相棒はカンフー童女   作:ユーカリの木

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二章:神はサイコロを振る 3

「やあ、面接ぶりだね」

 

 銀髪の青年との再会は、6LDKの玄関だった。ノアは即座に妖精種の礼を取る。

 

「お久しぶりでございます、副代表兼参謀様」

 

 ハルキの表情に亀裂が走った。

 

「あ、うん。オライオンの差し金か……。あとで殴っとくから、その役職は忘れてほしいな」

 

「良いのですか? オライオンさんが帰り際にハルキさんのことはそう呼ぶようにとだいぶ念をおされていたのですが」

 

 ハルキの眉間に皺が寄る。これは怒っている。

 

「よし、オライオンはどこかな? 君の後ろには誰もいないようだけれど?」

 

「はい、ディアナさんとデートに行くと言伝を預かっております。それから、オライオンさんよりこれを渡すようにも言われております」

 

 ノアは薄い紙袋をハルキに渡す。

 

「これで許せ、とのことです」

 

 ふむ、と表情を戻したハルキが紙袋の中身を覗き、天井を仰いだ。この職場の偉い人はなぜ首を痛めようとするのか。

 

「オライオンは他になんて?」

 

「ああ、失礼しました。最後の言伝です。いまなら読めるだろ? と。専門書の類でしょうか。ディアナさんとふたりで熱心に選んでおいででした。私はまだ未成年だからと書店の外に出されてしまったので、内容までは分からないのですが」

 

 ハルキが目頭をもんで、顔を下ろしかけて、再び揉み始めた。目が疲れたのだろうか。

 

「うん……専門書の類だ。ありがとう。とりあえず上がりなよ」

 

 ハルキに促されるままノアは中に入る。今日は泊まりの予定ではないが、家に戻ってもひとりだ。ひとりでただ祈るのは、少し寂しい。

 

「なにか飲むかい? といっても、買い出し組が戻って来ないからジュースのストックは怪しいな」

 

「苦いものでなければなんでも」

 

 冷蔵庫を開けたハルキが微笑む。

 

「ああ、そうだった。じゃあ甘いものにしよう」

 

 ハルキが飲み物をグラスに注いで持ってくる。中身は見たことのない飴色をしていた。

 

「ハチミツレモンだ。僕のとっておきでね、うんと甘く作ってあるんだ。あ、フェンには内緒だよ?」

 

「……師が、おっしゃっておりました」

 

「うん?」

 

「……たまに作られている飴色のジュースが好物だと。ちびちびやればバレないと……おっしゃって、おりました」

 

 ハルキが笑顔で口を閉じる。

 

 沈黙で耳が痛い。

 

「……さて、フェンの部屋から隠し込んだおやつでも取ってこよう。どうせ色々あるだろうさ」

 

「お、お待ちください! 師も、きっと悪気が……あったとは思いますが! なにとぞ、なにとぞどうか! どうか寛大なる処置をお願いいたします!」

 

「なに、僕とフェンの仲だ。大丈夫、こんなことはしょっちゅうさ。盗られたら盗り返す。これが摂理さ。だからノア、どうか手を離してくれないかな? これじゃあフェンの部屋に突撃できないじゃないか」

 

「お待ちください! 部屋の中には、師が、師が! 今日のとっておきだと笑顔でおっしゃっていたどら焼きが眠っているのです! どうか、どうか、寛大なる御慈悲を師へお与えください!」

 

「ほう、どら焼きとな?」

 

 ハルキが笑った。とても人がしてはならない、邪悪な笑みだった。

 

「とてもいいことを聞いた。君の素直さに感謝するよ。さあノア、一緒にフェンのどら焼きを奪おうじゃないか。なに、一緒に盗れば怖くない」

 

 なんということか。師の情報をぺらぺらと喋っていた。きっと、一番知られてはならない人物に。

 

「その、おやつなら、私が買ってきますから! どうか、師のおやつだけはご勘弁ください! この身はいくらでも差し出しますゆえ」

 

 ごんっ、とどこからか強烈な衝撃音が聞こえた。途端、ハルキが天井を仰いだ。

 

「よし、いまのは全部聞かなかったことにしよう。そうだ、フェンはなにもしていない。僕は君にただハチミツレモンを渡した。その瞬間後からやりなおそう」

 

「え、あの……もう怒ってないのですか?」

 

「なんのことかな? さあ、美味しいハチミツレモンだ、いま、すぐに、即時飲むといいよ」

 

「は、はい! すぐにいただきます!」

 

 謎の剣幕に襲われ、ノアはこれ以上の追及を取りやめた。続けていたらなにかとても恐ろしいことが起こるような気がしたのだ。

 

 なぜか震える手でグラスに口をつける。飲み物が喉を通ると、とろける甘さとレモンの風味が鼻を抜けた。口には爽やかな酸味がわずかに残るだけ。

 

「これは……神の飲み物です」

 

「そうか、よかったよ……色々とホントに」

 

 師が盗み飲みするのも頷ける。いや、盗みは良くない。しかし、これはまさしく神がもたらした甘露だ。

 

「私はいただいてばかりです」

 

「なに、もう投資した額は先日奈落で収集したマナ結晶で回収したよ」

 

 想定よりずいぶんと早かったよ、とハルキが穏やかな顔で言った。

 

「私は、この街がずっと悪辣な街だと思っていました」

 

「僕はいまでもそう思うよ」

 

「はい、その側面はあります。ですが、人の善なる部分もまた、残っているといまは信じてやみません」

 

「人の命はみな尊いと、面接のときに君は言ったね。この街でもその信仰は変わらないのかい?」

 

 もちろん、とノアは頷く。

 

「今日、孤児たちが慈善団体の方々にお菓子を与えられ、バスに乗せられる様を見ました。あれはきっと、街が持つ救いのひとつなのでしょう」

 

 ハルキの顔が、少し苦いものになった。

 

「ノア、君は物事を少し……綺麗に見すぎる傾向があるね」

 

「そうなのでしょうか?」

 

「かつて君がいた場所では、それでもよかったのかもしれない。でもここはすべてを疑って掛からないと罠に嵌められる。そんな場所だ。探索者として戦ってきた君なら、身に覚えのひとつくらいはあるだろう?」

 

 覚えはある。適正な相場で買い取らない店員、すぐに裏切る奈落探索者。何度もこの身に突きつけられた。それでも、人は尊いと思いたい。それは悪いことなのだろうか。

 

「疑うことで身を守ることができる。それは身に染みて理解できます。それでも、そんな愚行を犯すこともまた、人であると思うのです。信仰に縋るのは、だめなのでしょうか」

 

「悪くないさ。ただ、その綺麗すぎる眼鏡を外して裸眼で物事を見れば、少しは暮らしやすくはなる。そういう話だよ」

 

「信仰に偏るあまり盲目になるな、そう仰っているのですね」

 

「その理解であっているよ」

 

「私は、この事務所に入れたことを、神の奇跡だと思ったのです。ですが、皆さまと触れ合う内に、すべてを神の御業ととらえることが少しおこがましいと感じてしまったのです。皆さまの不断の努力をただ神意の一言で片づけるのは、きっと皆さまの想いを踏みにじっている、そう感じるのです」

 

「僕は信仰を持っていないからね。どれが正しいのか分からない。ただ、問い続けることはできるんじゃないかな? なにが合っていて、なにが間違っているか。安直に決めて思考を停止するより、そのほうがずっと人間らしい」

 

「問うことは人間らしい。私はまたひとつ、新しい価値観を覚えました」

 

「良かったよ。この街にいるからといって、既存の全部を捨てる必要はないさ。軸になるものだけは手放さないようにしなよ。そうすれば、きっと何があったって自分を保っていられる」

 

「私は師を尊敬しております。奈落以外での威厳はどこかに落っことしてらっしゃっていますが、そんな姿も愛らしいと思えるのです。皆さまのことも、もっと知りたいと思うのです」

 

「なら住むかい? どうせ一部屋空いてるからね。元々客間のつもりだったけど、ノア以外の客が来た試しがないんだ」

 

「私は数日前に引っ越したばかりなのですが……?」

 

「オライオンにやらせよう。あいつはそれをされるだけのことをしでかした」

 

「あの……代表があまりにも哀れでは……?」

 

「ふむ、否定しないということは、引っ越し自体は別に悪い気はしないということだね?」

 

「えと……あの……お邪魔でなければ……」

 

「ひとつ君の気が楽になるであろう情報を教えよう。僕たちはフェンの暴走に困っていてね。それを制御する人材を探しているんだ。いまはナーガが担当しているけれど、ノアならきっとうまくやれると思うんだ」

 

「師は災害かなにかなのでしょうか……」

 

「初日にサンドバッグを破壊し、毎週一本は電柱を破壊し、玄関の扉に毎回ダメージを与える。もはや災害さ」

 

「……災害です。いえ、人災です。早急に対応しなければなりません」

 

「そうとも、僕らは君を必要としている。この上なくね。では明日引っ越し作業を開始しても問題ないかな?」

 

「はい、明日より師の対策を行います。神の御名の下、この家に平和をもたらすと誓いましょう」

 

「さて、改めて問い直そうか。どら焼き、盗っちゃわない?」

 

 ノアの頭に極限の懊悩が走る。やがて、結論は降りてきた。

 

「……食べましょう」

 

 師よ、どうかお許しください。でも、罪には罰が必要なのです。

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