呪術廻戦スピンオフ 3年J組 五条先生 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
「――ああ、恐ろしいね。布切れ数枚の重みが、これほどまでに魂の鼓動を阻害するなんて」
ガララ、と教室の扉が開く。
そこにいたのは、鉄の鎧でも、不埒な全裸でもなかった。
今日の五条悟は、寸分の狂いもなく仕立てられた「漆黒の三つ揃いのスーツ」を、冷徹に着こなしていた。ネクタイは喉元を絞める絞首刑の縄のように正確に結ばれ、カフスボタンは、まるで彼をこの次元に繋ぎ止めるボルトのように鈍く光っている。
「……先生。なんでしょう、その『僕は今、社会という名の巨大な演算機の一部として最適化されました』みたいな、ゾッとするような清潔感は。不審者オーラが完全に消えて、代わりに『死』そのものがネクタイを締めて立っているみたいですよ」
伏黒が、あまりの「正しさ」に逆説的な恐怖を覚え、一歩後ずさる。
「恵、いいかい。これが『洗練』という名の虐殺だよ。僕は今、全裸という名の無垢な可能性を捨て、この黒い布地の中に僕自身の存在意義(レゾンデートル)を埋葬したんだ。スーツを纏うということは、他者の眼差しを受け入れ、平均的な幸福に加担するということ。最強である僕にとって、これ以上の侮辱(デッドエンド)はない」
「……先生。その、血を吐くような慟哭を湛えた瞳で、めちゃくちゃ似合ってるアルマーニ自慢するのやめてもらえます? 釘崎なんて、あまりのイケメンぶりに逆に腹が立って、金槌を構えるタイミングを失ってますよ」
釘崎は、あまりに完璧な「正装の最強」を前に、ツッコミという名の救済を封じられ、歯噛みしながら立ち尽くしている。
「野薔薇ちゃん、美しさとは残酷な暴力だ。今の僕は、君たちが望んだ『まともな大人』という名の虚像を演じているに過ぎない。悠仁、君の中の王に伝えておくれ。彼が『切断』を望むなら、僕は『秩序』という名の窒息を提示しよう。僕がスーツを着ているのではない。世界という名の仕立て屋が、僕という怪物を、飼い慣らされたペットとして型抜きしただけなのだから」
「あはは……先生、かっこいいけど……なんか、すっげー苦しそうだな。そのネクタイ、俺がハサミで切ってやろうか?」
「……。悠仁、君のその、善意という名の鋭利な刃。……ああ、それこそが、この窒息しそうなフォーマルな地獄(エデン)に風穴を開ける、唯一の希望(アノマリー)なのかもしれないね」
五条は、教壇の上で、血の通わない人形のような完璧な所作で一礼した。
その仕草一つ一つが、彼がもはや「人間」ではなく「完成された記号」であることを強調していく。
「さて、事務的な講義を始めよう。今日のテーマは『個性の消去と、社会への完全な埋没』。……ああ、早くこの『正しさ』から解き放たれて、泥のような絶望(全裸)に浸りたいものだね」
「……先生。似合ってるからこそ、本当に救いがないですよ。そのまま一生、まともな格好で絶望しててください」
伏黒の冷徹な言葉が、教室に虚しく響いた。
そこにいたのは、世界で最も美しい、魂の抜け殻だった。