メルダーが運転する中、ハルキはスマホと睨めっこしていた。画面に映るボタンを押そうか押すまいか悩んでいたのだ。
「なにスマホ見て変な顔してるのさ。仲間と連絡でも取ろうってかい?」
「うん? 初夜の意味を調べようか悩んでるんだ」
「ああ、そう。勝手にしな」
「ペルテテーがさ、初夜をしようって言ってきたんだ。どうも勝負事のようでね。僕としては負けたくない。だけどペルテテーが事前に情報収集を禁止しているんだ。だから結構困ってるんだ」
「……あたしは何聞いてるんだろうね」
「メルダーは初夜ってやつをしたことは?」
「それを女性に聞くな、頼むから……」
「……なるほど、これはセクハラに位置する言葉なんだね。ごめん」
メルダーが深いため息をする。
「まあ、事前に学ぼうって姿勢は嫌いじゃない。精々よくしてやんな」
「ふむ、よくする。どうにも勝負事ではないみたいだ。もう少し情報がほしいな」
メルダーが突如唸りはじめる。左手で髪をガシガシ掻いて、やがて疲れたように腕を落とした。
「で、どこまでやったんだい? 相手はあの鬼の子だろう?」
「お風呂には一緒に入ったね」
「段階飛ばしすぎじゃないか」
「ちゃんとステップは踏んでるとも。最初は手を繋ぐところからさ。次にキスをした。それから舌を入れられて、お風呂に入ったね」
「なんで全部肉体的接触なんだよ。他になんかないのかい? デートとか色々あるだろうに」
「もちろんデートはたくさんしたとも。ペルテテーの服を買いに行ったときはなかなか楽しかったよ」
「ったく、たしか族長の娘だろあの子。何回か戦ったことあるけど、まったく、そんな相手の話を聞くとはね」
「ペルテテーは結構スタイルがいいんだ」
「最悪だなお前……」
「失礼だな。美しいものを美しいというのは悪いことなのかな?」
メルダーが左手で額を抑える。
「はいはい、そりゃそうだろうさ。外から見てもそれは分かる。で、あんたは欲情したと?」
「……欲情ってなんだい?」
「そこからか!」
「そういえば、今日ペルテテーがゴムはいらないって言っていたんだ。なんのことか知ってる?」
「そりゃ避妊具だ。おいおい、最低限のことくらいしろよ」
「避妊具?」
「そこも分からないのか!」
バシバシとメルダーがハンドルを叩く。
「いいかい? 初夜ってのは生殖行為だ。つまり子作りだ。分かったかい?」
「……それ勝ち負けってないよね?」
「ないだろうね」
「あれ、ペルテテーが、凄かったら気絶するとかなんとか言ってたのは……」
「それをあたしに言わせんな。テクが良けりゃ天国行きってとこだろうよ」
脳内であらゆる情報が統合されていく。
「嫌な予感がする。これは考えたら気絶する気がする」
「頼むから、変なとこで気絶しないでくれないか? あんた人質っていう自覚を持ってるのかい?」
「それで、具体的にはなにをするんだい? いや、これはペルテテーに聞くことにしよう。きっとその方が楽しい」
「そうしてくれ。アイラの奴め、絶対クレーム入れてやる!」
「実に楽しみだ。さっそく帰りたくなってきた」
「この期に及んで帰れるつもりなのが呆れるよ」
「なに、僕の仲間は結構優秀なんだ。きっと帰れるさ」
いいか、とメルダーが声色を低くする。
「あんたは研究所に連れてかれる。そこで身体をあちこち弄られるんだろうさ。生きて帰れるなんて希望は無意味だ」
「いまそれを聞くとなんだかやらしいね」
メルダーが思い切り窓ガラスを叩いた。
「お前の頭はピンクか! お花畑でも湧いてんのか⁉」
「正直に言うよ。ちょっとペルテテーの身体を想像して心臓がバクバク言ってる。僕は一体何されるんだろう?」
「知るか! もうアイラに聞け!」
「研究所なんだ。きっと初夜の資料くらいあるよね」
メルダーは何も言わなかった。ただ目元をひくつかせながら車を運転していた。気づけば研究所に着いていた。門を抜けて駐車場に停まる。
「あと十分もすりゃお別れだ。こんなに疲れる人質移送は初めてだよ」
「そうかな? 僕は結構有意義な会話ができたと思っているよ」
「そうだろうな! 初めて知ることばっかだったもんな!」
ほとんど怒鳴るように言ったメルダーが、ドアを蹴って開く。随分とお怒りのようだ。後部座席を開いてトランクを出す際、隅に引っかかって舌打ちをしている。きっと夜だからよく見えないのだろう。
ハルキはひとまず脳裏に浮かんでいる映像を端に追いやり、ドアを開いて車から出た。
メルダーは振り返りもせずに研究所の正面玄関へ向かっている。このまま逃げても問題ないのではなかろうか。
一瞬だけ掠めた思考を取りやめる。逃げたら雷でおしまいだ。今日だけで二度も食らっているのだ。三度目は勘弁願いたい。
「さっさと来な!」
「勝手に進んで勝手に怒るのはひどいね」
メルダーが両手を頭に向け、額にトランクの角が当たって苦悶の声を上げる。
「クソッ! こいつを連れてきてからケチがつきまくりだ!」
「随分な言い草だね。僕は何もやってないじゃないか。君がドジなだけだと思うんだ」
「クソッ! クソッ! こいつ殺したい!」
「残念だ。僕を殺したら取引にならないよ?」
「いきなり人質の意味を使ってくるな!」
「自覚を持てってさっき言ってたじゃないか」
「クソッ! もう会話は無しだ! いいからついてこい!」
メルダーが人質を置いて自動扉の向こうへと行ってしまう。誘拐犯としての自覚をもう少しもってほしい。仕方なくハルキも彼女の後を追う。
ロビーに入ってメルダーの姿を探すと、受付付近のソファーに苛立たし気に座るところだった。ハルキはとぼとぼと歩いて隣に座る。
「なんで隣に座るんだ!」
「ひどい扱いだ」
「いいかい? 一切口を開くなよ? もう絶対しゃべるな」
「分かった。お口にチャックするよ。それでいいかい?」
「よし、よしよし、いい子だ。じゃあいまから黙りな」
会話が封じられてしまった。次に口を開けば電撃を食らいそうな剣幕だ。仕方なくハルキはスマホを取り出してネットサーフィンを始める。
さて、もういっそ調べてしまおうか。どうせ研究所の中だ。気絶してもしなくても結果は変わらないだろう。
検索語彙を考える。単純に初夜で良いか。それとも、初夜、やり方、とかで検索するのがいいのか。おっと、ここは単純な検索ではなく、AIを使って回答させてみるのもありだ。
いやいや、画像検索も捨てがたい。どこぞの女性の裸体であろうと、この高性能CPUに掛かればペルテテーに変換できる。なに、以前はグラビアで気絶してしまったが、あれから幾度かの経験を経ている。ペルテテーと一緒にお風呂だって入ったのだ。いまなら行ける自信がある。気絶したらメルダーに運ばせよう。そうしよう。
ハルキは画面を画像検索に切り替え、検索バーに言葉を打ち込む。鬼種、裸体でいいだろう。ただ見たくなっただけだ。他意はない。
「……なにやってんだ」
横合いからメルダーにスマホを取り上げられる。
「……むっつりかよお前。ていうか、この状況でまだ頭がお花畑か」
喋ると怒られるから、ハルキは無言で右手を差し出した。
「こいつはあたしが預かる。あんたを引き渡すときに返してやるよ」
「待遇改善を要求する」
メルダーの表情に亀裂が走った。奪ったスマホになにやら打ち込む。ややあってスマホを渡してきた。
「せめてこっちにしな」
画面に現れたのは、いつぞや見たグラビアだ。しかし鬼種がいない。妖精種ばかりだ。反論したいが、これ以上続けて本格的に没収されては困る。仕方ない、妖精種の女性で我慢しよう。脳内変換してしまえばどうにでもなる。
さて、素敵な時間の始まりだ。
こつん、こつん、と靴底を鳴らす音が響く。眼前で音が止まる。
「ああ、86番。ようやく再会できましたね」
タイミングが最悪だ。殺してやろうかこの女。
顔を上げ、ハルキは笑った。目の前には、水色のボブカットの美しい妖精種。白衣の下には黒のニットを着ている。まあ、胸はなかなかに大きいが、そこはどうでもいい。
「帰れ。いま僕はグラビアを見てる。後にしてくれ」
横でメルダーが頭を抱えているが、知ったことではない。こちらは折角の素敵な時間に水を差されたのだ。そうとも、こいつが何もかも悪い。情操教育を施さなかったこいつが全部悪い。
「おやおや、第二次成長期は過ぎたはずですが、肉欲にとらわれているのですか?」
「なんだいその肉欲っていうのは? 研究者だったら分かるように言ってくれないかな?」
「あなたには不要な言語です。少しパラメータを弄る必要がありそうですね」
「ほらこれだ。こっちが求めても大した情報が出てこない。これだからお前みたいな研究者は嫌いなんだ」
「怒り? あるいは失望? この六年で随分と感情が芽生えてしまったようですね。困りました。我々が示した到達点には不要なものです」
「僕の必要不要を勝手に定義しないでくれるかな? それを判断するのは僕だ」
「ああ、もう忘れてしまったのですね。あの頃はあんなにも従順だったというのに。意識の剥奪から始めましょう。どうやらバグだらけになってしまったようです」
ふいに、背後から両腕を掴まれる。他の研究員だ。
「折角戻ってきてあげた成功検体への対応がこれかい? 品位に欠けるね。マフィアの方がもっとまともだったよ。なにせ、最高級レストランで食事会を開いてくれたくらいだ」
アイラが頭を傾ける。
「なぜ86番にそのような対応をする必要があるのでしょう?」
「ははは、いまなら分かるよ。お前、全然人間的じゃない」
「分からないのですか? 研究者に人間性など不要です」
首筋に鋭い痛み。意識が一瞬で消える。