覇王伝説第二章   作:ノワールキャット

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そして本格的に忙しくなってきて時間が本当に取れなくなってきました……週一も厳しくなってくるかもしれません。これを毎日投稿できる人は本当に尊敬します。


ダービーを祝して

「えー、それでは、ダービーを祝して……乾杯!」

「「「乾杯!」」」

 

 音頭を取った嶺苑の言葉と盃同士を軽く打つけ合ったことで鳴った軽快な音を皮切りに祝勝会は幕を開けた。

 宴席には酒と料理が並べられ、テイエムベルレクスの関係者全員が参加していた。居酒屋の一部屋を貸し切って開かれたこの祝勝会は『祝!!ダービー制覇!!』と書かれた横断幕が掲げられ、主役としてテイエムベルレクスをダービーまで導いた倭達龍司が選ばれた。

 

 席の中心に据えられた倭達の周りには厩務員や調教助手が自然と集まり、口節に祝福の言葉を倭達に浴びせた。祝福の言葉が途切れることはなく、酒に酔っているのか誰もが顔を赤らめながら今日の勝利を語り合っていた。

 

「凄かったですね、倭達さん!最後の直線を見てて私痺れましたよ!」

「いやー……あれはランが僕の想像以上に応えてくれた結果ですよ」

 

「ダービー優勝、おめでとう!」

「ありがとうございます。本当にこれも、全部皆さんとランのおかげです」

 

「もっと飲んでください!秋への景気付けです!」

「いやいや、飲ませ過ぎないでください!減量の関係であんまり飲めないんですから!」

「せっかくのダービー優勝祝いですよ!そう堅いこと言わずに!」

 

 盃が空になればすぐに注ぎ足されるおかげで盃はずっと満たされたままだ。騎手である以上、過度に飲酒は控えるべきなのだが、場は夢のレースである日本ダービーを勝ったことで大盛り上がりの状態になっている。この空気感の中で断ることはできないし、倭達自身も念願のダービーの栄誉を手にしたことで気分は上向いている。倭達の頬は少し赤く、酒のせいもあるが、それ以上に込み上げるものを必死に抑えている表情をしていた。

 

 そして少し離れた席で嶺苑と伊和本2人は静かに盃を傾けていた。

 2人の顔には満足と安堵の表情が滲んでおり、お互いにダービーを制したという重みを噛み締めていた。嶺苑は馬主として初のダービー制覇となり、伊和本は中央競馬にて3人目の騎手・調教師共にダービーを優勝*1することになった。

 

「しかしなぁ……オペラオーの息子でダービーを獲るとはな。本当に夢みたいだ」

「あぁ、私も二度目のダービーの栄誉を頂きましたし、本当に頭が上がらない。実際に勝ったランと送り出してくれたオペラオーはもちろん、ダービーまで導いてくれた倭達には足を向けて寝られませんな」

「その通りだな。私の我儘に付き合ってもらい、こうして三冠を目前としている。感謝しても仕切れない」

 

 テイエムベルレクスは自分が内側に在る『何か』を感じて購入を決意した仔馬だった。当歳馬の時からその素質を感じ取れたし、必ず走ると確信していた。尤も、活躍するのは古馬となってからで、制する重賞も長距離重賞に偏ると思っていたが、そんな予想を覆して2歳のマイルGIを制して2歳王者になったかと思えば、皐月賞とダービーを制して二冠馬になった。

 

 全てがあっという間で、まるで夢のようであった。オペラオーで敗れたダービーをその息子で獲り、三冠まで王手をかけている。言葉では言い表せない嬉しさを感じたと同時に現実ではなく夢なのではないかという錯覚も抱いた。

 しかし、これは紛れもない現実であり、テイエムベルレクスを中心に関係者全員の努力が実った結果である。

 

「本当に早かった。夢は夢のままだと思っていたが、やはり人生と競馬は分からないものだ。だから面白いのだが」

 

 嶺苑は盃を見詰めながら、そう呟いた。

 

「まったくです。夢見心地、というのはこういうことを指すのでしょうな。まさか、引退間近でこれほどの名馬に携わることができるとは……本当に調教師冥利に尽きることだよ」

 

 調教師を引退する間近になってテイエムベルレクスほどの名馬に出会えたことは、伊和本にとって最大の幸運であると言える。古馬まで面倒を見れないのでは残念で他ならないが、昔ながらの友人と会えば、胸を張って語れるだろう。

 

「最後の菊花賞……必ず勝たなくてはな」

「えぇ、元よりステイヤーのランとは相性が良い3000m、スタミナを求められる舞台です。勝てる可能性は十二分に高い」

 

 伊和本は盃を卓上に置き、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「これほど恵まれているのですから……私はランを勝たせなければ詫びても詫びきれん」

 

 その言葉を受けて嶺苑はふっと笑みを浮かべた。

 

「そう背負い込むな。ランが名馬であることは語るまでもないが、私達はチームだ。負けたとしても1人の責任ではない。やれることをやったら、後は結果を待つだけだ」

「……人事を尽くして天命を待つ、か。確かにレースを実際に走るのは馬と騎手だからな。私達は馬と騎手を信じて待つしかあるまい」

「そういうことだな。私達で舞台は整えられるがそこまでだ。信じる以外他に無い」

 

 嶺苑は鈴鹿に盃を回しながら目を僅かに細めた。

 

「オペラオーの届かなかった夢を、その息子が叶えてくれる。険しい道だったが、強敵を全て跳ね除けてここまで登り詰めたんだ。そんな馬が負けるわけがない。それに……お前が手掛けてくれているんだ。弱いわけがない」

「……そこまで言われては弱音を吐く暇はないな。そうだな、最後までやり遂げよう」

 

 互いに盃を持ち上げ、誓い合うように盃同士で軽く触れ合う。それによって鳴った軽快な音は小さく鳴り響いた。

 

─◇◆◇─

 

 夜風に当たろうと倭達は1人外へ出ていた。

 外へ出れば、心地良い風が吹き付け、火照った体を冷やしてくれる。春を超え、季節は既に夏に差し掛かっている。日に日に日差しは強くなり、暑さも増しているが、夜になれば少しはその形を潜める。

 

 近くの柵へ寄り掛かり、これまでの出来事を思い出していた。テイエムオペラオーの子であるテイエムベルレクスと出会ったことで、ここ1年は非常に濃密な時間を過ごしたと言える。

 テイエムベルレクスの主戦騎手となってからは手が届かなかったGIタイトルを手に入れ、夢であったダービージョッキーになることができた。

 

 あの最後の直線は鮮明に思い出すことができた。坂をものともしない力強く駆け上がる背中の感触は今でもはっきりと残っており、背に跨って風を切る疾走感は今までとは比べものにならない感動だった。

 倭達の胸の奥は大きな達成感に満たされていた。

 

(ダービージョッキー……実際になってみるとあまり実感が湧かないな)

 

 ゴール板を誰よりも早く駆け抜けたと感じた時、強い昂揚感に包まれた。あれは間違いなく本物であったし、今思い返しても胸の奥がじんわりと熱くなる。だと言うのに、何処か現実感が薄かった。

 

「……まだまだ行けるって思っているんだろうな。気が早いな、まだ菊花賞が残ってるのに」

 

 倭達は静かに呟いた。

 クラシックが終わっても、その後は古馬となってまだまだ続く。寧ろ古馬となってからが本番と言えるだろう。テイエムオペラオーが走ったグランドスラムにフランスやアメリカへの海外遠征もある。取れる選択肢は無数にあり、大きな怪我もなければテイエムベルレクスは能力を十全に発揮して全てを勝ち切れると思う。

 

(……まだ行ける、此処がゴールじゃないって僕は思ってるんだ)

 

 夢であったダービージョッキーになれても何処か現実感が薄い理由に思い至ると倭達は小さく溜め息を吐いた。

 

「随分と、贅沢なことを考えられるようになったもんだな」

 

 そう言って倭達は自虐気味に呟いた。

 倭達はあまり自身が優れた騎手だとは思っていない。毎年重賞を連対する活躍は見せているが、それでもやはり一歩劣っているように感じてしまう。

 嬉しい気持ちに変わりはないが、誰でもよかったのではないか、結局自分は乗っているだけなのではないかと後ろ向きな気持ちが出てしまう。

 十何年前よりも確実に成長しているが、それでも不安を感じずにはいられない。

 

「どうした、倭達」

 

 そう言って少しネガティブになっていた倭達に声をかけたのは嘗ての師匠である伊和本だった。

 

「今日はお前とランのダービーを祝う場だぞ。主役がそんなしけた顔をするもんじゃない。……何かあったか?」

「何かあったと言うか……まぁ、ちょっと有頂天になっていたなぁ、と思いまして」

 

 何とも言えない表情を倭達は浮かべる。その様子を見て伊和本の中に疑念が生まれる。

 

「有頂天か……ダービーを獲ったんだ、そうなるのも致し方ないと思うが?」

「分かってはいますが、オペラオーの時みたく自分の力じゃない気がして……」

 

 テイエムオペラオーと築き上げた栄光は倭達にとって掛け替えの無い思い出だ。同時に自分の未熟さをこれでもかと思い知らされた苦い記憶でもあった。

 

「よくやった、とは聞こえはいいんですけど、僕がもっと上手く乗れればオペラオーをもっと楽に勝たせたり、八つ目のGIタイトルを獲れたと思うと……」

「……あの頃のお前にそれを求めるのは酷というものだ。あの時はお前は何もかもが足りなかった。そして足りない部分を補い、精一杯やってきた……この事実に変わりはない」

 

 どの分野にも言えることだが、経験というのは代替えの効かないモノだ。何せ数をこなさなければ蓄積はされず、誤魔化しの効く代物ではないからだ。

 経験を積んだ騎手が強い馬に乗る、これがどんなに恐ろしいことか。同じレースを走る騎手からしたら恐怖でしかないだろう。

 

「未熟であったことを否定はせん。だが、あの頃のお前だったからこそ、オペラオーとあの戦いを乗り越えられたと思っている」

 

 人馬一体。

 この言葉を体現したテイエムオペラオーと倭達龍司というコンビは日本競馬史に残る名コンビだ。26戦を共に戦い抜いたその戦歴からもそれは明らかである。

 そして伊和本は言葉を続ける。

 

「今回のダービー、スローペースになった時に慌てなかっただろ?今日あの位置取りを選び、あのタイミングで仕掛けたのは誰だ?紛れもないお前だろう。経験を積み、判断力を磨き、技術を身に付けた倭達龍司が選んだ選択だ」

 

 倭達が後ろ向きになってしまっている理由は未だ抱える自分に対しての不甲斐なさと自分は必要ないのではないかという不安からだ。誠実であり、テイエムオペラオーという屈指の名馬に出会ってしまったが故の不安。

 重賞を制するだけでも立派なことだが、テイエムオペラオーは唯一無二のグランドスラム達成馬。それに騎手が並び立つには並大抵の実績では見劣りしてしまう。比較する馬が歴代最高峰の馬なのだ。そんな馬に胸を張れるほどの実績を残せなかったことに倭達はずっと負い目を感じ続けている。

 

「お前は負けた理由を他人の所為にはしなかった。馬のせいにも、展開のせいにもせず、自分が未熟だったと認めて、そこから逃げなかった。ずっと向き合い続けてきた。だからこそ今回の勝利を掴み取った」

 

 伊和本の言葉は終始穏やかだったが、その言葉には揺るぎない確信が宿っていた。

 

「このダービーという栄誉はお前とオペラオーが繋いだ結果だ。オペラオーが居たからお前が居るんだ。ランも、倭達龍司だったからこそ勝てた」

 

 ポン、と倭達の肩に手を置いて伊和本は語り続ける。

 

「自分の力じゃない気がする、か。確かに競馬は1人では勝てん。馬が、騎手が、厩舎が、支える人間がいて初めて勝てる。しかしレースにおいては頼れるのは自分の腕と馬だけだ。そんな中でお前達は人馬一体を体現して、勝った。お前が信じ、ランはそれに応えた。そして、ランの力を引き出したのは間違いなく倭達龍司という騎手だ」

 

 伊和本は倭達の前へと周って、トン、と軽く胸を叩いた。

 

「昔のお前だったらもっと早く仕掛けていたかもしれん。もしくはもっと外へ回していたかもしれない。しかしお前は待った。仕掛け時を見逃さず、テイエムベルレクスの能力を信じ、最高の結果を出した」

 

 そう、ダービーという勝利こそが倭達のこれまでの研鑽の成果である。

 

「自信を持て、胸を張れ、既にお前は……強い馬に見合う立派な騎手だ」

 

 伊和本の言葉がゆっくりと倭達の胸の奥に入り込んでくる。それと同時にテイエムオペラオーとの思い出が駆け巡る。

 

 あと一歩届かなかった悔しさ。

 積み上げた栄光。

 届かなかった更なる偉業。

 何も返せなかった申し訳なさ。

 

 何度も乗って勝ち負けを繰り返した。全てはこの時のために必要な礎であった。

 

「先生……」

「今日くらいは有頂天になっても誰も文句を言わん。寧ろ祝杯を上げなくてはバチが当たる。レース本番の時、油断しなければそれで構わんさ」

 

 伊和本は小さく笑う。

 

「それにだ、お前はオペラオーに八つ目のタイトルを獲らせてあげられなかったことを悔いているかもしれんが、それはあまり気にするな。あの時のオペラオーは全盛期が終わりつつあった。無理すれば八つ目は獲れたかもしれないが、そうなれば取り返しのつかない故障が起きていたかもしれん。もっと走れると思っていた私が言うのもあれだがな」

 

 2000年の激戦は決して負担の軽いものではなかった。テイエムオペラオーは生き物だ。決して無敵の存在ではない。衰えるし、何時か天寿を全うする時が来る。

 

「怪我をせずに引退できたのは紛れもないお前だ、倭達。お前がオペラオーの血を繋げたんだ」

「……ありがとうございます」

 

 倭達の胸の中にあった曇りは、確実に薄れていった。

 その様子を見て伊和本は満足げな笑みを浮かべた。

 

「さて……主役がいないと宴が締まらん。戻るぞ、ダービージョッキー」

 

 その言葉に、倭達は小さく笑った。

*1
以前は調騎兼業という騎手と調教師を兼任してダービーを制した記録がある。今回のは区分けされた戦後での調騎ダービー制覇になります。




今日は和田竜二さんが引退しましたね。30年間お疲れ様でした。調教師となってからも頑張ってください。
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