いつか何処かの戦場にいた誰かの記録   作:防水工

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うーん難産難産、因みに現地で召喚されたサーヴァントは戦闘後に登場予定


第5節 合戦準備

2017年 ヨークシャー シーマー 聖マーティン教会

 

冷たい雨が接収された修道院のステンドグラスを絶え間なく叩き、薄暗い司令室に重く冷ややかな音を響かせていた。

 

 前線司令部の大広間、中央に置かれた広域戦術地図(タクティカルマップ)を囲み、藤丸立香たちと、サーヴァント『ソルジャー』による、陸上基点攻略のための作戦会議が開始されていた。

 

「――目標は、ここから北北西に位置する広大な荒野、ノース・ヨーク・ムーアズ国立公園の最深部です」

 

 深く被った外套(フード)の奥から、幾重にも重なるような不思議な声色で、ソルジャーが地図の一点を指し示した。

起伏の激しい荒涼としたヒースの平原と、そのただ中にそびえ立つ異様な建造物がミニチュアの四角い模型と写真で手に取るようにわかる。

 

「元々は現代イギリス軍の早期警戒レーダー基地……『RAFファイリングデールズ』と呼ばれる軍事施設です。

本来は弾道ミサイルを警戒する巨大な四角錐(ピラミッド)状のフェーズドアレイ・レーダー棟ですが、駐屯・勤務していた部隊が撤退した今は、完全に敵の手によって特異点の魔力炉心へと作り変えられています。

ヨークシャー一帯の霊脈の交差点を抑え、あのレーダー施設そのものがアンテナとなり、『英雄否定』の呪詛と物理的な防壁を広域に放射し続ける『陸の基点』として機能しているのです」

「現代のレーダー基地が、魔力の送信塔に……」

 

 立香が息を呑む。

地図上に示されたその巨大なピラミッドの写真は、大地からドクドクと赤黒い魔力を吸い上げ、淀んだ空へ向かって禍々しい光の柱を放っているように見えた。

 

「問題は、そこへ至るまでの道程と、敵の兵力配置だ」

 

 腕を組んだエミヤが、鋭い視線で荒野の地形図を睨みつける。

 

「ノース・ヨーク・ムーアズ。

見渡す限り背の低いヒースが広がる荒野であり、身を隠すような森林も、市街地も存在しない。

遮蔽物が皆無な平原は、大規模な機動戦……とりわけ、装甲車両を運用するには絶好の猟場(地形)だ。

事前の偵察情報によれば、ここには相当な数が集結しているんだったな?」

「ご慧眼の通りです、無銘の弓兵殿」

 

 ソルジャーが荒野のあちこちに、おびただしい数の赤い駒を置いた。

 

「敵の防衛線は、第二次大戦期や近代中東、欧州の機甲師団を模した亡霊兵士の軍団。

ティーガー重戦車やパンター中戦車、M1エイブラムスやT-64を中心とした、数百両を超える戦車大隊が、平原を埋め尽くすように強固な防衛線を構築しています。

そして何より厄介なのが――上空です」

 

 さらに空域写真に、おびただしい数の影が写っている。

 

「特異点の異常な魔力濃度に引き寄せられ、あるいは聖杯によって生成された幻想種。

空を黒く塗りつぶさんばかりの『ワイバーン』の大群が、レーダー基地の周辺で完全な制空権を握っています」

「重戦車大隊による地上の圧倒的な火力制圧と、ワイバーンによる空からの急降下攻撃(爆撃)……。

遮蔽物のない平原において、陸と空からの完全な挟撃網というわけか」

 

 呪腕のハサンが、髑髏の仮面の奥で忌々しげに呻いた。

 

「我が暗殺の業は、死角があってこそ活きるもの。

このような見晴らしの良い平原では、近づく前に空からの監視に晒され、戦車の砲撃の的になるだけ…。

ましてや今の私は、『英雄否定』の理によって脚に鉛が入ったように霊基が重い。……マスターの盾となることすら、覚束ないやもしれませぬ」

「私も同じです」

 

 壁際で聖旗を杖代わりにしていたジャンヌ・ダルクが、痛む身体を押してテーブルへと歩み寄った。

その白銀の甲冑には、先の市街戦で刻まれた弾痕が生々しく残っている。

 

「本来であれば、私が先陣を切り、宝具を展開して戦車の砲撃と空の脅威を退けるべきところ。

しかし……今の極端に劣化した霊基では、あの一斉射撃の前に数秒と魔力が保たないでしょう。

マスター、申し訳ありません……」

 

 俯く聖女に、立香は慌てて首を振った。

 

「謝らないで、ジャンヌ、呪腕さん。

二人が本調子じゃないのは特異点のルールのせいだもん。

それに、私たちにはまだ手札があるから」

 

 立香の信頼に満ちた視線を受け、赤い外套の弓兵が、ふっと不敵な笑みを浮かべた。

 

「そういうことだ。

英雄が英雄たる力を振るえないのであれば、無名の掃除屋(わたし)が汚れ仕事を引き受けるまでのこと。

それに、荒野とはいえ完全に平坦というわけではないのだろう?」

「はい。弓兵殿の仰る通りです」

 

 ソルジャーがホログラムの地形図を操作し、高低差を強調させた。

 

「ノース・ヨーク・ムーアズは広大な荒野ですが、同時に起伏の激しい丘陵地帯や、一見平坦に見えても重車両の足回りを絡め取る底なしの泥炭地帯(ボグ)が点在する、欺瞞に満ちた地形です。

そこで、この地形と我が軍の『部隊編成』を最大限に活かした遅滞・誘引戦術をとります」

 

 ソルジャーは戦術地図の中央に、青い駒の大部隊を配置した。

 

「まず、平原の中央……敵戦車大隊の正面に堂々と布陣するのは、敵と同じくティーガー重戦車とM1エイブラムスを主力とした各国の軽・重戦車部隊と英国擲弾兵連隊、スコットランドのハイランダー連隊の混合戦列歩兵隊、両翼には赤枝の騎士団に連なるアルスター戦士団、ガリポリの戦いで奮戦した第6グルカ歩兵連隊第1大隊が展開します」

「戦列歩兵……!? 横一列に並んでマスケット銃を撃つ、あの古い時代の兵士たちを、戦車とワイバーンの前に立たせるというのか?」

 

 エミヤが驚きに眉をひそめるが、ソルジャーは淡々と首を縦に振った。

 

「はい。

彼らの極めて厳格に統率された三段撃ちの連続射撃(ヴォレー)は、ワイバーンに対して恐るべき弾幕を形成します。

空を覆うほどの硝煙と一糸乱れぬ銃声で、上空のワイバーンと敵の注意を完全に正面へと引きつけます。

加えて彼等は祖国での戦い故、極めて戦意旺盛で士気も極めて高く、期待以上の活躍を見込めます。

そして、敵のティーガーやパンター重戦車が彼らを蹂躙しようと怒り狂って前進した先には……先程申し上げた『泥炭地帯(ボグ)』が広がっているのです」

 

 地図上で、前進する戦車が、特定のエリアで動きを止めるようにソルジャーが駒を止めた。

 

「50トンを超える重戦車は、泥炭の沼に足を取られ機動力を失います。

完全に動きが止まり、側背を晒したその瞬間に――湿地に潜ませておいたドイツ国防軍とアメリカ軍が対戦車砲(PaK40)による十字砲火を浴びせ、日本帝国陸軍とソビエト連邦軍の決死隊が死角から九九式破甲爆雷を用いた肉薄攻撃を仕掛ける……という算段です」

「なるほど……。

過去の歩兵戦術で空を牽制しつつ囮となり、機動力を奪った上で近代戦術で戦車を仕留める。

時代が入り混じったこの軍隊だからこそ可能な、恐ろしく理にかなった陣形だ。

だがワイバーンはどうする。

幾ら戦意旺盛な戦列歩兵の隊列交互射撃とはいえ、マスケット銃は連射が出来ない。

隙を突かれれば一瞬で食い破られるぞ」

「御安心を。

ドイツ軍の8.8cmFlaK 18、FlaK 36、FlaK 37やボフォース40mm機関砲、エリコン20mm対空機関砲などを部隊中央後背寄りに配置し、戦列歩兵隊の撃ち漏らしを殲滅します」

 

 エミヤが感心したように唸る。

ソルジャーは最後に、東側を指し示した。

 

「敵の主力陣形が泥炭地帯に偏り、防衛線に乱れが生じたその一瞬の隙を突き……総司令官閣下と弓兵殿の率いる現代の各国軍の特殊部隊戦死者から抽出した連合ヘリボーン部隊が、超低空をUH-60ブラックホークと護衛のMH-6リトルバードで駆け抜け、レーダー基地の懐へと一気に肉薄、空挺強襲します。

魔力炉心へ至った後、弓兵殿の宝具で炉心を破壊、同時に施設を爆薬で破壊し、敵の再利用を不能にします。

もし爆発ができなかった場合には、我等が炉心付近で遅滞戦闘を行い、ワイバーンの接近する前に、B-29スーパーフォートレスを主力とした空爆隊による絨毯爆撃で一帯を破壊します。

……死傷率は計り知れません。

ですが、名もなき兵士(我々)は一度死した身、最早死は我等にとって恐怖の対象ではありません。

必ずや魔力炉心へと至る一筋の道が開けましょう」

 

 自己犠牲を前提とした、あまりにも非情で凄絶な作戦。

 だが、その声に悲壮感は欠片もなく、ただ己の役割を全うするという『兵士としての矜持』だけが満ちていた。

 立香はギュッと両手を握りしめ、覚悟を決めた瞳でフードの英霊を見つめ返した。

 

「わかった。その作戦でいこう。

……でも、一つだけ約束して。

みんな、ただの壁になんてならないで。

誰も無駄死になんてさせない。

必ず全員で、あの魔力炉心を破壊して帰ってくるんだからね!」

「…… はっ。

総司令官閣下のご命令とあらば、いかなる死地であろうと必ずや生還を果たしてご覧に入れましょう」

 

 立香の親しみ深くも決して揺るがない決意の言葉に、ソルジャーは深く、心からの敬礼を捧げた。

 

 永遠に続くかと思われたヨークシャーの雨が、ほんの少しだけ弱まっていた。

 

 

 

〇〇〇

 

 

 

灰色の雨が降り続くヨークシャーの空の下。

 堅牢な修道院を接収して作られた『前線司令部』の内部は、来るべき大規模侵攻作戦に向けた準備で、蜂の巣をつついたような熱気と喧噪に包まれていた。

 

「弾薬の再分配を急げ!

日本兵とグルカ兵へ小銃弾を回すんだ!」

「戦列歩兵のマスケットは湿気に弱い、出撃直前まで火薬庫から出すなよ!」

「衛生兵! ここに包帯とモルヒネの補充を頼む!」

 

 飛び交う言語は英語、ドイツ語、ロシア語、日本語、さらには古代のケルト語など多岐にわたるが、不思議なほど意思疎通に淀みはない。

 第二次大戦期の軍服を着たドイツ兵が弾薬箱を運び、その横で戦国武将が刀を拭い、中世の騎士が甲冑の留め具を確認している。

少し離れた場所では、特徴的な湾曲剣(ククリ)を無言で研ぎ澄ます精強なグルカ兵の姿があり、さらにその奥では、古代の文様が刻まれた槍や盾を立て、静かに闘志を燃やす赤枝の騎士団――アルスターの戦士たちが肩を並べて待機していた。

 近代火器が積まれた陣地では、冬将軍を生き抜いた分厚い外套のソ連兵が、M1ガーランドやトンプソン短機関銃を手にしたアメリカ兵と、かつてのイデオロギーの壁など存在しないかのように手榴弾の箱とタバコを分け合っている。

 時空と陣営を超えた兵士たちが一つの巨大な生き物のように連動し、ただひたすらに『次の死地』へと赴くための作業を黙々とこなしていた。

 その喧騒から少し離れた修道院の回廊の隅で、藤丸立香たちカルデアの一行は、短い休息を取っていた。

 

「すごい熱気……。

みんな、自分が『死ぬかもしれない』戦場に行くのに、少しも迷いがないんだね」

 

 立香は支給された第二次大戦期の米軍レーションを食べながら、感嘆の息を漏らした。

 

「ええ。

彼らは皆、既に一度死を経験した者たち。

己の命の使い所を、魂の底から理解しているのでしょう」

 

 呪腕のハサンが、修道院の柱に寄りかかりながら静かに頷く。

 その隣では、ジャンヌ・ダルクが目を伏せ、泥に汚れた自らの聖旗の布地を、丁寧に、祈るように拭い清めていた。

 『英雄否定』の強烈な呪詛によって霊基が大きく劣化し、本来の力を失っている彼女の横顔には、仲間を守りきれないことへの深い悔恨と、拭いきれない疲労の色が滲んでいる。

 

「――総司令官閣下。

そして、聖女殿。

少し、よろしいでしょうか」

 

 ふと、静かな足音と共に声が掛かった。

 見上げると、深い外套(フード)で素顔を隠したこの軍団の代表たるサーヴァント――『ソルジャー』が、立香たちを見下ろすように立っていた。

 

「ソルジャー?

どうしたの、作戦の変更?」

「いえ、作戦の準備は滞りなく進んでおります。

……実は、出撃を前に、どうしても聖女殿に一目お会いしたいと切望している者たちがおりまして」

 

 ソルジャーの言葉に、ジャンヌがハッと顔を上げた。

 

「私に、ですか……?

この特異点で、私に縁のある英霊が喚ばれているとでも?」

「英霊と呼べるような、大層な存在ではありません。

彼らもまた、歴史の闇に消えた無数の『名もなき兵卒』たちの一部。

ですが……彼らの魂に深く刻まれた想いだけは、この特異点にあっても決して消え去ることはなかったのです。

どうか、少しだけお時間をいただけないでしょうか」

 

 ソルジャーのどこか懇願するような響きに、ジャンヌは戸惑いながらも立ち上がった。

 

「もちろんです。

……私でお力になれるのなら」

「行こう、ジャンヌ。

私もついていくよ」

 

 立香が背中を押すように立ち上がり、エミヤとハサンも無言でその後へ続く。

 ソルジャーの先導で、喧噪に満ちた大広間を抜け、修道院の中庭へと続く渡り廊下を進む。

 すれ違う様々な時代の兵士たちは、立香の姿を認めるたびに足を止め、敬意に満ちた完璧な敬礼を捧げていった。

そして、一部の兵士達はその後ろを歩くジャンヌの姿を見ると、まるで神聖な奇跡を目の当たりにしたかのように、息を呑んで道を譲るのだった。

 

「……やはり勘違いではないようだな」

 

 周囲の視線に気づいたエミヤが、赤い外套の中で腕を組み、誰にともなく低く呟く。

 

「この軍を構成しているのは、あらゆる時代の兵士の幻霊だ。

ならば当然、その中には『あの時代』を駆け抜けた者たちも混ざっているはずだ。

……そうだろう、アサシン?」

「左様。

英霊たる我々とて、共に戦った同胞の顔を忘れることなどあり得ぬ。

ましてや彼らにとって、彼女は――」

 

 ハサンの言葉が途切れた時、ソルジャーの足が止まった。

 雨上がりの中庭。

武器庫として使われている古い礼拝堂の前の広い空き地に、数千人の兵士たちが整列して待機していた。

 近代の軍服を着た他の兵士たちとは違う。

 彼らが纏っていたのは、ひどく使い込まれ、あちこちが凹み、赤錆の浮いた中世の板金鎧(プレートアーマー)や鎖帷子(チェインメイル)だった。

手には無骨な長槍やクロスボウ、そしてボロボロに擦り切れた青い布地に、色褪せた『百合の花(フルール・ド・リス)』の紋章が描かれた旗を握りしめている。

 ジャンヌの足が、ピタリと止まった。

 アメジストの瞳が大きく見開かれ、聖旗を握る手が微かに震え始める。

 

「あ……」

 

 中庭に立つ数千人の兵士たちもまた、渡り廊下に姿を現したジャンヌの姿を認めた瞬間、全員が雷に打たれたように硬直した。

 泥と血にまみれ、兜の下から覗く彼らの顔は、誰もが名前すら後世に残らなかった平民の兵士たちのものだ。だが、その瞳には、今まさに奇跡を目の当たりにした信徒のような、爆発的な感情が渦巻いていた。

 

「おお……あああ……ッ!」

 

 一人の兵士が、手から長槍を取り落とした。

 ガラン、と甲高い音が石畳に響く。

それを合図にしたかのように、兵士たちは次々と武器を投げ出し、その場に両膝をついて崩れ落ちた。

 

「ああ……神よ、感謝します!

本当に……本当にいらっしゃった……!」

「聖女様!

ああ、我らが乙女(ラ・ピュセル)ッ!!」

 

 泥だらけの石畳に額を擦りつけんばかりに伏し、ある者は両手を天に掲げ、ある者はボロボロと大粒の涙を流して咽び泣き始めた。

 彼らこそは、百年戦争の最中、絶望的な劣勢に立たされていたフランス軍において、突如として現れた一人の村娘を信じ、共に血の泥濘を進み、オルレアンの解放からルーアンの悲劇までを駆け抜けた――名もなきフランス兵たちの幻霊であった。

 

「あなたたちは……。

ああ、忘れるはずがありません……!」

 

 ジャンヌの声は、抑えきれない嗚咽に震えていた。

 弱体化の疲労など完全に忘れ去り、彼女は雨の残る中庭へと駆け出した。

 

「立ちなさい!

……立ってください!

伏せる必要などありません!

あなたたちは共にフランスを救った、誇り高き私の同胞(とも)なのですから!」

 

 ジャンヌは自ら膝をつき、泥に塗れた兵士たちの肩を抱き起こした。

 歴史には名を残さなかった彼ら。

ジャンヌが火刑に処された後も、誰に褒め称えられることもなく、戦場の泥の中で死んでいった名もなき兵士たち。

 英霊の座に昇ることのできなかった彼らの魂は、ソルジャーという器を通じて特異点に顕現し、数百年の時を超えて、彼らが全てを捧げた『希望の象徴』と奇跡の再会を果たしたのだった。

 

「聖女様……我らは、貴女をお守りできなかった……!

あの日、貴女が捕らえられた日も、炎に焼かれた日も……我らは無力なまま……ッ!」

「我等が祖国の為に、共に戦った貴女を……我等は……我等は……ッ!!」

 

 顔の半分を火傷の痕で覆われた老兵が、傷痕だらけの歴戦の兵士が、ジャンヌの手を縋るように握りしめ、血を吐くような後悔を口にする。

彼らは死してなお、自分たちを導いてくれた少女を救えなかったという呪縛に囚われ続けていたのだ。

 その光景を、立香たちはただ黙って見守ることしかできなかった。

ジャンヌ・ダルクは、そんな彼らの泥と血に塗れた手を、自らの白銀の篭手で優しく包み込み、そして、ゆっくりと首に振った。

 

「顔を上げてください。

……あなた方が謝る必要など、どこにもありません」

 

 その声は、どこまでも慈愛に満ちていた。

 『英雄否定』の理によって肉体がどれほど重くとも、魔力がどれほど削ぎ落とされていようとも。

かつて絶望の底にあったフランス軍を導き、数多の兵士の心を救済した『オルレアンの乙女』としての本質は、いささかも損なわれてなどいなかった。

 

「あの日、私が捕らえられ、火刑に処されたのは、私自身の選択であり、私が辿るべき運命でした。

私は、全てに納得し、理解し、受け入れて火磔に処されたのです。

あなた方が己を責める理由など、欠片ほどもないのです。

むしろ……」

 

 ジャンヌは、かつての戦友たちの目を真っ直ぐに見つめ返した。

「私が捕らわれ、主の元へ旅立った後も、絶望することなく、剣を握り続けてくれた。

私という旗印を失ってもなお、祖国のために、明日を生きる誰かのために、汚泥に塗れて戦い抜いてくれた。

……だからこそ、フランスは救われたのです」

「……、あぁ…聖女様…ッ」

「私一人では、決して祖国を救うことはできなかった。

あなた方が共に血を流し、共に歩んでくれたからこそ、私は『聖女』でいられた。

あなた方一人一人の名もなき勇気こそが、真なるフランスの救済だったのです。

……私の誇り高き愛する友たちよ」

 

 ジャンヌの瞳から、大粒の涙が零れ落ち、兵士達を打った。

 その瞬間だった。

 ボロボロに傷つき、今にも霧散してしまいそうだった兵士たちの幻霊の輪郭が、確かな光を帯びて力強く安定し始めたのだ。

魔力による補強ではない。

ジャンヌの言葉が、彼らの魂を縛り付けていた数百年分の呪縛(後悔)を解き放ち、純粋な『誇り』へと昇華させたのである。

 

「聖女様……ッ! ああ、我らが乙女(ラ・ピュセル)ッ!!」

 

 老兵が、わななく手でジャンヌの手を握り返す。

 他の兵士たちも、涙で泥を洗い流した顔を上げ、石畳に投げ出していた錆びた長槍を、あるいはクロスボウを、再びその手に力強く握りしめた。

 

瞬間、鎧や武具の錆や傷が消え、在りし日の輝きを取り戻す。

 

その瞳には、もはや過去への後悔はない。

あるのは、かつて祖国を救い、今また自分たちの魂を救済してくれた少女への、絶対の忠誠と燃え盛るような闘志だけだった。

 

「まったく……。

自らの身が削り落とされているというのに、他者の魂を掬い上げずにはいられない。

救い難いほどのお人好しだな、彼女は」

 

 回廊の影からその光景を見守っていたエミヤが、呆れたように、しかし口元に僅かな笑みを浮かべて呟く。

 無名のまま歴史の闇に消えた彼だからこそ、名もなき兵士たちの魂がどれほど救われたか、痛いほどに理解できたのだ。

 

「ええ。

これほどの忠義……そして、それに足る御霊の在り方。

感服の至りですな。

この『英雄否定』の特異点において、彼女は最も弱く……そして同時に、誰よりも強い」

 

 呪腕のハサンもまた、静かに目を閉じ、彼らの魂の安寧と気高さに祈りを捧げた。

 立香は、こみ上げる熱いものを必死に堪えながら、ただ真っ直ぐに彼らの再会を見届けていた。

 

「――感謝いたします、ジャンヌ・ダルク殿」

 

 ふと、ソルジャーが静かに進み出て、ジャンヌとフランス兵たちに向けて深く頭を下げた。

 

「無数の魂の集合体である私には分かります。

今、私を構成する一端を担う彼らの霊基が、歓喜と圧倒的な熱量を持って沸騰している。

名のある英雄を否定するこの世界で、貴女の存在こそが、名もなき彼らに最高の意味を与えてくれた。

……彼らは今、いかなる英雄にも劣らぬ、最強の歩兵となりました」

 

 ソルジャーの言葉に、フランス兵たちは一斉に立ち上がり、ジャンヌへ、そして『総司令官』である立香に向けて、踵を鳴らして直立不動の姿勢をとった。

 

「我らフランス王国軍、これより、我らが聖女様と、総司令官閣下のための矛となり、盾となります!」

「地獄の底であろうと、喜んでお供いたしましょう!

今度こそ……今度こそ、我らが貴女をお守りするッ!!」

「そうだッ!

ワイバーン、亡霊兵士何するものぞッ!!」

「我等に聖女様在り!!」

 

 

 気炎万丈の雄叫びが、中庭の雨を吹き飛ばすほどの熱気となって響き渡る。

 ジャンヌは涙を拭い、泥に汚れた聖旗を力強く握り直し、凛とした笑顔で頷いた。

 

「ええ……頼りにしていますよ」

 

 その光景に、立香もまた力強く頷き返した。

英雄が否定される世界で、彼らの絆だけは絶対に否定などできない。それを確信した瞬間だった。

 

 ――プォォォォォォォォォンッ!!

 

 突如、司令部の前線基地全域に、空気を切り裂くような重厚な進軍喇叭(ラッパ)の音が鳴り響いた。出撃の合図だ。

 

「総司令官閣下。

『陸の基点』――ノース・ヨーク・ムーアズへの出撃準備完了です」

 

 ソルジャーが、フードの奥の不可視の瞳を北西の荒野へと向ける。

 修道院の外からは、戦列歩兵の足音、装甲車の駆動音、戦国武将たちの馬の嘶き、ヘリのローター音と戦車隊のエンジン音が、地鳴りのように響き始めていた。

 

「行こう、みんな」

 

 立香が振り返り、仲間たちへ、そして名もなき全ての兵士たちへ向けて力強く宣言する。

 

「スカボロー城の結界を破るための第一歩。

私たちの未来を、彼らの想いを、絶対にあの狂った地獄になんか沈めさせない。

……カルデア連合軍、全軍出撃!!」

 

 特異点の厚い雨雲を貫くように、時空を超えた軍勢の鬨の声が轟いた。

 絶海の要塞へ至る道を切り拓くため、数万の『名もなき兵士』たちと共に、カルデア一行は決死の荒野への道へと、その足を踏み出した。

変性亜種特異点の第3節を乗りに乗りまくって書いたが故に、カルデア軍を名乗る不明勢力関係で所々書き直したい場所があります。只、書き直すと少しばかり設定が変わる部分があるので、アンケ取ります

  • 書き直して
  • 別にいいよ
  • そんな事よりおうどん食べたい…
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