西セクターT3ビル。最上階の執務エリアで、エガリゼが最高級チェアに腰かけていた。背後の窓ガラスからは望む街は、黄昏から夜景と変貌していた。
ネズミの亜人の青い瞳は、ノートPCに向けられている。画面には網目状に分割され、特定箇所で回収を予定されていた人材のリスト、そして回収率が示されている。一部箇所での回収率がゼロになっている。
エガリゼがこめかみを指で叩いていると、ノートPCがチャットアプリの通知を鳴らした。先ほどから大量に響いていたが、画面上にポップアップされた文字を見て、すぐにキーボードを走らせた。
相手は情報管理室の管理者だ。すぐに向かう旨を伝え、ノートPCを閉めたエガリゼが立ち上がる。
エレベータに乗り込み、地下一階へ降りる。その足で情報管理室へ向かった。中に入ると、取引所のようにディスプレイが壁に並んでいる。管理室の人材らは、皆画面に噛り付いてキーボードを一心不乱に叩いている。その様に満足しながら、エガリゼは管理室の中の別室へ向かう。
中に入ると、ひとりの初老がエガリゼを見上げた。
「よくおいで下さりましたエガリゼ様」
「回収率ゼロの理由が判明したようですね」
「ええ、監視カメラの映像を取得しました。ご覧になられますよね?」
「もちろん。我らが情報管理室の仕事はやはり素晴らしい」
初老が巨大モニターに監視カメラの映像を映し出す。表示されたのは、T3下位組織の構成員が銀髪の青年と会話している場面だった。
エガリゼが思わず笑みを浮かべる。
「なるほど、ここであなたがでてきましたか。さすがに予想外ですね」
銀髪の青年――ハルキが構成員を言葉で追い詰めている。やがて、構成員が拳銃を抜いて彼を撃った。
エガリゼの眉間に皺が寄る。そして、すぐに目を見開いた。ハルキは魔法障壁を使って弾丸を防いでいた。
違和感。
映像が流れていく。上空から紫髪の女性が登場し、構成員を瞬時に殺害。エガリゼはこめかみを強く叩く。
ハルキ、緑髪の男、紫髪の女の戦闘が始まる。
ハルキらが瞬時に制圧される。紫髪の女が妖精種の少女へ近づいていく。
女がハルキへ振り返り、言葉を発する。
エガリゼが右手で口元を覆った。映像は続く。ハルキの前方に、縦長の楕円を半分に切ったような奇妙な生物が現れた。
すぐさま女にハルキらが制圧される。
会話が流れる。映像が終わる。エガリゼはしばしの間、沈黙していた。
「いかがでしょうか?」
初老の男の声で、エガリゼは思考の底から浮かび上がる。
「素晴らしい情報です。こちらを私のPCへ送ってください。それから、この内容は他言無用でお願いします。謝礼はこちらで」
背広の内ポケットに手を入れたエガリゼが取り出したのは小切手だ。紙面に数字を書き、初老の男へ滑らせる。
「よろしいので?」
「あなたはそれだけの価値を発揮したのです。当然の額ですよ」
初老の男が恭しく小切手を受け取る。
「映像を転送後、原本の削除をお願いします。これは簡単に広めて良い情報ではありませんので」
「承知しました」
「では、私は急ぎます。良き仕事、感謝します」
エガリゼは部屋を出て、その足で情報管理室から退室した。エレベータに乗り執務室へ戻る。
チェアに座ったエガリゼが思案する。
「さて、ユニオン序列一位ルミナス工房の一部が敵に回りましたか。さすがに社内政治までは分かりかねますね」
デスクに右手を置いて指で叩く。
「しかし、情報が足りませんね。アイラ殿に警告を入れるのも、もはや遅いでしょう」
スマホが震える。スラックスから取り出して画面を見る。表示された名前を見てエガリゼが目を開く。
ペルテテーだ。しかもこのタイミングで。ハルキではない。エガリゼとしては苦笑する他ない。ろくに情報精査もしていないのに会話をしたかった相手に近い人物から電話が掛かってきている。取らない選択肢はない。
スマホをネズミの耳に添えて電話に出る。開口一番に届いたのは、ペルテテーではなく男の声だった。
「アッシュ・クリスタルラインだ。うちの従業員が世話になってるな」
口の中で感嘆する。
「かの有名なアッシュ殿ですか。存じているかとは思いますが、T3のエガリゼです。先の工場跡地でお会いしましたね」
「ハルキとの交渉の日だろう? あれは凄かった。映画みたいだったぜ?」
「お恥ずかしい。私がしてやられた場面でしたね。ですが、あなたが掛けて来るとは、なにかありましたか?」
「単刀直入で助かる。先にそちらが欲しそうな情報を提供する。ハルキがエーテル研究所に誘拐された」
一瞬思考が止まる。
「順を追って聞きましょうか」
「おたくも嚙んでいるだろうが、エーテル研究所である研究が開始された。出資元はクリスタルライン。これが気に食わないやつがルミナス工房の上層部にいるらしい。その先兵としてルミナス工房の用心棒が動き出した」
「おやおや、それはなかなか剣呑ですねぇ」
「うちが雇った妖精種の新人が厄介ごとに巻き込まれてそいつに攫われてな。どうやら新人はエーテル研究所副所長の娘だったらしい。それを人質に用心棒は研究を辞めさせようとしたらしいが、失敗した」
「なるほど、複雑怪奇な事情です」
「で、どうやらエーテル研究所はハルキを御所望したらしい。凶悪極まりない用心棒相手に、俺たちは人質交換をせざるを得なくなったわけだ」
「つまり、ハルキさんは自ら人質になりましたか」
「そうだ。残念だがハルキがあんたに送った小切手は使えなくなった。これは伝える必要があると思ってな」
「誠実さは認めましょう。ビジネスにおいて、誠実であることは必要です」
「俺はユニオン連中とは違うと自負しているつもりだ」
「誠実であり、情報提供していただいた。つまり、私にも誠実を求めるということですね?」
「まあな。俺たちはハルキを取り戻したい。それはエガリゼ、あんたも同じはずだ。だが俺たちには手段がない。なあエガリゼ、エーテル研究所に人材を卸している、もしくは卸す予定だろ?」
「ご明察です。エーテル研究所から人材の提供依頼を受けています。現在はその人材集めの最中ですね」
「規模は百名近くってところか?」
「おや、なかなか鋭い考察ですね? 過程を聞いても?」
「どうせ気づくか、最悪気づいているだろうから言っとくよ。ハルキはいまエーテル研究所が行おうとしている研究の唯一の成功検体だ。これが何を示すか、あんたなら分かるだろ?」
エガリゼが口端を歪める。
「衝撃な情報ですね。ハルキさんが聞いたら怒るのでは?」
「事態は既に最悪な方向に転がってる。一番バレたくない連中にバレたんだ。隠す必要はねえよ」
「でしょうね。ですが不思議ですね。研究所の副所長は既にノウハウは確立されたと仰っておりました。これはどういうことで?」
「おいおい、あんた交渉のプロだろ? 騙されたんじゃねえの?」
エガリゼが大笑した。
「失礼、この立場になって、初めてそんな直球なことを言われたもので、おかしくて」
「よく考えろよ。ハルキを作るまでに85人を犠牲にした。それでノウハウが確立したなら、どうしてさっさと87人目に着手しなかった? なぜ100名規模の人材をT3へ要求した? あいつらの足元透けてるぜ?」
「困りました。資金関係の問題と思い込んでいましたね。これは私のミスですね。なにか私は他にもミスをしたのでしょうか?」
「さてな、さすがにそこまでは分からん。だが、ハルキの身柄がエーテル研究所に渡った以上、生のデータがそこにある。好き放題解体されて新しい成功検体がずらりと並ぶか、ハルキだけが特別で全員死ぬか、正直分かったもんじゃねえな」
「どちらにせよ、ハルキさんは戻ってきませんね」
「そういうことだ」
「均等化はなされました。良い情報を感謝します。私も動きましょう。エーテル研究所に対し圧力を掛けます」
「こっちは先にオライオン奈落探偵事務所の幹部が連れ去られたっていう情報リークをちらつかせてる。とはいえ、正直切りたい手札じゃないんだ」
「それは景久殿が動きかねないですね。いや、あるいはクリスタルラインがエーテル研究所を切り離すやもしれません」
「どちらにせよユニオンに全力で殴られるな。こっちの手札は、あとはディアナに生放送で全力で叫ばせるくらいしかできないぜ?」
「それは面白い提案ですが、いまは控えてもらいましょう。水面下で動かす事案です。まずは商業ルートで連絡を取ります。こちらに任せて頂きましょうか」
「じゃ、信じるぜ? うまく行ったら、過去の伝手使ってシュタインバウの案件紹介するよ。まあ、元御曹司の戯言だからあまり宛にしないでくれ」
「それはとても魅力的です。期待しましょう。では最後に一言だけ良いでしょうか?」
「なんだ? 交渉の採点とかやめてくれよ? 落第点だってことは分かってるんだ」
「ははは、あなたに交渉事は似合いませんが、企業間の繋がりを作ることには長けています。アッシュさん、あなたの名前はしかと刻みました」
「そうかい。俺はこんな神経削る会話をそう何度もしたくないよ」
「事務所の代表として、これが終われば我々と会話をする機会もきっと生まれますよ」
「勘弁してくれ。まあ、ハルキのことは頼んだよ」
「良い報告を期待してください。くれぐれも、下手な動きはしないでくださいね?」
「分かってるよ。信じて任せる」
電話を切り、エガリゼはスマホをデスクへ置いた。くつくつと喉の奥で笑いながら冷蔵庫へ向かい、グラスへブドウジュースを注いだ。
「まったく、ハルキさんの周りには愉快な方々が集まっているようですね。実に良い。いつか事務所の皆さんと食事会を開きたいものです」
ブドウジュースを口に含み、グラスを置いた。
「さて、本格的に動きましょうか」