夢のような食事のさなか、突然リビングに入って来た女性を見て、全員が声を失った。女性の乱れた緋色の髪が、唇に一筋掛かっている。白のワンピースは少し皺が寄っていた。表情はただただ恍惚。ノアにはそれが、とても美しく見えた。
「ふへへ……」
女性から声が漏れる。
こほん、と一際大きな咳払い。
「あー、ペルテテー。鏡見てこい、今すぐにだ」
「ふへ?」
意識を取り戻したらしい鬼の女性が、くるりと回れ右をし、ばんとリビングの扉を開けてどたどたと廊下を走っていった。
「……ノア、あれがペルテテー……だと思う」
「とても綺麗な方でした」
「あ、うん。そういう風に見えたか。良かった」
師は何も言わずハンバーグを食べている。一心不乱だ。
今度は静かな気配を感じた。音を極限まで落とし、強い女性を体現する威容を持つ女性がリビングに入ってくる。
「ん、あんたがノアだね。私はペルテテー。よろしく」
「おい、無理すんな。顔真っ赤だぞ」
「あんたっ! このっ! もっと早く言ってくれれば……!」
「帰る前にチャットしただろ」
「見てない!」
「知るかよ。ハルキは?」
「えっと……ね、寝てるんじゃないかなぁー? ほら、オライオンの仕事押し付けられてずっとノートPCと睨めっこしてたみたいだし」
目を泳がせたペルテテーが、豊かな胸元で指先をつ突き合わせる。オライオンが短いため息。
「ノア、これがペルテテーだ」
神よ、なぜあなたはこの場に不在なのですか? 理解が追い付かないのです。
「い、言っとくけど! せ、節度は守ってるからね!」
「ノア、ペルテテーの話はもう聞かなくていいようだ。こいつ今日ウソしか言わねぇや」
「ホント、ほんとだから! ちゅーしかしてないから! ちょっと嬉しすぎて半日くらいしてただけだから!」
オライオンが天井を仰いだ。今日何度目だろうか。代表の首が心配である。
「分かったよ、分かりました! 浮かれてました! いいでしょ、恋人同士だったらもう!」
恋人。ハルキとペルテテーは恋人! なんと美しい。
「ああ、人間関係の極致です。愛する人との時は、きっと何よりも尊いのでしょう」
「でしょー!」
ペルテテーが破顔してノアに近づいてくる。まるで祈るように両手を取った。
「もうね、ハルキが可愛くってね。心がすっごいの」
「恋をすると、人は更に愛が深くなると聞きます。あなたにとって、ハルキさんの姿は日々愛が積み重なってゆくのでしょう」
「こうなるまでね、すごく時間が掛かったの」
「時が愛を育むのです。逢瀬を重ねた回数だけ、愛が二人を導いたのです。なんと尊いことか」
うんうん、と涙を貯めてペルテテーが何度も頷く。きっとこの方は、愛の人なのでしょう。
「聞いた? これが私に掛けるあるべき言葉だよ」
「ディアナに恋愛マウント取ってる奴がなんか言ってらぁ」
オライオンの言葉は、ノアにも思うところはある。
「ペルテテーさん、愛は与えるものです。決して武器にしてはならないのです」
がくん、とペルテテーの頭が落ちる。
「はい……すみません」
師がくつくつと笑い出す。
「どうやら力関係は決まったようだのぉ」
「師よ、私はなにか変なことを言ってしまったのでしょうか?」
「なに、我が弟子よ。問題ない。なにより、我大満足!」
ハンバーグを美味しそうに頬張る師は、やっぱり愛らしい。
いつの間にか消えていたペルテテーが、金髪ロールさんを伴ってやってくる。初見の時とは打って変わって、金髪さんは元気いっぱいの様子だ。
「お、可愛い子さんがおるなぁ。うちはディアナや、覚えといてやぁ!」
ノアはすっと立ち上がり、今日初めてできる正式な礼をする。
「ノアと申します。若輩の身ではありますが、今後とも末永く仲良くいただければ幸いです」
「うわぁ、めっちゃええ子やん! こんな子がまだケイオス市におったんか!」
しかしディアナという女性、ものすごいオーラを放っている。常人ではあり得ないような眩しさだ。この人が奈落探索者というのはどうにも腑に落ちない。
「ディアナさんは探索者なのですか?」
「お、うちを知らん人発見や! こう見えても、飛ぶ鳥落とす勢いのラッパーやねん!」
奈落探索者の事務所にラッパーがいる。謎だ。この家には謎がたくさん埋まっている。まるで宝探しだ。
「お、お! うちがここにいる理由がわからんいう顔しとるなー。答えは簡単や。うち、オライオンくんの彼女やね~ん」
「なんて素敵なことでしょう。ここにもまた、ひとつの愛が実っているのですね」
「いややわあ、そんな愛だなんて。ほれ、言われとるでオライオンくん」
黙って食事をしていたオライオンが、半眼になってディアナを見た。
「復帰が早すぎる……」
「うち、悟ったんよ。愛は要求するものやないって!」
「えぇー……なんか急にすっげー悟り方したぞこいつ」
まあまあ、と背景に溶けていたナーガが急に存在感を出した。
「ふたりとも、ちゃんと用意しとるからはよう食べぇ」
いつの間にかテーブルには二人分の食事が置かれていた。一体いつの間に作っていたのか。ナーガの正体がノアは気になって仕方がない。
視線が合ったナーガが、すっと片目を閉じ、人差し指を唇に添えた。詮索はダメということだ。ノアはこくんと首肯する。
人の生活に満ちたこの光景を、ノアは決して忘れるまいと目に焼き付ける。この部屋に、きっと信仰はない。人の苦難の果てにここはある。
それでも、ノアは祈ることをやめない。人が寄る辺を失ったとき、最後に縋れるものは、きっと神しかいないから。弱者こそを救済する神の御手は、きっと世界中に伸びている。
そこに神意を見出すも、見出さないも、人それぞれだ。そうであっても、ノアは神を見出したい。救うことすらできなかった命の灯火が、きっといまもどこかで生きているであろうあの人が、祈りで助かるのであれば、それはきっと幸いだ。