荒野の赤茶けた大地に、巨大な轍が幾重にも刻まれている。
身を隠す岩陰に偽装ネットを張り、双眼鏡のレンズを遠くのレールへ向ける男がいた。
複数のブラックマーケットからかき集められた武装勢力を束ね、現場の指揮を任された流れの傭兵隊長だ。
彼の視線の先では、丘越しに黒い鉄の塊――標的である特別列車が、規則的な走行音を響かせて視界の端へと向かおうとしていた。
「……予定時刻通りか。人員増と増結の手間を考えれば遅れると踏んでいたんだが、定刻運行とは恐れ入る。副官、こっちの配置は?」
手持ちの通信機に呼びかける。
『八割は配置完了。残り二割は再配置に時間がかかっています。最悪、戦闘地域への移動中に完了させます』
現場で差配している副官からの報告。
「遅れてもいい。不完全な状態で会敵だけはやめてくれ」
『ラジャー』
傭兵隊長は通信機へ短く命じると、双眼鏡を下ろして自身の戦術端末へ視線を落とした。
画面には、自らが構築した包囲網の陣形と、推測される敵戦力のデータが並んでいる。
(防衛側の戦力は、スウォーム部隊がおよそ百名。そしてシャーレ配下の生徒が五十名。加えて、噂に聞く緑の騎兵が一機、か)
傭兵隊長が雇い主に呼び出されたのは、五日前の夕食中だった。
馴染みの店で、たまの贅沢として奮発したプルドビーフのメインディッシュに一口も手を付けられなかった恨みは、今も舌が抗議の声を上げている。
それから夜通しヘリでこの現場に降り立ち、連れてきた直属の部下と共に仮設指揮所の設営、通信網の構築、部隊の招集および再配置という遅延が許されない作業を、文字通り四日間一睡もせずに行ってきた。
今日の未明、作戦開始前にようやく十二時間の睡眠をもぎ取れた彼は、残る眠気をこれでもかと苦く淹れたコーヒーで吹き飛ばしつつ、敵方の指揮官の能力を頭の中でおさらいする。
手元の戦術端末に収められた彼らの資料が渡されたのは、時間にして三週間前。あのブラックマーケットの女王が「先生と会う」と決断した会議の、わずか二時間後のことである。
スウォーム部隊の現場指揮官は、十中八九ダゴスだろう。
(昔は名将だったんだろうが、明らかに戦場の進化スピードについてこれなくなった老いぼれだ。今年で八十いくつだと聞く。悪化こそすれ、指揮能力が改善されるなんて予測はいらんな)
マグカップを傾け、渋い液体を胃の腑へ流し込む。
(対して、先生……。嫌というほど噂は聞いている。数名の生徒を率いた少数の遊撃、特に攻勢においての指揮能力は神がかっていると)
キヴォトスに現れてから数か月。分かっているのは、少数指揮が異常に上手く、配下である生徒への統制力が人外の領域にあるということだ。
『シッテムの箱』という謎のデバイスの補助があるとはレポートに書かれているが、戦術の基本思想は極めて現代軍のやり方に似ている。
(こいつは間違いなく軍隊の経験があるな。いったい、どこで学んだのやら)
懸念はある。しかし、傭兵隊長は薄く笑みを浮かべた。
戦場は列車のレール上という極めて限定的な空間であり、敵味方合わせて数百が入り乱れる正規戦だ。
いかに優秀な戦術家であろうと、中隊規模以上の情報処理とリアルタイムの指揮統制となれば、個人の技能で完全にカバーしきれるものではない。
自分自身がそうだ。長年連れ添った部下たちによる適切な情報処理の分散があって、初めて現代戦の指揮は成立する。
とはいえ、念には念を入れる。小賢しい戦術ではなく、純粋な戦力と手数の押し付け合いに持ち込むのが最適解だ。
今回の作戦は、まさにその二点を突く形で構築されていた。
傭兵隊長は双眼鏡から視線を外し、手元の広域通信機のスイッチを入れた。
「全小隊長へ通達。現在時刻、マル・サン・ヨン・フン。時計を合わせろ」
低く、しかし確かな圧を持った声が、暗号化された回線を通じて散開する伏兵たちへと届けられる。
「これより作戦の最終フェーズへ移行する。……まずはジャミングと共に両翼からの波状攻撃を仕掛ける。この段階では防衛側の目を奪い、弾薬を削ることを主軸とする。最終的に、本命の対装甲部隊が列車の動力車を沈黙させ、完全に包囲する」
手元の戦術端末で、各小隊からの緑色の『準備完了』シグナルが次々と点灯していく。その完璧な統制を確認し、隊長は声を一段低く落とした。
「最終目標を間違えるな。狙うのは列車の動力停止と、シャーレ部隊の完全な制圧だ。そして厳命する。レール二列の同時破壊は、いかなる状況であろうとも絶対に許可しない。作戦失敗と判断した後でもだ。破った者は二度と朝日が拝めないものと思え」
通信機から、短く確固たる了承のコールが次々と返ってくる。
各小隊の配置と状態を示す戦術端末のシグナルが完全に揃ったことを確認すると、隊長は端末の画面を閉じ、仮設指揮所全体に響き渡る声で宣言した。
「第一段階の展開はじめ。まずヘリ上がれ。陸戦部隊、目標の両翼に展開せよ」
号令が下された瞬間、赤茶けた荒野の景色が一変した。
身を潜めるように広範囲に張られていた偽装ネットが、ロックを解除されて一斉に跳ね除けられる。
土埃が舞う中から姿を現したのは、無骨に装甲を継ぎ接ぎされた鋼鉄の獣たちだ。
まず、空気を切り裂く重々しいローター音と共に、偽装を解いた二機の大型ヘリコプターが上空へと舞い上がった。
機体側面には無数のアンテナが突き出しており、離陸と同時に広範囲への各種ECM(電子的攻撃)を展開し始める。
作戦の初動において、防衛側の目と耳を潰すことは必須だ。
時速数十キロで直進する列車に対し、荒れた不整地を跳ねるバギーや全地形対応車両で強力なジャミングをかけ続けるのは物理的に困難であり、的にもなりやすい。
だからこそのヘリコプターだ。地形の影響を受けず、上空から安定して獲物に追随し、途切れない電子妨害の傘で列車の情報網を覆い尽くす。傭兵隊長が捻り出した、最も合理的な戦術的選択であった。
空の脅威が展開されるのと同時に、地上でも猛烈な砂塵の壁が巻き上がった。
岩陰や巨大な轍の裏で息を潜めていた無数の武装バギーと三輪バイク、M-ATVが一斉にエンジンを咆哮させる。
野太い排気音の合唱が荒野を震わせ、スパイクタイヤが赤茶けた土を激しく抉り取った。
彼らはただ闇雲に突撃するのではない。統制のとれた動きで扇状に散開し、標的である特別列車の左右の側面へ向けて、二つの巨大な波となって殺到していく。
丘越しに黒い鉄の塊として見えていた列車の輪郭が、秒を追うごとに明確な姿を現してくる。
風を切り裂きながら高速で接敵していくバギーの荷台では、傭兵たちが車載機銃のボルトを引き、いつでも弾幕を浴びせられるよう銃口を標的へと向けていた。
(まずは陽動だ。相手の後手が見たい。次の手はそれからだ)
初手の狙いは、列車の直接的な破壊ではない。
防衛側に弾薬を浪費させること。そして何より『敵は地上から来る』という先入観を植え付けることだ。
優秀な指揮官を持たない部隊、そして突発的な事態に弱い警察機構は、見通しの良い平原で群がってくる派手な敵に対し、必ず過剰な弾幕を張って迎撃に出る。
それこそが、戦術的なリソースの無駄遣いを生む致命的な隙となる。本命である動力車制圧の前に、防衛側の目と火力を側面に釘付けにすることが作戦成功の鍵である。
(よくもこれだけ揃えられたものだ)
隊長は、土煙を上げて列車への接敵準備を進める自軍の圧倒的な物量を見渡し、内心で嘯く。
これだけの規模の作戦を突発的に構築することなど、物理的に不可能だ。
すべては、先生が女王と会見するという予定の正確な情報リークと、複数のブラックマーケットの協力があったからこそ成立した布陣であった。
(女王の足元で起きた内部の裏切りが、この作戦の土台というのは皮肉だな)
その時、傍らに控える副官が手元の暗号通信端末を確認し、声を上げた。
「隊長、列車に同乗しているスパイから最後の連絡です」
副官の声には、微かな緊張が混じっている。
「一般乗客はすでに二両の重装甲車両へ避難完了。乗客が不在となった車両の窓には銃座が構築されつつあります。こちらの奇襲は完全に看破されました。スパイも装甲車両へ避難したため、以後の情報提供は不可能です」
報告を聞き、傭兵隊長は微かに眉をひそめた。
こちらの動きが本格化するよりも早く、正確な接近を感知し、非戦闘員の避難から迎撃態勢の構築までを完了させている。敵の対応速度は想定を上回っていた。
奇襲による一般乗客の混乱を狙ってはいたが、仕方ない。
(まだ予測内だ。楽には終わらないとわかったことが、唯一の朗報か)
奇襲が看破されたところで、遮蔽物のない平野部における圧倒的な物量差と、陽動作戦の優位は揺るがない。
レールの完全破壊は避けつつ動力車のみを停止させ、多数の車両で列車を挟み撃ちにする完璧な包囲網はすでに敷かれている。
「作戦通りだ、冗長性は十分に確保してある。この段階まで来れば、相手がどう足掻こうと手数の差で押し潰せる」
傭兵隊長は仮設指揮所を後にした。彼自身も戦線を見通すために、指揮用ヘリで攻勢部隊に追随するのだ。
特別列車の中央に位置する重装甲の指揮車両。
壁面を埋め尽くすモニター群には、車外のカメラ映像とレーダー情報が目まぐるしく表示されていた。
レーダーの縁に無数の赤い光点が点滅し始めたその直後、スウォーム部隊の指揮官であるダゴスは、自身のコンソールから手を離して短く息を吐き出した。
「先手どころではありませんな、これは。……先生、では予定通りに指揮権の委譲を行います」
ダゴスは獣の耳をわずかに伏せ、隠し立てのない声で横に立つ先生へと告げた。
「この規模の正規戦、しかもヘリや強力なジャミングを用いた現代の電子戦が絡む指揮は、私の手に余ります」
小規模の抗争――具体的に言えば自分自身が前線に立つ少人数での戦いならダゴスにも覚えがある。
しかし、荒野という開けた地形で数百を数える戦力が入り乱れるシステマチックな機動戦の経験は、彼にはなかった。
現代戦の進化スピードについていけない老いぼれであるという事実を、彼は誰よりも自覚している。
だからこそ列車へ搭乗する前日、先生とダゴスの間で、万一の場合は指揮権を完全に統一する取り決めを交わしていたのだ。
――指揮官は二人もいらない。
ましてや一人が状況に対して無能であるならば、邪魔でしかない。
『ダゴスさん以下スウォーム部隊の全戦術ネットワーク、シッテムの箱へのリンク完了しました。データ展開します』
アロナがシッテムの箱の権限を用いて、部隊のコントロールを完全に掌握したことを報告する。
「このまま私が指揮を執れば、いい結果を得られるとは思えません。事前に先生に戦力を確認してもらった甲斐があります」
自身の部隊を、先生に評価してもらった最たる理由である。
「最善の選択をするのが上に立つものの務めです。お恥ずかしい話ですが、先生の腕に頼らせていただきます」
ダゴスはモニターに映る敵の圧倒的な布陣を見つめ、ギリッと牙を噛み合わせた。
「もちろん、万一の責任問題も私が引き受けます。その際、先生の脱出手段はすでに確保してありますのでご安心を」
ダゴス自身の立場とプライドを一切捨てた覚悟がそこにあった。女王の願いのためならば、彼は立場に未練などなかったのだ。
先生はそれを聞き届け、目付きをスッと細めた。
「……わかりました。貴方の覚悟、お預かりします」
先生は迷うことなく、先ほどまでダゴスが操作していたコンソールに手をかざす。
シッテムの箱に表示される情報と見比べながら、手元の進路マップを指でなぞり、素早く戦況を分析し始めた。
その傍らで、ダゴスがギリッと牙を噛み鳴らして忌々しげに吐き捨てる。
「それにしても、これほどの規模の物資と人員、二日三日で用意できるものではありません。女王の会見予定を正確に把握し、これだけの準備と必要な資金を用意出来る裏切り者……残念ですが、スウォーム部隊の隊長格に裏切り者がいるとしか考えられない」
ダゴスのその推測を、先生は敢えて無視した。他人の身内事を追求するのはあまり気分のいいものではない、と考えているからだ。
「相手の指揮官はかなりのやり手ですね」
先生の視線は進路マップの先へと向かう。
「この見通しの良い平原で派手な陽動を仕掛け、こちらの弾薬を浪費させる気だ。ジャミングヘリまで用意している以上、ここを抜けた先でなんらかの罠を仕掛けている」
マップを先読みしていた先生の指が、地形が大きく変化するポイントでピタリと止まった。
「待てよ。この先の地形……両側を丘と森林に挟まれた、切り通し?」
先生の額に、じわりと冷たい汗が滲んだ。出発前に列車が通行する予定の地形は確認していたが、そのリスクの詳細な検証を怠ったことが、ここに来て致命的な隙として牙を剥いたのだ。
(あ、やばい)
内心で毒づく。
いくら完璧な迎撃態勢を整えようと、地形という絶対的な物理条件には抗えない。狭所に列車が侵入すれば、罠の仕掛けようはいくらでもあるからだ。
一瞬、列車の停止を考えたが悪手としか思えなかったため、瞬時にその案を棄却する。
「電子班、車両運行システムの電子的防御、そして攻勢を主とする電子戦を直ちに開始。直衛部隊は迎撃態勢を取ったまま指示を待て」
間髪入れず、先生は的確な指示を飛ばし始める。
その手には車内に備え付けられた旧式のアナログ有線電話が握られていた。無線の類は間もなく完全に無効化されるという予測に沿った素早い判断からだ。
――戦場の上空。
傭兵隊長の号令を受け、偽装を解いた二機の大型ヘリから、強力なECM(電子的攻撃)が放射される。
狙うは、防衛側の目と耳である情報通信網の完全な麻痺だ。特別列車からやや離れた形で追いかける指揮用ヘリの機上で、傭兵隊長は戦術端末の画面を眺めながら、敵の対応が混乱による機能不全を起こすのを待った。
だが、車両部隊のM-ATVに搭乗している副官から上がったのは、想定外の報告だった。
「隊長! こちらのジャミングが弾かれています。いや、違います……相手もECMを展開して、電波状況を意図的に泥沼化させています!」
直後、副官からの通信が途絶する。
「思い切りがいいな」
傭兵隊長は双眼鏡から目を離さず、短く唸った。
防衛側は、自軍の通信を正常化させるECCM(対電子妨害)の展開を早々に諦めたのだ。
車体運行システムの乗っ取りを防ぐことに防御のリソースを集中させ、あえて互いに強烈なノイズを掛け合う「電子的な戦場の霧」を作り出したのだ。
(視界の開けた平原だからこそ、自らの電子的な目と耳を捨てる判断を即座に下すか。俺が相手の立場なら同じように選んだかもしれん)
通信の泥沼化と同時に、荒野を駆ける無数の武装バギーと三輪バイクの群れが、列車へ向けて有効射程ギリギリから銃撃を開始しようとする。
だが、彼らの放つ弾丸が届くより一瞬早く、防衛側が鋭い牙を剥いた。
ズガァァァンッ!
特別列車の先頭を走る装甲車両から、鼓膜を破るような砲撃音が轟く。
車両前方上部に備え付けられた110mm連装砲が火を噴いたのだ。
この連装砲は取れる仰角こそ限界はあるが、砲塔であるため360度の全周射撃を可能とする。
後方へと砲塔を回転させ、その火力を迫り来る敵群へ向けて正確に放ったのだ。
着弾の衝撃で荒野の土が抉れ、不運なバギーが空中に跳ね飛ばされる。跳ねたバギーに三輪バイクの一台が不幸にも巻き込まれて横転し、後続の車両がどうにかそれを避ける。
「先頭車両は無視しろ!」
傭兵隊長は電波の乱れる通信機越しに怒号を飛ばす。
高出力に設定した電波通信であれば、距離さえ近ければやり取りが出来る。事前の打ち合わせ通り、隣あう車両やバギー同士での通信リレーが行われていく。
「接弦集中! 通信不良は相手も同じ!」
傭兵隊長は可能な限り、短い通信を繰り返す。指示を受けた傭兵部隊は先頭の装甲車を避け、列車の側面へと群がっていく。
窓枠に増設された銃座から、スウォーム部隊の傭兵たちとヴァルキューレの警察生徒による迎撃の弾幕が張られる。
――ヘリの機上より、その光景を双眼鏡で監視していた傭兵隊長は、強い違和感に襲われた。
(おかしい……この火線の構築はなんだ?)
通信が遮断され、電子的な連携が取れない烏合の衆の混成部隊。にもかかわらず、車窓から放たれる弾幕には一切の死角も、無駄な重複撃ちも存在しなかった。
極めて整然と、まるで一つの巨大な意思に統制された機械のように、敵の接近を徹底的に拒否する完璧な防衛網が敷かれている。
(この指揮の速度と精度、ダゴスにできる芸当じゃない。……あの野郎、招待客である先生に指揮権を丸ごと預けやがったな!?)
敵の防衛責任者が、素性も知れない特使に現場の全権を委譲する――普通であればあり得ない。
だが、その常識外れの決断によって、シャーレの先生という戦術の化け物が、数百の防衛部隊の手足を完全に掌握してしまった。
(だがどうやって通信を維持している? 車内有線でやり取りできる情報で、こんな指揮が出来るはずがない)
傭兵隊長の推測は間違っていない。
先生が車内有線を使ったのは最初だけだ。以後は別の手段――『シッテムの箱』を使っている。
シッテムの箱による絶対的な通信網を通じて、スウォーム部隊とヴァルキューレ部隊の小隊長とだけ連携を取っているのだ。そして現場レベルにおいて、小隊長の指示に従った小隊員が緻密な火線を構築しているのだ。
もしこの事実を傭兵隊長が知れば、自らが挑んでいる相手の理不尽さに戦慄したことだろう。
ジャミングという現代戦のセオリーすら無に帰す、未知のデバイスによる絶対的な指揮統制。
それは正規戦において、敵を絶望させるに足る圧倒的なアドバンテージであった。
『隊長! 相手にやばい狙撃手がいます!』
さらなる悪報が、通信機から飛び込んできた。上空でECMを展開しているジャミングヘリのパイロットからの、悲鳴じみた声だ。
『防弾キャノピーの、一番弱い接合部を一点狙いして割りやがった! 被害はまだないが、このまま撃ち込まれれば操縦席が抜かれます! 狙撃手をどうにかしてくれ!』
「列車直上に移動しろ!」
傭兵隊長は舌打ちをし、列車の屋上へ視線を凝らした。
時速数十キロで荒野を走る列車の屋根の上は、吹き荒れる強風と激しい振動で立っていることすら困難なはずだ。その状況下で、はるか上空のヘリの弱点をピンポイントで撃ち抜くなど、人間の業ではない。
しかも、傭兵隊長の双眼鏡のレンズ越しには、屋根の上からヘリを狙撃している者は誰もいないように見える。
何人か屋根の上から射撃を行っているが、あまり効果的とは思えない。
(誰が撃っている?)
その答えを傭兵隊長が得ることはなかった。
(……駄目。ヒビは広がっているけど、私の火力じゃキャノピーを貫通するのに時間がかかっちゃう)
犯人の狙撃手――霞沢ミユは、スコープ越しに歯がゆさを噛み殺していた。
彼女の異常なまでの存在感の無さは、この極限の戦場においても最高のステルス迷彩として機能している。
ヘリの激しい揺れ、列車の振動、横風。すべてのノイズを感覚で処理し、彼女は息を吐き切った瞬間に愛用のライフルで静かにトリガーを引く。
放たれた弾丸は寸分の狂いもなくヘリのキャノピーの亀裂へと吸い込まれ、確実にそのヒビを広げていた。
しかし、決定打を与えるには至らないまま、とうとうヘリは列車直上の、彼女から射角が取れない位置へと移動してしまった。
(ヒヨリ先輩だったら、絶対に墜とせていたのに……!)
この場にいない先輩がいてくれれば、という思いが、ミユの心に強い焦燥感を生ませていた。
傭兵隊長は自身の目論見が外れ、完全に防衛側にペースを握られている劣勢を素直に認めた。
だが、彼の表情には肉食獣のような笑みが浮かんでいた。
「平原はここまでだ」
双眼鏡の先に見据える景色が、赤茶けた平原から一変する。
列車の進行ルートの左右に、切り立った丘と鬱蒼とした深い森林が迫ってきていた。左右を挟み込まれた狭所――『切り通し』の地形である。
防衛側が完璧な火線を構築し、傭兵たちの接弦を許さなかったことは、結果として防衛側に致命的な隙を生ませた。
敵を危なげなく退け続けたことで、列車は『警戒のための減速』を行う理由を失い、最高速度を維持したまま逃げ場のない罠の底へと自ら飛び込んできたのだ。
「起爆しろ」
傭兵隊長から無慈悲な命令が下される。
列車の先頭車両が切り通しに差し掛かった瞬間、レール脇に仕掛けられていた指向性爆薬が火を噴く。
乗客を巻き添えにして無差別に被害を与えるような列車の横転は避けた。爆風が正確に狙い撃ったのは、先頭車両の足回り――駆動部とブレーキ制御機構へのピンポイントな打撃だ。
限定的な効果を発揮するために、設置には大変時間がかかる。そのため用意出来たのはこの一か所だけだ。しかしその効果は劇的だった。
金属が鼓膜を破るような悲鳴を上げ、凄まじい火花が切り通しの壁面を赤く照らし出す。
指向性爆薬によるピンポイントな攻撃を受け、車両の緊急自動ブレーキが強制的に作動したのだ。
車輪がレールを激しく削りながら火を噴き、急激な減速によって後続車両が次々と連結器をきしませる。轟音と土煙の中、特別列車の機動力が完全に死に絶えようとしていた。
「今だ、撃ち下ろせ」
傭兵隊長の合図とともに、切り通しの丘の上、そして森林の木々の間から、無数のキャニスター弾が列車の屋根へと雨あられと降り注ぐ。
シューッという排気音と共に、特殊なスモークと高濃度の催涙ガスが瞬く間に列車の進行先を覆い尽くす。
「これで視界も完全に塞いだ。屋根の上の厄介な狙撃手も、これでマトモに息はできまい」
濃密な白煙と刺激性のガスにより、車内からの射界は完全にゼロとなる。
傭兵隊長は戦術端末を閉じ、無線機に向かって最終フェーズの号令を下した。
「降下開始、制圧せよ!最優先目標である先生を確保するんだ」
命令と共に、崖上と上空に待機していたヘリから、ガスマスクを装着した数十名に及ぶ傭兵部隊が一斉に降下を開始する。
目標は、先生やシャーレの主力部隊がいると推測される先頭の装甲車両だ。
濃密なスモークと催涙ガスが渦巻く中、独自の判断で屋根上で迎撃態勢を取っていたミヤコたちSRTの面々とアリスに対し、降下部隊は手持ちの火器で強烈な制圧射撃を浴びせかけた。
強制ブレーキの反動で足場の悪い列車の屋根の上、視界を奪われた状態での連続した物理的衝撃は、姿勢を維持するだけでも困難を極める。
「きゃっ!? 前が、何も見えません……!」
ミユが悲鳴を上げ、屋根の突起にしがみつく。
「くそっ、ガスと煙で射界が取れない……アリス、私から離れるなよ!」
「は、はい!」
サキが苛立たしげに声を張り上げる。本来、彼女らを統制すべきミヤコもまた催涙ガスにむせ返り、的確な反撃を指示できないでいた。
そこにダメ押しとばかりに、降下部隊から数発のフラッシュバンが投下される。
強烈な閃光と爆音が炸裂し、屋上に展開した四人の抵抗は完全に封じ込まれた。
その隙を突き、降下部隊はとうとう屋根上へと強行着地を果たす。
同時に、切り通しの斜面を並走するバギー部隊からも、車両側面に向けてフック付きのワイヤーが次々と撃ち込まれ、立体的な挟撃網が完成しようとしていた。
「よし。制圧完了は時間の問題だ」
遠方から双眼鏡で戦況を監視していた傭兵隊長は、勝利を確信して口角を上げた。
足回りを潰し、機動力を奪い、視界を塞いで上から制圧する。これ以上はない勝ち筋だった。
だが、彼が積み上げた現代戦の理詰めの盤面は、キヴォトスに生きる生徒の『異常な技術』を前にして、音を立てて崩れ去ろうとしていた。
――特別列車の先頭、車掌室。
煙と火花に包まれ、けたたましい警告音が鳴り響く計器盤を前に、二つの小さな影が立っていた。
ダゴスが今日のために多額の依頼金を積み、ある学園から特別に招聘した『双子の生徒』である。
彼女たちは、足回りを爆破され、強制停止させられようとしている絶望的な状況を前にしても、微塵も恐怖を見せていなかった。
「あーあ、せっかくの立派な車両なのに、足回りがボロボロじゃん」
「ボロボロ!けどまだ走れるー!」
双子の片割れが、楽しげに笑いながら、強制作動していた緊急ブレーキの制御パネルを物理的に叩き壊して強引に解除する。
そしてもう一人が、重いスロットルレバーを限界突破の領域まで一気に押し込んだ。
「だから、ここで全速力を出したらどうなるかなーって」
「ごーあへっどー!」
二人の無邪気で狂気じみた声が重なる。
本来であれば、ダメージを受けた駆動系に限界以上の負荷をかければ、自重で足回りが完全に焼き切れ、大惨事になる。
だが、彼女たちにとって列車とは、己の手足以上に完璧に制御できる『道具』である。
メカニズムのことはわからない。しかし、こと列車を運行させるという一点においては彼女達に不可能はなかった。
装甲列車の動力炉が、これまで聞いたこともないような異常な咆哮を上げた。
完全に停止するはずだった列車が、ダメージを受けた車輪から凄まじい火花を散らしながら、あるまじき猛スピードで切り通しを突き抜けていく。
「ぬおぉぉっ!?」
常軌を逸した急加速が、車内を容赦なく襲う。
重装甲の指揮車両内でモニターに張り付いていたスウォーム部隊の傭兵たちが、踏ん張りきれずに次々と床を転がっていく。
その中で唯一、床に背中を激しく叩きつけられていたモエだけが、「あははっ、なにこれ最高じゃん!」と痛みに顔を歪めながらも歓喜の笑い声を上げていた。
ダゴスは獣の耳を逆立てながら、とっさに近くの太い手すりにしがみつき、屈強な身体を固定した。
「先生、私に掴まってください!」
ダゴスの怒号が響く中、強烈な慣性によって先生は紙切れのように後方へ吹き飛ばされそうになる。間一髪、ダゴスが差し出した腕に捕まり、床に転がるのを回避した。
乗客の安全など一切考慮しない、物理法則に喧嘩を売るような暴走。
外でそれを双眼鏡で覗いていた傭兵隊長の口からも、素の驚愕が漏れ出た。
「なっ――なんだと!?」
足回りを破壊され、緊急ブレーキで停止したはずの列車。だというのに、突然常識外れの加速を開始し、速度を上げて罠のエリアから強行離脱していく。
この想定外の急加速が、傭兵部隊の完璧な連携を完全に引き裂いた。
『隊長! 列車の加速が速すぎます。こちらの車両が追いつけません!』
『ワイヤーの角度が限界です、このままではヘリごと引っ張られて墜落します。パージします!』
通信機から飛び込んでくる悲鳴じみた報告。
並走していた車両部隊は、切り通しの地形と急加速する列車に取り残され、次々とワイヤーを引きちぎられて後方へと追いやられていく。
そして、列車の屋根に降り立った降下部隊だけが、味方の援護を完全に絶たれたまま、敵のど真ん中に孤立する形となった。
(馬鹿な……。あの装甲列車にサブ動力なんて存在しないはずだ)
装甲列車のカタログスペックをよく知っているからこそ、絶対にありえない事態であると知っている傭兵隊長は、戦術端末に目を落として激しく舌打ちをした。
盤面は完全に裏返った。
孤立した降下部隊を待ち受けているのは、先生の指揮により車内で待ち構えるスウォーム部隊、ヴァルキューレの生徒達による苛烈な十字砲火だ。
防衛側にとっては、敵戦力を分断して各個撃破できる最良のシチュエーションが完成したのだ。
(切り捨てて、再配置するか?)
隊長の脳裏に、損切りという言葉が過る。
だが、彼は奥歯を強く噛み締め、その選択を自ら蹴り飛ばした。
「全車両、エンジンを吹かしてあの馬鹿げた列車を追え! 屋根に取り付いた降下隊を見殺しにはしない」
通信機に向けて、指揮用ヘリ内に響き渡る怒号を飛ばす。
相手の戦術や手駒の異常さは認めよう。だが、ここで部下を見捨てて逃げるような真似をすれば、彼自身の傭兵としての矜持が死ぬ。
双子の車掌による常軌を逸した強行突破により、切り通しの罠を抜け出した特別列車。
だが、傭兵隊長の追撃の足は緩まない。彼は指揮用ヘリから身を乗り出し、前方に広がる次なる地形――別路線との『合流ポイント』を冷徹に見据えていた。
「切り通しの罠はあくまで第一波だ。合流ポイント、予定通り仕掛けろ」
無線機越しに下された命令と同時。
特別列車が複線区間へと差し掛かった瞬間、別路線から猛スピードで並走するように隣のレールに合流してきたのは装甲列車――特別列車の先頭車両のものと同型――が三両。
これが傭兵隊長の切り札である。敵が一両しか編成していない装甲列車を、一度に三両用意してきたのだ。
(……しかし、これは戦力の逐次投入そのものではないか? 自分は悪手を取っているのではないか)
突然脳裏に湧く疑念。
完璧な包囲網を強行突破された焦りからか、傭兵隊長の脳裏に、兵法における禁忌を犯しているという不吉な予感が過る。
だが、彼はその疑念を強引に振り払った。
(あの防衛側の火線構築能力がどれほど異常であろうと、逃げ場のない直線レールの上で、圧倒的な火力と質量を押し付けられれば躱しようがない)
傭兵隊長の口元に、強がり気味の笑みが浮かぶ。
並走状態に入った襲撃側の装甲列車から、上面に備え付けられた110ミリ連装砲が狙いを定める。
狙うは、防衛側の先頭を走る装甲車両だ。計六門の主砲が火を噴く。
防衛側も即座に撃ち返すが、三両という圧倒的な砲門数の差は覆せない。激しい砲撃の応酬の末、防衛側の先頭車両の装甲が次々と剥がれ落ち、列車の速度が再び目に見えて落ち始める。
この事態に至り、ついに防衛側の『切り札』がベールを脱いだ。
後方貨物車の扉が開かれる。この最終局面まで先生が温存し続けていた一機の騎兵が、低い駆動音と共に姿を現した。
騎兵が纏うのは緑の装甲ではない。
山間迷彩色である、泥茶色に塗装された山岳戦仕様――バウンティドッグだ。
「相手の切り札が姿を現したようだな。対応しろ」
(焦る要素はない。相手の切り札には、こちらの切り札をぶつけるだけだ)
傭兵隊長は目を見開いたが、自らの采配の辻褄を合わせるように内心で嘯いた。
彼の指示により、装甲列車の屋根と側面が開く。
せり出してきたのは、八連装有線式誘導ミサイルのランチャーと、全自動対空機銃群。それらの銃口とレーザー照射の赤い光線が、特別列車の後方貨物車へと一斉に収束する。
「撃て! その厄介な騎兵をスクラップにしてやれ」
ジャミング環境下でも一切の影響を受けない有線式のミサイル群が、白煙を引いて殺到する。同時に全自動対空機銃が濃密な弾幕の壁を形成した。
その弾幕が着弾する直前、バウンティドッグは左肩に小鳥遊ホシノを乗せたまま、脚部を折りたたんだ降着姿勢で貨物車の床をローラーダッシュで滑走し、虚空へと跳躍した。
そして、列車の床から足が離れたまさにその刹那、空中で即座に降着姿勢を解除する。機体の重心位置を極力下げたまま、脚部のみを下方へと鋭く伸ばしてレール脇の平地へと接地した。
サスペンションの限界をピンポイントで引き出す神業のような着地機構の利用により、数トンの鉄塊が高速走行する列車から飛び降りたにもかかわらず、その衝撃は最小限に殺されていた。
言葉にすれば単純な機構の可動に過ぎない。だが、誰よりもその異常さを実感したのは、他ならぬ騎兵の左肩にしがみついていたホシノだった。
ホシノはATに関しては完全な素人だが、今の挙動が物理的におかしいことだけは本能で理解できる。
(何、今の挙動!? 列車から飛び降りたのにほとんど機体を揺らさなかった!)
思わず、普段被っている仮面を投げ捨てた素の言葉を、心の中で叫んでいた。
着地の衝撃を吸収するために、ATの膝を曲げたことで起こる上下運動による揺さぶりはあった。しかしそれだけなのだ。
呆気に取られるホシノを乗せたまま、レール脇へ降り立った泥茶色の騎兵は、破壊された貨物列車を横目に、相手の切り札を破壊すべく突撃を開始する。
だが、敵側の切り札である装甲列車からの飽和攻撃は終わっていない。
有線式の誘導ミサイル群が白煙を引いて殺到し、全自動対空機銃が濃密な弾幕の壁を形成して、騎兵の進行ルートを完全に塞ぎにかかる。
レール脇の狭い平地ではいくらATがローラーダッシュによる高機動を誇ろうと、物理的に回避スペースが存在しないこの弾幕を完全に躱し切ることは不可能だ。
傭兵隊長は騎兵の爆散を再度確信した、その時だった。
『一度でいい、火線を凌げるか?』
風切り音の中、騎兵の左肩に掴まるホシノの耳にタグの低くしゃがれた声が届く。
一切の焦りも恐怖も混じらない、しかしホシノならば出来るのではないかという戦術的確認。
「うん、任せて」
兵士からの期待が籠った問いに、ホシノは普段の飄々とした態度を忘れ、思わず真面目な声色で即答してしまっていた。
自身でも驚くほど自然に出た応答。その気恥ずかしさを誤魔化すように、彼女はすぐにいつもの間延びした声を作る。
しかし次に出た言葉の、あんまりにもわざとらしい声色に、余計にホシノは気恥ずかしくなった。
「……お、おじさんやってみるよ」
騎兵の左肩から身を乗り出した小柄な影はもう一方の手に持った巨大なバリスティックシールドを前面へと力強く展開した。
「……ッ!? なんだあの馬鹿げた真似は!」
双眼鏡を覗き込んでいた傭兵隊長が、思わず驚愕の声を上げる。
殺到する誘導ミサイルの群れ。
騎兵は最小限のスライド機動で直撃コースをどうにかズラす、しかし完全な回避は不可能。
だが、その回避しきれないミサイルの弾頭を、影が構えたシールドが正面から受け止めたのだ。
轟音と爆炎が騎兵の上半身を包み込む。
だが、煙を突き破って現れたのは、無傷の茶色の装甲と、シールドの表面を黒く焦がしながらも平然と立っている影――少女の姿だった。
(あの火力を盾一枚で凌いだと!?)
キヴォトスの神秘であるヘイローの加護、そしてホシノ自身に由来する神秘の合わせ技は、傭兵隊長の計算すらも遥かに凌駕する理不尽な防御壁だった。
『助かった。外はこちらでやる、中を任せられるか?』
機体の外部スピーカーから、変わりない口調でタグの確認が響く。
生身の人間がミサイルの直撃を耐え凌ぐという理不尽を目の当たりにしても、彼は動揺することなく即座に反撃行動へと移行していた。
「人使いが荒いけどやっておくよ。主砲とかの類はちゃんとお願いね」
ホシノがシールドを背に回し、膝を曲げて跳躍の姿勢を取る。
同時に、タグは肩に乗せるように右腕で構えた60mmソリッドシューターを並走する装甲列車へ向けて発射した。
放たれた質量弾が、極めて正確に110ミリ連装砲の砲塔根元に直撃。直後、爆風と共に無惨に吹き飛ばす。
『道を作る』
ソリッドシューターの発射とほぼ同時。
バウンティドッグは左腕を敵の装甲列車へと向け、アンカーワイヤー射出機構であるザイルスパイトを射出する。
鋭い射出音と共に放たれたアンカーが、破壊された砲塔の基部を掴む。そして列車とATの間に強靭なワイヤーの橋が架かった。
「ありがとね!」
ホシノが騎兵の肩を力強く蹴り出した。
彼女は風を切り裂きながら、ATの腕からワイヤーへと飛び移り、一切の恐れなく綱渡りで駆け抜ける。そして並走する敵装甲列車へと渡ると、侵入口を探す。
「歩兵一人で侵入するとは命知らずな!」
傭兵隊長は念のため、歩兵の侵入を味方の装甲列車に伝えようとしたとき、双眼鏡越しに見えた少女の顔と特徴的なショットガンに見覚えがあることを思い出した。
背筋に氷をねじ込まれたような悪寒が走り、彼は思わず天を仰いで苛立たしげに吐き捨てる。
「What the hell! ありゃホルスじゃねーか!」
かつてキヴォトス中のブラックマーケットを散々騒がせ、あらゆる賞金首達に恐れられた最悪の生徒。
その規格外の暴力と『暁のホルス』という血生臭い異名を、たった今思い出したことを心底、傭兵隊長は後悔した。
――装甲列車の車内。粉砕された砲塔の基部から侵入したホシノが着地すると、薄暗く赤色灯が点滅する閉鎖空間には、すでに数十名に及ぶ重武装の傭兵たちがひしめき合い、一斉にアサルトライフルの銃口を向けて待ち構えていた。
ホシノはゆっくりと立ち上がり、手に持ったバリスティックシールドを構え直しながら、こきりと首を鳴らす。
「おじさん、こういう狭いところは好きじゃないんだけど……」
間延びした声でぼやくが、そのオッドアイからは普段の眠たげな色が完全に抜け落ちていた。
ホシノの視線が周囲に走る――ここは外部とは隔離された場所だ。ときたま振動が足元を揺らす。おそらくATが、装甲列車を無力化させるために絶え間なくソリッドシューターを撃ち込んでいるのだろう。当然、ATからはこちらの中の様子は伺い知れない。そして先生や、可愛い後輩たちの目もここにはない。
(……誰も見てないし、ちょっとだけ昔に戻ってもいいかな)
自らの内で固く閉ざしていた錠前を、ほんの少しだけ緩める。
瞬間、車内の空気が凍りついた。
それは圧倒的な暴力の気配。『暁のホルス』と呼ばれた時代の濃密な殺気が、狭い通路をびっしりと満たしていく。
「撃てぇっ! 侵入者をハチの巣にしろ!」
傭兵の分隊長が本能的な恐怖を振り払うように絶叫し、凄まじい弾幕がホシノへと殺到した。
だが、ホシノは巨大なシールドの裏に身を隠し、弾幕を真正面から受け止めながら、逆に姿勢を低くして突進した。
「通るよ」
短い言葉に込められた感情をそのまま反映しているかのように、その動きは冷徹にして苛烈そのものだった。
突進の勢いを利用したシールドバッシュが、先頭の傭兵に激突する。重戦車に跳ね飛ばされたかのような衝撃音と共に、数人の傭兵が宙を舞い、列車の内壁に叩きつけられて意識を刈り取られる。
フォーメーションが崩れた一瞬の隙を、ホシノは決して逃さない。床を蹴り、壁を蹴り、天井すらも足場にして、閉鎖空間を上下左右に跳躍する。
「なっ、どこに――」
「上だ!」
傭兵たちが銃口を振り上げるより早く、頭上からホシノのショットガンが火を噴いた。
ズドン、ズドンという腹の底に響く重低音が狭い車内で反響し、広範囲に散る散弾のシャワーが、正確に敵の急所と武器を破壊していく。
ポンプアクションを引く鈍い金属音だけが、まるで死神の足音のように等間隔で響き続ける。
壁を蹴って着地したと同時に、死角から迫ろうとした傭兵をシールドの縁で殴り飛ばし、そのまま振り返りざまに片手でショットガンを発射。
――無駄な動きが一切ない。どこへ逃げても、どこに隠れても、完璧な空間把握能力によって先回りされ、無慈悲な散弾の餌食となる。
「ひっ……化け物、あいつ化け物だ!」
「通路を塞げ! 後退しろ、後退――ぐあぁっ!」
悲鳴と怒号が飛び交うが、ホシノの歩みは止まらない。分厚いバリスティックシールドで敵の反撃を完全に封殺し、死角からの散弾で確実に制圧していく。
前線を単独でこじ開け、敵を蹂躙することに極限まで長けた彼女にとって、逃げ場のないこの一本道の閉鎖空間は、まさに『独壇場』であった。
通信の向こう側、傭兵隊長の耳には部下たちの絶望的な悲鳴が次々と飛び込んでくる。
『隊長! 第1車両はダメです!』『弾が当たりません! 盾で防がれ……ああっ!』『通信室もやられま……』
プツリ、プツリと、部隊のシグナルが消滅していく。
キヴォトスの裏社会を渡り歩き、数多の修羅場を潜り抜けてきた傭兵隊長でさえ、たった一人の生徒によって装甲列車の中身がまるごと食い破られていく事実に、背筋を凍らせるしかなかった。
分厚い装甲に守られていたはずの一両目は、もはや完全に沈黙していた。
ATによって破壊された装甲の裂け目から、ひょっこりと小柄な影が姿を現す――ホシノだ。
彼女の制服には煤や硝煙の汚れ、シールドには数多くの弾痕が残っている。が、その呼吸には一切の乱れがない。
数十人の傭兵を閉鎖空間で蹂躙した直後だというのに、まるで近所のコンビニから出てきたかのような涼しい顔をしていた。
ホシノは、列車に並走するATへと視線を向ける。
そして無言のまま、ショットガンの銃身でクイッと次なる標的――強固にロックされた二両目の乗員用ハッチを指し示した。
(次の列車の入り口、作ってもらえる?)
口には出さずとも、風に揺れるオッドアイと指先のジェスチャーだけで、彼女は明確な戦術要求を伝達していた。
並走するコックピットの中で、タグは微かに息を呑んだ。
一両の装甲車両に満載された人員を単騎で、しかもこれほど短時間で制圧するなど、熟練の歩兵中隊でも不可能な芸当だ。だが、目の前の少女はそれを平然と成し遂げ、当たり前のように次を要求している。
(なるほど、比較対象がミカやツルギというだけはある)
ホシノもまた、自分では逆立ちしても勝てない次元の相手であるという事実を、タグは改めて痛感した。
『空けるぞ!』
外部スピーカーを使って、タグの腹の底から張り上げたしゃがれ声が風を切り裂いて響く。
同時に、バウンティドッグの右腕に抱えられたソリッドシューターが真っ直ぐに持ち上がる。ターレットレンズが回転し、ゴーグルモニターの視界が精密照準モードへと切り替わった。
一拍置いて、狙い違わず放たれた60mmの質量弾が、二両目の装甲ハッチに直撃する。
分厚い鋼鉄の扉が爆発音と共にひしゃげ、結合部を千切られて内側へと無惨に吹き飛ばされる。
「見事なドアノックだねぇ」
ホシノは間延びした声で称賛を口にする。だが、その口元には抑えきれない獰猛な笑みがはっきりと浮かんでいた。
完全に『狩り』の熱に当てられた暁のホルスは、新たな蹂躙の舞台が用意された喜びに目を輝かせ、嬉々とした軽やかな足取りで二両目の暗がりへと飛び込んでいった。
頼まれたことは済んだ、と言わんばかりにバウンティドッグは右腕に構えたソリッドシューターで次のターゲットを探す。
そして放たれた質量弾は、次々と新しい目標を狙い定め、破壊していく。
抵抗していた全自動対空機銃がひしゃげ、外部センサー群が粉砕される。反撃を試みようと開いた銃座ハッチにも間髪入れずにソリッドシューターの一撃が叩き込まれる。
強固な装甲に守られていたはずの装甲列車は、外からの的確な射撃によって手足をもがれ、次々と沈黙していった。
中からはホルス、外からは騎兵。
傭兵隊長が必勝の切り札として投入した三両の装甲列車は、もはや反撃すら許されず、ただの一方的な解体ショーの的へと成り下がっていた。
(馬鹿な……たった一人と一機に、全てが食い破られているというのか)
呆然とする傭兵隊長の耳に、致命的な報告が届く。
『た、隊長! 操縦システムに手榴弾をしこたま放り込まれました! 動力が……!』
悲鳴を最後に通信が途絶え、自軍の装甲列車から猛烈な黒煙が噴き上がる。
ブレーキの激しい摩擦音と金属が軋む悲鳴を上げながら、巨大な鉄の塊が急激に速度を落とし、後方へと引き離されていく。
「お邪魔しましたー」
減速していく装甲列車の窓から、ホシノが再び跳躍する。
ホシノを確認したバウンティドッグが、着地地点で彼女を待ち受ける。
再びATの肩に飛び乗ったホシノ。
『怪我は』
「ないよ。次は後ろのバギーとか片づけよっか」
ホシノがショットガンの排莢を行いながら、ニコリと笑う。
『いいだろう』
タグはATの上半身だけを後ろに振り返らせた。
味方への脅威であった装甲列車を完全に無力化した今、残る敵は後方から追随してくるバギーとバイクの部隊のみ。
バウンティドッグのターレットレンズが、ギラリと冷たい光を放ちながら回転する。
『掃討を開始する』
ホシノは無言でリロードを終えたショットガンを構えた。
(これ以上の損害は、ビジネスの範疇を完全に超える)
決断は早かった。
指揮用ヘリのキャビン内。
シートに重く身を投げ出した傭兵隊長は、双眼鏡を床に放り出し、被っていたベレー帽を深くずり下げて顔を隠した。
左手に握っている通信端末へ向けて、喉の奥から絞り出すような声で敗北宣言を告げる。
「現時刻を持って作戦は失敗。撤退信号を放て、合流地点は予定通りだ。……脱落した連中は、可能な限り回収してやってくれ」
疲労の滲む、しかし未練を完全に断ち切った声が機内に響く。
直後、指揮用ヘリのハッチから空へ向けて、色鮮やかな撤退の信号弾が放たれた。
それに呼応するように、地上で防戦一方となっていた副官の車両からも、同じ色の信号弾が荒野の空へと打ち上げられる。
上空でECMを展開していた二機の大型ヘリは即座にジャミングを停止し、機体を反転させた。切り通しやレール上に置き去りにされた味方の捜索と回収へと飛んでいったのだ。
地上では、襲撃初期の圧倒的な物量に比べ、目に見えて半数以下にまで削り取られたバギーと三輪バイクの群れが一斉に減速する。
彼らは土煙を上げながらUターンし、蜘蛛の子を散らすように戦闘地域から離脱していった。
ベレー帽で目元を隠したまま、隊長は深く息を吐き出す。
生き残った安堵よりも、プロとして完璧な作戦を根底から粉砕された徒労感が全身を重くしていた。
「列車で捕まった連中の身代金交渉と、お偉方へのごめんなさいの謝罪文を考えるか」
自嘲気味に呟くが、その声に悲壮感はない。負け戦の尻拭いもまた、傭兵の仕事の一部に過ぎない。
揺れるヘリのシートに背中を預けながら、彼の脳裏に五日前の夕食の記憶が蘇る。
(……あと、やはりあの店でプルドビーフを食い直すか)
冷めた肉ではなく、出来立ての熱い奴を。
そんなささやかな欲求を思考の隅に追いやりながら、隊長は激務と極度の緊張で擦り切れた神経を休めるため、仮眠の闇へと意識を手放した。