覇王伝説第二章   作:ノワールキャット

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取り巻く人々

 弥生賞を制してから早数日。クラシックの出走権を巡ってトライアルレースでは熾烈な争いが繰り広げられている。

 

 皐月賞と同じくトライアルレースであるスプリングステークス*1では昨年の朝日杯フューチュリティステークスで2着に入ったサトノアレスが1番人気に支持されたが、それを打ち破って5番人気の伏兵、ウインブライトが勝利。波乱の結果は、クラシック戦線の混沌をより一層深めることになった。更に弥生賞前に行われた京成杯、きさらぎ賞、共同通信杯、毎日杯ら四つの重賞レースは優先出走権こそないものの、皐月賞の前哨戦として認知され、それぞれ有力馬達が多数出走して激闘を繰り広げていた。

 

 競馬界ではどの馬がクラシックの最有力候補か常に話題の論争が繰り広げられている。その筆頭には唯一のGI勝利馬としてテイエムベルレクスが名を連ねており、陣営にとってもようやく巡り会えた大器。特に調教師の伊和本一蔵にとってはクラシックへ挑める最後のチャンスだった。そのため、陣営の気合いの入れようもいつも以上であった。

 

「よし、今日から負荷を上げていいだろう」

 

 弥生賞を制してから間も無く、テイエムベルレクスは本格的な調教を再開した。元々弥生賞の疲労も少なく、疲労が抜けやすいテイエムベルレクスは予想よりも早めに調教を再開することができた。前走の上がり3ハロンは34秒台と想像以上の結果を見せてくれた。ほとんど追わずにこのタイムを叩き出したのだから、本気で追えばそれ以上のタイムを出せることが期待できる。

 

「どうだ、軽く乗ってみて」

「絶好調ですね。弥生賞よりも動きがいいです。上手くリラックスして走れたので消耗が少なかったんだと思います」

「なるほどな。なら本番でも問題なさそうだ」

 

 休み明けの初戦ということもあり、些か不安な点と心配だったが、実際に走らせてみればそんなことはなかった。

 馬体重に特に大きな変化はなく、相変わらず馬体は細いままなのだが、必要なところにはちゃんと筋肉が付いている。時間がかかるだろうと思っていた末脚も想定よりも早く調整することができた。何故か本格的な調教をするよりも末脚がある程度形になっていたことには驚いたが、嬉しい誤算だった。

 

「末脚も想像以上に形になってきた。ここでダンシングブレーヴの血の影響が出たか?」

「そうかもしれないですね。3歳春の時点でオペラオーはまだここまでの脚は持っていなかったと思います」

 

 テイエムオペラオーも優れた末脚を持つ名馬であったが、それが目立つようになってきたのは秋以降であった。しかし怪我の影響も感じさせずに毎日杯や皐月賞では豪脚を披露して勝利している。手堅い戦法での勝利が目立つ馬であったが、やろうと思えば追い込みもできたのではないかと考えてしまう。

 

「予想以上の成長ぶりだ。ここまで瞬発力が付けば及第点だろう」

「えぇ、これで仕掛けのタイミングにも幅を持たせられますね」

 

 当初危惧していた末脚は杞憂だった。しかし馬体は大柄かつ胴長・脚長のステイヤー体型であるので、スライドが大きいのだろう。元々のスピードが速かったのも恐らくはストライドが大きかったからだ。だとしてもいきなり瞬発力が向上した理由にはまだ疑問が残っているが。

 

 併走の様子を見ていれば、騎手の指示にも鋭く反応して、その劇的に成長した末脚で前の馬を瞬く間に抜き去る。そして馬体を併せても我慢できる精神の強さも健在。合図が来るまではジッと耐え、自分から動こうとする賢さもある。やはり基本スペックが他の馬よりも高いことが改めて分かる。コーナリング技術にも磨きがかかっており、倭達とは息ピッタリだ。まさしく人馬一体という言葉を体現していると言えるだろう。やる気はないが、追い込みでもその能力の高さで押し切ってしまえるほどだ。

 

「恐らくもう春でこれ以上の劇的な成長は難しい。早熟馬と違ってランが晩成型であることに違いはないからな。だからここからは積み上げだ」

「そうですね。負かされる要素としたら完成度の違いと仕掛ける位置ですか?」

「そうだな……完成度に関しては元々の能力の高さと細かい技術でカバーできるから問題ない。仕掛け位置については最終コーナー手前が安定のはずだ。これまでのレースでそれは証明済みだ。それに中山の直線だけで差し切るのは厳しいだろう」

 

 中山の直線は310mと短い。直線が短くて追い上げが届かないこともある上に急坂が待ち構えているので、この急坂で脚を鈍らせてくる。この急坂に加えて、上記の直線の短さも相まって差し・追い込み脚質の馬には不利に働き、前残りできる馬が有利だ。あの最強と呼び声の高いディープインパクトもこのコースのギミックを利用されて敗戦を喫している。

 

「では基本は弥生賞と同じですね。とにかく前の競馬だけを意識します」

「それがいい、最後方からの競馬だけは避けろ。最低でも中団、できればそれより前には絶対に居るんだ」

 

 確かに末脚は武器になってきた。戦略の幅も広がったが、過信はできない。中山のコースの特性とぶっつけ本番で戦法を変えるのはリスクが大きい。これまで勝ってきた逃げか先行策が一番安定だ。

 

「よし、皐月賞まであと1ヶ月もない。詰められるところは詰めていくぞ」

「分かりました」

 

 クラシック第一戦である皐月賞まであと1ヶ月を切っている。皐月賞まで、時間は刻一刻と迫っていた。

 

─◇◆◇─

 

 厳しい寒さと豪雪で知られる北の大地こと北海道も3月になれば雪も溶け始め、暖かさを感じられるようになってくる。雪が溶け始めて地面が見え始めれば、重労働の雪掻きから解放されると、牧場の職員達には安堵の色が浮かんでいる。

 

「皐月賞ももうすぐですね、主任」

「そうだな。まさか自分の育てた馬がGI、しかもクラシックに出るとは……夢にも思わなんだ」

 

 この業界で働いて30年以上になるだろうか。たくさんの仔馬を育てて送り出し、この場所で何頭もの馬を看取った。丹念に育てた馬は毎度のようにテレビ越しに応援し、重賞を勝てば我が子のように喜んだ。ランもそのうちの1頭だが、2歳GIを制して今やクラシックの主役である。

 時間が経つのは早いものだ。ほんの少し前までは小さい仔馬だったというのに、トレセンに行ってからは目覚ましい活躍を見せてれる。

 

「あっという間だな。ほんの少し前まであそこの放牧地を走り回っていたんだぞ」

「本当にあっという間でしたね。あっ、結局皐月賞は行くんですか?」

 

 GIレースはホースマンが目指す晴れの舞台。そこに生産牧場代表として尾崎と一緒に呼ばれている。昨年に行く機会もあったが、自分の担当馬が体調を崩したためにそれは断念した。

 

「行きたい気持ちは山々だが……ブランがな。もう時期産まれるはずなんだが、中々産気づかないのが気掛かりでな」

 

 今はもう3月半ば。もう時期産まれてもおかしくないはずだが、想定よりも長引いていることがずっと気掛かりだった。テイエムベルレクスの勇姿をぜひともこの目で見たいが、このまま期間が長引けばそれは叶わない。せめて4月の頭に産まれてくれればなんとかなるのだが、こうもずれ込んでしまったら予想がつかない。

 

「担当馬をほっぽり出して行くわけにもいかんだろう」

「これっばかりはただただ待つしかないですね」

 

 その通りだ。こちらから促すことなんてできるわけもないので、産気づくまで気長に待つ他ないだろう。仮に産まれたとしても暫くは万が一が起きないように見ている必要がある。

 

「またとないチャンスですし、行ってもいいんじゃないですか?ブランに関しては俺に任せてください」

「しかしだな……」

 

 鹿嶋は自分の居ない時に不測の事態が起きることを危惧していた。もちろんこの目で見たいという気持ちは本当であるし、生産牧場代表として共にその場に立てるならばこれほど栄誉なことはない。しかし、担当馬の面倒を放り投げてまで見たいとは思わない。管理ミスで馬を殺したくはないのだ。

 

「大丈夫ですよ、主任。僕は主任にいっぱい教えてもらいましたし、主任の居ない間は母子共に僕が責任持って見ますよ」

雨縁(あまより)……だが、本当に」

 

 雨縁の言葉を頭では理解している。自分が居なくともこの牧場は回る。それだけのことを教えてきたし、十分な経験を積ませてきた。

 

「大丈夫ですって。主任がランを信じたように今度は僕を信じてください」

 

 未だ不安に駆られる鹿嶋に向かって雨縁は軽く笑いかける。その言葉に鹿嶋は暫く何も言わなかったが、ゆっくりと息を吐くと言葉を紡いだ。

 

「……分かった、お前に任せる。頼んでもいいか?」

「はい!任せちゃってください!」

 

 その言えば力強い返事が返ってくる。

 それは長い年月をかけて積み上げてきた信頼の証だった。

*1
皐月賞のトライアルレース。同じ中山施行だが距離は1800m。このレースからも三冠馬となった馬が3頭おり、弥生賞に並ぶ登竜門と認知されている。三冠馬にはシンザン、ナリタブライアン、オルフェーヴルがいる。




雨縁厩務員
ずっと鹿嶋の近くで一緒に話していた若い青年。まだ年若いが鹿嶋に扱かれて知識も経験も積まされている。
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