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――よりにもよって、今日は真っ暗か……。
私は今、特別棟の屋上にいる。空はペンキをひっくり返したような黒一色。風は全く吹いておらず、ロウソクの火は消えそうにない。そのロウソクに照らされた、幾つかのボトルから一つを手に取る。そのボトルは他と違って、中身が多く残っている。このボトルは特別だ、今日という日のために取っておいてあるから。キャップを開けると、飲み口からツンとした匂いが出てくる。何せこれは、配給のビターチョコとコーヒーの粉、それと安いハーブを白湯で混ぜたただのジュース。……どうしてか、不味いと分かっていてもこの日になると飲みたくなってしまう。
「……っぷはぁ、ま、不味い、ウゲェ……」
口の中には、チョコとコーヒーの苦み、ハーブの爽やかさが際限なく広がる。不味い。チョコの味は喉元にしつこくへばりついているみたいな気分だ。不味い。コーヒーの味は目が覚めるどころか、胃袋に穴が開きそうになる。不味い。ハーブは半端な状態なので、トゲトゲしていたと思うと爽やかさで却って不快になる。不味い。
――とにかく、とにかく、不味い。
この不味い飲み物をレッドウィンター自治区に広めてしまえば、事務局への報復だってできるかもしれない。今の状況に憤怒するノドカなら「やっちゃいましょう!」とか言うよりも先に撒いてしまっていそうだ。ただ、この味だけはどうしてもノドカにも、誰にも味わせたくない。昔をどうしても思い出してしまう……。
夜空はまだまだ星々を見せてくれそうにないみたいだ。
私が小学生だった頃、クラスの中で浮いている男の子がいた。普段から無口で、休み時間はいつも本を読み、運動もそこそこできて、それでいて、私はもちろんクラスメイトも苦手だった算数や理科がよくできた。黒縁の角ばった、厚いメガネをよくかけていた。そんな彼の名は貫リンタロウ。いつも理路整然としていて、年頃の男の子らしからぬ賢さを持ち合わせていた。
そんな大人びた彼は、クラスのみならず、学年全体で密かに好意を寄せられていた。女の子たちはいつも私の下へ「どうすればリンタロウ君を振り向かせられるか」とよく相談しに来ていた。まぁ、男友達の方が多かった私には無理な相談なんだよね、何せ、私自身もぼんやりとした興味を彼に向けていたから。女の子たちからの声を聴く程に、自分の胸が締め付けられるような気分だった。今、思い返すと、私ははっきりと彼に恋心を抱いていたのかもしれない。でも、当時の私はそんなことを知る由もない。とにかく、リンタロウへの漠然とした興味が頭に満ち溢れそうになるばかりで、大抵の相談を空返事や姑息な説明で済ませてばかりであった。
卒業式も近づきつつある中、私は彼に胸中の想いを告げることを決めた。彼とは同じ図書委員会の一員であったこと、加えて、配給のお菓子を一緒に食べることも多かった。何せ、彼は色んな食べ物を組み合わせて新たな料理を作るのがとても上手だったからだ。何のつながりもないように見えるお菓子をあれよあれよとかき混ぜて、溶かして、擦り合わせて……。キヴォトスの外にいたとされる主と呼ばれる、とある宗教の開祖の逸話を思い出す。
そんな彼が珍しく失敗をしたときがある。それは小学校4年のときのヴァレンタインの日に作った、あまりにも不味いチョコジュース。そのときは、大雪でお菓子の配給が止まってしまい、備蓄してあった食べ物で何日間をしのがなくてはならなかった。そのため、食べられるお菓子は苦いチョコ、安いコーヒーの粉、しなびたハーブなどの、とても子どもには勧められない、とてもとても不味いものばかり。それでも彼は、リンタロウは、親たちの目を盗んでいつものように飲み物を作ってくれた。私は彼と約束した場所へ行くと、雪だるまのように服を重ねて、片手にカンポットを持つ、メガネの男の子がそこにいる。
「お待たせぇ~。フゥゥ、今日はいつにも増して冷えるねぇ」
「そっちこそ大丈夫?シグレのトコは雪がたくさん降ったと聞いてるけれど……」
「ふっふっふ……、お父さんたちが雪かきしてくれたからねぇ。それよりも、約束の飲み物は?」
「あるよ、ホラ」
キャップを開けると、言いようのない、おぞましい匂いが広がった。
「グェッハ、ゲフェッ、エ、エフッ……。な、何なのよコレェ⁈」
「ぼ、僕もまさかここまで酷くなるとは思ってもなかっ、オゲェェ……」
多分、今の私たちは酷い姿を晒しているに違いない。ちっぽけなカンポットの周りにいる子ども2人が鼻を抑えて悶えまわる……。大人は呆れるばかりかもしれないが、当の私たちにとっては大事なのだ。
「で、できちゃったからにはさ、ここで全部飲む他に、な、ないよね……」
「そうするしか、ないね……。とにかく、ここでは人目に付くから、あ、あの洞に行こう、ウグゥ……」
倒れそうになる相手を支えながら、私たちは近くにあった洞に入った。この一帯は猟友組合の人たちがクマやグリズリーを追い掃っているので、穴や叢へ隠れることができる。そのこともあってか、洞に入るととても静かだ。まるで、その洞が私たちのためだけにできたかのようだ。
「じゃ、改めて」
「うん」
先程その匂いを嗅いだこともあって、何とか耐性はついた気がするが、やはり辛いものは辛い。迷わず、喉へ流し込む他にない。
「最初は、どっちがいく?」
「僕が作ってしまったんだからね。ここは僕が行く」
「ふふーん、えらく紳士ぶっちゃってェ……」
肘でつつこうとするのを避けて、彼は自分の喉へ流し込んだ。その顔は眉間に皺、口はヘの字、目も細めてしまっている。図鑑に載っているカエルという生き物みたいに、醜い。
リンタロウが差し出した手には、カンポット。中の液体の音から見るに、残りはあるみたいだ。
「これで私たちも共犯者だね、いただきま、ブグッ」
呑み込もうとしたが、これは強烈すぎる。顔の前にかざすだけで鼻が曲がりそうになった。口は勝手に動き、ベロが開いた口からだらしなく出てくる。外の冷たい空気がベロに刺さる。
「無理はしないで……。僕が代わりに」
「い、いいから……。私が、な、なんと、なんとかする、から……」
再度挑戦。とても食べるものじゃない配給品のパンと比べたらこんなの……、こんなの怖くない!
口に含み、喉へと流し込む。こういうときに限って、美味しくない食べ物の味は身体に染み渡ってしまう。余りにも、余りにも、不味い。胃袋が溶けるかと思った。食道が腐るかと思った。そして、脳漿が爆発するかと思った。苦しみの声すら出なかった。
「シ、シグレ……。だ、だいじょ、大丈夫?」
「へ、平気、だよ、ハハハ、……ウグムッ」
……強烈な吐き気。それを感じてからしばらくの記憶はない。
後でリンタロウに聞いたところ、洞で2人仲良く倒れていたところを大人たちに見つけられたそうで、こっぴどく叱られたらしい。何でも「貴重な保存食をこんなしょうもないことで無駄遣いするな」と。リンタロウはというと、大人たちに叱られているときはそれっぽく振る舞いはしたそうだが、私が目を覚ましたと知ると安堵した。
「……あれ?私たち、生きて、る?」
「シグレ?よかったぁ……。生きてて安心したよ。それにしても、おかしくてしょうがなかったよ、父さんたちのあの顔。「暇つぶしになれそうなものがないからこれをやる他になかった」とか言ったら真っ青になってた!ホント、シグレにも見せたかったなぁ……」
「えぇ……。そう言われると、ちょっとは見たかった、かな?アンタにしてはさ、とんでもない失敗作だったじゃん。珍しい」
「し、失敗だなんて。あれは、ぐ、具材が悪かっただけだよ!僕はできる限り美味しくなるように作った、はず、なのに……」
「へぇぇ……。強がっちゃってェん……」
話す度、私たちの吐息はあの臭いに満たされていた。
「ねぇ、丁度今さ、ここは私たち2人だけみたい」
「……うん、そうみたいだね」
あのときの背伸びしたがっていた私は、ハグとか、恋人つなぎとか、仲のいい男女同士がよくやっていることをしたかった。彼とならきっとそれができるはず、そう、思っていた。
「ここでしてみない?恋人ごっこ。ホラ、手を出して、ギュってしよ?」
リンタロウは怯えていた。理解できない何かを見るかのような目で、私を見る。
「そ、その……、今、ここでやること?誰かに見られるかもしれないし……」
――僕はとてもできそうにない。
「ハ、ハハーン、強がっちゃってぇ~~。ちょっとは背伸びしなくっちゃ!」
「よ、よせよ!は、恥ずかしいから……」
「何よォ、照れ屋さ~ん?」
「ナ、何が照れ屋さんだ⁈」
……そのときは何となくで聴き過ごしたあの言葉が、後に深々と刺さってくるとはこのとき、私は知らなかった。
そんな彼には、他の子たちとは違ってどうも浮いていると感じたことがあった。
そう、そういう年頃になっても女の子との噂を全く聞かないのだ。当時、クラスの中でもよく男の子たちから声を掛けられては週に1度は学年関係なく告白されたことのある――あ、自分でこうも豪語するなんておかしいかもしれないけど、こればかりは事実――私でも噂を全く耳にしなかった。そんな様相となると、当然、ソッチの気があるのではと思われてしまうのも無理ないはずだ。ある日、噂を聞いた女の子たちが悪ふざけで大人な新聞の広告や写真を彼の机に貼ったそうだ。……それが彼を狂わせた。
その日、教室に入ってくるや否や、自分の机を見たリンタロウは逃げるようにしてその場からいなくなった。次の日から、学校に顔を見せることはなかった。司書の先生、担任の先生は彼の身を案じ、実行した女の子たちを りつけ、彼が戻って来られるように家庭訪問を何度も試みたらしい。私も週に何度か配布物を届けようとしたが、門前払いをくらってしまって会うことすら叶わなかった。そうして、何一つ改善することもないまま、毎日が過ぎていった。どうしてあんなことをしたのか、その理由を答えた女の子たちの発言が今でも忘れられない。
――何でと言われても、男の子なんにアタシらに興味ないんはおかしい思うて、ああしましたけ。ただンからかいじゃ、悪うことやあらんやろがい。
そのときは彼女たちの自覚のなさに呆れた。しかし、この彼女たちを笑うことができなくなるなんて思いもしなかった。
日が過ぎるにつれ、友達に恋人ができたと知らされるにつれ、焦るようになった。私もあの子たちと同じように、誰かとそういう仲になりたかったのだ。そのときに真っ先に浮かんだのがリンタロウだった。今は教室に顔を見せていないが、担任の先生たちと話し合いの末に、保健室に登校しているそうだ。彼が学校にいる、その事実は私を一層煽らせていた気がする。誰よりも先に、彼にこの想いを伝えたい。そう考えてばかりだった。
放課後、日直の仕事を手荒く終わらせた私は保健室へ向かった。あのときからずっと会えなかったリンタロウにやっと会えるかもしれない。そう思うと、身体が勝手に動いてしまう。周りの景色がぐしゃぐしゃに見える程、息が切れる程、走った。
今は卒業式に近づきつつある。私は彼とは違う学校へ行くことになっている。このときを逃したら、彼とはそう簡単に会えないかもしれない。目の前にある保健室の扉がいつにも増して重々しく感じられる。でも、気にしていられない。彼が扉の向こうにいることを願い、私は扉を開けた。
扉の向こうにいる人物は、私の知る少年とは程遠かった。目の下には隈、笑顔を見せていた口元はだらしなく空いている。顎にはぜい肉がつき、すっきりした喉元の面影がない。
「あ、シ、シグレ……」
信じたくなかった。この少年が、私と仲が良かったリンタロウだと。そんな私の身勝手な想いはだらしなく空いた口から出た声によって打ち砕かれた。夕暮れの日差しは「これが今の友達の姿だ、受け容れろ」と言っているかのように、彼を照らしている。
「だ、大丈夫、だった……?」
「ハハハ、怖がらせちゃった、かな?外に出られなかったから、こうなっちゃった……」
痛ましい。その言葉が真っ先に浮かんだ。あんなに元気で、悪ふざけもやってくれる、活気あふれるリンタロウが、ほんのちょっとしたきっかけでここまで変わってしまった。彼への想いを伝えたかった私は、隣に座った。リンタロウは何かに怯えるかのように私から距離を取る。彼の顔を見る。目ヤニが残るその目には、猜疑心に近いものがあった。
「……て、……めて……」
――やめてと言ってるでしょ!
私たち2人だけの保健室に、その声は響いた。あの洞で悪ふざけしたときと全く変わらない、あの声。
「ねぇ、リンタロウ?私、何もしてないよ?怖がらないで?ほ、ほら」
「僕のこと、心配してくれてるんでしょ?こんな時間になってもここにやってくるなんて」
えぇ、そうよ。だって、あなたのことが大好きなんだから。
「……あなたのことが心配だったんだ、だから、その、怖がらないで。何か、他人に言えないことがあるなら私に言って。どんなことでも聴いてあげる」
リンタロウは口ごもった。余程、他人には言えないことなのかもしれない。
「ぼ、僕はね、皆といる内に、皆の言う「好き」と僕自身のが違うんだと気づいたんだ。その、えぇと……、シグレが僕のことを好きなのかもしれないと思うと、その思い全てに答えられない気がしてきて……。あぁ、もぉ、どうしたらいいんだよ!皆の真似をしても、何をやってもズレてると片付けられて省かれて……」
何を言っているのか、すぐには分からなかった。ただ、言えることがある。私がどれだけ彼への想いを伝えても、本人には苦しい思いをさせてしまっていること。こんなにも近くにいるのに、厚く、透明で、そして、堅い壁に隔てられているような気分。私があのときつなごうとした手を拒んだその理由が最悪な形で現実になってしまった。
「好き、が、分からない?何を言ってるの……?私はリンタロウのことが」
「それが怖いんだ……。僕にとっては、いつものように、傍にいてくれればそれでいいのに……。どうして?シグレもそうなの……?」
……私はもう何が何だか分からなくなってしまった。好きだという想いを、どれだけ頑張っても彼には伝わらない。その事実がたまらなく辛かった。いや、彼もきっと辛いのかもしれない。私が好きだという想いが分かっても、自分の手ではそれを伝えられない上に、自分の在り方と違うからだ。
ふざけないでよ。私だって分かっているよ、そんなこと。でも、彼を傷つけたくない。
「ごめん、シグレ。こんなことを伝えると君を傷つけてしまうかもしれないと思うのが怖くて……」
「そうなの……?じゃあ、あのとき、逃げたのは……?」
「その、皆が好きだとか言ってるエッチなのも怖くて……。「好き」の違いがある僕が否定されてる気がして……。だから、君に会ったときに冷たいとか嫌な奴とか思われたくなくて、それで外にも出たくなかったんだ」
やめて、そんなこと、言わないで。
「……ごめんね、リンタロウ。私は今のあなたが好きなの。私もリンタロウの言う「好き」をもっと知りたいんだ。だから……、これからも私の傍にいて」
届くはずはないと分かっても、言わずにはいられなかった。彼が苦しい思いをするのならその想いを大切にすればいいはずだ。そうすれば、あのときのような関係をまた取り戻せるはずだ。
「シグレ……。そう言ってくれるのは僕も嬉しいよ。でも、僕のような人間に合わせると、君は苦しんでしまうよ。君は君らしく生きて」
心臓をつかまれ、そのまま死ねてしまえたらどれだけよかったか……。私と彼は、もう、あのつながりを取り戻すことが叶わないみたいだ。先程から私たちを照らしている日差しが、眩い闇そのもののようで忌まわしい。
「そこにいるのか~~、間宵!学級日誌の字が汚いぞ!早く出てきて書き直しなさい!」
担任の先生の声だ。あぁ、このままここに籠城したい。
「シグレ、君といられて僕は楽しかったよ。今までありがとう」
このまま別れるなんて、イヤだった。
私の身体が勝手に動き、彼を抱きしめていた。
リンタロウはとても堅かった。いや、堅いというより、私がどれだけ抱きしめてもそれらしい動きをしてくれない、という方がより近い。どう言い表せばいいのか……、握手に慣れない人間がやってくる相手に応えようとして上手く返せない、その場面なら説明ができるかもしれない。
悲しいなぁ。私にとって初めての、好きな人とのハグはこうして、互いに不本意な、残酷な失恋の果てに形となってしまった。
奥から扉の開く音がした。
その後、リンタロウは保健室にすら登校しなくなった。そして、しばらくして彼が雪崩に巻き込まれて亡くなったと先生が朝の会で話した。最早、辛いとも悲しいとも、何も思わなかった。
――君といられて僕は楽しかったよ。今までありがとう。
卒業した後も、ずっと、その言葉が頭から離れてくれない。何の因果か、彼が亡くなった日は世の中がお菓子で騒ぐあの日だった。次の年から、私はあの飲み物を作らずにはいられなくなった。理由は分からない。ただ、そうでもしないと気が済まなかった。
そういえば、先生に誘われてやってきた、自治区の外は綺麗な星がよく見えたなぁ。その星々が今日は全く見えない。リンタロウとあの綺麗な夜空を見たかったが、その彼はここにはいない。そう思い、私はとびきり不味いジュースを一気に飲み干した。毎年飲んでいることで味は慣れているはずなのに、彼への後悔は増すばかり……。