焦燥をなくす旅 ― 廻る世界の中で ― 作:Virus Miss
教室に充満した険悪な空気から逃げるように、僕は廊下に出た。
さて、この後はどうしようか。寮に戻って荷解きをしてもいいが、まだ時間は十分にある。せっかくだし、これから通うことになる学院内を探索しておこう。
「なぁエレシア、この後どうする?」
返事がない。
隣を見たが、そこに幼馴染の姿はなかった。
まさかと思い廊下の先を見ると、遥か彼方、食堂へと続く道を猛然とダッシュしていく背中が見えた。……うん、無視しよう。あいつの食欲は誰にも止められない。
気を取り直して、僕は一人で歩き出した。
大体の施設はシオン先生の案内で見たが、あくまで外観だけだ。中身を見ておきたい場所がある。
そう、図書館だ。
重厚な扉を開け、足を踏み入れる。
瞬間、古本特有の乾いた匂いと、静寂が肌を包んだ。聞こえるのは、紙をめくる微かな音と、誰かがペンを走らせる音だけ。ものすごく集中できそうな環境だ。
カウンターにいる司書の方に一礼して、奥へと進む。
そこは、知の迷宮のようだった。
円柱状に配置された巨大な本棚は、天井まで届くほどの高さがある。上の方の本はどうやって取るのだろうと見上げていると、小さなフクロウのような使い魔が、本を抱えて宙を飛んでいるのが見えた。なるほど、魔法で管理されているのか。
僕は円柱の本棚を抜け、さらに奥にある閲覧スペースへと向かった。
ここには魔術書、剣術の指南書、各国の歴史本、そして物語まで、多種多様な本が並んでいる。背表紙を眺めているだけでも時間が過ぎていきそうだ。
ふと、最奥にある少し埃を被った棚が目に入った。
そこだけ空気が違うというか、妙に静かで……なぜか、気になった。
吸い寄せられるように近づき、一冊の本を手に取る。革張りの古びた装丁。タイトルは掠れているが、辛うじて読める。
「『初代勇者の伝記』……?」
初代勇者といえば、約三千年前の伝説の人物だ。この本もそれなりに古いものなのだろうか。
なぜこんな場所にあるのだろう。
不思議に思いつつ、ページをめくってみる。
そこに書かれていたのは、見たこともない形状の文字だった。現代の言葉とは明らかに違う。
――はずなのに。
「……読めるな」
頭の中で、勝手に文字が意味を持って変換されていく。どこか懐かしい感覚すらあった。
所々、インクが滲んで読めない部分があるが、大意は掴める。
『勇者一行は4人*た。勇者・聖女・*法*い・戦士の*人。
勇*の名は***。腰に剣を*え、淡*金**澄ん**い瞳。表情は穏や*で笑うと***気になった。
聖女*名は***ア。短い杖**ち、銀**い白髪で淡**の瞳、髪は肩にかか**らい*長さだった。お淑やかで清廉潔白。まさに聖***べき人。
魔**いの名はリリ**。背の***る杖を浮かせて、茶髪*赤*瞳、髪は腰くらいまであ***ていた。元気**憐な少女み**な人だった。彼女が***周**明るくな**んな雰囲**あった。
戦士の名は**。真っ赤な槍のよ**ものを持ち、黒くて緩い癖っ毛の***っ黒の*。いつも無表****の人間と**喋*****しか見た*とないが**ている時**し笑って**気がした』
勇者、聖女、魔法使い、戦士の四人パーティか。
記述されている容姿の特徴が、なんとなく僕やエレシアに似ている気がするが、偶然だろうか。
『最も*名*功績といえ**者と聖女が魔王を討****とであろう。魔法使い**の前に病***くなって*****て戦**行方*明らしい。凱旋**ていた時**者と聖女の表*は笑っ****振ってい*が私には暗**えた。おそら**間のこと*思っ**らっしゃて**の*ろ*。その後*……』
「……それ、読めるの?」
不意に、背後から声をかけられた。
心臓が跳ねるのを抑えながら振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。
淡い青みを帯びた黒髪を、背中まで長く伸ばしている。瞳は宝石のアメジストのような蒼紫色で、静かな光を宿していた。
肌は透けるように白く、細身で華奢な体つきだが、その立ち姿は凛としていて隙がない。
無表情の中に、名家特有の気品を纏っている。
クラス分けの時、圧倒的な魔力を見せた「極位」の少女だ。
「あ、これ? 読めるよ。だけど所々読めない部分があったな。古い本だからしょうがないけど」
「違う」
彼女は僕の言葉を遮り、じっと僕の目を見て言った。
「昔の文字、読めるの?」
彼女が指差したのは、本の中の文字そのものだ。
ああ、そうか。これは「昔の文字」なのか。
「昔の文字だったの? 僕の幼馴染のエレシアも読めてたから、特別なことだとわからなかったな」
「……」
彼女は少しだけ目を見開き、すぐに元の無表情に戻った。
そして、短く問う。
「名前」
「?」
「名前」
なるほど。言葉を極限まで省くタイプの人らしい。
「レオンだよ」
「……
「よろしく、星導さん」
僕は挨拶のつもりで右手を差し出した。
しかし、彼女はその手をじっと見つめるだけ。
数秒の沈黙の後、彼女は握手をすることなく、踵を返して本棚の奥へと歩き去ってしまった。
「……あれ?」
差し出された手が行き場を失って空を切る。
嫌われたのだろうか? それとも、握手の文化がないのか?
不思議な人だった。
「まあ、いいか」
時間を確認する。そろそろ夕方だ。
本を棚に戻し、僕は図書館を後にした。
まずは寮に行って荷解きをしよう。そして、食堂にいるはずのエレシアを回収しなくては。
【使い魔について】
作中の図書館で登場したフクロウのように、魔術師や人間が動物や魔物と「契約」を交わし、使役する存在のことです。
契約の形態は様々で、主従関係を結ぶものから、相棒として対等な契約を結ぶものまであります。
主な役割:
雑務・サポート: 図書館の本運びや、手紙の配達、偵察など。小動物や知能の高い魔物が選ばれます。
移動手段: ワイバーンやグリフォンなどの大型の飛行魔物と契約し、空の移動手段(騎乗)として活用する者もいます。
戦闘: 共に戦うパートナーとして契約する場合もあります。
この世界では、実力のある魔術師や騎士が使い魔を連れていることは珍しくありません。