救済の灯火に、子守唄を   作:2ndラスタ

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パトリオット回


04. 愛国者たち

 最初に異変に気付いたのは、医療班でも、参謀でもなかった。

 

 記録係のルーンリットだった。

 

 彼女は「数」を信じる人間ではなくなった。数は便利だが、真実そのものではない。数は、嘘を吐くときに必ず歪む。

 だから彼女は、毎日の記録に小さな癖を持っていた。会議の議事録と同じくらい、寝台のそばの沈黙も書き留める。呼吸の間。瞳の揺れ。汗の出方。指先の温度。

 

 昏睡時間、増加傾向。

 

 最初は三十分ほどだった。その次には一時間。

 呼吸は安定、脈は乱れない。鉱石病の進行も見られない。

 体温も平常。なのに、意識だけが深く沈む。

 

 「疲労だ」と医療班は言った。

 「当然だ」と参謀は言った。

 「聖下は聖下だ」と部下は言った。

 

 彼らの言葉のどれも、間違ってはいない。

 だが、どれも足りない。

 

 ルーンリットは報告書の末尾に、余白のように書き足した。

 

 ――蓄積の兆候あり。

 

 それは断定ではなかった。断定するには材料が足りない。

 だが、書かないで済ませるには重すぎた。

 その紙を折り、胸の内側へ仕舞った。誰に見せるべきか、迷っていたからだ。

 

 結局、彼が向かったのは重装の男のもとだった。

 

 

 鉄の軋む音がする。

 鎧の継ぎ目がわずかに擦れ、皮革が鳴く。そこにいるだけで、空気が硬くなる。

 

 パトリオットは机に地図を広げ、指で線をなぞっていた。補給路、哨戒の交代、陣地の延伸。国家を生かすのは奇跡ではなく、こうした線の連続だ。

 

 「用件、は」

 

 鉱石病によって喉も患っている彼の声は低く、特徴的に区切って話す。

 ルーンリットは紙束を差し出した。

 

 「タルラ様の件です」

 

 パトリオットは受け取らない。視線だけを寄越す。

 

 「数値上の異常はありません。しかし、分与のたびに意識消失時間が延びています」

 「何時間、だ」

 「昨日は六時間を超えました。間隔もほんの少しずつではありますが…」

 

 鎧の指が地図の一点で止まる。たったそれだけで、返答の速度が変わったことが分かる。

 

 「他に、変化は」

 

 「目覚めの直後には、発言の遅滞。視線の焦点のずれ。まれに、他者の口調が混じります。……本人が気付いているかは不明です」

 

 そこで初めて、パトリオットは顔を上げた。

 特徴的な白い仮面の奥、目があるだろう赤い光が刺さる。

 冷たいのではない。熱を出さないだけだ。

 

 「削れている、のではないな」

 

 ルーンリットはわずかに息を呑む。

 彼の言葉は推測ではなく、確認だった。

 

 「……はい。むしろ、重くなっているように見えます」

 「蓄積か」

 

 それは独り言のようだった。

 そして、その言葉の後に続く沈黙が、最も重い。

 パトリオットは地図へ視線を戻し、淡々と言った。

 

 「報告は、受けた。もう行け」

 

 追い返された。

 だがルーンリットは、追い返されたとは思わなかった。

 あの男は動く。動く時が来たと判断すればためらわない。彼の沈黙は、拒絶ではなく準備だった。

 

 三日後。

 

 タルラは目覚めなかった。

 

 医療班は診断を繰り返した。呼吸、脈拍、瞳孔反射、発汗、体温。どれも異常なし。血液検査も、鉱石病関連の指標も大きな変化はない。

 彼らは困惑を隠せず、最後には「疲労による深睡眠」と書いた。

 

 だが、その紙は誰も納得させなかった。

 

 奇跡が眠っている。

 その事実は、想像以上に重い。

 

 陣営を満たすのは沈黙ではない。

 沈黙のふりをしたざわめきだ。

 

 「力が尽きたのでは」

 「呪いだ」

 「裏切りか」

 「タルラが起きないなら、レユニオンは誰が動かす」

 

 噂は早い。噂ほど兵站を壊すものはない。

 食糧の配分、交代の規律、監視の集中。どれも噂ひとつで崩れる。

 

 その時、パトリオットが前に出た。

 言葉は短い。

 

 「持ち場を、守れ」

 

 怒鳴りはしない。脅しもしない。

 ただ、命令を出す。命令とは、混乱した集団にとっての呼吸だ。

 人々は散り、仕事へ戻る。噂が完全に消えたわけではない。だが、噂が形になる前に押し潰された。

 

 国家は機能を止めない。

 少なくとも、止めないように見せなければならない。

 

 

 夜。

 

 重装の影が寝台の傍らに立つ。

 タルラは静かに横たわっている。呼吸は規則的で、汗もない。まるで、眠っているというより「沈んでいる」。

 

 タルラの瞼がわずかに動く。だが目は開かない。

 彼女が夢を見ているのか。抱えた魂と対話しているのか。

 あるいは、沈んだ意識の底で“耐えている”のか。

 

 パトリオットは観察する。

 戦場での僅かな違和感を思い返す。

 

 歩幅。判断の間。

 視線の焦点。言葉の速度。

 

 それらは致命傷ではない。

 だが積み重ねれば、致命に変わる。

 

 奇跡は兵站にならない。

 奇跡は継続性を持たない。

 国家を支えるには、奇跡を制度へ変換せねばならぬ。

 

 彼は理解する。

 これは疲労ではない。分与の結果だ。

 削れているのではない。

 抱えすぎた。救った数だけ、背負った。

 

 彼は、眠る顔を見下ろしながら考える。

 国家が一人の意志に依存しているのは、脆い。

 だが国家が一人の意志によって立っているのも、また事実だ。

 

 矛盾ではない。現実だ。

 そして軍人は、現実と戦う。

 

 パトリオット、本名をボジョカスティ。

 彼は世界に名を轟かす伝説的軍人であった。

 サルカズという種族の中でも、十王庭の名を持つ部族の出身である。

 

 彼はかつて、二人の王に仕えた。

 伝説であり戦神と謳われたナハツェーラーの王ネツァレム、

 そしてウルサスの皇帝。

 

 彼はウルサスの軍人だった。

 国家に忠誠を誓い、民を守るために刃を振るった。

 だが唯一、家族を守れなかった。そして息子をその手にかけた。

 

 二百年余りを生きた彼の中には、数えきれない後悔が眠る。

 だから彼は言葉では動かない。

 

 レユニオンに身を置いたときも、彼は理想に酔ってはいなかった。感染者の解放という言葉にも、怒りの演説にも、心は揺れなかった。彼が見ていたのは、指揮官としての資質、そしてその理念だった。

 

 タルラは炎を振るい、奇跡のように人を救った。だが彼が警戒したのは、そこではない。奇跡は戦術にはなるが、国家の基盤にはならない。奇跡に依存する体制は、いずれ崩れる。彼はそれを知っていた。

 

 それでも彼が彼女を認めたのは、別の理由だった。

 

 彼女は、自分を最優先にしなかった。

 

 分与のたびに消耗し、意識を失い、それでも回復を待たずに次の命令を出した。己の損耗を前提に、他者へ資源を回した。治療より先に子供の食糧を確保し、護衛より先に避難路を整えた。

 

 彼女は、失敗を他人に押し付けなかった。

 

 作戦が不調でも、補給が遅れても、彼女は状況を責めなかった。自分の判断として受け止め、修正し、次へ進んだ。言い訳をしない指揮官は、軍人にとって唯一信頼できる存在だ。

 

 彼女は、復讐を目的にしていなかった。

 

 ウルサスへの怒りはある。だがその炎は、滅ぼすためではなく、救うために向けられていた。復讐は組織を短命にする。救済は構造を生む。彼はそれを理解していた。

 

 そして何より、彼女は絶対者になろうとしなかった。

 

 進言を退けない。反論を処罰しない。自分の限界を知っている。自分が壊れる可能性を理解し、それでも前に立つ。

 

 覚悟がある。

 

 壊れると分かっていて、それでも進む覚悟。

 

 その瞬間、彼は結論した。

 

 ――この者は、奇跡ではない。

 

 責任を背負う指導者だ。

 

 ならば自分は前に立つ。

 彼女が炎なら、自分は盾になる。

 

 認めたのは、強さではない。

 背負う姿勢だった。

 

 だからこそ彼は従い、支え、そして必要とあらば止める覚悟を持つ。

 

 忠義とは盲信ではない。

 主の過ちすら背負うことだ。

 

 パトリオットは、タルラを王としてではなく、

 責任を負う者として認めた。

 

 それが彼の答えだった。

 そのはずだった。

 

 

 目覚めは、音もなく訪れた。

 

 タルラの瞼が震え、ゆっくりと開く。

 焦点が合うまで、わずかな時間がある。

 その間を、パトリオットは見逃さない。

 

 彼はすでに傍らに立っていた。

 

 「何時間ですか」

 

 目覚めて最初の言葉は、それだった。

 

 「三日だ」

 

 即答。

 タルラは天井を見つめたまま、小さく息を吐く。

 

 「……」

 「なぜ続ける、分与を」

 

 タルラは答えるまでに、ほんの一瞬だけ迷う。

 

 「救えるからです、ミスター・パトリオット」

 

 その声が、わずかに二重になった。

 

 低く、掠れた響きが、彼女の声の奥に重なる。

 聞き間違いと断じるには、あまりにも明確だった。

 

 ――燃やせ。

 

 炎が、寝台の周囲でわずかに揺らぐ。

 

 一瞬。

 タルラの瞳孔が縦に細まる。

 赤が、濃くなる。

 

 「代償がある」

 

 パトリオットの声は変わらない。

 

 「承知しています」

 

 今度は、単音だった。

 

 だが彼は見た。

 今の一瞬を。

 見なかったことにはしない。

 

 「沈むぞ」

 「沈むならば、どこまでも沈みましょう」

 

 言い切る。だがその言葉の端に、わずかな違和感が残る。

 

 「━━大尉」

 

 そのとき、パトリオットは信じられないものを見た。

 そして、彼女から発された言葉に耳を疑った。

 

 「あなたは報われるべきだ。槍も鎧も捨てて、家族と平穏に…」

 「何を、言っている」

 

 大尉という呼び方、それはウルサス軍時代の階級だ。

 共に軍を去った部下たちのみが、そう呼ぶ。

 

 タルラの声は柔らかかった。

 今まで聞いたことのない調子だった。

 

 労うように。諭すように。

 あるいは、見送るように。

 

 「あなたは、あのときも退かなかった。だから多くが死んだ」

 

 空気が凍る。

 その“あのとき”を、タルラが知るはずがない。

 

 「”それ”は、私たちのすべてが背負うものです」

 

 それは帝国軍の撤退戦。部隊を切り離し、本隊を生かす決断。

 大尉だった彼が下した命令。

 

 レユニオンで、誰にも語っていない。誰にも言っていない。

 

 「……誰の、記憶だ」

 

 「あなたは、罰を受けたと思っている。違う。あなたは、生き残った」

 

 その声音は、彼女ではない。だが完全に別人でもない。

 誰かの残滓。分与された魂の断片。

 あるいは、救われた誰かの記憶。

 

 「やめろ」

 

 パトリオットの声が、初めて強くなる。

 槍を手に握り、タルラと正面から向き合う。

 パトリオットは理解する。これは疲労ではない。集積だ。

 

 声が混じっている。

 彼女の中に、彼女以外がいる。

 数秒の沈黙。タルラは彼を真っ直ぐに見返す。

 

 死んだ者たちの魂が、その力の主を蝕むのならば、決断せねばならぬ。

 感染者たちの怒りが、かつてあった彼女を消し去るのならば。

 静かにその切っ先が、タルラに向けられる。

 

 タルラの瞳が揺れる。人の物ではない。

 ()()()()()()()()()が並んでいた。

 これは副作用か、それともこの力が本体か。

 

 踏み込めば届く距離。

 

 「貴女(おまえ)は、誰だ」

 

 槍先が、さらに半寸だけ前に出る。

 討ち取れるかどうかではない。

 討つべきかどうか。

 

 「答えろ」

 

 重い声。

 その瞬間、瞳の重なりが揺らぐ。

 そして、彼女は微笑んだ。

 

 「━━父よ、なぜ私にはあなたのような立派な角がないのだ?」

 

 複数だった視線が、ひとつに収束する。

 槍は動かない。

 やがて、パトリオットはゆっくりと穂先を下げる。

 

 次の瞬間。

 彼女は瞬きをする。

 そして、静かに眉を寄せる。

 

 「……何だ」

 

 声は、元に戻っていた。

 

 「私は何かを、言いましたか」

 

 沈黙。

 パトリオットは、数秒だけ彼女を見つめる。

 

 「何も」

 

 嘘ではない。だが、真実でもない。

 タルラは首を振り、額を押さえる。

 

 「起きてすぐは、ときどき記憶が混じります」

 

 小さく呟く。

 

 「壊れると分かっていて、進むか」

 「壊れるつもりなどありません」

 

 答えは迷いない。

 その瞬間だけは、完全に彼女だった。

 パトリオットは槍を戻す。

 

 だが心中では確定している。

 侵食は始まった。

 

 死者の怒り。

 救われた者の祈り。

 背負った魂の重さ。

 

 それらはやがて、閾値を越える。

 

 そのときは――

 

 今度は迷わない。

 

 その一文を、彼は心中で静かに確定する。

 

 

 

 テントを出ると、夜気が肺を刺した。

 雪は止んでいる。

 だが空気は重い。炎の余熱がまだ漂っていた。

 

 入口の影に、フロストノヴァが立っている。

 腕を組み、壁にもたれ、視線だけを寄越す。

 そばには、ルーンリットがいた。

 

 「……父さん」

 

 問いではない。確認だ。

 パトリオットは足を止めない。

 

 「確認した、必要だった」

 

 短い応答。

 フロストノヴァは視線を細める。

 

 「殺すつもりだったのか?」

 

 「止める、つもりだった」

 

 それが答え。

 フロストノヴァは小さく息を吐く。

 白くならないほど、冷たい。

 

 「違いは?」

 

 「まだある」

 

 即答。

 その即答が、彼女の眉をわずかに動かす。

 

 「……中の話、聞いた。あれはなんだ?」

 「分からぬ」

 

 珍しく、不確定な答え。

 フロストノヴァは顔を上げる。

 

 「父さんは、タルラを認めている。だが、信用はしていない」

 

 わずかな沈黙。

 

 「信用している。崩れる可能性ごと」

 

 静かな応酬。

 フロストノヴァは一歩踏み出す。

 

 「私は、見捨てたくなんてないんだ」

 「分かっている」

 

 「でも父さんはそうじゃないんだろう」

 「違うな」

 

 パトリオットは正面から娘を見る。

 

 「同じだ」

 

 その声は硬いが、否定ではない。

 フロストノヴァは一瞬だけ視線を逸らす。

 

 「……本当にタルラが壊れたら」

 

 言葉が止まる。

 その問いは重い。

 

 部下としてではない。

 仲間としてでもない。

 

 父に問う、子の問い。

 

 パトリオットは答える。

 

 「そのときは、私が決断する」

 

 殺す、とは言わない。

 救う、とも言わない。

 ただ決断する、とだけ言う。

 

 それが軍人の誓いであり、処刑者の影だった。

 

 しばらく沈黙が続く。

 風がテントの布を鳴らす。

 やがてルーンリットが言う。

 

 「……ならば私が、この炎でお守りいたします」

 「そうするが、いいだろう」

 「はい」

 

 短い合意。

 パトリオットが歩き出す。

 背に向けて、フロストノヴァが最後に言う。

 

 「でも」

 

 足が止まる。

 

 「壊れる前に、止める方法を探す」

 

 振り返らずに、彼は答える。

 

 「探せ」

 

 そして付け加える。

 

 「私も、探している」

 

 夜は深い。

 炎はまだ消えていない。

 だが三人は知っている。

 

 次に揺らぐときは、

 もっと大きい。

 そのとき、レユニオンの命運は試される。




アークナイツのストーリーを読んでからずっとやりたかった。
パトリオットパッパ呼び。
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