装甲騎兵ボトムズ -蒼の記録-   作:ジミーボーイ

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番犬

ミレニアムサイエンススクール郊外の「廃墟」から帰還したスコープドッグは、再びエンジニア部の作業ガレージの中央に鎮座していた

一時間近い戦闘を終えた機体だが、その緑の装甲には目立つ損傷は見当たらない

微かな焦げた匂い、装甲に張り付いた汚れが、先程まで行われていた戦闘を証明していた

 

「よし、各部のデータリンク正常。マッスルシリンダーのコンディションは正常範囲内だ。――彼の言う通りターボカスタム仕様はあまり多用するべきじゃないな。わずか一時間の戦闘だというのに、脚部回りにストレスが集中している」

 

ウタハがタブレットから目を離し、息を漏らす。その視線の先では、赤い耐圧服を着た小柄なパイロット――タグが、首元のロックを外して耐圧服のヘルメットを脱いでいた

汗に濡れた前髪の奥から覗く鋭い瞳は、エンジニア部への感謝の色を浮かべている

 

「――調整は完璧だった。俺は引き金を引くだけで終わった」

 

淡々と告げるタグ

 

「謙遜はよしてくれ、ミスター・タグ。君の腕と命懸けのデモンストレーションのおかげで、我々は十分すぎるほどの『資金』を得た。……感謝するよ」

 

ウタハはそう言って、労うようにタグの肩を軽く叩いた

その時、ガレージの入り口で軽快な電子音が鳴り響いた。配達用ドローンが、大きな保温バッグを抱えて到着した音だ。

 

「あっ、来ました来ました! 特注のデリバリーピザです!」

 

コトリが弾んだ声で駆け寄り、大きな箱をいくつもテーブルに並べていく

その横で、無言のままヒビキが紙コップを四つ並べ、よく冷えた2リットルのコーラのペットボトルを開封した――祝勝会をするならコーラを用意してくれ、と希望したのはタグだ

 

――シュワッ、という炭酸の弾ける音がガレージに響く

 

「お祝いだよ。公開実証の成功と、我々の立派な成果、そして最高のパイロットに乾杯しよう」

 

ウタハの音頭で、四つの紙コップが掲げられる。そして思い思いに口をつける

 

タグは紙コップの中の黒い液体を、一息に飲み干した

 

(……甘い。舌と喉を刺す刺激に、俺は夢中になっている)

 

微かに眉をひそめたタグだったが、それは不快感からではなく、強烈な刺激にまだ慣れていないだけだ。むしろ、緊張とG負荷によって消耗した身体の細胞が、その強烈な糖分を歓喜と共に吸収していくのがわかる

 

「タグ、これも」

 

ヒビキが横からスッと、紙皿に乗せられたピザを差し出した

厚めの生地の上には、過剰なほどのチーズとペパロニ、そしてテリヤキチキンが乗せられ、熱気と共に凶悪なまでのカロリーの匂いを漂わせている

もちろんこんな食べ物もタグの知識にはない。しかしピザの熱気は、微かに残ったタグの警戒心を容易く破壊した

 

「……もらおう」

 

タグはそれを受け取ると、無造作に一切れ持ち上げ、口に運んだ

――瞬間、彼の動きがピタリと止まる。

 

「あっ、タグさん!ピザの歴史についてご存知ですか? キヴォトスにおいてピザは単なるファストフードではなく、各学園の文化と密接に結びついておりまして――」

 

「コトリ、今は講義の時間じゃない。彼を休ませてあげてくれ」

 

ウタハが苦笑しながらコトリを制する中、タグは無言のまま二口目、三口目とピザを咀嚼し、胃へと流し込んでいく

 

美味い。その一言に尽きた

 

アビドスやここのカフェテリアでの食事もそうだが、戦場で生き延びるためだけに摂取してきた兵士食とは根本的に違う。脳髄を直接揺さぶるような脂質と塩分、そして旨味の暴力だ

戦場で張り詰めていた神経が、このジャンクな食べ物によって強制的に弛緩させられていく戸惑いと望外の喜びに、タグは未だに慣れない

 

「……タグ、顔にソースがついてる」

 

ヒビキが、タグの頬を指差した。

言われてタグは、無意識のうちに口の周りを汚していたことに気づき、手の甲で乱暴にそれを拭い取る。その仕草は、戦場で見せる冷徹な機械のそれではなく、空腹を満たすことに夢中になっている一人の男のそれだった

 

ヒビキは、紙コップを両手で持ちながら、そんなタグの横顔をじっと見つめていた

ヘイローを持たない彼が、たった一つの操作ミスで命を落とすかもしれない戦場に向かう前、ヒビキの手は微かに震えていた

だが今、ピザを頬張り、コーラでそれを流し込む彼の姿には、歴戦の傭兵というよりも、育ち盛りの子供のような無防備さがあった

 

(……大人みたいに見えるけど。ほんとは、案外子供なのかも)

 

「……どうした?」

 

視線に気づいたタグが、ピザの耳をかじりながら首を傾げる。

 

「ううん。なんでもない。……あっちのシーフードのやつも、美味しいよ」

 

ヒビキは小さく微笑むと、新しいピザの箱をタグの方へと押しやった

明日になれば、ひと騒動が起きることを、彼らはまだ知る由もない。今はただガレージの中で、ひとときの安らかな夜が更けていった

 

 

――翌朝。セミナーの執務室は、重苦しい空気に包まれていた。

デスクの向こう側で、早瀬ユウカは両手でこめかみを強く揉みほぐしていた

その手元には、エンジニア部から提出された分厚い仕様書と、昨日の公開実証――主に廃墟の破壊状況と、幾つか撃ち落された撮影ドローンの被害額――の報告が山積みになっている

 

「……結論から言います。マッスルシリンダーについては、校有特許の申請を予定通り受理します」

 

ユウカは、絞り出すような声で言った。その傍らには、すでに胃へ流し込まれた粉末胃腸薬の、空の包みが転がっている

 

「ミレニアム、ひいてはキヴォトスにおいて未完成であった人工筋肉の実用化。そのブレイクスルーとしての価値は、セミナーとしても全会一致で認められます。たとえ元が異なる世界の

発明品といえど、扱いを変えることはありません。……ただし」

 

ユウカの声音が、一段と低く、鋭くなった。彼女は仕様書の一つの項目――赤字で強調されたページをバン、と叩いた。

 

「この『ポリマーリンゲル液(PR液)』! これに関しては絶対に、いかなる理由があろうとも学園内での使用と保管を認めません! 却下です!」

 

「ユウカ、落ち着いてくれ。PR液の運用には厳密なマニュアルを作成し――」

「落ち着いていられますか! 仕様書を読みましたよ! 『気化しやすく、自然発火の可能性が高い』『漏洩した場合、高確率で爆発事故を発生させる。周辺一帯を火の海に変える可能性高し』……そんな危険物を、生徒が日常的に出入りする場所で運用するだなんて正気の沙汰じゃありません!ヘイローを持たないパイロットを乗せて実弾演習をしただけでも大問題なのに、これ以上のリスクは絶対に許可できません!」

 

ユウカの正論にして悲鳴に近い抗議に、ウタハは腕を組み、深く息を吐き出した。コトリは気まずそうに視線を泳がせ、ヒビキは無言で床を見つめている

彼らの背後に立つタグは、一連のやり取りを静かに眺めていた

 

――アストラギウス銀河において、兵器の安全性など二の次、三の次だ。パイロットの命よりも機体のコストが優先される世界で生きてきた彼にとって、ユウカの「過剰なまでの安全性への執着」は異質ですらあった。しかし、同時にそれがこの平和な世界の一般的な常識であることも、この数日で理解しつつあった

 

(本来はそれが正しい考えかもしれない)

 

最近のタグの脳裏には、アストラギウス銀河全体の歪さが、具体的な形となって浮かび上がりだしていた

 

「……仕方ない」

 

ウタハが沈黙を破った

 

「PR液のオリジナルレシピでの運用は諦めよう。だが、機体を動かさないわけにはいかない。代替液を調達する案でもいいかな?」

 

「安全性が100%保証されるならそちらで特許申請を認めます。ですが、エンジニア部の今の予算と設備で、一から安全な代替品を開発する余裕はありますか?」

 

「――アウトソーシングで頼むつもりだ」

 

ウタハの脳裏には、すでにいくつかの「心当たり」が浮かんでいるようだった。

 

 

ユウカとの会談から三日後、エンジニア部の作業ガレージ

 

特急で外部の協力部活(主に素材工学や化学を専攻する生徒たち)に発注し、大急ぎで精製された「代替PR液」のタンクが運び込まれていた。オリジナルの青緑色とは異なり、青一色である

 

(――俺が思っている以上にここの技術水準は高いな。アストラギウスに比べて劣る部分もあるが、それ以上に上回る部分もある)

 

考えにふけるタグの横に、ウタハがタブレット片手に近寄る

 

「不燃性のシリコンベースにして、特注の触媒に置き換えた。おかげで引火点はかなり引き上げられている。揮発性も抑えられたから、ユウカの要求した安全基準はクリアしている」

 

ウタハがタブレットで成分データをチェックしながら告げる。ヒビキが慎重な手つきで、スコープドッグの腰部循環ユニットに代替液を注入していく

 

「……問題は、動力伝達効率だ」

 

そう呟くウタハにうながされたタグは、狭いコックピットに潜り込む

 

液体の充填が完了し、駆動スイッチを入れる。低い唸り声と共に、マッスルシリンダーが収縮を始める

 

「タグ、マニューバのテストを。ゆっくりでいい」

 

ヒビキがインカム越しに指示を出す

 

タグはペダルを踏み、コントロールスティックを動かした

――ギチ、と重い金属音が鳴り、スコープドッグの右腕が持ち上がる

 

(……遅い)

 

タグの脳内にあるオリジナルのタイミングと、実際の機体の動きの間に、明確なラグが存在した。パワーの立ち上がりも鈍い。タグは冷静に計器の数値を読み上げながら、自身の所感を伝える

 

「感覚的には、オリジナルの20%減といったところだ」

 

「やはりか」

 

ウタハが眉をひそめる。タブレットに表示される情報をさらに読み上げる

 

「安全性を優先した結果、エネルギー変換効率が大きく犠牲になっている。加えて、代替液の劣化も凄まじい速度だ。激しい戦闘機動を行えば、一度の満注入で……持って10時間前後、というところだね」

 

出力20%ダウン。そして、10時間というシビアな稼働制限

それは、兵器としてのスペックダウン、いわゆる『デチューン』に他ならない

 

「……使えないことはない」

 

だが、タグの声に悲観の色はない。彼は計器盤を見つめながら、その制限されたスペックの中でいかに最大の戦果を上げるか、という考えに集中する

 

「出力が落ちた分、機体の制御はかえって容易になる。稼働時間の制限も、敵地に三日も放り込まれるような状況にならなければいい」

 

(その場で用意された武器で戦う――いつものことだ)

 

その後、オリジナルのPR液に関する資料と残存するPR液は、ミレニアムサイエンススクールの地下深くの金庫に封印が決定したとセミナーから通達が行われた

 

 

 

トリニティ総合学園、ティーパーティーのテラス

 

手入れの行き届いた庭園には穏やかな風が吹き、紅茶の香り――ホストのお気に入りの品種――が漂っていた

だが、その優雅な景色とは裏腹に、テーブルを挟んで座る二人の間の空気はひどく張り詰めている

 

ホストである桐藤ナギサは、完璧な微笑みを顔に貼り付けていたが、周囲の光景がその異常性を物語っていた。優雅なテラスの周辺には、普段の何倍もの数の正義実現委員会の生徒たちが、息が詰まるほどの警戒態勢で配置されている

張り詰めた空気の中、ナギサの持つティーカップが、微かにカタカタとソーサーにぶつかり、震える音を立てる

 

「――却下いたします、先生」

 

ティーカップをソーサーに置く甲高い音が、静寂を破った

彼女の瞳には、一切の妥協を許さない冷たい光が宿っている

 

「エデン条約調印式は、トリニティとゲヘナ、両校の未来を懸けた極めて繊細な政治儀式です。そこにシャーレ所属とはいえ、得体の知れない部外者を参加させるなど、到底承服しかねます」

 

「ナギサ、あの機体は、万が一の事態に対する強力な抑止力になる。先日のミレニアムでの公開実証のデータは見たはずだ」

 

「ええ、拝見しました」

 

「その上で駄目かい?」

 

「だからこそ否です」

 

鉄面皮のごとき表情の裏で、彼女の神経はすでに限界まで擦り切れている。裏切り者は誰か。ゲヘナは何を企んでいるのか。見えない敵への恐怖――パラノイアが、彼女の理性を蝕んでいたことを先生は知っていた

 

「先生のご提案には感謝いたしますが、会場の警備は予定通りトリニティの正義実現委員会と、ゲヘナの風紀委員会のみで行います。それ以外の戦力の参加は、一切認めません」

 

これ以上の対話は、彼女の強迫観念を刺激するだけだ

彼女の壊れそうなほどの疑心暗鬼を前にして、先生は小さく息を吐き、引き下がるしかなかった

 

 

――数時間後

 

シャーレの格納庫にて、新設されたAT専用メンテナンスハンガーにはスコープドッグが安置されている

その外見はターボカスタムではなく、原型機に近いフォルムに変化している

そのスコープドッグの足元で、脚部回りを弄っているタグに声がかかる

 

「タグさん、戻りました。整備用設備一式、搬入終わったんですね」

 

トリニティ学園から帰ってきた先生が、困り顔で格納庫に顔を出す

タグはオイルで汚れたウエスで手を拭いながら、表情一つ変えずに立ち上がった

 

「ああ。AT運用に最低限の設備はそろった」

 

初めて会ってからシャーレに雇用された当初まで、タグは丁寧語で話していた。さながら上官へ話しかけるように、だ。しかし先生から「普段の口調でお願いします。シャーレは軍隊ではないですから」と言われ、今の気安い話し方に戻している

 

「すこし装備変わりましたね。背中や足がスッキリしてるようで」

 

「前の装備は消耗が激しくなる。必要じゃないから外した」

 

「――僕が貴方をどうしても雇用したかった理由の一つだった案件、進捗がありました」

 

先生の表情はあまり芳しくない

 

「その様子だとあまりいい条件は引き出せなかったようだな」

 

「その通りです……オフィスで話しましょう、長話になります」

 

 

作業服姿から、着慣れた耐圧服に着替えたタグがオフィスに入る。湯気を立てたコーヒーを飲んで先生はデスクで待っていた

向かいに座ると、こちらにもコーヒーが出された。タグは備え付けのポットから角砂糖を5個、コーヒーに移す

 

互いのコーヒーをすする音が何度か響く

 

口を開いたのはタグからだ

 

「ATの整備、身分保障、そして仕事の斡旋――色々と恵んでもらった身だ。言ってくれ、俺が出来ることならやろう」

 

タグの反応に少しだけ救われたように、先生はタブレットを取り出し、地図を表示した。

 

「タグさん、トリニティ学園とゲヘナ学園のことは覚えていますか?」

 

「世話になったミレニアムを含めて3大学校と呼ぶこと。そして犬猿の仲、という程度だ」

 

「十分です。その二大学園が近々平和条約を結びます。その名はエデン条約です」

 

タブレットの地図には、二大学園とその間の地区が示されている

 

「条約の調印式会場はここ。最初の予定では会場の一角に監査部隊という名目で、タグさんに駐在してもらおうと思いましたが、両学園から断られてしまいました――ゲヘナはねじ込めそうな感触はあったんですが、トリニティが無理でした」

 

「ではどうする?」

 

「調印会場から最寄りの中立地区で待機してください。何か起きた場合、そこから現場に突入してほしい」

 

「会場からの距離は?」

 

「スコープドッグなら会場まで数分といったところでしょう」

 

「――何かが起きる、と先生は踏んでいるんだな」

 

「僕は生徒は信じているけど、それ以外は“信じていません”ので」

コーヒーをすする音がそこで挟まる

 

「先生の思想はわからん。が、俺の待遇が良い理由はよくわかった」

 

「僕が用意出来るものは全て用意できたと思います」

 

(だから、シャーレの力になれということか。存外、俺はこの人とは相性がいいかもな。報酬と対価で話を進めてくれるのは楽だ)

 

 

「そういえばセミナーのユウカとエンジニア部のウタハから連絡が来ました。向こうで大立ち回りしたそうですね」

 

「必要に迫られてだった。それとPR液のことに関してはこちらの常識に合わせるしかないな」

 

「本音を言うと、シャーレでPR液のオリジナルをそのまま運用するのは止めてほしいなと思っていました。タグさんには不満があると思いますが、代替品の使用を飲んでもらって助かります」

 

「縛りが増えただけだ」

 

空になったマグカップを見せられて「もう一杯飲みますか?」と聞かれたのでタグは頷いた

 

 

タグは、差し出された新しいコーヒーに口をつける。――今度は砂糖なしだ

 

「中立地区について説明します。正式名はD.U.といい、連邦生徒会の直轄地です。その下部組織であるヴァルキューレ警察学校の管轄エリアの倉庫の一つを借ります。当日、貴方にはそこで待機してもらいます」

 

「――事前に倉庫に持ち込みは?」

 

「可能です。ただ話が前後しますが、ヴァルキューレからシャーレに依頼がありまして。D.U.は現在、連邦生徒会長の失踪で治安が大幅に悪化しています。そこへエデン条約締結という一大イベントです。さらなる治安悪化の防止、そしてあわよくば治安回復の手助けを求められました」

 

「都合がいいな」

 

「はい。ヴァルキューレには悪いですが『下請け』という名目で彼女らの仕事をいくつか回してもらう予定です。つまり大っぴらにATを市街地で動かせる名目を得てきました」

 

先生は懐から一枚のプラスチックカードを取り出し、タグに差し出した。

 

「それと今後、職員として活動するなら必須である約束の品です。シャーレの特権を使って発行した、貴方の公式な身分証です」

 

そのカードを受け取った。表面にはシャーレのエンブレムと、不愛想な彼自身の顔写真がプリントされている

 

「名前は『タグ』。年齢、出身校、過去の経歴……すべて貴方が指定した通り、実態のないデタラメな情報で登録してありますが正常に利用できます。連邦生徒会のデータベース上でも、今日から『キヴォトスに存在する正規の住民』として扱われます」

 

「……確認した。感謝する」

 

タグは親指でカードの表面をなぞる。瞳の奥に、僅かだが明らかな安堵の色が浮かぶ

 

これこそが、彼が命を懸けてスコープドッグのデモンストレーションを行い、先生の危険な依頼に頷いた最大の理由だった

 

自分をこの世界に追放したのか、あるいは制裁を加えるために追いかけてくるのか――アストラギウス銀河の意志たる神には、それを可能とする能力があるとタグは信じている

 

その全能の視線から逃れるためには、この世界のシステムに完全に溶け込み、自らを偽装する完璧な「隠れ蓑」がタグには必要だった

 

(これで、奴の監視の目から少しでも遠ざかれればいいんだが……)

 

カードを赤い耐圧服の胸ポケットに深く仕舞い込んだタグに対し、先生は手元のタブレット端末――シッテムの箱を起動した

 

「シャーレのデータベースにもタグさんの生体認証をリンクさせておくよ」

 

『はい、先生!お話は長かったですがばっちり起きてますよ!』

 

タブレットの画面が青く発光し、電子音と共に澄んだ少女の声が響いた。

画面の中央には、青と白を基調としたセーラー服を着た少女――アロナが姿を現し、先生に向かって元気よく手を振っている。

 

「新しい協力者のデータ登録をします。タグさん、ちょっとまってください。名前は……」

 

『えっと、タグさん、ですね! データリンク、完了しました! 』

 

画面の中のアロナが、タブレットの枠越しにタグの方へ向き直り、ぺこりと頭を下げた。

タグは、無言のままタブレットの画面を見つめていた。彼の視線は、表示された文字列でもデータでもなく、明確に「アロナの姿」を捉えていた。

 

「……奇妙なインターフェースだな。高度な疑似人格型のAIか?」

 

タグが淡々と尋ねる

その言葉に、ピタリと動きを止めたのは先生の方だった

 

「え……?」

 

先生はタブレットとタグの顔を交互に見比べた

 

『あれ? 先生、どうしたんですか?』

 

アロナが小首を傾げる。先生は信じられないものを見るような目で、タグに問い返した。

 

「タグ……さん、今、この画面にいる女の子が見えているのか? 声も聞こえているのかい?」

 

「?ああ、青い服の少女に見える。音声ユニットも正常だと思う。俺に挨拶をしたんじゃないのか」

 

タグは心底不思議そうに眉をひそめた。過剰に愛玩的なホログラムだが、ユーザーインタフェースとしては必要なのかもしれん、と彼は解釈した

 

だが、先生の内心は驚愕に支配されている

シッテムの箱のメインOSであるアロナは、本来「先生」にしか視認できず、声も聞こえない。キヴォトスの生徒たちですら、ただの真っ暗な画面にしか見えないはずなのだ

頭上に光の輪(ヘイロー)を持たず、異世界から来た大人。彼がなぜ、シッテムの箱の「神秘」を認識できるのか

もしかしたら――外から来た大人、というのがアロナを認識できる条件なのか?それを今ここで確認する術は、先生にはなかった

 

「……いや、なんでもない。……そうだね、これからよろしく頼むよ、タグさん」

 

先生は動揺を隠すように微笑み、タブレットを閉じた。

タグは自らの偽りの身分証を胸に抱き、先生はタグという存在の底知れなさに戦慄を覚えていた

 

時計の針は進む。エデン条約調印式までそう遠くない

 

 

 

首輪の鎖が鳴るたび、鉄の軋みがアスファルトを削る

シャーレの狗となったスコープドッグ

だが、無口な獣は決して無駄な血を流さない

交通整理、強盗退治、暴徒鎮圧

D.U.の泥水を黙々とすする日々

そこに転がり込んでくる、破滅を呼ぶ確率のダイス

ミレニアムすら檻に繋ぐ、けたたましく笑う札付きの厄介者

計算不能な混沌が、鉄の棺桶の隣で奇妙なカードを切る

 

次回、「悪運」

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