相棒はカンフー童女   作:ユーカリの木

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四章:いずれ真実が僕たちを自由にしてくれる 2

 その夜は賑やかだった。2LDKのリビングでは、ひとつの机を四人が取り囲んでいる。フェンは酒をかっ食らってご機嫌で、ペルテテーは取り寄せた煮魚で壊れている。

 

 ハルキは今月の収支を真面目に考えていた。月末の引き落としが怖い。口座残高が足りるのかが心配だ。

 

 そしてオライオンは、酒を飲みながら思案顔を続けていた。たぶん、思考量で言えばハルキを超えているであろう表情だ。

 

「オライオン、なにか言いたいことあるんじゃないかい?」

 

 ん、と酒杯を下ろしたオライオンは、どこか疲れた様子だった。

 

「俺は、たぶん分かっていなかったんだな」

 

「そうなのかな」

 

「そうだよ。正義だけじゃなにも変えられない。変わらなかった。独りよがりの正義はなにも救わなかった」

 

「僕は君に助けられたよ。君の剣は、少なくとも僕たちを救った」

 

 オライオンの表情に亀裂が生まれる。

 

「なあハルキ。俺は、正義の味方になりたいんだ」

 

「なれるさ。全部が救えなくたって、胸に抱えた正義と不断の行動は、きっと君を本当の正義の味方に導くよ」

 

 うっ、と顔を伏せたオライオンの背中をペルテテーが撫でた。

 

「……人たらし」

 

 なぜかペルテテーの攻撃の矛先がこちらに向いている。理不尽ではなかろうか。

 

「のう、オライオンよ。事務所を立ち上げてはどうか?」

 

 フェンの言葉にオライオンが顔を上げる。

 

「この街には探索者の事務所はない。それぞれが勝手に奈落へ潜り、好き勝手戦っておる。ならば、事務所を立ち上げい。そして街のトップに君臨せよ。然らば、ぬしの言う正義の味方に近づけるやもしれん」

 

 フェンがグラスを回す。赤ら顔の表情は至って真面目だ。

 

「見てみよ。ここには実力者が四人もおる。まあ、細かい方針は知らんが、全員が悪い方には向かんであろう。なに、無駄に生きた竜の戯言。阿呆を言っていれば笑ってくれてよい」

 

「いいね、その話乗ったよ」

 

 ペルテテーが即答。オライオンは目を剥いたまま固まっている。

 

「立ち上げ資金はどうするんだい? お金ないんだけど……」

 

 ハルキの切実な訴えに、ふむ、と首を曲げたフェンが立ち上がる。

 

「ちと待っておれ」

 

 とてとてとフェンが自室に戻ると、がったんごっとんという嫌な音を鳴らし、戻って来る。

 

「ほれ、これでなんとかならんか」

 

 机の上に置かれたのは、十を超える翡翠色の紡錘形の塊。どうにも見覚えがない。なんだこれ、と周りを見渡すと、オライオンだけがまだ固まっていた。いや、正確にはフェンが置いた塊を見つめている。

 

「こ、これ、竜の鱗だろ⁉ これ一枚だけで家一軒建つぞ⁉」

 

 ちょっと待て。そんなものを隠し込んでいたのかこの竜は。しかもしれっと出しやがった。

 

「フェン、あとで、ちょっと、会話、しないかい? うん、真面目なやつを」

 

「んあ? 案ずるな。里で抜けた鱗を懐に忍ばせてきたのよ。いまの身体から引っ張っても一枚たりとも落ちてこん。まったく、優しんぼよな」

 

 違うんだよなああああ!

 

 額のピキピキが止まらない。脳が沸騰してショートしそうだ。

 

 いままでの金銭的苦労が脳裏に走馬灯のごとくよぎる。

 

 電柱――つらかった。

 

 魔杖棍――痛すぎた。

 

 マナ結晶――吐きそうだった。

 

 六千万――死にそうだった。

 

「なんぞハルキよ。そんな崇高なる竜を崇め奉る目をしおって。あれあれ、もしかして、気づいちゃった? 我の偉大さに」

 

 ぷつん、といま、切れてはならない何かが切れた。

 

「フェン表でろああああ!」

 

 立ち上がって殴りかかろうとするも、すぐさま両脇を捕らえられる。

 

「ハルキ、どうどう。落ち着きな」

 

「ペルテテー、手を、離して、くれないか? この、邪悪な竜を、いますぐに、成敗する」

 

「力で私に勝てないあんたじゃ無理だから、ほら」

 

 後ろから足払いを掛けられ、床に倒れる寸前に正面からペルテテーに抱き留められる。胸を顔に押し付けられ息ができない。

 

「良いぞペルテテー! そのまま押し倒せ! なに、我が許す!」

 

「やべぇ、なんか分からんが超楽しい状況になってる!」

 

 やばい、落ちる。ぺちぺちとペルテテーの腕を叩く。

 

 ペルテテーの拘束が解除される。床に両手をつけながらハルキは空気を貪る。いま一番死に近かった。走馬灯を見る寸前だった。

 

 神は死んだ。いま死んだ。絶対にこの世にいない。

 

 なんとか息が整って、ハルキは無言で立ち上がると手近のグラスを思いきりあおった。

 

「あ、それ私の梅酒」

 

 ずしん、と脳に重しが乗ったような違和感。顔に熱が生まれて妙に熱い。視界がゆらゆらと揺れている。なんだかとても気分が良い。

 

「ふぇん、会計を預かってるぼくの苦労をちょっとは……」

 

 ――ぷつり、とハルキの意識が切れた。糸を失った操り人形もかくやの有様で崩れる身体をペルテテーが受け止める。

 

 ペルテテーがハルキの顔を覗く。端正な顔立ちは、今日一番穏やかな表情だった。すぅすぅと安らかな寝息を立てている。

 

「あれまあ、寝てしもうたか。ペルテテーよ、悪いがハルキをベッドに運んでくれんかの。あとは好きに楽しむと良い」

 

「あんた……ハルキの心労は察するに余りあるよ」

 

 ペルテテーはハルキの膝に腕を回して持ち上げ、彼の自室へ向かう。背後からなにやら茶化している声が聞こえるが、とりあえず無視することにした。

 

 ハルキをベッドに横たわらせ、布団を掛ける。彼の表情がしかめっ面になる。

 

「フェン……電柱を折るのはやめて。今月の残高が……」

 

 どうやら、ハルキは夢の中でも家計簿と戦っているらしい。あまりにも気の毒だ。せめて寝ている間は安らかであってほしい。

 

 ぽんぽん、とペルテテーは布団を軽く叩く。ううーん、というハルキの唸り声が返る。こっちでフェンを叱っておこう、と決意してベッドから離れようとしたら、腕が掴まれた。

 

 え、とペルテテーが驚く間もなくハルキに布団の中へ引きずり込まれる。腕と足を回され、完全に抱き枕状態にされる。

 

「え、ちょ、えぇー……」

 

 首筋にハルキが頭を埋める。さらさらとした前髪の感触がくすぐったい。掴んでいる腕と足の力は弱い。ただ、無意識に甘えられている事実が、ペルテテーに故郷のことを想わせた。子どもたちと一緒に寝るときは、いつもこんな感じだった。

 

「ん……寝よ」

 

 ペルテテーは思考を放棄した。いまは背に感じる温もりに身を預けても問題はないはずだから。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 覚醒は穏やかだった。身体の前面がとても暖かくて、昨日感じていた疲労感がすべて無くなっている。

 

 ハルキはゆっくりとまぶたを開いて――

 

 ――絶句した。

 

 吐息が触れる距離にペルテテーの寝顔がある。これはフェンだ、と思い込もうとするが、残念ながらあの童女に角はない。

 

 なにがどうしてこうなったのかがまったく分からない。ただ確実なことは、ペルテテーが起きたら何かが始まる。

 

 ハルキは知っている。これは世に言うセクハラという奴だ。酒に酔って女性に手を出す最悪の所業だ。

 

 ん、と頬をくすぐる女の吐息。処刑台の階段を一段一段登る絶望感。

 

 ペルテテーのまぶたが、ぴくりと動く。ギロチンが落ちるのはもうすぐそこ。

 

 ふわっと開いた紅の瞳と目が合う。

 

 沈黙。

 

 やがて、ペルテテーがにへら、と笑った。細長い指がハルキの後頭部に伸び、頭が首筋に押し当てられる。

 

 ふぇ、と我ながら情けない声が漏れた。

 

「おはよう。寝る」

 

 頭上から寝息が落ちる。足を絡めとられ、身動きが取れない。全身から感じる温もりが、どうしてか眠気を誘発する。くわ、と欠伸が出る。

 

 もう考えるのがだるい。昨日がんばったし。今日は脳の休日としよう。

 

 うつらうつらとまぶたが落ち始める。全身が脱力し、このまま眠ってしまえとばかりに睡魔がやって来る。

 

 いい感じに意識が落ちる寸前で、濃密な視線を感じた。

 

 これ以上ない違和感で視線を上げる。フェンのにやついた顔がそこにあった。

 

 弁明をするべく口を開こうとしたところで、フェンが唇に指をあてた。

 

「寝ておれ」

 

 それだけ囁いて、音もなくフェンが部屋を出た。

 

 幾ばくかの混乱。でもすぐにどうでもよくなる。眠気が全身を巡っていく。欲求には抗えない。

 

 全部を後回しにして、ハルキは寝ることにした。

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