覇王伝説第二章   作:ノワールキャット

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課題が多くて時間が取れん!!影分身の術使いてぇー!!

今回は結構贔屓が多いかもしれません(主に人気とか観客とかね)。


クラシック三冠 第三戦 菊花賞 前篇

 10月22日、京都競馬場。

 今日の京都競馬場は台風21号が齎す猛烈な雨が降り注ぎ、視界は白く霞んでいる状態にある。およそ競馬を観戦するには最悪と言えるコンディションだ。だが、そこに広がっていたのはそんな悪天候すら塗りつぶすほどの異様な光景だった。

 

 スタンドを隙間なく埋め尽くす、色とりどりの傘。吹き付ける雨風を厭わず、一歩も引かずに「その瞬間」を待つ数十万人の観衆の姿があったのだ。

 彼らの放つ熱気と地鳴りのような騒めきは激しい雨音を掻き消し、淀の地に確かな重圧を形成していた。

 これほどまでの人々を惹きつけて止まない理由。それは、これから行われる歴史的一戦に他ならない。

 

 菊花賞。それは『最も強い馬が勝つ』という格言が有名だ。

 二度に渡る淀の坂越えと3000mの長丁場を克服することが求められ、スピードとスタミナを兼ね備えていることが大前提となるGIレースだ。

 そして今年の菊花賞はある意味で『最も強い馬が勝つ』という相応しい舞台が整ったと言えるだろう。

 

 発生した台風21号によって全てが雨に覆われることとなった京都競馬場。無事に開催されはしたものの、馬場は言うまでもなく最悪の状態。ダートコースには水溜まりが見え、芝は水飛沫が飛び散るという近年では記憶にない程の不良馬場になっていた。

 台風が迫る中で無事に開催できたことは喜ばしいことだが、出走を控えていた関係者達にとっては「この嵐の中で本当にやるのか」という困惑の気持ちが強く、気の休まる状況ではない。順延による調整の狂いを避けられたのは救いとはいえ、この極端な馬場状態は想定外であり、その中でもクラシック競走の菊花賞へ出走予定の調教師にとっては更に緊張感を強いられる事態となった。

 

 実際に台風21号の影響は尋常なものではない。

 例えば今日の午後8時までに行われる予定であった衆議院議員総選挙は西日本の離島を中心とする一部地域において繰り上げて投票が実施されることとなり、高知競馬は今日行われる全てのレースを中止して翌日に代替開催されることが決定した。

 

「こんな天気で本当に開催するとはな……」

「えぇ、予想外ではありますが……下手に順延にならなくてよかったかもしれないです。とやかくいっても仕方ないですが、万全で挑めることはせめてもの救いでしょうか」

「う〜む……まぁ、下手に順延してリズムが狂うよりかはいいのか……」

 

 降り頻るターフを視界に収めながら嶺苑と伊和本はそんなことを話していた。

 空は雨雲で覆われ、京都競馬場は何もかもが水浸しの状態だ。スタンドに居る観客達は傘を差しながら競馬を観戦している様子が散見され、雨にも関わらず多くの観客達が訪れていた。だが、それと同時に雨音とざわめきが混じり合う異様な空気が漂っていた。

 これも偏にテイエムベルレクスの人気と無敗の三冠制覇に期待がかかっているからだろうか。

 そしてこんな状況下で開催した中央競馬からは何か執念のようなものを感じるが、その真意は分からない。しかしそんなことは二の次であり、目下考えなくてはいけないのは菊花賞だ。

 

 テイエムベルレクスにとってこの菊花賞は絶対に落とせないレースだった。

 この菊花賞を優勝すれば中央競馬史上8頭目の三冠馬となる上に、シンボリルドルフとディープインパクト2頭だけが持つ無敗の三冠制覇という偉業に並ぶことになる。

 これまで見せてきた7戦のレースでテイエムベルレクスは何れも安定しており、前走の神戸新聞杯は鞭使わずの完勝という期待の持てる内容。

 テイエムベルレクスの無敗の三冠達成に凄まじい期待がかかっていた。

 

 その証拠にテイエムベルレクスの単勝だけ1倍台という他馬とは純然たる差が付いていた。それだけに陣営にとっても絶対に落とすことのできない一戦だった。

 

「1.3倍か……さっきよりも上がっているな」

「実績持ちで血統はヨーロッパですし、不良馬場への適性を見込まれているのでしょう。1800mですが、アークが追い込みで重馬場を勝っているのも一役買ってますね。あとは……前走の勝ち方と倭達の人気ですな」

「なら納得だ。実績馬が少ないこともあるのだろうが……ここまで支持を集めるとは。もしかしたらディープに並ぶんじゃないか?」

 

 この瞬間にもテイエムベルレクスは単勝支持率を集めていることだろう。その理由は有力な実績馬がテイエムベルレクス以外に不在であることが挙げられる。

 

 ダービー上位馬のレイデオロとスワーヴリチャードは出走回避。

 ダービー4着、青葉賞勝ち馬のアドミラブルは脚部不安のため休養を選択。

 皐月賞2着のアルアインはトライアルのセントライト記念を2着と敗退。

 

 今年の菊花賞は無傷の8連勝、GI3連勝中の二冠馬テイエムベルレクス以外に目立った実績馬がおらず、精々2番人気に夏の上がり馬としてキセキが注目されているという程度のもので、テイエムベルレクスに人気が集中するのはある種必然であった。そしてそのキセキも夏の条件戦を連勝しただけで未だ重賞勝利はなく、前走の神戸新聞杯は前方のテイエムベルレクスとレイデオロ2頭から離された3着と歯痒い結果で終わっている。

 テイエムベルレクス以外の実績馬が皆無の上にライバル不在。つまりはテイエムベルレクスの一強状態と言っても過言ではない。

 

 期待は高まり続けている。

 もし勝てば、中央競馬史上8頭目の三冠馬。更に無敗での三冠達成となれば、史上3頭目の快挙となる。歴史に名を刻むか否かの一戦だった。

 

 そして──その重圧は数字となって如実に表れた。

 

 最終的なテイエムベルレクスの単勝支持率は八割超。単勝オッズは限界の1.0倍。中央競馬の表示ではこれ以上下がらない限界値。事実上の『負けを想定しない』評価である。

 100円賭けて100円が戻るだけの馬券。それでもなお売れ続けた。

 

 無敗のクラシック二冠馬の実績、テイエムベルレクスと倭達自身の人気、血統から来る優位性、全弟のテイエムノアアークが重馬場で勝利していること、本馬が稍重であるが経験しているなど様々な要因が全て積み重なった結果であるが、ここまで支持を集めるのは流石に予想外だった。

 

 これ程の人気を集めたならば、最早陣営に負けることは許されなかった。既に退路は無かったも同然だが、この単勝オッズを見てそれがより表面化したと言えるだろう。

 

「……流石にこれは法外過ぎるだろう」

「これは……私も予想外だ。本当に負けられんレースになったぞ……」

 

 嶺苑と伊和本の2人は苦い顔を浮かべるしかなかった。

 

 人気が集まるということはそれだけ多くの人間の期待を背負うということ。負ければ期待が大きければ大きい程失望は倍になる。

 人気は勝利を保証しない。この数字は寧ろ重く伸し掛かってくるものでしかない。

 

 しかし裏を返せばそれだけテイエムベルレクスの強さが評価されて大衆に認められているということでもある。

 嬉しい反面、その期待が事実として只々重く伸し掛かっている。

 

 しかしそれを避けて通ることはできない。

 

 人気とは結果の積み重ねが生み出したものだ。皐月賞を勝ち、ダービーを制し、世代の頂点に立った馬として認められたからこそ、テイエムベルレクスにはその数字が与えられている。ならば、その重さもまた背負うべきものなのだろう。

 

 競馬に絶対はない。

 どれほど能力が抜けていようと展開一つ、位置取り一つで結果はいくらでも変わる。展開や距離、枠番、状態の良し悪し、ほんの僅かな小さな差が勝敗を分ける世界だ。

 だからこそこの人気が勝利を約束してくれるわけではない。

 

 膝の上で握る拳に自然と力が入る。

 もう、腹を括るしかないだろう。自分達にやれることは精一杯やってきた。それは自信を持って言える。あれ程の名馬に手を抜いた調教など施せるわけがない。

 

 あの舞台に立っている倭達の方が自分達よりもずっと重圧を感じているはずだ。何せ直接騎乗するのは彼である。

 テイエムベルレクスが三冠馬となれるかどうかは倭達の手腕にかかっているのだ。

 

 そして、その重苦しい空気を斬り裂くように場内に本馬場入場を告げる高らかなファンファーレが鳴り響いた。

 

 降り続く雨の勢いは弱まる様子を見せず、雨音は大きくなっていく。窓に打ち付ける雨粒の音はもはや轟音のようであった。だが、この降り頻る雨の中でも、18頭の馬達が姿を現せばスタンドからは凄まじい歓声が沸き起こった。

 それはまるで地鳴りのようであり、この瞬間だけは叩き付けられる雨音を掻き消した。

 

「……見守るしかあるまい。今、私達にできることは何もない。ただ勝つことを信じて待とう。愛馬とその相棒の勝利を願うことが私達にできることだ」

「その通りですね……ランと倭達を信じましょう。彼らならきっと勝ってくれます。そして、帰ってきたら精一杯労ってあげましょう」

 

 この不良馬場ならば、何が起こっても不思議ではない。馬場に足を取られて転倒し、予後不良級の怪我を負ってしまったら取り返しのつかない事態になってしまう。

 

 勝っては欲しい。

 しかし無茶はして欲しくない。

 

 無事に帰ってくる事を願い、彼らなら必ず勝つだろうと信じて2人はレースを見届けるためにターフへ改めて目を向けた。

 

─◇◆◇─

 

 クラシック二冠馬となり、前哨戦の神戸新聞杯も私はきっちりと勝利し、クラシック最終戦の菊花賞へ無事に駒を進めた。身体に異常はなく、調子が良いこの状態を維持して無事に出走することできた。夏にデビューした弟のアークも無事に勝利したらしい。デビュー戦は敗れたらしいが、次走で無事に勝ち上がれたので、私としても一安心である。

 とは言え課題は山積みらしい。やはり元気が余り過ぎているので落ち着きがないそうだ。レースでは真面目に走ってくれるそうだが、ゲート難を抱えているらしく、出遅れたそうだ。また、エネルギーを発散させるためにレースを多く使うことを検討しているとのこと。

 

 それはそれとして今は菊花賞だ。距離はクラシックレースの中で最長となる3000m。六つのコーナーを回り、高低差が3.9mの急坂、通称『淀の坂』を二度越える必要がある過酷なコースだ。

 豊富なスタミナが必要なのはもちろん、道中しっかりと折り合える落ち着きと最後の直線を制するスピードと瞬発力が必要になってくる。

 

 同世代では負けないと胸を張れる程、私はスタミナに自信があるが、今年の菊花賞は事情が例年と比べて大きく事情が異なる。

 その理由は突如発生した台風21号という超大型台風にある。

 

 発生した台風は秋雨前線を巻き込んで西日本の天気は瞬く間に不安定となり、豪雨となって今日、京都競馬場に降り注いだ。この豪雨で開催中止にはならなかったが、代わりに馬場は最悪な状態となってしまったのだ。

 そしてパドックでの周回を終え、返し馬のためにコースへ出れば、そのコースの有様に思わず息を呑んだ。

 

 軽く走り始めればどれだけ状態が悪いのかより実感することができた。私は走りながら「来るところまで来たな」と蹄の下で泥濘むコースの惨状を感じながらそんな場違いな感慨深さが入れ混じった感想を抱いた。

 

 それは最早形だけとなったターフへ向けてのものか。それとも、二つの栄冠を戴いて最後の一冠へと目指している自分自身に向けてのものなのか。

 どちらが真実であるかは分からない。どちらが本心であるかは分からずじまいだが、本音ではある。

 

 一歩、また一歩と歩く度に蹄が沈み、重く湿った地面が私の脚を掴もうとしてくる。台風によって荒れた馬場はコースの内側程酷く、一部の芝が剥げて土色と化している。

 これまで走った馬達の激走を表していると同時に、今日の馬場の悪さと不良馬場がどれだけ過酷であるのか物語っているようだった。

 

「これは……本当に酷いな。もう田んぼみたくなってるじゃないか」

 

 私の背に跨っている倭達さんも馬場の悪さに顔を顰めているのだろう。

 これ程脚元の悪い馬場を走った経験の無い私は、何処か動きがぎこちない。いつも通りの動きができない私を通して馬場の悪さを感じ取って出た言葉だ。

 

 実際本当に走り難い。重馬場……いや、不良馬場だな、この感じは。

 他の馬達の走る姿と比べて自分はまだスムーズだが、それでもいつも通りのパフォーマンスは出せそうにない。何度か繰り返せば慣れるとは思うが、レース中にマスターできるかは微妙なところだ。恐らくいつも通りのレースをやれるかも怪しいのでは無いだろうか。

 真ん中の馬場はまだ比較的マシではあるが、ほんの誤差だろう。結局重いのは変わりない。

 

 本当にまいったものだ。ただでさえ3000mの長距離の舞台でこの馬場だと余計に体力が削られる。おまけに私をマークする馬は当然居るだろうし、まともにレースをさせてもらえるものなのか。他馬からの進路を塞がれれば、それを開く必要があるので、最後の直線で体力が残っているかはもう賭けだ。

 これは色々と厳しい戦いになりそうだ。

 

 そうしてゲート前へ到着すれば既に数頭の馬達が待機していた。他の馬も私の後を追ってゲート前へ続々と到着する。全体的に落ち着いているが、雨が降っているせいか、一部の馬達は激しく入れ込んでいる様子が散見された。

 緊張感が高まり、それが限界値に立ったと同時に、それを見計らって場内にファンファーレが鳴り響いた。

 ファンファーレが終わればスタンドから一斉に大歓声が上がり、京都競馬場全体を揺らした。雨だというのにここまで人が来ていることには正直驚いている。

 

 ……これを勝てば私は三冠馬となる。ただの三冠ではない。無敗(・・)の三冠である。

 元は殺処分されないために走っていたというのに、この誉れ高い舞台に立つことができている。勝つつもりであるし、負けるつもりはなかったが、昔はまだ勝ち負けは二の次だった。重要ではあったが、優先順位はそこまで高くはなかった。

 その気持ちがいつしか皆のためと変わり、勝つことに執着を持つようになった。私を支えてくれた嶺苑さんや伊和本さん、倭達さん、尾崎さんと鹿嶋さんへの一番わかりやすい恩返しが勝つことだったからだ。

 

「よし、行こうか、ラン」

 

 背中から倭達さんの短い呟きが聞こえた。愛撫する手が私の首筋にぽんと置かれる。手綱を通じて倭達さんの指先が微かに震えていることが伝わってきたが、これは恐怖ではないだろう。これは武者震いの類だ。この舞台を前にして昂っているに違いない。

 

 カッパを纏った係員達が慌ただしく動き回って馬達をゲートへ入れていく。1頭、また1頭とゲートの中へ収まり、スタートの時を待っていた。

 ゲート入りの順番が私へと回り、促されるまま私もゲートの中へ収まる。枠番は12番。完全な大外よりかはよかっただろう。この馬場なので、何処を走っても変わらないが、体力を少しでも多く残すにはやはり内に付くことだ。それならばもう少し若い枠番の方がよかった。

 

 ガシャン、と背後の扉が閉まり、四方を無機質な鉄格子に囲まれる。

 辺りが静寂を支配し、雨の匂いが鼻腔を擽った。そしてこうも静かだからか、ゲートへ収まった瞬間、私は奇妙な違和感に襲われた。

 五感が研ぎ澄まされ、頭の奥に潜む野生の勘が、第六感が、何かを感じ取っている。不吉な警報を鳴らしている。

 

 ──何か、嫌な予感がする。

 

 そんな漠然とした予感を突然感じ取った。

 しかし根拠がない。

 不良馬場への警戒か、3000mという未知の距離に対する不安なのか。今までにない感覚に襲われ、いつもより僅かに体が強張ってしまう。

 

「大丈夫だ、僕が付いてる」

 

 倭達さんの手が私の頭に触れ、優しい手付きで撫でてくれる。絶妙な力加減で私の頭を撫で、髪を梳かすように鬣に手を滑らせる。それが私の不安感と嫌な予感を取り除き、安心感を与えてくれる。心が凪いで落ち着いてきていることが分かった。

 

 身体の強張りがすっと解け、正体の分からぬ不安さが引いていく。そして一度首を大きく振り、雑念を払った。鬣が左右に揺れ動き、一息吐くように鼻息を鳴らす。

 

 先程と打って変わって私の心は不思議なほどに静まり返り、銀色の鉄扉の先にあるターフを正面に見据える。

 嫌な予感はまだ胸の奥に燻っている。しかし先のような不安感は払拭され、頭の中は澄み切った水のように透徹としていた。

 

 私の両耳が前方を向いてロックされる。雑音が取り払われ、代わりに私の心臓が強く、熱く脈打った。

 

 ──出走の時はもうすぐそこだ。

 

─◇◆◇─

 

 ファンファーレの演奏が終わり、スタンドから大歓声が上がる。その大観衆からの歓声を聞きながら、続々とゲート入りを完了させていく馬達の姿を目で収めつつ、実況は言葉を紡いだ。

 

《さぁ、戦いの舞台は整いました。クラシック最終戦、菊花賞。今年は史上3頭目となる無敗のクラシック三冠を目指して春の二冠馬が出走しました。シンボリルドルフとディープインパクト、この2頭の先達に続こうと、テイエムベルレクスが菊の舞台に挑みます。鷹梁(たかはし)さん、展開はどう予想されますか?》

《非常に難しいですね。テイエムベルレクスが断然人気ですし、余程の事がなければ問題なく勝てると思うんです。実績もありますしね。それはオッズを見ても明らかなんですが、これだけ馬場が悪ければ、やっぱり何かが起きてもおかしくないと思います》

 

 今日の京都競馬場は近年稀に見る不良馬場。3歳馬達はこれから未知の距離を走る上に馬場は極悪というおまけ付き。体力の消耗具合は通常の比ではない。

 

《恐らく最初は内のウインガナドル辺りが行くと思うんですけど、何せこの馬場ですから。ジョッキーも乗ってる体感も恐らく変わってくると思いますので、ペースの判断も難しいでしょうし、道中それほど無駄な力を使いたくないという心理が働きますので、そうなると流れは落ち着く公算が高いと思います。恐らく勝ち時計も遅く、ペースも緩い、なおかつあの……上がりが掛かる、そういったペースの中で、えーどう判断するかですね》

《はい、ありがとうございます。崗辺さん、サラブレッドとして本物の力が求められる一戦ということにもなりそうですね》

《はい。もうこうなると、本当にごまかしというか、そういうことはもう通用しないと思いますよね。人馬の呼吸というか、あの……根気よく、一生懸命走ってくれて、最後まで諦めずに脚を使える馬がやっぱり上位に来れると思いますよ》

《ありがとうございます。では、最後に無敗の二冠馬テイエムベルレクスについて、何かありますでしょうか?》

《う〜ん、そうですね……この菊花賞はテイエムベルレクスにとっては最も得意な距離ですけど、この不良馬場にどうやって対応するかですね。ジョッキーの腕の見せ所でもありますし、このタイトな展開の中でテイエムベルレクスの地力が試されることになると思います》

 

 テイエムベルレクスにとっては厳しい要素がいくつか抱えることになるレースになることを予見して崗辺はそう答えた。

 既に実績だけで他馬を圧倒しているテイエムベルレクスは能力・実力面でも世代最強を名乗るに相応しい実力の持ち主だ。それ故にこのレースにおいて最優先で警戒される存在になる。あくまでも無理のない範囲に留まると思うが、他馬からのマークはこのレースで最も厳しくなるのは明白だ。というよりも明確に警戒するべき実績馬がテイエムベルレクスしか居ないというのも理由に入る。

 

 レイデオロを筆頭に他の実績馬達は怪我や適性を理由に軒並み回避してしまい、有力馬がテイエムベルレクスしか居ないこの状況で、テイエムベルレクスは分かりやすい指標だ。レースが始まれば大多数の騎手がテイエムベルレクスをマークしようと動くはずだ。

 

《分かりました、ありがとうございます。人馬の呼吸を合わせて乗り越える3000m。厳しく、過酷なこの不良馬場で、サラブレッドとしての底力が、真価が問われる一戦です。18頭、覚悟を決めて立ち向かう、菊の舞台です》

 

 こうしている間にもゲート入りは順調に進んでいる。ゲート入りを拒む馬が居なかったため、予定時刻通りにレースは開始できるだろう。

 最後に大外の18番マイスタイルがゲートへ収まり、準備が完了する。隣の17番プラチナヴォイスが激しく興奮しており、ゲート内で立ち上がろうとするが、何とか騎手が手綱を扱いて宥めたことで辛うじて最悪の事態は回避した。そのまま出走可能となり、全18頭が前方へ意識を向ける。

 

 場内の興奮は既に限界まで高まっていた。

 これから始まる3分余りの戦いが歴史に刻まれる一ページになる──そう信じて疑わず、誰もが確信を抱いていた。

 スタンドを埋め尽くす観客達は今か今かとその瞬間を待ち構え、出走の時を心待ちにしている。

 誰もがを固唾を飲んでゲートを見守っており、一部始終を見逃さないように視線の全てがテイエムベルレクスに固定されていた。

 

 無敗の三冠馬の誕生か。

 それとも新たな英雄がその偉業を拒まんと、菊の冠を戴くのか。

 

 様々な思惑と期待が交錯し、願望と祈りが渦巻く京都競馬場。その渦中に居るのが、一身に期待を背負ったテイエムベルレクスである。

 

《最後に大外18番のマイスタイルがゲートへ収まって、態勢完了しました》

 

 実況の声が場内に響き渡る。

 

《さぁ、果たしてテイエムベルレクスは史上8頭目となる三冠の金字塔を打ち立てられるのでしょうか?今日のレースは間違いなく歴史に刻まれる一ページ!見届けましょう!父の相棒、倭達龍司を背に──全ての人の希望と夢を乗せて、第78回菊花賞です!》

 

 その言葉を合図に、京都競馬場を包んでいた喧騒がふっと静まり返った。

 

 集った18頭の優駿達が息を潜め。それに跨る騎手達も全神経を研ぎ澄ませて前方を見据えた。

 勢い弱まることなく降り続く雨が、頬に打ち付けられ、湿った風が雨の匂いを運ぶと共に皮膚を撫でてくる。

 倭達もゲートの中で手綱を握り直して気を引き締める。

 

 空気が張り詰め、誰もが息を止めた。

 

 そして──ガシャンッ!

 

 激しい金属音と共にゲートが一斉に開いた。

 

《第78菊花賞、今ゲートが開いてスタートしました!》

 

 18頭が一斉に飛び出す。

 各馬ほぼ揃ったスタートを決めた。そう思った瞬間であった。

 

 不良馬場となった芝に足を取られたのか。はたまた前脚が僅かに絡まってしまい、バランスを崩したのか。

 その真相は本人達にしか分からないだろう。しかし実況席やスタンドからただ分かることが一つだけあった。

 

《あぁっと!!テイエムベルレクス躓いた!!》

 

 場内が一気にどよめいた。

 黄金の鬣を揺らした栗毛の馬体が、他馬よりも明らかに遅れて前へ出る。完全な出遅れ、それも三冠の期待を背負った1番人気の彼らにとってはあまりにも痛過ぎるスタートだった。

 

 こうして菊花賞は、予期せぬハプニングから幕を開けることになった。




単勝支持率80%超えの理由は単純に長距離適性と欧州血統が理由です。おまけに無敗の二冠馬という実績に加え、全弟のアークが1800mですが重馬場を勝利しているので、「重馬場でも大丈夫だろう」という認識が生まれました。
逆に「ベルレクス以外無理じゃね?」っていう状態でこうなりました(ファンから見たらランに対して有利な条件が揃っていますので)。
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