評価バーに色が付きました。しかも赤。超絶永遠感謝@作者。
レユニオン本隊がチェルノボーグを奪うのに成功した。
俺がここに着いた時には、もう夕暮れだった。
初めて見る移動都市の壮大さ。山のような自然のものとはまったく違う。
鉄と石で出来た、巨大な塊が地平線の上に乗っているみたいだった。
なんて大きな家だろう。
いったい何個の家族が一つの建物に住めるのか。
故郷の村にある宿場でも、比べ物にならない。
今日の朝に、この都市で少なくないヤツらが死んだ。
布にくるまれた遺体を、荷台に運びながらふと思う。
「何か考え事か?」
声をかけてきたのは、同じ班の男だった。
「いやな、ここが俺らの家になるのかと思って」
「家ってか、拠点だろ。クソでかい動く城だ」
男は鼻で笑って、荷台の上の遺体を足で少し押し込んだ。
「城か…」
俺は、布の隙間から見えた手を見た。火薬と血で汚れた手だった。
爪の間に黒い汚れが詰まっていて、指は少し曲がったまま固まっている。
城を手に入れた日に、こいつらは死んだ。
勝ったのか、負けたのか、よく分からなくなった。
都市の中を、部隊や俺たちのような後続の工兵が動いていた。
少し前まで戦闘があったはずだが、銃声はもうない。
通りには警備が銃を肩にかけて立ち、住民らしい人影はまだ見えていない。
封鎖線の向こうでは、兵士が何人か集まって話している。
略奪も暴動も起きていない。
ただ、命令だけが上から降りてきて、みんなそれに従っている。
「思ってたのと違うな」
俺が言うと、隣の男が肩をすくめた。
「暴れたいだけの連中じゃないってことだろ。
上の連中は、都市を壊す気はないらしい」
「都市を、使うのか」
「そりゃそうだろ。こんなでけぇもん、燃やして終わりにしたら馬鹿だ」
荷台の車輪が段差に引っかかって、遺体が少し揺れた。
布の下で、体が重く動く。
「安置所は地下だっけか」
「らしいな。遺体は全部そっちに回せってさ」
「埋めるところでもあるのか」
男は少し嫌そうな顔をした。
「サルカズの婆がいるらしい。死体を整えるんだとよ」
「医者か?」
「医者じゃねぇ。死んだ後の世話係だ」
俺は少し黙った。
「そんなこと、必要なのか」
男は少し考えてから言った。
「必要なんだろ。ここじゃ、死んだ奴の名前も残すんだよ」
「名前?」
「ああ。感染者も、非感染者も関係なくな」
荷台を押しながら、俺は都市の奥を見た。
鉄の壁、パイプ、階段、見上げるほど高い建物。
ここが俺たちの家になるのかもしれない。
その家の地下に、今日死んだ連中が並べられていく。
「変な家だな」
俺が呟くと、男が笑った。
「都市でも村でも、死人は出る。違うのは、そいつがどうなるかだ」
地下へ続く搬入口が見えてきた。
暗い階段の向こうから、冷たい空気が流れてくる。
「着いたぞ」
荷台を押して、地下へ入る。
石の床は湿っていて、足音がやけに響く。
地上の喧騒は遠く、ここだけ別の場所みたいに静かだった。
そしてこの奥に、例の老いたサルカズの婆がいるらしい。
灯りが並ぶ広い部屋に出ると、木の台がいくつも並んでいた。
白い布がかけられた台。
その形を見れば、何が置かれているかはすぐに分かる。
先に来ていた班が、遺体を並べている。
誰も大きな声を出さない。
ここに入ると、みんな自然と声を落とすみたいだった。
「あれじゃねぇか」
隣の男が小さく言った。
奥の台のところに、小柄な婆が立っていた。
腰が少し曲がっている。
灰色の布を頭からかけ、細い指で遺体の顔に触れている。
まぶたを閉じ、口元を整え、布をかけ直す。
動きは遅いが、迷いがない。
まるで壊れ物でも扱うみたいな手つきだった。
「あれが」
「灰守の婆さんだ」
俺たちは荷台を押して、台の横まで運んだ。
「そこに寝かせな。順番に見る」
俺たちは遺体を持ち上げ、台の上に乗せた。
やっぱり重い。
力を抜いた体は、どうしてこんなに重くなるのかと思う。
婆がゆっくり近づいてきた。
近くで見ると、サルカズの角は短く欠けていて、髪はほとんど白い。
目は暗い色で、どこを見ているのか少し分かりにくい。
婆は何も言わず、布をめくって顔を見る。
一人、二人、三人。
「そんじゃ他に仕事があるんでな、先に行くぜ」
「わかった」
その場に残ったのは、俺と婆さんだけだった。
暗い雰囲気ではあったが、不思議と死臭というやつを感じなかった。
そこに昏い光が目に入る。
光は、婆さんの指先から発されていた。
それが体をなぞっていくと、奇妙な線が肌に浮き上がる。
するとたちまちに、遺体の皮膚は生気を取り戻していった。
聞いたことがある。
サルカズの中には、
「面白いかね?」
婆さんは手を止めずに言った。
俺は少し驚いて、慌てて首を振った。
「いや、ただ、すごいなと思って」
婆さんは小さく鼻で笑った。
「すごいも何も、ただの手入れさ。
死んだ後に顔が崩れたままじゃ、可哀想だろ」
指先の光が遺体の腕をなぞる。
裂けていた皮膚がゆっくりと閉じ、血の色が消えていく。
まるで時間が少しだけ戻ったみたいだった。
「生き返るのか」
思わず聞いてしまった。
婆さんは首を横に振った。
「まさか。死んだもんは死んだままだよ。これはただ、形を整えてるだけだ」
婆さんは遺体の指を一本ずつ伸ばし、胸の上で組ませた。
「みんな、死ぬとすぐ崩れる。顔も、体も、名前も、全部な」
そう言って、小さな札に何かを書いた。
「だから、顔と名前くらいは残してやる。
あたしだって、くたばって死んだままにされるのはごめんさ」
俺は少し黙った。
「あんた、ずっとこれやってるのか」
「ずっとだよ。お前さんが思ってるより、ずっとね」
婆さんは少しだけ笑った。
ふと聞いてみたくなった。
「あんたは、なんでレユニオンに来たんだ?」
札を書き終え、遺体の胸元に置いた。
「あの娘のせいさ」
「タルラのことか?」
「あの力はね、死化粧とは反対のものさね」
婆さんは次の遺体に手を伸ばしながら、ぽつりと言った。
「化粧ってもんは、生きてるうちに幸せを掴むためのものだ」
「そういうものか」
「そうさ。あんたがここにいるのは、そうしてもらったからだろ?」
俺は少し驚いた。
俺がレユニオンに入ったのは、助けてもらったからだ。
知らんうちに鉱石病に感染して、ずっといた村を追い出されちまった。
「家にいられなくなってな。
雪のベッドで寝てたら、気づいた時には指がいくつか取れちまってた」
そんときはクソッタレな人生とやらを、呆気なく終われると思ってた。
婆さんは小さく頷いて、俺の手に触れる。
「でも今は、働き者のいい手だ。
それをくれたのは、あんたを生んだ親と、━━あの娘だってことだ」
なんとなく、婆さんの言わんとすることが分かったような気がする。
「この老いぼれが死人の見てくれを直すだけなのに比べれば、
お前さんの欠けた指を埋めてやることの方がずっと難しいとも」
婆さんはまぶたを閉じながら言った。
「伴侶でも、戦友でも、肉親でもね。
誰かを自分の魂と思えるヤツは幸せもんさ」
婆さんは遺体の胸の上で手を組ませ、布を静かにかけ直した。
その動きはゆっくりだったが、どこか慣れた手つきだった。
「きっとね、みんな家族さ。あんたたちは魂を分け合った兄弟になる」
「家族、か」
俺は小さく呟いた。
婆さんは少し笑った。
「血の繋がりなんてものは、案外あてにならない。
あんたを追い出したのも、血の繋がった連中だろ」
何も言えなかった。
婆さんは炭筆で札に何かを書きながら続ける。
「あんたはどう思っているんだい」
「俺は」
俺は少し間を置いて、婆さんを見た。
もう数年前の事だが、未だに自分の中で整理がついていない。
「俺が家族だと思ってたヤツらは、そうじゃなかった。
でも、今は寂しくない。俺より酷い扱いだったヤツなんてざらだしな」
地下は静かだった。
遠くで荷台の車輪の音が聞こえる。
「村を追い出された者、
都市に住めない者、
感染して家に帰れなくなった者、
戦争で国をなくした者」
婆さんは遺体の額を撫でた。
「そういう奴が集まる場所が、ここだ」
少しだけ間を置いて、続ける。
「あの娘は言った。そのすべてを受け入れるとね」
俺は言葉を返さなかった。
レユニオンにいる人の数も、顔ぶれも、前に比べてずっと増えた。
非感染者もいれば、傭兵崩れのサルカズもいる。
俺なんかよりずっと学があるやつもいた。
婆さんは小さく息を吐いた。
「この都市じゃ、これからたくさん死ぬだろうね。
兵も、民も、感染者も、非感染者も」
炭筆を置いて、俺の方を見た。
「それでも家を作るなら、墓も作らなきゃいけない」
そして、小さく笑った。
「あたしにはそれができる。そうするだけさ。少なくとも、健在のうちはね」
俺はその言葉を聞いて、婆さんの手元を見た。
細い指だった。
骨ばって、節くれ立っていて、とても強そうには見えない。
だがその手は、さっきから一度も迷わない。
死人の顔に触れ、傷を閉じ、札に名を書き、布をかける。
まるで最初からそう決まっていた順番みたいに、淀みなく進んでいく。
「さっき言ってた”ずっと前”より昔は、どうしてんだ」
なんとなく聞いた。
婆さんは少しの間、答えなかった。
指先の昏い光だけが、遺体の頬をなぞっている。
「戦ってたよ」
やがて、軽く言った。
「若い頃は気が短くてね。死ぬのも殺すのも早かった」
冗談めいた口調だったが、俺は笑えなかった。
「今の方が性に合ってる。死人は文句を言わないし、順番も守る」
「生きてる連中は守らないのか」
「守らないね」
婆さんは鼻で笑った。
「王だの理想だの旗だの、そういうもんを掲げるとね。
生きてる連中はすぐに自分が正しいと思い込む」
そこで婆さんは、ふと俺の方を見た。
「だからこそ、死人を見る奴が要る」
俺は黙っていた。
「生きてる奴だけ見てると、人はすぐ浮かれる。
でも足元には、いつだって死体が転がってる」
婆さんは札を置き、布を整えた。
「皇帝なんてもんは、傲慢もいいところだね。
どこで誰が死のうと、知ったこっちゃないんだろ」
確かに俺も、村の連中も、皇帝を見たことはなかった。
せいぜい皇帝の手先の、監視隊のクソッタレがいいとこだ。
「でもね、誰かが死んだのを忘れず、
背負い続けるなんてのは誰にもできやしない」
「……タルラ」
婆さんは少しだけ口元を上げた。
「察しがいいじゃないか」
地下の灯りが、婆さんの白髪に鈍く反射している。
「あの娘は死の数をごまかさない。
自分が背負った数を、魂の重みとして知ってる」
小さく息を吐く。
「そういうのは珍しい。大抵は、必要な犠牲とか、取り繕って片付けるからね」
俺は少し考えてから言った。
「でも、この都市じゃまだ死ぬんだろ」
「死ぬよ」
婆さんはあっさり言った。
「この先もたくさんね。どこかを家にするってんなら、尚更だ」
そして、少しだけ声音を落とした。
「家ってのは、生きる場所である前に、帰ってくる場所でもある。
生きて帰る奴もいれば、死んで帰る奴もいる」
その言葉は、不思議と胸に残った。
外ではたぶん、まだ警備の命令が飛んでいる。
資材が運ばれていて、誰かが新しい持ち場を決めている。
この都市はもう動き始めている。
けれどこの地下だけは、その前に数えなきゃならないものを数えていた。
「なあ」
俺は少し迷ってから言った。
「タルラは、本当にそんな場所を作れると思うか」
婆さんはすぐには答えなかった。
次の遺体の布をめくり、その顔を見て、目を閉じさせる。
「作れるかどうかじゃないよ」
低い声で、そう言った。
「あの娘は、作ろうとしてる。だから人が集まる。
だから皆が王を望む。自分から、あの娘を
指先の光が走る。
頬の裂傷がゆっくり塞がっていく。
「真の王ってのは、最初から座ってるもんじゃない。
そいつ希望を見い出す連中が、勝手に押し上げるもんさ」
俺はその言葉を、すぐには飲み込めなかった。
婆さんは俺の顔を見て、少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「おや、難しかったかい」
「いや」
俺は首を振った。
「ただ、そんな大したもんに見えなかった。俺を助けた時のタルラは━━」
「何だい」
「そばにいた」
婆さんは、へえ、とだけ言った。
「そりゃそうだろうね。王様が遠くにいるだけなら、誰もついてかない」
そして遺体に布をかけ終えると、ゆっくり俺の方へ向き直った。
「あの娘が背負うのは、お前さんみたいに助かった奴だけじゃない」
その暗い目が、真っ直ぐ俺を見る。
「助けられなかった奴もだ」
地下の静けさが、一瞬だけ重くなった気がした。
遠くでまた、荷台の車輪の音が聞こえる。
次の死者が運ばれてくる音だった。
婆さんはそちらに顔を向け、小さく笑った。
「ほら、仕事だよ。家を作るってのは、忙しいもんさ」
「最後に聞いてもいいか?」
「なんだい」
まるで子どもの頃に聞いた英雄譚の続きをねだるみたいな気分だった。
皆が知っている。
他の種族とは違って、サルカズが口にする”王”には別の意味がある。
「あんたはタルラに、魔王になってほしいのか」
婆さんは、すぐには答えなかった。
しばらく静寂が続いた。
「確かに今、魔王の座は空席だ。でも、魔王はサルカズの王。
サルカズの王は、サルカズしかあり得ないよ」
「そうか。ありがとう、婆さん。じゃあな」
王の形なんて、一つじゃない。
誰を背負うかで、呼び名なんざ変わるもんだ
━━それでも、
エンヤ婆と聞くと、反応が二分化されるらしい。
作者は、某エルデのほうです。