夜のケイオス市を車で駆けていく。ハンドルを握りながら、助手席に座らせたハルキのスマホをメルダーは開く。顔認証のそれは、眠っている人物でも鍵は開くらしい。不用心極まりない。
電話帳からペルテテーの名前を探し出し、電話を掛けた。下手に動かれると面倒事になるから、先に伝えてしまおうと思ったのだ。
電話はすぐに繋がった。
「ハルキ!」
歓喜と不安が混じった女の声だ。気分が悪くなる。
「悪いけど、メルダーだ。朗報だよ、いまあんたの男を連れてそっちに向かってる。解放だ」
「エガリゼが間に合ったんだね……良かった」
「やっぱあんたらの差し金か。最悪の交渉を聞かされた。戻ったら飲み物の一杯でももらいたい気分だ」
「ふざけてるの? 殺さないだけありがたいと思いな」
「そうフかすなよ。今夜は無理だろうが、明日には初夜とやらができるんだ。良かったじゃないか」
「はあ? なんでそんなこと言われなきゃなんないの」
「まあ聞きなって。こちとらハルキを輸送してる最中、ずっと初夜について語られたんだ。愚痴のひとつでも言わせな」
「はあ? はあ?」
「族長の長子だろうが。もちっとまともな語彙持ちな。ああ、それから。ちゃんとこいつに教育しとけって。なんで避妊具の意味も分からないんだよこいつ」
「うっさい! うっさいうっさい!」
「あと避妊くらいしな。あーいや、鬼族はできにくいんだっけっか? まあ、ほどほどにしときなよ」
「な、な、なんであんたにそんな心配されなきゃいけないの!」
「別に戦争は終わってるんだ。敵対する理由もないだろ」
「あんた! さっきハルキを誘拐したでしょ! ノアだって!」
「はいはい、わるぅございました。こっちはもうエガリゼの下に着いたんだ。あんたらに危害を加える気はもうないよ」
ぐぬぬ、と電話口で鬼が唸っている。かつて、前線をひとりで支えたあの化物がこの有様だ。昔の戦友に教えたいくらいだ。
「は、ハルキはなんて……?」
「あん? 何の話だい?」
「だから! その、初夜について……」
「そうだな……あんたのスタイルがいいと言ってたね。あとは、初夜が楽しみだとかなんとか。ああ、一応初夜の意味は教えといたよ。感謝しな」
「なっ! なんで教えたの!」
「情報の不均等は良くないねぇ。なに、生殖行為ってことと、ゴムの意味くらいしか教えてないさ。必要最低限未満だ。あとは自分で教育しな」
「私の役目なのに!」
「ああ、ただ研究所に来てまでネットで鬼族、裸体って検索するのはどうかと思うよ」
「え? うそ? ハルキがそんな検索してたの?」
「なんでちょっと嬉しそうなんだよ。おかしいだろお前も」
「これだから恋人のいない人は。彼氏が私の裸を想像して検索してるんだよ? 嬉しいに決まってるでしょ」
「煽るか喜ぶかどっちかにしな」
「あ、どうしよう! 夜のこと考えたらちょっと興奮してきた」
本当に、こいつは一体なんなのだろうか。
「寝込みは襲うなよ? そういうのは同意ってのが大事なんだ。初めてだからって変なことするなよ?」
「えっと、そのさ……やっぱ、よかったりするの?」
「あん? なにがだ?」
「だから……その……えっちぃこと」
こいつは誘拐犯になに聞いているのか分かっているのだろうか。もうどうにでもなれという気分だ。
「最初は痛かったよ。だけど、好きな男とやるってのはそれ以上のものがある。ま、回数重ねてけば気持ちもいいもんさ」
「その、男の人が喜ぶのってどんなことすればいい?」
「生々しいこと聞くなよ……」
「初めてなの! ハルキを気絶させたいの!」
「その動機はおかしくないか?」
「好きな人が、その、色々して気絶したら嬉しいでしょ!」
「あたしゃそんな経験ないから知らん」
「え、気絶しなかったの?」
「あのな、普通気絶しないんだよ」
「ハルキはキスで気絶したもん。私の裸を想像しただけで気絶したもん!」
「はいはい、分かった分かった。あんたの男はそういう奴だ」
「ねえ、まだ着かないの? ハルキとハグしたいんだけど」
「こっちもそこそこ飛ばしてるんだ。ちったぁ落ち着いて待ってな」
「ていうか、ハルキの声が聞こえないんだけど? 拘束してるんなら殺すよ」
「最初にそっちの気を回せよ。安心しな、寝てるだけだ。研究所で眠らされてね。まあ、色々あってあたしが回収して運ぶ羽目になったわけだ」
「無事ってこと?」
「そういうことだ。助手席でぐーすか寝てる」
「いまの会話聞かれてないよね?」
「聞かれちゃまずいことを堂々と話すなよ」
「ねえ、あと何分くらいで着く? 十分? 五分?」
「こちとら研究所を出たばかりなんだ。セクター超えるんだから時間かかるに決まってるだろうが」
「ムラムラするの!」
どうにかギリギリで保っていたメルダーの理性が、ここでぷつりと切れた。
「はった押すぞこの鬼女! 揃いも揃って脳内ピンクどもめ! 着いたら覚悟しろ!」
電話を切ってハルキの膝の上に放り投げる。スマホが震えるが無視だ。これ以上あの女との会話に付き合っていられない。
ふと、身体に脱力感が生まれた。腹が減った。朝からろくに何も食べていないのだ。途中でドライブスルーにでも寄りたい気分だ。まあ、そんなことをしていればあの鬼女から恐ろしいほどの電話が掛かってくるはずだ。めんどくさいことこの上ないが、さっさとこの男を連れて行くしかあるまい。
空腹で苛立ちながら運転をし、一時間以上を掛けてようやくマンションの駐車場に着いた。正直もう動きたくはなかったが、仕事は最後までする必要がある。
いまだ暢気に寝ているハルキの膝からスマホを拝借。寝顔でロックを解除して画面を見て、顔が引きつった。
とんでもない量の着信が来ている。すべてペルテテーだ。
「こいつ、ちょっとヤバイ女すぎないか……? ヤンデレか?」
正直連絡するのが怖いが、ここまで来たらもう仕事を終わらせたい。ついでに何か食べたい。
ともかく、スマホを操作してエガリゼの連絡先を自分のスマホに落とし、それから一度深呼吸をしてペルテテーに電話した。
「メルダー! いまどこ!」
「駐車場だよ。もうさっさと来てくれ。あたしゃ疲れた」
「いま行く! すぐ行く!」
一方的に電話が切られる。メルダーはため息してスマホをハルキのポケットに突っ込む。車から出て助手席のドアを開き、彼を背負って歩き出す。トランクは、今回いらないだろう。もう戦う気力など微塵もない。
駐車場の通路に出た途端、それが居た。緋色の髪を乱した鬼の乙女が、息を切らしてこちらを見ている。早すぎるだろ。
「重いからさっさと連れてってくれ」
メルダーが背を向けてハルキを見せると、ペルテテーが無言で近づいてきた。
ペルテテーがハルキを掴んで引き寄せる。ようやく背中が軽くなる。
「任務完了だ。あたしゃもう帰る」
これ以上この色ボケ二人に関わりたくはない。わらわら人がやって来る。大方仲間たちか。メルダーは背を向けたまま車に乗り込み、エンジンをかけた。