとも言わないな、こいつは」
タグが今している行動は修理を要する破損箇所のチェックの記録だ
「――スコープドッグ、でしたっけ」
先生は緑の装甲騎兵を見上げる。全身の被弾の跡もそうだが、左胸部分の大きな凹みが特に目立つ
「大雑把に呼ぶならそうだ。正確にはスコープドッグ・ターボカスタム、一般量産機であるスコープドッグをチューンしたものだ」
「カスタム機なんですね」
先生の視線がスコープドッグの横顔に集中する
「顔が愛嬌ありますね。まるでスコープを付けたタコみたいだ」
「タコ、か。まあ、愛嬌を感じるのは間違いじゃない。民間人の間では、スコープドッグの顔がユニークと呼ぶのも少なくない」
それを聞いて少し笑う先生
「もしかして愛称で呼ばれてたりするんですか、“スコタコ”とか、なんてね」
「……? そういう話は聞いたことがないな」
「ああ、愛称がつくとかはなかったんですね」
「――まあ愛される存在とは言い難い機体だ」
タグにとってこの機体相手に思い出せることは苦いことが大半だ。パイロットも、民衆もそうかわらない
そうしてようやくタグがメモを取り終えたころ、先生は本題にはいる
二人はスコープドッグの足の出っ張りに上手く腰掛ける。目線の高さを合わせるわけでもなく、かといって見下ろすわけでもない形だ
「タグさん、貴方の相棒の回収が出来たのでようやく僕も本題に入れます。なにせ今から提案する内容はスコープドッグありきのお話ですから」
こちらの表情を見て先生は続ける
「まずストレートにお聞きします。今後の生活のプランの何か見込みはありますか?」
「ない。異邦人の俺には知らないことが多すぎる。相談できる相手は先生だけだ」
異なる惑星、陣営、環境、戦場は味わったことはある。しかし世界そのものが違うという状況はタグにとってあまりにも想定外だった
「では相談相手としてタグさんに提案します。僕が属する組織であるシャーレに勧誘したい」
思ったよりストレートに提案してきたな、と先生を見る
「――話を聞こう」
二人の話はかなり長い話になっていたと、アヤネは覚えている
時々どうしても説明の必要な単語があるのだ。そのため何度か話を中断、解説の繰り返しだったからだ
まずキヴォトスという場所そのもの、連邦生徒会、学園とそれが統治する自治区、そしてシャーレの存在
その上で先生は事実を告げる
「タグさん、今の貴方には何もない。身分証、住む場所、このキヴォトスで通用する通貨も。……そして何より、貴方のスコープドッグ」
先生の視線が、今腰かけているATに向けられる
「……貴方にはあれを直せる技術、設備、資材が何一つない……違いますか?」
図星だ。何だったらそのことを正直に伝えたのだから
(この人相手だと少し口が軽くなるな)
「……足元を見るのが上手いな、先生は」
思わず強がりを出すが、どうにもならない事実には変わらない
「取引です、対等な内容だと思います」
先生は指を3本立てた
「一つ、まずは貴方の身元保証。シャーレ所属の『協力者』として身分証を発行します。当然、協力してくれる以上はそれに見合った給与も出します。それくらいの強権はあるんですよ」
一つ目の対価だけで、先生は俺と相棒の見積りを相当高く見てくれているようだ
「二つ、生活の保障。当面の衣食住とキヴォトスで必要な知識を提供します。給与とは別ですので、この提案を飲んでいただけた時点でお渡ししますよ」
「……そして三つ目」
先生は俺の瞳を真っ直ぐに見つめた。そこには確固たる意志があった。
「貴方の相棒、スコープドッグの整備環境を提供する用意があります」
その発言に俺は少し驚く
「……まったく世界の異なる兵器を直す手段を持っていると?」
すると先生は首を振る
「僕にはありません。でも……」
先生はニカっと笑った。それは、悪戯を企む子供のような、あるいは確信犯的な笑みだった
「『ミレニアムサイエンススクール』なら、話は別です。あそこには、未知の技術を見たら、三度の食事より夢中になる生徒が大勢います」
食事より夢中という表現はタグには良く効いたようだ。そこまで言うか、という表情をタグは見せた
「スクール……ですか」
「はい。そこのエンジニア部に口利きをします。――実は今呼び寄せてるヘリ、貴方のATを拾ったらそこに向かわせるつもりです」
(やってくれたな。最初からそのつもりだったということか)
しかし俺にはそれを断る理由が思いつかなかった
ATに乗って戦うこと以外、何もできない俺に一番必要な環境なのだから
「貴方の相棒――洗練された兵器ではあるんでしょうが、彼女達からしたら貴重な異世界の発明品です。狂喜乱舞して修理してくれますよ」
先生は苦笑いしながら付け加えた。
「ただ、貴方みたいな強面のベテランが行ったら生徒たちが怖がるかもしれません。そこは、シャーレの協力者という身分と大人の余裕で上手くやってください」
俺は背中越しに、スコープドッグを見上げる
コックピットのハッチは閉ざされている――あの狭く暗い空間だけが、何にも縛られない唯一の居場所だ
(相棒の維持ができるなら提案に乗るのも一つの手か)
この身体が朽ちるまで戦い続けるための鉄の棺桶が手に入るなら――
天恵(後半)に続く