東セクターは比較的治安が良い。多様な種族が混在するこの街にあって、東は人族が大半を占めている。北に行けば亜人、西はベスティア、南は妖精種の数が多くなる。
そんな東セクターに寂れた場所はあった。元工業区画に位置し、いまでは廃業した企業の工場群。元はなんの工場であったのか、ハルキは知らない。内部の機械は既に撤去が完了しており、埃被った床が無駄に広がっているだけ。
高い位置に嵌められた小窓から太陽の明かりが、巻きあがった埃をちらちらと輝かせている。窓を後ろにして、ハルキはただ入口をゆっくりと眺めていた。左手にはノートPC、足元には今回のためにわざわざ買った、立体映像投影用の機器。無駄に高かった。T3に用意させれば良かったと後悔する。
右手が震える。どうにも感覚が戻らない。マナ操作の使い過ぎだ。
十六時目前となって、入口から車両が入り込む音が届く。すぐに隣にフェンがやって来た。
「罠の類は無し。真正面からの交渉よ。正真正銘、言葉での殴り合い。頼りにしとるぞ」
「車は二台だ。敵さん、戦闘部隊も連れてきたみたいだ。ペルテテーも確認した」
オライオンも戻って報告をあげる。
「ま、そうなるよね。知ってた」
「おいおい、余裕だなハルキ」
「まさか。仕込んだカードで勝負するしかないんだ。切り間違えたら諦めよう」
「ハルキがカードに強いことを祈るさ」
床を鳴らす靴音。数はひとり。金髪の男が入って来る。その背後、足音を一切立てない戦闘部隊が六名。そして最後にフードを被ったペルテテーがやって来る。
金髪の男が、ハルキの五メートルほど前で立ち止まった。優雅な仕草で腰を曲げる。
「ハルキ殿、お会いできて光栄です。改めて、私はT3社のエガリゼです」
「やあ、僕はハルキだ。皆さん揃ったかな?」
「ええ、我々はこれですべてです。さあ、交渉を始めましょう」
ショーを始める司会者のようにエガリゼが両腕を広げる。なかなかどうして、マフィアには見えない。笑顔の下に隠しているはずの冷たさがまったく見えない。これは面倒そうだな、とハルキは頭の片隅で考える。
まあ、あとは進めながらカードをやり繰りするしかない。
「ではこちらから。まずはエガリゼさんへ贈り物だ」
ハルキはノートPCを操作し、床に置いた機器が空中に画面を表示させる。映した内容はルヴェイン社の不正記録の文書。奈落での作業従事者一覧に、改竄前の業務時間一覧、そして負傷者、死亡者一覧。
「さて、まずはこれを渡すよ」ハルキが右手でメモリーカードの入った箱を見せる。「ウィルスなんて入ってないから安心して」
エガリゼの笑みが深まる。
「なんというプレゼントでしょう。一体いつ私の好みを把握したのか、気になって夜も眠れなくなりそうです。では、丁重に頂きます」
歩いてきたエガリゼに箱を渡す。彼はそれを戦闘部隊の人物へ渡した。裏で新品のPCで確認でもするのだろう。
「こんな素敵な贈り物をもらって恐縮ですが、私は何をお返しできるのでしょう。ハルキ殿は一体何がお望みですか?」
「そうだね、ルヴェインから受けた僕たちの抹殺依頼の破棄。それとルヴェインへ僕たちを抹殺する意味がないことを説得してほしいかな」
エガリゼの表情は変わらない。
「困りました。ルヴェインから結構な額を頂いておりましてね。こちらとしても簡単に止めることができないのですよ」
「ルヴェインからの依頼料は五千万。ペルテテーに二千……いや、色を付けて三千万かな? 人件費を考えると赤が出そうだ」
「手痛いところです。正直なところ、我々としてはこれではまだ足りません」
分かりますよね、とエガリゼが静かに伝える。
「もちろん。エガリゼさんの立場は理解しているつもりだよ。だからこちらも用意した」
ハルキが別の文書を投影する。切り替わった画面上には、ルヴェイン社へ派遣されている人材の派遣元記録一覧があった。
エガリゼの瞳に笑みが滲む。
「ええ、さすがです。ルヴェイン社にこれがあることが我々の急所なり得る」
「うん、だからこれをルヴェイン社のサーバーから消そう。僕の手並みはもう分かったと思うんだ」
ふむ、とエガリゼが綺麗な顎に指を添える。
「随分と大盤振る舞いをしていただけますね。ですが、我々がこれを受け取り、その後動かなかったらどうしましょう? ルヴェインはいま尻に火が付いています。もう形振り構ってはいられませんよ」
まったく、的確に弱点をついてくる。そもそも、この情報でT3を動かせはできるだろうが、味方にはできないことは予想できていた。これ以上は身を切るしかない。インテリマフィアを相手に立ち回るのはしんどすぎる。
ハルキは空いた右手を広げる。
「五千万をそちらの口座に送るよ。どうかな?」
にやり、とエガリゼが口端を吊り上げる。
「もう一声欲しいですね。まだ懐にはあるでしょう?」
「じゃあ頑張って六千万だ。さすがにこれ以上は僕も引き下がれない。もし値札を吊り上げられたら、怖くて法務局にメールしちゃうかもしれないね」
エガリゼが一瞬、表情を消した。ハルキは空気を呑む。じりじりと頬に汗が滴る。
静寂。
「いえ、十分です。交渉成立です」
エガリゼが一歩足を踏み出し、右手を差し出す。一拍遅れてハルキも手を出し、固い握手を交わす。
手を離し下がったエガリゼの笑みが穏やかなものになる。
「ハルキさん、正直ここまでとは思いませんでした。本当、あなたは何者なんでしょう?」
「それはヒミツだ。男は謎があった方が神秘的に見えるんだ」
「ふふ、至言ですね。削除はもうお願いしても? 私はこれからすぐにルヴェインを抑えます」
「大丈夫、既に削除済だよ。記録を見るかい?」
エガリゼが真顔になる。やがて、首を振って大きく笑った。
「ああ、もう。怖い怖い。我々は金輪際あなたを敵に回しません。どうでしょう、T3へ来てみては? 幹部待遇でお迎えしますよ?」
「僕は仲間と一緒に奈落へ潜るのが趣味なんだ。事務仕事って結構苦手なんだよね」
「とても良い。では、私はこれで行きます。良い取引ができました。ハルキさん、いつか食事をしましょう。きっと楽しい時間になりますよ」
「穏やかな食事なら大歓迎だ。最高級な食事を期待するよ」
「ええ、必ず。それでは。ペルテテー殿は置いていきますので、あとはハルキさんにお任せしますよ。あくまで彼女との関係はスポットですので」
エガリゼが戦闘部隊を引き連れて工場から出ていく。やがて、車が発信して敷地から去っていった。
そこまで待って、ハルキはようやく脱力した。右手が小刻みに震える。拳を握ってどうにか止めた。
「……死ぬかと思った。あの人怖くない?」
「なぁに、その怖いマフィアと対等に殴り合ったのだ。まっこと、ぬしは戦士よのぉ」
うりうり、とフェンに脇腹を小突かれる。くすぐったいから今すぐやめてほしい。
「映画を見てた気分だった。料金払った方がいいか?」
オライオンはなぜか涙ぐんでいた。取引が無事完了したことか、それとも、本当に感動したからだろうか。前者だからだと信じたい。
こほん、とフェンが意味深に咳ばらいをする。ちらちらと視線を送ってくるのが憎い。こっちはもう気力を使い果たしているのだから、もう少し時間を稼いでもらいたい。
ごつん、とフェンが背中を殴る。
ああもう、とハルキはやけっぱちだ。
「ペルテテー、本当にすまない。お金、なくなっちゃった……」
「……は?」
ペルテテーの真顔が怖い。フードを取っても真顔だ。真顔のままの視線がいまのハルキには痛い。
「よし、ペルテテー落ち着いてくれ。君の言い分は分かる。でも無くなっちゃったんだ。許して、ほんと、お願い……」
「え、あ……え?」
声を漏らしているペルテテーの表情が変わらない。それがたまらなく怖い。この街で金の約束を反故にするのは何よりも重い。
「なあフェン、俺思うんだ。ペルテテーがいないと、ハルキがバグったとき誰も対処できない」
「オライオンよ、分かっておるの。ああ見えて感情が決壊すると脆いのよ」
非常に馬鹿にされている気がするが、もはやなにをどうすれば良いのかハルキには分からない。
ペルテテーが渋面になると、天井を仰いで低く唸る。唸る。
怖い。
顔を戻してフードを被ると、一気に頭から突っ込んできた。
「ぐぇ……」
「ごめん。ありがと。大丈夫」
「あー……、許してくれるのかい?」
「……バカ」