呪術廻戦スピンオフ 3年J組 五条先生   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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鋼の旋律、あるいは 0.1ミリの境界線

放課後の第2武道場。

夕闇が差し込む板張りの床には、激しい稽古の末に飛び散った汗の跡と、二人の長い影が伸びていた。

禅院真希は、愛用の薙刀を傍らに置き、荒い息を整えながら、首筋の汗を無造作に拭った。その隣で、乙骨憂太は自分の得物である刀を鞘に納め、真っ赤になった顔を隠すように俯いている。

 

「……おい、憂太。さっきの打ち込み、腰が引けてたぞ。呪力の出力は上がってるのに、肝心の踏み込みが甘いんだよ。何ぼーっとしてんだ?」

 

真希が、いつもの不遜な、しかしどこか温かみのある声で問いかける。彼女の眼鏡の奥にある瞳は、真っ直ぐに乙骨を射抜いていた。

 

「……あ、ご、ごめん。真希さん。……その、さっき、鍔迫り合いになった時。真希さんの髪の香りが、ふわりと鼻をかすめて……。それで、なんだか急に、頭の中が真っ白になっちゃって」

 

乙骨が消え入りそうな声で白状する。特級被呪者として、かつては死すら受け入れていた少年が、今では一人の少女の「髪の香り」に、領域展開を喰らったかのような衝撃を受けていた。

 

「ハッ、何言ってんだ。稽古中にそんな余裕があるなら、まだ追い込みが足りねーな。……ほら、水だ。飲めよ」

 

真希が、自分の飲みかけのペットボトルを乙骨に放り投げる。乙骨は慌ててそれを受け取ったが、その表面に残る真希の指の熱を感じて、さらに顔を赤くした。

 

「……いいんですか? 真希さんの、飲みかけなのに」

 

「あ? 嫌なら返せよ。……別に、変な意味じゃねーよ。ただの水分補給だ」

 

真希がそっぽを向く。その耳元が、夕日のせいだけではなく、微かに朱色に染まっているのを、乙骨は見逃さなかった。彼は震える手でキャップを開け、一口飲み込んだ。炭酸ではないはずの水が、喉を焼くように熱く、そして甘く感じられた。

 

その時、武道場の入り口の影から、ひょっこりと五条悟が顔を出した。アイマスクを外し、いつになく真面目な、しかし口元だけはニヤニヤと笑っている「余計な大人」の登場である。

 

「はーい! 青春してるね、二人とも! 先生、空気を読んで 恋の応援(エール) という名の特級呪具を持ってきてあげたよ! ほら、このスイッチを押すと、武道場中に ピンク色の桜吹雪 が舞い散って、強制的に告白しないと出られない結界が張られるんだけど……」

 

「「「「死ね、クソ眼鏡(教師)!!!!!」」」」

 

乙骨と真希の、驚くほど息の合った罵倒が飛ぶ。乙骨は反射的に刀の柄を握り、真希は薙刀を手に取って五条を睨みつけた。

 

「えー、最強の僕が愛のキューピッドになろうとしてるのに。冷たいなあ。……ま、いいや。憂太、真希。……恋っていうのはね、呪いよりもずっと強固な 縛り なんだよ。相手を守りたい、隣にいたい。そう願った瞬間に、君たちの世界は昨日までとは違う色に見えるはずだ。……その 0.1ミリの境界線 を越える勇気、大切にしなよ」

 

五条は、ひらひらと手を振って、夜の廊下へと消えていった。ボケをかましながらも、その言葉の端々には、かつての自分が置き去りにしてきた「青い夏」への憧憬が滲んでいた。

 

静寂が戻った武道場で、乙骨と真希は、どちらからともなく視線を合わせた。

 

「……ったく、あのバカ。余計なことばっかり言い残して。……なあ、憂太。……さっきの続き、やるか?」

 

真希が、薙刀を構え直す。その構えはいつもより少しだけ優しく、乙骨を招き入れるような隙を作っていた。

 

「……はい。真希さん。……今度は、ちゃんと目を見て、踏み込みます」

 

乙骨が、一歩、真希との距離を詰める。それは呪術の稽古としての距離ではなく、一人の少年が、一人の少女の心に触れようとする、あまりにも不器用で、あまりにも尊い 0.1ミリ の挑戦だった。

 

彼らが 3年J組 という名の、鋼の匂いと夕暮れの静寂が混ざり合う放課後から卒業できる日は、五条悟という名の特級の迷師が、愛という名の不可侵を完全に解き明かすまで、永遠に来ないのかもしれない。

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