出張で岡山に行ってる最中で忙し過ぎてサイト開いてる暇がなくて……
2017年 ヨークシャー ノース・ヨーク・ムーア近郊
鈍色の雨雲が低く垂れ込めるヨークシャーの丘陵地帯を、地鳴りのような行軍の足音が揺らしていた。
イースト・アイトンの前線司令部を出立したカルデア軍は、目標である『陸の基点』――ノース・ヨーク・ムーアズ国立公園の最深部へと向けて、灰色の雨を引き裂くように北北西へと進軍を続けている。
その光景は、まさに人類の闘争史を一枚の絵画に押し込めたかのような、常軌を逸した偉容であった。
先陣を切り泥濘の道なき道を切り拓くのは、第二次大戦期のドイツ国防軍が操る装甲半装軌車(ハーフトラック)と戦車隊の車列。
その後方には、真紅の軍服を雨に濡らしながら、小太鼓の単調なリズムに合わせて一糸乱れぬ隊列で歩調を合わせるイギリス戦列歩兵(レッドコート)の大隊が続く。
左右の防衛を担う両翼の陣容は、さらに混沌としながらも奇跡的な調和を見せていた。
右翼では、冬将軍を生き抜いた分厚い外套のソ連兵がPPSh-41短機関銃を背負って黙々と泥を蹴り、そのすぐ隣では、M1ガーランドやトンプソン短機関銃を手にしたアメリカ兵が、かつてのイデオロギーの壁など存在しないかのように、ソ連兵と肩を並べてタバコの火を分け合っている。
彼らのさらに外側では、特徴的な湾曲剣(ククリ)を帯びた精強なグルカ兵たちが、一切の足音を立てることなく、死神のように冷徹な眼光で周囲の索敵を行っていた。
左翼に目を向ければ、鮮やかな当世具足を鳴らしながら荒野を駆ける戦国武将の騎馬隊と、古代ケルトの恐るべき戦士たち――赤枝の騎士団(アルスター戦士団)が陣取っている。
屈強な肉体に戦化粧(タトゥー)を施したケルトの戦士たちは、冷たい雨など意に介する様子もなく、古の文様が刻まれた槍と盾を打ち鳴らし、戦意を高揚させるように野性的な戦歌を口ずさみながら歩みを力強く進めていた。
「何度見ても、信じられない光景だね……」
軍の中央、多数の戦車に護衛されたハーフトラックの荷台に揺られながら、藤丸立香は感嘆の溜息を漏らした。
時代も、国籍も、用兵思想も、そして使用する武器の規格すらも全く異なる数万の軍隊。それが、互いの足並みを乱すことなく、一つの巨大な生物のように完璧な統率のもとで前進しているのだ。
「補給という概念を完全に無視できる、幻霊ならではの力技だな」
雨を凌ぐ幌の下で、エミヤが腕を組みながら冷徹に分析する。
「通常の軍隊であれば、使用する小銃の口径等の装備の差だけで部隊が崩壊することもままある。
馬の飼葉、戦車の燃料、兵士の糧食……それら全てを用意し、維持分配することなど不可能だ。
だが、彼らは英霊のなり損ないとはいえ、魔力によって形を成すサーヴァントの端くれ。
究極的には『兵士としての在り方』を保つための魔力さえあれば、歩き続けることができる」
エミヤはそこで言葉を区切り、装甲車の助手席に座る深い外套のサーヴァント――『ソルジャー』の背中へと鋭い視線を向けた。
「とはいえ、これほど異なる時代の戦術ドクトリンを一つの戦場で破綻なく機能させ、数万の幻霊の魔力と意思を統合するなど、指揮を執る『代表』の演算能力は底知れぬものがあるがな」
「弓兵殿の過分な評価、痛み入ります」
ソルジャーが、微かに首だけを向けて静かに応えた。
「私はただ、無数の『彼ら』が持っていた戦場の記憶を引き出し、最適化して繋ぎ合わせているだけです。
国や時代が違えど、戦場の泥を啜り、隣の戦友の背中を守る術を、彼らは魂の底から理解している。
名もなき兵士であるという共通の概念こそが、この軍隊を繋ぐ最強の鎖なのです。
魔力に関しても、一人一人が歴史に名を残す大英雄ではないので、彼等を現界させる量はたかが知れています。
加えて、魔力炉心を破壊し、『英雄否定』の呪詛が軽減されれば、更に数を揃えることもできるでしょう」
ソルジャーの声には、誇張も謙遜もなく、ただ兵士たちへの静かな信頼だけが満ちていた。
立香はふと視線を落とし、ハーフトラックのすぐ脇を、装甲車を守るようにして随伴する一団を見つめた。
錆びた板金鎧(プレートアーマー)をガチャガチャと鳴らし、雨に濡れた百合の花の紋章旗を掲げて歩く数千人の歩兵たち。
先程、前線司令部で感動の再会を果たした、フランス王国軍の遊撃歩兵隊だった。
未舗装の荒野に入り、轍の泥濘は次第に深さを増している。
自動車化された近代歩兵や、四脚の馬を持つ部隊とは違い、重い甲冑を着込んだ彼らの足取りは次第に重くなり始めていた。
「……無理をしていませんか?
泥濘が深くなってきました。
もし足が止まるようなら、遠慮せずにこの車の荷台に乗ってください。
近代の車両は、中世の貴方たちから見れば鉄の馬車のようなものですが、乗り心地は悪くないはずです」
車上から身を乗り出して声をかけたのは、ジャンヌ・ダルクだった。
『英雄否定』の呪詛により、パラメーターが大幅に低下している彼女の顔色は決して良くない。
だが、その声の張りは司令部にいた時よりも遥かに力強く、アメジストの瞳には確かな光が宿っていた。
「滅相もございません、聖女様!
我ら、貴女の傍を歩けるだけで、身体の奥から力が無限に湧いてくる心地にございます!」
「ええ! この程度の泥濘、ルーアンへの行軍に比べれば絨毯の上を歩くようなもの!
聖女様こそ、どうかご無理をなされず、我らの背中を頼りにしてくだされ!」
顔に火傷の痕のある老兵が、泥だらけの顔を綻ばせて大声で応える。
彼らは疲労の色を見せるどころか、むしろ自分たちが聖女の盾になるのだと、誇り高く胸を張って歩調を速めた。
「……ふふ。
ええ、頼りにしていますよ」
ジャンヌは柔らかな微笑みを浮かべ、大切に胸に抱いた自らの聖旗をそっと撫でた。
彼女の霊基は間違いなく弱体化している。
だが、精神(こころ)は違う。
共に死地を潜り抜けた戦友たちの存在が、彼女の魂を強固に支え、特異点の呪詛を跳ね除けるほどの霊的な防壁となって機能しているのだ。
「ジャンヌ殿の顔色が戻って何よりだ。
……だが、気を引き締められよ、マスター。
この冷気と風の匂い……間もなく、この大軍をもってしても容易くは抜けられぬ『死地』へと足を踏み入れます」
装甲車の後方で周囲を警戒していた呪腕のハサンが、髑髏の仮面の奥で眼光を鋭く光らせた。
ハサンの言葉通り、周囲の景色が徐々に変化し始めていた。
それまでなだらかに続いていたヨークシャーの丘陵地帯が途切れ、木々が次第に姿を消していく。
視界の先に広がるのは、鬱々とした低木とヒースだけが延々と地平の果てまで続く、荒涼たる大平原、ノース・ヨーク・ムーアズ。
身を隠す木立も、身を寄せる建造物も一切存在しない。ただ冷たい雨と風だけが吹き抜ける、見渡す限りの荒野である。
軍靴が泥を打つ音、装甲車のエンジン音、そして雨音だけが支配する行軍。
数十万の魂が重なり合うカルデア軍は、静かに、しかし絶対の戦意を秘めたまま、来るべき敵機甲師団との激突に向けて、魔力炉心へと続く果てしない荒野をただひたすらに前進し続けていた。
〇〇〇
延々と続くノース・ヨーク・ムーアズの荒野。
その果てしなく広がるヒースの平原を前に、地鳴りのような行軍を続けていたカルデア軍の足が、ピタリと止まった。
敵の索敵網と砲撃の有効射程の僅か手前。
地形の僅かな起伏を利用した窪地に、突如として『仮設の前線司令部』が構築され始めたのだ。
「通信車両、アンテナを展開! 各大隊との無線網を確立しろ!」
「指揮車両(コマンドポスト)の偽装網(カモフラージュ)を急げ!
上空のワイバーンに悟られるな!」
泥濘む大地の上で、数台の軍用無線車や装甲指揮車両が円陣を組むように停車し、兵士たちが手際よく防水テントを張り巡らせていく。第二次大戦期の無骨な通信機材が唸りを上げ、複数の言語による無線交信が飛び交う中、中世の騎士たちが盾を並べて簡易的な防壁を築いていく。
時代も技術レベルもバラバラな装備が混在する異様な空間。
だが、そこには野戦指揮所としての完璧な機能が、僅か数分のうちに立ち上がっていた。
「前衛の索敵部隊が帰還しました!」
テントの下で戦術地図を睨んでいた立香たちの耳に、歩哨の声が届く。
雨の帳を裂いて司令部に駆け込んできたのは、先行して敵情視察と陣形偵察に赴いていた斥候(スカウト)の部隊だった。
だが、その編成もまた、カルデア軍を象徴する混沌にして奇跡の寄せ集めであった。
泥まみれの軍馬から飛び降りたのは、顔を隠す面頬(めんぽお)をつけ、背に濡れた旗指物を背負った戦国時代の騎馬武者と、豪奢な軍服を雨と泥で汚した19世紀ヨーロッパの軽騎兵(ユサール)。
さらに、彼らと全く同じ歩調で駆け込んできたのは、近代の迷彩服に身を包んだ歩兵たち。
一人は、特徴的な白い軍帽(ケピ・ブラン)を被り、死線を潜り抜けた凄みを発するフランス外人部隊(レジオン・エトランジェ)の隊員。
もう一人は、最新鋭のタクティカルギアを装備し、アサルトライフルを構えたアメリカ軍レンジャー部隊の兵士だった。
彼らもまた、かつて近代の凄惨な戦場で命を散らし、歴史に名を残すことなく死んでいった名もなき幻霊たちである。
四つの異なる時代の斥候たちは、司令部の中心に立つ立香と、深い外套のサーヴァント『ソルジャー』の前で、一斉に姿勢を正した。
「斥候部隊、帰還いたしました。
これより敵本陣の陣容を報告します」
レンジャー隊員の幻霊が、ヘルメットから滴る雨水を拭いもせずに口を開く。
「敵の防衛線は、想定以上に分厚い。
目標であるレーダー基地(魔力炉心)を中心に、扇状に展開された敵機甲部隊を確認。
ティーガー、パンター、M1エイブラムスを中心とした重戦車、および支援の軽戦車を合わせて……その数、およそ二百両に迫ります」
「戦車が、二百両……!?」
立香の顔から、スッと血の気が引くのが分かった。
二百両の戦車。
言葉にするのは容易いが、それが平原に並べられた光景は、もはや「鉄の壁」という表現すら生温い、絶対的な死の質量である。
「機甲部隊だけではありません」
フランス外人部隊の兵士が忌々しげに言葉を継ぐ。
「戦車に随伴する亡霊歩兵(アンデッド)の密集陣形も確認しました。
……控えめに少なく見積もっても、歩兵戦力は一万以上。
完全にこちらを平原で圧殺する構えです」
「さらに、上空の脅威でございまする」
騎馬武者が、兜の奥の鋭い眼光を空へと向けた。
「雲霞の如き有翼の魔獣(ワイバーン)の群れが、空を黒く塗り潰しておりまする。
あれでは、いかなる陣形を組もうと上空から筒抜け。
動きを悟られずに近づくことは、到底不可能にございまする」
四人の斥候からの報告を総合し、戦術地図に敵の戦力分布が赤く更新されていく。
戦域地図を埋め尽くすほどの、おびただしい赤い駒。
「総兵力にして、こちらの一・五倍以上。
……加えて、敵は平原における最強の矛である機甲師団を完全な状態で保持し、制空権まで握っている、か」
エミヤが腕を組み、重い溜息を吐き出した。
数万の幻霊を擁するカルデア麾下の連合軍も決して小規模ではない。
だが、純粋な兵力差で劣り、なおかつ「戦車」という近代兵器の差、そして「遮蔽物のない平原」という地形で戦うとなれば、一・五倍という数字以上の絶望的な戦力差がのしかかってくる。
「まともに正面衝突すれば、我が軍は数十分で挽肉に変えられるだろうな。
英雄の力(宝具)による強行突破も、『英雄否定』の呪詛が蔓延るこの特異点では現実的ではない」
「数だけではなく、地形の利すら完全に奪われている状態ですな。
……我が暗殺の業を以てしても、あの鉄の壁と空の監視をすり抜けて炉心へ至るのは、不可能と言わざるを得ませぬ」
呪腕のハサンが、異形の右腕を撫でながら沈痛な面持ちで同意する。
司令部のテントに、重苦しい沈黙が降りた。
外から聞こえる雨音と、遠く荒野の奥から微かに響いてくる戦車のアイドリング音が、死のカウントダウンのように彼らの鼓膜を叩く。
だが、弱体化の疲労に苛まれているはずのジャンヌ・ダルクだけは、決して絶望に瞳を曇らせてはいなかった。
「彼我の戦力差がどれほど絶望的であろうと、退くわけにはいきません。
あのレーダー施設――魔力炉心を破壊しなければ、スカボロー城の絶対結界は破れず、この狂った戦争が永遠に続くことになります。
……ソルジャー。
事前の作戦に変更は?」
ジャンヌの真っ直ぐな問いかけに、フードの英霊『ソルジャー』は、一切の動揺を見せることなく首を横に振った。
「作戦の根幹に変更はありません。
敵が二百両の戦車を用意していようと、それが重車両である限り、あの平原に点在する『泥炭地帯(ボグ)』の泥沼に足を取られるという物理法則は変わりません」
ソルジャーは地図上の中央、味方の青い駒を指差す。
「戦列歩兵(レッドコート)を囮とする中央陣形で、敵の歩兵一万とワイバーン、そして戦車二百両の注意を完全に引きつける。そして敵が泥に足を取られた一瞬の隙を突き、総司令官閣下を中心とする強襲部隊が東を低空で抜け、魔力炉心へと肉薄する。
……敵の数が想定を上回った以上、囮となる部隊の損耗率はさらに跳ね上がります。
文字通り、死体の山(肉の壁)を築いて敵を止めることになる」
ソルジャーの言葉は残酷なまでに冷徹だった。
だが、そこに立つ斥候たちや、周囲で無線機を握る兵士たちから、怯えの色は微塵も感じられない。
彼らは名もなき兵士として、己の命の使い所を完全に受け入れているのだ。
「待て。
全軍を動かす前に、一つだけ看過できない疑問がある」
赤い外套の弓兵が、鋭い声で遮った。
エミヤは広域戦術地図を睨みつけたまま、腕を組んでソルジャーへと厳しい視線を向ける。
「敵が泥炭地帯(ボグ)に足を取られるという作戦の前提だが……それはあまりにも希望的観測に過ぎないか?
敵の首魁はこの特異点を簒奪し、ヨークシャーの地脈から直接魔力を吸い上げている存在だ。
当然、このノース・ヨーク・ムーアズの地形など、我々以上に熟知していないはずがない」
「……あっ」
エミヤの指摘に、立香はハッと息を呑んで戦術地図を見直した。
「確かに……エミヤの言う通りだよ。
地の利は完全に敵にあるのに、二百両もの重戦車大隊が、みすみす自分から沈むと分かっている泥沼に突っ込んでくるなんておかしい。
相手が罠を張っていて、逆に私たちが包囲される裏があるんじゃ……ソルジャー、どうして彼らがボグの存在を知らないって言い切れるの?」
立香の真っ直ぐな、しかし不安の混じった問いかけに、深い外套(フード)の英霊は一切の動揺を見せることなく、静かに首を振った。
「無銘の弓兵殿、そして総司令官閣下。
極めて理にかなった、鋭いご推察です。
通常の、知性ある指揮官が統率する軍隊であれば、仰る通り我々の作戦は容易く見破られ、逆包囲の罠に陥るでしょう」
ソルジャーは戦術地図の上に展開された、大きい赤い駒(敵の機甲部隊)を指差した。
「ですが、これは希望的観測ではありません。
総司令官閣下がこの特異点に到着されるまでの間……我々が、幾度となく奴らと会敵し、収集した『戦術データ』から導き出した、確固たる分析結果なのです」
「戦術データ……。
敵の動きに、何か偏りでもあったと?」
エミヤが眉をひそめると、ソルジャーは淡々と説明を始めた。
「敵の亡霊兵士たちは、個々の戦闘能力や分隊レベルでの連携においては、生前の精鋭部隊そのものです。
彼らは完璧な制圧射撃を行い、戦車は教本通りの楔形陣形(パンツァーカイル)を組んで前進します。
……ですが、それはあくまで『条件反射』に過ぎない。
敵の首魁は、終わらない戦争と殺戮の概念存在だと推測されます。
高度な戦術や地形の優位性を理解し、指揮しているわけではありません」
「指揮をしていない……? では、あの連携はどうやって成り立っているんだ?」
「亡霊兵士たちが生前の戦場で叩き込まれた『戦術行動の記憶』を、敵の首魁が無条件に引き出し、ただ反復して実行させていると推察します」
その言葉に、司令部のテント内にいたハサンやジャンヌの間に、微かな驚きのどよめきが走った。
「つまり……個々の兵士はプロフェッショナルであっても、軍隊全体を俯瞰し、地形に合わせて臨機応変に作戦を変える『脳』が存在しない、ということですか?」
ジャンヌの問いに、ソルジャーは深く頷いた。
「はい。
敵の首魁が下している命令は、極言すれば『進め』と『殺せ』の二つだけです。
故に、遮蔽物のない平原の中央に、戦列歩兵という『極めて目立つ、防御陣地を持たない歩兵の密集陣形』が現れた場合……彼らの魂に刻まれた第二次大戦期の機甲師団の記憶は、地形の罠などを考慮する前に、最も効率的な『最短距離での蹂躙』を自動的に選択します」
戦術地図の上で、赤い駒が一直線に大きい青い駒(囮の戦列歩兵)へと向かい、その間にある泥炭地帯へ吸い込まれていく。
「彼らはボグの存在を知らないわけではありません。
ただ、目の前の獲物をすり潰すという『戦術記憶の再生』が最優先され、地形という戦略的要因が思考から抜け落ちているのです。
……知性なき殺戮兵器と化した彼らだからこそ、この古典的な誘引戦術が、最も致命的な刃となります」
ソルジャーの緻密で冷徹な分析を聞き終え、エミヤはふっと口元を緩めた。
「なるほど。
ただの烏合の衆ではなく、戦術記憶だけを再生する自動機械(オートマタ)の群れか。
相手が優秀な軍隊の模倣品であればあるほど、マニュアル通りの行動しか取れず、想定外の盤面には対応できない……。
よくそこまで見抜いたな、ソルジャー」
「これも全て、名もなき兵士たちが命を賭して持ち帰ってくれた情報のおかげです」
ソルジャーは、周囲を固める各時代の幻霊たちへ向けて、静かに敬意を払うように一礼した。
「敵の性質そのものを突いた、私たちにしかできない作戦なんだね」
立香の瞳から不安が消え去り、再び力強い決意の光が宿った。
二百両の戦車という絶望的な戦力差も、相手の弱点と自軍の強みを完全に把握していれば、決して打ち破れない壁ではない。時空を超えたカルデア軍の絆と、ソルジャーの底知れぬ指揮能力が、その証明だった。
「ありがとう、エミヤ、ソルジャー。
これで迷いなく進めるよ!」
立香はホログラムの地図から顔を上げ、司令部で待機する全軍に向けて、今度こそ迷いなき声で高らかに宣言した。
「泥沼の罠で敵の足を止め、その隙に魔力炉心へと突入する! 一・五倍の敵だろうと、私たちなら絶対に突破できる!
攻撃を開始しよう!」
戦術地図を見つめていたソルジャーが、静かに顔を上げた。
「お待ちください、総司令官閣下。
……索敵に赴いた斥候部隊に対し、敵は一切の追撃を行いませんでした。
ワイバーンの機動力をもってすれば、容易く捕捉できたはずにも関わらず、です」
「……つまり、罠を張って待ち構えているから、わざわざ追いかけてこなかったってこと?」
立香の問いに、ソルジャーは深く頷いた。
「はい。
敵の亡霊機甲師団は、魔力炉心であるレーダー基地の防衛のみに完全にリソースを割き、強固な陣形を固めて動かない構えと推測されます。
……制空権を握られている状況での夜間行軍、および夜襲は、我が軍の被害を無用なまでに拡大させるだけでしょう」
ソルジャーは地図上を俯瞰し、静かな、しかし確固たる声で告げた。
「開戦は、明日の日の出が最良だと具申します。
本日はこの窪地にて野営陣地を構築し、全軍に休息を取らせては如何でしょうか」
「……そうだね…わかった。
……みんな、明日の決戦に備えて、今は少しでも体を休めよう」
立香の決定が無線を通じて全軍に伝達されると、荒野のあちこちで、野営のための小さな焚き火がいくつも灯り始めた。
空からの発見を防ぐための偽装網の下で、静かな、しかし温かな火の粉が小雨の夜空へと舞い上がっていく。
作戦会議を終えた立香は、テントを抜け出し、小雨の降る野営地へと足を向けた。
数万の兵士が息を潜める巨大な陣地。明日にはその多くが塵となって消えるかもしれないという死地にありながら、野営地を包む空気は、不思議なほど穏やかで静謐だった。
立香が歩みを進めると、焚き火の周りで身を寄せ合う兵士たちの姿が目に入ってきた。
「ハハハッ、お前の国の酒は喉が焼けそうに強いな!
だが、この冷える荒野には最高だ!」
「ダー(ああ)。
冬将軍の息吹に比べれば、ヨークシャーの雨など小川のせせらぎに過ぎんよ。
ほら、レーションの缶詰だ。
火で温めると美味いぞ」
「サンキュー。
しかし、まさかアカと焚き火を囲んで酒を飲む日が来るとはな」
「我々はもう『国家』の駒ではないからな。
ここでは皆、同じ酒を酌み交わす兄弟(ブラート)だ」
火を囲んで笑い合っているのは、分厚い外套を着たソビエト連邦軍の兵士と、星条旗のワッペンをつけたアメリカ軍の兵士だった。
生前の歴史において、彼らは冷戦という巨大なイデオロギーの対立によって世界を二分し、互いに銃口を向け合う運命にあった存在だ。
だが今、この焚き火の前に『国家』や『思想』の壁は存在しない。
あるのは、同じ死地を前にしてタバコの火と酒を分け合う、名もなき兵士同士の素朴な友情だけだった。
「おい見ろよ、異国の赤備えの鉄砲、筒がやたら長ぇな。
それに火縄がねえぞ?」
「ハハハ、これはフリントロック(燧石式)さ。
火縄(マッチロック)とはわけが違うのさ。
だが、この忌々しい雨のせいで湿気って火花が散るか怪しいがね」
「違えねえ。
いくら時代が違っても、戦場の雨と泥だけは足軽(おれたち)の一番の敵ってこった」
さらに歩を進めれば、少し離れた陣地で、イギリスの戦列歩兵(レッドコート)がマスケット銃の火打ち石を磨きながら、戦国時代の足軽が持つ火縄銃に興味深そうに見入っている。言葉は通じなくとも、同じ「古い銃器」を扱う者同士、身振り手振りで手入れの仕方を教え合っていた。
また別の岩陰では、特徴的な湾曲剣(ククリ)を研ぐ小柄で精悍なグルカ兵と、巨大な槍を傍らに置いた巨漢のケルト戦士――赤枝の騎士団の男が、無言で向かい合っていた。
グルカ兵が研ぎ澄まされた刃を親指で弾くと、キィン、と冷たい音が鳴る。
それを見たケルト戦士がニヤリと猛獣のように笑い、己の腕に刻まれた戦化粧(タトゥー)と古き槍の刃を叩いた。
「良い牙だ、異国の小男。
明日はどちらがより多くの獲物を狩るか、競争といこうぜ」
「……望むところだ、古き戦士よ」
言葉少なに、しかし戦士としての最上級の敬意を交わし合う。
そのすぐ近くの塹壕では、スコップで溝を掘り終えた第二次大戦期のドイツ国防軍兵士が、泥だらけのまま座り込んでいた。
そこへ、白い軍帽(ケピ・ブラン)を被ったフランス外人部隊の男が、無造作に火のついたタバコを差し出す。
「吸うか? どこの時代だろうと、塹壕と泥は俺たち歩兵(インファントリー)の揺りかごみたいなもんさ。
……まあ、明日はその泥が俺たちの棺桶になるかもしれないがな」
「ふん、有難くいただく。
……棺桶なら上等だ。
机に座った英雄気取りの無能な将軍サマに使い潰されるより、あの少女のために死地を切り開く方が、よほど俺たちの性に合ってる」
二人は国境も時代も越え、同じ泥臭い歩兵としての矜持を共有し、紫煙を小雨の夜空へと吐き出した。
「……不思議な光景だろう?」
ふと、背後から声をかけられ、立香が振り返ると、赤い外套の弓兵――エミヤが、腕を組みながら野営地を見渡していた。
「生前であれば、彼らは互いの信条や国家のために殺し合っていたかもしれない。
だが、この特異点に召喚された彼らは、そういった『歴史のしがらみ』から完全に切り離されている。
残っているのは、戦場という地獄で、隣の仲間のために命を懸けたという『兵士としての純粋な記憶』だけだ」
「だから、あんな風に笑い合えるんだね……」
立香は、ソ連兵から差し出されたウォッカの小瓶を、アメリカ兵がむせながら煽る姿を見て、ふんわりと微笑んだ。
「ええ。
彼らには、歴史に名を残すような大義も、国を背負う重圧もありません。ただ、名もなき兵士として……『マスター』というただ一人の総司令官のために、共に戦う。
その一点においてのみ、彼らは強い絆で結ばれた戦友なのです」
エミヤの隣に音もなく現れたハサンが、髑髏の仮面の奥で目を細め、静かに頷く。
少し離れた場所では、ジャンヌ・ダルクがフランス兵の幻霊たちと共に小さな祈りを捧げていた。彼女の周りだけは、小雨の冷たさを感じさせないような、温かな慈愛の光に満ちているように見えた。
立香は、深く息を吸い込んだ。
冷たい雨の匂いと、焚き火の煙、そして火薬と鉄の匂いが混じり合った、戦場の香り。
だが、その中には確かに、時空を超えた兵士たちが紡ぎ出した、温かい人間の体温があった。
「絶対に、勝とうね。
……それと、ソルジャー」
立香が呟くと、どこからともなく現れた深い外套の英霊が、立香の傍らで静かに姿勢を正した。
「はい、総司令官閣下。
……明日、日の出と共に、我らカルデア軍の全霊を以て、あの魔力炉心を粉砕いたします。
どうか、今宵は安らかな休息を」
小雨の降るノース・ヨーク・ムーアズ。
地平線の向こう、闇に沈む荒野の奥では、巨大なピラミッド状のレーダー施設が、心臓の鼓動のように禍々しい赤黒い光を脈打たせていた。
数万の兵士たちの穏やかな寝息と、焚き火の爆ぜる音だけが響く夜。特異点の命運を決する『陸の基点』攻略戦の火蓋が切られる明日の夜明けに向け、静寂にして熱い最後の夜が更けていった。
変性亜種特異点の第3節を乗りに乗りまくって書いたが故に、カルデア軍を名乗る不明勢力関係で所々書き直したい場所があります。只、書き直すと少しばかり設定が変わる部分があるので、アンケ取ります
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書き直して
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別にいいよ
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そんな事よりおうどん食べたい…